2005年10月28日

思い出は美しすぎて

 ロスタイムに失点し、2−2で試合が終わった後、ゴール裏にいた我々は、他の試合の結果を知らなかった。同じドーハ市内の他会場で行われていた、サウジ−イラン戦、韓国−北朝鮮戦、いずれかの試合が引き分けに終わっていれば、我々が合衆国に行く事ができる。したがって、主審が終了の笛を鳴らした時点で、我々は絶望はしていなかった。しかし、眼前で選手たちは悲嘆にくれている。ダメなのか。それでも、我々は一縷の望みを感じていた。記者席にいた師匠が、大きな身振りで×を示すのを、見るまでは。



 その約50分前、ハーフタイムの事だ。一緒に観戦していた大先輩(東京オリンピックから代表を応援し、メキシコ五輪でのベスト4入りを予想したと言う伝説の持ち主)と、語り合っていた。私が言った「時計がこのまま後45分進んだならば、ワールドカップと言うものに行かれるんですよね。」経験豊富な大先輩ですら認めた。「無事、このまま進んでくれればね。そうなるように、さあ、応援しよう。」

 私は、あまりに若く経験不足だったのだ。

 

 イラクの猛攻。そして名手アーマン・ナディの美しい得点で同点。さらに追加点をも奪われた。しかし、主審はこのゴールをやや不可解な判定で認めず。同点のまま試合は継続。

 そして中山。時計は進む。終了直前、福田の強烈なシュートが僅かに枠を外れる。この時点では、ちょっと悔しいだけだった。

 しばしば終了間際にセンタリングを上げた武田の責任と言う論評が多いが、間違ってはいけない。武田のセンタリング、それをはね返したイラクの逆襲。森保がその攻撃を見事なタックルで防ぎ、ラモスにつなぐ。ラモスは左サイドで走り出したカズを狙ったパス、しかし短くカットされる。そこから、イラクの逆襲。ニアサイドに飛んだシュートを松永がCKに逃げる。そして...



 試合終了後の記憶はほとんど無い。呆然としていたのだ。

 1つだけ。

 皆があまりの悲しさを味わっていた。しかし、その表現方法は人それぞれ異なる。

 一部の若者たちは、早くも未来に向き合おうとしていた。「フランスへ行こう」と歌いだしたのだ。前を向く事ができるのは若者の特権だ。

 一方、過去の惨状を思い起こし、「またダメだった」と言う絶望に押し潰されそうな年長者たちの一群。若者たちが「フランスへ行こう」を歌い出したとき、怒りが爆発した。

 お互いの口汚い罵り合い。そもそも、ほんの1年前のアジアカップ初戴冠の時は、90分間立って応援するサポータなど、せいぜい100人程度だったのだ。それが、Jリーグ効果もあり、たったの1年で数万人になり、ドーハにも1000人以上の人々が来ていた。応援の方法論だって、まともに確立しておらず、世代間の対立などがあり、スタンドは一体感とは程遠いものだった。

 自慢させていただく。その罵り合いを諌めたのは私だ。何の事は無い、静かに呆然とした感覚でいたかったからなのだが。



 ドーハのホテルでは、宿泊客専用のバーがあり、外国人には酒精を飲ませてくれる。しかし、絶対的に酒精の量は少なく、自棄酒には至らない。実は審判団が同じホテルに泊まっており、バーにやってきた。サッカー狂会創設者が突然、審判に殴りかかりそうになるのを、慌てて羽交い絞めにして止める。



 翌朝空港で。師匠は、復帰したマラドーナが登場するプレイオフを観に豪州行きの便に乗る。羨望の想いを抱きつつ私は言った。「でも、昨日の試合よりも、心が揺さ振られる試合は、もう見られないよね。」2人で苦笑いしていたら、「いい事言うじゃないか」と肩を叩いてくださる方がいた。Y新聞のU記者だった。ちょっと嬉しかった。もっとも、私は間違えていた。4年後、ジョホールバルと言う都市で、もっと心を揺さ振られる試合を観ることになる。



 帰国後、日本中が悲しみに浸っていた。

 改めてサッカーの素晴らしさを知った。人が死んだ訳でも傷ついた訳でも無い。生活に困る程にカネを失った訳でも無い。それでも、これだけ悲しい想いを味わう事ができる。
posted by 武藤文雄 at 23:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月26日

1985年10月26日とは何だったのか

 本業の話、今日は外国から重要なパートナが来ており、大切な顧客とタフネゴシエーション。年齢のせいか、前線に出る機会が少しずつ減っているのだが、今日は自ら最前線の現場を仕切れるので、タフネゴを愉しんでいた。夕刻になり、打ち合わせのまとめに入る。それぞれの宿題を整理し始めた時に、ハッと気が付いた。「そうだ、今日は10月26日だったんだ。そうか、あのフリーキックから丸々20年経ったんだ。」あの美しい軌跡を思い出して、手と口が止まった。「FumioSan, What happened?」と問われて、我に帰った。



 20年と言われて、改めてビックリする事。

 あの韓国に惨敗した予選が85年。オフト氏の下アジアカップを制覇したのが92年。そして、イランと共に圧倒的な戦闘能力を見せ、最初の予選勝ち抜きを決めたのが今年05年。つまり、あの惨敗から僅か7年で、我々はアジアの最強国の一角を占めるに至り、以降13年間アジア屈指の強国として君臨している訳だ。

 ところが、何か不思議なのだが、85年から92年の7年間と言うのは異様に長いように思えてならない。多分、85年以前からの屈折した感情までを含めての記憶となっているからだろう。考えてみれば、68年にメキシコ五輪で銅メダルを獲得してから(つまりメキシコ五輪予選で、得失点差で韓国を振り切って以降)、85年10月26日まで、日本がアジアのタイトルマッチの主役あるいは準主役を演じる事はなかったのだ。おそらく、85年から92年までの、「たったの7年間」が異常に長く感じられるのは、その前の歴史である「アジアにおける敗北感」が大きく影響しているのだろう。

 言うまでも無く、歴史の分岐点は間違いなく92年にあるのだ(さらに詳しく言うと、アジアカップの前に行われたダイナスティカップの決勝こそ分岐点のように思うが、それは別な機会に)。



 では85年10月26日とは何だったのだろうか。

 それは前兆だったのだ。

 メキシコ五輪の成功は、限られたエリートプレイヤに対して、集中強化を実施したが故のものだった。そして、メキシコでの栄光獲得後、クラマー氏のアドバイスを受け、若き岡野俊一郎氏は各方面で語り続けた。「日本はアジアの中でもボール扱いは下手くそ、幼少時からボール扱いを中心とした指導を継続する必要がある。」と。実際、日本中の優秀なサッカーおじさんが、その岡野氏の呼びかけに反応し、優秀なプレイヤを幼少時から育成しようとした。

 その結果、加藤久が、木村和司が、原博実が、宮内聡が、都並敏史が、水沼貴史が、次々に登場したのだ。そして、そのような技巧と知性に優れた選手を組み合わせたチームにより、当時の日本は85年10月26日に到達したのだ。それ以降、日本協会は短期的強化に失敗。そして、それを埋め合わせるように、ハンス・オフト氏が登場し、以降我々は栄華を極めている。

 繰り返そう、85年10月26日は、前兆だったのだ。今日の栄華の。



 ついでに、もう1つ。

 あの85年10月26日。スタジアム中で日の丸が揺れた。美しい光景だった。

 しかしながら、今日の代表の応援風景に、日の丸は非常に少ない。これはもちろん、思想的な問題では無かろう。日本協会が青色の旗やマフラを積極的に販売するのに力を入れているだけの事だと思っている。

 しかしながら、大量に降られる日の丸の美しさは捨て難い魅力がある。もう少し代表戦で、日の丸を使う人が増えて欲しいと思っている。

 と言う事でスイスですよ。

 日の丸に勝るとも劣らない、シンプルなデザインの国旗。スタジアム中が揺れるあの赤字に白赤十字の国旗。スイスのホームゲーム映像を観るのは愉しい。

 できれば、来年ドイツで直接お手合わせをして、世界最高峰同士、国旗の美しさを争うのはいかがだろうか。
posted by 武藤文雄 at 22:06| Comment(8) | TrackBack(2) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月21日

シェフチェンコとドロクバとアデバヨール

 11月16日に予定されている日本代表の強化試合の相手が次々に切り替わっている。代表チームの攻守に切り替えが素早いのは大いに結構な事だが、対戦相手の切り替えがここまで素早いのは...



 元々この試合は、ワールドカップ代表を直接争っていたカメルーンまたはコートジボワールのいずれか出場権を獲得した方と試合をすると言う、理論的には中々素敵なアイデアによって準備されていたもの。そしてカメルーンがこれ以上無いと言う劇的な敗戦を喫し(90年以来の連続出場していた強国が出場権を失ったのだから、これはその劇的性を抜きにしても1つの事件だな)、コートジボワールの久々の来日が決定していた(93年のコートジボワール戦ほど前向きで愉しくしかし不安だった試合はそうは無い、正に甘酸っぱい記憶だ)。

 ところが、今をときめくドロクバを含め、複数の中核選手の来日がキャンセルになったとの事で、コートジボワールが来日を辞退?。「ベスト」メンバでの来日を約束しているトーゴに変更になったとつい先日発表があった。ところが状況はさらに変転、「ベスト」メンバを揃えると約束したアンゴラにさらに変更になったと改めて発表された。もっともこちらの報道によると、トーゴ戦のキャンセルは、トーゴ協会の契約担当者にスッポかされたためらしいが。



 今回の二転三転に対してのみならず、先日のウクライナ戦で大エースシェフチェンコが欠場した事に対しても、日本協会のマッチメークに批判の声が多いようだ。曰く「日本は舐められるている」、「日本協会はもっと適切な交渉を」等々。

 私はこれらの意見には与しない。私はこれら一連のマッチメークに対する、日本協会の担当部門の真摯な努力を高く評価している。

 これら一連の問題は「親善試合における『ベスト』メンバ問題」が顕在化したと考えている。親善試合の対戦相手がどのくらい「ベスト」に近いかどうかは、強化の成否を左右する重要な要素の1つだからだ。実際、03年夏に来日したナイジェリアが「ベスト」とは程遠く(さらにコンディションも酷い)チームで、全くと言ってよいほど強化の役に立たないのみならず、見世物としてもつまらいないものになってしまったのは記憶に新しい。

 以下、今回の二転三転とシェフチェンコ不在問題の2点から、この「ベスト」メンバ問題を検討し、日本協会担当部門をかばい立てしてみたい。

 

 確かに、今回の二転三転そのものは無様だった。しかし無様ではあるが、逆に一生懸命生真面目に「ベスト」に近いメンバで来日しようとする国を呼ぼうとしたモガキが感じられるではないか。無論来日するアンゴラがよいチームである事が、彼らのモガキへの最終評価となるのだが。

 ワールドカップの出場各国からすれば、日本との強化試合は非常に役に立つと思う。中田の展開から中村が持ち出す攻撃、中村を軸とするセットプレイなど、守備の訓練に格好な攻撃力を持ち、日本はフェアなチームだから負傷の危険が少ない。もちろん日本での試合ならば、某酒精メーカがスポンサとなっているギャラも結構な収入にもなるはず。

 しかしそれでも対戦相手探しに苦労するのは何故か。単に距離と時差の問題だろう。各国とも日本とやりたくとも、選手の体調を考慮すると、欧州のシーズン真っ盛りの最中の来日を躊躇するのは仕方が無いだろう。昨年のドイツ、4年前のイタリアのような大物が「ある種の事情」で来日する場合もあるのだけれども。

 だから日本でこの時期に強化試合をするのは意味が無いと言い捨てるのは簡単だ。しかしながら、某酒精メーカをスポンサにして行う国内の強化試合は、日本協会の潤沢な財源確保のために必須な活動。加えて、我々だってA代表の試合を手近に国内で観たいではないか、それも欧州で活躍するスターを交えた試合を。

 そして、そのような錯綜する条件の中で、「ベスト」に近いメンバの強国を招聘するための努力を重ねた日本協会の担当部門の努力を評価したいのだ。



 では、シェフチェンコ不在問題をどう見るか。確かに残念だった。私だって、シェフチェンコ対中澤を見たかった。あれ?!そう、我々だって中澤を連れて行かれなかったのだ。

 日本代表が、強化試合の相手に「ベスト」メンバを求めるのを、我々は至極当然に思っている。私自身、よりよい強化のために敵には「ベスト」で戦って欲しいと思う。しかし、逆に考えてみよう。日本代表が公式戦ではない強化試合で「その時点のベスト」と言えるメンバで戦ったのは、先日の宮城のホンジュラス戦くらい。その前は何と昨年6月のイングランド戦まで遡らなければならないのだ。さらに極端な事を言えば、ホンジュラス戦は負傷で小野と久保が、イングランド戦は中田が、それぞれいなかった。そこまで突っ込むと「ベスト」メンバの定義に至り、ピッコリ氏を思い出したりして。

 いかん、話題がずれた。とにかく言いたい事は、所属クラブが多岐な国に渡る状況においては、どのような代表チームでも「ベスト」メンバを揃えるのは容易では無い事。そして、問題とされるべきは準備されたチームの戦闘能力ではなかろうか。そう考えると、先日のウクライナは強かった。日本代表の強化としては絶妙な試合だった。しかも主審と言う艱難辛苦も加えられて。たとえシェフチェンコはいなくとも、あれはあれでよかったではないか。よいマッチメークだったと思う(ついでに言うと、その前のラトビア戦も中々よかった)。

 余談だけど、先日のシェフチェンコ不在の背景を邪推するのは結構面白い。日本協会の出すギャラをACミランの出す補償料が上回ったのだったりして。



 今はただ来日するアンゴラが精強である事を切に望むのみ。
posted by 武藤文雄 at 23:19| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

最高の準備試合

 ジーコとブロヒンは同世代。この2人のスーパースターが直接試合で相見えたと言えば、82年スペイン大会の1次リーグ初戦。ジーコを軸とするブラジルは、言うまでも無く黄金の中盤のチーム。一方、ブロヒンを中心としたソ連は、70年代から精強を誇ったディナモ・キエフを軸にした好チームで、大会前に連勝を続けた事もあり、ダークホース的存在と予想された。この試合は、トニーニョセレーゾが予選の警告累積で出場停止だった事もあり、ブラジルは苦戦。GKペレスのミスもあり、ソ連に先制を許すが、終盤ソクラテスとエデルが強シュートを決め、見事な逆転勝利で快進撃をスタートさせた。

 この2人の戦いは、あれ以来なのだろうか。そうだとすると、23年振りか。

 と、ノンビリした想いで見ていた試合だが、アジア人を髣髴させる主審の大活躍で、日本にとっては格好の準備試合となった。



 ウクライナとの試合は、02年大会の準備試合(於長居)以来2試合目。あの試合はCKから見事な崩しで最後に戸田が決める美しい得点で1−0の勝利。しかし、独特のショートパスを巧みにつながれ、思うようにプレスがかからず苦戦した記憶が強かった。



 そして、今日も前半から素早いパスワークで次々にサイドに拠点を作られる難しい試合となった。もっとも、敵地でもあるし、これだけの難敵、中盤で回されるのは仕方ない。実際、日本は見事な守備を見せる。中村、中田、稲本の3人が振り回されながらも献身的に敵のパス回しを追い続け、何とかコースを限定。4DFの前に位置取る中田浩二のところでしっかりと絡め取る。同じ4人がMFを務め、グジャグジャだったホンジュラス戦とはえらい違いだ。さらに嬉しいのは坪井の好調、先日の東アジア選手権では「もうお終い、評価完了」と言う雰囲気だったが、この日の粘り強さには驚嘆、恐れ入りました。

 もっとも、しっかり守っていたが、少しつながれ過ぎだろう。これは、アレックスと稲本の左サイドに相当問題があったからと見た。

 やはり、アレックスは敵がこのレベルになると、組み立てに全く参加できなくなる。よくアレックスの守備を問題視する人がいる。あれはあれで確かに論外。しかし、敵のプレスが激しくなるとタイミングや強弱を全く考慮しないつなぎを始める事は、もっと問題に思える。もっとも、周囲の選手がそれに慣れており、織込み済みであるかのような守備をするのがまた凄いが。

 また、稲本の出来はそれほど悪くなかったが、この選手に左サイドのMFが無理な事が発覚した。アレックスのカバーを含めて、左向きに向いた状態で左足のキープができないため、右足に持ち替えたり、向きを都度右に代えなければならないため、球離れが極端に遅くなるのだ。中田が左サイドに回ってくると、急に日本のつなぎが円滑になるのが、面白かった(面白がっている場合かどうかはさておき)。最初から右で使ってやればよかったのだが。

 無論、中田と中村に対するラフタックルに対する主審の温かい許容心が、日本の苦戦に一層の彩りを添えたのは言うまでも無い。



 苦しい試合だったが、前半半ば頃、中田?が左サイドからクリアを右オープンフリーの中村につないだ場面から、日本の逆襲が始まる。この場面あたりから、主審の癖を完全に覚えた中村は、冷静な間合いを取ったドリブルでウクライナを翻弄し始める。確かにウクライナペースの試合だったが、この場面以降の中村は素晴らしかった。前を向いた中村は見事な技巧でチャンスを作り出す。

 前半終了間際にアレックスが安易にポストプレイを許し、茂庭と坪井の背後をつかれる決定的ピンチがあったが、敵がシュート失敗。松木よ、あれで坪井を責めるのは酷だろう。ともあれ、前半終了。ラトビア戦とは逆に、後半敵の攻め疲れが期待できるので、終盤に大久保、松井の投入で、勝つ目が相当出てきた感を抱く前半だった。



 しかし、主審もさるもの。日本の守り勝ちになりそうな試合展開をよく読み、中田浩二のやや軽率なタックルにしっかりと対応した。さすがの中田浩二も油断したのだろう。ここはフランスリーグではなく、アジアカップのつもりでプレイすべきであった。



 ここからジーコ氏の采配が冴え渡る。まず箕輪を投入し守備ラインの数を増やし様子を見る。そして、最大の懸案である左サイドに村井を投入。これは画期的な采配。過去、ジーコ氏が勝つために能動的にアレックスを交代したのは、初めてではなかろうか。長きに渡った日本代表の問題点が、この画期的采配を最後に消滅する事を期待する(が、裏切られるような気もする)。そして、疲労の色が顕著な中村に代えて、松井を投入(中村は中田浩二事件直後から極端に運動量が落ちていた、キエフ入りしてから発熱したと言う情報もあったので、そのためだろうか)。

 この松井投入で、日本は息を吹き返す。駒野と村井の前進時間も増え、好機をつかめるようになる。さらに嬉しかったのは、このあたりの時間帯で鈴木が復調の兆しを見せた事。アジアカップの準決勝でもそうだったが、1人少なくて厳しい状況になると、この男は一層機能し始めるのかもしれない。そして、このように苦しくなると、中田の「格」が顕著になる。主審の献身的な妨害をもってしても、いずれのウクライナの選手よりも「格」を見せつけてくれた。

 あれで村井のCKを箕輪が決めていれば、美しいドラマになったのだが。



 とは言え、敵地で10人。終盤になると、駒野、茂庭に疲労の色が濃く、再三敵に決定機をつかまれるが、箕輪の強さと坪井のスピードで何とか無失点が継続する。主審の最後の手段は防ぎようがない。中田浩二の退場は「やや軽率」のレベルだったが、箕輪のPKは「通り魔に会った」に過ぎない。そして、サッカーにおいては、黒服が通り魔の場合打つ手は無い。



 ドイツに向けての準備試合としては、最高の経験を積めた試合だった。技巧に優れた敵の攻撃を辛抱して守った事。坪井が充実していた事。少ない時間帯ながら、前半は中村、後半は松井を軸によく逆襲できた事。箕輪、村井も、計算できる戦力だとわかった事。アレックスと別離できた事。鈴木に復調の兆しが伺えた事。そして、中田が圧倒的な存在感を見せた事。

 そして何より、ドイツにおいてウクライナと対戦した場合、相当な自信を持って望めそうな事がもっとも大きい。無論、シェフチェンコを押さえるのは苦しいだろう。しかし、我々とて中澤も小野も福西も遠藤も今野も阿部も大黒も達也も、そして久保もいなかったのだ。戦力の上積みは勝るとも劣らない。そして、ブロヒン氏とウクライナの関係者は、明確に「『主審のアレ』で勝った試合」としか記憶できないだろう。ドイツで対戦した際に、精神的に優位に立てるのは当方なのだ。



 かほどの経験を提供してくれたラユックスと言う男を、俺は絶対に許さない。
posted by 武藤文雄 at 02:31| Comment(21) | TrackBack(3) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月09日

適切なマッチメーク、不適切な準備体制

 開始早々、いきなり高原の超ロングシュートが決まる。中盤で中田がヘッドでつなぎ、中村と高原が前後に交錯する動きから、高原が完全にフリー、GKが前目のポジションなのを見て思い切りよくシュートしたのがよかった。

 ラトビアは序盤からMFが相当引いており、4DFの前のポジションを取る稲本が常時フリー。そこからの展開で、日本は中盤を制圧する。中田と中村に加え、松井が独特のリズムで貢献する。松井の良さは、トラップの瞬間にボールを大きくしかも正確に動かし、そのままドリブルに移れる事。そして、無理をすべきではない時は早めにさばき、ここぞと言う時にだけドリブル突破を狙う、プレイの選択も適切。ドイツの23人入りの可能性は相当高いのではないか。ルマンでの今期のプレイ振りからすれば、この活躍は当然と言えば当然かもしれない。しかし、中田、中村、小野、小笠原と20代後半に偏在していた想像的なMFが、より若い世代に登場してきた事は、日本サッカーの近い将来を非常に明るいものにする。

 この3人によるパス交換と、右サイド駒野の積極的なオーバラップによる攻撃で、再三好機を掴むものの追加点はなかなか奪えない。敵の最終ラインが強く固かったこともあるし、2トップの飛び出しにもう一工夫足りなかった事もある。とは言え、いくらペースを掴んでいたとは言え、守備の強いチームと敵地で戦っているのだから、守り切られた事は仕方が無かろう。

 一方で、ラトビアの逆襲速攻の鋭さもなかなか。カウンタ時の約束ごとがしっかりしており、味方の動きをよく信頼して思い切り良く展開され、CK崩れなどから何回か好機を許す。それでも、田中誠と茂庭が粘り強い対応でよく押さえ、土肥が再三好セーブ。また駒野が守備面での1対1の強さを発揮したのも明るい材料。

 守備の強さとカウンタの巧さ、ドイツに向けて格好の強化試合だ。

 

 後半に入っても、日本ペースは継続。PKを生む攻撃は、高原の持ちこたえから中田と柳沢が非常に質の高い個人技で中央突破を狙ったもの。改めて柳沢の潜在力には感心。



 日本ペースだった試合が、一転するのは大久保の交代から。この日の柳沢は上記のPK奪取や、前半の正面ジャンプボレーなど、無難な出来ではあったが、ホンジュラス戦での強引さが見られなかった。後半半ばから大久保にチャンスを与えると言う意味を含め、この交代は非常に妥当なものだった。

 ところが、ホームのラトビアがこの時間帯から前掛りに出てくる(ホームで2点差にされたのだから当然)。そして、稲本と中田の運動量が落ち始める(稲本はここのところ試合から遠ざかっているので不思議ではないが、中田の失速は不思議)。結果として、ラトビアに攻勢を許す。このような時間帯は、チーム全体で我慢すべきところ。しかし、大久保はこの時間帯でも強引な前進を狙ってしまった。

 大久保からすれば、ドイツに向けて数少ない機会。そこでアピールするためには「とにかく点を取るしかない」と考えざるを得ない。とすれば、ボールを受けたら強引に前に行くしかない。ところが、不運にも大久保が投入された時間帯は、リードされた敵が強引に前掛りになると共に、中盤がガス欠になっていたため、無理をすべきではなかったのだ。大久保は極めて不運だったと思う。



 ここでジーコ氏はドイスボランチの3DFへ切り替え、守り切ろうとした。ところが、スタメン起用されていない守備的MFは皆大分にいるので、左サイドバックを務めていた中田浩二をボランチに。そして、中村に代えて坪井を入れてストッパを増やし、左サイドは松井に代えてアレックス。狙いはわかるが、結果的にMFには疲労している稲本と中田が残る。さらに、サイドバックをやっていた中田浩二とてフレッシュでは決して無い。かえって中盤は苦しくなってしまった。ただし、これはジーコ氏の罪では無い、この貴重な遠征にこのようなメンバ構成を強いた日本協会の問題である(もっとも、それを甘んじて受け入れた責任は、ジーコ氏の問題かもしれないが)。

 さらに、アレックスに守備固めの仕事を要求するのは、あまりに酷。アレックス自身はナビスコ準決勝の疲労もあまり無い模様で、巧みなドリブル突破を見せたりはしていた。相変わらず敵のクロスに尻を向けたり、難しい体勢からサイドチェンジを狙いボールを奪われるなど、守備固めとはほど遠い出来だった。どうして、ジーコ氏はアレックスに不得手なプレイを要求し続けるのだろうか。丁寧なボールキープを継続していた松井を、このまま左サイドに残せばよかった事だと思うのだが(この日の松井のプレイを見ていると、3DFの左サイドも十分に任せる事ができるように思えた)。

 それでも日本守備陣は粘り強く対応、鈴木と本山が投入され前線の活動量が復活した事もあり、一時ほどのラトビアペースでは無くなり、試合は終盤に向かった。そこで、中田浩二があのようなミスを犯すとは...



 引き分けた事、守り切れなかった事、それぞれは相手だって必死なのだし、公式戦でもないのだし、仕方の無い事だ。しかし、ドイツに向けての準備を考えると、今回の変則メンバがつらい。敵地での強豪との試合なのだから、守備のオプション作りを行いたいのだが、守備的MFが決定的に足りないため、やりようがないのだ。

 ドイツに向けては、適切なマッチメーク。しかし、あまりに不適切な準備体制。まあ、理不尽なのがサッカーの世の常とは言え。
posted by 武藤文雄 at 02:19| Comment(11) | TrackBack(2) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

それはあなたの仕事ではない

 少々古いニュースだが、川淵会長がまた意味不明の発言を行ったようだ。曰く「北京五輪チームの監督候補として柱谷哲二氏をリストアップ」との事らしい。もっとも、スポーツ新聞の報道なので、相当割り引く必要があろうとは思うが。

 この報道について、私としては3つの違和感を感じている。

 

 1つ目。多くの方も指摘しているが、柱谷哲二はないだろう

 柱谷哲二氏のコンサドーレ監督としての失態は、単に勝てなかったと言う事のみではない。「地方クラブが不適切な監督を選考し下位リーグに落ちそれにより経営が破綻寸前まで行ってしまった」と言う、ただの監督選考の失敗に留まらない悲劇の中心となった事にある。氏はその失態を取り戻すべく、レッズの若年層の指導者として研鑚している。その意気は素晴らしいし、是非に成功して欲しいとも思う。しかし、残念ながら氏はまだ名誉回復の実績は挙げられていない。

 現状での氏の招聘は、コンサドーレの関係者は勿論の事、全てのJリーグ関係者に対する愚弄では無かろうか。そして、せっかく経歴を再構築しようとしている前途有為な柱谷哲二氏の将来に悪影響を与えるだけでは無かろうか。



 2つ目。五輪代表の強化をどうするかの方針が先だろう。

 前園の輝かしい技巧でアトランタ出場権を獲得以来、日本は3大会連続して五輪に出場している。そして、3大会目のアテネ大会では、従来以上の好成績を狙い、J各クラブに多大な迷惑をかけながら、過去に無い程の遠征や合宿を重ねた。しかし、強化を重ねれば重ねるほどチームが弱くなるのではないかと思わせる不可思議な現象すら見受けられた。そして、本大会でも、オーバエージ選考の混乱を含め、ベストメンバすら定まらない状態で惨敗した。加えて、A代表と一切連携の無い強化方針。

 重要なのは、これらの反省(もちろん私が気がつかなかっただけで、よかった点もあったのかもしれないから、それらの分析を含めて)を活かして、どのような強化が適切かの方針を技術委員会に明確にさせるのが、まず最初のはず。その上で、強化日程の原案があり、その日程とノルマを受け入れる監督を探させるのが順番と言うものではないか。



 3つ目。そもそも五輪代表監督程度の人事は、日本協会会長の仕事ではないはずだ。

 若年層の指導方針にせよ、若年層代表監督の人事にせよ、1つ1つの決済は、協会会長の仕事だろう。しかし、個別検討は決して会長の仕事ではない。言い換えよう。技術委員会が「北京五輪の監督は日本人の方がよい」と提案してきた時に、技術委員会の見地以外の日本サッカー全体の問題を視野に入れながら「本当にそれでいいのか」と問いかけた上で、決済する(もちろん、否決してもよい)のが会長の仕事なのだ。否決するにしても、広報部門から推薦される視聴率が取れそうな知名度の高い監督をゴリ押しする事などは、あってはならないのは当然だが。

 もちろん、そのような検討を重ねながら、どうしても技術委員会の上申に納得できない事態もあるだろう。その場合、会長の仕事は具体的な代替の人選では無く、技術委員長の更迭である。



 会長には会長にしかできない仕事がある。

 Jリーグ創設と言う、日本サッカー史上空前絶後と言っても過言では無い実績を挙げた川淵会長である。堂々たる協会会長としての職務を全うしていただきたいのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:53| Comment(10) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

ストライカ柳沢

 ホンジュラス戦の柳沢は凄かった。

 まず2点目となるヘディングシュート。中村のボールの質の高さ、敵DFの甘さなどを割り引く必要はあるものの、ボールを頭に捉える直前の柔らかな動作と直後の強引な捻りで、GKの逆サイドを見事に破った。この選手らしい柔軟性と強さの両面が出たいいゴールだった。

 さらに4点目、小笠原の絶妙な組立を受け、力強い前進のドリブル、強引に切り返して強シュート。動き出しの早さ、ボール扱い、足の速さ、いずれも兼ね備えながら、前進意欲に欠ける事で私の期待を裏切り続けてきた逸材が、前進意欲どころか得点への意欲も見せつけてくれた一撃だった。

 チーム全体としては、課題が噴出した試合だったが、とにかく柳沢が素晴らしかった事は間違いない。



 柳沢には、幾年も幾年も「期待しては裏切られ」を続けてきた。

 96年にアントラーズに入団早々からストライカとして活躍、97年のワールドユースでもエースストライカとして君臨し、ベスト8進出に貢献(この時のワールドユースのチームは縦のラインが「宮本−明神−中村−柳沢」としっかりしており、2年後の小野らのチームに劣らぬよいチームだった)。98年シーズンはJリーグで22得点。フランスワールドカップのメンバ候補にまで挙がり、当然のようにシドニー五輪チームのエース格として期待された。もう、ここまでは完璧。

 ところがシドニー1次予選あたりから、微妙にズレ始める。日本はこの予選では、香港、マレーシア、ネパール、フィリピンに全勝して突破を決めた。ところが、柳沢は前線への持ち出しやキープは悪くなかったが、どうにも得点が決められずに苦闘していた。そうこうしている予選の最中に、門限を破って女友達と遊んでいたのが発覚し、チームから追放処分を食らうオマケもついた(この事件はそれほど非難されるものではないと思うけれど)。それ以降、柳沢には「良いプレイはするものの、点はとれない」と言う印象が付きまとう。

 事実、Jリーグでも上記の22点以上決めたシーズンはない。それでも、ポストプレイや動き出しの早さに特色がある柳沢は、トルシェ氏の信頼を集め、A代表に完全に定着。そうこうしているうちに、ワールドカップまで1年を切った2001年シーズンの半ば過ぎは、突然開眼したかのようにA代表で得点を重ねる。特に埼玉スタジアムのこけら落としとなったイタリア戦での美しい得点は鮮やか。地元ワールドカップでのエースストライカの座は約束されたように思えた。

 ところが、肝心の2002年になってからは、全くの不発。準備試合に幾度も起用されながら1点も取れずに本大会を迎える。ワールドカップでは、1次リーグ3試合にスタメン出場、ロシア戦では稲本の決勝ゴールを導く「丁寧なアシスト」で、全国民の歓喜にも貢献した。しかしながら、そのプレイ振りは、あまり印象を残すものではなかった。もっとも、初戦のベルギー戦の終盤、ハーフウェイライン近傍から強引かつ技巧あふれるドリブルで前進(敵ファールに止められたものの、主審は反則を取らず)した場面は凄かった。あのようなドリブル突破ができるだけに、「期待しては裏切られ」感を一層持たせてくれるのだが。

 ジーコ氏就任後も、柳沢はイタリアはジェノアに渡る。ジェノアでの出場機会は少なかったものの、代表ではレギュラ格で重要視されるが、はっきりした活躍はできず。アジアカップ直前に、新チームのメッシーナでのトレーニングを重視するために代表を辞退した以降は、選考もされなくなった。ところが、テヘランイラン戦、鈴木の負傷による離脱のため、柳沢は急遽招集され、後半から起用される。そして、中田のパスから浮いたボールを見事なヘディングで落とし、福西の同点ゴールをアシスト。このヘディングは、この男の潜在的な肉体能力の高さを存分に発揮したものだった。ところが、我々を歓喜、熱狂させておいて、小野の縦パスを受け損ねて簡単に敵DFに奪われイランの決勝ゴールの起点となる失態。いかにも柳沢らしいと言えばそれまでだが。

 しかし、このテヘランの試合でジーコ氏の信頼を取り戻したのだろう。マナマバーレーン戦では、鈴木の不振もあり、いきなりワントップで起用され、見事な引き出しを見せる。一方でこの試合では、GKまで抜きながらシュートを打たず小笠原へパスするなど、相変わらずの雰囲気も漂わせていたが。バンコク北朝鮮戦では、横で積極的に動き回る大黒に引きずられたか、いつになくシュートも積極的になり、見事な先制ゴールを決める。コンフェデでも、メキシコ戦の先制ゴールなどそれなりに活躍。そして宮城ホンジュラス戦での、冒頭の2発。



 この選手の評価は難しい。

 しかし、今年の柳沢の代表での活躍は悪くない。まずは東欧遠征にて結果を出して欲しい。そして、メッシーナでレギュラを奪い取る事。それが叶えば、ドイツでのスタメンFWの可能性は俄然高まるはず。そして、我々の歓喜も。
posted by 武藤文雄 at 23:18| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月28日

箕輪の抜擢

 ドイツに向けて貴重な欧州遠征。この重要な強化の機会が、花相撲優先と言う理由で阻害される事についての憤慨は既に述べた。ジーコ氏のここまでのチーム作りには無数に疑問があるけれど、このような理不尽を受け入れなければならないのだから、ある意味では同情する。一方で、今回の状況に安易に妥協する姿勢に、いらだちを禁じえないのだが...

 しかし、語っても詮無きことについてはもう触れない方がよいのだろう。

 ただし、もう1つ蛇足を。よりによって何故10月5日にナビスコカップの準決勝がが入っているのだろうか。水曜日開催ならば、別の週にしておけば、欧州遠征に行く選手も楽だし、欧州での試合日程を少し前詰めにして遠征終了後のJリーグへの影響を減らす事ができただろうに。



 ともあれ箕輪である。

 考えてみれば、映像を含めてフロンターレの試合は最近見ていなかったな、まして箕輪はノーマークだった。フロンターレの代表候補としては言うまでも無く中村憲剛、もし守備ラインで評価されるとしたらむしろ伊藤ではないかと思っていたのだが。

 箕輪については、敵の単調な攻撃をはね返す事に関しては抜群の能力を持つが、速くて技巧的な選手との対応には課題が残る選手と言う印象だった。今シーズンに入ってからはTVで何度かプレイを見たのみだが、強さは相変わらずと言う事までしか確認できていない。スキルとスピードに優れた選手への対応が、どこまでできるようになっているのか。29歳と言う年齢を考えると、単純な強さを活かした守備に加え、駆け引きが急速に巧くなったのだろうか。強さや勇気を前面に押し出す事を武器にしてきた選手は、30前後で一気に伸びる場合があるからだ(例えば、その典型例は中山)。どんなに守備の1対1が巧くて、敵との応対やボール奪取に能力を発揮できる守備者でも、敵の攻撃をはね返すためには、天分の肉体能力の強さが必要となる。そのように考えると、箕輪は薩川や大森がどうしても叶わない能力を持つ選手と言えるのかもしれない(もっとも、フロンターレサポータの友人によると「たまたまジーコが観に来ていたマリノス戦で、箕輪はグラウを完封する完璧な出来だった」との事。ついでに「その翌日、箕輪が買い物に行くと偶然ジーコに会って...」と言う怪しげな話を聞かせてくれたのだが...まあ、運がよいのも重要な素質だし)。

 余談ながら、箕輪は生まれは神奈川だが仙台大学出身、我が故郷の名門大学。そして今を去ること20余年前、学生時代に幾度と無くケチョンケチョンにされた難敵(でも1回だけ勝って、インカレに出た事があるのは、我々の生涯の自慢なのだが)。その大学出身の名手が、ワールドカップまで1年を切ったところでA代表に選考された事は、本当に嬉しい。

 是非にジーコ氏には、箕輪を起用して欲しい。この大柄で無骨な(そして我が故郷で学生時代を研鑚した)タレントが、どこまでシェフチェンコに食い下がれるかを、実際に見てみたい。選んだからには試して欲しいのだ。



 守備ラインに関してもう1つ。中澤も宮本も不在の守備陣だが、興味を引いたのは茶野の不選考と坪井の選考。箕輪のような新しい選手を試す以上、選考されない選手がいるのは当然。しかし、東アジア選手権で凡庸なプレイを続けた坪井と、不慣れなポジションながら見事なカバーリングを見せた茶野を思い出すと、今回の2人の明暗は複雑な気持ちになる。では、坪井がJリーグで充実しているかと言うと、サンフレッチェ戦で寿人にチンチンにされた記憶があるので...

 このあたり、私のような野次馬に何とも微妙なイライラを味合わせてくれるのが、ジーコ氏たる所以なのかもしれないけれど。
posted by 武藤文雄 at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

ヤス去りし平塚

 ベルマーレの象徴とも言える(私が勝手に思っているだけかもしれないが)高田ヤスが、横浜FCへレンタル移籍する事が決まったとの事。

 私はベルマーレのサポータでも何でもなく、ただ平塚競技場の近隣に住んでいるだけで、この選手のプレイを他の人よりは頻繁に観る機会に恵まれただけ。でも、若い頃から期待していた逸材が、(たとえレンタルとは言え)他のユニフォームを身につけると聞いて、少なからずショックを受けている。



 10代からトップチームに登場し、年齢別世界大会でも活躍し、一時は完全にチームのエース格だったこの男。往時のプレイ振りを思い起こせば、ボールの引き出しの巧さと、懐の深いドリブルは、J1トップレベルでも十分に活躍可能と思わせた。ところが、ここ2,3シーズンは伸び悩み、必ずしもエースとも言えない実績と待遇に甘んずる。さらに、今シーズンに至っては、出場機会すら少なくなっていた。

 そして、気が付いてみたら、既に26歳。 

 このように落ち着いて考えれば、河岸を変え、活躍の場を求めるべきなのだろう。そして、異なるユニフォームを着て、かつての切れ味を取り戻し、さらに高いレベルでのプレイを狙うべきであろう。つまり、この移籍は適切な判断なのだ。

 しかし、いつもいつもサッカーで遊んでいると、そのような理性的な判断ができないから、困るのだ。私は、紺と黄緑以外の衣装をまとう高田ヤスを想像できないのだ。理屈でも何でもない。ただそれだけ。



 98年の秋口だったろうか、中田が欧州に去った後のベルマーレの試合。細身で、およそ上半身も鍛えられていない、いかにも若々しいFWが気になった。味方のMFがボールを持った瞬間に、斜め後方にキュッと下がり、巧みにボールを受ける動きが、実に気が利いている。さらにボールを受けると、ワンステップで前を向き、敵陣に向かって勇気あるドリブルを狙う。

 98年アジア大会の候補選手に選考されと聞いた時は、来日直後のトルシェ氏の情報収集力に感心した。そして、99年初頭のワールドユースの最終メンバに選考された時は、本当に嬉しかった。ナイジェリアでは、出場機会は少なかったが、起用された時に活躍は見事。共に2点差で勝利したイングランド戦とメキシコ戦、後半から起用され、特長である引き出しの巧さで、小野が試合を完結させる事にしっかりと貢献した。

 その後も順調に成長。2001年シーズンあたりでは、後方から引き出したボールを受けて、前方を振り向くと、ほとんどボールを取られずに、突破できるレベルにまで到達した。



 今思えば、その頃に高田ヤスは、その特長を存分に活かしてくれる中盤を持つJ1のクラブに移籍すべきだったのかもしれない。
posted by 武藤文雄 at 23:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月14日

チェアマンの暴言 −愛媛FC昇格問題−

 2次情報なので割り引いて読まなければならないのかもしれないが、鈴木チェアマンの暴言極まれリ。それにしても、責任ある立場の人間が、かほどの無責任な発言をしてよいものなのか。

 引用してみよう。
(前略)愛媛は、愛媛県総合運動公園陸上競技場の観客席増設が13年後までに完成する計画の上、メーンスタンドの改修計画がなかった。このため同チェアマンは「もう少し(筆頭株主の)愛媛県の出資が必要との感が否めない」としている。
 この部分は、曖昧な記事だし上記したように2次情報なので、鈴木氏の発言内容の趣旨が捻じ曲がっているのかもしれないが、よく理解できない。私が知る限り、J2昇格へのスタジアムとしての必要条件は、芝生席以外で1万人収容、ナイタ設備、天然芝の公式グラウンド(例えばこちら)と言った事項。もし、現在の愛媛FCが確保できるホームグラウンドが当該条件を満たさないのならば、そう発言すればよい。「それ故、昇格に障害がある」ならばわかる。しかし、誰が出資しようが、肝心なのはスタジアムが必要条件を満たすかどうかのみのはず。当然ながら愛媛サイドはJリーグの昇格要件を把握した上での挑戦だろうから、鈴木発言に対する疑問は深まる。

 ただし、Jリーグ昇格を目指すクラブのスタジアムに、Jリーグのトップが因縁をつけるのは今に始まった事ではない。典型的なのはJリーグ初年度。各種の理由(と言うよりは「各種の事情」と言う方が正確なのだが)でJリーグに加盟できなかったが、トッププロを目指そうとするベルマーレ、ジュビロ、レイソルの3つのクラブが当時のJFL(当時は当然ながらJ2はなく、10チームのJリーグチームを除いた日本リーグチームを再編成したリーグをJFLと呼んでいた)を戦っていた。このうち2クラブがJリーグ入りができると言う事だった。ニカノール氏率いるベルマーレがトップを快走している頃、当時の川淵チェアマンが「ベルマーレが準備した平塚競技場は昇格要件を満たさないから、現時点で昇格は(ベルマーレより下位にいる)ジュビロとレイソルが有力」と言う発言をした。慌てたベルマーレは(と言うよりは平塚市は)急ぎ平塚競技場の改修計画を発表、Jリーグ昇格を承認されると言う事態があった(結果的にサッカーファンは、より良好なスタジアムを確保する事ができた)。今回の鈴木発言も。そのような狙いを持った発言なのだろうか。

 ちなみに当時、レイソルがホームスタジアムとして準備した柏スタジアムの仕様や、平塚競技場の改修を請け負ったゼネコンについて触れるような野暮は...(以下自粛)



 ここまででも異様な発言なのだが、さらに信じ難い発言が続く。
愛媛側が正式申請までに改修計画の改善を約束しても、現在10チームのJ2が1チームだけ増えて奇数となるのは運営面で支障が出るため、臨時理事会での承認は難しいとの見方を示した。

もはや、理解の範疇を超えている(「現在10チーム」には突っ込みません、スポーツナビの誤植と信じましょう)。

 つまり何かい。昇格要件が整ったとしても、もう1つ昇格要件が整ったクラブが現れなければ、未来永劫、愛媛FCはJ2に参画できないのかい?それとも、来シーズン以降、愛媛と一緒に昇格要件を満たすクラブが出ない場合のみ、J2からJFLに降格するクラブを作るのかい?

 おかしいだろう。約束した昇格要件を満たせば、Jリーグに加入できる権利は持てるはずなのだ(唯一の例外事項は、当該クラブの経営状況が脆弱なケースが考えられる。その場合の対策は、「降格要件」の取り決めのはず)。そして、そして加入したクラブ数に合わせた運営を考えるべきなのだ。



 おかしい事はやめようではないか。

 今、Jリーグ当局がやるべき事は、(愛媛FCがJFLで好成績を収め切ると言う前提の下)、来シーズンのJ2を13チームで実施する施策を検討する事につきる。

 現実的には13チーム3回戦総当り、全39節各クラブ36試合のリーグ戦だろう(ホーム&アウェイの不公平感は残るが、4回戦全52節のリーグ戦を行うよりはマシなはず)。試合数が減る事による収入減だが、ナビスコにJ2クラブを参加させる事で回避できるのではないか(経営の苦しいJ2各クラブとしては公式戦でのJ1クラブとの対戦機会は、得難い収益改善の機会にもなる)。また、節数が減る事で平日開催を減らせる事からすれば収益ダウンは案外と小幅に押さえられる可能性もある。そもそも44試合と言う試合数が、既に異常なのだ。

 ただ、少し楽になった日程によって各クラブがプロ契約選手数を絞る可能性があり、結果的に短期的に選手やスタッフの雇用問題が発生するのが悩みかもしれない。しかし、これも中長期的にはJリーグクラブが増えれば「サッカーで食える人」は増えるはず。

 要は工夫なのだ。

 

 以前も鈴木チェアマンの暴言を非難した事がある。この時の非難は「花相撲を、貴重なA代表の強化より優先させる事」言い換えると「スポンサの顔色を重視して代表の強化を妨害する」についてだった。これには賛否両論が多数寄せられたが、私は自分が正しい事を確信している。これはこれでおかしい。

 しかし、今回の発言はもっとおかしい。健全な努力を重ねている新しい仲間を、論理的な説明ができない理由で排斥する事があってはならない。これはワールドカップの強化などより、格段に深刻な問題である。
posted by 武藤文雄 at 23:41| Comment(28) | TrackBack(2) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする