2023年01月01日

アルゼンチンと我々の差

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 クロアチアに敗れて、約1ヶ月が経ちました。未だ悔しくて悔しくて仕方ありませんがが、頭の整理もようやくついてきました。様々な思いを整理して講釈を垂れていきたいと思います。
 ドイツとスペインには勝てたが、なぜクロアチアに勝てなかったのか。2次ラウンドで勝ち続けるために、何が足りないのか。ここまで戦い、ここまで近づけたから具体的に理解できたことが多数あります。年始第一弾の講釈は、優勝したアルゼンチンと我々の差について講釈を垂れたいと思います。

1. アルゼンチンの謎
 本当に興奮する決勝戦だったとは思う。そして、PK戦まで見据えて粘り強く戦い切ったアルゼンチンの強さには恐れ入った。しかし、アルゼンチンはもう少しうまく戦っていれば、あそこまで苦戦せずとも勝てたのではないか、と思えませんか。もちろん、世界一奪回がチラついたところで2回追いつかれながら、PK戦用の交代カードを残し、丹念に勝ち切ったのは、すごかったけれど。
 この超大国は、半世紀足らずの間に、ディエゴ・メッシと、ペレと並ぶスーパースターを2人輩出した。そして、ワールドカップごとに毎回、優勝候補と目される強力なチームを送り込みながら、再度の戴冠まで36年の年月がかかった。
 本稿では、この超大国の決勝戦と世界王者奪還までの36年を振り返った上で、我々との決定的な差について講釈を垂れたい。

2. 決勝前半、アルゼンチンの圧倒的攻勢
 決勝前半のアルゼンチンの美しさをどう語ったらよいのだろうか。
 フランスの弱点、エムバペの守備の弱さを突き右サイドから攻撃を展開。時に中盤や最終ラインに戻し揺さぶりを加える。フランス自慢のチュアメニとラビオが、まったくアルゼンチンのパス回しを妨害できない。結果的にメッシに自由なボールタッチを許す。そう言った流れから、フランスの守備を右サイドに引き付けておいて、左サイドに展開。そこには、大外に開き全くフリーのディ・マリアがいた。フリーで加速したディ・マリア、いくらヴァランでもまったく対応できない。フランスが対応に苦慮しているうちに、前半半ばで2-0。
 デシャン氏は、前半終盤にジルーとデンペレを外して、テュラン倅とコロムアニを起用し、何とか前線両サイドからの守備を整備、これ以上点差を広げない策を選択するしかなかった。
 しかし、後半に入っても展開は変わらず。フランスは攻め込んでもシュートに持ち込むことすらできない。一方アルゼンチンは幾度も速攻から好機をつかみ、ロリスとヴァランがかろうじて防ぐ展開が続く。
 ワールドカップの決勝は、案外一方的な試合となることは多い。敗戦国が決勝進出までにエネルギーを使い切ったり、体調不良だったり、極端な不運に襲われたりしたためだ。82年のイタリア3-1西ドイツ、98年のフランス3-0ブラジル、02年のブラジル2-0ドイツなど。前回18年のフランス4-2クロアチアも、クロアチアに考え得るすべての不運が重なったような試合だったが、一方的な展開となってしまったのは記憶に新しい。
 この決勝も、そのような試合になると思われた。終盤までは。

3. 決勝終盤、アルゼンチン動かず
 70分過ぎ、デシャン氏が、グリーズマンを下げコマンを投入したことで、フランスが知性や技巧で崩すのをあきらめ、強引な突破に僅かな望みを賭けたのがわかった。こうなると、アルゼンチンは、単純な強さや速さにやられない対応(交通事故防止)が必要となる。具体的には、フレッシュな選手を投入し、マイボールの時間を増やす、フランスの後方選手へのプレスをしっかりかけて精度の高いボールを入れさせないなど。しかしエスカローニ氏は動かない。そうこうしているうちに80分過ぎ、交通事故が発生した。エムボマの縦パスをコロムアニが追うが、アルゼンチンCBのオタメンディが先にコースを押さえていたにもかかわらずミス、コロムアニに裏を突かれPKを与えて1点差。さらに交通事故が連続する。中盤でメッシがボールキープしたところを奪われたにもかかわらず、修正が緩慢。一番許してはいけないエムバペの裏突破で同点。
 残り時間はあと10数分。先方は単調な攻撃に終始。そして、交代枠は4枚残っている。もうアルゼンチンは36年振りにカップに手が届きつつあった。それなのに、エスカローニ氏は交代策をとらず、みすみす同点を許してしまった。ピッチ上の選手達も、丁寧さがなくなり単調な縦パスに逃げるケースが増えてくる。結果として、同点後もフランスの強引な攻撃が奏功し、90分のうちに逆転弾を浴びてもおかしくない場面もあった。もちろん、アディショナルタイムのメッシとロリスの戦いは素晴らしかったけれど。
 エスカローニ氏も、さすがに延長前半までに3人を交代させ、108分についにメッシが決勝点。
 またもアルゼンチンは、あと10分ちょっと守り切れば状況となる。しかも、デシャン氏は113分まったく動けなくなったヴァランも交代。ヴァラン、グリーズマン、ジルー、フランスの知性を象徴するタレント達は、皆ピッチから去った。デシャン氏にはこれ以上の交代カードはなく、ピッチ上のフランスの選手達は疲弊しきっている。しかし、アルゼンチンは、引くでもなく、中盤で止めるでもなく、曖昧な戦い方をする。最前線のタッチライン沿いでボールキープする時間帯もあったが、フランスを苛立たせるようなボールキープも行わないし、残った交代枠を活かすでもない。CK崩れからハンドを取られたのは相当な不運だったが、やりようはもっとあったはず。例えばそのCK直前に守備固めでペッセーラを起用したが、もっと早くにこの交代を行っていれば、そのCKを与えることもなかったのではないか。
 その後も両軍は単調な攻め合いに終始。120分過ぎにはコロムアニの超決定機をマルティネスの超ファインプレイでかろうじてしのぐ場面も許した。その直後のアルゼンチン決定機獲得と合わせ、野次馬として見ている分にはおもしろかったですから、文句を言うのは筋違いかもしれませんがね。
 我々は最終的に、PK戦でマルティネスがファインセーブを連発し、120分過ぎに起用されたディバラを含め延長に入ってから起用された選手達が見事なPKを決めたのを知っている。結果論からすれば、エスカローニ氏は、PK戦を得意とするGKを抱え、最終盤にPKが得意な選手を起用、最後の最後のPK戦での勝利を含めて采配を振るったように見える。底知れぬ二枚腰三枚腰、いや十枚腰くらいの奥深い勝負強さも感じた。しかし、2-0でリードしていた後半、3-2でリードしていた延長後半、それぞれに選手交代を含めて守備を再整備さえしていれば、もっと楽に世界制覇に至ったのではないか、と思わずにはいられないのだ。

4. 準々決勝オランダ戦の稚拙さ
 考えてみれば、準々決勝オランダ戦の終盤の稚拙さも相当だった。前半メッシのラストパスからモリーナが先制、73分アクーニャが倒されたPKをメッシが決め2-0。オランダは好機すらつかむことができずにいたので、パワープレイを選択。83分に失点し1点差となったものの、およそ追いつかれる雰囲気はなかった。しかし、残り僅か10分の間にアルゼンチンは軽率なプレイを繰り返す。89分バレデスがオランダベンチにボールを蹴り込み、退場になってもおかしくない無意味なプレイ。さらにオランダの同点弾を産んだFKは終了1分前にペッセーラが全く不要なファウルで与えたものだった。攻め込まれて苦し紛れのファウルに逃げたのではない、まったく行う必要がないファウルで苦しい場面を招いたのだ。
 ところが、アディショナルタイムで追いつかれると言う衝撃的な状況に追い込まれたアルゼンチンは、延長に入って立ち直る。チーム全体で落ち着いてボールを回し、オランダに好機すら与えない。そして112分に起用したディ・マリアを軸に猛攻をしかけ幾度も決定機をつかむが決め切れずPK戦へ。しかし、決定機をつかみながら勝ち切れなかった精神的ショックを一切感じさせず、皆が落ち着いてPKを決め続けての勝利。

5. アルゼンチンの36年
 アルゼンチン代表の歴史を振り返る。
 アルゼンチンは、78年地元大会にケンペス、パサレラ、アルディレスらを軸に美しい攻撃的サッカーと紙吹雪大観衆で初の世界王者に輝く。この国はそれ以前はワールドカップの成績は大したことはなかった。1930年の第1回大会で準優勝以降、ベスト4に残ることすらなかった。ディステファノを筆頭に高名な選手を輩出し続けたにもかかわらず。けれども、地元で初戴冠し、前後してディエゴ・マラドーナが登場、以降この超大国は世界一に拘泥し、常にワールドカップに強力な代表チームを送り込む。
 82年は前回優勝メンバにディエゴが加わったがチームとしてのバランスが悪く、イタリアとブラジルに完敗。
 86年はディエゴの神の手や5人抜きなどの伝説的神技で2回目の戴冠。
 90年は、ディエゴを含め負傷者続出の中、2次ラウンドでブラジル・旧ユーゴスラビア(オシム監督でエースはピクシー)、地元イタリアを下し、決勝進出。決勝で0−1で西ドイツに苦杯するが、決勝点は怪しげな判定からのPKだった。
 94年はシメオネやバティストゥータと言った若いメンバにディエゴが加わる布陣で、1次ラウンド2連勝でスタートするも、ディエゴに薬物反応が出て大会から追放され、2次ラウンド1回戦でハジ率いるルーマニアに完敗。ディエゴの時代は終わる。
 98年は初戦で我々も手合わせ、2次ラウンド初戦でイングランドをPK戦で振り切る。続く準々決勝オランダ戦、終盤にオルテガがGKファンハールの挑発に乗ってしまい退場、直後ベルカンプの芸術弾に散る。
 02年は1次ラウンドでイングランドに敗れたものの、最終戦のスウェーデン戦に勝てば2次ラウンドに進出できたが、強引で単調な攻めに終始し引き分け敗退。
 06年は準々決勝のドイツ戦後半序盤に先制しほとんど好機すら与えない展開。ところが早い段階でGKアボンダンシエリが負傷交代、ワンチャンスをドイツクローゼに決められ追いつかれ、PK戦で敗れる。
 10年はディエゴを監督にすると言う自暴自棄策に出るが、まあ誰もが予想した通り失敗。アルゼンチン協会も毎回毎回最強クラスのチームを送り込んでは早期敗退と言う悪い流れを断ち切ろうとしたのかもしれないが、いくら何でも無茶だった。
 14年は基本に立ち返り、攻撃はすべてメッシ、後ろはすべてマスケラーノと言うチームを作る。ところが決勝は、メッシの副官として変化をつかさどるディ・マリアの負傷もあり、決勝でドイツに延長で惜敗。
 18年は、マスケラーノの衰えが顕著で、チームのバランスがとれぬうちに、2次ラウンド初戦でフランスと当たり沈没。

6. アルゼンチンの「勝負強さ」
 こうやって振り返ると、86年ディエゴで優勝した以降、この超大国は毎回のように優勝候補と言えるチームを送り出している(10年と18年はちょっと弱かったかな)。しかし、90年と14年しか決勝進出できていない。とてもではないが、「勝負強い」とは言えないではないか。
 我々はアルゼンチンと言うと、時にアンフェアなプレイをしても戦い抜く勝負への執着に感心し、安易にしたたかで「勝負強い」と思い込んでいただけなのではないか。より正確に表現すると、彼らの「勝負強さ」にはムラがあるのだ。
 決勝フランス戦。80分までの見事なサッカー。それ以降の延長戦を含んだ時間帯、交代策が後手を踏み、お互いノーガードの打ち合い。PK戦での氷のような冷静さ。
 準々決勝オランダ戦。80分までの見事なサッカー。それ以降の後半終了までの時間帯、各選手がラフプレイを連発し自滅の同点劇、延長とPK戦での氷のような冷静さ。
 つまり、頭に血が上がってしまい冷静さを失う時間帯があると言うことだろう。それも監督含めてチーム全体で。しかし、延長戦に入る、PK戦に入るなど、一旦落ち着く機会があれば、彼らは冷静さを取り戻す。

 それにしても、あれだけ冷静に戦える戦士たちが、何故あれほど冷静さを欠いてしまうのか。おそらく、「勝ちたい」と言う執念が強過ぎるからではないか。だから、チーム全体で頭に血が上がってしまうのだ。ともあれ、メッシとその仲間達は、頭に血が上がった時間帯もあったが、肝心の場面で氷のような冷静さを取り戻し、36年振りにワールドカップを取り戻した。
 このカタールワールドカップ、我々はドイツやスペインを叩きのめし、クロアチアをあと一歩まで追い詰めた。もはや目指すは世界一である。ワールドカップ制覇は、決して簡単な道のりではないし、少なくとも62歳の私が生きているうちに実現することはないだろう。
 しかし、世界一を目指すためには、世界一の国から学ばなければならない。そして、36年振りに世界一を奪還したこの超大国の戦士達は、氷のような冷静さを持っているにもかかわらず、冷静さを失う程「勝ちたい」との執念で戦っていた。我々とアルゼンチンの差はこの執念だ。
 世界一を目指すために、我々がこの異様な執念を身につける必要はないかもしれない。しかし、アルゼンチンのような超大国が、我々とは格段に異なるこのような執念の下で戦っていると冷静に把握するのは、世界一を目指すために必須のはずだ。
posted by 武藤文雄 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月18日

爆撃機は永遠に ーゲルト・ミュラー逝去ー

 西ドイツの名ストライカ、ゲルト・ミュラーが亡くなったとのこと。享年75歳だったとのこと。ご冥福をお祈りします。

 私がサッカーを楽しみ始めたのは1970年代初頭、映像すら満足に入手できない当時、中学生のバカガキにとって、ミュラーは正にあこがれの存在だった。70年ワールドカップメキシコ大会で得点王となり、74年地元大会で決勝戦の決勝点を含め、とにかく点をとる選手。ペレやクライフやベッケンバウアは、何があっても目指すことができない。でも、ゲルト・ミュラーとベルディ・フォクツは目指せるような気がした。そんな錯覚を抱かせてくれたスーパースターだったのだ。
 あれから半世紀が経った。ミュラーよりサッカーがうまい選手、攻撃を創造するのが巧みな選手はいくらでも見てきた。しかし、ミュラーより得点を決めるのが上手な選手は見たことがない。
 もちろん、センタフォワードと言う特殊なポジションには幾多の名手がいた。釜本邦茂、ルーケ、ロッシ、原博実、ファン・バステン、ロマーリオ、バティステュータ、マルコス、ロナウド、久保竜彦、フォルラン、佐藤寿人、レバンドフスキ、幾多のストライカを楽しんできたが、やはり一番好きなセンタフォワードはミュラーだ。

 ミュラーの点の取り方は、とてもわかりやすい。サイドからのクロスをペナルティエリア内で頭でも足でも最適の方法で合わせる。後方から足元に入るパスをターンして突っつきネットを揺らす、ゴール前にこぼれたボールを身体のどこかに当ててゴールラインを越させる。自らドリブルで持ち込むとか、ロングシュートをねらうとか、スルーパスから抜け出すとか、そのような得点はほとんどない。 
 中でも究極は1974年大会の決勝、オランダ戦の決勝点だろう。右ウィングのグラボウスキーが中盤に下がり、右オープンにスペースを作る。そこに中盤後方からボンホフが入り込み、グラボウスキーからのパスを受け右サイドをえぐる。ミュラーをマークしていたオランダのCBレイスベルゲンがカバーに入るが、サイドバックのクロルがしっかりミュラーをマークしている。ボンホフはミュラーをねらったプルバック。ただし、クロルのマークは厳しい。
 そこでミュラーは自分の後方に向けてトラップ。1mほど後方に流れたボールに対し、ミュラーは一歩下がりながら、信じられない反転力でインステップでミート。クロルはまったくのノーチャンスだった。コロコロとボールはサイドネットに向かうが、オランダGKヨングブルッドはタイミングを外されまったくセービングに入れず、呆然とネットを揺らすボールを見送るばかりだった。
 どんなレベルでも、得点を決めるコツは、シュートの打ち手がボールを強く蹴ることできるポイントに正確にボールを置き、狙い澄ましたシュートを打つこと。自分が一番蹴りやすいポイントにボールを置けるかどうか、マークするDFとの駆け引きを含め、勝負の妙味である。
 しかし、ミュラーの得点は異なる。ボールを正確にサイドネットに向かわせることは強く意識しているが、強く蹴る意識はない。ただただ、ゴールキーパに自分が蹴るタイミングを読ませないことを意識している。
 繰り返そう。ゴールキーパのタイミングを外し、正確にボールを突っつくこと。ミュラーはそれだけを考え、ベッケンバウアーの、オヴェラートの、ネッツアの、ボンホフの、ウリ・へーネスの、グラボウスキーの、ヘルツェンバインの、パスを待っていたのだ。

 久保建英に格好の教材を提供したい。強引に行くばかりではなく、どうやったら点が取れるかが、ここにある。
 正に爆撃機、幾多のコロコロシュートを思い起こしながら、ご冥福をお祈りします。
 そして、サッカーと言う汲めども尽きぬ麻薬に私をいざなってくれてありがとうございました。あなたの幾多の得点、忘れません。
posted by 武藤文雄 at 00:58| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

大魚を逸したアントラーズ

 後半半ばに、クリスチャン・ロナウドのドリブル突破を、昌子が冷静な対応で止めたとき、「これは、もしかしたら」と思い始めた。そして、アディショナルタイム、左サイドからのクロスが裏に抜け、遠藤がフリーでシュートした瞬間。もしかしたら、あれは「私達日本人が世界一に最も近づいた」と後世に語られる瞬間だったのかもしれない。もちろん、そうならないことを望んではいるのだが。
 いや待て。俺たちはもう世界一の経験があるのだったっけな。

 アントラーズの奮闘は、単にアジアのクラブ、日本のクラブが決勝に進出し、欧州のトップクラブをあと一歩まで追い込んだことに止まらない。
 ビッグゲームで、延長戦となり、歴史的なスーパースタアが圧倒的な個人能力を見せて勝負を決める決勝戦など、そう滅多にお目にかかれるものではないのだ。クリスチャン・ロナウドの3点目は、まだ植田が昌子に合わせてラインをそろえられなかったと言う守備側のミスもあった。けれども、4点目はあり得ない、味方のシュートが偶然に自分の前に飛んできて、それをとっさに完璧な場所にトラップし、落ち着いてシュートを決めるなんて。この選手のストライカとしての能力は一体どう考えたらよいのだろうか。クリスチャン・ロナウドは、いわゆるストライカとして、ゲルト・ミュラー、ファン・バステン、ロナウド(ブラジルのね)の域に達する名手に至ったと、考えるべきだろう。そして、その名手に延長でやられる経験が味わえるなんて。

 クラブワールドカップで日本勢が準決勝まで進んだのは5回目となる。。
 07年、レッズがミランに0対1、よく守り、ワシントンを軸に逆襲を成功させかけた場面もあったが、きっちりと0対1でやられた試合。戦闘能力差は明らかだったが、最後まで1点差で戦い抜いたのは見事だった。サッカーと言う競技は、とにかく1点差でとどめておけば、何が起こるかわからないのだから。ただ、この時のレッズは負傷でポンテと田中達也を欠いており、さらにACLを含めたシーズン終盤の過密日程でボロボロだった。もう少しよいコンディションで戦えばもっと健闘できた可能性もあったと思う。
 08年、ガンバがユナイテッドに3対5、終盤攻め合いとなり、遠藤を起点とした攻撃でユナイテッドから複数点をとったこともあり検討した雰囲気もあった。けれども、前半ギグスのCKからヴィディッチとクリスティアン・ロナウドに決められ、2点差とされてしまったので、勝負と言う意味ではどうしようもなかった。ただ、この年のガンバも、ACL制覇を含めた過密日程で、二川や佐々木も使えず、ボロボロだった。
 11年、レイソルはJリーグチャンピオンとして地元枠での登場。苦戦しながらも準決勝に進出したものの、準決勝の相手サントスには、ネイマールと言う化物がいた。1対3の完敗。化物の存在が、いかにサッカーにとって重要かを認識する試合だった。
 そして昨年、サンフレッチェがリーベルプレートに0対1、互角の攻防でサンフレッチェにも好機があったものの、GK林のミスから失点(これはベガルタサポータからすると、「ああ、またやっちゃった!」と微妙な感動もあったのだが)。その後の20分間、しっかりとボールを回してきたリーベルに抵抗できなかったのが印象的だった。ちなみに、サンフレッチェは3位決定戦で広州恒大を破ったが、広州恒大の各選手の疲労振りが顕著だった。上記のレッズやガンバも同様だったが、ACLを制した直後のクラブが、このクラブワールドカップを戦うのは、日程的に非常に厳しい挑戦と言うことなのだろう。

 そして、アントラーズは、準決勝でナショナル・メデジンを振り切り、決勝でレアル・マドリードに最大限の抵抗を見せてくれた。

 ナシオナル・メデジンは非常に戦闘能力の高いチームだった。
 驚いたのはメデジンの攻撃的姿勢。よほどのスタア軍団だった場合を除き、南米のトップチームは「まず守ってくる」と言う先入観がくつがえされた。中盤で速いパスで左右に揺さぶり、短く低く強いパスをトップにぶつけ、FWがしっかりキープし起点を作り、そこから再三ペナルティエリア内に進出してくる。中盤でのパスコースは多彩、前線でのキープは格段で、アントラーズは幾度も好機を許した。
 一方で、攻撃に多くの選手をかけてくるので、一度アントラーズがボールを奪い、第一波のプレスをかわすのに成功すると、 中盤は薄い。その結果、結構アントラーズも好機を作ることに成功した。ただし、中盤は薄いが、最終ラインの強さと判断力は見事。アントラーズのラストパスをギリギリのところで押さえ込む。一度、後方から走り込んだ柴崎が鮮やかな技巧でDFラインの裏を突いたが、GKの見事な飛び出しに防がれた。
 勝負を分けたのは、ほんの少しアントラーズが幸運だったこと。全盛期の好調ぶりを思い出したかのような曽ヶ端と、大会に入り成長し続ける昌子を軸に、幸運も手伝って丹念に守り続けたアントラーズ。ビデオ判定によるPK奪取と、終盤攻め疲れたメデジンのプレスが甘くなったところでの速攻からの2発。
 繰り返すが相当幸運だったことは間違いない。特に前半終盤、後半半ば、メデジンがいわゆる強度を上げてきた時間帯は、アントラーズは最終ラインから持ち出すことができず、幾度も決定機を許してしまったのだから。また、現実的に戦闘能力差があったのは間違いないから、メデジンに厚く守備を引かれ、ロースコアで上回る試合を狙われたら、一層難しい試合になっていたことだろう。現に、ブラジルワールドカップでも、リオ五輪でも、そのようなスタイルのコロンビアの速攻にやられたのは記憶に新しい。おそらくメデジンは、決勝のレアル戦を見据え、90分で勝負をつけてしまう展開を狙ったのだろう。上記2試合の日本はどうしても勝ち点3が欲しかったが、アントラーズは我慢して120分勝負に持ち込む選択肢もあったところが違ったから。もちろん、メデジンが見て愉しい攻撃的サッカーを展開し、それで日本のチームの勝つ確率が高まったのだから、文句を言う筋合いはないのだが。

 そしてレアル・マドリード。
 欧州チャンピオンズカップ黎明期のディ・ステファノ、プスカシュ時代から、この純白の衣をまとう名門クラブは、各ポジションに絢爛豪華なタレントを並べ、他を圧するのを得意としている。そして、今回もクリスチャン・ロナウド、モドリッチ、セルヒオ・ラモスらがズラリ。過密日程の欧州トップクラブゆえ、各選手の体調は今一歩で、それがアントラーズの健闘につながったわけだが。
 このレアルに対し、なぜアントラーズがあそこまで健闘できたのか。答えは比較的簡単で、アントラーズにいくばくかの幸運が訪れれば、接戦になる程度の差しかなかったからだ。言い換えると、Jリーグのトップクラブの戦闘能力は、世界の超トップレベルとそのくらいの差だと言うことだ。上記で振り返った過去のクラブワールドカップの敗戦も、相応には接戦に持ち込んでいたの。また、ワールドカップでも、コンディション調整に失敗した06年と14年を除けば、98年のアルゼンチン戦や10年のオランダ戦で代表されるように、それなりの試合はできてきた。
 一方で、今回のアントラーズを含めて、毎回毎回近づけば近づくほど、その差が具体的に見えてきて、道が遠いことも痛感させられる。そして、その決定的な差とは、「スーパースタアの得点能力」と言う見も蓋もない結論になってしまうのだが。クリスチャン・ロナウドのようなスーパースタアを日本から輩出するにはどうしたらよういのか。これを語り出すとキリがない。
 ただ、今回のアントラーズは、レアルのような世界最強級クラブに対し、とにかくリードを奪ったこと、幸運ではなく能動的な崩しで2得点したことがすばらしかった。特に柴崎の2点目は、技巧で複数の敵選手を打ち破った見事なものだった。いわゆるインテンシティとかデュエルを発揮した一撃だったが、これらを支えるのは単なるフィジカルではなく、技巧そして的確な判断力であることを示してくれたも痛快だった。柴崎は日本のエリート選手で、代表にも選ばれるほどのタレントだが、欧州でのプレイ経験はない。そのような選手でも、あれだけのプレイができることが、Jリーグの充実を示している。少なくともこの日、柴崎はモドリッチより輝いたプレイを見せてくれた。果たして、柴崎は、どのような厳しい試合でもモドリッチのようなプレイができる選手に育ってくれるだろうか。
 柴崎だけではない。昌子のプレイは、ロシア五輪に向けた守備の中核となることを存分に期待させるものだったし、曽ヶ端と小笠原の両ベテランはさすがだったし、金崎、永木、西、山本、遠藤と言った中堅どころも試合ごとに成長を見せレアルの選手と対等近くわたりあった。
 そして、選手の能力を存分に引き出した石井監督の采配を評価しないわけにはいかない。石井氏は、Jリーグ終盤戦から、プレイオフそれに勝利のクラブワールドカップまで視野に入れ周到に準備をしたのだろう。さらに、プレイオフ以降の連戦を考慮し、ローテーション的な選手起用も見事だった。与えられた環境で最善の成績を目指すと言う監督の使命をほぼ完璧に果たしたのだ。そして、もし冒頭に述べたあの遠藤のシュートが入っていれば、「ほぼ」が必要ないところだったのだが。

 アントラーズ選手たちの、試合終了直後の大魚を逸した悔しさにあふれた表情は、すばらしかった。そう、彼らは大魚を逸したのだ。そして、このような機会をまた確保することの難しさを想像すると...


 余談を2つ。

 アントラーズには東北出身選手が多い。小笠原は岩手県出身、柴崎は青森県出身。そして遠藤は塩釜FC、宮城県出身だ。元々、アントラーズの前身の住友金属の中軸だった鈴木満(現GM)、80年代エースとして得点力あるウィングとして活躍した茂木一浩も宮城県出身だ(ちなみに、茂木は自分と同世代 で、高校時代散々痛い目にあったのです)。さらに、遠藤を育てた塩釜FCは、言うまでもなくあの加藤久が育ったクラブ。宮城県育ちの私としては、やはり嬉しい。

 ナシオナルメデジンが、トヨタカップで来日したのは89年。敵はACミラン、フランコ・バレーシ、アンチェロッティ、ドナドニ、若きマルディニと言ったイタリア代表選手に、ファン・バステン、ライカールトのオランダのトッププレイヤが加わった強力メンバだった。しかし、メデジンは知性あふれるCBエスコバル(故人、USAワールドカップ後に非業の死)、怪GKイギータを軸に、見事な守備を見せる。延長終盤まで0対0で進んだ試合は、ミランのエヴァニが直接FKを沈め決着。メデジンは惜敗した。長きに渡るトヨタカップでも、このメデジンの抵抗振りは歴史に残るもの。そのメデジンが、もしかしたら最後の日本開催となるクラブワールドカップに再臨し、日本のクラブと手合わせしたことの感慨は大きかった。
posted by 武藤文雄 at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

シャペコエンセ

 何ともやりきれない。このような事故がまた起こるなんて。
 生存した方々の早期の回復を祈り、亡くなった方々のご冥福をお祈りし、ご家族や親しい方々にお悔やみを申し上げます。

 中学生の折、サッカーをかじり始めた当初から、トリノのスペルガの丘、ユナイテッドのミュンヘン空港、それぞれの悲劇を学んだ。そして、リアルタイムに体験した、アリアンサ・リマとザンビア代表。
 今回は、カイオ・ジュニオール氏やケンペスたち、身近で触れ合う機会が多かった方々が悲劇に見舞われた。さらに、スルガ銀行カップと言うつながりもある大会。うまい言葉が見つからない。昨日来、悲劇に見舞われた彼らと、共にプレイしてきたJリーガやサポータの方々の悲嘆を目にするにつけ、何とも言えない気分になる。

 まずは、自分と家族が、こうやって日々安穏と愉しく暮らせることに改めて感謝したい。
 そして、このような事故の再発を何とか防ぎたい。言い方は悪いが、事故と言うものの発生確率をゼロにするのは不可能だ。またゼロに近づけるためには膨大なコストがかかる。けれども、丁寧に物事を分析し、正しい対策を積み上げれば、常識的なコストで、ゼロを目指すことはできる。
 私は航空機事故を減らすことはできない。でも、少なくとも職業人として30年余働いてきた、自分の範疇でゼロを目指すことはできる。

 やれることはやる。それが、サッカー狂の私が、カイオ・ジュニオール氏たちのためにできる、数少ないことだ。
 繰り返します。生存した方々の早期の回復を祈り、亡くなった方々のご冥福をお祈りし、ご家族や親しい方々にお悔やみを申し上げます。
posted by 武藤文雄 at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月03日

世界最高峰の戦い

 ドイツ対イタリア。すごい試合だった。
 そして、両国の「サッカー力」のものすごさを存分に堪能することができた。すごかった。

 ここまでの欧州選手権の試合を観ていると、前線からの激しいプレスと、最終ラインの強さに、改めて感心してきた。もちろん、欧州チャンピオンズリーグでも、各国のトップリーグでも、そう言ったことは愉しむことができるし、日本代表やJリーグとの比較を検討できる。
 しかし、今回の欧州選手権は、本大会出場国が24と拡大されたこともあり、ウェールズ、アイスランドなど、必ずしも戦闘能力が揃わない国がいくつも登場している。それらの国が、持ち味の強さに組織を加えて強国に抵抗するのが、今大会の特徴。そのような展開では、いわゆる強国が激しいプレッシャのために、蹴り合いに巻き込まれせわしない試合を余儀なくされていた。ベルギーがウェールズに蹴散らかされたのがその典型。フランスがエールに先制されたときも、焦りもあったのだろうが、完全な蹴り合いに巻き込まれていた。
 考えてみると、先日我が日本代表が、ボスニアヘルツェゴビナにやられた試合もそうだった。ボスニアの忠実で激しい当たりに、我を忘れ蹴り合いに巻き込まれて、苦杯を喫したのは記憶に新しい。

 ところが、さすがドイツでした。
 イタリアの、ピッチ上全域の壮絶なプレスを、ドイツはかわすのだ。いや、かわすだけでない。最後尾のノイアーとボアティンクを起点に、組み立てるのだ。また、絶対に慌てて無駄な縦パスに逃げない。丁寧に回しながら(イタリアの猛プレスをかわしながら)、クロースは必死にエジルがフリーとなるのを探す。70年代、「西ドイツだけは技巧は南米勢に対抗できる」と言われた時代(つまりベッケンバウアーの時代)から40年。ドイツは改めて世界最高峰の技巧(と判断力を誇る強国となったのだ。いや、その途中でも世界屈指の強国だったし、世界一や欧州一を、複数回獲得していたけれども。

 イタリアもイタリアだった。
 ドイツに対し、知的でよく訓練されて厳しいプレスをかける。それでもドイツはかわして組立てくる。イタリアは、そこをまた粘り強く几帳面につぶし直す。そして、ボールを奪うや、毅然として速攻をしかける。速攻できないならば、落ち着いてつないでいく。無謀な攻撃を仕掛けて、ドイツにボールを渡すような愚行はおかさない。
 今回のイタリアはリーバやロッシやバッジョのような、単身で逆襲速攻を担えるタレントはいなかった。そのために、中々攻めの形は作れなかったが、それでも攻めるときの「行ききる姿勢」は格段で、ドイツも再三肝を冷やす。せめて、デルピエロやトッティ程度のタレントがいれば、状況は随分と好転したのだろうが。

 両軍とも、厳しいプレスで、敵ゴールに近いところでの刈り取りを行い、いわゆるショートカウンタを狙うのは当然のこと。そして、お互い再三その狙いどおりにボールを奪うことには成功した。しかし、そのように「悪い場所」で奪われても、両軍の切り替えがまた早い。崩される前に、奪った選手を囲み、危機を作らない。

 的確に強化され、組織化された両国は、やはり他国とは異なる格段の「何か」を持っていると言うことなのだろう。
 考えてみると、過去40年を振り返ってみると、両国がここまで充実した戦闘能力を具備して、トップレベルの戦いを演じた試合は記憶がない。どちらかがよいときは、どちらかが冴えない歴史が続いていたように思える。すみません、あの1970年の延長4対3の折は、私はまだ小学生。明確な記憶がないのですが。
 もっとも、今回のイタリアは戦闘能力が揃わず、大会前の評価は低かった。評価が低いときのイタリアは強いという伝統はあるな。

 いずれにしても。
 過去約20年で、我々は世界のトップに近づいた。過去考えられないほど、近づいた。しかし、近づけば近づくほど、差が具体的に見えてきて、悩みも深くなってきている。
 我々が考えるべきは、「ドイツやイタリアが、どのようにしてこのようなプレイができるのか。他の欧州列強との差は何なのか。」と言うことのように思える。ここで「ドイツとイタリア」を「ブラジルとアルゼンチン」に置き換えてもよいとは思うけれど。
 彼らに追いつく事は容易ではない。いや、叶わないかもしれない。けれども、それを目指そうと考え、努力を重ねることほど、愉しいことはないではないか。
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2016年06月30日

シャキリとモドリッチはどうすればよかったのか

 欧州選手権の2次ラウンド初日は、ちょうど土日だった事もあり、情報遮断にも成功し、全3試合を堪能できた。これが3試合とも、何とも重苦しい私好みの試合で、すっかり満足。
 今となっては、鮮やかなイタリア料理と、アイスランド全国民の歓喜に、やや薄まった感はあるが、改めて重く苦しい3試合を振り返りたい。

 唯一、90分で決着がついたのが、ウェールズ対北アイルランドの英国対決。
 試合展開は、北アイルランドがやや攻勢をとったが、ベイルの舞いでウェールズの勝利。ラムジーの巧みな組み立てで、ベイルが左サイドでフリーになることに成功。ここで勝負ありだった。GKとCBの間に狙い済ましたクロスを通し、自殺点誘因に成功。ベイルと言うスーパースタアを活かした鮮やかな攻撃。イアン・ラッシュ、マーク・ヒューズ、ライアン・ギグス、彼らが叶えられなかった夢を、今ベイルは着々と実現している。
 一方の北アイルランド。パット・ジェニングスとあのジョージ・ベストの時代以降、そこまでのスーパースタアが出来しなかった歴史の分、ウェールズに対し劣勢だったか。

 スイス対ポーランドはPK戦でポーランド。
 ポーランドはドイツを無得点に押さえた守備が格段。そして伝統の少人数逆襲速攻の最前線に、レバンドフスキの存在。スイスは執拗にレバンドフスキに複数の選手がからみ、自由を奪う。しかし、その結果、守備ラインのバランスが微妙に崩れ、少人数速攻に崩されかける。前半の失点は、その典型だった。
 後半に入り、次第にポーランドが長駆できなくなると、スイスの技巧が有効になっていく。交代を有効に使い、後半半ばからは、完全にスイスペースに。そして、シャキリの美しいバイセクル気味のジャンプボレーで同点に。この得点は、86年メキシコW杯のネグレテのボレーシュートのように、長らく語り続けられることだろう。
 延長に入ってからも、シャキリの技巧は冴え、次々に好機を演出する。ポーランドの最終ラインと中盤ラインの中間で、巧みにボールを受け、前向きにターン。自らペナルティエリアに進出しようとするドリブル前進を仕掛け、敵DFを牽制した後、前後左右あちらこちらに展開。時に精度高いラストパスを狙い、自らもシュートチャンスをうかがう。そして、幾度も決定機を演出したものの、とうとう崩し切れずPK戦で苦杯。

 クロアチア対ポルトガルは、冗談のような逆襲速攻からポルトガルが延長戦を制した。
 試合間隔が長く、しかも1次ラウンド最終戦で多くの中心選手を休ませたクロアチアは、中2日のポルトガルに対し、丁寧に攻め込む。一方で、クリスティアン・ロナウドには常に目を光らせ隙を作らない。
 その中でモドリッチは正に中盤の大将軍。中盤後方から、丹念に組み立てて、ポルトガルをジワジワと消耗させ続ける。そして、延長も後半となり、次々とクロアチアが決定機をつかむ。あと一歩、あと一歩でポルトガルを叩き潰せるはずだった。
 そして、115分過ぎ、複数回の決定機をつかんだ場面。「ここは勝負どころ」と全選手が残り少ない体力を振り絞って前進し猛攻。左サイドに流れたボールを、ストリニッチが拾い、さらに攻めを仕掛けようとした瞬間、何と長駆したクリスティアン・ロナウドがよく戻り、ボールを奪う。そして、逆襲速攻。2時間近い死闘、丁寧に守ってきたクロアチア守備陣が、この逆襲対応で、初めてクリスティアン・ロナウドがフリーにしてしまった。それにしても、クアレスマもよく詰めたな。合掌。

 こう考えると、「シャキリとモドリッチはどうすればよかったのか」を考えたくなる。
 ラムジーは幸せだった。左サイドでベイルをフリーにすれば、シゴトは終わりだったのだ。対して、シャキリとモドリッチは、良好なチームメートを仕切り、120分を戦い続けたが、敵にとどめを刺せなかった。
 シャキリ。最後の10分、味方に点をとらせることよりも、自ら得点を狙うべきだったように思った。しかし、シャキリはまだ若い。良好な選手をズラリと並べ、常に安定した実力を発揮するスイス代表に、史上初めて登場したスーパースタア候補登場との感もある。この敗戦も、そのための貴重な宝となるのかもしれない。PK戦敗北の後、胸を張り自国サポータの歓声に答えた姿も美しかった。
 一方のモドリッチ。クラブレベルでは栄華を極め、中盤構成者としては、既に自他ともに認める世界最高峰のスーパースタアだ。そのモドリッチが、丁寧に丁寧に組み立てた試合だったにもかかわらず、勝ち切れなかった。こちらは、監督の度胸だったのではないか。とにかく稠密さが必要な現代サッカー。中盤の比較的後方のタレントは、どんな凄い選手でも、相当な守備のハードワークとポジショニングが必要。だからこそ、本当の最後の最後、モドリッチに「自由」を提供すべきだったのではないか。

 シャキリとモドリッチ。この2人の美しく知的なプレイと、結果的な悲劇を堪能した。そして、「サッカーは難しいものだ」と、改めて思った。
posted by 武藤文雄 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

欧州選手権への羨望

 「欧州サッカーと南米サッカーのどちらが好みか?」と問われれば「南米」と即答する私だ。しかし、午前中リアルタイムの放送を愉しむのは困難ゆえ、コパアメリカの映像堪能は断念。と言うことで、欧州選手権の映像を少しずつ愉しんでいる。ともあれ、平日は本業(おかげさまで、結構忙しいのです。だから、すっかりブログをさぼっているのですが)、週末は少年団指導とベガルタ。もうよい年齢で、深夜早朝映像観戦は厳しい。時間に限りはあるのだが。

 代表チームの他地域選手権を愉しむとなると、どうしても「ここに日本代表がいたらどうなるか」と言う視点になる。これも考えてみると、ここ15年くらいでようやく味わえるようになった、比較的最近からの愉しみだ。一方で、そのような愉しみが15年ほどの長きに渡ったと考えると、「随分の長さになったものだ」と感慨深い。
 思い起こしてみると、この大会を生中継で堪能したのは、88年の決勝が最初だった。例のファン・バステンのズドーン(今大会のテレビ中継のタイトルにも登場しているやつ)。深夜あの一撃を目撃したときは、さすがに興奮したな。その前のネッツァ、オンドルシュ、シュスター、そしてプラティニ、これらは皆結果を知った後、数ヶ月後のダイヤモンドサッカーでしか、映像を見ることすら叶わなかった。そして、あの頃は、「ここに日本代表がいたらどうなるか」など、考えもしなかった。

 さて、「ここに日本代表がいたらどうなるか」について。

 今大会の映像を観ていて、何よりうらやましく思うのは、スタンドの雰囲気だ。ほとんどの試合で、両国のサポータが万単位で入り、熱狂的な応援を繰り広げている。しかも、チケット販売方式が進歩してきているのだろうか、それぞれの国のサポータが固って応援している。結果的に、双方の応援も盛り上がり、とてもよい雰囲気だ。ワールドカップでは多くの場合、チケットは国別には販売されておらず、両国のサポータが入り混じっての応援となる。まあ、敵国のサポータと呉越同舟で声を張り上げるのは、それはそれで愉しいのだけれども(一昨年のコロンビア戦の前半終了間際の岡崎の同点弾で、己1人の絶叫で周囲のコロンビアサポータすべてを制圧したのではないかとの錯覚には、堪えられないものがあった)。
 残念ながら、アジアカップであのような雰囲気を体験するのは、現状では非常に難しい。

 そもそも、アジア諸国で、敵地まで多くのサポータが出向く国が、我々のほかは、韓国、豪州、(たぶん)中国など限られる。最近、タイなど東南アジアのサポータも少しずつ、あちたこちらで見かけるようになってきたけれど。このあたりは、文化的な要素と経済的な要素があるように思える。
 文化的な要素については、少しずつ我々の愚行をアジア諸国に展開し、「サッカーで遊ぶとこんなにおもしろい」と、多くの人に理解してもらえばよいのだろう。
 経済的な要素については、今後上下動はあろうが、各アジア諸国は経済的発展はしていく傾向は間違いないから、海外旅行を愉しむ人々は増えていくことだろう。そうなれば、様々な国の人々が、今以上に海外でのサッカー試合を愉しむようになっていくかもしれない。日本が経済的に停滞し、残念なことになるかもしれないが。
 しかし、そう言った問題以上にスタジアムが盛り上がらないのは、AFCの無思想性があるように思う。そもそも、ワールドカップの半年後に、アジアカップを行うところから、「負けが決まっている」のだ。ワールドカップ後、じっくり2年間予選を戦って、勝ち残ったチームが揃う欧州選手権との違いは大きい。
 元々、アジアカップは、2004年中国大会までは、ワールドカップの隔年に行われてきた。しかし、長期にわたるワールドカップ予選と、五輪とのバッティングを考慮し、1年前倒しにされた。これはこれで、1つの考えだ。しかし、そうならば、アジアカップ予選とワールドカップ予選をうまく計画し、様々な興味を呼ぶように工夫する必要がある。
 ところが、前倒しになった以降、杓子定規に4年おきを守ろうとするから、おかしくなってしまった。2007年は、東南アジア4か国の共同開催だったから夏季に行われたので、ワールドカップの1年後となりまだ尋常だった。ところが、その後はカタール、豪州が、杓子定規にワールドカップの翌年の冬季に行ったため、もうどうしようもなくなってしまった。カタールでも豪州でも、ワールドカップの1年半後に行っていれば、随分とよかったと思うのだが。
 次のアジアカップは、2019年UAE開催。ロシアワールドカップの半年後に、従来大会より8チーム増やした24チームで行われる。元々、16チームでも盛り上がらない現状。あまり、愉しい大会になるようには思えない。私の予感が外れれば嬉しいのだが。
 でも、この欧州選手権のような、アジアカップ。愉しみたいよね。
 
 とは言え。欧州選手権だ。
 「ここに日本代表がいたらどうなるか」について、本質も少しは語りたい。
 頑健な欧州諸国のCBやゴールキーパが固める守備をいかに崩すかとか、レバンドフスキやベイルやクリスティアン・ロナウドにいかにボールを出させないかとか、シャキリやモドリッチの展開をいかに止めるかとか、高邁な話題について。これを語ることこそ、最高の知的遊戯のはず。
 これは、シリア戦、ブルガリア戦、ボスニアヘルツェゴビナ戦のような、冗談のような守備面のミスが、改善されるが前提となる。頼むよ、ハリルホジッチさん。
 もっとも。ザッケローニ氏末期以降、アギーレ氏時代も、ハリルホジッチ氏時代も、再三再四あのような惨状を見ているので、シリア戦以降の一連の守備崩壊を、冗談と言ってはいけないのかもしれない。冗談ではなく、新常態なのではないかとの不安もある。
 まあ、それはそれで別途。
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2016年01月06日

守備が強いバルセロナ

 いささか古新聞ながら、昨年末のクラブワールドカップを見ての思いを語りたい。

 メッシとネイマールを擁し神仏に喩えられて久しいバルサ、16,000サポータ共々質実剛健そのものだったリーベル、ここ数年財力の差により我々にACLで不快な思いを提供し続けている広州恒大。そして、ここ数シーズン、日本で最も安定した成績を収めているサンフレッチェ。これらの4クラブを丁寧に比較できて、とても愉しい大会だった。
 今日のところは、まずはバルセロナを論じたい。

 今回のバルセロナは、従来のシャビとイニエスタを軸に中盤で精緻なパス回しをするチームとは、随分趣を異にしていた。ずばり、マスケラーノ、ピケ、ブスケツの守備中央3人の強さが格段のチームだったのだ。

 ゴールキックの際に、CBのマスケラーノとピケが、ペナルティエリア両横に開いて、そこから展開するのをスタートとする。サイドバックのダニエウ・アルベスとジョルディ・アルバは前方に進出。言ってみれば、後方から2-3-2-3と言う配置になっている。これは1925年にオフサイドルールが変更になる以前のフォーメーションに先祖返りしたのではないかと。
 冗談はさておき、これは世界最強チームの展開地域が、より後方になって行いくことを示唆しているのではないか。やたら中盤のプレスが厳しくなって、ピルロが中盤後方から展開するようになった2000年代。そして、2010年代半ばになり、とうとうマスケラーノは、最終ラインからの展開を始めたと言うことだろうか。1970年代のベッケンバウアに戻ったと言う話もあるか。あ、また話がずれました、すみません。

 決勝戦、リーベルの速攻は鋭くいやらしかった。しかし、マスケラーノの読みの鋭さは格段。リーベルのシュートポイントに何の躊躇もなく飛び込み、押さえ込んでしまう。マスケラーノの守備振りは、全軍を指揮して敵の攻撃を弱めておいて自分が一番危ないところで待ち構えるフランコ・バレーシとも、チームメートの挙動を見ながら自分の個人的守備能力で一番危ないところを止め切るカンナバーロとも違う。マスケラーノは、チームメートを一切頼らず、己の判断のみを頼りに、一番危ないところを押さえ切ることのみを考えているように見えた。
 一方でピケ。リーベルの後方の選手が、バルサのプレスが甘くなった隙を逃さず、ぎりぎりのロングボールを入れてくる。しかし、ピケは丁寧にそれをはね返す。ピケもよい年齢になってきたのか、強引な攻め上がりがなくなり、ストッパとしてしつこく守り、格段の個人技で正確にはね返す能力は格段。
 そして、マスケラーノとピケが防いだボールを、ブスケツは丁寧にさばき展開する。この世界最高峰CBコンビでも、さすがに敵の攻撃を防いたボールゆえ、タイミングやコースはブスケツの処理しやすいところへ来ない。けれども、ブスケツは何の雑作もなく、的確にボールコントロールしてしまう。しかも、南アフリカワールドカップ制覇時に見せた、中盤での守備範囲は、さらに広さを増していたし。

 もちろん、メッシとネイマール。リーベル戦の1点目のネイマールの折り返しとメッシのトラップからのシュート。3点目のネイマールの芸術的アシスト。
 この2人以外のバルセロナの名手たちの個人能力が超越しているのは間違いないが、マスケラーノもピケもブスケツもイニエスタもスアレスも、素質に恵まれた人間が、環境に恵まれ、適正な指導を受け、凡人には耐え難い努力を積めば、もしかしたら到達できるかもしれないとは思う。しかし、メッシとネイマールの能力には、そう言った常識を超越した何かを感じる。ホモサピエンスを調達した何かを。ペレ、クライフ、ディエゴに感じ、ロナウジーニョに期待し外れた、何かを。

 それでも。
 しつこいが、今のバルセロナの強みは、最終ラインの3人にあった。シャビを失ったバルセロナは、たとえ、メッシでも、ネイマールでも、イニエスタでも、もちろんスアレスでも。分厚く人数をかけた守備をする敵に、ぎりぎりのパスを引っ掛けられ、逆襲速攻に襲われることもある。
 もちろん、リーベルもそれを狙っていた。
 そのリーベルの狙いのすべてを、マスケラーノとピケとブスケツは、未然に防いでしまったのだ。

 16,000人のサポータが支えるリーベルの質実剛健な逆襲速攻。それを、この3人が、90分間戦い続け、押さえ切った。すばらしいエンタテインメントだった。
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2015年06月30日

柿谷には会えなかったけれど

 ちょっとした私用があり、お休みをいただき欧州を旅する機会を得た。そして、5月29日金曜日、バーゼルFCの2014-15年シーズン最終戦を観に行った。既に優勝を決めているバーゼルが、リーグ最終戦でザンクトカレンをホームに迎えた試合だった。

 バーゼルFCのホームスタジアム、ザンクトヤコブパルクは旧市街の中心地からトラムで15分程度。スイス鉄道のバーゼル駅からも臨時電車で一駅に位置する。20時半キックオフに向けて、夕刻から青赤のウェアを着たサポータ達が、街中で愉しそうに怪気炎を上げており、彼らと共に競技場に向かう。
 余談。幾度も語ってきたが、ユアテックスタジアムは、そのロケーションと言い、構造と言い、そこで演じられるドラマと言い、間違いなく日本最高のスタジアムだと確信している。(ここから思い切りローカルネタですが、仙台市民の方以外で興味あれば、Google Mapでも参考についてきてください)しかし、ユアテックは所詮泉中央駅近傍。仙台の旧市街(笑)からはほど遠い地下鉄の終点。便利な場所ではあるが、街中とは言い難い。しかし、ザンクトヤコブパルクは、仙台で言えば、北仙台や長町に建っている。仙台駅からJRで一駅の場所に、ショッピングモール付きの4万人近くを収容できる競技場がそびえているのだ。仙台市民以外の方々にもわかりやすく言うと、ニッパツ三ツ沢やNACK5大宮のあたりに4万人スタジアムが立っていると、イメージしてもらえばよいか。
 バーゼルはスイス第3の都市と言っても、人口は20万人足らずと言う。そのような街でも、このような超一等地にこれだけの大競技場を持っている。サッカー観戦が文化として定着したのがここ20年の日本と、100年近い歴史がある西欧の都市の差なのだろうか。現在の日本の都市事情を考慮すると、将来に渡りどのような都市でも、このような立地の競技場を持つ事はできないように思う。仕方がない事だが、素直に羨望した。
 ちなみに試合終了後、トラムの大混雑を心配したのだが、対策は十分。数十台のトラムが待機しており、それらが皆バーゼル駅に向かう。旧市街の一角ゆえ歩いて帰る人、スイス鉄道を利用する人などを含め、競技場からの撤退対応もよく準備されている訳だ。

 個人的に、スイスのサッカー界には強烈なライバル意識を感じている。単なる横恋慕と言ってしまえばそれまでだが。何故ならば、この国は、常にワールドカップにせよ、欧州選手権にせよ、たいがい予選は勝ち抜き、本大会で2次ラウンドまで何とか進む(あるいは進めない)。実質的な世界の相対ランキングで非常に近いところにいると思えてならないからだ。たとえ、先方のFIFAランキングが非常に高い現状があるにせよ。
 ついでに言うと、2006年ワールドカップ。1次ラウンドで我々が木端微塵にやられた後、ドイツに残った私は当時小学生だった坊主と1/16ファイナルのスイス対ウクライナを観戦、0対0のPK戦で全員が外すと言う凄絶なスイスの敗戦を堪能させていただたいた。隣に必死に声を枯らして戦い続けたスイス国旗をかたどった服を着ていた60歳過ぎのオッサンがいた。試合終了後、(シェフチェンコへの想いも持ちながら)何となく勢いでスイスを声援していた極東から来た親子2人が席を立つ。オッサンはボロボロと涙を流しながら「Thank you, Thank you 」と握手をしてくれた。本当に本当に羨ましかった。そして、その羨望は4年後にかなえられるのだが。
 スイスとの試合は唯一2007年にオシム爺さん時代に戦っている。PK大乱発のバカ試合は面白かったな。こう言うライバルと、もっと交流を深めたいところだ。

 言うまでもなく、柿谷を見たかった。今期、中々定位置を掴めなかった柿谷だが、(優勝が決まった事もあったのだろう)前節に久々に起用され、何とも美しいループシュートを決めていた。最終節も起用され、眼前で得点する事を期待していた。大体、私が欧州で生観戦すれば、柿谷は点をとる事になっているのだ。と、考えていたが、柿谷は敢えなくベンチ外。
 リーグ最終戦のホームゲーム。さらにこの試合は、クラブのレジェンド、マルコ・シュトレーラの引退試合だった。パウロ・ソウザ監督は、ベストに近いメンバでシュトレーラの最終試合を飾ろうとしたのだろうか。ちなみに、シュトレーラは上記のウクライナ戦でPKを外したのだっけな。
 試合前のウォーミングアップ。柿谷を見られない事がわかって落胆していた私の眼前で、引退するシュトレーラを称えるイベントが始まった。30,000を超える観衆からの暖かい拍手。おもしろかったのは、敵のザンクトカレンの選手達が、そのイベントに全く同調しない事。ザンクトカレンの選手は淡々とアップを続け、ゴール裏2階席に隔離されている敵地から来訪したサポータも、ホームチームのイベントを全く無視し、自クラブへの声援を継続する。1つの作法だな。
 ちなみに、選手紹介やバーゼルの得点時に、スタジアムのアナウンサは選手のファーストネームを大声で叫び、それに続いてサポータ達が姓をコールするのが、このクラブのやり方らしい。たとえばアナウンサが「マルコ〜〜〜〜」と叫び、サポータが一斉に「シュトレ〜〜〜ラ」とコールする。これで日本人選手を応援できたら最高だったが、まあ贅沢は禁物と言うものだ。

 感心したのは、チケットが日本で購入できる事。クラブのWEBサイトのチケット購入ページで、席を指定し、クレジットカード番号を入力するだけでよい。送られてきたメールに添付されたファイルのプリントアウト(バーコードが含まれている)が、チケットとして機能するのだ。これはとても便利だ。手数料の問題はあろうが、国内の試合でスポットの試合を観戦するのも、海外を含めた広い範囲の観客を集めるのにも有効だ。最近の報道で、「FC東京やマリノスが海外からのチケット購入を可能にする」との記事を読んだが、多くのJクラブが真剣に検討すべきだと思う。
 少々驚いたのは、周辺の観客の観戦姿勢。試合の真っ最中に、ビールなどを買うために席を外す観客が非常に多いのだ。今まで、世界中でサッカーを愉しんできたが、トップレベルの試合で、このような経験は初めて。合衆国で野球を観た際が、こんな感じだった事を思い出した(同じ野球でも、日本ではここまで席を外す観客は多くない)。サッカーの愉しみ方は、人それぞれではあるが、ピッチでの熱戦との対比に考え込んでしまった。
 ちなみに、この日の観衆は32,000人くらいだった。バーゼルはスイスで最も人気があると聞いている。観客動員力を日本のクラブと比較するとすれば、やはり浦和レッズと言う事になろう。そして、リーグ最終戦と言うハレの舞台で八分の入りで30,000人越えとすれば、レッズの動員力が上と見るべきか。もちろん、曜日(この日はスイスの祝日でかつ金曜日と言う特殊な日だった)、当該地域の人口、競技場へのアクセス容易性、天候など、多くの比較障害があるのだけれども。
 ついでに言うと、私の席はバックスタンド3階席、スタンドはかなりの急勾配で、3階席でもとても見やすかった。ちなみにチケット価格は、日本円で約7,500円だった。Jリーグでこのあたりと同じ指定席を購入すると、4,000円程度か、つまり倍近い価格となる。もっとも、スイスと言う国は物価が非常に高く、何を買うにせよ、日本の倍以上の値段がかかる感覚だった。まあ、こんなものか。

 さて試合。これが結構微妙な内容だった。ミスが多いのだ。それも、後方でボールを回す際に、コントロールミスが目立ち、それを引っ掛けられる場面が続出。守備陣の奪われた瞬間の切り替えの早さはさすがで、厳しいボディアタックで奪い返すのは見事だったが。乱暴で抽象的な比較だが、厳しいプレスがかかっても回す能力はJリーグが上で、奪われたボールを奪い返す能力はスイスリーグが上、って言う感じだな。
 しかし、自陣でミスを繰り返せばいつか崩れる。実際、そう言ったミスから、バーゼルは引退するシュトレーラが先制。ところが、バーゼルDFも同様のミスを連発し、敢え無く失点を重ね前半は1対2で終了。後半ようやく追いつくが、またもDFのミスから失点し、突き放され2対3。点がたくさん入れば、スタジアムの雰囲気は盛り上がるけれども。
 ホーム最終戦と言う事もあり、バーゼルはメンバ変更で猛攻を仕掛けるが空回りが続く。ザンクトカレンが分厚く守ってくるので、丁寧にサイドチェンジを交えたビルドアップから仕掛けるのだが、最前線の精度に欠けるのだ。この空回りを見ると、「この攻撃ラインにもかかわらず、柿谷は定位置を掴めなていないのか」と複雑な気持ちにはなった。僅かなスペースでも正確にボールをコントロールできる柿谷は、このような事態に最適なストライカだと思ったのだが。
 ともあれ、バーゼルは交代で起用された選手も皆よい選手で、サイドチェンジを繰り返して揺さぶりと圧迫を継続する。このあたりは、両チームの持てる資源の絶対量の差だ。そして、圧力に耐えられなかったザンクトパウリの守備陣が左右の修正が利かなくなった終盤2得点を決め逆転に成功。見事に最終節を飾った。多くのライバルクラブと戦闘能力差がある以上、パウロ・ソウザ氏もわざわざ使い道の難しい柿谷をはめ込む必要がないと考えたのかもしれない。

 外国でのサッカー観戦は愉しい。
 まず選手との出会い。たとえばバーゼルのCBにリーダシップに優れ、前線へのフィードが巧みな選手がいた。よく調べてみたら、あのサムエルだった。こう言う再会は何とも言えず嬉しいものだ。またバーゼルのトップ下のマティアス・デルガドと言う選手は、私にとっては初見だったが32歳のアルゼンチン人。いかにも、アルゼンチンのこのポジションの選手らしい技巧と判断力に富むタレントだった。このような邂逅は堪えられない。
 そして上記クドクドと書き連ねた様々な環境相違の発見。ピッチ上のサッカーを囲む周囲環境は国によって色々異なる。それは、極端に言えば文化の相違によるもの。愛するサッカーを通して観察できる文化相違体験は、とても愉しい。
 言うまでもなく、ピッチ上のサッカーでの発見。この日は優勝決定後の試合と言う事で、少々緊張感に欠けた感もあり、守備のミスからのゴールが多く、大味な試合となった。しかし、サッカーはサッカー。そのような試合でも、スイス独特のスタイルは垣間見え、そこに加わる外国人選手による変化は、常に新しい発見がある。まして、世界のトップを目指そうとする(当方から見ての)ライバル国のトップゲーム故の比較感覚も面白い。
 改めてサッカーの愉しさを堪能する1日だった。
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2014年07月12日

サッカー大国に羨望しつつ

 コロンビア戦、1対3にされた後、選手達の気持ちが折れたのが伝わってきた。悔しく、空しく、何とも絶望的な時間帯。熱狂する左右前後のコロンビアサポータ達。むなしく走り回る私の選手達。この4年間が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る、ザッケローニ氏との冒険が終わろうとしている。その想いをあざ笑うような、ハメ・ロドリゲスの4点目。立ちすくむ私の選手達。40年来の戦い「今回こそ」はとの想いが消えていく。繰り返す。悔しく、空しく、何とも絶望的な時間帯。
 この無常観こそ、現地観戦の魅力。これだけの切歯扼腕が味わえるのだから、サッカーはやめられない。本当に現地に行ってよかった。

 しかしね。

 羨ましいのですよ。ブラジルの方々が。自分の目の黒いうちは、先般のブラジルの方々のような絶望感は味わえないだろうから。
 世界最高峰の選手を並べながら、焦りや不運が交錯し、なすすべもなく自壊していく自分のチーム。それも、ワールドカップの準決勝で。こんな絶望感を味わえるなんて。

 セレソンが序盤から前掛かりに出ていくのを見て悪い予感はした。ネイマール不在が、相当なプレッシャとなっていたのだろう。「少しでも多く好機を作りたい、先制点をとって楽になりたい。」そこのボタンのかけ違いが、無意味な前進を呼ぶ。そして、軽率なミスからの2失点。それでも、たった「2失点」だったのだ。慌てずにオスカールを中心に攻め返せばよかったのだ。でも、世界最高峰の選手達は「ネイマール不在で70分で、2点なんか取れない!」と思って、みんな切れちゃった。合掌。
 超一流選手が、ここまで追い込まれるなんて、ブラジル以外は考えられない。たとえイタリアでもドイツでも地元でワールドカップをやっても、ずっと冷静に優勝を狙う(そして、1990年と2006年それぞれ冷静に失敗した)。もしアルゼンチンが地元でやれば、今回のセレソンに近い精神状態になるかもしれないが、優勝回数5回と2回、1978年に1回は地元で成功している、等からもう少し落ち着いて戦うように思う。大体、セレソンはどんな敵地でやっても相当強いのだから、地元でない方が勝ちやすいかもしらんな。
 小学生の指導をしていると、このような試合を時々見る事がある。敵のエースに完全に崩されると、皆が棒立ちになり、敵エースに蹂躙され、数分間に大量失点してしまうのだ。いや、逆に当方のエースが敵をチンチンにしてしまう経験もあるけれど。ところが、世界最強国の精鋭が、日本の小学生サッカーと同じ隘路にはまるなんて。

 いや、これがサッカーの醍醐味だ。
 
 もっとも、あの後ドイツがおもしろがって猛攻で5対0にしてしまったのは、セレソンにもサポータにも、むしろ幸運だったと思う。あの絶望感をつごう1時間我慢させられれば、人間誰しも少しは冷静になれる。もし、「ネイマール不在で70分で、2点なんか取れない!」と切れる選手達が、前半を0対2で折り返していたとすれば、後半立て直して無理攻めに走ったはず。そうなれば、ドイツが冷静に逆襲を仕掛け、最終的には1対4くらいで惨敗した可能性がある。そうなると、興奮した状態で完敗を味わう事になり、別な意味でやり場のない怒りにさいなまれる事になったのではないか。

 3位決定戦。
 ブラジルもオランダも、明らかにやりたくない試合。それでも、ファン・ハール氏やファン・ペルシーには「俺はこんなどうでもよい試合はやりたくない」と言う自由がある。しかし、スコラリ氏やチアゴ・シルバには、そのような権利がないのがお気の毒。
 せめても。セレソンが、オスカーを中心に、重圧から解き放たれた美しいプレイを見せてくれる事を。

 決勝戦。
 86年、90年(当時は西ドイツだが)と同じ組み合わせとなった。この2つの決勝戦は、私が知るワールドカップの決勝では屈指のつまらなさだった。いずれも、敗れた国は決勝進出までで満身創痍状態でボロボロ、その抵抗振りは胸を打つものがあった。しかし、優勝国が圧倒的に戦闘能力で有利だったにもかかわらず、拙い試合運びで見かけだけ接戦になってしまった。サッカーの質、駆け引きの妙、ドラマ性いずれにも、乏しいつまらない試合だった。
 82年の決勝。優勝したイタリアが、(86年同様に)決勝進出までに力を使い果たしボロボロ状態だった西ドイツに対し、圧倒的な強さを見せつけて完勝した。この試合は一方的だったが、イタリアの速攻の質の高さ、完璧な守備、西ドイツの相応な抵抗、いずれも見事な試合だった。負けるチームがボロボロでも、勝つ方が凛としていれば、美しい試合になるのだ。同様に、94年の決勝。ブラジルとイタリアが高度な守備組織をぶつけ合い、PK戦にもつれ込むまで相互に隙を見せない緊迫感あふれる試合だった。0対0でも、実に美しい試合だった。それらに比べると、ドイツ対アルゼンチンの決勝となった、86年、90年の決勝は寂しい試合だった。
 そして今回。ドイツもアルゼンチンも苦戦を演じつつ、十二分の余力を残しての対戦となる。ドイツは90年大会を思わせるとてもよいチーム。加えて、90年とは異なり、エジルと言う創造性豊かなタレントを持つ。一方のアルゼンチン。メッシはマラドーナと比較されれば格段に落ちるが、マスケラーノがいる。アルゼンチンの守備を、ドイツが容易に破れるとは思えない。そして、ドイツが隙を見せれば、そこにメッシが登場する。
 よい試合を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 23:04| Comment(7) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする