2021年01月27日

高校選手権決勝2020-21

 決勝戦が点の取り合いからPK戦にもつれ込む激闘になった高校選手権。まずはこの疫病禍の下、無事大会を終えられたことに、関係者すべてに敬意を表したい。

 決勝戦。前半、戦闘能力的に優位を伝えられた青森山田に対し、山梨学院はみごとな対応を見せた。テレビ桟敷で見ていた限りでは、最前線でのフォアチェックと後方の分厚さと、両サイドの裏を突く速攻が両立。右サイドの裏を突き、逆サイドに振った展開から、広澤が絶妙なトラップから決め先制。余談ながら、山梨の先制点を決めた広澤は、我が少年団の教え子の中学時代のチームメートなのじゃw。そういう意味でこの一撃は嬉しいものだった。試合終了後に山梨長谷川監督が自慢していたが、センターバックの藤原をマンマークをする策だったのか。山田は急ぎ過ぎで単調な攻撃が目立ち、1-0のまま前半終了。
 しかし、ハーフタイムを経て青森は落ち着きを少し取り戻す。急ぎすぎた攻撃を改善し、アンカーの宇野がよくボールを触るようになる。当たり前の話だがセンターバックの球出しをフォワードが押さえに行けば、アンカーへのケアはおろそかになる。宇野は仕事が途切れない選手で、DFラインに入ってボールを受け、他のMFにさっさとボールを散らし、スルスルと後方に動きフォローする。その位置取りが絶妙で、山梨の激しいプレスがズレ始める。そして、ロングスロー崩れから57分に山田が同点に追いつく。
 さらに山田はしたたかさを見せる。山梨の先制点を決めた広澤がスパイクの交換のためピッチを去り1人少なくなった山梨の守備の薄さを突き、右サイドを崩し逆転したのだ。山梨にとっては痛恨のミス。
 勢いに乗って攻めかける山田の猛攻にさらされるも、山梨は丹念に守る。山梨で感心したのは、どんなに山田のプレッシャーがきつくても、ボールを奪って逆襲するのに無謀な縦パスを使わないこと。藤原を軸にした山田の中央守備は非常に強いので、安易な縦パスは山田にボールを再提供し連続攻撃にされ一層つらくなることを、山梨各選手が的確に理解していたわけだ。余談ながら、山梨は前々日の準決勝帝京長岡戦では、押し込まれた場面で大胆な縦パスをねらっていた。相手によって戦い方を変えられるのだから大したものだ。
 山梨の同点弾、素早くセットプレーをつなぎ、笹沼がいやらしいスルーパスで好機を演出、ゴールキーパーとセンターバックがそれぞれ必死に跳ね返そうとしてこぼれたボールを、冷静に野田が決め同点に追いついた。どんな厳しいプレッシャにさらされても、丁寧なパスをねらった山梨の面目躍如たるものがあった。
 追いつかれた山田は猛攻をしかける。セットプレーから藤原のシュートがポストを叩き、終了間際には仙石がグラウンダのクラスを全くフリーで外すと言う場面もあった。このあたりは、まあ運と言うものだろう。
 2-2のまま、試合は延長に入る。山田の選手達は、延長に入り最後の力を振り絞り、「前に前に」と進んだ。この山田のあくなき前進意欲は、山梨にとっては幸運だったと見る。結果的に山田の攻撃は単調なものとなり、この日大当たりだったGK熊倉と、集中を切らさない山梨の守備陣に読みやすいものになったのだ。この延長の20分間、山田の前線の各選手がもう少し冷静だったら、あそこまで「前に前に」ではなく、もっとゆっくり攻めることができたと思う。何より、山田にはボールを散らし、変化をつけることができる、宇野がいた。「前に前に」急ぐ選手の1人でも「このまま勢いで前進するより、宇野で一拍おいて変化を付けた方がよい」と気がつけば、延長の20分間に山田が得点するのはそれほど難しいことではなかったと思う。黒田監督もそのようなことは百も承知だったろう。けれども、どんな優秀な演出家がいても、踊りを踊るのは踊り子なのだ。PK戦時、大映しになる黒田監督の悔しそうな表情に、監督業の難しさを改めて感じた。
 PK合戦。おそらく両チームは、それぞれのキッカーの癖やGKの特徴など、綿密なスカウティングを行っていたはずだ。山梨がこの大会3回目のPK戦、私は山田優位かと思っていた。しかし、山田には「PKに持ち込まれてしまった」と言う思いがあり、山梨はよい意味で自己顕示力の強いGK熊倉がいた。

 戦闘能力と言う視点からすれば、山田はJユースを含めたこの年代では最強のチームの1つ、毎シーズンJリーグユースと伍してプレミアリーグでも上位を占めているのが、その証左。各選手のテクニック、局面の判断力、鍛えられたフィジカル、もともと素質に恵まれ、向上意欲も強い選手たちが、黒田監督の下よく鍛えられている。
 この強豪にいかに対するかが、この高校選手権の各チームの課題だったともいえる。山梨が見せてくれた答は簡単なもの、局面の技巧で対抗すると言うものだった(実施するのはとても簡単ではないのですが)。山梨は後方を固め、CBに厳しいプレスをかけて山田の展開を狭くした。その上で両サイドバックの裏を突いて速攻をかけ、敵陣に持ち出しても急がずに丁寧に崩しをねらった。先制点、逆サイドからのグラウンダのセンタリングを受けたときの広澤の正確無比なトラップ。2点目、バックラインとゴールキーパーの中間に通した笹沼のなんともいやらしいスルーパス、ボールがこぼれてきてフリーだったとは言え、ゴールカバーに入った藤原が処理しずらい頭の横をねらった野田の正確なシュート。もちろん、このやり方はリスクがあり、前線に人数をかけて崩しを狙えば、ミスが起こると逆襲速攻を食らう。それでも山梨は、このやり方を110分間やり切った。山田はそれでも、相当数回の決定機をつかんだがネットを揺らしたのは山梨と同じ2回にとどまった。もはや、そこはサッカーの神様の思し召しなのだろう。
 昨年決勝、セットプレーから0ー2とリードされた静岡学園は、伝統とも言うべき各選手の個人技で、山田のプレッシャーを外し終盤逆転に成功した。同じく昨年の準決勝、帝京長岡は各選手の技術であと1歩まで山田を追い詰めた。
 日本代表がブラジルやスペインに勝とうとするときの手段を示唆しているものだと思う。

 今大会もベスト4に進出した矢板中央のベンチには、あの帝京高校の名将古沼先生がいらした。一方山梨学院のベンチには、ミスター山梨サッカーとも言うべき横森先生がいらした。お二人が、70年代以降の日本サッカーを礎を築いてくださったことを言うまでもあるまい
 一方で青森山田の黒田監督が、着々と見事なチームと人材を輩出しているのは言うまでもない。さらには、長谷川監督のように教員の資格を持ちながら、色々なチームを適切に強化ししているプロの指導者もすばらしい。
 各チームが見せてくれた鮮やかな攻防に、改めて日本サッカー界の厚みを感じた高校選手権だった。
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2018年09月03日

李承佑の才気 −アジア大会2018準優勝−

 延長前半3分のことだった。左サイドから強引に切り込む孫興慜に対し、日本のDF陣は慎重に間を測る。孫興慜がもうワンタッチしようとした直前、突然中央から進出した李承佑が孫興慜からボールをかっさらう形でダイレクトで左足で強シュート。孫の動きに集中していた日本DF陣はブロックすらできず、好セーブを続けていた日本GK小島の反応も遅れ、ボールはネットを揺らした。
 日本のDF陣も、孫興慜がシュートに持ち込もうとするフェイントから、ラストパスを狙うことは予測の1つに入れていたはずだ。しかし、大エースのドリブルを強引に奪って,、別な選手がダイレクトシュートを狙うとは。日本守備陣はもちろん、孫興慜を含めた韓国選手たちも、李承佑を除いては誰もが予測だにしていなかった。正に見事なアイデア、完全にやられてしまった。あんな攻撃をされたら、世界のどのようなチームの守備網でも崩されてしまうだろう。いったい、李承佑はいつどのようなタイミングであのシュートを発想したのだろうか。
 それまでの90分+αを、韓国は個人個人の1対1の強さの差で、日本を押し込んでいた。けれども、フィニッシュが単調なこともあり、日本は粘り強く守っていた。特に、後半半ば以降は、韓国にも攻め疲れが見受けられ、日本も散発的に好機をつかめるようになってきた。たまらず、韓国の金鶴範監督は、この日ベンチに置いていた李承佑を起用するが、チーム全体に疲労感が漂っており効果的な攻撃にはつながらず、試合は延長戦へと進んだ。日本のねらい通りだったのだが。

 毎回のことだが、日本はこの大会に次回五輪用の年齢的にも若いチームで臨んでいる。さらに、シーズン真っ最中と言う悪条件が重なり、各クラブからは1名のみ選考。しかも、直前まで各選手はリーグ戦を戦っているだけに、準備合宿もままならなず、戦いながら、体調も連係も整えていく必要がある。
 1次ラウンドでは、真っ当な連係にほど遠い状態のチームで、どうなることかと思わせた。けれども、2次ラウンドに入り、状況は格段に改善。少しずつ連係も充実。チーム全体として守備をしっかり固め、苦しい場面は我慢を重ね、後半に敵の隙を突きリードを奪い勝ち切る堅実な戦いで、決勝進出に成功した。
 ただ、決勝戦のチームは満身創痍だった。上記延長で先制された時間帯も、フレッシュな交替選手を起用したいところだったが、森保監督はギリギリまで交替に消極的だった。これは、負傷や体調不良で使えない選手もいたのみならず、準決勝まであまり戦術的に機能しない選手もいたためだったようだ。
 優勝できなかったのは残念だが、日本好素材の若者たちが、年齢的に上の韓国に苦杯すると言う、願ってもない失敗経験を積むことができたのだ。いや、単なる失敗経験にはとどまらない。あそこまで粘り抜いたことで、あの李承佑の神業ゴールを呼び込んだのだ。小島も立田も原も板倉も、あの神業をどうやったら防げたか、今後のサッカー人生で悩みぬき、糧としてくれることだろう。これ以上何を望むと言うのだ。
 各選手にもよい経験になった。森保氏も五輪の準備を進めることができた。我々サポータもよい試合を多数楽しめた。と考えると、とてもよい大会だった。めでたし、めだたし。

 などと冷静に考えれらるわけないだろう。
 一両日たった今でも、李承佑に、完璧な才気を見せつけられた悔しさから脱することはできない。この若者は、弱冠20歳と言う。今後も我々を悩ませる厄介な存在になっていくことだろう。
 板倉よ。「李承佑にやられた決勝戦」の悔しさを忘れるな。
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2017年06月03日

南米との相性の悪さと未来への希望

 ユース代表は、2次ラウンド1回戦ベネズエラ戦、0対0で迎えた延長後半、CKから失点し悔しい敗退。

 今大会は、冨安のミスで敗退した大会と記憶すべきだろう。
 煮詰まった延長後半立ち上がりの敵CK、冨安は目測を誤り、ベネズエラ主将エレーラにフリーでヘディングシュートを許してしまった。110分間これだけタフな試合を繰り広げた上での判断ミス。集中力の欠如ゆえのミスだったが、冨安を攻める気持ちは一切ない。また、冨安がいなければ、我々はここまで勝ち残ることはできなかった。冨安の魅力は、1対1の強さ。特に、加速に乗って仕掛けてくる敵FWへの対応のうまさは格段で、順調に成長してくれれば、日本サッカー史最高の守備者にまで成長する可能性を持たせてくれた。つまり、現在の師匠である井原正巳を超える存在になるのではないかと。
 しかし、この悔しい試合では、肝心要の場面で、目測ミスから痛恨の失点を許してしまった。これだけの逸材なのだ。「冨安のミス」と、皆で明確に記憶し、捲土重来を期してもらうべきだろう。

 悔しいけれど、戦闘能力に僅かだが明確な差があった。一方で、このチームは、日本のの伝統的強さに新たな要素が加わった魅力があった。

 まず、悔しいが明確な差について。ベネズエラとの差は、歴史的に幾度も見てきた、典型的な南米強豪国との間に見られるものだった。
 元々我々は、南米勢とは、相性が非常に悪い。90年代半ば、日本が世界大会に常時出場するようになった以降、ワールドカップ、五輪、ワールドユースで、日本は南米のチームにほとんど勝っていない。アトランタ五輪のブラジル戦と、ナイジェリアワールドユー ス準決勝のウルグアイくらいではないか。この要因には、「絡みキープ力?」とでも呼ぶべきか南米独特の各選手の1対1のうまさと、勝負どころを見極める集中力の二つがあると思っている。

 まず前者の「絡みキープ力」。
 0対0で迎えた後半、ベネズエラはフォアチェックで日本DF陣に厳しいプレスをかけてきた。日本はこれを抜け出すことができず、ベネズエラに攻勢を許した。それでも、中山と冨安を軸に丁寧にしのぎ、それなりに意図的な逆襲を狙ってはいたが、有効な攻撃頻度は少なかった。
 少々乱暴な総論で語る。この日もそうだったのだが、南米の選手達は単純な1対1の競り合い、それも粘り強く身体を絡めてのキープがうまい。そして、その「絡みキープ力」と対すると、日本は持ち前のパスワークの精度が落ち、ペースをつかめなくなる傾向がある。
 欧州やアフリカが相手だと、南米ほど絡みキープが執拗でないため、よりパワフルな選手がいても、日本はパスワークで圧倒できることも多いのだが。ちなみに南米勢は、欧州勢との対戦では、欧州の単純なパワーの前に、絡みキープがうまくいかず苦戦することもある。まあ、このあたりは、ジャンケンと言うか、相性と言うものなだろう。
 南米勢と互角以上に戦うためには、こう言った絡みキープ力を高める必要がある。そのためには、はやり言葉で言うデュエルとかインテンシティとかだけではなく、純粋なボール扱いの技術、身体の使い方、ボールを受ける前の準備、競り合う中での判断など、多面的な強化が必要に思う。そして、そのためには、1対1で勝つための執着、創意工夫を必死に考える習慣付けが必要。これは、指導の現場と言うよりは、サッカーを語る我々が、「絡みキープ力」で勝てる選手を称え続けることが重要に思う。

  次に後者の勝負どころを見極める能力。
 後半、日本は粘り強くしのぎ続け、延長まで持ち込む。そして、延長に入るや、さすがにベネズエラに疲労が目立ち、日本も押し返せる時間帯が増えてきて、シメシメと思っていた。ところが、延長後半、キックオフから攻め込まれ、FKを奪われ、その流れからの連続CKから失点してしまった。しかも、悔しいことに、敵の精神的支柱のマークを当方の守備の大黒柱がし損ねての失点である。それにしても、ここでのキックオフ直後のベネズエラ各選手の集中力には感心した。
 南米勢との試合で、勝負どころで見事な集中や変化を付けられて、やられることは多い。この大会のウルグアイ戦の失点時もそうだった。昨年のリオ五輪でも、コロンビアに許した先制点は、当方の僅かな守備陣のミスを活かされたものだった。
 この感覚を、いかに若年層の選手たちに身につけてもらうか。陳腐な考えだが、若い頃から厳しい試合を経験してもらうしかないのではないか。具体的には、Jユース所属時代から、J2なりJ3のクラブにレンタルに出し、毎週末サポータに後押しされながら(場合によっては罵倒されながら)、勝ち点を1つでも積み上げる(多くのクラブでは、下位に近づかないようにもがく)経験だ。プリンスリーグや、U23でのJ3の試合では、このような経験は難しい。一番似ているのは、高校選手権になるが、これは勝ち抜き戦と言う構造から、多くの選手が経験できない欠点がある(もっとも、そのような欠点があるから、格段の難しさとなり、貴重な経験となるのだが)。

 一方で、今回のチームは、過去のユース代表と比較しても、実に魅力的だった。日本の伝統である、細かなパスワークも、粘り強い集団守備も高いレベルだった。いずれの試合でも、ペースを握った時間帯は、素早いパスワークが奏功し、変化あふれる攻撃を見せてくれた。特に市丸と三好は判断力と技術に優れたMF、この2人が遠藤保仁と中村憲剛の配下として、Jを戦っていることは非常に意味があると思っている。中山も非常に優れたCBで、落ち着いたカバーリングと精度の高いフィードは魅力的だった。久保については、色々な意味で標準外のところもあり、別に検討してみたい。
 ともあれ、今回のチームを魅力的にしていたのは、冨安と堂安だろう。
 冨安については、冒頭に述べた通り。この手の若年層大会で、ここまで格段の素材力を見せてくれたタレントはほとんど記憶にない。師匠の井原正巳は、当時に日本の戦闘能力の低さもあり、世界のトップレベルと対峙する権利を得ることができたのは20代後半になってからだった。対して、冨安は18歳でこれだけ鮮やかな失敗経験を積むことができた。前途洋々たる未来である。もちろん、ここから、大人の身体に育つときに今の強さと速さが維持できるか、ちょっと猫背気味の体型など、気になることもあるが、これだけのタレントがこれだけの経験を詰めたことを素直に喜びたい。
 そして堂安、あのイタリア戦の2得点で十分。日本サッカー史上最高の攻撃創造主と言えば、やはり中村俊輔と言うことなるだろう。そして堂安は、俊輔があれだけ気の遠くなるような努力を積んでもどうしてもできなかった、屈強な守備者をボールタッチと緩急の変化で突破する能力を18歳で身につけている。もちろん、贅沢を言えばキリがない。特に押し込まれたベネズエラ戦の後半に、ちょっと引いて市丸あたりとボールをキープして、試合を落ち着けて欲しかった。今の堂安の年齢で、A代表マッチでそのようなプレイを見せてくれたタレントは少なくない。ディエゴ・マラドーナとか、ミッシェル・プラティニとか、ネイマールとか。
 冨安にせよ、堂安にせよ、最大の課題は、いかに早く自分のクラブで絶対的な存在になるかだろう。自分のクラブで、いかに研鑽を積み続けられるか、期待していきたい。

 我々が多数の好素材を保有していることを再確認できる大会だった。そして、公式国際試合と言うものは楽しいものだと、再確認できた。よい時代はまだまだ続く。
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2017年05月28日

ワールドユース、まずは1次ラウンド突破

 ワールドユース(最近はU20ワールドカップと言うらしいが、この呼び名の方がずっと好きなので、あしからず)、グループリーグの無事突破が決定。
 いや、よかった、よかった。しかも、進出を決めたイタリア戦、序盤に2失点する最悪のスタートから巻き返し、堂安の鮮やかな個人能力による2得点で追いついたのだから堪えられない。
 加えて、試合終盤には、あのイタリアと相互忖度で試合をクローズさせたのだから、もう最高。単調な約15分間のすばらしさ、現地に行かなかったことを心底後悔した。
 さらに、これが土曜日の晩なのだから、酒が進むと言うものだ。

 しかもですよ。3試合とも先制点を奪われ七転八倒を余儀なくされたのだから、我らの若い戦士たちには格好の経験となった。
 もっとも、その失敗要因は、非常に悩ましいものだったが。南アフリカ戦は、いわゆる初戦の序盤の緊張。ウルグアイ戦は、小川の負傷退場に対する過剰な負の反応。そして、イタリア戦序盤の最終ライン調整のグズグズさ。ウルグアイ戦の2点目を除いた4失点はいずれも、こう言ったおかしくなった時間帯に奪われたもの。
 しかし、これらの失点後落ち着いた後は、(結果的にリードしている)敵は丁寧に守備を固めてきた。それにもかかわらず、日本は伝統のすばやいパスワークに加え、三好、堂安、久保の個人技で再三相手守備を崩すことができた。一方、前掛かりになったが故の敵の逆襲は、冨安の圧倒的な守備能力と中山の冷静な対応で、しっかり止めてしまう。
 これだけの能力の選手たちが、どうして上記のような不首尾を演じてしまうのか。

 自らへの過小評価のためではないか。そして、これこそ日本サッカー界の最大の欠点なのではないか。

 ウルグアイもイタリアも確かに強かった。しかし、落ち着いて戦っている場面を見れば当方の戦闘能力は何ら遜色がなかったのは、誰の目にも明らかだろう。先制を許してしまった後に、落ち着いて粘り強く自分たちのペースに引き戻せたのだから、選手達の精神力も大したものだ。
 そうこう考えれば結論は明らかではないか。あのような不首尾を演じてしまうのは、自分たちの能力に対する自信のなさなのだ。言い換えると、敵への過剰なリスペクト。
 そしてこれは、マスコミを中心にした周辺が「相手が強い、日本が弱い」と過剰に騒ぎ、「日本のあれがダメ、これがダメ」と騒ぎ立てることによるのではないか。
 誤解しないで欲しいが、私は別に日本代表がワールドカップに優勝できると言っているのではない。現実は厳しく、いまだ日本からは、欧州チャンピオンズリーグを制するようなチームで、コンスタントに活躍する選手を輩出はできていない。
 しかし、イタリアの守備者のすべてが日本の守備者より能力が高い訳でも、スペインの若年層育成組織のすべてが日本の組織より優れているわけではない、と言うことをいいたいのだ。実際、この試合では、イタリアの中盤選手達は堂安をまったく止められなかった。イタリアのFWは単身では冨安をまったく突破できなかった。
 だから、試合開始から選手達がもっと自らの能力に自信をもって戦っていれば、こんな苦しい戦いにならなかったと言いたいのだ。そして、そのためには、いたずらな自虐論はやめて欲しいのだ。もちろん、このユース代表のタレントたちが、欧州南米の同年代の名手たちに劣らない微分値の成長曲線を維持できるかどうかは、別な話なのだが。
 まずは、2次ラウンドで、腰を引かずに堂々と戦ってください。

 ともあれ、今日の堂安はすばらしかった。正直言って、南アフリカ戦でも、ウルグアイ戦でも、内山氏が、必ずしも本調子とは思えない堂安に最後まで拘泥した采配に疑問を感じていた。
 申し訳ありませんでした。私が間違っていました。
 あれだけ身体が伸び切った状態で、しっかりと空中でボールにミート。ペナルティエリアで3人を抜き去った後に、丁寧に内側の左足でボールにミート。クライフとディエゴだよな。クライフはインサイド、堂安はアウトサイドだったし、ディエゴの挙動開始点はハーフウェイライン、堂安はバイタルエリアだったけれどね。
 このまま、大会終了後、堂安はユベントスに行ってしまうのではないかとの思いはあるが、彼の将来はこれからなのは言うまでもない。1979年のディエゴとなるか、2005年のオランダのクインシーにとどまるか。
 まずは、2次ラウンドで、ディエゴへの道を歩んでください。

 改めて国際試合と言うものはおもしろいものだと感心するこの大会。
 そして、ここ最近、ワールドユース出場権を逸し続けたことは、日本サッカーの損失だとの意見をよく耳にした。正直言って、私はこれらの意見にはあまり賛同できなかった。もちろん、出場できれば、それに越したことはないし、選手達はすばらしい経験を積めたことだろう。けれども、出場権を得られなくとも、日本は常に五倫出場権をしっかりと獲得し、優秀な選手は次々にA代表に登場し続けている。ワールドユースに出られなくとも、致命的な損失はないのではないか、と私は考えていたのだ。
 しかし、今大会を見ると私は間違えていたように思う。やはり、ワールドユースの出場権を逸し続けてきたことは大きな損失だったのだ。なぜならば、我々サポータが、こんなおもしろいタイトルマッチを愉しむ機会を逸し続けてきたのだから。
posted by 武藤文雄 at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

ワシらが育てた

 あの歓喜から6年近い歳月が過ぎた。当時、私たちに最高級の歓喜を提供してくれた大柄主将J。地元の中学校でもよく活躍し、地域選抜などにも再三選考され、全国大会を狙える名門高校に進学した。かつての教え子Kと同じ高校の2年後輩となる。
 Jは入学後、病気で手術を余儀なくされるなどの不運もあったが、2年になりFWで定位置を確保しかけた。しかし定着できず、登録メンバから外れたり、DFにコンバートされるもうまくいかず等、必死の奮闘を続けたと言う。そして、この夏過ぎにはワントップで定位置を確保した。

 「Jの試合を観たい」と思い続けていたのだが、中々叶わなかった。ようやく、先週の高校選手権予選神奈川予選準決勝を観戦できた。Jは180cmを超える大柄な体躯、10から30mくらいの距離の疾走の抜群の速さを武器にしたストライカに成長。(小学校の時は今一歩だった)ヘディングも格段に向上していた。チームのやり方も、Jの動き出しを期待して、後方から長いボールを入れるのを狙いとしていた。ワントップのJは、ボールを奪われると敵DF、GKに執拗なチェーシング。Jが疾走を期待される距離は相当なものになる。チーム戦術は明確で、Jは持つところまで疾走を繰り返し、60分くらいで技巧派の控え選手と交代するやり方だった。
 準決勝の相手は、戦前の予想ではチーム全体の技巧では上回ると言われていた。さらに悪い事に開始早々にCBの連係の拙さを突かれ、後方からのロングボール一本で敵FWに抜け出され先制を許す。しかし、チームはその後結束し、Jへのロングボールを軸に、試合を「荒れ場」に持ち込む事に成功、互角の展開となる。そして、セットプレイからCBがヘディングで同点とし、さらに敵GKのミスを突いたJの得点で逆転。その後もセットプレイを活かし、同点弾を決めたCBが頭だけでハットトリックを演じ、4対2で快勝した。

 そして迎えた今日の決勝戦、三ツ沢競技場。
 何があっても勝ちたい、負けたくない両チーム。見ていても重苦しい試合は、どうしても蹴り合いとなる。ギクシャクした試合となったが、20分過ぎCKから準決勝ハットトリック男がまた強烈なヘディングを決めて先制に成功した。先制し一層チームが慎重に後方に引き、強引過ぎるロングボールを多用するために、Jは準決勝ほどは活躍できなかった。
 後半に入り、技巧的な選手を右サイドに集中させ崩しを狙ってくる敵に対し、引き過ぎのチームは苦戦する。たまらずベンチはJに代えて技巧的なFWを起用してキープ時間を増やそうとする。両軍の若者達の身体を張った死闘。試合はいつしか、完全な肉弾戦となり、足をつりながら戦う選手が続出する。終盤のCK時に敵はGKまでも上げて同点を狙ってくるが、当方も身体を張って対抗。「技術的見地からいかがか」と言う評価もあろうが、「戦い」と言う意味では我々サポータを最も熱狂させる試合。そして、主審は長い長い4分のアディショナルタイムの後、タイムアップの笛を吹いてくれた。
 1対0。Jとその仲間たちは、全国大会出場権を獲得した。

 教え子が全国大会に出てくれるなんて。夢の世界だ。

 バックスタンドに挨拶に来たJに向けて、サッカー少年団の酔っ払いコーチ仲間達が「J、ようやったああ!」と絶叫する。私たちに気が付いてくれたJは、両腕を上げ満面の笑顔を返してくれた。両眼が熱くなる。
 6年の歳月を経て、再びJは私たちに最高級の歓喜を提供してくれたのである。

 三ツ沢競技場のバックスタンドにはたくさんの知己がいた。
 Jの小学校時代からの同級生たち、その父親、母親たち、小学校の先生たち、もちろんKもいた。そして私たち酔っ払いコーチたち、いや私の妻までがサポータとして参戦し、この歓喜のお相伴を預かった。
 才能に恵まれ努力を惜しまない優秀な1人の若者が、ここまでたくさんの人々に幸せを提供してくれる。
 Jをここまで育てて下さった日大藤沢高校の指導陣の方々、Jを育んだご家族、Jのチームメートたち、そして何より日大藤沢高校の13番のJ、前田マイケル純に、最大限の感謝の言葉を捧げたい。

 おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
posted by 武藤文雄 at 18:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

京都橘の2トップ

 高校選手権の決勝は大雪で、19日土曜日に順延となった。妥当な判断だろう。あれでは、まともなサッカーにはならない。
 19日はセンタ試験、両軍の選手に受験者がいないとの事。さすがに応援する同級生には受験者もいるだろうし、同学年のエリートを生中継で観戦したい高校3年生も多数いる事だろう。けれども、人生と言うのはそう言うものだ。決勝を戦う若者達、試験と戦う若者達、それぞれの青春を満喫してもらいたいものだ。

 ともあれ、いささか遅くなったが、決勝の展望を。
 何よりも、京都橘の2トップを軸とした攻撃力だ。噂には聞いていたが、見ているだけでワクワクしてくる見事な攻撃だった。

 当たり前と言えば当たり前だが、ベスト4のチームの守備は皆見事なものだ。センタバックはヘディングは強いし、カバーリングへの理解も深い。サイドバックは速いし、押し上げもうまい。中盤のいずれの選手も守備の意識は高く、お互いの距離感も適切だ。そして、国立競技場と言う最高の舞台に立っているのだ、いずれの選手の献身も言うまでもない。
 このような堅牢な守備網を崩すのは容易ではない。しかも、各チームとも「まず守る」と言う意識からスタートしている。ために、前線に思うように人数を割く事ができないから、攻撃はどうしても薄くなる。すると、敵陣をこじ開けるためには、個々の選手のヒラメキや、セットプレイや、勝負どころで人数をかける攻撃などが必要となる。実際、星稜対鵬翔戦は2対2からのPK戦と、出入りの激しい試合となったが、その4点はいずれも上記のような、見た目が華やかな「見事な」得点だった。ただし、このような「見事な得点」と言うのは、結構な偶然に頼るものとなる。

 けれども、京都橘の攻撃は違う。明らかに準備された攻撃で、敵守備陣を崩し切る能力を持っている。
 話題となっている2トップの仙頭と小屋松は、2人ともボールの受け方がうまい。桐光のDFは相当厳しくマークしているのだが、動き出しのタイミングの工夫やちょっとしたフェイントで、後方からのフィードを適切に受け、振り向いてしまう。そして、2人共相当なレベルのシュート力を誇る。
 しかも、周囲の選手もこの2人の活かし方を心得ている。釋を軸にしたうまいボール回しで組み立て、引いて来た仙頭に(しかも仙頭がうまく前を向いた状態で)ボールを渡す。仙頭は前を向くと、いずれの場所からでも(敵陣でも自陣でも)迷わず敵陣に向けてドリブルを開始する。敵DFが前進を阻止しようとすると、独特の間合いから、30mくらいの射程の高精度なパスを絶妙なタイミングで繰り出せる。
 このパスを受ける小屋松が、上記のようにまた受けるのがうまい。うまく仙頭と距離をとり、絶妙な動き出しで加速し、トップスピードでボールを受け、そのまま敵陣を襲う。しかも、ドリブルのコース取りが心憎いばかりに巧妙。敵守備陣にカバーリングの余裕を与えない。さらに敵ペナルティエリアに入ってからの冷静さも大したもの。先制点の際に、強引に敵陣に割って入り桐光のDF3人を引きつけながら、後方で全くフリーの中野にラストパスを出した場面。2点目でやや幸運に抜け出しながら、慌てて寄せて来た敵DFを落ち着いて抜き去った場面。いずれにしても、大した度胸である。

 正直言って、桐光の準備の甘さには驚いた。京都橘の攻撃に対して、漫然とした対策をとっていなかったからだ。特に味方のパスを受けるために後方に引く仙頭を厳しく押さえに行かなかったのは、いかがなものか。結果、多くの場面で仙頭は自在に前を向いていた。また、小屋松の受け渡しの約束事もはっきりしていなかったようだ。特に小屋松が外に流れた際に、サイドバックと、小屋松に釣り出されたセンタバックの受け渡しが、はっきりとしていなかった。
 さらに、呆れたのは後半の守り方。前半に、あれだけやられておいて、後半は立ち上がりから攻撃しか考えていないような前掛りになった。結果として、京都橘は、おもしろいように逆襲速攻を連発。特に仙頭は、自在に動いて後方からのフィードを受けて前進。慌てた桐光守備陣は、ファウルで止めるしかなく、次々と警告を食らっていた。負けているからと言って、強力な攻撃力を持つ相手に、あそこまで無防備になってしまっては。桐光の守備の甘さは、京都橘が用意周到に守備を固めていたのとは対称的だった。京都橘は、執拗に桐光の攻撃の中核松井を執拗にチェックし、さらに自陣に相当な人数をかけて粘り強いカバーリングを継続していた。2トップの派手な活躍が話題となるが、後方の選手の集中力や献身も大したものだ。
 ただの邪推だが、桐光は日本テレビを中心とする首都圏マスコミに「優勝候補」と持ち上げられ、横綱相撲での優勝をしなければならない精神状態になってしまっていたのではなかろうか。結果、あれほど、厄介な2トップに対する守備が甘くなったのではないか。だいたい、桐光はプリンスリーグなどで、日頃からJクラブユースの強豪と戦った経験は豊富なはず。仙頭、小屋松よりも強力な攻撃タレントと相対した経験は豊富なはずなのだが。

 しかし、鵬翔は違うはずだ。
 元々、守備力を前面に押し立てて、ここまで勝ち上がって来たチームだ。京都橘の攻撃を押さえる事から試合に入ってくるはず。負傷上がりだったエースの中濱が、1週間の「延期」で、いっそう復調するだろう事もプラス材料だ。もちろん京都橘も小屋松の負傷の状態は悪かったようだから、この「延期」がどちらに幸いるかは、わからないけれど。
 いずれにしても、双方が守備を固め、負けない事から入る、堅実な決勝戦が愉しめそうだ。一般のリーグ戦のように、準々決勝以降、1週1試合のタイトルマッチを戦う事ができる「幸運」に恵まれた両チーム。よい試合を期待したい。
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2012年12月24日

ワシが育てた

 Kは坊主の幼稚園時代からの同級生だ。
 幼稚園時代、天気の悪い日などに、拙宅にKを含むガキ連中が遊びに来る。最初は殊勝にゲームなどをやっているが、そのうちに場外乱闘を含んだ大騒ぎになる。Kは常にその中心だった。

 坊主が小学1年になり、サッカーを始めてくれた。と言うか、私が始めさせた。当時、私は既にサッカーの必勝法を身につけていたので、当然坊主に伝授した。「いいか、チームメートがうまければ、必ず勝てる。だから、すばしっこくて元気な仲間を皆誘うのだ。」坊主は早速私の指示通りに行動、Kはサッカー少年団に入団した。
 場外乱闘指向は変わらなかったが、Kはサッカーが大好きだった。ちょっとヒントを与えると、それをスポンジのように吸収、飽きる事なくボールを蹴り続ける少年だった。
 Kは大胆にも、私の采配を直接批判した事がある。「武藤さんはよお、H(私の坊主)を贔屓にしている。俺はいつも後ろのポジションで、Hばかり前に使っているじゃん。」とKが私に抗議してきた。「いいかK。Hを前に使ってお前を後ろに使うと、ほとんど失点はないし時々得点は入る。でも逆にしたら、毎試合のようにたくさん失点する。どっちがよいと思う?」と、私は反撃した。「そうか、俺が後ろの方がいいんだ。」とKは素直に納得してくれた。かえって、「K、お前大丈夫か?」と心配になったのは秘密だ。

 Kは4年生くらいから、ベルマーレのスクールにも通うようになった。ベルマーレのコーチ陣は、私ではとても教えられない技巧を、Kに教えてくれた。たとえば、足先から10cmくらいの高さでのボールリフティングができるようになり、数百回軽く続けられるようになってくれた。
 公式戦でJリーグのプライマリチームと試合した事があり、当然のように大差で敗れた。Kは右バックをやっていたのだが、敵の左サイドアタッカが、Kが中央を見た瞬間後ろに下がりKの視野からいったん消え、再び飛び出して見事な得点を決めた。ベンチで見ていた私は、「やはりトップレベルの子供は違うもんだなあ」と感心していたのだが、当のKは完全にパニック状態。ハーフタイムに戻って来たKは、私の顔を見るなり「あいつ、消えたと思ったら突然出てきた、武藤さん、どうしたらいいんだ?」と聞いて来た。「消える相手なんて始めてだったろうが、この子は敵が消える事に気がつき、それを具体的に言葉にできるんだ」私は思わずKを抱きしめた。
 6年生の頃だったか。突然Kに聞かれた。「武藤さんは、いつも『適当に蹴らずにつなげ』って言うじゃん。でも、タッチライン際でボールを受けた時に、無理に中につなぐと、かえって危ないじゃん。それならば、縦に蹴る方が安全だと思う。」私は嬉しかった。「じゃあ、中に蹴る振りしてから、縦を狙ってみろ。」って、すぐ答を言いたかったのを、グッと我慢するのは最高だった。
 もっとも、拙宅での行動には、あまり進歩はなかった。すぐに拙宅の冷蔵庫を漁っては、私にボコボコにされていたのだが。

 Kも坊主も中学校のサッカー部に入った。私はKのコーチではなくなった。Kは中盤の大黒柱として、伸び伸び活躍していた。坊主はそのサポート。
 日曜日にKは拙宅に遊びに来る。さすがに、場外乱闘も冷蔵庫漁りもなくなっていた。突然Kが聞いて来た。「武藤さん、この間の試合見てたよね。俺は右から左に展開したかったのだけど、敵にカットされて、逆襲から点をとられた。あの時、どうしたらよかったんだろうか。」坊主と3人で、幾度も同じ場面を繰り返した。Kは気がついた。「そうか、最初に右からボールを受ける時に、一歩下がって視野を確保すればよかったんだ。」
 Kも坊主も、上々の成績で中学のサッカー生活を終えた。

 Kは、比較的最近高校選手権に出た事もある名門高校に、一般入試で合格した。Kはサッカー部に入部した。百人を越える部員、Kの高校サッカーは底辺からスタートした。妻とKのお母上は親しい。Kが毎晩遅くまで必死に練習しているとの話は、いつも耳にしていた。たまにKに駅で会う。私より20cm近く上背が高くなったKは、見違えるほど逞しくなっていた。
 今年の春先、駅で会った時に、ちょっとゆっくり話をした。私が「1軍に上がったんだって?」と聞いたら、「ようやくAチームで練習できるようになりました。」と答えてきた。「試合には出られそうか?」と私が問うと、「センタバックをやっているのですが、同じポジションにJのジュニアユース出身者が3人いるんです。ちょっと試合に出るのは厳しいんす。」と答えてくれた。「とにかく、頭を働かせて、頑張れ」と励ました。
 夏が過ぎた頃、Kが定位置を確保したとの話が聞こえて来た。そして、高校選手権予選が始まった。見に行きたかった。しかし、どうにも都合がつかない。それでも、Kのチームは着実に上位に進んでくれた。Kは完全に定位置を確保してたと言う。準々決勝直前、Kが練習で負傷し、戦線を離脱したと聞いた。Kの高校は準決勝まで進んだが、敗退した。Kは試合に出られず、涙を飲んだ事になる。Kの高校での公式戦を見る事が叶わなかった事は生涯の悔いとなるだろう。
 Kの高校の指導陣の方々に感謝したい。全く無名の中学校出身者にも、しっかり目を配り、適切な指導をしてくれたのだろう。よく、「高校サッカーは部員を集め過ぎてケシカラン」と言う批判を耳にする。それを全否定する気はないが、Kの活躍を聞くと、何が正しいかわからなくなる。
 そして、何よりもKに感謝。あの馬鹿餓鬼が、50歳を過ぎたサッカー狂に夢を与えてくれたのだから。
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2012年01月22日

エルゴラッソ 四日市中央工業高校 樋口士郎監督インタビュー

 毎年この季節になると、日本テレビの派手な演出に触発される事もあり、いわゆる「U18、高校生年代の強化がどうあるべきか」についての議論が盛り上がる。

 1月20日(つまり、昨日の金曜日)発売のエルゴラッソに掲載されている、(この世代を精力的に取材している事で定評のある)安藤隆人氏による四日市中央工業高の樋口士郎監督のインタビュー。これは、上記の議論への、非常に有効な材料となるものだ。U18強化に興味ある人は一読の価値がある。明日の日曜日までは、コンビニやキオスクでも販売されているだろうから、是非。
 見開き2ページに渡るこのインタビュー。最初1/6で今回の高校選手権を振り返り、真ん中の1/2で樋口氏の四日市中央工業高での監督振りを反芻、最後の1/3で氏の高校選手権への想いをまとめている。高校選手権に半生を賭けてきたこの男の発言は、深くて重い(「狭い」と言うツッコミは禁止します)。

 若い方々には、樋口氏の経歴はなじみが薄いものだろう。樋口氏が高校生だった時分の、高校選手権を振り返りながら、その経歴を紹介してみる。
 ずっと関西で開催されていた高校選手権を、日本テレビ系列が中継にするようになったのが70年代初頭の事。大会を盛り上げたい同局が「政治的手腕」でこの大会を首都圏に移動したのが、76ー77年大会だった。
 最後の関西大会を優勝したのは浦和南高。決勝では、エースの田嶋幸三の見事な2得点で、吉田弘、石神良訓がいた静岡工を下した。
 そして、翌年の最初の首都圏大会。浦和南が連覇。決勝で5対4で、井田勝通氏が率いた静岡学園を破った激闘が行われたのは、若い方々でもご存知かもしれない。1年生の、浦和南の水沼貴史、田中真二、静岡学園の森下申一らの活躍が話題となった。ちなみに、準決勝で浦和南にPK戦で敗れた帝京の主将は、佐々木則夫と言う男だった。
 そして翌年、浦和南の3連覇を阻止したのが、主将の樋口士郎率いる「彗星のように飛び出した」四日市中央工業高だったのだ。国立競技場で行われた準決勝、序盤で1対1となった試合、水沼を軸とした浦和南の猛攻を、長年日立の中核選手として大活躍する吉川亨(この選手は、四日市中央工業高が生んだ史上最高の選手ではなかろうか)、フジタで活躍するGK浜口らが丹念に守る(士郎の2年下の弟、靖洋も相応には活躍していた)。そして、我慢を重ねた四日市は終了間際、大エースの樋口が実に見事なドリブル突破から決勝点を決め、浦和南を突き放したのだ。翌日の決勝戦、準決勝に全てを注ぎ込んだ四日市は、宮内聡、金子久、早稲田一男らが3年生となっていた帝京に0−5で完敗した。しかし、この大会最も鮮烈な印象を残したのが、樋口士郎だったのは間違いない。大会後、あの辛口で定評のある岡野俊一郎氏をして、樋口を「久々に登場した大柄で技巧に富んだストライカ」と,高く評価させたのだから。
 当時、多くの高校の優秀選手が大学に進学する中(そして、多くの逸材が大学でその素質を無駄に費やしていた)、樋口は当時JSL2部の本田技研に加入。以降本田でも順調に活躍し、1部昇格にも貢献し、JSLでも好プレイを見せたが、日本代表にまでは至らなかった。選手生活の晩年、プロフェッショナリズムを指向する、浜松をホームタウンとするPJMフューチャーズ(つまり、ある意味でサガン鳥栖の前身とも言えるクラブだ、もちろん、「ある意味では」だけれども)に移籍するなどした以降、母校四日市中央工業高のコーチングスタッフに加わる。

 中西永輔、小倉隆史、中田一三を擁して全国制覇した3年後、樋口氏は城先生(今年の決勝戦、にこやかに応援している、元気な城先生の姿を見て、嬉しくなったのは私だけではないと思うのだが)から、指揮権を禅譲されたと言う。そのあたりのいきさつが、上記したこのインタビューの真ん中の1/2の導入部分となる。
 そして、何と言っても、その最大の読みどころは、この最後の1/3部分なのだ。一部を抜粋しよう。
ーやはり選手権は特別ですか。
「それはそうです。高円宮杯プレミアリーグにも、プリンスリーグにも、あの雰囲気はないですからね。(後略)」
(中略)
ー選手権自体はもっと大切にしていかなければいけない。
「もちろんです。選手権というものがあるからこそ、選手のメンタルが育つんです。『選手権はW杯と同じだ』と選手には常に言っています。郷土を背負って戦う、試合に出られなかったチームメートの想いを背負って戦う。(中略)日本代表が日の丸を背負って、サポーター、ファン、選ばれなかった選手の想いを背負って、感謝の気持ちを持ってピッチで君が代を聞くのと、国立で校歌を聞くのとは、まったく一緒なんです。選手権というのは、そういうものを教えてくれる場所なんだと思っています。」
ーそれは、ほかのすべての大会にないものですよね。
「絶対にないです。(後略)」

 樋口氏の見解を、必ずしも肯定しない。ただ、たとえば南アフリカの代表チームに、川口、遠藤、松井、大久保、俊輔、本田と、22人中6人、高校選手権準決勝以上進出者(国立出場者、高校時代に全国ネットのテレビにでた男)がいた事も確かだとは思う。

 だからこそ、繰り返すが、若年層強化に興味がある方々には、このインタビューを読んで欲しいと思う。
 また、いずれかの出版社が、樋口氏と比較的近い世代のサッカー人との対談を組んでくれないものかとも思う。たとえば、岡田武史氏、原博実氏、小林伸二氏、戸塚哲也氏、上野山信行氏、山田耕介氏、布啓一郎氏あたり。
 錯綜する課題の結論を、単純に述べる事は難しいのだ。
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2011年12月31日

君は聖和学園を見たか

 高校選手権1回戦、聖和学園対香川西。全くタイプの異なる(しかし双方の技巧と判断力も秀でている)この2チームの対戦をたっぷりと堪能した。今年最後の生観戦で、こんなすばらしい試合を観る事ができるなんて。

 わが故郷代表の聖和がドリブル主体の独特のサッカーをする事は前もって聞いていた。しかし、正直言って観るまでは、どのようなサッカーなのか想像できなかった。そして、そのサッカーは...
 
 本当に素晴らしいものだった。

 センタバックがドリブルで持ち上がる。サイドバックがドリブルで逆サイドに進出する。中盤選手がドリブルで前進しヒールで落とし、それを受けた別な中盤選手がまたドリブルで前身しまたヒールで落とし、それを受けたFWがドリブルで最終ライン突破を狙う。確かに執拗に皆がドリブルするのは確かだ。
 けれども、その執拗なドリブルは、明らかに敵を崩すための手段なのだ。全員が奔放にポジションチェンジをして、自由自在な場所に飛び出す。そして、執拗なドリブルで香川守備陣がバランスを崩した瞬間に、時にロングパスが、時にスルーパスが、時にクサビが入る。
 1人1人が皆独特の持ち方、間合いを持っているのはもちろんだが、この手のドリブル主体のチームにありがちなドリブルが目的化する事がない。執拗なドリブルは敵を崩すための手段なのだ。

 対する香川西がまた見事だった。フラットな4−4−2で、しっかりブロックを作り、丁寧に守る。簡単にボールを奪えないだけに、身体を当てて丹念に粘る。そして、ボールを奪うや、最前線にボールを当てて速攻を仕掛ける。聖和のポジションチェンジは奔放過ぎるので、ボールを奪われた瞬間はポジションが滅茶苦茶になっているので、香川の押し上げが素早いと、すぐに聖和の最終ライン勝負に持ち込む事が可能になる(これで、聖和がボールが奪われたところで、すぐに守備に切り換えてプレスかければバルセロナだが、さすがにそこまでは...)。そして、香川の各選手の技巧も十分に鋭く、かつプレイ選択の判断も的確。

 かくして、全くやり方、コンセプトが異なる2つの鍛え抜かれたチームが、がっぷり四つに組んだ好試合が展開され、前半40分はあっと言う間に終了した。

 全くの余談。聖和学園は、昔は女子校だった。女子サッカーの強豪として知っている方も多いだろう。
 個人的な思い出。聖和の女子サッカーを育てたのは国井先生と言う監督。実は国井先生は私の高校が聖和から比較的近くだった事もあり、一時我々の指導をしてくれた事があった(当時は聖和はまだ女子サッカーに取り組んでいなかった事もあり)。当時日体大を出たばかりの国井先生の指導は激烈そのもの。短期間ながら、質量ともに厳しい練習により勝利への執念を我々に叩き込んで下さった。はるか30数年前の思い出。だから、聖和と聞くと、私は、何とも言えない想いになるのだ。

 後半。香川は実に見事な意図的な守備で、聖和を苦しめる。
 前半終盤あたりから、2トップは聖和のDFにプレスをかけるのを止めた。聖和のCBに当たりに行き、そこで外されて攻撃にスイッチが入ってしまうのを防ぐためだろう。聖和CBが、ボールリフティングで、香川2トップを挑発するのはおもしろかったが。
 さらに、香川は聖和の引き球や横への揺さぶりにじっと我慢して、抜きに出た縦への動きにのみ足を出す事を徹底。これで、聖和は簡単には抜けなくなってしまった。こうやって書いてしまうと簡単だが、あれだけ聖和の選手が素早くボールを横に動かすのに対して我慢できたのは、香川の選手の「守備の1対1能力」が格段だから。
 加えて、当たりに行かなくなった2トップを下げて、最終ラインから前線までを30m程度にコンパクトにして、聖和の横パスを狙う。それも、パスの受け手がトラップした瞬間を狙う。このトラップの瞬間を狙うのは守備の基本だが、あれだけの個人技の相手にそれを実現できたのは、香川の選手の「守備の基本能力」が格段だから。
 そして、そのような的確な守備で、聖和ペナルティエリア近傍でボール奪取に再三成功、ショートカウンタからの揺さぶりで、後半序盤に香川が先制に成功した。
 先制以降も香川の上記守備は的確に機能し、聖和は前半のように攻め込めなくなる。さらに香川は、ボールを奪うや、全選手の整然とした連動性のある速攻で幾度も聖和陣を襲う。中盤選手がラフタックルで2回目の警告で退場になり、10人になっても、フラットな4−4−1を継続。香川ペースは変わらない。

 しかし、後半半ば過ぎ、聖和は見事なアイデアで、ペースを取り戻す。中盤後方のややプレスの緩い地点から、香川の浅い守備ラインの裏へのロングボールを使ったのだ。これは効果的だった。1度、これでGKと1対1の絶好機を掴むや、香川の守備ラインが下がり、それにより聖和のドリブルが再び有効になったのだ。
 以降は、聖和の猛攻を香川が耐える時間帯が続く。時にロングボールで後方を狙い、守備ラインが下がると、バイタルにクサビを差し込む。クサビを受けた選手は、振り向き様にいやらしいスルーパスを通す。両翼に飛び出した選手の存在をフェイントにして、強引な切り返しと独特のヒールで、中央突破を狙う。しかし、香川GKは飛び出しのタイミングがうまく、聖和の決定機をはばみ続ける。聖和も、ドリブルが得意のチームにありがちなのだが、ややシュートが遅い事もあり、崩し切れない。それでも、聖和は終了間際、交代出場したFWが、左サイドから強引に持ち出し強シュート、やや幸運気味にアウトサイドに当たったボールは、不規則なカーブがかかりネットを揺らした。同点。ドリブルで崩す意図を持ったチームが、最後の最後に単独ドリブルで崩す事に成功したのだ。

 PK戦。1人ずつ外した5人目。香川は大活躍のGKに蹴らせたが、宇宙開発。後攻の聖和は、この日大活躍の150cmの高橋が冷静に決めた。
 両軍の若者達が叡智の限りを尽くしたすばらしい試合だった。

 聖和のサッカーはあまりに魅惑的だ。聖和を観て、私が思い出したのは、89年李国秀氏が率いた桐蔭学園。長谷部、林、戸倉、栗原、福永を擁して見せてくれた魅惑的攻撃的サッカー。それに匹敵する魅力を感じたのだ。聖和の次の試合は、2日Nack5での近大附属戦。首都圏在住の方は(そうでない方も)可能ならば、観戦して欲しい。絶対観る価値のあるサッカーです。個人的事情で今年はどうしても仙台に帰省しなければならないのが、悔しいくらいだ。
 近大附はこの日、盛岡商に5−1で完勝している(盛岡はベガルタ入りが決まっている主将藤村が故障で欠場、大黒柱不在のためか、近大附の3トップを全く押さえる事ができず失点を重ねた)。聖和にとって、非常に難しい試合となるだろう。また、この魅惑的なサッカーは、現実的に勝ち抜き戦向きではないかもしれない。けれども、仙台出身者としての出身地愛とは別に、この魅惑的サッカーが全国の場で1試合でも多く観られる事を祈らずにはいられないのだ。
posted by 武藤文雄 at 22:15| Comment(7) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

U17、2次トーナメント進出

 ワールドジュニアユース、U17代表が堂々と1次リーグをトップで通過に成功。それもアルゼンチン、フランスと同じグループでのトップ通過なのだから、すばらしいではないか。ついでにジャマイカにしっかりと勝った事も、かつての甘酸っぱい思い出に浸る事ができて、それはそれでよかった。
 特にアルゼンチン戦の3得点がよい。右サイドの石原が見事な技巧で1対1を制したところからの先制点。CKからの植田の高さで完全に勝利したヘディングによる2点目。そして、敵の一瞬の隙をついた鈴木武蔵の敵の隙を突く突破からの3点目。たしかに、過去アルゼンチンはU20は滅法強いのに対し、必ずしもこの世代は格段に強くはない。そうは言っても、技巧と高さと狡さで、それぞれ上回って、このサッカー超大国に勝利したのだから、気持ちよい事この上なかった。

 さて、今回の2次トーナメント進出は93年の日本大会以来、18年ぶり、2回目と言う。
 あの1993年は、言うまでもなくJリーグ開幕年であり、ドーハの悲劇の年だ。元々、広告代理店の巧妙な販売促進政策が奏功し、大きく注目を集めていた日本サッカー界。それに加えて、前年秋にアジアカップを初制覇し、J開幕前には最終予選進出を決めた日本代表の前代未聞の好成績。Jはどんな試合でも満員売り切れ。あの年の日本サッカーは「異様」としか言いようのない雰囲気に包まれていた。
 その中で行われた大会。開幕戦のガーナ戦は国立で行われたのだが、試合前に「久しぶりに空席があるじゃないか」と友人と語り合ったのが忘れ難い。あの年のJは、国立開催の試合のほとんどがチケット売り切れ状態だったのだ。
 日本の戦いぶりもよかった。国見高校の小嶺先生に、読売クラブ出身の小見幸隆氏がコーチ(この2人の組み合わせを考えた人は誰なのだろうか、実に見事な組み合わせだった)の、まとまりのよいチームだった。初戦のガーナに敗れたものの、イタリアに引き分け、メキシコに勝って、準々決勝進出。準々決勝ではナイジェリアに敗れるが(決勝はガーナ対ナイジェリアだった)、非常に守備の強いチームだった。
 中でも忘れられないのは、3DFのセンタを務めた鈴木和裕のプレイ。抜群の反転の速さと、読みのよさ、さらに精神的な落ち着きで、全軍をリード。一緒に応援していた植田朝日が、ガーナ戦突然に、当時全盛期を迎えつつあった井原の応援歌の節で「スズキー、スズキ、スズキー」と歌い出したのも、忘れ難い想い出だ。
 鈴木はその後順調に成長、市立船橋3年次には主将として活躍し、圧倒的な強さで高校選手権を制覇。ジェフに加入し、すぐに3歳年上の中西永輔から右サイドバックの定位置を奪った。このまま、アトランタ五輪代表を経てA代表入りも望めるかと期待したのだが、そこから急に伸び悩み、大きく成長はしてくれなかった。確かにセンタバックとしてはやや小柄で、サイドバックとしてはスピードはあるが自分で持ち上がるプレイがあまりうまくなく、タッチラインの使い方にも課題があった。結局いずれのポジションをするべきか、迷っているうちに持ち味の読みのよさが失われてしまった感があった。それでも、ジェフ、サンガ、ホーリーホック、それぞれで見せてくれた、精神的にしっかりとしたプレイ振りは見事だったのだが。
 あの93年のすばらしかった鈴木のプレイを思い起こすたびに、若い選手の成長の難しさを考えてしまう。
 一方で大成した選手も多かった。鈴木の左右で3DFを構成したのは松田直樹と宮本恒晴。松田のフィジカルの強さと、個人戦術眼のよさは、この大会でも十分に見てとれた。宮本の冷静さは大したものだったが、反転の遅さと言う欠点もこの大会で確認できた。けれども、この選手は持ち味の冷静さを最大限に成長させ、選手にとって「長所を伸ばす」事の重要性を存分に見せてくれた。
 そして、中田英寿と財前宣之。右サイドを見事な技巧で突破していた中田、正確なプレースキックで好機を演出した財前(この大会はキックインがテスト導入され、それを活かそうとした日本が敵エンドでタッチラインを出たボール全てを財前に蹴らせたために、プレイされない時間がとても長くなった。そのため、キックインのつまらなさが理解され、この制度は導入されなかった)。この2人が、それぞれ4年後と8年後に、私の人生の中でも1番目と2番目と言っても過言ではない歓喜を味合わせてくれるとは、当時思ってもみなかった。

 さて、今回のチーム。この若さで、チーム全体として少々まとまり過ぎているのではないかとの想いがない訳ではない。しかし、アルゼンチンやフランスに対して、組織力のみならず個人のサッカー能力(技巧、判断、フィジカル)のいずれでも、ほとんど遜色なかったのだから、文句を言ってはバチが当たるというもの。以降も伸び伸びと戦い、1試合でも多くの成功体験を積んでくれる事を期待したい。
実はこの世代は、私の坊主の世代となる。坊主はサッカーからは離れてしまったが、今戦っている彼らは紛れも無く坊主の同年代の日本中のサッカー小僧から選ばれし若者達。そう考えると、一層思いは募る。79年のワールドユース日本大会は「自分の世代」の戦いに興奮したものだが、とうとう「坊主の世代」に興奮する年齢になってしまったか。うん、愉しみは尽きないな。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする