私は、CKを蹴る本田圭祐のはるか後方2階席にいた。
本田のキックがやや甘く、ベルギーGKクルトワが飛び出し、パンチングではなく、キャッチしようとする体勢なのがよく見えた。クルトワが捕球する直前、聞こえるわけがないが、私は絶叫した。
「切り替えろ!」
日本の選手達も同じ考えなのはよくわかった。しかし、赤いユニフォームの切替が、青い我々の戦士よりも、コンマ5秒ほど早いのも、よく見えた。その約10秒後、反対側のゴールで、若い頃からの夢が完全に実現するのを目の当たりにすることになる。そして、このコンマ5秒差こそ、ここ25年間ずっと抱き続けてきた「近づけば近づくほど、具体化されてくる差」そのものだったのだ。
私のワールドカップリアルタイム?経験(実際には1日半遅れの新聞報道をワクワクして待って行間を夢見る日々だったが)は、クライフとベッケンバウアの西ドイツ大会から。大会終了後、サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読み込んだ折に、「4年前の70年大会はもっとすごかった」との報道を目にした。そこで、図書館に行き、70年当時の各新聞の縮刷版を調べることとした。そこで、知ったのは準決勝のイタリア対西ドイツの死闘。子供心にも思いましたよ。「いつか、このワールドカップに出る日本代表を見たい、そしてこのような死闘を演じるのを見たい」と。
それから20余年、マラヤ半島の先端ジョホールバルと言う都市で夢は叶った。ただし、日本が、イタリア対西ドイツを演じることは中々難しかった。8年前、南アフリカでのパラグアイ戦は、それに近い戦いだった。ただ、相手が世界のトップと言えるかと言うと少々微妙だった。けれども、今回のベルギーは正に世界のトップレベル、優勝経験こそないが、プレミアリーグのエースクラスがズラリと並び、80年代は欧州でも最強クラスの実績を誇っていた歴史もある。そして、このロストフ・ナ・デヌと言うアゾフ海そばの美しい都市で、私の子供の頃からの夢は叶ったのだ。ワールドカップ本大会で、大会屈指の強国と丁々発止をすると言う夢が。
本稿では、あの絶望的な最後の10秒間を含めた約95分間の至福の時間を、40余年のサッカー狂人生と共に振り返りたい。なお、ハリルホジッチ氏だったならば論と、西野氏への土下座については、別に書く。本稿は、あくまでも、あの試合への感情を吐露するまで。
あのコンマ5秒差。これが、戦闘能力差、実力差なのだ。
試合後、結果を見て、本田はコーナキックをもっとゆっくり蹴って時間を稼ぐべきだったとか、トップスピードでドリブルしてくるデ・ブライネを止められなかった山口蛍を責めるなどの議論があるようだ。
あの時間帯でゆっくりCKを蹴ろうとすれば、主審がタイムアップの笛を吹くケースは結構ある。大昔だが、78年ワールドカップ1次ラウンドのブラジル対スウェーデンでアディショナルタイムにネリーニョのCKをジーコがヘディングで決めたが、キックの前に主審が試合終了の笛を鳴らしノーゴールとなったことがあった。最近でも、09年の南アフリカ予選、敵地ブリスベンの豪州戦で、当の本田がゴール前の直接狙えるFKに時間をかけ過ぎて蹴らせてもらえなかったことは、どなたもご記憶だろう。
直前の本田の直接FKはすばらしい弾道を描いたが、クルトワに防がれた(何か、本田の有効な直接FKは、南アフリカデンマーク戦以来8年ぶりではないかとの感慨もあったが)。その直後のCKである。残り時間僅かな中、ベルギーにイヤな印象を与えているこのCKで難敵ベルギーを崩そうと言う考えは実に真っ当なものだ。しかし、「崩そう」からの切り替える早さで、完全にベルギーにやられてしまった。これは上記した通り、戦闘能力差、実力差なのだ、駆け引きの差ではない。日本の選手も、それなりに反応していたのだ。でも、どうしようもない差だった。
勝負はデ・ブライネが完全に加速した時についていたのだ。あの加速し、さらに3方向にパスコースを持つデ・ブライネを、どうやって蛍に止めろと言うのか。カゼミーロならば、あるいは往年のフォクツや、当時のルールのジェンチーレや、昔年のドゥンガや、全盛期のマスケラーノや、もしかしたら今日のカゼミーロならば対応可能だったかもしれないが。いや、カンナバーロならば確実に止めていたかな。さらに蛍がファウル覚悟で対しても、あの加速は止まらなかったかもしれない。さらに、あそこで蛍が退場になったら10人で残り30分をあのベルギーと戦わなければならない。そして、残念なことに、蛍はマスケラーノでもカゼミーロでもない。できる範囲で、ディレイを試みた蛍は、正しかったのだ。それにしても純正ストライカのルカクがあそこでスルーをするとは。
今の日本選手は、過去になく多くが欧州五大リーグ、あるいはそれに順ずるリーグの各チームで、中心選手として活躍している。欧州で実績を挙げながら、今回23人に残れなかった選手も多い。過去、ここまで多くの選手が欧州で評価された時代はなかった。それが今大会の好成績につながったのは間違いないだろう。けれども、残念ながら、欧州チャンピオンズリーグの上位常連クラブ(いわゆるメガクラブ)で中心選手となった、いや定位置をつかんだ選手はまだいない。一方、ベルギー代表はプレミア選抜のようなものだから。その差が出たとしか言いようのない10余秒だったのだ。
ついでに言うと、今の日本選手では、あのような長駆型速攻は難しいようにも思っている。日本では、5から10mのごく短い距離のダッシュが得意な選手は多いが、数10mの距離は必ずしも速くない選手が多いからだ。もちろん、例外はあり、かつての岡野や最近の永井謙祐のようなタレントもいることはいるのだが。
まったくの余談。韓国には、朴智星、孫興慜と言った日本選手よりもランクの高いクラブで活躍した選手がいる、車範恨、奥寺時代を含め、ちょっと悔しい。もっとも今大会韓国がどうだったのか、もうドイツ人除けば世界中の誰も覚えていないだろうけれども。
2点差を守れなかったことについて。日本固有の課題もあったし、当方の準備不足もあった。
少なくとも今の日本代表には、上記した選手の活躍の場の相違と言う「格の差」とは、別な課題がある。それは体格、体幹の差、フィジカルフィットネスの差だ。たとえば、今大会、ロシア、スウェーデン、アイスランドと言った国が、見事な組織守備で強豪と戦った。ロシアがスペインをPKで粉砕する試合は生で観戦する機会を得たし、プレイオフでイタリアがスウェーデンに屈する試合はテレビ桟敷で堪能した。このようなサッカーで、欧州や南米の列強に対抗するのは、今の日本には不可能ではないか。選手のフィジカルが違い過ぎるのだ。前述したロシア対スペイン、7万大観衆のロシアコールの下、疲労困憊したロシアイレブンの奮闘は感動的だったが、私は一方で羨望も感じていた。どの選手も大柄で、プレイイングディスタンスが広いのだ。後方に引いてブロックで守備を固め、ゾーンで網を張るやり方は、失点しないためには有効なやり方だ。けれども、今の日本では、ワールドカップでああ言ったやり方では守り切る事は難しい。疲労してくると、プレイイングディスタンスの限界から、ゾーンの網がほころびてしまうと思うのだ。なので、2点差となった後に、後方に引きこもった守備を行うのは、得策には思えない。
もちろん、一方で日本は、ごく短い距離の速さや、相手の意表をつくドリブルや短いパスの名手が多く、ロシアやスウェーデンからすれば、我々を羨望するところではあろうが。
試合後、一部の方々が、「フェライニ投入後に、植田を投入するべきだった」と述べている。しかし、フェライニが投入されたのは、65分だったのだ。残り25分(実際はどの試合もアディショナルタイムがあるので30分)、CBを増やした布陣、つまり前を薄くした布陣で、守り切れるとは思えない。残り5分くらいまで、1点差で行って、ベルギーがえぐるのを諦めて放り込み始めたならば、そのような選択肢もあっただろうが。
では、どうすればよかったのか。採るべき手段は、ラインをまじめに上げて、コンパクトにして粘り強く戦う、つまり戦い方を変えないことしかなかったと思う。実際、フェライニ(とシャドリ)投入後、ベルギーが無理攻めを開始後は、前半以上に日本にも逆襲のチャンスも出てきた。香川のスルーパスから酒井が抜け出した場面で、もう少し中央との連係がとれていればとも思うではないか。すべてはお互いの攻守のバランスなのだ。
そこで、今回のチームの準備不足問題に突き当たる。今回の日本代表はすばらしかったけれども、守備面では課題が多かった。過去のワールドカップでの大会別の平均得点と失点を以下まとめた(小数点1位で四捨五入)。
98年 0.3 1.3
02年 1.3 0.8
06年 0.7 2.3
10年 1.0 0.7
14年 0.7 2.0
18年 1.5 1.8
今大会の得点力が他大会をより優れていたこと、一方で守備については過去と比較して普通だったこと、それぞれがわかる。失点については、2次ラウンド進出に成功した02年、10年はおろか、98年よりも悪くなっているのだ。しかも98年は、戦闘能力では大会随一と言われたアルゼンチンと、最終的にベスト4にたどり着くクロアチアと同じグループ。また、当時の日本人選手の個人能力も、02年以降と比べるとまだまだで(10代の頃からプロフェッショナルになろうと決心した選手が揃うのは、02年以降)、攻撃力はそこそこあるが守備力は怪しい選手も多かったのを、井原正巳の圧倒的個人能力でまとめた守備ラインだった。そして、今大会はそれよりも失点が多かったのだ。
2点目の失点は現場では、逆側のゴールだったこともあり、何がまずかったのかはよくわからなかった。試合後、しっかり画像分析している方が整理してくれているのを見たが、選手間でラインコントロールでのずれがあったようだ。ある意味、今大会の守備ラインを象徴していると言えるだろう。そう考えると、1点目直前の混乱にしても、ポーランド戦の失点、セネガル戦の1点目など、守備者間の意思疎通がもう少しあれば防げたものも多かった。要は、守備選手同士の連係が不足していた訳である。
現実的に西野氏に与えられた準備期間の短さを考えると、これはしかたがないようにも思う。この準備期間の短さ問題(つまりハリルホジッチ氏解任問題)については、別にまとめる。ただ、2失点を守れなかったことは、今回の過程で作られたチームの必然だったのかとも思う。
余談ながら、やり方を変えず、最終ラインの連係が時に崩れたとしても、守備力を強化する手段として、「人を換える」と言う手段があったとは思う。しかし、これまた時間不足で、山口蛍や遠藤航を使った守備強化をする余裕がなかったのだろう。私が思いつくのは、槙野を香川に代えて左DFに投入、長友を左サイドMFに、乾をトップ下に回すくらいだろうか。あとは、一層の切り合いを目指し、香川か原口に代えて武藤を投入し右サイドを走らせるか。いずれにしても、リスクを含む手段であり、メンバを替えずに我慢する方が選択肢としては安全だったように思う。そう考えると、同点にされても80分まで我慢して、原口→本田、柴崎→蛍、と言う交替は、相応に合理的だったと思う。この交替については後述する。
ここで、まったく無意味なIFを3つ語りたい。サポータの戯言である。もしボール奪取とボール扱いに両立した井手口がクラブ選択を誤らず、昨シーズン同様のプレイを見せてくれていれば。もし西野氏が、中盤前方での守備がうまい倉田秋を選んでいれば。そして、2シーズン前に世界最高の守備的FWとしてプレミアを獲得した岡崎の体調がベストであれば。
一方で、今大会の日本の攻撃はすばらしかった。
コロンビア戦。大迫は個人能力で敵DFを打ち破り、香川の一撃と併せ、早々にPKを奪った。本田の正確なCKからの大迫の完璧なヘッド。セネガル戦。柴崎の美しいロングパスを受けた、長友と乾の連係。大迫の妙技によるクロスからの岡崎らしいつぶれ(とつぶし)、本田の冷静さ。
いずれの得点も、各選手の特長が存分に発揮された美しいもので、それぞれの場面の歓喜を思い起こすだけで、今でも目が潤んでくる。いずれも、日本の強みである、素早い長短のパスによるショートカウンタからのもの。短い準備期間で作られたチームが、次第に完成していくのがよくわかった。しかも、このようなサッカーは、日本中の少年サッカーで、毎週のように行われているものだ。言わば、よい意味での日本サッカーの特長が発揮されつつあったのだ。
そしてベルギー戦。前半を耐え忍んで迎えた後半序盤の2発。柴崎のパスで抜け出した原口の妙技。香川との連係からの乾の一撃。いずれも、最高レベルのものだった。追いつかれた後も、我慢を重ね速攻をしかける。80分の本田、蛍の投入も、本田の守備面のマイナスを蛍がカバーし、柴崎がいなくなった攻撃力を本田の技巧で補完しようという意図は奏功しかけた。実際、終盤本田と香川の連係を軸にいくつか好機をつかめたのだし。
一部に02年に互角に近い戦闘能力だったベルギーと、大きな差をつけられたことを悲観する方がいるようだ。けれども、ベルギーは80年代から90年代前半にかけては、ヤン・クールマンス、エレック・ゲレツ、エンリケ・シーフォと言ったスーパースタアを擁し、欧州屈指の強豪だった。そのような古豪が、02年の日本大会以降出場権を得られなかったことを反省し、若年層育成に合理的に取り組み、優秀な選手を多数輩出してきたと言うことだろう。我々の歴史や努力を卑下する必要はないが、先方は先方で大変な歴史の厚みを持っての成果なのだ。焦る必要はない。
一方で、近づけば近づくほど、具体的になる差。その差を埋めるのは容易ではないことも間違いない。しかし、差が具体的に可視化されれば、たとえその道は遠くても、課題解決に進むことはできる。考え方は2種類ある。長所を伸ばすか、短所を解消していくか。
今の日本の長所をさらに伸ばし高みを目指す行き方。もっともっと選手の技巧と判断力を高め、敵がどのような布陣を引いてきても、一定時間以上ボールキープができれば対抗は可能になる。ブラジルやアルゼンチンが何が起こっても、どのような相手でも、毅然としたサッカーを演じられるのは、そのためだ。
ベルギーとの戦いを通じて、長駆型の速攻と後方に引いた守備の難しさを論じた。けれども、原口のように長距離の疾走後にもう一仕事ができるタレントが多数いれば、タッチラインを一気に走る抜ける速攻が可能になれるのではないか。酒井宏樹のように技術と判断力に加え体格にも優れたタレントが揃えば、ブロックを固める守備を世界の列強に対してやれるようになれるのではないか。
いずれのやり方も、容易な道ではない。いや、「これは無理なんじゃないですか」とも言いたくもなるような話だ。しかし、ベスト8を、さらにその上を目指すと言うのは、そう言うことだろう。まだ我々には学ばなければならないことが無数にあるが、ここまで来られたから、その差が具体的になったのだ。
焦らず、野心的に、粛々と上を目指し続けることは、楽しいことだ。
一方で。
冒頭で述べたように夢は叶った。そして、その叶った夢は、あまりに悲しく絶望的なものだった。
以前も述べたが、ベスト8に入るためには、ベスト16に残らなければならない。それがいかに難しいことなのかは、我々は十分に経験している。だからこそ、今回のような好機が次にいつ訪れるのか、絶望的になる思いもある。あの不運な1失点目がなければ、本田のFKがもっといやらしく変化していれば、などと、今でも考えずにはいられない。
しかし、過去も幾度か述べてきたように思えるが、思うようにならないから、サッカーは楽しいのだ。ドーハの悲劇について述べたことがある。誰かが命を落としたわけでも、傷ついたわけでも、多額の資産を失ったわけでもない。それでも、あれだけ悲しい思いを味わうことができるのだ。そして、またも。
我ながら幸せな人生だと思う。このような経験を積むことができたことに、ただ、ただ感謝したい。ありがとうございました。
でも、でも、勝ちたかった。