88分、ここまでメンバを一切代えていなかった関塚氏が動いた。東に代えて富山を起用。東は大観衆のブーイングをあざ笑うように(実際ニヤニヤしていたな)時間を稼ぎながらゆっくりとフィールドを去った。あの見え見えの時間稼ぎを見て、UAEのサポータ達の腹は煮えくり返っていたに違いない。しかし、UAE関係者には申し訳ないが、勝負と言うものは強い方が勝つものなのだ。
中1日と言う、本格的な国際大会とはとても言えないような、滅茶苦茶な日程。選手達の体調は相当悪そうで、一歩目の出足が遅い。それでも、一人一人が落ち着いて球際で粘り、そうは敵ペースを許さない。しかし、イラン戦で完全に裏を突かれたトラウマか、UAEの逆襲速攻をケアし過ぎたか、4DFのラインが、やや低過ぎた分、敵に攻め込みを許し危ない場面もあった。しかし、前半の終盤には、うまく敵をいなせるようになり、むしろ有効な攻め込みは日本の方が多くなる。皆さん、何となく、何となくだが、このあたりから「後半1点取って勝ち切る」雰囲気と言うか、匂いと言うかを感じ始めませんでしたか?
後半立ち上がりに1度サイドを破られた、入りの悪さ。このあたりは若さだな(もっとも、この場面、シュートをバーに当てた瞬間にUAEの9番は天を仰いでしまっていた、あそこで集中を切らさずに詰めを狙わなければ...そしてその姿勢の差が勝負を分けたような気もするのだが)。しかし、後の時間帯はUAEがボールを回すものの、そう危ない場面は作られない。次第に先方の疲労も顕著になっていき、上記の「匂い」はますます濃くなっていく。
そして、決勝点。水沼が視野の広さと強いボールを蹴れる能力を発揮して深いクロス、敵DFが1枚のみで薗田と實藤がファーサイドで余っているところにピタリ。薗田は冷静に敵DFを引きつけてスルー、フリーの大外の實藤は落ち着いて正確なトラップ後、強烈に逆サイドネットに叩き込んでくれた。
本来であれば、後はボールを回したり、前線でキープしたりして、UAEの焦りを誘うだけでよかったのだが、そこまでの経験を積んでいない選手達。割とまともに受けてしまった。しかし、この時間帯になると、敵の攻撃選手達も疲弊しており、日本の最終ラインを脅かすには至らなかった。いや、フロンターレ関係者は嬉しかろうね。
終盤、UAEがコーナキックにGKを上げて来た時は、ほとんどのベガルタサポータは「あの場面」を思い起こした事だろう。実際、うまくこぼれ球を拾った日本は、最後山村が決定機を掴んだのだが、必死に全力疾走したGKの正面に蹴ってしまった(おお、そう言えば、あの得点を決められてしまった大前も、この世代の選手ではないか)。
見事な金メダルである。
やや押され気味ながら、最終ラインの組織が崩れない。最前線に個人能力の高いエースを置いて、そこを起点に逆襲速攻。セットプレイによる少ないチャンスを活かす。残り時間はうまく時計を進める。イタリアの強豪チームを思い起こさせる勝ち方ではないか。
さらに、視点を変えれば日本の完勝振りがわかろうと言うもの。決勝点があの時間帯に入った瞬間、明らかにUAEの選手達には「やはり勝てないのか」的な空気が流れていた。それでもメンバを代えて押し込んだり、最後はGKを上げたり、諦めなかったUAEの頑張りが、決勝を一層価値の高いものにしてくれた事は確かだ。しかし、今日は「格下のチームが果敢に攻め込んで幾度か好機を掴んだものの、格上のチームが冷静にいなし、セットプレイを活かしてキッチリと勝った試合」だったのだ。
今回のメンバは、U21と言っても、ベストとは言い難い事は以前も述べた。そのようなメンバで、ここまで見事な試合をしてくれて、しかもタイトルを取ったのだから、その価値は計り知れない。いずれの選手も、この経験を活かしてくれる事だろう。よく「このチームから五輪代表に選ばれる選手は少ない」と語られるが、そんな事は今からわかる訳がないではないか。確かに国内には(ドイツにも1人いるか)、Jで戦った実績が格段の選手が多数いる。けれども、勝負はこれからなのだ、少なくとも今回のメンバ達は、この金メダルで経験を積み、大いに自信をつけた事は間違いない。皆がロンドンの定位置争いに割って入ってくる事は間違いないだろう。
だからこそ、日本協会にお願いしたい。彼らに多額のボーナスを。
彼らは今後、Jでの厳しい定位置争い、そしてロンドンに向けての五輪代表の定位置争いを向かえる。それらは、今回の優勝以上に厳しくタフな戦いとなるかもしれない。
だからこそ、今回のアジア大会初金メダルと言う快挙については、彼らに対し、日本協会も「結果」で応えるべきではないかと思うのだ。
2010年11月25日
2010年09月23日
ロンドン五輪代表始動
ロンドン五輪代表チームが始動した。Jで実績を挙げた関塚隆氏が、A代表のコーチ兼任で監督に就任。まずアジア大会のメンバが発表された。
五輪は前々回にトルシェ氏率いるチームが堂々とベスト8に進出し、合衆国に悔しいPK負けを演じた以降、アテネも北京も1次リーグで芳しい成績を挙げられずにいる。正直なところ、いずれの大会も、「選手は上々だったにもかかわらず、やり方がまずかった」と言う印象が非常に強い。
アテネの失敗については散々愚痴を述べたが、「強化機会に恵まれ過ぎると、代表チームはかえって弱くなる」と言う不思議な現象を経験する事となった。当時の監督の山本昌邦氏の強化のやり方は、大量の選手を招集し「ラージグループ」を作り上げると言うもの。これは山本氏がコーチとして仕えていたトルシェ氏の強化方法に則ったものだったが、本大会までにベストメンバを絞る事ができず、完全な失敗に終わった。さらには、山本氏は類似の失敗をジュビロでも演じているのも、注目されてよいだろう。一方で、山本氏は、ここまでJFAの各種年代の指導を務めており、監督としても97年ワールドユースベスト8(中村俊輔、明神、柳沢、宮本ら)と言う実績があった。これらを含めて、アテネの失敗は、日本サッカーにおける1つの経験とも、1つの学習材料とも言えるだろう。
北京の失敗も興味深い。監督を務めた反町康治氏は、アルビレックスで格段の実績を残し、就任当時は日本屈指の若手指導者と評価は非常に高かった。しかし、これまた再三愚痴を述べる事になるのだが、就任中「ただの1度も颯爽とした試合を見せる事なく、北京で惨敗」すると言う無様な結果に終わってしまった。一方で、反町氏はその後ベルマーレの監督に就任、見事な采配でこの名門クラブをJ1昇格させた手腕は記憶に新しい(現在反町ベルマーレはJ1で苦闘しているが、これは(ベルマーレには失礼な言い方になるが)選手の個人能力の問題も大きく、必ずしも反町監督の手腕の問題のみではなかろう)。なぜ、これだけの名監督が五輪代表でかくも失敗したのかと言う事も、やはり日本サッカーにおける1つの経験とも、1つの学習材料とも言えるだろう。
さらに言うと、山本氏、反町氏の失敗により、「やはり日本人の監督では、世界で勝てないのか」とすら思う事もあった。その不安を、先日岡田氏が完全に払拭してくれた事は、我々にとってはとても大きな事だ。
ここで、関塚氏である。
フロンターレでの実績は言うまでもない。タイトルこそ獲得できなかったものの、フロンターレをアジア屈指のクラブまで成長させ、さらには中村憲剛と言うスタアを作り出したのは、関塚氏の手腕だ。反町氏は「戦闘能力が十分でないクラブをそこそこ勝たせた」が、関塚氏は「戦闘能力が十分でないクラブを戦闘能力が十分なクラブにした」ところが違う(もっとも、関塚氏も反町氏も、共に高校サッカーの大スタアであり、浪人して志望大学に入り、トップリーグでも活躍するなど共通点も多いのだが...大学入学時の浪人と言うと、もちろん岡田氏もなのだが)。
また、反町氏は当初オシム氏の代表コーチングスタッフに入っていたが(たとえばアジアカップのベンチにいて、同時開催されているカナダのワールドユースの視察にいかないなど不可思議な行動もあったが)、岡田氏の就任と共にA代表からは消えてしまい、不思議な思いをしたのものだった。関塚氏は、ザッケローニ氏の数少ない日本人スタッフとなるのだろうから、最後までA代表に帯同するのだろうか。そして、ここのA代表との連携はとても重要なものになるはずだ。
また関塚氏の出身大学により、大学閥の選考と揶揄する向きがあるが(この大学のサッカー界における大学閥が、過去色々に本サッカー界をゆがめていた事も否定しないが)、少なくともそれが関塚氏の実績をゆがめるものではない。関塚氏は国内屈指の実績ある監督の1人なのだ。
アジアカップがJリーグ最中に開催されるため、今回のアジアカップメンバはJでレギュラ格の選手は少なくベストとは言えない陣容となっている。権田、村松、酒井(おっとこの選手はユース代表には選ばれているな)、椋原、高橋、金崎(これはエースだ)、青木、山本、大津、原口、宇佐美、大迫、もちろん香川(これは大エースか)と言った選手が選考されていない。もちろん、負傷離脱中の米本と山田も不在。今回のメンバでJでそこそこ実績あるのは(と言うか私が映像を含めて見た事があるのはだが)薗田、登里、鎌田、東、工藤、それに水沼くらいか(どうでもよいが、水沼親父と関塚氏は同年齢)。ワールドカップサポートメンバの山村と永井を含め大学生が比較的多いのは最近の傾向と言うものだろう。
そもそも五輪代表と言うのは、10代後半から20代前半の年齢層。若者が精神的にも完全に大人に自立する年代であり、中心選手は皆トップレベルのJリーガとして活躍する。つまり、選手によっては五輪代表よりも格段に過酷な試合をJで戦っている事になる。さらに選手はこの年代、一気に成長する。昨日までユースで子供っぽかった選手が、一夜で堂々とした大人の選手になる事も珍しくない。
しかし、A代表とは異なり、五輪代表は「全てのサッカー選手の代表」と言うプレゼンスがある訳でもない。つまり「代表に行く事が、質の高いサッカーを要求されるとは限らない」と言う非常に難しい代表チームなのだ(もちろん、ユース代表でも同じ事が言えるが、ユース代表でJに出ているようなタレントは、ユースでは王様であり、別な体験ができる)。
そのような難しい年代のエリート達を束ねて、関塚氏がどのようなチームを作ってくれるのか、大いに期待したいところだ。
五輪は前々回にトルシェ氏率いるチームが堂々とベスト8に進出し、合衆国に悔しいPK負けを演じた以降、アテネも北京も1次リーグで芳しい成績を挙げられずにいる。正直なところ、いずれの大会も、「選手は上々だったにもかかわらず、やり方がまずかった」と言う印象が非常に強い。
アテネの失敗については散々愚痴を述べたが、「強化機会に恵まれ過ぎると、代表チームはかえって弱くなる」と言う不思議な現象を経験する事となった。当時の監督の山本昌邦氏の強化のやり方は、大量の選手を招集し「ラージグループ」を作り上げると言うもの。これは山本氏がコーチとして仕えていたトルシェ氏の強化方法に則ったものだったが、本大会までにベストメンバを絞る事ができず、完全な失敗に終わった。さらには、山本氏は類似の失敗をジュビロでも演じているのも、注目されてよいだろう。一方で、山本氏は、ここまでJFAの各種年代の指導を務めており、監督としても97年ワールドユースベスト8(中村俊輔、明神、柳沢、宮本ら)と言う実績があった。これらを含めて、アテネの失敗は、日本サッカーにおける1つの経験とも、1つの学習材料とも言えるだろう。
北京の失敗も興味深い。監督を務めた反町康治氏は、アルビレックスで格段の実績を残し、就任当時は日本屈指の若手指導者と評価は非常に高かった。しかし、これまた再三愚痴を述べる事になるのだが、就任中「ただの1度も颯爽とした試合を見せる事なく、北京で惨敗」すると言う無様な結果に終わってしまった。一方で、反町氏はその後ベルマーレの監督に就任、見事な采配でこの名門クラブをJ1昇格させた手腕は記憶に新しい(現在反町ベルマーレはJ1で苦闘しているが、これは(ベルマーレには失礼な言い方になるが)選手の個人能力の問題も大きく、必ずしも反町監督の手腕の問題のみではなかろう)。なぜ、これだけの名監督が五輪代表でかくも失敗したのかと言う事も、やはり日本サッカーにおける1つの経験とも、1つの学習材料とも言えるだろう。
さらに言うと、山本氏、反町氏の失敗により、「やはり日本人の監督では、世界で勝てないのか」とすら思う事もあった。その不安を、先日岡田氏が完全に払拭してくれた事は、我々にとってはとても大きな事だ。
ここで、関塚氏である。
フロンターレでの実績は言うまでもない。タイトルこそ獲得できなかったものの、フロンターレをアジア屈指のクラブまで成長させ、さらには中村憲剛と言うスタアを作り出したのは、関塚氏の手腕だ。反町氏は「戦闘能力が十分でないクラブをそこそこ勝たせた」が、関塚氏は「戦闘能力が十分でないクラブを戦闘能力が十分なクラブにした」ところが違う(もっとも、関塚氏も反町氏も、共に高校サッカーの大スタアであり、浪人して志望大学に入り、トップリーグでも活躍するなど共通点も多いのだが...大学入学時の浪人と言うと、もちろん岡田氏もなのだが)。
また、反町氏は当初オシム氏の代表コーチングスタッフに入っていたが(たとえばアジアカップのベンチにいて、同時開催されているカナダのワールドユースの視察にいかないなど不可思議な行動もあったが)、岡田氏の就任と共にA代表からは消えてしまい、不思議な思いをしたのものだった。関塚氏は、ザッケローニ氏の数少ない日本人スタッフとなるのだろうから、最後までA代表に帯同するのだろうか。そして、ここのA代表との連携はとても重要なものになるはずだ。
また関塚氏の出身大学により、大学閥の選考と揶揄する向きがあるが(この大学のサッカー界における大学閥が、過去色々に本サッカー界をゆがめていた事も否定しないが)、少なくともそれが関塚氏の実績をゆがめるものではない。関塚氏は国内屈指の実績ある監督の1人なのだ。
アジアカップがJリーグ最中に開催されるため、今回のアジアカップメンバはJでレギュラ格の選手は少なくベストとは言えない陣容となっている。権田、村松、酒井(おっとこの選手はユース代表には選ばれているな)、椋原、高橋、金崎(これはエースだ)、青木、山本、大津、原口、宇佐美、大迫、もちろん香川(これは大エースか)と言った選手が選考されていない。もちろん、負傷離脱中の米本と山田も不在。今回のメンバでJでそこそこ実績あるのは(と言うか私が映像を含めて見た事があるのはだが)薗田、登里、鎌田、東、工藤、それに水沼くらいか(どうでもよいが、水沼親父と関塚氏は同年齢)。ワールドカップサポートメンバの山村と永井を含め大学生が比較的多いのは最近の傾向と言うものだろう。
そもそも五輪代表と言うのは、10代後半から20代前半の年齢層。若者が精神的にも完全に大人に自立する年代であり、中心選手は皆トップレベルのJリーガとして活躍する。つまり、選手によっては五輪代表よりも格段に過酷な試合をJで戦っている事になる。さらに選手はこの年代、一気に成長する。昨日までユースで子供っぽかった選手が、一夜で堂々とした大人の選手になる事も珍しくない。
しかし、A代表とは異なり、五輪代表は「全てのサッカー選手の代表」と言うプレゼンスがある訳でもない。つまり「代表に行く事が、質の高いサッカーを要求されるとは限らない」と言う非常に難しい代表チームなのだ(もちろん、ユース代表でも同じ事が言えるが、ユース代表でJに出ているようなタレントは、ユースでは王様であり、別な体験ができる)。
そのような難しい年代のエリート達を束ねて、関塚氏がどのようなチームを作ってくれるのか、大いに期待したいところだ。
2008年09月14日
反町監督、再起への期待 五輪代表ピッチ上の問題(下)
と言う事で反町氏についてだが。結論を先に述べておく。
五輪代表監督としての反町氏は、何ら評価のできない失敗だった。しかし、アルビレックス時代の実績は消え去るものではない。是非こそ、捲土重来を図って欲しい。
反町氏の五輪代表監督振りを振り返ると、何とも重苦しい気分になってしまう。
確かに、日本協会のサポートに残念な事は多かった。破綻しきった日程を改善すらする気がない協会首脳。そして、その破綻日程下において五輪代表強化の優先順位が低かった事は、止めとなるオーバエージ問題より前にも散見されていた。アジア大会のメンバ規制然り、ワールドユースメンバを2次予選前に融合させる絶好機だった中国トーナメントよりオールスターを優先させる判断然り。ただでさえ破綻している日本サッカー界の日程下では、ワールドカップ予選とJリーグとACLを除く試合への対応は事実上困難になっているのだ。
けれども、そのような日本協会のバックアップ不足は深刻ではあったものの、反町氏は準備の過程で不可解な施策を連発し自ら墓穴を掘った感が強い。何よりも悲しい事に、反町氏は2年間に渡り、これだけのタレント集団を率いていながら、ただの1度も「お見事!」と言う試合を見せてはくれなかった。確かに、2次予選の敵地ベトナム戦、準備試合のアンゴラ戦、豪州戦などは「よい試合」ではあったけれど。
本大会までにベストメンバを固めないと言う独特のやり方で散々の評価だった前任の山本氏ですらもアジア大会の一連の試合、五輪最終予選の敵地UAE戦、親善試合の韓国戦など、見事な試合を見せてくれた事があった。
史上最低の代表監督と言われる横山謙三氏でさえ、(内容面はさておき)イタリアワールドカップ予選の国立北朝鮮戦の逆転勝利(水沼のスーパーボレーと終了間際の自殺点)のように胸のすく試合を見せてくれた事がある。何より、横山氏には井原を抜擢したと言う実績もあった(誰が監督をしても抜擢していただろうと言う突っ込みはさておき)。
けれども、反町氏は...
まず予選突破まで。
反町氏は突っ込みどころ満載の采配を振るってくれた。最も強化に役立ちそうな敵地韓国戦で2軍対応、わざわざ水野と本田圭の前に3トップを起用し蓋をする愚策、この世代で最高レベルの実績を挙げている谷口の軽視、消化試合の国立マレーシア戦で無意味な3軍対応、機能しない固定メンバへの拘泥(たとえば本大会1年前、せめて1次予選勝抜き後の敵地香港戦で豊田を試していれば...)等々。
それでも、水本、青山直を軸に堅固な守備ラインを形成。退場で10人になった国立カタール戦の終盤の綱渡り(興奮はしました)、よいペースで試合を進めながらこれ以上の不運は考えられないような敗戦を喫した敵地カタール戦を経て、最終国立サウジ戦では意図不明の中途半端な守備戦法による危機一髪など、たっぷり我々を愉しませてくれた上で予選突破に成功した。
続いて本大会まで。年が明けた08年に入り、反町氏には次々と難しい問題が襲いかかった。
まず、予選段階の中心選手にトラブルが次々と起こる。柏木、家長が負傷で長期離脱、水野、平山、若森島もチーム事情で出場機会が減り調子を崩す(水本の行ったり来たりもその範疇に加えてもよいかもしれない)など、チーム作りを根底から見直す事態が発生した。一方で、内田、安田、長友、香川、吉田、森重、金崎など、反町氏のチームではそれほど出場機会のなかった新しい選手の活躍が目立ち始める。もっとも、若年層の代表チーム作りの難しさはここにある。どうしても若い選手にはムラがあるから調子を落す選手が出てくるし、一方で逆に伸びてくる選手もいる。
さらに2月早々からワールドカップ予選が始まり、岡田氏は従来この世代でA代表に選考されていた水本や本田圭に加え、内田、安田、長友、香川らを抜擢する。結果的に反町氏はこれらの中核となる選手を、準備段階で思ったように使えなくなった。しかし、これは仕方がない事だ。むしろ過去の五輪監督が恵まれていたのが異例だったのだ。アトランタの時は全く意味不明の五輪優先でA代表監督の加茂氏は前園、城らの優先選考権がなかった。シドニーの時はワールドカップ予選そのものがなかったし、トルシェ氏が双方の監督を兼任していた。アテネの際は、ジーコ氏は固定メンバに拘泥すると共に、山本氏も永田のようにジーコ氏が評価する選手を軽視するなど、アトランタ時代以上に強化が分離されていた。今回のようにオシム氏なり岡田氏が、五輪代表の中核となりそうな選手を五輪前から招集する方が当たり前であり、A代表と選手選考のバッティングもまた、若年層代表チーム作りの難しさなのだ。
ワールドカップ予選とJリーグの兼ね合いから準備試合の数も限られたものだったが、アンゴラ戦、トゥーロン国際での上位進出、カメルーン戦とそれなりのサッカーを披露した。谷口の復帰(しつこいがこの選手は自クラブの実績はこの世代でナンバーワンと言っても過言ではなく、予選段階で軽視する理由がわからなかった)、細貝の成長(さすがに拡大トヨタカップでミランと戦った選手は経験値が違う)など中盤で「戦える」選手が増え、吉田、森重の台頭でチームの強みだった守備もさらに強化されてきた。一方で、予選時の攻撃の中核の水野の不振、家長、柏木の不在は、ただでさえFWの層が薄い事と合わせ、悩ましい問題だった。
逆に考えれば、層が薄いポジションをオーバエージで補強すれば問題は解決し、それなりのチームで本大会を迎える雰囲気も出てきた。そして、反町氏が選んだ大久保と遠藤は、「得点力」と「中盤の変化」の問題解決と言う意味では極めて妥当な人選だった。オーバエージ問題の不手際は日本協会側の問題だが、一方でこの2人がダメとなった時点で、どうして反町氏はあきらめてしまったのか。チームに大きな改善の必要性があるからのオーバエージだったのだから、大久保に代えて佐藤寿人、遠藤に代えて中村憲剛、小笠原あたりの招集に何故拘泥しなかったのだろうか。
結果的に、2年の歳月が費やされたにもかかわらず、とうとう得点を取るための共通意識を身につける事なく、このチームは終わりを遂げた。
こうして振り返ると、予選突破前後で反町氏の苦闘ぶりの色合いが異なる事に気がつく。
予選段階までは、反町氏は、よりどりみどりの豊富な選手層に対し、自らの独自的な選手選考、配置を試みた。しかし、その試みの多くは奇策で、それらに次々と失敗する事で貴重な機会と時間を失い、結果的にチーム作りが遅れ、自ら苦しんだように思えた。やりたい事があり過ぎて、意欲が空回りしたとでも言おうか。これは現場の指導者、采配を振るう立場での苦闘だった。
一方、予選より後は、次々と出てくる障害への対応で追われ、逆に反町氏はやりたい事はほとんどやれずに五輪本大会を終えた感が強い。五輪本大会敗退後の、あまり潔いとは言えない一連の発言も、幾多の障害の対応策を見出せなかった混乱とも見て取れる。こちらは、現場の管理者、チームマネージメントでの苦闘と言うべきか。
では日本協会の監督選考が間違っていたのだろうか。結果が出なかった以上はその指摘は正しいのだが、少なくとも私は、氏の就任時は全くそうは思わなかった。現役時代の選手反町は大好きだった。そして、アルビレックスの監督として、一介の地方のクラブをJ1に昇格させ、さらに定着させる基盤を作った反町氏を高く評価していたし、将来はA代表監督と期待していた。したがい、五輪代表監督就任時には多いに喜んだものだった。これは私の見る目がなかっただけかもしれないが、Jリーグで秀でた若い監督を、若年層代表チームに抜擢する発想は、決して悪いものとは思えない。現実的に考えても、アフリカで実績を挙げていたトルシェ氏はさておき、西野氏や山本氏よりは、上記で厳しく批判した指導面でもチームマネージメント面でも。反町氏には格段の実績があったのだ。
「だから外国人監督でなければ」と言う理屈を否定はしない。しかし、トルシェ氏時代のような的確な監督選考と強化プランの提供は決して容易ではない。氏にはユース代表、五輪代表、そして地元開催のA代表と全権を任せる事ができた(しかも段階的にチームを把握する時間すら提供できた)。さらに当時は今日ほど日程も破綻していなかった。J1のチーム数も少なかったし、ACLはアジアクラブ選手権時代で今ほど試合数はなかった。そして、何より氏は有能だったし、当時の日本にピタリと合った監督だった(トルシェ氏と我々の出会いについては、当時の日本のサッカーの状況を正確に把握していたアルセーヌ・ベンゲル氏の推薦があったのが大きかったのではないか)。しかし、外国人監督には、選手の把握、生活面でのフォロー、アジア独特の難しさへの対応などリスクが大きい事を忘れてはいけない。赫々たる実績のある指導者がJのクラブで失敗する事例も少なくないのだ。まして現実的に五輪代表監督に海外から招聘した監督に納得できる強化日程を現状の破綻日程下で提供できるのかも微妙なところだ。繰り返すが、トルシェ氏が優秀だったのであり、外国人指導者が皆優秀な訳ではない。それならば、日本のサッカーを熟知したJで実績ある日本人監督と言うのも1つの発想なのだ(だったのだ)。
また、我々と同格のライバルと言える豪州や韓国は、今大会自国の監督で大会に臨み、我々よりはマシな成績を残した。彼らと比較し、我々は適切な自国指導者の育成が巧く行っていないのだろうか。
それらを考慮して、反町氏にオシム爺さんのA代表コーチを兼任させた策が、爺さんが倒れた事で頓挫したのも確かなのだが。
日本協会は、いや我々は、そこまで考えた反省を行うべきではないか。Jリーグで秀でた実績を挙げた監督が失敗してしまったと言う反省を。そして、以降我々はどうすべきなのか。少なくとも、「優秀な外国人指導者を招聘しよう」だけでは正しい解とは言えないだろう。
そして反町氏。
結果的に氏の五輪代表監督としての冒険は失敗だった。しかし、それはそれで経験である。氏はJリーグで堂々たる実績を残したから、五輪代表監督として闘う事ができたのだ。アルビレックスでの成功経験、今回の失敗経験、それらを活かし捲土重来して欲しい。具体的にはJでの再挑戦である。
我々は優秀な日本人リーダを求めており、氏は今なおその貴重な候補者なのだから。
五輪代表監督としての反町氏は、何ら評価のできない失敗だった。しかし、アルビレックス時代の実績は消え去るものではない。是非こそ、捲土重来を図って欲しい。
反町氏の五輪代表監督振りを振り返ると、何とも重苦しい気分になってしまう。
確かに、日本協会のサポートに残念な事は多かった。破綻しきった日程を改善すらする気がない協会首脳。そして、その破綻日程下において五輪代表強化の優先順位が低かった事は、止めとなるオーバエージ問題より前にも散見されていた。アジア大会のメンバ規制然り、ワールドユースメンバを2次予選前に融合させる絶好機だった中国トーナメントよりオールスターを優先させる判断然り。ただでさえ破綻している日本サッカー界の日程下では、ワールドカップ予選とJリーグとACLを除く試合への対応は事実上困難になっているのだ。
けれども、そのような日本協会のバックアップ不足は深刻ではあったものの、反町氏は準備の過程で不可解な施策を連発し自ら墓穴を掘った感が強い。何よりも悲しい事に、反町氏は2年間に渡り、これだけのタレント集団を率いていながら、ただの1度も「お見事!」と言う試合を見せてはくれなかった。確かに、2次予選の敵地ベトナム戦、準備試合のアンゴラ戦、豪州戦などは「よい試合」ではあったけれど。
本大会までにベストメンバを固めないと言う独特のやり方で散々の評価だった前任の山本氏ですらもアジア大会の一連の試合、五輪最終予選の敵地UAE戦、親善試合の韓国戦など、見事な試合を見せてくれた事があった。
史上最低の代表監督と言われる横山謙三氏でさえ、(内容面はさておき)イタリアワールドカップ予選の国立北朝鮮戦の逆転勝利(水沼のスーパーボレーと終了間際の自殺点)のように胸のすく試合を見せてくれた事がある。何より、横山氏には井原を抜擢したと言う実績もあった(誰が監督をしても抜擢していただろうと言う突っ込みはさておき)。
けれども、反町氏は...
まず予選突破まで。
反町氏は突っ込みどころ満載の采配を振るってくれた。最も強化に役立ちそうな敵地韓国戦で2軍対応、わざわざ水野と本田圭の前に3トップを起用し蓋をする愚策、この世代で最高レベルの実績を挙げている谷口の軽視、消化試合の国立マレーシア戦で無意味な3軍対応、機能しない固定メンバへの拘泥(たとえば本大会1年前、せめて1次予選勝抜き後の敵地香港戦で豊田を試していれば...)等々。
それでも、水本、青山直を軸に堅固な守備ラインを形成。退場で10人になった国立カタール戦の終盤の綱渡り(興奮はしました)、よいペースで試合を進めながらこれ以上の不運は考えられないような敗戦を喫した敵地カタール戦を経て、最終国立サウジ戦では意図不明の中途半端な守備戦法による危機一髪など、たっぷり我々を愉しませてくれた上で予選突破に成功した。
続いて本大会まで。年が明けた08年に入り、反町氏には次々と難しい問題が襲いかかった。
まず、予選段階の中心選手にトラブルが次々と起こる。柏木、家長が負傷で長期離脱、水野、平山、若森島もチーム事情で出場機会が減り調子を崩す(水本の行ったり来たりもその範疇に加えてもよいかもしれない)など、チーム作りを根底から見直す事態が発生した。一方で、内田、安田、長友、香川、吉田、森重、金崎など、反町氏のチームではそれほど出場機会のなかった新しい選手の活躍が目立ち始める。もっとも、若年層の代表チーム作りの難しさはここにある。どうしても若い選手にはムラがあるから調子を落す選手が出てくるし、一方で逆に伸びてくる選手もいる。
さらに2月早々からワールドカップ予選が始まり、岡田氏は従来この世代でA代表に選考されていた水本や本田圭に加え、内田、安田、長友、香川らを抜擢する。結果的に反町氏はこれらの中核となる選手を、準備段階で思ったように使えなくなった。しかし、これは仕方がない事だ。むしろ過去の五輪監督が恵まれていたのが異例だったのだ。アトランタの時は全く意味不明の五輪優先でA代表監督の加茂氏は前園、城らの優先選考権がなかった。シドニーの時はワールドカップ予選そのものがなかったし、トルシェ氏が双方の監督を兼任していた。アテネの際は、ジーコ氏は固定メンバに拘泥すると共に、山本氏も永田のようにジーコ氏が評価する選手を軽視するなど、アトランタ時代以上に強化が分離されていた。今回のようにオシム氏なり岡田氏が、五輪代表の中核となりそうな選手を五輪前から招集する方が当たり前であり、A代表と選手選考のバッティングもまた、若年層代表チーム作りの難しさなのだ。
ワールドカップ予選とJリーグの兼ね合いから準備試合の数も限られたものだったが、アンゴラ戦、トゥーロン国際での上位進出、カメルーン戦とそれなりのサッカーを披露した。谷口の復帰(しつこいがこの選手は自クラブの実績はこの世代でナンバーワンと言っても過言ではなく、予選段階で軽視する理由がわからなかった)、細貝の成長(さすがに拡大トヨタカップでミランと戦った選手は経験値が違う)など中盤で「戦える」選手が増え、吉田、森重の台頭でチームの強みだった守備もさらに強化されてきた。一方で、予選時の攻撃の中核の水野の不振、家長、柏木の不在は、ただでさえFWの層が薄い事と合わせ、悩ましい問題だった。
逆に考えれば、層が薄いポジションをオーバエージで補強すれば問題は解決し、それなりのチームで本大会を迎える雰囲気も出てきた。そして、反町氏が選んだ大久保と遠藤は、「得点力」と「中盤の変化」の問題解決と言う意味では極めて妥当な人選だった。オーバエージ問題の不手際は日本協会側の問題だが、一方でこの2人がダメとなった時点で、どうして反町氏はあきらめてしまったのか。チームに大きな改善の必要性があるからのオーバエージだったのだから、大久保に代えて佐藤寿人、遠藤に代えて中村憲剛、小笠原あたりの招集に何故拘泥しなかったのだろうか。
結果的に、2年の歳月が費やされたにもかかわらず、とうとう得点を取るための共通意識を身につける事なく、このチームは終わりを遂げた。
こうして振り返ると、予選突破前後で反町氏の苦闘ぶりの色合いが異なる事に気がつく。
予選段階までは、反町氏は、よりどりみどりの豊富な選手層に対し、自らの独自的な選手選考、配置を試みた。しかし、その試みの多くは奇策で、それらに次々と失敗する事で貴重な機会と時間を失い、結果的にチーム作りが遅れ、自ら苦しんだように思えた。やりたい事があり過ぎて、意欲が空回りしたとでも言おうか。これは現場の指導者、采配を振るう立場での苦闘だった。
一方、予選より後は、次々と出てくる障害への対応で追われ、逆に反町氏はやりたい事はほとんどやれずに五輪本大会を終えた感が強い。五輪本大会敗退後の、あまり潔いとは言えない一連の発言も、幾多の障害の対応策を見出せなかった混乱とも見て取れる。こちらは、現場の管理者、チームマネージメントでの苦闘と言うべきか。
では日本協会の監督選考が間違っていたのだろうか。結果が出なかった以上はその指摘は正しいのだが、少なくとも私は、氏の就任時は全くそうは思わなかった。現役時代の選手反町は大好きだった。そして、アルビレックスの監督として、一介の地方のクラブをJ1に昇格させ、さらに定着させる基盤を作った反町氏を高く評価していたし、将来はA代表監督と期待していた。したがい、五輪代表監督就任時には多いに喜んだものだった。これは私の見る目がなかっただけかもしれないが、Jリーグで秀でた若い監督を、若年層代表チームに抜擢する発想は、決して悪いものとは思えない。現実的に考えても、アフリカで実績を挙げていたトルシェ氏はさておき、西野氏や山本氏よりは、上記で厳しく批判した指導面でもチームマネージメント面でも。反町氏には格段の実績があったのだ。
「だから外国人監督でなければ」と言う理屈を否定はしない。しかし、トルシェ氏時代のような的確な監督選考と強化プランの提供は決して容易ではない。氏にはユース代表、五輪代表、そして地元開催のA代表と全権を任せる事ができた(しかも段階的にチームを把握する時間すら提供できた)。さらに当時は今日ほど日程も破綻していなかった。J1のチーム数も少なかったし、ACLはアジアクラブ選手権時代で今ほど試合数はなかった。そして、何より氏は有能だったし、当時の日本にピタリと合った監督だった(トルシェ氏と我々の出会いについては、当時の日本のサッカーの状況を正確に把握していたアルセーヌ・ベンゲル氏の推薦があったのが大きかったのではないか)。しかし、外国人監督には、選手の把握、生活面でのフォロー、アジア独特の難しさへの対応などリスクが大きい事を忘れてはいけない。赫々たる実績のある指導者がJのクラブで失敗する事例も少なくないのだ。まして現実的に五輪代表監督に海外から招聘した監督に納得できる強化日程を現状の破綻日程下で提供できるのかも微妙なところだ。繰り返すが、トルシェ氏が優秀だったのであり、外国人指導者が皆優秀な訳ではない。それならば、日本のサッカーを熟知したJで実績ある日本人監督と言うのも1つの発想なのだ(だったのだ)。
また、我々と同格のライバルと言える豪州や韓国は、今大会自国の監督で大会に臨み、我々よりはマシな成績を残した。彼らと比較し、我々は適切な自国指導者の育成が巧く行っていないのだろうか。
それらを考慮して、反町氏にオシム爺さんのA代表コーチを兼任させた策が、爺さんが倒れた事で頓挫したのも確かなのだが。
日本協会は、いや我々は、そこまで考えた反省を行うべきではないか。Jリーグで秀でた実績を挙げた監督が失敗してしまったと言う反省を。そして、以降我々はどうすべきなのか。少なくとも、「優秀な外国人指導者を招聘しよう」だけでは正しい解とは言えないだろう。
そして反町氏。
結果的に氏の五輪代表監督としての冒険は失敗だった。しかし、それはそれで経験である。氏はJリーグで堂々たる実績を残したから、五輪代表監督として闘う事ができたのだ。アルビレックスでの成功経験、今回の失敗経験、それらを活かし捲土重来して欲しい。具体的にはJでの再挑戦である。
我々は優秀な日本人リーダを求めており、氏は今なおその貴重な候補者なのだから。
2008年08月27日
どう得点を奪うのか 五輪代表ピッチ上の問題(中)
今回の抜本的な敗因は「オーバエージを選ばない」日本協会(あるいは反町氏)の不首尾であり、勝敗を分けたポイントは「判断」や「工夫」の欠如だったと論じてきた。それに加えて、どうにも「イライラ」させられる時間帯が非常に多かった。
今回手合わせしたチームは、いずれも大柄な選手を揃える国だった。過去の世界大会では、往々にしてこの手の相手には、単純なぶつかり合いを避け、素早いパスワークで勝負をかけないと、押し込まれるケースが多かった。ところが、今大会は、単純なぶつかり合いに悩まされたケースは少なかったようにも思う。たとえば、豊田の高さは3国全てに通用していた。水本、森重、細貝、谷口の4人は、競り合いにも相当な強さを発揮していた。いや、あの本田圭も単純な競り合いには、ほとんど負けていなかった。いや、ほとんどの選手が同等に競り合っていたではないか。
そして、これはいつもの世界大会同様に、ボールを回す技術も他国と比較して遜色ない。さすがに厳しいプレッシャの中で突破する事は思うに任せなかったが。つまり、ボールを争う局面ごとにはほとんど負けていなかったのだ。
それなのに、中々攻め切れないものだから、再三「イライラ」させられたのだと思うのだ。
いささか逆説めく話。この大会最も「イライラ」しなかったのはナイジェリア戦で2失点した時間帯ではないか。ここでのナイジェリアの迫力ある速攻は「さすが」としか言いようがないもので、「先方が明らかに上手」と感じざるを得なかった。そのくらい差がハッキリしていれば、どんなに悔しくても「イライラ」とは感じないものだ。
特に2点目を取られた際は、逆襲から3対2を作られたたが、森重、水本、西川の3人が、創意に満ちた巧い守備を見せ、角度のない所に敵FWアニチェべを追い出して西川がコースを消したのだが、アニチェベは完璧なトラップと鋭い反転で西川を破ってしまった。こう言うのは、心底絶望的な気分にはなるが、「イライラ」とは言わない。ところが、このように「さっぱりと殺していただける」時間帯は今大会においては、非常に少なかった。
それ以外の時間帯は、いずれの試合でも「局面ごとには負けていないのに攻め切れない」と言う「イライラ」感に襲われる事が多かった。
そして、攻め切れなかった要因は、合衆国戦にも指摘した「『どうやって点を取るか』が曖昧」と言う事に尽きるのではないか。内田や長友や安田の外をえぐり、豊田の空中戦、本田圭のプレイスキック。いずれも中々の武器なのに、そこから得点につなげようとする連動が見受けられないのだ。
典型的な場面は、オランダ戦の前半の好機(になりかけた場面)。梶山が長友(だと思った)を見事に追い越し、右サイド全くのフリーに、今大会には珍しくペナルティエリアには多数の選手がなだれ込んでいる。「これは決まりそう」と期待した瞬間に梶山がボールをこね回し、結局よいボールは入れられず、逆に悪い形で奪われて逆襲を食らいそうになった。あの瞬間冗談抜きに、「このチームはサイドを突破する練習は積んでいるが、サイドから点を取る練習はしていないのではないか」とすら思った。大会直前の懸念がそのまま出たと事だろうか。
さらに、考えてみれば、このチームは結成して2年近く経つものの、パスワークの妙からの得点は非常に少なかった。ほとんどがセットプレイと選手の個人技の披露によるもの。唯一の例外が、先日の豪州戦の香川の先制点だったのだが、あれはぬか喜びだったのだなと。
そう言う見地で対照的だったのは女子代表だ。とにかく得点への筋道は明確だった。
澤と阪口が精度のよいボールを縦に入れ、永里のキープと大野とすり抜けを使った中央突破。
宮間が個人技で、近賀が後方からタイミングよい攻め上がりで、丸山が短い距離のダッシュの速さで、それぞれサイドを破り、センタリングを入れる。ただし、タッチ沿いから強いボールを鋭角に蹴る脚力はないので、敵DFを完全に抜き去りペナルティエリアあたりまで切れ込む必要があるが。
女子代表の攻撃は、基本的には以上の2方法の併用。そして、いずれの攻撃を選択するか読まれないように、4人のMFがあちらこちらに顔を出して変化を付けていた。
佐々木監督が就任したのが今年の1月なのだから、半年強でここまでチームを作り上げたのだから、大したものである。
もちろん、チーム完成途上期ならば「『どうやって点を取るか』が曖昧」と言う状況もあるだろう。しかし、言うまでもなく、五輪本大会がこのチームの目標だったのだから、言い訳の余地はない。
と言う事で、極めて月並みな議論である、反町監督批判に続きます(って、あと1回で終わるのだろうか)。
今回手合わせしたチームは、いずれも大柄な選手を揃える国だった。過去の世界大会では、往々にしてこの手の相手には、単純なぶつかり合いを避け、素早いパスワークで勝負をかけないと、押し込まれるケースが多かった。ところが、今大会は、単純なぶつかり合いに悩まされたケースは少なかったようにも思う。たとえば、豊田の高さは3国全てに通用していた。水本、森重、細貝、谷口の4人は、競り合いにも相当な強さを発揮していた。いや、あの本田圭も単純な競り合いには、ほとんど負けていなかった。いや、ほとんどの選手が同等に競り合っていたではないか。
そして、これはいつもの世界大会同様に、ボールを回す技術も他国と比較して遜色ない。さすがに厳しいプレッシャの中で突破する事は思うに任せなかったが。つまり、ボールを争う局面ごとにはほとんど負けていなかったのだ。
それなのに、中々攻め切れないものだから、再三「イライラ」させられたのだと思うのだ。
いささか逆説めく話。この大会最も「イライラ」しなかったのはナイジェリア戦で2失点した時間帯ではないか。ここでのナイジェリアの迫力ある速攻は「さすが」としか言いようがないもので、「先方が明らかに上手」と感じざるを得なかった。そのくらい差がハッキリしていれば、どんなに悔しくても「イライラ」とは感じないものだ。
特に2点目を取られた際は、逆襲から3対2を作られたたが、森重、水本、西川の3人が、創意に満ちた巧い守備を見せ、角度のない所に敵FWアニチェべを追い出して西川がコースを消したのだが、アニチェベは完璧なトラップと鋭い反転で西川を破ってしまった。こう言うのは、心底絶望的な気分にはなるが、「イライラ」とは言わない。ところが、このように「さっぱりと殺していただける」時間帯は今大会においては、非常に少なかった。
それ以外の時間帯は、いずれの試合でも「局面ごとには負けていないのに攻め切れない」と言う「イライラ」感に襲われる事が多かった。
そして、攻め切れなかった要因は、合衆国戦にも指摘した「『どうやって点を取るか』が曖昧」と言う事に尽きるのではないか。内田や長友や安田の外をえぐり、豊田の空中戦、本田圭のプレイスキック。いずれも中々の武器なのに、そこから得点につなげようとする連動が見受けられないのだ。
典型的な場面は、オランダ戦の前半の好機(になりかけた場面)。梶山が長友(だと思った)を見事に追い越し、右サイド全くのフリーに、今大会には珍しくペナルティエリアには多数の選手がなだれ込んでいる。「これは決まりそう」と期待した瞬間に梶山がボールをこね回し、結局よいボールは入れられず、逆に悪い形で奪われて逆襲を食らいそうになった。あの瞬間冗談抜きに、「このチームはサイドを突破する練習は積んでいるが、サイドから点を取る練習はしていないのではないか」とすら思った。大会直前の懸念がそのまま出たと事だろうか。
さらに、考えてみれば、このチームは結成して2年近く経つものの、パスワークの妙からの得点は非常に少なかった。ほとんどがセットプレイと選手の個人技の披露によるもの。唯一の例外が、先日の豪州戦の香川の先制点だったのだが、あれはぬか喜びだったのだなと。
そう言う見地で対照的だったのは女子代表だ。とにかく得点への筋道は明確だった。
澤と阪口が精度のよいボールを縦に入れ、永里のキープと大野とすり抜けを使った中央突破。
宮間が個人技で、近賀が後方からタイミングよい攻め上がりで、丸山が短い距離のダッシュの速さで、それぞれサイドを破り、センタリングを入れる。ただし、タッチ沿いから強いボールを鋭角に蹴る脚力はないので、敵DFを完全に抜き去りペナルティエリアあたりまで切れ込む必要があるが。
女子代表の攻撃は、基本的には以上の2方法の併用。そして、いずれの攻撃を選択するか読まれないように、4人のMFがあちらこちらに顔を出して変化を付けていた。
佐々木監督が就任したのが今年の1月なのだから、半年強でここまでチームを作り上げたのだから、大したものである。
もちろん、チーム完成途上期ならば「『どうやって点を取るか』が曖昧」と言う状況もあるだろう。しかし、言うまでもなく、五輪本大会がこのチームの目標だったのだから、言い訳の余地はない。
と言う事で、極めて月並みな議論である、反町監督批判に続きます(って、あと1回で終わるのだろうか)。
2008年08月25日
精神力以前で負けた事を忘れてはいけない 五輪代表ピッチ上の問題(上)
女子代表の限界近くまで出し切った惜敗振りが、あまりに颯爽としていたので、一層男への風当たりが強い。確かに、今回の反町氏が率いた五輪代表については不満が多い。その根本要因は先日述べたように、オーバエージ不在と言う日本協会の真剣さの欠如にあった。
ただし、根本要因がダメだったと言ってしまうと議論はそれで完了してしまう。ピッチ上の問題点はそれでそれで検討し、反省すべきではあろう。と言う事で遅ればせながら、そのあたりについて何回かに分けて講釈を垂れてみたい。
一連の五輪代表批判で気になるのは、「戦う姿勢の欠如」とか「走りが足りない」とか、あまりに精神論に偏った批判が多い事だ。上記した女子との対比が一層その印象を高めているのかもしれない。しかし、私は今回の五輪代表のピッチ上の不首尾を、単に精神論で片付けるのは非常に危険だと思っている。
例えば合衆国戦。この試合は、後半立ち上がりの勝負どころを巧く突かれた事に尽きる。前半は高温多湿で動けない敵を圧倒しながら決めきれず。初戦で手堅く行こうとし過ぎたドイスボランチが慎重すぎたのが痛かった。そして後半、先制されてからは焦りから攻めが上滑り。終盤、パワープレイで攻めかけ、突破しても最後のラストパスに精度を欠き、明らかなPKを取ってもらえない不運もあり、攻め切れなかったもの。
敗因は判断力の欠如であり、さらには崩し切れない技巧や工夫の不足だった。
例えばナイジェリア戦。この試合では、後半非常に強い相手に対して、勝ちたい気持ちが出過ぎて前掛りになってしまったのが致命的だった。誤解されては困るが、点を取るために前に出るのはまちがっていない(前に出ないと合衆国戦のように腰が引けた戦い方になってしまう)。しかし、サイドバックとボランチが揃ってズルズルと前に出るのは避けるべきだし、前に出てボールを受けられないと見たらすぐに後方に下がるべく(非常に過酷だが)執拗に上下動を繰り返す必要があるのだ。しかし、失点の場面は皆が揃って前に行ってしまった。今大会よく頑張っていた細貝と谷口にあれ以上要求するのは酷かもしれないが、(反町氏がどう評価していたかはさておき)事実上2人がチームの中核だったのだから、ナイジェリアに一矢報いるためには、細貝と谷口がより激しい上下動を行うしかなかったのだ。
また確かに勝ちたい試合ではあったが、最悪引き分けでも「生き残れる」と言う試合で、あの強い相手に皆で前に行き過ぎ逆襲のスペースを提供してしまったのは、若さの現われとも言えるだろう。
そして、ナイジェリアの速攻は、スピードと言い、技巧の冴えと言い、選手相互の意思統一と言い、実に見事。当方のストロングポイントである、CBとGKの良さを完全に上回っていた。1点目の時の2トップが水本と森重をスクリーンした身体の使い方、2点目よくコースを切った西川のさらに上を行くシュート力。「恐れ入りました」の世界であった。
敵GKのミスをから1点差にする事に成功したが、それが精一杯だった。
敗因は、相手の戦闘能力が1枚上だった事と、若さを露呈した攻め急ぎだった。
既に敗退が決まっていたオランダ戦だけは、前2試合とは状況が違った。どうしても勝ち点3が欲しいオランダは守備を厚くして、逆襲速攻から確実に勝利を狙ってきた。ところが、日本はそんなに弱いチームではなく、互角の攻防が継続した。オランダも暑さによる消耗を恐れたのかもしれないが、作戦的には失敗と言える内容だった。ところが勝負は思わぬところでついてしまった。
主審が、前半豊田と谷口が倒されたPKを取らなかったくせに、本田圭の間抜けな反則だけはしっかりと笛を吹いてきたのだ(生真面目な南米の主審は、往々にして両チームの過去の実績から「決めてかかったような判定」をするものだ、例外は2002年ね(笑))。まあ、PKを取られてもおかしくない愚行だったのは確かだが。このPKの他には西川が脅かされたのは、僅かにマッカイが後方からの何でもないボールを振り向きながら枠近くに飛ばしてきた場面くらいだった。
もっとも、先制されてからの日本は、分厚く守るオランダの牙城をおびやかす程の技巧も判断も、ほとんど見せられなかったが。確かにこの試合の終盤は「戦う姿勢が欠如」していたように思う。
いささか蛇足だが、今大会見事な敢闘精神でチームを引き締めた岡崎が、全く主審の判定基準を読む事ができず、ルーズボールになる度に反則を取られて、再三再四ボールを失ったのは、この試合においては相当痛かった。岡崎の「戦う姿勢」は素晴らしかったし、この姿勢を継続すれば、将来的に大化けする可能性が十分あるタレントだが、主審の癖を理解する判断力は身につけてもらわなければならない。
敗因は軽率な本田圭のプレイであり、守備を固められた状態で敵を崩す技巧や発想の不足だった。唯一この試合だけが、終盤「勝利への熱意」の欠如が顕著だった。まあ、既に敗退が決まっていて、チームメートが自爆的な反則を行い、かつ主審が当方の反則だけ取る、と言った状況が重なって、「なお勝利のために献身せよ」と言うのは無理な注文だろう。
以上、簡単に今回の日本の3試合を振り返ったが、1次リーグ敗退を決めた最初の2試合の敗因は「相手よりも判断が悪かった事」による失点、「相手より工夫が足りなかった事」による攻撃力不足だったと見る。「相手より頑張らなかった事」ではない。繰り返すが、精神力の問題以前の問題があったにもかかわらず、精神論に議論を持ち込むのは、敗因を見誤る事になる。
ただし、「判断」や「工夫」の欠如はあったにしても、フラストレーションを感じさせる戦い方だった事も確かだった。特に個人の戦闘能力にそれほど差があるように見えなかった合衆国戦は、それが顕著だった。それについては明日以降。
ただし、根本要因がダメだったと言ってしまうと議論はそれで完了してしまう。ピッチ上の問題点はそれでそれで検討し、反省すべきではあろう。と言う事で遅ればせながら、そのあたりについて何回かに分けて講釈を垂れてみたい。
一連の五輪代表批判で気になるのは、「戦う姿勢の欠如」とか「走りが足りない」とか、あまりに精神論に偏った批判が多い事だ。上記した女子との対比が一層その印象を高めているのかもしれない。しかし、私は今回の五輪代表のピッチ上の不首尾を、単に精神論で片付けるのは非常に危険だと思っている。
例えば合衆国戦。この試合は、後半立ち上がりの勝負どころを巧く突かれた事に尽きる。前半は高温多湿で動けない敵を圧倒しながら決めきれず。初戦で手堅く行こうとし過ぎたドイスボランチが慎重すぎたのが痛かった。そして後半、先制されてからは焦りから攻めが上滑り。終盤、パワープレイで攻めかけ、突破しても最後のラストパスに精度を欠き、明らかなPKを取ってもらえない不運もあり、攻め切れなかったもの。
敗因は判断力の欠如であり、さらには崩し切れない技巧や工夫の不足だった。
例えばナイジェリア戦。この試合では、後半非常に強い相手に対して、勝ちたい気持ちが出過ぎて前掛りになってしまったのが致命的だった。誤解されては困るが、点を取るために前に出るのはまちがっていない(前に出ないと合衆国戦のように腰が引けた戦い方になってしまう)。しかし、サイドバックとボランチが揃ってズルズルと前に出るのは避けるべきだし、前に出てボールを受けられないと見たらすぐに後方に下がるべく(非常に過酷だが)執拗に上下動を繰り返す必要があるのだ。しかし、失点の場面は皆が揃って前に行ってしまった。今大会よく頑張っていた細貝と谷口にあれ以上要求するのは酷かもしれないが、(反町氏がどう評価していたかはさておき)事実上2人がチームの中核だったのだから、ナイジェリアに一矢報いるためには、細貝と谷口がより激しい上下動を行うしかなかったのだ。
また確かに勝ちたい試合ではあったが、最悪引き分けでも「生き残れる」と言う試合で、あの強い相手に皆で前に行き過ぎ逆襲のスペースを提供してしまったのは、若さの現われとも言えるだろう。
そして、ナイジェリアの速攻は、スピードと言い、技巧の冴えと言い、選手相互の意思統一と言い、実に見事。当方のストロングポイントである、CBとGKの良さを完全に上回っていた。1点目の時の2トップが水本と森重をスクリーンした身体の使い方、2点目よくコースを切った西川のさらに上を行くシュート力。「恐れ入りました」の世界であった。
敵GKのミスをから1点差にする事に成功したが、それが精一杯だった。
敗因は、相手の戦闘能力が1枚上だった事と、若さを露呈した攻め急ぎだった。
既に敗退が決まっていたオランダ戦だけは、前2試合とは状況が違った。どうしても勝ち点3が欲しいオランダは守備を厚くして、逆襲速攻から確実に勝利を狙ってきた。ところが、日本はそんなに弱いチームではなく、互角の攻防が継続した。オランダも暑さによる消耗を恐れたのかもしれないが、作戦的には失敗と言える内容だった。ところが勝負は思わぬところでついてしまった。
主審が、前半豊田と谷口が倒されたPKを取らなかったくせに、本田圭の間抜けな反則だけはしっかりと笛を吹いてきたのだ(生真面目な南米の主審は、往々にして両チームの過去の実績から「決めてかかったような判定」をするものだ、例外は2002年ね(笑))。まあ、PKを取られてもおかしくない愚行だったのは確かだが。このPKの他には西川が脅かされたのは、僅かにマッカイが後方からの何でもないボールを振り向きながら枠近くに飛ばしてきた場面くらいだった。
もっとも、先制されてからの日本は、分厚く守るオランダの牙城をおびやかす程の技巧も判断も、ほとんど見せられなかったが。確かにこの試合の終盤は「戦う姿勢が欠如」していたように思う。
いささか蛇足だが、今大会見事な敢闘精神でチームを引き締めた岡崎が、全く主審の判定基準を読む事ができず、ルーズボールになる度に反則を取られて、再三再四ボールを失ったのは、この試合においては相当痛かった。岡崎の「戦う姿勢」は素晴らしかったし、この姿勢を継続すれば、将来的に大化けする可能性が十分あるタレントだが、主審の癖を理解する判断力は身につけてもらわなければならない。
敗因は軽率な本田圭のプレイであり、守備を固められた状態で敵を崩す技巧や発想の不足だった。唯一この試合だけが、終盤「勝利への熱意」の欠如が顕著だった。まあ、既に敗退が決まっていて、チームメートが自爆的な反則を行い、かつ主審が当方の反則だけ取る、と言った状況が重なって、「なお勝利のために献身せよ」と言うのは無理な注文だろう。
以上、簡単に今回の日本の3試合を振り返ったが、1次リーグ敗退を決めた最初の2試合の敗因は「相手よりも判断が悪かった事」による失点、「相手より工夫が足りなかった事」による攻撃力不足だったと見る。「相手より頑張らなかった事」ではない。繰り返すが、精神力の問題以前の問題があったにもかかわらず、精神論に議論を持ち込むのは、敗因を見誤る事になる。
ただし、「判断」や「工夫」の欠如はあったにしても、フラストレーションを感じさせる戦い方だった事も確かだった。特に個人の戦闘能力にそれほど差があるように見えなかった合衆国戦は、それが顕著だった。それについては明日以降。
2008年08月13日
日本協会は五輪にもっと真剣に臨むべきだった
諸事情で更新できずにいる間に、ナイジェリアに敗北し1次リーグ敗退が決定、オランダにも敗れて3戦全敗での帰国になってしまった。3試合とも、互角(あるいはそれ以上)の中盤戦を展開、点が取りきれないうちに、勝負ところで守り切れずに先に失点するパタンを繰り返した。
そもそもオーバエージを選考せずに大会に臨む事自体、日本協会も監督も真剣さが不足している訳であり、勝負はそんな甘いものではなかったと言う事だ。負けた事はもちろんだが、その準備に真剣さが欠けていた事は、非常に悔しいし、腹も立っている。しかし、一方で相応の安心感と満足感もある。あれだけいい加減な準備体制で、しかもほとんどぶっつけ本番のチームで、あそこまで各国に抵抗できたからだ。逆説的に言えば、いかに日本のサッカーの基盤がしっかりしてきたかを、改めて示す大会だったとも言える。
いずれの強国が相手でも、日本が中盤でそれなりの互角の展開に持ち込める事は、過去のワールドカップや五輪を見ればよくわかっていた事だ(ブラジルとアルゼンチンと互角の試合ができるかはさておき)。しかし、言うまでもなく、問題はその互角の中盤戦から、いかに点を取って勝ち切る事ができるか、あるいはいかに丁寧に守備を行い守り切る事ができるかなのだ。そして、今回のチームには全くそのプラスアルファが見えなかった。
攻撃については、香川が内田、安田、長友に展開するところまでの連携以降は、各選手のヒラメキ任せ。セットプレイについても、トリックプレイには見るものがあったが、蹴り込まれるボールと飛び込む選手に有意な連動は見られなかった(オランダ戦後に、友人が指摘してくれたのだが「エースの青山直」不在は大きかったのかもしれない)。
守備についても、合衆国戦の失点は明らかにチームとしての経験不足。集中しなければならない後半開始早々の戦い方が、あまりに甘かった。長友、水本とチームの軸となるべき存在の選手が若さを露呈した。ナイジェリア戦も「勝ちたい」気持ちはわからなくもないが、あの強い相手に対して、内田、安田、本田拓、細貝と4人揃って、あそこまで前掛りになっては、逆襲速攻の餌食になっても仕方がない。香川の不用意なボールの奪われ方も含め、これも若さの露呈であろう。
そう考えてくれば、今回のオーバエージ不在が実に痛かった事、いや適切なオーバエージ選手を選考していれば事態は飛躍的に改善されていた可能性が高い事が理解できよう。そもそも年代別代表チームは、どうしても人材の薄いポジションが出てくるものだ。ただでさえよいFWが他ポジションに少ない日本だが、特にこの世代はFWに決定的な人材を欠いていたために、上記で悩んだ攻撃面の問題が顕著になった。中盤後方にオーバエージ選手を起用していれば、あのような不用意な失点はそうは食らわなかった事だろう。さらに言えば、経験豊富な選手がいれば、勝負どころの見極めや駆け引きも全然違っていただろう。
それなりの費用をかけ、Jリーグの真っ最中に多くの選手を拘束して大会に臨み、かつ結構強い国と国際試合をする得難い機会だったのだから、やはりもっと真剣に大会に臨むべきではなかったのか。13日発売のエルゴラッソで川端暁彦氏が
人材不足のポジションにオーバエージを使うべきだったのだ。そして、過去も幾度も述べたが、「破綻する日程」の日本サッカー界だからこそ、早い段階で各クラブと連携した活動で、オーバエージを選考しておくべきだったのだ。
負けるには負けるなりの幾多の要因があるものだ。今回の3連敗についても、様々な要因がある。しかし、今大会の敗退の主要因は「オーバエージの不選考」につきるのであり、さらに結果がそうなったのは、「オーバエージ選考の遅延」が悪かったのだ。他にも無数に失敗はあったが、根底的な敗因はそこに尽きる事を間違えるべきではない。つまり、敗因は「日本協会の不適切な準備」そのものだったのだ。
結びに余談。
準備面では論外だっただけが、今大会の不出来でピッチ上の日本サッカーの進み方を全否定するのは危険に思う。例えば、一部に「ボール回しばかりに拘泥する日本サッカー」を否定する論議があった。しかし、4年前に「速く攻める事が得点への近道」と手段と目的を取り違えた理屈から長いボールを最前線に放り込む事に拘泥した監督で痛い目にあった事は忘れてはいけない。
繰り返すが、今大会の敗因はレギュレーションを的確に活かさなかった協会のいい加減な準備にある。いかにボールを素早く回し点を取るのか、ボール保持の時間を長くして守るのか。それらのプラスアルファを積み上げる以前の問題で敗れた事を、正しく認識すべきではないか。
そもそもオーバエージを選考せずに大会に臨む事自体、日本協会も監督も真剣さが不足している訳であり、勝負はそんな甘いものではなかったと言う事だ。負けた事はもちろんだが、その準備に真剣さが欠けていた事は、非常に悔しいし、腹も立っている。しかし、一方で相応の安心感と満足感もある。あれだけいい加減な準備体制で、しかもほとんどぶっつけ本番のチームで、あそこまで各国に抵抗できたからだ。逆説的に言えば、いかに日本のサッカーの基盤がしっかりしてきたかを、改めて示す大会だったとも言える。
いずれの強国が相手でも、日本が中盤でそれなりの互角の展開に持ち込める事は、過去のワールドカップや五輪を見ればよくわかっていた事だ(ブラジルとアルゼンチンと互角の試合ができるかはさておき)。しかし、言うまでもなく、問題はその互角の中盤戦から、いかに点を取って勝ち切る事ができるか、あるいはいかに丁寧に守備を行い守り切る事ができるかなのだ。そして、今回のチームには全くそのプラスアルファが見えなかった。
攻撃については、香川が内田、安田、長友に展開するところまでの連携以降は、各選手のヒラメキ任せ。セットプレイについても、トリックプレイには見るものがあったが、蹴り込まれるボールと飛び込む選手に有意な連動は見られなかった(オランダ戦後に、友人が指摘してくれたのだが「エースの青山直」不在は大きかったのかもしれない)。
守備についても、合衆国戦の失点は明らかにチームとしての経験不足。集中しなければならない後半開始早々の戦い方が、あまりに甘かった。長友、水本とチームの軸となるべき存在の選手が若さを露呈した。ナイジェリア戦も「勝ちたい」気持ちはわからなくもないが、あの強い相手に対して、内田、安田、本田拓、細貝と4人揃って、あそこまで前掛りになっては、逆襲速攻の餌食になっても仕方がない。香川の不用意なボールの奪われ方も含め、これも若さの露呈であろう。
そう考えてくれば、今回のオーバエージ不在が実に痛かった事、いや適切なオーバエージ選手を選考していれば事態は飛躍的に改善されていた可能性が高い事が理解できよう。そもそも年代別代表チームは、どうしても人材の薄いポジションが出てくるものだ。ただでさえよいFWが他ポジションに少ない日本だが、特にこの世代はFWに決定的な人材を欠いていたために、上記で悩んだ攻撃面の問題が顕著になった。中盤後方にオーバエージ選手を起用していれば、あのような不用意な失点はそうは食らわなかった事だろう。さらに言えば、経験豊富な選手がいれば、勝負どころの見極めや駆け引きも全然違っていただろう。
それなりの費用をかけ、Jリーグの真っ最中に多くの選手を拘束して大会に臨み、かつ結構強い国と国際試合をする得難い機会だったのだから、やはりもっと真剣に大会に臨むべきではなかったのか。13日発売のエルゴラッソで川端暁彦氏が
僕たちはサッカーが好きで好きでどうしようもないがゆえに忘れてしまいがちだが、多くの日本人にとってサッカーはそこまで重要ではないし、スポーツの中に限っても一番の存在ではない。そんな日本にとって、五輪は勝負すべき大会ではなかったか。ここでの勝利は決して刹那の栄光でなく、「日本サッカーの未来」にも確実に寄与するものではなかっただろうか。と述べ、多くの国民が注目する五輪に真剣に臨まなかった日本協会を批判している。現実的に現状の日本サッカー界の「破綻する日程」を考慮すれば、どこまで五輪を重視できるかどうかは難しいところだが、この川端氏の意見は非常に説得力があるものだ。
人材不足のポジションにオーバエージを使うべきだったのだ。そして、過去も幾度も述べたが、「破綻する日程」の日本サッカー界だからこそ、早い段階で各クラブと連携した活動で、オーバエージを選考しておくべきだったのだ。
負けるには負けるなりの幾多の要因があるものだ。今回の3連敗についても、様々な要因がある。しかし、今大会の敗退の主要因は「オーバエージの不選考」につきるのであり、さらに結果がそうなったのは、「オーバエージ選考の遅延」が悪かったのだ。他にも無数に失敗はあったが、根底的な敗因はそこに尽きる事を間違えるべきではない。つまり、敗因は「日本協会の不適切な準備」そのものだったのだ。
結びに余談。
準備面では論外だっただけが、今大会の不出来でピッチ上の日本サッカーの進み方を全否定するのは危険に思う。例えば、一部に「ボール回しばかりに拘泥する日本サッカー」を否定する論議があった。しかし、4年前に「速く攻める事が得点への近道」と手段と目的を取り違えた理屈から長いボールを最前線に放り込む事に拘泥した監督で痛い目にあった事は忘れてはいけない。
繰り返すが、今大会の敗因はレギュレーションを的確に活かさなかった協会のいい加減な準備にある。いかにボールを素早く回し点を取るのか、ボール保持の時間を長くして守るのか。それらのプラスアルファを積み上げる以前の問題で敗れた事を、正しく認識すべきではないか。
2008年08月07日
とにかくFWは要求を突きつけろ!
色々な切り口がある試合だとは思う。
確かに森重と本田圭のシュートミスは酷いものだったが、入らない時はああ言うものだ(もっとも、我が代表では、「ああ言うものだ」が他国に比べて多いような気もするが)。そうはわかっているのだが、愚痴を言いたくなる。森重だが、あれは完全な練習したトリックプレイのはずなので、どうしてあのように慌てたキックをしてしまったのか。また、本田圭は自分でオフサイドだと思って(懸念して)ヘディングに入ってしまったのだろうか。
後半の立ち上がりは注意すべき時間帯なのだが、単純に縦を抜かれた長友も、カバーに入らなかった本田圭も水本も残念だったが、そのような危機感覚を持てと言うのは、少々厳し過ぎる要求なのだろうか(とは言え、3人ともA代表経験があるのだから、何とかして欲しかったが)。そしてブラインドだったのだろうが、西川には何とか止めて欲しかったところだ。あの場面を除けば、4DFが崩される時間帯はほとんどなかったのだが。
主審の判定だが、これはもう基準の違いだろう。ただし、転倒させられてすぐに主審の顔を見ると、ダイビングだと判定するのは明らかだったのだから、谷口も豊田も倒された後とにかく敵陣に向かってもがき前進すればよかったのではないか(長友が日本のペナルティエリア内で敵を倒したかのように見えた場面や、本田拓が警告を食らった場面も同様)。
上記のヘディングだけではなかった。本田圭が、あそこまで右足を全く使えないのには失望した。しかし、だったら名波のようにラボーナを使えるようにするとか、俊輔のように少ないポイントでは右も使えるようにするとか、何か対応を考えて欲しい(って、五輪終了までは無理かな)。グラウンドとの相性もあるのだろうか、敵陣に近づくほど、プレイが雑になっていくように見えるのはどうした事か。梅崎も柏木もいないのだ。代わりはいないのだから、もっと自覚を(って随分長く言い続けているな)。
いくら負けてはいけない試合だからと言って、梶山と本田拓がほとんど前進しないのも残念だった。特に前半は無理をしないと言う判断なり指示だったのかもしれないから、敵陣前まで進出しろとは言わない(でも、「行ける」と思ったら行って欲しかったが)。しかし、パスをさばいた後、ちょっとでいいから前進して香川や本田圭のパスコースを増やしてもバチは当たらないと思うのだが。アルゼンチン戦の梶山はとてもよかったのだが...この日の出来ならば、細貝を使うか、吉田を入れて森重を上げるか、谷口を下げて忠成をアタマから使うか、と言う事になってしまう。奮起して欲しい。
ただ最大の問題は、チーム全体として「どうやって点を取るか」が曖昧な事だろう。
前半確かに押し込んではいたが、掴んだ決定機は案外と少なかった。内田の攻撃参加は非常に効果的だったが、パスワークで崩したのは香川のカーブがかかったパスで抜け出し、谷口が触る直前に敵DFが奇跡的なクリアに成功した場面くらいか。セットプレイにしても、上記のトリックプレイは鮮やかだったが、以降はあまり有効ではなかった。
本田圭のサポートを受けた香川の仕掛けから、内田なり長友が突破を狙うまではよく出来上がっている。しかし、そこからがサッカーなのだ。それなのに、そこからは何か、内田と長友に全てを任してしまっていているように見える。
これは上記した梶山と本田拓の消極性のためもあるが、FWの個性がチームに浸透していないからに思えた。この日4人のFWが使われたが、皆よく頑張っていたと思う。しかし、終盤豊田が見事な高さを披露し後方からのロングボールを巧く流して好機を演出した以外は、いずれのFWも「『どこでどうやって俺を活かせ』と周囲の選手に理解してもらっていない」ように見えたのだ。
豪州戦の終盤の決勝点は、谷口が意図的に低いボールを入れて岡崎のダイビングヘッドを呼び込んだ。そのような意思疎通が、この試合では全く見受けられなかったと言っては言い過ぎだろうか。
中2日のとても短い期間だが、4人は「俺はこうやって点を取りたいから、ここに寄こせ」と残り14人に主張しまくって欲しい。
幸い終盤に、忠成、岡崎、豊田の3人が並び、3人共よく走り、敵陣を目指した。その強引さと、香川や本田圭や内田の妙技のバランスは決して悪くなかった。そして、あの蒸し暑く苦しい時間帯も、3人に引っ張られて皆があきらめずに最後まで戦った。だから、もっと要求するのだ。
苦しい状況なのは確かだ。しかし、我々は何も失ってはいない。とにかく...と、どこかで聞いた事のあるフレーズを思い出すのだが、2年前とは少々状況が異なる。それは明日に。
確かに森重と本田圭のシュートミスは酷いものだったが、入らない時はああ言うものだ(もっとも、我が代表では、「ああ言うものだ」が他国に比べて多いような気もするが)。そうはわかっているのだが、愚痴を言いたくなる。森重だが、あれは完全な練習したトリックプレイのはずなので、どうしてあのように慌てたキックをしてしまったのか。また、本田圭は自分でオフサイドだと思って(懸念して)ヘディングに入ってしまったのだろうか。
後半の立ち上がりは注意すべき時間帯なのだが、単純に縦を抜かれた長友も、カバーに入らなかった本田圭も水本も残念だったが、そのような危機感覚を持てと言うのは、少々厳し過ぎる要求なのだろうか(とは言え、3人ともA代表経験があるのだから、何とかして欲しかったが)。そしてブラインドだったのだろうが、西川には何とか止めて欲しかったところだ。あの場面を除けば、4DFが崩される時間帯はほとんどなかったのだが。
主審の判定だが、これはもう基準の違いだろう。ただし、転倒させられてすぐに主審の顔を見ると、ダイビングだと判定するのは明らかだったのだから、谷口も豊田も倒された後とにかく敵陣に向かってもがき前進すればよかったのではないか(長友が日本のペナルティエリア内で敵を倒したかのように見えた場面や、本田拓が警告を食らった場面も同様)。
上記のヘディングだけではなかった。本田圭が、あそこまで右足を全く使えないのには失望した。しかし、だったら名波のようにラボーナを使えるようにするとか、俊輔のように少ないポイントでは右も使えるようにするとか、何か対応を考えて欲しい(って、五輪終了までは無理かな)。グラウンドとの相性もあるのだろうか、敵陣に近づくほど、プレイが雑になっていくように見えるのはどうした事か。梅崎も柏木もいないのだ。代わりはいないのだから、もっと自覚を(って随分長く言い続けているな)。
いくら負けてはいけない試合だからと言って、梶山と本田拓がほとんど前進しないのも残念だった。特に前半は無理をしないと言う判断なり指示だったのかもしれないから、敵陣前まで進出しろとは言わない(でも、「行ける」と思ったら行って欲しかったが)。しかし、パスをさばいた後、ちょっとでいいから前進して香川や本田圭のパスコースを増やしてもバチは当たらないと思うのだが。アルゼンチン戦の梶山はとてもよかったのだが...この日の出来ならば、細貝を使うか、吉田を入れて森重を上げるか、谷口を下げて忠成をアタマから使うか、と言う事になってしまう。奮起して欲しい。
ただ最大の問題は、チーム全体として「どうやって点を取るか」が曖昧な事だろう。
前半確かに押し込んではいたが、掴んだ決定機は案外と少なかった。内田の攻撃参加は非常に効果的だったが、パスワークで崩したのは香川のカーブがかかったパスで抜け出し、谷口が触る直前に敵DFが奇跡的なクリアに成功した場面くらいか。セットプレイにしても、上記のトリックプレイは鮮やかだったが、以降はあまり有効ではなかった。
本田圭のサポートを受けた香川の仕掛けから、内田なり長友が突破を狙うまではよく出来上がっている。しかし、そこからがサッカーなのだ。それなのに、そこからは何か、内田と長友に全てを任してしまっていているように見える。
これは上記した梶山と本田拓の消極性のためもあるが、FWの個性がチームに浸透していないからに思えた。この日4人のFWが使われたが、皆よく頑張っていたと思う。しかし、終盤豊田が見事な高さを披露し後方からのロングボールを巧く流して好機を演出した以外は、いずれのFWも「『どこでどうやって俺を活かせ』と周囲の選手に理解してもらっていない」ように見えたのだ。
豪州戦の終盤の決勝点は、谷口が意図的に低いボールを入れて岡崎のダイビングヘッドを呼び込んだ。そのような意思疎通が、この試合では全く見受けられなかったと言っては言い過ぎだろうか。
中2日のとても短い期間だが、4人は「俺はこうやって点を取りたいから、ここに寄こせ」と残り14人に主張しまくって欲しい。
幸い終盤に、忠成、岡崎、豊田の3人が並び、3人共よく走り、敵陣を目指した。その強引さと、香川や本田圭や内田の妙技のバランスは決して悪くなかった。そして、あの蒸し暑く苦しい時間帯も、3人に引っ張られて皆があきらめずに最後まで戦った。だから、もっと要求するのだ。
苦しい状況なのは確かだ。しかし、我々は何も失ってはいない。とにかく...と、どこかで聞いた事のあるフレーズを思い出すのだが、2年前とは少々状況が異なる。それは明日に。
2008年08月06日
北京五輪開幕
「痛恨の勝ち点2損失」ではあるが、「あれだけの不運が重なっての2点差をよく追いついた」と前向きに捉えるべきだろう。1次リーグはまだ1試合しか終わっていないのだから。
ニュージーランドは、ボール扱いはあまり巧くないが、身体の使い方は悪くない。上背と言うより体重がある選手も多いので、日本がファーストタッチに手間取ると、ルーズボールで劣勢となり、キープしづらい時間帯が継続する事もあった(たとえば1点差に追いついてからは、さすがに日本選手にも疲労の色が濃く、中盤でボールを奪われる事が多く、攻めあぐんだ)。また「一番勝ち点の取りやすい」日本戦と言う事か、おそらくこの試合に合わせて準備をしてきたのだろう、精神的にも非常に充実していて、勝負どころでの集中力は中々だった。この日のニュージーランドのプレイ振りは、戦闘能力がより高いチームと対戦する高校や中学のチームにとって、非常に参考になると思う。
とは言え、ボール扱いや俊敏性には格段の差があり、日本は幾多の決定機、好機を掴んだのだが、敵GKの大当たりに苦戦しているうちに、逆襲と謎の判定で2点差とされてしまっては苦しい。
1失点目は、攻勢に立ちやや前掛りになった日本守備網に対し、やや幸運に右オープンで前を向いてボールを受ける事ができたFWが、勝負どころと見極めたのだろうか、見事な縦突破に成功したのは敵ながらあっぱれ。ただ、近賀の対応は痛恨だったのは言うまでもない。前半立ち上がりに押し込まれたのを、落ち着いてボールを回し攻め返し、完全に攻勢に立っていた時間帯。オープンで前を向かれた事も、近賀が対応を誤った事も、攻め込んでいる時間帯での「一瞬の抜け」と言うやつか。
そして、2失点目の主審の謎の判定だが、伏線はあった。ちなみに警告を食らった岩清水は、映像を見る限り全くプレイに関与していなかったように思うので、ダメモトで日本協会は抗議すべきだろう。この判定がくつがえる事はなかろうが、この試合以降審判団が日本に対する対応が変わるはずだ(もっとも、ニュージーランドも日本のPKに対して抗議するかもしれないな、あれはあれで映像は明確だから「誤審」と言いやすい)。話を戻そう。PK提供直前のCKの場面、この日最初のCK守備と言う事もあり、日本は自陣前で相当厳しいマークを試みようとしてもみ合いとなり阪口が警告された。あのもみ合いで、主審は日本の守備陣に対して苛立ちを感じ、それがバイアスとなったように見えた。厳しい守備で敵を苛立たせるのは常道だが、それで主審が苛立ってしまうのだから、国際試合は難しい。
とは言え、その後も慌てる事なくヒタヒタと攻め込み最低限の結果を残したのだから、まあよしとしなければならないのだろう(ただ同点での澤の喜びようは残念。気持ちは痛いほどわかるが、あそこはすぐに「もう1点」モードに切り替えて欲しかった)。リーグ戦では何より負けない事が重要なのだから、切り替えるのが得策。1次リーグの残り2試合は、より戦闘能力の高いチームだろうが、今日の攻撃ができれば、それなりの好機を掴む事ができるだろう。守備も、中盤でプレスさえかかれば、最終ラインは出足と読みのよさで、大柄な敵に十二分に対応できていたし。
ポイントはセンタリングではないか。日本の選手はどうしても筋力が弱いためか、縦の変化で敵を抜いた(あるいは外した)直後に、進行方向直角にクロスを上げるのが難しいようで、精度にも強さにも課題が残る。ロスタイムに丸山が右サイドを切り裂きながらセンタリングを上げ損ねた場面はその典型。筋力や技術は一朝一夕では向上しないが、「突破後にもう一仕事」と言う意識で臨む事で改善は可能だと思う。
さて、男は合衆国戦。今さらどうこう言っても仕方がない、よい試合と結果を期待したい。
少々気になるのは、オランダやナイジェリアに比較して組みしやすい、勝ち点3は必須と言う評価、報道だ。もちろん、勝ち点3を狙って勝負ところで仕掛けるのは当然だが、4チームのリーグ戦において「負け」と言う結果は(敵に勝ち点3を提供すると言う意味でも)最悪なのだ。
反町氏はリアリスト(のはず)だから、そのあたりをわかった采配を振るってくれると思うのだが、選手各位にも冷静で熱い戦いを期待したい。
ニュージーランドは、ボール扱いはあまり巧くないが、身体の使い方は悪くない。上背と言うより体重がある選手も多いので、日本がファーストタッチに手間取ると、ルーズボールで劣勢となり、キープしづらい時間帯が継続する事もあった(たとえば1点差に追いついてからは、さすがに日本選手にも疲労の色が濃く、中盤でボールを奪われる事が多く、攻めあぐんだ)。また「一番勝ち点の取りやすい」日本戦と言う事か、おそらくこの試合に合わせて準備をしてきたのだろう、精神的にも非常に充実していて、勝負どころでの集中力は中々だった。この日のニュージーランドのプレイ振りは、戦闘能力がより高いチームと対戦する高校や中学のチームにとって、非常に参考になると思う。
とは言え、ボール扱いや俊敏性には格段の差があり、日本は幾多の決定機、好機を掴んだのだが、敵GKの大当たりに苦戦しているうちに、逆襲と謎の判定で2点差とされてしまっては苦しい。
1失点目は、攻勢に立ちやや前掛りになった日本守備網に対し、やや幸運に右オープンで前を向いてボールを受ける事ができたFWが、勝負どころと見極めたのだろうか、見事な縦突破に成功したのは敵ながらあっぱれ。ただ、近賀の対応は痛恨だったのは言うまでもない。前半立ち上がりに押し込まれたのを、落ち着いてボールを回し攻め返し、完全に攻勢に立っていた時間帯。オープンで前を向かれた事も、近賀が対応を誤った事も、攻め込んでいる時間帯での「一瞬の抜け」と言うやつか。
そして、2失点目の主審の謎の判定だが、伏線はあった。ちなみに警告を食らった岩清水は、映像を見る限り全くプレイに関与していなかったように思うので、ダメモトで日本協会は抗議すべきだろう。この判定がくつがえる事はなかろうが、この試合以降審判団が日本に対する対応が変わるはずだ(もっとも、ニュージーランドも日本のPKに対して抗議するかもしれないな、あれはあれで映像は明確だから「誤審」と言いやすい)。話を戻そう。PK提供直前のCKの場面、この日最初のCK守備と言う事もあり、日本は自陣前で相当厳しいマークを試みようとしてもみ合いとなり阪口が警告された。あのもみ合いで、主審は日本の守備陣に対して苛立ちを感じ、それがバイアスとなったように見えた。厳しい守備で敵を苛立たせるのは常道だが、それで主審が苛立ってしまうのだから、国際試合は難しい。
とは言え、その後も慌てる事なくヒタヒタと攻め込み最低限の結果を残したのだから、まあよしとしなければならないのだろう(ただ同点での澤の喜びようは残念。気持ちは痛いほどわかるが、あそこはすぐに「もう1点」モードに切り替えて欲しかった)。リーグ戦では何より負けない事が重要なのだから、切り替えるのが得策。1次リーグの残り2試合は、より戦闘能力の高いチームだろうが、今日の攻撃ができれば、それなりの好機を掴む事ができるだろう。守備も、中盤でプレスさえかかれば、最終ラインは出足と読みのよさで、大柄な敵に十二分に対応できていたし。
ポイントはセンタリングではないか。日本の選手はどうしても筋力が弱いためか、縦の変化で敵を抜いた(あるいは外した)直後に、進行方向直角にクロスを上げるのが難しいようで、精度にも強さにも課題が残る。ロスタイムに丸山が右サイドを切り裂きながらセンタリングを上げ損ねた場面はその典型。筋力や技術は一朝一夕では向上しないが、「突破後にもう一仕事」と言う意識で臨む事で改善は可能だと思う。
さて、男は合衆国戦。今さらどうこう言っても仕方がない、よい試合と結果を期待したい。
少々気になるのは、オランダやナイジェリアに比較して組みしやすい、勝ち点3は必須と言う評価、報道だ。もちろん、勝ち点3を狙って勝負ところで仕掛けるのは当然だが、4チームのリーグ戦において「負け」と言う結果は(敵に勝ち点3を提供すると言う意味でも)最悪なのだ。
反町氏はリアリスト(のはず)だから、そのあたりをわかった采配を振るってくれると思うのだが、選手各位にも冷静で熱い戦いを期待したい。
2008年07月31日
攻撃連携がどこまで完成するか
あの豪雨だし、「82分でおしまい」と言う判断に不満はない。あの時間帯は、閃光と轟音の時間差はかなり小さくなっていたし、何より真上から雷鳴が轟き始めていたし、結構危ない雰囲気が漂っていた。また、そこまでの双方の攻防も存分に満足できる価値があり、82分間経過時点で4000円の投資に対しては、既に十分なリターンも得ていた(事情があって、珍しく指定席だったのです)。しかし、先制後しっかりと試合をクローズしに来ているアルゼンチンに対し、香川がどこまで抵抗できるのかは見たかったと言う残念な思いも強い。昨日も述べたが、この日ほど彼我の差を少なく感じたアルゼンチン戦はかつてなかった(唯一の例外は98年に俊輔のループで勝った試合だが、あれは先方は必ずしもベストとは言えない編成だった)。それだけに、クローズ体制に入ったアルゼンチンでも、それなりに慌てさせられないかと、淡い期待を抱いていたのだ。あの10年前のトゥルーズ(ああ、あれから10年経ったのか)でさえ、最後の15分間は井原が最後の力を振り絞ってラインを上げ、中田を軸に攻勢をかけ、決定機とは言わずとも好機を複数回掴んだのだから。さすがに水本や森重では当時の井原とは比較にすらならないが、香川を当時の中田と比べるのは構わないだろう。
まあ、いいや。「サッカーの神の『北京本大会での再対決にとっておくべし』との思し召し」と考えよう。
守備について。
まず遅攻への対応。マスケラーノとガゴにあれだけ高速に展開されれば、どんなチームだって押し込まれる事は覚悟しなければならない。さらにトップの動きも狡猾ゆえ、どうしてもその間隙に入り込むリケルメが前を向いてプレイ可能になってしまう。それでも本田拓(不用意なファウルをしたり軽率に当たる悪癖は随分と減ってきた)は、よくコースを限定。過去再三突然消える事で他選手に多大な負担をかけていた梶山も中盤でそれなりにはアルゼンチンの攻撃を「切る」事に成功していた。豪州戦で課題だった組織的中盤守備はまた改善されたと言ってよいだろう。
ただし、内田は幾度も内側に絞り過ぎ、ディマリアを外側でフリーにしてしまった。もうちょっと外側で粘って欲しいところ。これは内田の悪癖で、たとえば2月の東アジア選手権の韓国戦でもこれで先制を許している。攻撃がよかっただけに、守備にもう一工夫欲しい。
逆サイドの安田は、アグエロの圧力によく耐えた。ただ、そこでアグエロが突破を断念し、後方にサポートするガゴに下げると、昨日嘆いたようにここでのトラップが超正確で、本田拓が止めに行く間もなく展開されてしまう。これはもうどうしようもない。
ただし、西川を含めた真ん中の3人は、そこから見事な反発力で、執拗な攻撃を凌ぎ切った。
残りの準備期間で中盤守備の組織化はより推進されるだろうから、「守りを固める」モードに入れば、そう容易には失点しない守備網が構築できそうだ。
速攻への対応もよかった。アルゼンチンの高速ドリブルに対し、どの選手も的確なディレイをして、破綻を防いでいた。中でも森重の落ち着いた対応は素晴らしかった。吉田と合わせ、これだけの守備タレントをベンチに置くのはもったいないから、森重を中盤に上げて使ったらどうかと真剣に思ったのだが。水本はすっかり一時期の不振を脱し主将なので固定されると仮定しての事だが。
失点は完全に個による力負け。アグエロのターン(ちょっとハンドっぽかったが)だが、あれは読んでくれよ、水本。ディマリアの抜け出しに敢え無く抜かれた安田も、もう少し身体を張って欲しかった。安田が本当の意味で大成するためには、縦への技術と共に相当な「ファイト」を前面に出す選手になる必要があるはず。あそこは、全身を横に倒して、顔面を使ってでも止めてくれ。たとえば、韓国の金致佑ならきっと止めたぜ。
そのちょっと前、香川が巧いドリブルで(たぶん)マスケラーノを外し、そのボールを奪い取るようにして打った本田圭のミドルシュートがバーを叩いた。何となく、この場面以降日本選手に「行けるのではないか」と欲が出て、梶山より前の選手が皆妙に前掛りになったように見えた。そうしたら、ドンと逆襲速攻で崩されちゃった訳なのだが、あそこで我慢するのは若い選手には難しいのか。いや、この場面の経験で、2度とヘマはしないと前向きに考えよう。
全くの戯言だが、失点場面直前に内田の攻撃参加を、かなり激しいタックルで止めたのはディマリアだった(と思う、このあたり、雨でだいぶ遠目が苦しくなっていた)。2枚目の黄色が出てもいいくらいの厳しいタックルだった。これが勝負のアヤと言うものだろうな。
攻撃について。
守備でもよく闘った梶山が、攻撃でも妙な欲を出さずにしかも消える事なく、香川と本田圭を前に向かせる事に専念し、いい起点となっていた。梶山については別に講釈を垂れたいと思う。
そして、香川が前を向いてボールを持てれば、相当の頻度で攻め込む事に成功した。中でも内田の突破は前に出るタイミングが絶妙でアルゼンチンの左サイドのモンソンとディマリアを悩ませた。そして、セットプレイになると本田圭のクセ球が活きる。ちょっとの幸運があれば、日本が先に点を取ってもおかしくない、とまで言うと言い過ぎだな、日本が先に点を取る可能性もある展開となった。
ただし、ペナルティエリアの中に入ると、いささか厳しい。強力センタバックに対し、技術でもスピードでも崩し切れなかった。考えてみれば、内田も突破までは進めたが、決定的なクロスを上げた訳ではなかった。日本の決定機はいずれも本田圭のキック絡み。
とにかく残りの日々で、連携と共通認識を高め、各自の判断力に期待する事につきるだろう。たとえば、左サイドで香川との連携でうまくフリーになった安田がカーブをかけたセンタリングを上げたが、敵陣前には豊田しかいない場面があった。受け手は「香川と安田を信じて上がらなければならない」と言う意味では連携の向上が必要だし、安田は「瞬時の判断にもっと磨きをかけて欲しい」と言う意味では判断力に課題が残る場面だった。
ここまでの経緯は別として、4年前に比べれば、監督が大会までにチームを完成させようとしているだけ、期待が持てそうに思えてきた。
余談その1
(モンソン)
左バックをやっていたモンソンは90年ワールドカップで活躍し、決勝で退場になったDFモンソンに雰囲気が似ていたと思うのですが、親子なのでしょうか。全く無関係なのでしょうか。誰か知っている人がいたら教えてください。
余談その2
(猛暑期の雨対応について)
暑い盛りの試合ゆえ、上下の雨合羽を持参しなかった(あんなのを身につけたら脱水症状を起こしてしまう季節だ)。そのため傘とビニールの膝掛けと言う軽対応しかなかったため、特に下半身がそこそこ濡れてしまった。本業帰りの観戦だったため、靴やズボンへのダメージは避けたいところだったのだが(大きなビニール袋を2セット持っていたので、PCや書類を入れた本皮の鞄の完全保護には成功)。今後日本の亜熱帯化が進むと思われるが(これとシーズン制の議論は別ね(笑))、猛暑期の下半身対応(こう書くと何か危ない)に課題が残った一戦だった。
まあ、いいや。「サッカーの神の『北京本大会での再対決にとっておくべし』との思し召し」と考えよう。
守備について。
まず遅攻への対応。マスケラーノとガゴにあれだけ高速に展開されれば、どんなチームだって押し込まれる事は覚悟しなければならない。さらにトップの動きも狡猾ゆえ、どうしてもその間隙に入り込むリケルメが前を向いてプレイ可能になってしまう。それでも本田拓(不用意なファウルをしたり軽率に当たる悪癖は随分と減ってきた)は、よくコースを限定。過去再三突然消える事で他選手に多大な負担をかけていた梶山も中盤でそれなりにはアルゼンチンの攻撃を「切る」事に成功していた。豪州戦で課題だった組織的中盤守備はまた改善されたと言ってよいだろう。
ただし、内田は幾度も内側に絞り過ぎ、ディマリアを外側でフリーにしてしまった。もうちょっと外側で粘って欲しいところ。これは内田の悪癖で、たとえば2月の東アジア選手権の韓国戦でもこれで先制を許している。攻撃がよかっただけに、守備にもう一工夫欲しい。
逆サイドの安田は、アグエロの圧力によく耐えた。ただ、そこでアグエロが突破を断念し、後方にサポートするガゴに下げると、昨日嘆いたようにここでのトラップが超正確で、本田拓が止めに行く間もなく展開されてしまう。これはもうどうしようもない。
ただし、西川を含めた真ん中の3人は、そこから見事な反発力で、執拗な攻撃を凌ぎ切った。
残りの準備期間で中盤守備の組織化はより推進されるだろうから、「守りを固める」モードに入れば、そう容易には失点しない守備網が構築できそうだ。
速攻への対応もよかった。アルゼンチンの高速ドリブルに対し、どの選手も的確なディレイをして、破綻を防いでいた。中でも森重の落ち着いた対応は素晴らしかった。吉田と合わせ、これだけの守備タレントをベンチに置くのはもったいないから、森重を中盤に上げて使ったらどうかと真剣に思ったのだが。水本はすっかり一時期の不振を脱し主将なので固定されると仮定しての事だが。
失点は完全に個による力負け。アグエロのターン(ちょっとハンドっぽかったが)だが、あれは読んでくれよ、水本。ディマリアの抜け出しに敢え無く抜かれた安田も、もう少し身体を張って欲しかった。安田が本当の意味で大成するためには、縦への技術と共に相当な「ファイト」を前面に出す選手になる必要があるはず。あそこは、全身を横に倒して、顔面を使ってでも止めてくれ。たとえば、韓国の金致佑ならきっと止めたぜ。
そのちょっと前、香川が巧いドリブルで(たぶん)マスケラーノを外し、そのボールを奪い取るようにして打った本田圭のミドルシュートがバーを叩いた。何となく、この場面以降日本選手に「行けるのではないか」と欲が出て、梶山より前の選手が皆妙に前掛りになったように見えた。そうしたら、ドンと逆襲速攻で崩されちゃった訳なのだが、あそこで我慢するのは若い選手には難しいのか。いや、この場面の経験で、2度とヘマはしないと前向きに考えよう。
全くの戯言だが、失点場面直前に内田の攻撃参加を、かなり激しいタックルで止めたのはディマリアだった(と思う、このあたり、雨でだいぶ遠目が苦しくなっていた)。2枚目の黄色が出てもいいくらいの厳しいタックルだった。これが勝負のアヤと言うものだろうな。
攻撃について。
守備でもよく闘った梶山が、攻撃でも妙な欲を出さずにしかも消える事なく、香川と本田圭を前に向かせる事に専念し、いい起点となっていた。梶山については別に講釈を垂れたいと思う。
そして、香川が前を向いてボールを持てれば、相当の頻度で攻め込む事に成功した。中でも内田の突破は前に出るタイミングが絶妙でアルゼンチンの左サイドのモンソンとディマリアを悩ませた。そして、セットプレイになると本田圭のクセ球が活きる。ちょっとの幸運があれば、日本が先に点を取ってもおかしくない、とまで言うと言い過ぎだな、日本が先に点を取る可能性もある展開となった。
ただし、ペナルティエリアの中に入ると、いささか厳しい。強力センタバックに対し、技術でもスピードでも崩し切れなかった。考えてみれば、内田も突破までは進めたが、決定的なクロスを上げた訳ではなかった。日本の決定機はいずれも本田圭のキック絡み。
とにかく残りの日々で、連携と共通認識を高め、各自の判断力に期待する事につきるだろう。たとえば、左サイドで香川との連携でうまくフリーになった安田がカーブをかけたセンタリングを上げたが、敵陣前には豊田しかいない場面があった。受け手は「香川と安田を信じて上がらなければならない」と言う意味では連携の向上が必要だし、安田は「瞬時の判断にもっと磨きをかけて欲しい」と言う意味では判断力に課題が残る場面だった。
ここまでの経緯は別として、4年前に比べれば、監督が大会までにチームを完成させようとしているだけ、期待が持てそうに思えてきた。
余談その1
(モンソン)
左バックをやっていたモンソンは90年ワールドカップで活躍し、決勝で退場になったDFモンソンに雰囲気が似ていたと思うのですが、親子なのでしょうか。全く無関係なのでしょうか。誰か知っている人がいたら教えてください。
余談その2
(猛暑期の雨対応について)
暑い盛りの試合ゆえ、上下の雨合羽を持参しなかった(あんなのを身につけたら脱水症状を起こしてしまう季節だ)。そのため傘とビニールの膝掛けと言う軽対応しかなかったため、特に下半身がそこそこ濡れてしまった。本業帰りの観戦だったため、靴やズボンへのダメージは避けたいところだったのだが(大きなビニール袋を2セット持っていたので、PCや書類を入れた本皮の鞄の完全保護には成功)。今後日本の亜熱帯化が進むと思われるが(これとシーズン制の議論は別ね(笑))、猛暑期の下半身対応(こう書くと何か危ない)に課題が残った一戦だった。
2008年07月29日
追いついたから改めて理解した遥かなる差
詳細は明日以降。
アルゼンチンとは、A代表戦を中心に、幾度も手合わせしている。幾度もキリンカップでも来てくれているし。
そして、この日の五輪代表同士の試合ほど、彼我の戦闘能力差が縮まったと思えた試合はなかった。アルゼンチンの高速パス回しにじっくりと対応し、本田拓と梶山のところで一旦止める事にも成功。西川、水本、森重は堂々たる守備を披露。香川を起点に内田と安田が押し上げ、豊田が粘る攻撃は散発ながら再三敵陣を脅かす。本田圭のキックと谷口の前進は複数回の決定機を演出した。
もちろん、双方とも体力的にピークではない試合。しかし、ここまで闘えたからこそ、ここまで差が縮まったからこそ、ここまで追いついたからこそ、明らかな差が目についてしまった。
それはトラップの精度。
トップスピードで突破を狙った時を除くアルゼンチン選手のトラップは絶対(そう、今日私が見た限りでは100%)に浮かず、必ず身体が日本陣を向いた適切な方向になり、次のプレイを行える場所に行く。一方日本選手のトラップは、最もスキルがあるはずの香川でさえ、再三(3回に1回程度ではあるのだが)浮くなり、ずれてしまっていた。それにより、ほんの僅か、ゼロコンマ数秒展開が遅れる。その遅れが次の展開で決定的な差になる。この差をどうやって詰めていったよいのだろうか。
豪雨でビショビショになりながら、追いついた喜びと、遥かなる差に対する絶望感(と追いすがるための希望)を感じた次第。
アルゼンチンとは、A代表戦を中心に、幾度も手合わせしている。幾度もキリンカップでも来てくれているし。
そして、この日の五輪代表同士の試合ほど、彼我の戦闘能力差が縮まったと思えた試合はなかった。アルゼンチンの高速パス回しにじっくりと対応し、本田拓と梶山のところで一旦止める事にも成功。西川、水本、森重は堂々たる守備を披露。香川を起点に内田と安田が押し上げ、豊田が粘る攻撃は散発ながら再三敵陣を脅かす。本田圭のキックと谷口の前進は複数回の決定機を演出した。
もちろん、双方とも体力的にピークではない試合。しかし、ここまで闘えたからこそ、ここまで差が縮まったからこそ、ここまで追いついたからこそ、明らかな差が目についてしまった。
それはトラップの精度。
トップスピードで突破を狙った時を除くアルゼンチン選手のトラップは絶対(そう、今日私が見た限りでは100%)に浮かず、必ず身体が日本陣を向いた適切な方向になり、次のプレイを行える場所に行く。一方日本選手のトラップは、最もスキルがあるはずの香川でさえ、再三(3回に1回程度ではあるのだが)浮くなり、ずれてしまっていた。それにより、ほんの僅か、ゼロコンマ数秒展開が遅れる。その遅れが次の展開で決定的な差になる。この差をどうやって詰めていったよいのだろうか。
豪雨でビショビショになりながら、追いついた喜びと、遥かなる差に対する絶望感(と追いすがるための希望)を感じた次第。