2021年11月15日

スリルあふれる優雅な娯楽が継続(敵地オマーン戦前夜2021)

 ワールドカップ最終予選。敵地ベトナム戦に1-0で渋く勝ち切り、明日は最終予選の折り返し点を迎え、明日は初戦で苦杯を喫したオマーンとのアウェイゲーム。豪州、ベトナムに2連勝して勝ち点勘定は回復してきたわけだが、厄介な中東の敵地戦とは言え、2位以内を目指すためには勝ち点3が欲しいところ。不運な航空機トラブルなどに襲われたベトナム戦だが、そこからオマーンに移動し、選手達の体調をどのくらい整えられるのか。オマーンは、前節中国のホーム戦を疫病禍対応のため比較的近隣のUAEで行えたこともあり、体調管理は当方より有利だろうが、前回の吹田の失態を取り返せるか。

 以前述べたように、私は森保氏は日本代表監督に不適任だと確信している。
 東京五輪でいたずらに遠藤航と田中碧を消耗させ、Jリーグで猛威を奮っていた三笘や上田や前田を有効に機能させられなかった。加えて、リードしている試合での試合終盤の采配は稚拙そのものだった。
 改めて、W杯最終予選の序盤3試合を振り返っても、森保氏の不首尾が目立った。
 ホームオマーン戦、CBと守備的MFにバックアップ不在の状況を放置して試合に臨むと言う、いい加減な準備でホームで惨敗。疲弊したベテランサイドバックを交代させない消極的采配は論外だった。
 中立地中国戦、相手が弱かったこともあり内容は圧倒したが、試合終盤のクローズが適当でのかろうじての勝利。負傷者が出たところで、場当たり的な交代策を行い、フレッシュな選手を並べる努力を怠った。
 敵地サウジ戦、丁寧に守備的に戦ったことは悪くなかったが、体調が整わずミスを連発した柴崎を放置し、その柴崎の致命的なミスであり得ない失点を食らう。さらにその失点後の采配もおよそ非合理的だった。
 何度か嫌味を語ったが、森保氏は、1試合、1試合を勝ち切るために丹念に几帳面に工夫することができないのだ。選手の調子を見極めたり、試合の流れを読み選手交代を行うなど、柔軟な采配ができないのだ。サンフレッチェでの成果を含め、よい選手を呼び取捨選択を継続しチームを積み上げていくことについては、中々の手腕を見せているのだが。

 そして追い込まれた状態下、迎えた埼玉豪州戦。
 スタメンに驚いた。遠藤航、守田、田中碧の3人の守備的MFを並べてきたからだ。これまで、東京五輪でもW杯予選でも準備試合でも、執拗に4-2-3-1にこだわってきた森保氏に何が起こったのかと思った。ツッコミどころ満載のキックオフ前、「そういう事やれるならもっと早くやれよ」とか「中盤後方の控えがいないじゃないか」とか「結局田中碧をトップ下に使う4-2-3-1だったりして」とかw。
 キックオフ。どうやら、航がアンカーで碧と守田がインサイドMFの模様。ただし、碧は航と並んで後方に引くことが多く、守田が右サイドに張り出し気味。と思ったら、守田が左に回る時もある。前線も伊東純也は右前方に張り出すことが多いが、左の南野は中に絞り気味。トップの大迫が引き気味に位置取ることも多い。左右非対称でかなり流動的なやり方だった。
 序盤から幾度も好機をつかむ。これは布陣変更が奏功したと言うよりは、中盤にボールを刈り取れる選手、パスを出せる選手を3人並べたことで、前線によいパスが供給できるようになったことが大きかったように思える。そして、左サイドのうまい崩しから、田中碧が先制弾を決める。そもそも、Jで圧倒的な存在感を見せ、五輪代表でも格段のプレイを見せていた田中碧。最終予選4試合目にして、初めて起用されたところそのものが、森保氏の代表監督不適任を示す証左だろう。
 その後いくつも決定機を得ながら決めきれずにいたところで、後半速攻から左サイドを簡単に崩され直接FKから同点にされる。これは前線からの組織守備をかわされ、(日本から見て)左サイドに拠点を作られかけたところで、長友が意味不明の深追いを行うというミスからだった。長友は前半にも、麻也からのロングボールに安易に攻めかけ、同様に裏を突かれて豪州にポスト弾を許している。守田があちらこちらに出す変則守備網が災いしたこともあろうが、いずれもリードしている状況だっただけに、このベテランDFのミスは残念だった。
 最悪の事態も予想される中、麻也のロングボールを受けたジャガー浅野が強引なドリブルで崩し、自殺点を誘引。ヤレヤレ感満載の歓喜とあいなった。中々2点目をとれない攻撃組織の不備、長友の決定的ミスに代表される守備組織の曖昧さ。それでも、終盤までの戦いで豪州の守備陣は相当疲弊していたのだろう、麻也の性格だが常識的なロングボールを、浅野が正確な個人技で受けてターン、独特の加速ドリブルで振り切ると言う単純な攻撃で崩すことができた。各選手の圧倒的個人能力で、豪州に勝ち切ることができる時代が来たと言う意味でも感慨深い勝利だった。
 もっとも、これだけ個人能力の高い選手を揃えながら、勝ち点を揃えられないのだから、森保氏の監督継続は残念なのだが。

 そして一息ついたところで迎えたベトナム戦。
 引き続き採用した守田が左サイドに張り出す4-3-3。序盤に南野の個人技から伊東が決めて先制に成功。前半終了間際に、伊東がスーペルゴラッソとしか言いようがない一撃があったが、謎のVAR介入でノーゴール。後半も手変え品変え攻め込むが、どうしても2点目が奪えない。共通理解による攻撃の連動性が少ないこと、前線の選手が失点を怖がり強引な突破を自粛したこと、ベトナムの中盤選手が日本の起点となる田中碧や冨安からの展開を必死に押さえたことなど、要因は複数に渡るのだが。
 ただ、麻也と冨安が中央を固め、遠藤航がその前を見張り、前線の選手も攻撃から守備への切り替えが非常に早いので、危ない場面は皆無。終盤には、無理に2点をとりに行かず、田中碧→柴崎(短い時間ならば柴崎も守備で破綻はきたさない)、守田→原口と、経験豊富なベテランで守りを固め、堅実なクローズが行われた。東京五輪や最終予選序盤に、およそ非合理的な試合終盤の采配を連発した森保氏とは思えない丁寧な采配だった。
 もちろん、体調がよいとはとても思えない大迫や長友の拘泥など、いかにも森保氏らしい硬直采配も見受けられた。それでも、まったくベトナムに好機をつかませることなく重苦しい1-0での勝ち切り。疫病禍により満員とは言えなかったが、ベトナムのホームらしい熱狂下で、まったく危ない場面を作らせないのだから大したものだ。

 オマーン戦は守田が出場停止。最終予選序盤までの森保氏ならば、4-2-2-2に戻したり、守田の代わりに柴崎を起用したり、硬直した采配を見せていたことだろう。しかし、豪州戦の守備的MF3人起用や、ベトナム戦の終盤の堅実なクローズを見ていると、かたくなに学習を拒絶していた森保氏にも少し変化が見受けられる。野心あふれる若い前線の選手を多く選考した今回の遠征だが、森保氏がどこまで柔軟な采配を振るってくれるか。
 田嶋幸三会長が、日本代表の確実なワールドカップ出場、上位進出よりも、森保氏の代表監督留任に拘泥する理由はよくわからない。ともあれ、しばらく森保氏が代表監督を継続するのだろう。おかげでスリルあふれる優雅な娯楽が継続する。
posted by 武藤文雄 at 23:55| Comment(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月10日

快勝だったが学ばない森保氏、やはり更迭が妥当

 森保氏は早々に更迭すべきと確信を持った中国戦の快勝劇だった。

 理由は明白、短期決戦の試合を勝ち抜くための采配が稚拙のみならず、直前の失敗の反省を織り込むことができないからだ。今のまま森保氏に代表を託したとしても、ワールドカップ出場権を獲得する可能性はそれなりに高いと思う。しかし、本大会で1次ラウンドを突破し1/16ファイナルを勝ちベスト8に進むことは、森保氏では極めて難しい。
 アジアカップの決勝進出、五輪のベスト4、森保氏の戦績は決して悪くない。内容面でも、五輪で見せてくれた守備網の堅牢さは中々のものだった。また能力の高い若い選手、Jリーグで台頭してきた選手を丹念に試し、おそらく史上最高レベルの選手層の厚いチームを作ったのも森保氏の功績だ。
 けれども、選手の体調を見極められないこと、選手交代について計画性がないこと、勝っている試合のクローズが稚拙なこと。要は1試合ずつ丁寧に勝ち切る用兵が決定的にお粗末なのだ。
 さらに悪いことに、失敗したことの反省が反映されていない。五輪での敗因は、選手選考段階のミスを含め、中心選手の消耗を放置したことにあった。オマーン戦は、選手の合流不可や負傷があったにもかかわらず試合前に対応せず、さらに雨中の試合で消耗した選手を交代させず終了間際の失態を招いた。中国戦は、敵の作戦ミスもあり前半先制に成功、後半攻めに切り替えてきた相手を冷静にいなしての完勝。けれども、交代策があまりに拙かった。危ない場面がなかったのは単に相手が弱かったからだ。
 五輪の失敗の反省が、最終予選の2試合で何も活かされなかったのだ。

 これまでも森保氏の采配に疑問は多かった。けれども、長期的に「何か」を考えているがための不可解さだと思っていた。たとえば、アジア選手権で韓国になすすべなく敗れたり、アジアU23選手権で無策のまま完敗を繰返したときは、腹がかなり立ったけれども、その「何か」を見極めたいと思っていた。
 しかし、五輪からこの最終予選の2連戦、長期的見解がどうあろうが、本腰を入れて勝負する試合でも、采配の稚拙さ、反省のなさが明らかになった。「何か」は幻だった。「何か」はないのだ。采配が稚拙で反省がないだけのことだったのだ。ワールドカップ本大会の采配を森保氏に託すのは、あり得ないことだ。

 中国戦については、詳細を論じる必要もない試合だった。単に中国が弱かったのだ。
 前半は、明らかな先方の自滅。5-4-1で守備を固める事自体は否定しないが、前線でのプレスもなく、両サイドの守備もいい加減。後方に引いて一切プレスをかけない1970年代風のサッカー。解説の岡田氏が外に開いた室屋や長友に対し、中盤の選手が当たりに行かずサイドバックが対応しているのを見て、激怒していたのには笑った。中国協会は今からでもよいので、岡田氏を監督にしたらよいのではないかw。
 それでも、日本はオマーン戦の衝撃が抜け切っていないのか、中々ギアが入らなかったが、あそこまで非組織的守備網ならばいつか崩れる。大迫がまったくのフリーでポストに当てた時はイヤな予感がしたが、伊東が持ち味の縦突破を見せ大迫が難しいシュートをキッチリ決めてくれた。
 これで本来のプレイを取り戻した日本。後半から帰化選手を大量に投入し前に出てきたところで、一切好機を作らせなかった落ち着いた試合運びは見事だった。

 ただし、追加点をとれなかったのは残念だった。
 要因の1つには、76分に起用された鎌田の調子が極端に悪かったことが挙げられる。落ち着いて中国をいなして好機すら許していない終盤、焦る相手を引き出して速攻をしかけてトドメを刺したい時間帯だったのだが。鎌田は、引き出しの動きが少ないのみならず、中途半端なドリブルで再三ボールを奪われてしまった。オマーン戦も残念なプレイ振りだったが、まだシーズン開幕直後で疲労がたまる時期でもないが、どうしたのだろうか。こののオフの移籍問題が尾を引いてでもいるのだろうか。もちろん、それを見極められず起用した森保氏の責任なのだが。
 さらにそのほかの交代策がひどかった。後半序盤に古橋が負傷し、交代の1枠を使っていたから後半の交代機会は残り2回。常識的には鎌田投入と同時に、もう1人(2人でも3人でもよいが)フレッシュな選手を入れるべきだろう。大迫に代えてオナイウ、久保に代えて堂安、柴崎に代えて守田などいくつも選択肢があったのだが。そして終盤長友の負傷時に佐々木を入れる時にも他の選手を代えることができたはずだ。
 現実的に後半の展開を見る限り、失点のリスクは非常に小さいものだった。しかし、その小さいリスクを几帳面に消すことが短期決戦での勝利の要諦なのだ。そして、森保氏は五輪と言う勝負どころで失敗した。さらに、その直後のワールドカップ最終予選の最初の2試合でその失敗の反省を活かせなかった。
 更迭が適切と言うものだろう。

 もちろん森保氏への不満はこれだけではない。
 特に攻撃面において、選手の特長を組み合わせた連係を作ろうとしないこと。森保氏のチームを見ていると、南野や久保のシュート能力を活かす、伊東の縦突破を活かす、古橋の裏抜けを活かす、オナイウのゴールエリアでの強さを活かす、このような各選手の特長を組み合わせる連係は、ほとんど見られない。両サイドにしても、サイドバックとサイドMFを有機的に組み合わせたインナーラップやダブルオーバラップなどの細工は見られない。ただ、4-2-3-1に選手をはめこんでいるだけだ。
 4-2-3-1と言う選手配置にこだわり、そこに選手を当てはめることしかしないのも不満だ。Jで猛威をふるっている三笘や前田大然を、五輪では4-2-3-1に無理矢理押し込みほとんど機能させられなかったことは記憶に新しい。
 けれども、こう言った不満は、ある意味で監督のスタイルと言えるかもしれないし、ワールドカップ本大会の重要な試合までカードを隠している可能性がある。もしかしたら、森保氏は本大会の1/16ファイナルや準々決勝で、南野と久保と堂安と鎌田を田中碧が鮮やかに操る、今まで見たことがない鮮やかな連係を見せてくれるのかもしれない。あるいは、突然に選手配置を4-3-3に切り替え三笘と伊東の両翼が強豪国の守備網を切り裂くのかもしれない。だから、文句は言い続けるだろうが、このような不満は勝負どころまで結論は断定できない。
 これらについては、まだわからない。

 けれども。
 1試合、1試合を勝ち切るために、丹念に几帳面に工夫することができないのは論外だ。
 序盤に述べたことを繰り返す。選手の体調を見極められないこと、選手交代について計画性がないこと、勝っている試合のクローズが稚拙なこと。そして、五輪での最大の失敗である選手の消耗対応を反省していないこと。要は森保氏は、1試合ずつ丁寧に勝ち切る用兵が決定的にお粗末なのだ。これは将来の改善は期待できない。
 これだけの選手を準備できたのだ。
 来年のカタールワールドカップ、私は森保氏に采配を委ねるべきではないと思う。ベスト8以上の成果を挙げる確率を少しでも上げるために。
 森保氏の更迭を望むものである。
posted by 武藤文雄 at 23:57| Comment(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月02日

森保さんさようなら

 昨晩、最終予選前夜だし、作文しようかなと思い立った。それで、あれこれ調べたらビックリ。昨日も散々愚痴を述べたが、守田と冨安が不在、板倉が負傷離脱とのこと。元々守備的MFを多数呼んでいなかったのだし、さっさと新しい選手を召集すればよいのに事態悪化を放置。昨日になって、ルヴァンカップにフル出場していた昌子を急遽招集。結果的に、後方中央は麻也、植田、航、柴崎の4人しかおらず、控えが実質不在。危機的状況である。
 しかし、今日の昼休みにもっとビックリした。昼食をとりながら、スマフォをいじったのだが、これだけの緊急事態なのに、それを騒いでいるマスコミやサッカーライターが見受けられないのだ。
 様々な媒体で、日本代表人気の落ち込みが報道されている。しかし、この緊急事態についての報道がほとんど見つからないのは、量の問題ではないだろう。単純に質の問題に尽きる。試合前に何が起こっているのか、練習を見たり、選手や監督を取材せずともわかるこの状況が報道されていない。しかも、森保監督は直前の五輪で中盤後方の選手の消耗を放置したことで敗退しているのだ。五輪での反省欠如どころか、不測の事態の放置。いかにも森保氏らしいと、おもしろがるか悲観するかはさておき、この試合の最大の注目点をほとんどのマスコミが気にしていない。Jリーグが開幕して約30年、7ワールドカップの年月が経った。多様なサッカー記事を楽しむことができている。しかし、今回は衝撃だった。当たり前のことを、当たり前に書く書き手が日本にほとんどいないことに。
 ピッチ上には無数に優秀な選手がいて、多くの個性的な指導者がいて、毎週楽しいトップリーグを楽しむことができる。我々のサッカー界は世界的にもトップに近い環境を獲得できたと思っていたのだが。もちろん、優秀なライターがJリーグの定期取材に回ってしまい、代表取材に回っていないなどの付帯状況には注意が必要だとは思うけれども。

 そして、この後方選手の層の薄さが直接的敗因となった。

 0-1で負けたことはしかたがない。しかし、あまりに負け方が不甲斐なかった。

 オマーンは1ヶ月合宿で調整していたと言うが各選手の体調はかなりよさそうだった。かつてイランを指導していたイヴァンコビッチ氏は、よく組織的なサッカーを叩き込んでおり、単純に選手の個人能力では突破できそうもなかった。また雨でかなり重馬場になったため、速いパスを回して敵を振り回して疲労を誘うのも簡単ではなかった。その結果、遠藤航も柴崎も後方に位置取り、まず守備の安定を図らざるを得なくなった。
 さらに悪いことに、つまらないミスが多い。オマーンは稠密な守備網を敷いている。そのため、軽いパスでは引っかけられてしまう、しかもオマーン各選手の意思統一は中々で、ボールを奪われた直後の動きが素早く、速攻に結びつけられるケースが多い。だから、各選手ともゆっくりでよいから丁寧にプレイをして、いつも慌てた速攻を狙うべきではなかった。むしろ、このようなチームはしっかりとキープすれば、食いついてくるので裏をねらえる機会も増えてくる。
 しかし、何か各選手にフワフワ感があり、ミスパスも減らず、決定機を演出する頻度もほとんどなく時計は進む。考えてみれば当たり前だ、次々と離脱する選手が出ているのに、監督は選手を補充しようとしない。監督のいい加減な試合に臨む姿勢が選手に伝播したのだ。

 そうこうして苦戦しているうちに、柴崎、酒井、長友の消耗が明らかになってきた。両サイドバックは大ベテランだし、柴崎は守備に相当振り回されていた。しかも上述のように柴崎の交代要員は不在。しかし、酒井と長友には山根、室屋、中山ら強力な交代選手がいたのだが、森保氏は動かない。
 前線の交代選手も機能しない。スコットランドで猛威をふるう古橋は前線でなく左サイドで孤立、堂安と久保は運動量が少なく、オマーンの集中守備を破れない。そして、彼らに有効なパスを出せる選手は、皆消耗している。
 失点時の左サイドの守備も残念だったが、クロスが上げられた瞬間に植田が出し抜かれてしまった。植田を攻めるのは酷と言うものだろう。元々空中戦の強さから、終盤の守備固めや、ここぞと言う時のセットプレイの強さを期待して選抜されている選手。離脱者が相次ぎ急遽先発起用されて、疲労した終盤のできごとだった。

 森保氏のこれまでの貢献に感謝したい。
 用兵面では多々不満の残る監督だったが、粘り強く選手を試し、史上最強感が漂う選手層のチームを作ってくれたのだから。
 けれども、選手が思うように集められないのに、何も手を打たなかったのはあり得ない。今日の重要な試合への真剣さが欠けていたのだ。結果として、そのいい加減な態度は、選手達にも伝播してしまった。

 とりあえず、ドーハでの中国戦は、反町技術委員長が務めればよいだろう。選手の能力は疑いないのだから、立て直しは容易だ。
 疫病禍のためとは言え、森保一氏最後の代表監督試合を生観戦できなかったことを、悔いるものである。
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2021年06月02日

日本代表対日本その他代表

 ジャマイカ代表に疫病禍対応のトラブルがあり、チーム全員が期限までに来日できなかったとのこと。結果的に6月3日に札幌で予定されていたA代表戦がキャンセルになった。ところが、日本協会は黙っていない。代替試合として、同日同時刻同じ会場で急遽A代表と五輪代表の無観客試合が組まれた。
 突っ込みどころは無数にある。五輪代表は、今回の強化シーズンで最も重要と思える博多ガーナU24戦(おそらく本大会での同グループ、フランス戦へのトライアルの意味もあるのだろう)が5日(土)に予定されている。その2日前(中1日)に(無観客とは言え、全国にTV放映がある環境下)札幌でA代表と試合、翌日日本を縦断するフライトで博多に移動するわけだ。また、既に来日してしまったジャマイカ代表の約半分の選手はどうなるのだろう(12日の五輪代表どうしの試合を含め)。さらに、A代表対五輪代表と言うと、「A代表が胸を貸す」感があるが、五輪代表の後方には吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航、そして冨安健洋が控える。さらに田中碧と堂安律がいるのだから、これはA代表の紅白戦とも思えてくる。正直言って、A代表側の選手達にはイヤなプレッシャがかかるだろうな。いや、A代表の国内組、古橋亨梧、坂元達裕、山根視来と言った叩き上げ系のタレントは、五輪代表相手だとすれば、ものすごく気合の入ったプレイを見せるかもしれない。
 ともあれ、今回の日本協会の日程再設定を高く評価するものである。疫病禍下、今年後半の代表マッチデーが限られW杯予選のやり方が不明瞭な中、この6月シーズンにできる限り、スポンサ支援の国内試合(地上波TV中継付き)を実施したい。W杯最終予選に向けて、可能な限りのテストを試したい。あれこれ考えると、この札幌ジャマイカ戦のキャンセルは、今後の日程対応に、大きな障害になりかねない。そこで、このA代表対五輪代表。スポンサ対応含め短期間でうまいやり方を考えたものだ。少なくとも、TV視聴率対応を含め、皆が「大迫対冨安!」、「南野対酒井宏樹!」、「山根対三笘!」、「守田対田中碧!」などと盛り上がれるのだし。
 Jリーグが開幕し本格プロ化から四半世紀以上が経ち、日本協会事務方にもプロの仕事師が増えていることを素直に喜びたい。

 過去振り返ると、このような日本代表対日本その他代表と言う試合は、昔は結構行われていた。
 例えば、82年スペインW杯1次予選(香港で集中開催、中国、北朝鮮、香港、マカオ、シンガポール、日本が出場、日本は中国、北朝鮮に敗れ敗退)直前の80年12月、日本代表は「日本代表シニア」と国立競技場で準備試合を行い、2-3で敗れている。当時の日本代表は、W杯出場は目標でなく強化準備の一環、80年モスクワ五輪予選に敗戦後、日本代表は当時26歳だった主将の前田秀樹を除いては、20歳前後の選手で代表チームを構成(中核の加藤久は24歳、金田喜稔は22歳)、大幅な若返りを図り、84年のロサンゼルス五輪を狙う建て付けだった。とは言え、W杯予選、中国や北朝鮮と真剣試合を戦う直前、強化試合として釜本邦茂、今井敬三、藤島信男、小見幸隆、碓井博行と言った経験も実績も格段の選手達で構成される「日本代表シニア」と日本代表が戦ったのだ。これも1つの歴史である。ちなみにこの「シニア」で香港での予選を戦えばよかったのではないかとの…いや、違う、香港での予選、日本は金田、戸塚哲也、風間八宏の3人の技巧的中盤と木村和司の切れ味鋭い突破を、アジアで初めて披露する大会となったのだから。
 例えば、88年ソウル五輪予選(最終予選で日本は中国と事実上一騎討ち、敵地広州で守り勝ちし、ホーム国立で引き分ければ五輪出場だったが0-2で完敗し敗退)直前の87年4月、日本代表は「日本リーグ選抜」と国立競技場で準備試合を行い、0-1で敗れている。「日本リーグ選抜」は最終ラインを(代表に選考されなくなっていた)岡田武史が引き締め、中盤は(まだ日本に帰化していなかった)ラモスがリード。さらに「日本リーグ選抜」の最前線は藤代伸也、吉田弘、ガウショ、高橋真一郎と言ったJSLのトップストライカ達。一方、日本代表は経験豊富な原博実はさておき、手塚聡、浅岡朝泰、武田修宏と言った経験と技巧に乏しい選手達。毎週JSLを堪能している日本代表サポータとしては非常に複雑な思いを抱く試合だった。
 例えば、98年あのフランスW杯最終予選。初戦のカズ大爆発のウズベク戦の約10日前の97年8月、日本代表は「Jリーグ外国人選抜」と浦和駒場で準備試合を行い0-0で引き分けている。「外国人選抜」の主要メンバは、ジウマール、ブッフバルド、スコルテン、セザル・サンパイオ、バウド、エジウソン、エムボマら。これだけのスタア選手との試合だったが、日本代表の抱えているものが重すぎた。ブッフバルドらも、その重さは理解していたのか、花相撲とはほど遠い重苦しい試合で、0-0で終了した。

 この札幌の試合がどのような流れになるのか。各選手によい経験となり、我々サポータが存分に楽しめることを期待したい。いや、それは贅沢かもしれない。まずは、選手達に負傷がないことだけは祈りたい。
posted by 武藤文雄 at 00:50| Comment(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月26日

痛恨のあと1点

 1974年、西ドイツワールドカップの年だから、もう47年前になるのか。今60歳の私は、当時中学2年だった。日韓定期戦、日本は釜本邦茂の2得点などで、4-1の完勝。テレビ桟敷で完勝を堪能した私は、「韓国に勝つこともあるんだ、それも3点差だ」と、子供心にも素直に感動していた。
 しかし、その後もほとんど韓国に勝つことのできない日々が続く。あの赤いユニフォームを見る度の忌々しさ。その思いが経ち切られたのは、オフト氏が監督就任した92年。ダイナスティカップ(日本、韓国、中国、北朝鮮の4か国の大会)。日本(これまでこの大会で、万年最下位だった)は3チーム総当たりの上位2チームでの決勝の日韓戦、延長戦の2-2の死闘からPK戦でこの厄介な難敵を倒し、初優勝したのだ。以降、我々はアジア最強国の一角となり、この厄介な隣国とは互角の足の引っ張り合いを演じてきたのは、皆さんご存知の通り。

 今日の日韓戦、キックオフ直後から両国の戦闘能力差が明らかなのは、誰の目にも明らかとなった。韓国の中盤選手は、日本の前線からの組織守備を、まったく抜け出せないのだ。考えてみたら、孫興民が負傷で不在、聞いたことのない若い選手も多い。「神童だ」、「MVPだ」と、ワーワーうるさい日本テレビのアナウンサによると、かなりの選手が五輪代表世代とのこと、そうか一軍半なのか。一方、昨日も述べたように、日本はほぼベストメンバ。勝って当然の試合だったのだ。
 かくして日本の猛攻は続く。そして16分、日本の右サイドからの崩しを、韓国がしのいだところで日本が前線で集中守備、大迫の優美なヒールパスから、攻撃参加後居残りの形になっていた山根がフリーで抜け出し強烈に決め先制した。
 ここで韓国は理解に苦しむ策をとる。先制し、いったん落ち着いて引いてかまえる日本に対して、ボールを回し前に出てきたのだ。中盤の遠藤航と守田の体調は十分、さらに後方は冨安と麻也。韓国の一軍半が、前半体力が残っていて後方に引いた日本をそう簡単に崩せるわけがないではないか。おかげさまで、日本は逆襲速攻を楽しめた。うまく刈り取った速攻から、大迫が知的にキープし、右サイドから鎌田が抜け出す。2点差、よしよし。
 攻勢をとる時間帯に、しっかり点をとれるかどうかが勝負を左右するのがサッカーと言うものだが、猛攻の時間帯の先制、敵を引き寄せての追加点。理想の展開だ。ハーフタイムの時点で、この試合の興味は、日韓戦史上初めての4点差にできるかどうかに絞られた。47年前を思い起こしながら。

 後半も日本ペース。これだけ戦闘能力差があると、韓国がとれる手段は唯一。後方を固め、無理に攻めず、マイボールになったら丁寧にボールキープ。そうすれば、2点差の日本は無理にはボール奪取には行かない。そうやって時計を進めれば、交通事故を含めた好機も生まれる。しかし、韓国代表監督ベント氏は、この親善試合にそこまでリアリズムを持ち込まなかった。
 結果、日本はおもしろいように好機をつかみ続ける。南野、江坂、浅野らが決定機をつかむが、後半から起用された金承奎がすばらしいセーブを見せ、中々3点目が入らない。南野はペナルティエリア内で、実に冷静なプレイを見せて(魅せて)くれたのだが、2度の決定機をつかんだが、シュートは枠にいかなかった。江坂の連続シュートを金が防いだ場面の評価はレイソルサポータの方々にお任せしよう。そして、リードした試合終盤に、大迫に代えて高速浅野を起用するのは有効なことが示されたけれど、決めろよ!
 日本のピンチは2回あったが、すべてミスから。後方で韓国のプレスを外し、前線に出ようとする際に、左DFの佐々木、交代出場した小川が、中央に不用意なパスをしてしまったところから。もっとも、先発の佐々木は終始安定した守備を見せたし、佐々木に代わって起用された小川は幾度もよいクロスを上げた。長友がよい年齢になってきているだけに、このポジションは重要。小さなミスを丁寧に反省して欲しい。
 日本の3点目はようやく83分。江坂のCKから遠藤航がヘディングで決めたもの。麻也が敵DFを引き付け、その裏にフリーで入った遠藤が見事なヘディングを見せてくれた。江坂の正確なキックは言うまでもなし。
 その後も日本は落ち着いて韓国を揺さぶる。古橋が2回決定機を得たが決め切れず。特に古橋は、シュートのうまさに定評がある選手だけに決めてほしかったな。2022年日本がベスト8以上に行くためには多産系の点取り屋が欲しい。それに一番近いのが古橋だと期待しているのです。

 かくして、4点差にはならず試合終了。47年間抱き続けた夢はまた叶えられなかった。まあ、いいや。夢は叶わないから楽しいのだしw。
 もっとも、今日は相手が弱かったことwと、山根と鎌田がキッチリ点をとってくれたことで楽勝となった。しかし、先日のメキシコ戦のように、序盤攻勢をとっても決め切れず、かつ相手が強いと、事態は混迷化する。今はそう言った難度の高い問題を気にしてもしかたがないかもいれないな。まずは弱い相手を軽くひねり、4点差にできなかった悔しさを肴に飲むのが楽しいな。グワッハッハッハッハ!

 でも、4点差にしたかったな。浅野も古橋も励め!
posted by 武藤文雄 at 00:33| Comment(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月25日

日韓戦前夜2021

 明日は日韓戦。チケットを取り損ねTV桟敷での観戦となるが、この疫病禍下、しかたあるまい。日本協会サッカー後援会から「今回は後援会特典はなし」との連絡がなかったのは相当不満だが、これは別途。
 今回のA代表戦は、何があっても勝たねばならない日韓戦(これは親善試合)、普通に戦えばまず勝ち点3確保は間違いないW杯予選モンゴル戦(これは公式戦、もっとも無観客試合だが)となる。どちらの試合を優先するのかと言う野暮な議論を含めて。

 これまで散々森保氏をからかってきた私だが、今回のメンバ選考は納得している。麻也、冨安、遠藤航、伊東、南野、鎌田、大迫、この7人は、これまでの森保ジャパンで確固とした活躍を見せてきたいわゆる中軸選手たちを欧州から選考。現実的に今回の選考外でA代表中核的存在なのは、酒井宏樹、堂安くらいではないか(柴崎と久保の評価は難しいが)。そこに、Jで活躍している名手たちを加わる。さらに、ここ最近セルビアでボコボコ点をとっている浅野と、昨シーズンJを席巻した守田。

 疫病禍前だが、森保監督が五輪代表を兼任しているため、A代表と五輪代表に選考される選手が混合し、代表チームそのものが何が何だかわからなくなっていた。若く未経験な選手が、森保氏の兼任都合でA代表に選考されるのは健全ではない。そのような選手が登場すると、TV局は大喜びするが、A代表の権威は下がってしまう。
 加えて、森保氏は準備試合で、複数の選手を総とっかえする傾向があり、健全なバックアップ育成がうまくいっていなかった。特に圧倒的な存在感があるCFの大迫のバックアップは、いまだ確立していない。たとえば、19年アジアカップ、北川や武藤をバックアップと考えるならば、いかに南野と組み合わせるかを考えるべきなのだが、そのような準備はほとんど行われなかった。アジアカップ後も同様。南野と鎌田が欧州で充実したプレイを見せているが、大迫不在時に彼らを活性化する工夫は見せてもらえなかった。たとえば鈴木武蔵を起用しても、大迫と全く異なるスタイルの武蔵を活かそうとするやり方をねらっているようにはとても思えなかったのだ。

 また今回も上記のフラストレーションを繰り返されるのかもしれない。采配に切歯扼腕しながら、TV映像には淡々とメモをとる森保氏w、とか。それはそれで、この監督の楽しみ方なのだろう。代表監督が、思うような選手を起用しないストレスも、サッカーの重要な愉しみなのだし。
 一方で、上記した通り今回欧州からはせ参じてくれた7人は、森保氏に選考されれば、常に相応のレベルのプレイを見せてくれていた。彼らを軸に、中谷、山根、川辺、江坂、古橋と言ったタレントが組み合わされての活性化は本当に楽しみ(個人的には坂元の離脱が残念なのだが)。もちろん、浅野も守田も。しかも、こう言ったメンバで戦う相方が韓国なのだから、堪えられない。
 もちろん、不安もある。6日間でA代表と五輪代表は4試合をこなさなければならない。過去も森保氏は、このようなA代表と五輪代表の試合が錯綜する日程下では、ひどい戦績を残していることだ。まあ、いいや、よくないけれどw。

 毎週毎週底辺でもがくJも楽しいけれど、やはり代表戦もいいな。
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2020年10月04日

60歳になりました

 私事ですが。60歳になった。これまでの好きなサッカーを楽しめる人生、それを支えてくださった方々に、改めて感謝の言葉を捧げたい。

 思えば中学生になった折に何気なく始めたサッカーにはまり切って、50年近い月日を重ねたことになる。
 74年西ドイツ大会、中学2年。断片的な映像で見たヨハン・クライフ。その天才に対抗するフランツ・ベッケンバウアーと言う異才と、ベルディ・フォクツと言う究極の労働者。サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読んだ後のダイヤモンドサッカーでの映像確認、ある意味この経験が「サッカーを見る」と言う基本を身に着けるものとなったように思える。
 78年アルゼンチン大会、高校3年。多くの試合を深夜の生中継で堪能できました。マリオ・ケンペスの前進と、ダニエル・パサレラの闘志と、あの紙吹雪。数年後、日本サッカー狂会に入会した折に、あの紙吹雪を実体験した諸先輩の話を聞いた時の興奮と羨望。大会後の総評で、賀川浩氏の「要は中央突破するアルゼンチンと強烈なシュートのオランダが勝ち残ったわけや、サッカーは突破とシュートや」と言うコメントは、サッカーの本質を伝えていると思っている。大会中に襲われた宮城県沖地震の恐怖と併せての記憶として。
 82年スペイン大会、大学4年。西ドイツとオーストリアの下手くそな八百長。4年前の優勝チームにディエゴを加えたアルゼンチンの惨敗。黄金の4人のセレソンを打ち砕くパオロ・ロッシ(黄金の4人のうち2人が日本代表の、1人がトップクラブの監督を務めるなんて誰が想像しただろうか)。シューマッハの大ファウルを含めた西ドイツのつまらないサッカーにPK戦で散るプラティニ。そして、冷静に勝ち切るアズーリ。このイタリア代表の優勝により、サッカーに何より重要なのは知性なのだと、改めて理解することができた。
 86年メキシコ大会。社会人1年生。ある意味で日本が初めて参加した大会。自分で稼げるようになったのは重要だった。香港とソウルに行った。香港のアウェイゲーム、木村和司と原博美の得点での快勝。激怒した香港サポータに囲まれ、警官隊に保護されて1時間以上スタジアムに待機を余儀なくされた。ダイヤモンドサッカーで見たリアルなサッカーの戦いを実感でき、もう私はサッカーから離れられなくなった。10.26の木村和司のFK、そして翌週のソウルでの絶望。だから、本大会はずっと身近になった。水沼貴史を完封した金平錫が、ディエゴ・マラドーナをまったく止められなかった。そうか、ディエゴはやはり上手なのだとw。もっとも、都並敏史が対等に戦った辺柄柱が、結構アントニオ・カブリニを悩ませていたけれどね。
 90年イタリア大会。日本代表史に残る暗黒時代を形成したクズ監督。全盛期の加藤久を使わず、調子を崩していたとは言え木村和司も呼ばず。単調な試合を重ねて1次予選で北朝鮮の後塵を拝した。それにしても、ここで登場した井原正巳と加藤久でCBを組んでさえいれば、ほとんどの問題は解決したと思うのだが。この2人の連動を楽しむ機会を奪っただけでも、このクズ監督を私は許さない。ちなみに日本が出ないイタリア本大会、妻と私は3週間半休みをもらって堪能した。まだ子供がいなかったこともあるのですが。日本と世界トップレベルのサッカーの差は、ピッチ上の選手の能力差ではなく、周辺で選手たちを支える環境の差であることを痛感できた。
 94年USA大会。ドーハであんな経験できるなど、誰が想像しただろう。オムラムのシュートがネットを揺らした衝撃、ゴール裏では韓国やサウジの結果がわからないいらだち。でも、ドーハの前の信じられない歓喜を忘れてはいけないな。オフト氏就任から始まった快進撃、映像も何もなかったダイナスティカップの歓喜、あの広島アジアカップ。イラン戦、井原のパスから抜け出したカズの「魂込めた」一撃。中国戦、前川退場後の苦闘からのゴン中山の決勝点。攻守ともに完全にサウジを圧倒した決勝戦。日本がいない本大会が、あれくらい色褪せたものとは思わなかった。でも、井原や堀池が子ども扱いしていたサウジのオワイランがそれなりに活躍できたのだから日本のレベルが上々なのは確認できた、と負け犬の遠吠え。ブラジルとイタリアの重苦しい決勝戦。点が入らないサッカーがいかにおもしろいかを、改めて理解できたな、うん。
 98年フランス大会。あの幾度も幾度も絶望感に襲われた最終予選。それでも、井原とその仲間たちは諦めなかった。そしてジョホールバル、改めて思いますよ。幸せな人生だったと。だって、最も幸せな瞬間があの時だったと言えるのだから。本大会、トゥールーズのアルゼンチン戦前夜、現地で友人と一杯やりながらの「ああ明日ワールドカップで日本の試合を見ることができるのだ」と思ったときの高揚感、本大会での君が代、バティストゥータにやられた一撃、80分以降の反抗、こんな夢のような体験を味わってよいものかと。何人かの友人がチケット騒動の悲劇に見舞われたことはさておき。クロアチア戦での中山の逸機と、シューケルが川口を巧妙に破ったシュートもね。
 02年日韓大会。鬼才フィリップ・トルシェとの楽しい4年間。アジアカップの完全制覇。あの横浜国際のニッポン!チャ!チャ!チャ!勝ち。そして、森島スタジアムでの森島の先制弾。我が故郷宮城での凡庸な敗戦。敗戦後、学生時代のなじみの飲み屋、実家で父と飲んだやけ酒。故郷で絶望感を味わえるのだから、改めて堪能できた自分のためのワールドカップだった。それにしても、「ワールドカップで勝つ」と言う経験を味わうことができたのだから最高だった。
 06年ドイツ大会。まあジーコさんね。あのブラジル戦、玉田の得点に歓喜した10分後のアディショナルタイム、CK崩れからロナウドの巧緻な位置取りにやられた中澤佑二の「しまった!」と言う表情が忘れられない。ロナウドと言う世界サッカー史上最高級のCFと、中澤佑二と言う日本サッカー史上最高級のCB。私たちはここまで来ることができたのだ。もちろん、ジーコさんが率いた、中澤佑二や中村俊輔や川口能活が演じたあのアジアカップ制覇は忘れてはいいけないけれど。
 10年南アフリカ大会。病魔に倒れたオシム爺さん、でもアジアカップはもう少し何とかしてほしかったのですが。後任の岡田氏への大会前の自称サッカーライター達の誹謗中傷は、今思えば味わい深いな。カメルーン戦勝利後のオランダ戦。ほとんど完璧な組織守備を見せながら、スナイデルにやられてしまった。ある意味で、日本代表と世界のトップの差が見える化された瞬間だったかもしれない。しかし、デンマークには完勝、本田圭佑と遠藤保仁の美しい直接FKは、あの85年日韓戦の木村和司の一撃に感動した日本中のサッカー人の集大成と言えるようにも思えた。そして、パラグアイ戦。ある意味で私が若い頃から夢見ていた試合だった。ワールドカップ本大会で強豪と、相手のよさをつぶしまくる試合を行う。敗戦直後の選手たちの絶望的表情は感動的だった。
 14年ブラジル大会。当時の技術委員長原博美氏が契約したザッケローニ氏は、トレーニングマッチでメッシもいたアルゼンチンに快勝するなど景気よいスタート、続いて堂々アジアカップを制覇。その後も順調にチームを強化する。最終予選のホームオマーン戦は3-0の快勝だったが、精緻な崩し、まったくピンチを作らない守備、日本サッカー史に残る完璧な試合だった。順調に予選を勝ち抜いたのちの準備試合の敵地ベルギー戦、当方のミスからの失点はあったが、柿谷、本田、岡崎のビューティフルゴールで完勝。「とうとう欧州の強豪に敵地で完勝するレベルまで来た」感を味わうことができた。でも、本大会ダメだったのだよね。スポンサとの兼ね合いを含めたコンディショニング、本田や香川の過ぎた自己顕示欲など、色々要因があったが、難しいものだと、改めて思わされた。
 18年ロシア大会。86年地元メキシコ大会の英雄アギーレ氏は、メンバ選考の失敗などもあり、不運なアジアカップの準々決勝敗退。その後、曖昧な訴訟問題で退任となり、ハリルホジッチ氏が就任。ハリルホジッチ氏はよい監督だったし、本大会出場を決めた豪州戦は、長谷部、井手口、蛍のトレスボランチで完璧な試合を見せてくれた。しかし、大会直前謎の田嶋幸三判断で更迭後、西野氏が監督就任。酒井宏樹と長友と言う世界屈指の両サイドバック、長谷部と柴崎の知性あふれる中盤、乾、原口の強力な両翼、大迫と香川の独特のキープ、とそれぞれの一番得意なプレイを全面に押し出した美しいサッカーで、ベスト8直前まで行ったのだが。

 こう振り返ると、やはり楽しい人生だったなと思える。多くの友人が還暦誕生日の祝辞をくれたのだが、嬉しかったのは「これで人生ゼロ年からのリターンだね」との励ましだった。たしかにその通り、ヨハン・クライフとベルディ・フォクツの丁々発止から、まだ50年足らずしか経っていないのだ。サッカーには汲めども尽きぬ魅力がある。これからも、じっくりと味わっていきたいものだ。
 そう、まずは我がベガルタ仙台の七転八倒、サポータ冥利に尽きる苦闘など最高の快楽である。
posted by 武藤文雄 at 00:09| Comment(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月04日

アジア王者でないことには、耐えられないのだけれども

 まずは想いを語らせていただく。
 92年の地元大会で初戴冠して以降、2度も続けてアジア王者になり損ねる事態など、想定もしていなかった。我々は常にアジア最強であるし、あるべきだと確信している。それだけに、8年間の長きにわたり、アジア王者の地位から外れることへの衝撃は大きい。
 一方で、私はサッカーを心底愛している。そして、愛しているが故に、サッカーは常に理不尽さがつきまとい、「常に」がいかに難しいかは理解しているつもりだ。いや、この理不尽さがあるが故に、愛しているのだろうとも思う。
 そして、カタールに苦杯し、アジア王者を逸した悔しさは、7ヶ月前にロストフ・ナ・ドヌで味わったそれとは、また別なものだ。様々な悔しさに切歯扼腕できるのだから、サポータはやめられない。

 さて、決勝のカタール戦。序盤にエース、アリに見事なオーバヘッドシュートを決められ、開始早々から難しい試合となった。そして、この日の勝負の最大のポイントは、その後の時間帯、日本が漫然と攻めに出ていき、カタールの見事な速攻から2点差とされたことにあった。
 後半、2点差がついたこともあり、最終ラインを5DFで固めるカタール。それに対し、両翼を押し上げて猛攻をしかける。カタールの最終ラインが堅牢だったこと、2点差の焦りからかゴールラインから離れた場所からの単調なクロスが多かったこともあり、中々崩し切れない。しかし、大迫と南野の技術は格段で、狭いスペースでもターンできる。そのため、少しずつ日本の圧力が奏功し、カタールのラインが崩れ始める。そして62分に武藤を投入し圧力を高め、とうとう69分に南野が決め、1点差に。
 さらに日本は圧力を高め、残り時間での逆転も可能とすら思え始めた。しかし、カタールの速攻から与えたCKから、麻也が少々不運なハンド(敵のヘディングシュートが麻也の手に当たって方向が変わったのだから、これはハンドと判定されてもやむなし)。PKからまた2点差とされてしまった。
 ここで森保氏は、塩谷に代えて伊東を投入。この采配は完全な誤りだった。中盤でボールをよく拾っていた塩谷がいなくなり、カタールにボールキープを許すことになったからだ。伊東を投入するとしたら、堂安と代えるべきだったのではないか。突き放され苦しくなったのは確かだったが、それまでの時間帯は圧倒的に押し込んでいたのだから。さらに、準決勝からのインタバルが短かった影響もあっただろうが、カタールの中盤選手の足は止まりかけていた。前線に重心を置いた布陣は、結果的に日本の攻撃力を弱めてしまった。それでも日本選手たちはあきらめず、攻撃をしかけたが、そのまま2点差でのタイムアップとなった。

 上記したが、この日何より悔やまれるのは、先制を許した後、必ずしも前線からの守備が機能せず、思うような崩しができない状況で、漫然と前に出ていき、早々に2点差とされてしまったこと。思うように、ボールを奪えていない状況だったのだし、いっそ無理せず引いてしまって後方を固めるのも一手段だったはず。
 この大会、準決勝までの日本は、前半はもたつき気味の試合が多かった。前半に先制したのは、オマーン戦とサウジ戦のみ。他の試合では、前半は丁寧に守り、後半序盤にギアを入れてリードするのが基本のやり方だった。特に、準々決勝のベトナム戦、準決勝のイラン戦は、このやり方が非常にうまく行き、危ない場面は最終ラインでの連係ミスくらいだった。見世物としてのおもしろさはさておき、引いて守った際の日本の最終ラインの強さは相当なものだったのだ。
 W杯終了後、ほとんど強化の時間もなく、さらに国内選手がオフで行われる大会。森保氏には同情するところが多数ある。しかも、ロシア大会は、直前に意味不明の監督更迭劇が行われ、極めて短期的なチーム作りが行われた。したがって、今大会のようにイランやサウジのように、W杯に出場したチームで、そのままアジアカップに臨むことは難しかった。なので、森保氏は麻也、長友、酒井、原口、大迫と言った経験豊富な選手に、冨安、遠藤航、南野、堂安、(結果的に大会直前に離脱したが)中島と言った比較的経験の浅い選手を組み合わせたチームで、大会に臨んだ。そして、各選手の個人能力の高さで丁寧に守備を固め、勝負どころで各選手の個人技やアイデアで得点を決める。ライバル国の報道で「アジアの西ドイツ」と、お褒めの言葉をいただいたとの噂も聞いた。
 だから、このカタール戦も、先制されてしまったのは仕方がないが、前半は我慢すべきだった。カタールは、この大会に合わせて長期の準備を行ってきたわけだし、チームとしての連係が充実していることはこれまでの戦いぶりを見ていれば明らか。一方で、日程は中3日で当方が有利だったし、何より両国の国際実績は格段に勝っている。たとえリードを許したとしても、我慢してプレッシャをかけ続ければ、先方を精神的に追い込むことはできたはず。そして、90分間で追いつき、120分間で勝ち切ることを考えればよかったと思うのだが。実際、後半はあそこまで押しこむことができたのだし。
 同様に、上記の通り、1対3と突き放された時に、まだ10分も時間が残っているのに、塩谷に代えて伊東を起用し、中盤を薄くして無理攻めに出たのも疑問だった。

 この決勝戦、試合前から判明していた最大の問題は、中盤後方の選手の控えがいなかったことだ。元々、昨シーズン終盤に三竿が負傷、そして大会直前に守田が負傷で離脱。この時点で日本はオフになっており、Jリーガを呼ぶのは非常に難しく、UAEでプレイする塩谷を招集。さらにウズベク戦で青山が負傷し帰国。そして、準決勝のイラン戦では遠藤航が負傷し、とうとうこのポジションには、柴崎と塩谷の2人だけになってしまった。残念なことに、他のポジションの選手で、ここに起用できそうなのは冨安くらい(実際、遠藤航の体調が整っていなかった初戦のトルクメ戦で冨安が中盤でプレイしていたわけだが)。しかし、大会が進むにつれて、冨安はCBでチームの柱になってしまい、中盤での起用は考えづらくなっていた。
 もしかしたら、森保氏にも、選手たちにも、ここに控えがいないことから、120分間での勝負を避けたい思いが、潜在的にあったのかもしれない。

 唐突であるが、この負けっぷりで、ロシアの準々決勝、ブラジル対ベルギーを思い出したのは、傲慢と言うものか。あの試合、ブラジルは前半のベルギーの見事な組織攻撃に2失点。後半、圧倒的に押し込み、創意工夫を重ねたものの、どうしても追いつくことはできなかった(ネイマールがもう少し倒れなければ状況はずいぶん違ったかもしれないがw)。
 森保氏は限られた準備期間でよくやったと思う。やはり、この大事なアジアのタイトルマッチが、W杯の半年後、それも東アジア諸国の貴重なオフに行われることそのものを改革しないと、どうしようもない。これは日本協会首脳の仕事である。それでも、この悪環境下、上記の通り、若い選手に経験を積ませつつ、上位に進出、決勝でも、采配の拙さは感じられたものの、一時はカタールをサンドバック状態には追い詰めかけたのだから。
 ただ、氏が自ら状況を悪くしたこともいくつかあったのではないか。例えば交代の遅さ。多くの試合での交代は75分以降。フレッシュな選手不在なこともあり、スタメンから戦っている各選手の消耗を倍加させた印象が強い。大迫、遠藤航、そして離脱した青山についても、交代策をうまく使って消耗を減らしていれば、活躍の時間は増えたのではないかと、言いたくなる。
 また、直前の準備試合での北川の使い方のまずさも小言を唱えたくなる。特にベネズエラ戦やキルギス戦で、大迫や南野と一緒にプレイする時間を増やしておけば、もう少し連係も向上していたのではないか。
 決勝で堂安と心中したのも議論が分かれそう。私は、堂安が大好きで、欧州チャンピオンズリーグの常連クラブの中心選手になって欲しい、そしてその可能性は十分にあると思っている。なので、最後まで堂安に拘泥し、経験を積ませたことに賛同する。ただ、森保氏が五輪代表監督を兼任している以上、アジアカップより五輪を重視したのではないかと言われても仕方がない。

 カタールは中々のチームだったし、UAE、サウジと言ったアラブ諸国も、しっかりボールを保持し速攻に頼らないサッカーを見せた。ベトナムやタイも、伝統的な引き技を主体としたボールコントロールを、局地戦からビッチ全体に拡げることに成功していた。イラクの映像は見られなかったが、ウズベクは相変わらず技巧的な選手を多数輩出していた。もちろん、イランも韓国も豪州も、相当な戦闘能力を持っていた。
 中国を除いて、アジアのレベルが上がったものだと感心する。そして、我々がW杯を制覇するためには、アジアのレベルアップは必須なのだから、大いに結構なことだ。そのアジアの列強たちの中で、我々の存在感は相当なものだった。勝てなかったのは、悔しくて仕方がないが、上記の通りアジアカップの日程そのものが間違えているのだ。真の勝負は2022年の本大会での上位進出なのだし。

 以上、単なる負け惜しみでした。くそぅ。
posted by 武藤文雄 at 00:01| Comment(3) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

でも、勝ちたかった

 私は、CKを蹴る本田圭祐のはるか後方2階席にいた。
 本田のキックがやや甘く、ベルギーGKクルトワが飛び出し、パンチングではなく、キャッチしようとする体勢なのがよく見えた。クルトワが捕球する直前、聞こえるわけがないが、私は絶叫した。
「切り替えろ!」
 日本の選手達も同じ考えなのはよくわかった。しかし、赤いユニフォームの切替が、青い我々の戦士よりも、コンマ5秒ほど早いのも、よく見えた。その約10秒後、反対側のゴールで、若い頃からの夢が完全に実現するのを目の当たりにすることになる。そして、このコンマ5秒差こそ、ここ25年間ずっと抱き続けてきた「近づけば近づくほど、具体化されてくる差」そのものだったのだ。

 私のワールドカップリアルタイム?経験(実際には1日半遅れの新聞報道をワクワクして待って行間を夢見る日々だったが)は、クライフとベッケンバウアの西ドイツ大会から。大会終了後、サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読み込んだ折に、「4年前の70年大会はもっとすごかった」との報道を目にした。そこで、図書館に行き、70年当時の各新聞の縮刷版を調べることとした。そこで、知ったのは準決勝のイタリア対西ドイツの死闘。子供心にも思いましたよ。「いつか、このワールドカップに出る日本代表を見たい、そしてこのような死闘を演じるのを見たい」と。
 それから20余年、マラヤ半島の先端ジョホールバルと言う都市で夢は叶った。ただし、日本が、イタリア対西ドイツを演じることは中々難しかった。8年前、南アフリカでのパラグアイ戦は、それに近い戦いだった。ただ、相手が世界のトップと言えるかと言うと少々微妙だった。けれども、今回のベルギーは正に世界のトップレベル、優勝経験こそないが、プレミアリーグのエースクラスがズラリと並び、80年代は欧州でも最強クラスの実績を誇っていた歴史もある。そして、このロストフ・ナ・デヌと言うアゾフ海そばの美しい都市で、私の子供の頃からの夢は叶ったのだ。ワールドカップ本大会で、大会屈指の強国と丁々発止をすると言う夢が。
 本稿では、あの絶望的な最後の10秒間を含めた約95分間の至福の時間を、40余年のサッカー狂人生と共に振り返りたい。なお、ハリルホジッチ氏だったならば論と、西野氏への土下座については、別に書く。本稿は、あくまでも、あの試合への感情を吐露するまで。

 あのコンマ5秒差。これが、戦闘能力差、実力差なのだ。
 試合後、結果を見て、本田はコーナキックをもっとゆっくり蹴って時間を稼ぐべきだったとか、トップスピードでドリブルしてくるデ・ブライネを止められなかった山口蛍を責めるなどの議論があるようだ。
 あの時間帯でゆっくりCKを蹴ろうとすれば、主審がタイムアップの笛を吹くケースは結構ある。大昔だが、78年ワールドカップ1次ラウンドのブラジル対スウェーデンでアディショナルタイムにネリーニョのCKをジーコがヘディングで決めたが、キックの前に主審が試合終了の笛を鳴らしノーゴールとなったことがあった。最近でも、09年の南アフリカ予選、敵地ブリスベンの豪州戦で、当の本田がゴール前の直接狙えるFKに時間をかけ過ぎて蹴らせてもらえなかったことは、どなたもご記憶だろう。
 直前の本田の直接FKはすばらしい弾道を描いたが、クルトワに防がれた(何か、本田の有効な直接FKは、南アフリカデンマーク戦以来8年ぶりではないかとの感慨もあったが)。その直後のCKである。残り時間僅かな中、ベルギーにイヤな印象を与えているこのCKで難敵ベルギーを崩そうと言う考えは実に真っ当なものだ。しかし、「崩そう」からの切り替える早さで、完全にベルギーにやられてしまった。これは上記した通り、戦闘能力差、実力差なのだ、駆け引きの差ではない。日本の選手も、それなりに反応していたのだ。でも、どうしようもない差だった。
 勝負はデ・ブライネが完全に加速した時についていたのだ。あの加速し、さらに3方向にパスコースを持つデ・ブライネを、どうやって蛍に止めろと言うのか。カゼミーロならば、あるいは往年のフォクツや、当時のルールのジェンチーレや、昔年のドゥンガや、全盛期のマスケラーノや、もしかしたら今日のカゼミーロならば対応可能だったかもしれないが。いや、カンナバーロならば確実に止めていたかな。さらに蛍がファウル覚悟で対しても、あの加速は止まらなかったかもしれない。さらに、あそこで蛍が退場になったら10人で残り30分をあのベルギーと戦わなければならない。そして、残念なことに、蛍はマスケラーノでもカゼミーロでもない。できる範囲で、ディレイを試みた蛍は、正しかったのだ。それにしても純正ストライカのルカクがあそこでスルーをするとは。
 今の日本選手は、過去になく多くが欧州五大リーグ、あるいはそれに順ずるリーグの各チームで、中心選手として活躍している。欧州で実績を挙げながら、今回23人に残れなかった選手も多い。過去、ここまで多くの選手が欧州で評価された時代はなかった。それが今大会の好成績につながったのは間違いないだろう。けれども、残念ながら、欧州チャンピオンズリーグの上位常連クラブ(いわゆるメガクラブ)で中心選手となった、いや定位置をつかんだ選手はまだいない。一方、ベルギー代表はプレミア選抜のようなものだから。その差が出たとしか言いようのない10余秒だったのだ。
 ついでに言うと、今の日本選手では、あのような長駆型速攻は難しいようにも思っている。日本では、5から10mのごく短い距離のダッシュが得意な選手は多いが、数10mの距離は必ずしも速くない選手が多いからだ。もちろん、例外はあり、かつての岡野や最近の永井謙祐のようなタレントもいることはいるのだが。
 まったくの余談。韓国には、朴智星、孫興慜と言った日本選手よりもランクの高いクラブで活躍した選手がいる、車範恨、奥寺時代を含め、ちょっと悔しい。もっとも今大会韓国がどうだったのか、もうドイツ人除けば世界中の誰も覚えていないだろうけれども。

 2点差を守れなかったことについて。日本固有の課題もあったし、当方の準備不足もあった。
 少なくとも今の日本代表には、上記した選手の活躍の場の相違と言う「格の差」とは、別な課題がある。それは体格、体幹の差、フィジカルフィットネスの差だ。たとえば、今大会、ロシア、スウェーデン、アイスランドと言った国が、見事な組織守備で強豪と戦った。ロシアがスペインをPKで粉砕する試合は生で観戦する機会を得たし、プレイオフでイタリアがスウェーデンに屈する試合はテレビ桟敷で堪能した。このようなサッカーで、欧州や南米の列強に対抗するのは、今の日本には不可能ではないか。選手のフィジカルが違い過ぎるのだ。前述したロシア対スペイン、7万大観衆のロシアコールの下、疲労困憊したロシアイレブンの奮闘は感動的だったが、私は一方で羨望も感じていた。どの選手も大柄で、プレイイングディスタンスが広いのだ。後方に引いてブロックで守備を固め、ゾーンで網を張るやり方は、失点しないためには有効なやり方だ。けれども、今の日本では、ワールドカップでああ言ったやり方では守り切る事は難しい。疲労してくると、プレイイングディスタンスの限界から、ゾーンの網がほころびてしまうと思うのだ。なので、2点差となった後に、後方に引きこもった守備を行うのは、得策には思えない。
 もちろん、一方で日本は、ごく短い距離の速さや、相手の意表をつくドリブルや短いパスの名手が多く、ロシアやスウェーデンからすれば、我々を羨望するところではあろうが。
 試合後、一部の方々が、「フェライニ投入後に、植田を投入するべきだった」と述べている。しかし、フェライニが投入されたのは、65分だったのだ。残り25分(実際はどの試合もアディショナルタイムがあるので30分)、CBを増やした布陣、つまり前を薄くした布陣で、守り切れるとは思えない。残り5分くらいまで、1点差で行って、ベルギーがえぐるのを諦めて放り込み始めたならば、そのような選択肢もあっただろうが。
 では、どうすればよかったのか。採るべき手段は、ラインをまじめに上げて、コンパクトにして粘り強く戦う、つまり戦い方を変えないことしかなかったと思う。実際、フェライニ(とシャドリ)投入後、ベルギーが無理攻めを開始後は、前半以上に日本にも逆襲のチャンスも出てきた。香川のスルーパスから酒井が抜け出した場面で、もう少し中央との連係がとれていればとも思うではないか。すべてはお互いの攻守のバランスなのだ。
 そこで、今回のチームの準備不足問題に突き当たる。今回の日本代表はすばらしかったけれども、守備面では課題が多かった。過去のワールドカップでの大会別の平均得点と失点を以下まとめた(小数点1位で四捨五入)。
98年 0.3 1.3
02年 1.3 0.8
06年 0.7 2.3
10年 1.0 0.7
14年 0.7 2.0
18年 1.5 1.8
 今大会の得点力が他大会をより優れていたこと、一方で守備については過去と比較して普通だったこと、それぞれがわかる。失点については、2次ラウンド進出に成功した02年、10年はおろか、98年よりも悪くなっているのだ。しかも98年は、戦闘能力では大会随一と言われたアルゼンチンと、最終的にベスト4にたどり着くクロアチアと同じグループ。また、当時の日本人選手の個人能力も、02年以降と比べるとまだまだで(10代の頃からプロフェッショナルになろうと決心した選手が揃うのは、02年以降)、攻撃力はそこそこあるが守備力は怪しい選手も多かったのを、井原正巳の圧倒的個人能力でまとめた守備ラインだった。そして、今大会はそれよりも失点が多かったのだ。
 2点目の失点は現場では、逆側のゴールだったこともあり、何がまずかったのかはよくわからなかった。試合後、しっかり画像分析している方が整理してくれているのを見たが、選手間でラインコントロールでのずれがあったようだ。ある意味、今大会の守備ラインを象徴していると言えるだろう。そう考えると、1点目直前の混乱にしても、ポーランド戦の失点、セネガル戦の1点目など、守備者間の意思疎通がもう少しあれば防げたものも多かった。要は、守備選手同士の連係が不足していた訳である。
 現実的に西野氏に与えられた準備期間の短さを考えると、これはしかたがないようにも思う。この準備期間の短さ問題(つまりハリルホジッチ氏解任問題)については、別にまとめる。ただ、2失点を守れなかったことは、今回の過程で作られたチームの必然だったのかとも思う。
 余談ながら、やり方を変えず、最終ラインの連係が時に崩れたとしても、守備力を強化する手段として、「人を換える」と言う手段があったとは思う。しかし、これまた時間不足で、山口蛍や遠藤航を使った守備強化をする余裕がなかったのだろう。私が思いつくのは、槙野を香川に代えて左DFに投入、長友を左サイドMFに、乾をトップ下に回すくらいだろうか。あとは、一層の切り合いを目指し、香川か原口に代えて武藤を投入し右サイドを走らせるか。いずれにしても、リスクを含む手段であり、メンバを替えずに我慢する方が選択肢としては安全だったように思う。そう考えると、同点にされても80分まで我慢して、原口→本田、柴崎→蛍、と言う交替は、相応に合理的だったと思う。この交替については後述する。
 ここで、まったく無意味なIFを3つ語りたい。サポータの戯言である。もしボール奪取とボール扱いに両立した井手口がクラブ選択を誤らず、昨シーズン同様のプレイを見せてくれていれば。もし西野氏が、中盤前方での守備がうまい倉田秋を選んでいれば。そして、2シーズン前に世界最高の守備的FWとしてプレミアを獲得した岡崎の体調がベストであれば。

 一方で、今大会の日本の攻撃はすばらしかった。
 コロンビア戦。大迫は個人能力で敵DFを打ち破り、香川の一撃と併せ、早々にPKを奪った。本田の正確なCKからの大迫の完璧なヘッド。セネガル戦。柴崎の美しいロングパスを受けた、長友と乾の連係。大迫の妙技によるクロスからの岡崎らしいつぶれ(とつぶし)、本田の冷静さ。
 いずれの得点も、各選手の特長が存分に発揮された美しいもので、それぞれの場面の歓喜を思い起こすだけで、今でも目が潤んでくる。いずれも、日本の強みである、素早い長短のパスによるショートカウンタからのもの。短い準備期間で作られたチームが、次第に完成していくのがよくわかった。しかも、このようなサッカーは、日本中の少年サッカーで、毎週のように行われているものだ。言わば、よい意味での日本サッカーの特長が発揮されつつあったのだ。
 そしてベルギー戦。前半を耐え忍んで迎えた後半序盤の2発。柴崎のパスで抜け出した原口の妙技。香川との連係からの乾の一撃。いずれも、最高レベルのものだった。追いつかれた後も、我慢を重ね速攻をしかける。80分の本田、蛍の投入も、本田の守備面のマイナスを蛍がカバーし、柴崎がいなくなった攻撃力を本田の技巧で補完しようという意図は奏功しかけた。実際、終盤本田と香川の連係を軸にいくつか好機をつかめたのだし。

 一部に02年に互角に近い戦闘能力だったベルギーと、大きな差をつけられたことを悲観する方がいるようだ。けれども、ベルギーは80年代から90年代前半にかけては、ヤン・クールマンス、エレック・ゲレツ、エンリケ・シーフォと言ったスーパースタアを擁し、欧州屈指の強豪だった。そのような古豪が、02年の日本大会以降出場権を得られなかったことを反省し、若年層育成に合理的に取り組み、優秀な選手を多数輩出してきたと言うことだろう。我々の歴史や努力を卑下する必要はないが、先方は先方で大変な歴史の厚みを持っての成果なのだ。焦る必要はない。
 一方で、近づけば近づくほど、具体的になる差。その差を埋めるのは容易ではないことも間違いない。しかし、差が具体的に可視化されれば、たとえその道は遠くても、課題解決に進むことはできる。考え方は2種類ある。長所を伸ばすか、短所を解消していくか。
 今の日本の長所をさらに伸ばし高みを目指す行き方。もっともっと選手の技巧と判断力を高め、敵がどのような布陣を引いてきても、一定時間以上ボールキープができれば対抗は可能になる。ブラジルやアルゼンチンが何が起こっても、どのような相手でも、毅然としたサッカーを演じられるのは、そのためだ。
 ベルギーとの戦いを通じて、長駆型の速攻と後方に引いた守備の難しさを論じた。けれども、原口のように長距離の疾走後にもう一仕事ができるタレントが多数いれば、タッチラインを一気に走る抜ける速攻が可能になれるのではないか。酒井宏樹のように技術と判断力に加え体格にも優れたタレントが揃えば、ブロックを固める守備を世界の列強に対してやれるようになれるのではないか。
 いずれのやり方も、容易な道ではない。いや、「これは無理なんじゃないですか」とも言いたくもなるような話だ。しかし、ベスト8を、さらにその上を目指すと言うのは、そう言うことだろう。まだ我々には学ばなければならないことが無数にあるが、ここまで来られたから、その差が具体的になったのだ。
 焦らず、野心的に、粛々と上を目指し続けることは、楽しいことだ。

 一方で。
 冒頭で述べたように夢は叶った。そして、その叶った夢は、あまりに悲しく絶望的なものだった。
 以前も述べたが、ベスト8に入るためには、ベスト16に残らなければならない。それがいかに難しいことなのかは、我々は十分に経験している。だからこそ、今回のような好機が次にいつ訪れるのか、絶望的になる思いもある。あの不運な1失点目がなければ、本田のFKがもっといやらしく変化していれば、などと、今でも考えずにはいられない。
 しかし、過去も幾度か述べてきたように思えるが、思うようにならないから、サッカーは楽しいのだ。ドーハの悲劇について述べたことがある。誰かが命を落としたわけでも、傷ついたわけでも、多額の資産を失ったわけでもない。それでも、あれだけ悲しい思いを味わうことができるのだ。そして、またも。
 我ながら幸せな人生だと思う。このような経験を積むことができたことに、ただ、ただ感謝したい。ありがとうございました。

 でも、でも、勝ちたかった。
posted by 武藤文雄 at 23:31| Comment(2) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

ベルギー戦を前に

 6回連続出場、3回目の2次ラウンド進出成功。

3度の2次ラウンド進出は、アジア史上初めてのはずで、何とも誇らしい。サッカーに浸り切って40余年、私達はとうとうここまで来たのだ。

だからこそ、このベルギー戦は勝たなければならない。何としてもベスト8に進出すると言う、新たな成功体験を積むのだ。当たり前の話だが、ベスト8に進出するためには、ベスト16にまで到達するのが必要だ。そして、その必要条件を満たすまでが、いかに大変かと言うことを、我々は存分に経験している。そして、今回はその大変なことの実現に成功したのだ。この好機を活かさずしてどうするのだ。


確かにベルギーは強かろう。けれども、1次ラウンドを見た限りでは、各選手が圧倒的な個人能力の高さを誇るが、その連動性は十分にはしあがっていないように思えた。

いつものことだが、各選手が丁寧に位置取りを修正し続け、身体を張り、粘り強く対応することで、敵に提供する好機の数を減らすこと。柴崎に前を向かせる工夫を重ね、大迫が受けやすい状況を作り、乾と長友、原口と酒井宏樹を連動させること。これらをやり続ければ、活路は必ず開けるはずだ。

また、歴史的にベルギーとの相性はよいのだ。記憶頼りだが、敗れたのは昨年が初めてのはず。岡田氏の時はキリンカップで大差で、ザッケローニ氏の時には敵地で、それぞれ勝利している。もちろん、当時とはメンバが随分と異なるが、歴史的に見ても、我々の欧州国との相性は、南米よりは悪くないのだ。


ポーランド戦の終盤の戦い方が議論となっていると言う。これはこれで、けっこうなことだ。我々の論点はただ一つで、「セネガルが同点とするリスクをどう見たか」と言うことのみだ。私は現場にいて、セネガルの試合はスコア以外は何もわからず、西野氏の判断の是非をどうこう言える立場ではなかった。しかし、西野氏はしっかりと結果をつかんだ。現場の責任者が、己のリスクを掛け、その賭けに勝ったのだ。見事なものではないか。

ただ、我々サッカー狂とは異なる方々が、異なる視点でものを語るのは理解できなくはない。彼らは、我々と異なり、サッカー狂ではないのだから、「これでは面白くない」とか「このやり方が公正なのか」など、我々とは異なる視点からの意見もあるのだろう。多様な意見があるからこそ、世の中はおもしろいのだ。そして、ワールドカップと言う世界最高のお祭りは、このような多様なものの見方をする方をたくさん集めることができる。結構なことではないか。

彼らが、この機会にサッカーと言う底なし沼の魅力を持つ娯楽に触れてくれればそれでよい。そのうち何人かは、この底なし沼にはまってくれるかもしれないし。


また、大会直前の監督人事についても触れておこう。

私はあの更迭劇は、何ら合理性はなかったものと考えている。だからと言って、ここまでの西野氏の手腕を否定するのはおかしいだろう。確かに、ポーランド戦終盤、他力本願に追い込まれたのは、残念だった。けれども、いくつかの幸運をしっかりつかみ、不運を丹念にはね返し、西野氏はここまで我々を導いてくれた。これ以上、西野氏に何を望むのか。

以前よりしつこく述べて来たように、私は西野氏が大嫌いだ。だからこそ、この2次ラウンド進出と言う偉業を成し遂げてくれたことに対し、心より土下座し、感謝の念を捧げたいと思っている。この土下座行為については、大会後じっくりと作文したい。


ロストフ・ナ・ドヌと言う都市は、ドン川がアゾフ海に流れ込む河口近くの湿地帯。ロシアと言うよりは、地中海世界を思わす、キラキラした輝きにあふれる都市だ。

この美しい都市で、我々は偉業を達成する。そのスタジアムの片隅にいられることに、興奮を禁じ得ない。私は今から、長谷部とその仲間たちと共に戦い、歴史の一員となる。

posted by 武藤文雄 at 23:24| Comment(9) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする