やはりあのスタジアムの雰囲気には感動した。10万人だか、12万人だか知らないが、皆がサッカーを愉しんでいる。
特に国旗が多いのが格好いい。私は原則代表試合は日の丸を振る事にしているのだが、日本の場合不思議な事に日の丸を持ってくる方が案外と少ない。その点、アザディ・スタジアムはイラン国旗がたくさん。思想問題に持ち込まれると困るのだけれども、同じ旗が多数舞うのは景色としてとてもキレイだと思う。ダイヤモンドサッカーで見たクライフの悲しげな表情とミュンヘンオリンピックスタジアムを埋め尽くしたドイツ国旗、NHKの深夜の生中継で堪能したあの紙吹雪の後から一斉に登場する水色と白のアルゼンチン国旗。こう言った若い頃の思い出の影響なのかもしれないけれど。
意表を突かれたのが応援のキー(高さ)。スタンド中でピーピーと指笛を含む高い声援が起こったので、てっきり日本代表が登場して非難の声かと思ったら、それはイラン代表に対する声援。逆に日本代表に対しては低い声援、これはこれで我々がなじんでいるブーイングよりはキーが高いので、あまり非難されている感覚にならない。このあたりは、まさに異国情緒。
様々なところで報道されているが、高速ウェーブは面白かった。これはマハダビキアのような高速ドリブラを好む国民性と、小野や中村のような技巧ドリブラを好む国民性の違いだったりして。もっとも、欧州のウェーブは日本やイランと比較して、同時に立ち上がる人数が多く(つまり幅が広い)特徴がある。誰かそのあたりの研究をしてください。
応援のパタンも斬新なものがいくつか。同じ区域の連中が、ボートのオールを漕ぐような仕草をするやつ。一斉に後ろを向いて飛び跳ねるやつ。メインスタンドとバックスタンドで「イーラン、何とか」とコールし合うパタンも面白かった(何となく「イーラン負けろ」「イーランダメだ」と言い合っているようにも聞こえたのだが)。
我々日本人サポータ席は福西が得点を決めた方の1階ゴール裏だった訳だが、イランサポータ席との国境は、パイプで作られた急ごしらえの柵のみ。何か武田勝頼の騎馬軍団を止めるために織田信長が作った馬防柵を思い出した。ただし、当時の織田徳永連合軍のように3層に渡り分厚い武装兵士が守ってくれればよいのだが、軽装の警官が少数待機するのみ。もし日本が勝っていたら、簡単に守備は破られていたのではなかろうか。
と言う事で私は側面からの歩兵攻撃、上方からの飛び道具攻撃、いずれもから安全な中央後方に位置する事にした。軽傷ながら負傷した日本人の方がいたようで、私についても多くの方が心配して下さったが、無事でした。ご心配おかけして申し訳ありませんでした。
我々を乗せたバスがスタジアムに近づくと、多数のサポータが旗を振って挑発してくる。当方も立場上手を振るなどして、場を盛り上げる。何人かがビスタチオ(これが美味いんだな)か何かを投げて来る。そのうち、ビスタチオのみならず石も飛んで来る。バスは直接スタンドへ入場可能なトンネル状の入り口に着けられ、入場したらビックリ。もう満員ではないか。つまり、スタジアム外で我々を大歓迎してくれた連中は、入れなかった人達だったのだ。
スタンドで久々に再会を果たした事情通(前日、大変な目に会ったらしいが)によると、どうやら早朝から並ばないと入場できなかったらしい。ただし、我々が入場した頃には視認できた通路が、試合開始時には無くなっていた。どうやら、満員だろうが何だろうが気にせず入場した輩が多数いたらしい。そう言えば、傾斜しているスタジアムの外壁をよじ登っている奴が多数いたな。
とにかく、あの満員のサポータ達は、サッカーを愉しむ術を知っている連中だった。強力な敵はマハダビキアやハシェミアン達だけではなかったのだ。








