2014年11月08日

ワシらが育てた

 あの歓喜から6年近い歳月が過ぎた。当時、私たちに最高級の歓喜を提供してくれた大柄主将J。地元の中学校でもよく活躍し、地域選抜などにも再三選考され、全国大会を狙える名門高校に進学した。かつての教え子Kと同じ高校の2年後輩となる。
 Jは入学後、病気で手術を余儀なくされるなどの不運もあったが、2年になりFWで定位置を確保しかけた。しかし定着できず、登録メンバから外れたり、DFにコンバートされるもうまくいかず等、必死の奮闘を続けたと言う。そして、この夏過ぎにはワントップで定位置を確保した。

 「Jの試合を観たい」と思い続けていたのだが、中々叶わなかった。ようやく、先週の高校選手権予選神奈川予選準決勝を観戦できた。Jは180cmを超える大柄な体躯、10から30mくらいの距離の疾走の抜群の速さを武器にしたストライカに成長。(小学校の時は今一歩だった)ヘディングも格段に向上していた。チームのやり方も、Jの動き出しを期待して、後方から長いボールを入れるのを狙いとしていた。ワントップのJは、ボールを奪われると敵DF、GKに執拗なチェーシング。Jが疾走を期待される距離は相当なものになる。チーム戦術は明確で、Jは持つところまで疾走を繰り返し、60分くらいで技巧派の控え選手と交代するやり方だった。
 準決勝の相手は、戦前の予想ではチーム全体の技巧では上回ると言われていた。さらに悪い事に開始早々にCBの連係の拙さを突かれ、後方からのロングボール一本で敵FWに抜け出され先制を許す。しかし、チームはその後結束し、Jへのロングボールを軸に、試合を「荒れ場」に持ち込む事に成功、互角の展開となる。そして、セットプレイからCBがヘディングで同点とし、さらに敵GKのミスを突いたJの得点で逆転。その後もセットプレイを活かし、同点弾を決めたCBが頭だけでハットトリックを演じ、4対2で快勝した。

 そして迎えた今日の決勝戦、三ツ沢競技場。
 何があっても勝ちたい、負けたくない両チーム。見ていても重苦しい試合は、どうしても蹴り合いとなる。ギクシャクした試合となったが、20分過ぎCKから準決勝ハットトリック男がまた強烈なヘディングを決めて先制に成功した。先制し一層チームが慎重に後方に引き、強引過ぎるロングボールを多用するために、Jは準決勝ほどは活躍できなかった。
 後半に入り、技巧的な選手を右サイドに集中させ崩しを狙ってくる敵に対し、引き過ぎのチームは苦戦する。たまらずベンチはJに代えて技巧的なFWを起用してキープ時間を増やそうとする。両軍の若者達の身体を張った死闘。試合はいつしか、完全な肉弾戦となり、足をつりながら戦う選手が続出する。終盤のCK時に敵はGKまでも上げて同点を狙ってくるが、当方も身体を張って対抗。「技術的見地からいかがか」と言う評価もあろうが、「戦い」と言う意味では我々サポータを最も熱狂させる試合。そして、主審は長い長い4分のアディショナルタイムの後、タイムアップの笛を吹いてくれた。
 1対0。Jとその仲間たちは、全国大会出場権を獲得した。

 教え子が全国大会に出てくれるなんて。夢の世界だ。

 バックスタンドに挨拶に来たJに向けて、サッカー少年団の酔っ払いコーチ仲間達が「J、ようやったああ!」と絶叫する。私たちに気が付いてくれたJは、両腕を上げ満面の笑顔を返してくれた。両眼が熱くなる。
 6年の歳月を経て、再びJは私たちに最高級の歓喜を提供してくれたのである。

 三ツ沢競技場のバックスタンドにはたくさんの知己がいた。
 Jの小学校時代からの同級生たち、その父親、母親たち、小学校の先生たち、もちろんKもいた。そして私たち酔っ払いコーチたち、いや私の妻までがサポータとして参戦し、この歓喜のお相伴を預かった。
 才能に恵まれ努力を惜しまない優秀な1人の若者が、ここまでたくさんの人々に幸せを提供してくれる。
 Jをここまで育てて下さった日大藤沢高校の指導陣の方々、Jを育んだご家族、Jのチームメートたち、そして何より日大藤沢高校の13番のJ、前田マイケル純に、最大限の感謝の言葉を捧げたい。

 おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
posted by 武藤文雄 at 18:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月19日

京都橘の2トップ

 高校選手権の決勝は大雪で、19日土曜日に順延となった。妥当な判断だろう。あれでは、まともなサッカーにはならない。
 19日はセンタ試験、両軍の選手に受験者がいないとの事。さすがに応援する同級生には受験者もいるだろうし、同学年のエリートを生中継で観戦したい高校3年生も多数いる事だろう。けれども、人生と言うのはそう言うものだ。決勝を戦う若者達、試験と戦う若者達、それぞれの青春を満喫してもらいたいものだ。

 ともあれ、いささか遅くなったが、決勝の展望を。
 何よりも、京都橘の2トップを軸とした攻撃力だ。噂には聞いていたが、見ているだけでワクワクしてくる見事な攻撃だった。

 当たり前と言えば当たり前だが、ベスト4のチームの守備は皆見事なものだ。センタバックはヘディングは強いし、カバーリングへの理解も深い。サイドバックは速いし、押し上げもうまい。中盤のいずれの選手も守備の意識は高く、お互いの距離感も適切だ。そして、国立競技場と言う最高の舞台に立っているのだ、いずれの選手の献身も言うまでもない。
 このような堅牢な守備網を崩すのは容易ではない。しかも、各チームとも「まず守る」と言う意識からスタートしている。ために、前線に思うように人数を割く事ができないから、攻撃はどうしても薄くなる。すると、敵陣をこじ開けるためには、個々の選手のヒラメキや、セットプレイや、勝負どころで人数をかける攻撃などが必要となる。実際、星稜対鵬翔戦は2対2からのPK戦と、出入りの激しい試合となったが、その4点はいずれも上記のような、見た目が華やかな「見事な」得点だった。ただし、このような「見事な得点」と言うのは、結構な偶然に頼るものとなる。

 けれども、京都橘の攻撃は違う。明らかに準備された攻撃で、敵守備陣を崩し切る能力を持っている。
 話題となっている2トップの仙頭と小屋松は、2人ともボールの受け方がうまい。桐光のDFは相当厳しくマークしているのだが、動き出しのタイミングの工夫やちょっとしたフェイントで、後方からのフィードを適切に受け、振り向いてしまう。そして、2人共相当なレベルのシュート力を誇る。
 しかも、周囲の選手もこの2人の活かし方を心得ている。釋を軸にしたうまいボール回しで組み立て、引いて来た仙頭に(しかも仙頭がうまく前を向いた状態で)ボールを渡す。仙頭は前を向くと、いずれの場所からでも(敵陣でも自陣でも)迷わず敵陣に向けてドリブルを開始する。敵DFが前進を阻止しようとすると、独特の間合いから、30mくらいの射程の高精度なパスを絶妙なタイミングで繰り出せる。
 このパスを受ける小屋松が、上記のようにまた受けるのがうまい。うまく仙頭と距離をとり、絶妙な動き出しで加速し、トップスピードでボールを受け、そのまま敵陣を襲う。しかも、ドリブルのコース取りが心憎いばかりに巧妙。敵守備陣にカバーリングの余裕を与えない。さらに敵ペナルティエリアに入ってからの冷静さも大したもの。先制点の際に、強引に敵陣に割って入り桐光のDF3人を引きつけながら、後方で全くフリーの中野にラストパスを出した場面。2点目でやや幸運に抜け出しながら、慌てて寄せて来た敵DFを落ち着いて抜き去った場面。いずれにしても、大した度胸である。

 正直言って、桐光の準備の甘さには驚いた。京都橘の攻撃に対して、漫然とした対策をとっていなかったからだ。特に味方のパスを受けるために後方に引く仙頭を厳しく押さえに行かなかったのは、いかがなものか。結果、多くの場面で仙頭は自在に前を向いていた。また、小屋松の受け渡しの約束事もはっきりしていなかったようだ。特に小屋松が外に流れた際に、サイドバックと、小屋松に釣り出されたセンタバックの受け渡しが、はっきりとしていなかった。
 さらに、呆れたのは後半の守り方。前半に、あれだけやられておいて、後半は立ち上がりから攻撃しか考えていないような前掛りになった。結果として、京都橘は、おもしろいように逆襲速攻を連発。特に仙頭は、自在に動いて後方からのフィードを受けて前進。慌てた桐光守備陣は、ファウルで止めるしかなく、次々と警告を食らっていた。負けているからと言って、強力な攻撃力を持つ相手に、あそこまで無防備になってしまっては。桐光の守備の甘さは、京都橘が用意周到に守備を固めていたのとは対称的だった。京都橘は、執拗に桐光の攻撃の中核松井を執拗にチェックし、さらに自陣に相当な人数をかけて粘り強いカバーリングを継続していた。2トップの派手な活躍が話題となるが、後方の選手の集中力や献身も大したものだ。
 ただの邪推だが、桐光は日本テレビを中心とする首都圏マスコミに「優勝候補」と持ち上げられ、横綱相撲での優勝をしなければならない精神状態になってしまっていたのではなかろうか。結果、あれほど、厄介な2トップに対する守備が甘くなったのではないか。だいたい、桐光はプリンスリーグなどで、日頃からJクラブユースの強豪と戦った経験は豊富なはず。仙頭、小屋松よりも強力な攻撃タレントと相対した経験は豊富なはずなのだが。

 しかし、鵬翔は違うはずだ。
 元々、守備力を前面に押し立てて、ここまで勝ち上がって来たチームだ。京都橘の攻撃を押さえる事から試合に入ってくるはず。負傷上がりだったエースの中濱が、1週間の「延期」で、いっそう復調するだろう事もプラス材料だ。もちろん京都橘も小屋松の負傷の状態は悪かったようだから、この「延期」がどちらに幸いるかは、わからないけれど。
 いずれにしても、双方が守備を固め、負けない事から入る、堅実な決勝戦が愉しめそうだ。一般のリーグ戦のように、準々決勝以降、1週1試合のタイトルマッチを戦う事ができる「幸運」に恵まれた両チーム。よい試合を期待したい。
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2012年12月24日

ワシが育てた

 Kは坊主の幼稚園時代からの同級生だ。
 幼稚園時代、天気の悪い日などに、拙宅にKを含むガキ連中が遊びに来る。最初は殊勝にゲームなどをやっているが、そのうちに場外乱闘を含んだ大騒ぎになる。Kは常にその中心だった。

 坊主が小学1年になり、サッカーを始めてくれた。と言うか、私が始めさせた。当時、私は既にサッカーの必勝法を身につけていたので、当然坊主に伝授した。「いいか、チームメートがうまければ、必ず勝てる。だから、すばしっこくて元気な仲間を皆誘うのだ。」坊主は早速私の指示通りに行動、Kはサッカー少年団に入団した。
 場外乱闘指向は変わらなかったが、Kはサッカーが大好きだった。ちょっとヒントを与えると、それをスポンジのように吸収、飽きる事なくボールを蹴り続ける少年だった。
 Kは大胆にも、私の采配を直接批判した事がある。「武藤さんはよお、H(私の坊主)を贔屓にしている。俺はいつも後ろのポジションで、Hばかり前に使っているじゃん。」とKが私に抗議してきた。「いいかK。Hを前に使ってお前を後ろに使うと、ほとんど失点はないし時々得点は入る。でも逆にしたら、毎試合のようにたくさん失点する。どっちがよいと思う?」と、私は反撃した。「そうか、俺が後ろの方がいいんだ。」とKは素直に納得してくれた。かえって、「K、お前大丈夫か?」と心配になったのは秘密だ。

 Kは4年生くらいから、ベルマーレのスクールにも通うようになった。ベルマーレのコーチ陣は、私ではとても教えられない技巧を、Kに教えてくれた。たとえば、足先から10cmくらいの高さでのボールリフティングができるようになり、数百回軽く続けられるようになってくれた。
 公式戦でJリーグのプライマリチームと試合した事があり、当然のように大差で敗れた。Kは右バックをやっていたのだが、敵の左サイドアタッカが、Kが中央を見た瞬間後ろに下がりKの視野からいったん消え、再び飛び出して見事な得点を決めた。ベンチで見ていた私は、「やはりトップレベルの子供は違うもんだなあ」と感心していたのだが、当のKは完全にパニック状態。ハーフタイムに戻って来たKは、私の顔を見るなり「あいつ、消えたと思ったら突然出てきた、武藤さん、どうしたらいいんだ?」と聞いて来た。「消える相手なんて始めてだったろうが、この子は敵が消える事に気がつき、それを具体的に言葉にできるんだ」私は思わずKを抱きしめた。
 6年生の頃だったか。突然Kに聞かれた。「武藤さんは、いつも『適当に蹴らずにつなげ』って言うじゃん。でも、タッチライン際でボールを受けた時に、無理に中につなぐと、かえって危ないじゃん。それならば、縦に蹴る方が安全だと思う。」私は嬉しかった。「じゃあ、中に蹴る振りしてから、縦を狙ってみろ。」って、すぐ答を言いたかったのを、グッと我慢するのは最高だった。
 もっとも、拙宅での行動には、あまり進歩はなかった。すぐに拙宅の冷蔵庫を漁っては、私にボコボコにされていたのだが。

 Kも坊主も中学校のサッカー部に入った。私はKのコーチではなくなった。Kは中盤の大黒柱として、伸び伸び活躍していた。坊主はそのサポート。
 日曜日にKは拙宅に遊びに来る。さすがに、場外乱闘も冷蔵庫漁りもなくなっていた。突然Kが聞いて来た。「武藤さん、この間の試合見てたよね。俺は右から左に展開したかったのだけど、敵にカットされて、逆襲から点をとられた。あの時、どうしたらよかったんだろうか。」坊主と3人で、幾度も同じ場面を繰り返した。Kは気がついた。「そうか、最初に右からボールを受ける時に、一歩下がって視野を確保すればよかったんだ。」
 Kも坊主も、上々の成績で中学のサッカー生活を終えた。

 Kは、比較的最近高校選手権に出た事もある名門高校に、一般入試で合格した。Kはサッカー部に入部した。百人を越える部員、Kの高校サッカーは底辺からスタートした。妻とKのお母上は親しい。Kが毎晩遅くまで必死に練習しているとの話は、いつも耳にしていた。たまにKに駅で会う。私より20cm近く上背が高くなったKは、見違えるほど逞しくなっていた。
 今年の春先、駅で会った時に、ちょっとゆっくり話をした。私が「1軍に上がったんだって?」と聞いたら、「ようやくAチームで練習できるようになりました。」と答えてきた。「試合には出られそうか?」と私が問うと、「センタバックをやっているのですが、同じポジションにJのジュニアユース出身者が3人いるんです。ちょっと試合に出るのは厳しいんす。」と答えてくれた。「とにかく、頭を働かせて、頑張れ」と励ました。
 夏が過ぎた頃、Kが定位置を確保したとの話が聞こえて来た。そして、高校選手権予選が始まった。見に行きたかった。しかし、どうにも都合がつかない。それでも、Kのチームは着実に上位に進んでくれた。Kは完全に定位置を確保してたと言う。準々決勝直前、Kが練習で負傷し、戦線を離脱したと聞いた。Kの高校は準決勝まで進んだが、敗退した。Kは試合に出られず、涙を飲んだ事になる。Kの高校での公式戦を見る事が叶わなかった事は生涯の悔いとなるだろう。
 Kの高校の指導陣の方々に感謝したい。全く無名の中学校出身者にも、しっかり目を配り、適切な指導をしてくれたのだろう。よく、「高校サッカーは部員を集め過ぎてケシカラン」と言う批判を耳にする。それを全否定する気はないが、Kの活躍を聞くと、何が正しいかわからなくなる。
 そして、何よりもKに感謝。あの馬鹿餓鬼が、50歳を過ぎたサッカー狂に夢を与えてくれたのだから。
posted by 武藤文雄 at 00:19| Comment(4) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

エルゴラッソ 四日市中央工業高校 樋口士郎監督インタビュー

 毎年この季節になると、日本テレビの派手な演出に触発される事もあり、いわゆる「U18、高校生年代の強化がどうあるべきか」についての議論が盛り上がる。

 1月20日(つまり、昨日の金曜日)発売のエルゴラッソに掲載されている、(この世代を精力的に取材している事で定評のある)安藤隆人氏による四日市中央工業高の樋口士郎監督のインタビュー。これは、上記の議論への、非常に有効な材料となるものだ。U18強化に興味ある人は一読の価値がある。明日の日曜日までは、コンビニやキオスクでも販売されているだろうから、是非。
 見開き2ページに渡るこのインタビュー。最初1/6で今回の高校選手権を振り返り、真ん中の1/2で樋口氏の四日市中央工業高での監督振りを反芻、最後の1/3で氏の高校選手権への想いをまとめている。高校選手権に半生を賭けてきたこの男の発言は、深くて重い(「狭い」と言うツッコミは禁止します)。

 若い方々には、樋口氏の経歴はなじみが薄いものだろう。樋口氏が高校生だった時分の、高校選手権を振り返りながら、その経歴を紹介してみる。
 ずっと関西で開催されていた高校選手権を、日本テレビ系列が中継にするようになったのが70年代初頭の事。大会を盛り上げたい同局が「政治的手腕」でこの大会を首都圏に移動したのが、76ー77年大会だった。
 最後の関西大会を優勝したのは浦和南高。決勝では、エースの田嶋幸三の見事な2得点で、吉田弘、石神良訓がいた静岡工を下した。
 そして、翌年の最初の首都圏大会。浦和南が連覇。決勝で5対4で、井田勝通氏が率いた静岡学園を破った激闘が行われたのは、若い方々でもご存知かもしれない。1年生の、浦和南の水沼貴史、田中真二、静岡学園の森下申一らの活躍が話題となった。ちなみに、準決勝で浦和南にPK戦で敗れた帝京の主将は、佐々木則夫と言う男だった。
 そして翌年、浦和南の3連覇を阻止したのが、主将の樋口士郎率いる「彗星のように飛び出した」四日市中央工業高だったのだ。国立競技場で行われた準決勝、序盤で1対1となった試合、水沼を軸とした浦和南の猛攻を、長年日立の中核選手として大活躍する吉川亨(この選手は、四日市中央工業高が生んだ史上最高の選手ではなかろうか)、フジタで活躍するGK浜口らが丹念に守る(士郎の2年下の弟、靖洋も相応には活躍していた)。そして、我慢を重ねた四日市は終了間際、大エースの樋口が実に見事なドリブル突破から決勝点を決め、浦和南を突き放したのだ。翌日の決勝戦、準決勝に全てを注ぎ込んだ四日市は、宮内聡、金子久、早稲田一男らが3年生となっていた帝京に0−5で完敗した。しかし、この大会最も鮮烈な印象を残したのが、樋口士郎だったのは間違いない。大会後、あの辛口で定評のある岡野俊一郎氏をして、樋口を「久々に登場した大柄で技巧に富んだストライカ」と,高く評価させたのだから。
 当時、多くの高校の優秀選手が大学に進学する中(そして、多くの逸材が大学でその素質を無駄に費やしていた)、樋口は当時JSL2部の本田技研に加入。以降本田でも順調に活躍し、1部昇格にも貢献し、JSLでも好プレイを見せたが、日本代表にまでは至らなかった。選手生活の晩年、プロフェッショナリズムを指向する、浜松をホームタウンとするPJMフューチャーズ(つまり、ある意味でサガン鳥栖の前身とも言えるクラブだ、もちろん、「ある意味では」だけれども)に移籍するなどした以降、母校四日市中央工業高のコーチングスタッフに加わる。

 中西永輔、小倉隆史、中田一三を擁して全国制覇した3年後、樋口氏は城先生(今年の決勝戦、にこやかに応援している、元気な城先生の姿を見て、嬉しくなったのは私だけではないと思うのだが)から、指揮権を禅譲されたと言う。そのあたりのいきさつが、上記したこのインタビューの真ん中の1/2の導入部分となる。
 そして、何と言っても、その最大の読みどころは、この最後の1/3部分なのだ。一部を抜粋しよう。
ーやはり選手権は特別ですか。
「それはそうです。高円宮杯プレミアリーグにも、プリンスリーグにも、あの雰囲気はないですからね。(後略)」
(中略)
ー選手権自体はもっと大切にしていかなければいけない。
「もちろんです。選手権というものがあるからこそ、選手のメンタルが育つんです。『選手権はW杯と同じだ』と選手には常に言っています。郷土を背負って戦う、試合に出られなかったチームメートの想いを背負って戦う。(中略)日本代表が日の丸を背負って、サポーター、ファン、選ばれなかった選手の想いを背負って、感謝の気持ちを持ってピッチで君が代を聞くのと、国立で校歌を聞くのとは、まったく一緒なんです。選手権というのは、そういうものを教えてくれる場所なんだと思っています。」
ーそれは、ほかのすべての大会にないものですよね。
「絶対にないです。(後略)」

 樋口氏の見解を、必ずしも肯定しない。ただ、たとえば南アフリカの代表チームに、川口、遠藤、松井、大久保、俊輔、本田と、22人中6人、高校選手権準決勝以上進出者(国立出場者、高校時代に全国ネットのテレビにでた男)がいた事も確かだとは思う。

 だからこそ、繰り返すが、若年層強化に興味がある方々には、このインタビューを読んで欲しいと思う。
 また、いずれかの出版社が、樋口氏と比較的近い世代のサッカー人との対談を組んでくれないものかとも思う。たとえば、岡田武史氏、原博実氏、小林伸二氏、戸塚哲也氏、上野山信行氏、山田耕介氏、布啓一郎氏あたり。
 錯綜する課題の結論を、単純に述べる事は難しいのだ。
posted by 武藤文雄 at 00:11| Comment(6) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

君は聖和学園を見たか

 高校選手権1回戦、聖和学園対香川西。全くタイプの異なる(しかし双方の技巧と判断力も秀でている)この2チームの対戦をたっぷりと堪能した。今年最後の生観戦で、こんなすばらしい試合を観る事ができるなんて。

 わが故郷代表の聖和がドリブル主体の独特のサッカーをする事は前もって聞いていた。しかし、正直言って観るまでは、どのようなサッカーなのか想像できなかった。そして、そのサッカーは...
 
 本当に素晴らしいものだった。

 センタバックがドリブルで持ち上がる。サイドバックがドリブルで逆サイドに進出する。中盤選手がドリブルで前進しヒールで落とし、それを受けた別な中盤選手がまたドリブルで前身しまたヒールで落とし、それを受けたFWがドリブルで最終ライン突破を狙う。確かに執拗に皆がドリブルするのは確かだ。
 けれども、その執拗なドリブルは、明らかに敵を崩すための手段なのだ。全員が奔放にポジションチェンジをして、自由自在な場所に飛び出す。そして、執拗なドリブルで香川守備陣がバランスを崩した瞬間に、時にロングパスが、時にスルーパスが、時にクサビが入る。
 1人1人が皆独特の持ち方、間合いを持っているのはもちろんだが、この手のドリブル主体のチームにありがちなドリブルが目的化する事がない。執拗なドリブルは敵を崩すための手段なのだ。

 対する香川西がまた見事だった。フラットな4−4−2で、しっかりブロックを作り、丁寧に守る。簡単にボールを奪えないだけに、身体を当てて丹念に粘る。そして、ボールを奪うや、最前線にボールを当てて速攻を仕掛ける。聖和のポジションチェンジは奔放過ぎるので、ボールを奪われた瞬間はポジションが滅茶苦茶になっているので、香川の押し上げが素早いと、すぐに聖和の最終ライン勝負に持ち込む事が可能になる(これで、聖和がボールが奪われたところで、すぐに守備に切り換えてプレスかければバルセロナだが、さすがにそこまでは...)。そして、香川の各選手の技巧も十分に鋭く、かつプレイ選択の判断も的確。

 かくして、全くやり方、コンセプトが異なる2つの鍛え抜かれたチームが、がっぷり四つに組んだ好試合が展開され、前半40分はあっと言う間に終了した。

 全くの余談。聖和学園は、昔は女子校だった。女子サッカーの強豪として知っている方も多いだろう。
 個人的な思い出。聖和の女子サッカーを育てたのは国井先生と言う監督。実は国井先生は私の高校が聖和から比較的近くだった事もあり、一時我々の指導をしてくれた事があった(当時は聖和はまだ女子サッカーに取り組んでいなかった事もあり)。当時日体大を出たばかりの国井先生の指導は激烈そのもの。短期間ながら、質量ともに厳しい練習により勝利への執念を我々に叩き込んで下さった。はるか30数年前の思い出。だから、聖和と聞くと、私は、何とも言えない想いになるのだ。

 後半。香川は実に見事な意図的な守備で、聖和を苦しめる。
 前半終盤あたりから、2トップは聖和のDFにプレスをかけるのを止めた。聖和のCBに当たりに行き、そこで外されて攻撃にスイッチが入ってしまうのを防ぐためだろう。聖和CBが、ボールリフティングで、香川2トップを挑発するのはおもしろかったが。
 さらに、香川は聖和の引き球や横への揺さぶりにじっと我慢して、抜きに出た縦への動きにのみ足を出す事を徹底。これで、聖和は簡単には抜けなくなってしまった。こうやって書いてしまうと簡単だが、あれだけ聖和の選手が素早くボールを横に動かすのに対して我慢できたのは、香川の選手の「守備の1対1能力」が格段だから。
 加えて、当たりに行かなくなった2トップを下げて、最終ラインから前線までを30m程度にコンパクトにして、聖和の横パスを狙う。それも、パスの受け手がトラップした瞬間を狙う。このトラップの瞬間を狙うのは守備の基本だが、あれだけの個人技の相手にそれを実現できたのは、香川の選手の「守備の基本能力」が格段だから。
 そして、そのような的確な守備で、聖和ペナルティエリア近傍でボール奪取に再三成功、ショートカウンタからの揺さぶりで、後半序盤に香川が先制に成功した。
 先制以降も香川の上記守備は的確に機能し、聖和は前半のように攻め込めなくなる。さらに香川は、ボールを奪うや、全選手の整然とした連動性のある速攻で幾度も聖和陣を襲う。中盤選手がラフタックルで2回目の警告で退場になり、10人になっても、フラットな4−4−1を継続。香川ペースは変わらない。

 しかし、後半半ば過ぎ、聖和は見事なアイデアで、ペースを取り戻す。中盤後方のややプレスの緩い地点から、香川の浅い守備ラインの裏へのロングボールを使ったのだ。これは効果的だった。1度、これでGKと1対1の絶好機を掴むや、香川の守備ラインが下がり、それにより聖和のドリブルが再び有効になったのだ。
 以降は、聖和の猛攻を香川が耐える時間帯が続く。時にロングボールで後方を狙い、守備ラインが下がると、バイタルにクサビを差し込む。クサビを受けた選手は、振り向き様にいやらしいスルーパスを通す。両翼に飛び出した選手の存在をフェイントにして、強引な切り返しと独特のヒールで、中央突破を狙う。しかし、香川GKは飛び出しのタイミングがうまく、聖和の決定機をはばみ続ける。聖和も、ドリブルが得意のチームにありがちなのだが、ややシュートが遅い事もあり、崩し切れない。それでも、聖和は終了間際、交代出場したFWが、左サイドから強引に持ち出し強シュート、やや幸運気味にアウトサイドに当たったボールは、不規則なカーブがかかりネットを揺らした。同点。ドリブルで崩す意図を持ったチームが、最後の最後に単独ドリブルで崩す事に成功したのだ。

 PK戦。1人ずつ外した5人目。香川は大活躍のGKに蹴らせたが、宇宙開発。後攻の聖和は、この日大活躍の150cmの高橋が冷静に決めた。
 両軍の若者達が叡智の限りを尽くしたすばらしい試合だった。

 聖和のサッカーはあまりに魅惑的だ。聖和を観て、私が思い出したのは、89年李国秀氏が率いた桐蔭学園。長谷部、林、戸倉、栗原、福永を擁して見せてくれた魅惑的攻撃的サッカー。それに匹敵する魅力を感じたのだ。聖和の次の試合は、2日Nack5での近大附属戦。首都圏在住の方は(そうでない方も)可能ならば、観戦して欲しい。絶対観る価値のあるサッカーです。個人的事情で今年はどうしても仙台に帰省しなければならないのが、悔しいくらいだ。
 近大附はこの日、盛岡商に5−1で完勝している(盛岡はベガルタ入りが決まっている主将藤村が故障で欠場、大黒柱不在のためか、近大附の3トップを全く押さえる事ができず失点を重ねた)。聖和にとって、非常に難しい試合となるだろう。また、この魅惑的なサッカーは、現実的に勝ち抜き戦向きではないかもしれない。けれども、仙台出身者としての出身地愛とは別に、この魅惑的サッカーが全国の場で1試合でも多く観られる事を祈らずにはいられないのだ。
posted by 武藤文雄 at 22:15| Comment(7) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

U17、2次トーナメント進出

 ワールドジュニアユース、U17代表が堂々と1次リーグをトップで通過に成功。それもアルゼンチン、フランスと同じグループでのトップ通過なのだから、すばらしいではないか。ついでにジャマイカにしっかりと勝った事も、かつての甘酸っぱい思い出に浸る事ができて、それはそれでよかった。
 特にアルゼンチン戦の3得点がよい。右サイドの石原が見事な技巧で1対1を制したところからの先制点。CKからの植田の高さで完全に勝利したヘディングによる2点目。そして、敵の一瞬の隙をついた鈴木武蔵の敵の隙を突く突破からの3点目。たしかに、過去アルゼンチンはU20は滅法強いのに対し、必ずしもこの世代は格段に強くはない。そうは言っても、技巧と高さと狡さで、それぞれ上回って、このサッカー超大国に勝利したのだから、気持ちよい事この上なかった。

 さて、今回の2次トーナメント進出は93年の日本大会以来、18年ぶり、2回目と言う。
 あの1993年は、言うまでもなくJリーグ開幕年であり、ドーハの悲劇の年だ。元々、広告代理店の巧妙な販売促進政策が奏功し、大きく注目を集めていた日本サッカー界。それに加えて、前年秋にアジアカップを初制覇し、J開幕前には最終予選進出を決めた日本代表の前代未聞の好成績。Jはどんな試合でも満員売り切れ。あの年の日本サッカーは「異様」としか言いようのない雰囲気に包まれていた。
 その中で行われた大会。開幕戦のガーナ戦は国立で行われたのだが、試合前に「久しぶりに空席があるじゃないか」と友人と語り合ったのが忘れ難い。あの年のJは、国立開催の試合のほとんどがチケット売り切れ状態だったのだ。
 日本の戦いぶりもよかった。国見高校の小嶺先生に、読売クラブ出身の小見幸隆氏がコーチ(この2人の組み合わせを考えた人は誰なのだろうか、実に見事な組み合わせだった)の、まとまりのよいチームだった。初戦のガーナに敗れたものの、イタリアに引き分け、メキシコに勝って、準々決勝進出。準々決勝ではナイジェリアに敗れるが(決勝はガーナ対ナイジェリアだった)、非常に守備の強いチームだった。
 中でも忘れられないのは、3DFのセンタを務めた鈴木和裕のプレイ。抜群の反転の速さと、読みのよさ、さらに精神的な落ち着きで、全軍をリード。一緒に応援していた植田朝日が、ガーナ戦突然に、当時全盛期を迎えつつあった井原の応援歌の節で「スズキー、スズキ、スズキー」と歌い出したのも、忘れ難い想い出だ。
 鈴木はその後順調に成長、市立船橋3年次には主将として活躍し、圧倒的な強さで高校選手権を制覇。ジェフに加入し、すぐに3歳年上の中西永輔から右サイドバックの定位置を奪った。このまま、アトランタ五輪代表を経てA代表入りも望めるかと期待したのだが、そこから急に伸び悩み、大きく成長はしてくれなかった。確かにセンタバックとしてはやや小柄で、サイドバックとしてはスピードはあるが自分で持ち上がるプレイがあまりうまくなく、タッチラインの使い方にも課題があった。結局いずれのポジションをするべきか、迷っているうちに持ち味の読みのよさが失われてしまった感があった。それでも、ジェフ、サンガ、ホーリーホック、それぞれで見せてくれた、精神的にしっかりとしたプレイ振りは見事だったのだが。
 あの93年のすばらしかった鈴木のプレイを思い起こすたびに、若い選手の成長の難しさを考えてしまう。
 一方で大成した選手も多かった。鈴木の左右で3DFを構成したのは松田直樹と宮本恒晴。松田のフィジカルの強さと、個人戦術眼のよさは、この大会でも十分に見てとれた。宮本の冷静さは大したものだったが、反転の遅さと言う欠点もこの大会で確認できた。けれども、この選手は持ち味の冷静さを最大限に成長させ、選手にとって「長所を伸ばす」事の重要性を存分に見せてくれた。
 そして、中田英寿と財前宣之。右サイドを見事な技巧で突破していた中田、正確なプレースキックで好機を演出した財前(この大会はキックインがテスト導入され、それを活かそうとした日本が敵エンドでタッチラインを出たボール全てを財前に蹴らせたために、プレイされない時間がとても長くなった。そのため、キックインのつまらなさが理解され、この制度は導入されなかった)。この2人が、それぞれ4年後と8年後に、私の人生の中でも1番目と2番目と言っても過言ではない歓喜を味合わせてくれるとは、当時思ってもみなかった。

 さて、今回のチーム。この若さで、チーム全体として少々まとまり過ぎているのではないかとの想いがない訳ではない。しかし、アルゼンチンやフランスに対して、組織力のみならず個人のサッカー能力(技巧、判断、フィジカル)のいずれでも、ほとんど遜色なかったのだから、文句を言ってはバチが当たるというもの。以降も伸び伸びと戦い、1試合でも多くの成功体験を積んでくれる事を期待したい。
実はこの世代は、私の坊主の世代となる。坊主はサッカーからは離れてしまったが、今戦っている彼らは紛れも無く坊主の同年代の日本中のサッカー小僧から選ばれし若者達。そう考えると、一層思いは募る。79年のワールドユース日本大会は「自分の世代」の戦いに興奮したものだが、とうとう「坊主の世代」に興奮する年齢になってしまったか。うん、愉しみは尽きないな。
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2011年03月24日

藤澤恭史朗に代表合宿帯同権を

 重苦しい報せばかりの昨今、ベガルタが発表したニュースリリースには、多くの人が勇気をもらう事ができたはず。藤澤恭史朗、正にあっぱれとしか語りようのない男の中の男である。
 しかし、藤澤はサッカー選手としては、まだまだ見習の立場にしか過ぎない。その立場の選手が、マスコミ的な話題にさらされるのは、決して望ましい事ではない。それでも、ベガルタが公式発表したのは、あまりに藤澤の活躍が水際立っており、いつか話題になるのは間違いないための対策なのだろう。

 とは言え、これだけの活躍をした若者を、可能な限り最大限に称える事は考えてよいとも思う。そこで、私が提案したいのは、3月29日に森島スタジアムで行われるチャリティゲームの準備として行われる代表合宿に、藤澤を帯同させる事だ。1人ではさすがに辛かろうから、チームメートも同行させよう。
 そして、そこで長谷部や遠藤や長友や岡崎や本田圭佑が、いかほどのレベルにあるのか、いかほどの節制をしているのか、いかほどの努力をしているのか、いかほどサッカーを突き詰めているのか、それらを直接見る機会を提供するのだ。
 プロフェッショナル見習いの若者にとって、この経験はどんなに実り豊かなものになるだろうか。藤澤は、ベガルタのプロフェッショナル達と触れ合う機会は、過去もあっただろうし、これからもあるだろう。そして、私はベガルタサポータとして、我々の選手達のプロフェッショナリズムは、相当レベルが高い事はよくわかっているつもりだ。しかし、それらのプロフェッショナルの中で選ばれた超エリートが、どのようにサッカーに取り組んでいるか、そして彼らが揃った時のトレーニングのレベルがいかに高いか。
 それに参加する権利を、希有な経験、社会貢献をした若者に与える。そして、以降は一切採り上げない。まして、大観衆前での表彰などは一切不要。あとは、藤澤がプロ選手になった時に「美しいエピソード」と語られる事を期待するのみである。
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2010年11月12日

U16に足りなかったもの

 U16代表が技巧的な攻撃とバランスのとれた試合運びを見せて、堂々とワールドジュニアユース出場を決めた。世界大会は3回連続出場、以前は中々この世代は、世界大会に出られなかったのだから隔世の感もある。かつて常勝を誇ったユース代表の2大会連続の世界進出失敗を併せて考えると、「日本サッカー全体の若年育成は上々に進んでいるが、ベストメンバで戦えないユースは苦戦している」と言う仮説が成立するのかもしれない(もっとも、先日の広州での中国への完勝を考えると、やはりか(以下略))。
 準々決勝で日本は、イラクとの美しい攻め合いを制し、世界大会出場を決めた。イラクは日本と並び、アジアでは最もボールを大事にして丁寧なサッカーをする国(07年アジアカップやアテネ五輪のように1カ所集中開催の大会だと抜群の強さを発揮するが、H&Aでは中々勝てないのは、現在の「国情」のためなのだろう、この国が安定した強さを発揮してくれれば、アジアのレベルは格段に上がると期待しているのだが)。その特長のかぶるイラクに真っ向勝負で勝ち切ったのだから価値があった。
 一方続く準決勝。序盤の入りの悪さから2失点、前半は北朝鮮の運動量と的確な位置取りに、ほとんど有効な攻めを発揮できなかった。しかし、後半は日本の短いパスを軸にした揺さぶりが効果を発揮、トップに差し込むように入れる低くて強いパスを軸に、再三決定機をつかむ。1点差とする攻撃はその典型だった。その後も猛攻を仕掛けるも、とうとう追いつけず敗戦となった。終盤敵GKが負傷で足を引きずっていただけに、短いパスにこだわらず、クロス主体の攻撃に切り替えてもおもしろいと思ったのだが、選手たちは後半序盤にうまく機能した短い高速パスを回す攻撃に拘泥したのが、ちょっと残念だった。

 ここからが、今日の本題です。
 実は試合後に上記の感想をtwitterでつぶやいたところ、サポティスタ主宰の岡田さんより実に興味深い反論を受領したのだ。以下、岡田さんとのやりとりを掲載させていただく。
hsyf610muto
「前半、入りの悪さから連続失点し北朝鮮の出足のよさに苦戦。後半に入り、しっかりとボールを回し、低くて速いボールを縦にいれる崩しが奏功。得点場面を含めた速いパス回しは見事だった。ただ、終盤双方が疲れ、さらに敵GKが壊れているにもかかわらず、同じテンポの攻めを続けてしまったのは残念。入りの悪さも、終盤の単調さも、若さがゆえと考えれば、しかたがないのかなと思う。少なくとも、この年代の若者に『駆け引きで勝って欲しい』とも思えないから。そう言う意味では、(グラウンドが悪かったけれど)もっとスキルを上げてくれ、と言う事なのかな。」
supportista
「本当にこの世代は駆け引きで勝たなくてもいいのかな?駆け引きもこの世代から鍛えておかないと間に合わないのでは。」
hsyf610muto
「そう言う考え方もありかも。ただ、鍛えるものではないでしょう。そう言う発想のある素材を見つける必要ありと言う事ですかねえ。」
supportista
「最終的には自分で考えられるようにならないとダメだけど、発想のヒントというか考え方自体は教えることができると思うんですよね。でも難しいのかな。」
hsyf610muto
「少なくとも、代表チームでやる事ではないと思います。ただ、今日の選手に『終盤の攻撃がよかったか』と反省させるのは、とても重要だと思うけど。まあ、永遠の議論ですよね。選手の知性が培われるのはいつか?幼少時か、中高校生の頃か、20歳くらいか、もっとトシをとってからか、たぶん人それぞれだと思う。ただし、ペレやマラドーナになるには、10代半ばの完成が必要、と言う事でしょうか。」
supportista
「確かに。体の成長以上に個人差大きいですもんね。」
 何とも愉しいやりとりをさせていただいた訳だが、この議論は「若年層選手がいかほど『駆け引き』を使いこなすべきなのか」と言う、古くから議論されてきた、典型的なサッカー界の酒の肴と言える。もちろん、イラク戦の歓喜や、北朝鮮戦の悔悟が、プレイしていた選手(あるいは選抜にもれながら「次回」を期している同世代の若者達を含むか)にとって、格好の経験となり、それが彼らの「駆け引き」能力を向上させる事だけは間違いない。しかし、それはそれとしても、この「駆け引き」の議論は、もっと色々な面から考察できるものだと思う。以下は、本件に関する切り口の羅列である。

 まず「駆け引き」と私は、一言で語っているが、「駆け引き」には多くの構成要素がある。たとえば、「敵を崩すためのアイデア」、「敵の意図の読みとり」、「敵を当方の意図通り動かす」など比較的王道的なものもある。一方で、「勝っている時の時間稼ぎ」さらには「審判を欺くトリック」など人によっては眉をひそめるものもあろう。これらのうち、ある程度若年層のうちに身につけておくべき事(あるいは身についていなければならない事)もあるだろうし、ある程度大人になってから学べるものもあるだろう。
 あるいは、上記でお互いが指摘しているが、個人差、それも年齢とは別の成熟度の問題もある。「駆け引き」がどの年齢で培われるのかは議論百出。そして、「駆け引き」ができるには、ある程度の知性的成熟が必要。10代半ばと言うのは、正に成長過程だから、その分野の個人差が大きかろう。しかも、この段階での知的成熟度合いが、伸び代があるのか、伸び切っているのか、と言う切り口があるのも言うまでもない。
 もちろん、「駆け引き」は教えられるのか、自然に身に付くものなのか、と言う議論もある。「『駆け引き』は遊びやストリートサッカーから生まれる」と言う説は根強いものがある。けれども、南米諸国ならばさておき、今日の欧州のトッププレイヤの多く、日本同様いわゆる「育成プログラム」育ちの選手は多いとの事だ。さらにはイニエスタやシャビのような選手の「駆け引き」が天性なのか、遊びの中で生まれたのか、バルセロナカンテラでの指導の成果なのか、議論は尽きない。
 言うまでもなく、年代別代表チームの選抜基準の問題もある。「この年齢で最もよい選手を選ぶべきなのか」あるいは「将来性のある選手を選ぶべきなのか」と言う議論だ。もっとも、後者に関しては「どうやって将来性を見抜くのか」と言う問題が継続するのだが。いや前者についても先日のユ(以下略)。それはさておき、これらは「今『駆け引き』がうまい選手が将来性があるのか」と言う議論にも発展していく。
 また「駆け引き」を発揮するために、まず技術が必要と言う要素もある。古くから言われ続けている話だが、ボール扱いを苦にしなくなれば、それだけ考える余裕ができるのは確か。だからある程度の年齢までは、ボール扱いを重視し、持ち過ぎくらいの方がよいと発言する人もいる。当然、ボールを持ち過ぎることと「駆け引き」は背反するものがある。そして、どの年齢あたりまで、持ち過ぎが許されるのか(これまた個人差もあるだろうが)、議論が分かれるのだが。
 さらには、「監督の指示を守る」のと「その時、その時の自分の判断」のバランスと言う問題もある。たとえば、この試合の後半に日本がペースを取り戻せたのは、上記した低く速く性格なトップへのパスを多用した事がある。これは明らかに、吉武監督の指示の下、全員が共通認識で戦った賜物だろう。あれだけ全員が意思統一したいやらしいボールを回しと縦グサリは非常に有効だった。しかし、贅沢な要求かもしれないが、終盤は「違う発想」をして欲しかったのだ。このあたりの「監督意向の適切な無視」については、前代表監督の方の岡田氏が南アフリカ後にさんざん自慢話をしているのだが。

 繰り返しになるが、ペレやディエゴの域に達するには「駆け引き」の10代での完成が必要なのかもしれない。けれども、こう言った「神の域」とは別な選手であれば、遠藤保仁のように30歳での完成してくれれば、との思いもある。。一方で、遠藤保仁が20代前半で、今日の「駆け引き」を身につけていたならば、歴史は変っていたのだろうとの欲目も...いや、30歳の「駆け引き」遠藤も、十二分に歴史を作ってくれたのだが。
 何にしても、上記クドクドと講釈を垂れた「駆け引き」の完成についての議論は尽きないし、永遠の酒の肴であろう。まずは、このような思考実験の機会を与えてくれた、岡田さん、吉武監督以下のスタッフの方々、そして何より早川史哉とその仲間達に多謝。そして、まずはメキシコ本大会に向けて、彼らの世代の優秀な選手の激しい切磋琢磨を期待するものである。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(10) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月21日

先日のユース代表の惨敗について

 先日惨敗したユース代表。残念だったし、腹も立った。また、先日も述べたように、少なくとも布監督は、日本協会の強化スタッフを辞任すべきだろう。
 もちろん、布氏が過去市立船橋高校で積み上げた実績、「高校段階で勝つ事」は最高級のものだった。一方で高校段階での勝利を目指し過ぎではないかとの批判もあったし、市立船橋の選手は「後で伸びない」との揶揄もある。しかし、こちらを見るとわかる通り、野口幸司、北嶋秀朗、小川佳純など、純然たる日本のトッププレイヤを多数輩出している訳で、代表のレギュラ選手を作れていないだけの事。そして、代表の中核選手となるには、ユース時代の指導よりは天分の要素の方が重要に思える。そうこう考えると、布氏の日本サッカーへの貢献度と実績は極めて高いものだったと評価すべきだろう。
 もっとも、今回布氏が作ろうとしたチームは、市立船橋当時の「とにかく勝つ」と言うチームとは随分と異なるものだったが。諸事情があったのだろうが、Jで活躍中のトップクラス選手招集の自粛、今なお不可解な大型CBを招集しなかった事。最終ラインの平均身長は今回のユース代表よりも、布監督当時の市立船橋の方が高かったのではないか(笑...いや、さっぱり笑えない)。
 しかし、繰り返すが重要な事は、布氏が日本協会の若年層強化スタッフから去る事だろう。先日も述べたが、あのような無様なチームを作ってしまった人が何を言っても、単独チームの関係者は冷笑するだけだろうから。もちろん、過去あれだけの実績を挙げた布氏である。いずこかの高校チームなりクラブユースチームの監督の話はあるだろう。そこで、市立船橋時代を凌駕する成績、人材育成に成功すればよいのだ。そうすれば、また協会育成スタッフとして今回やり残した仕事を目指す機会も生まれよう。

 ではユース代表の監督を誰に任せればよいか、と言うと中々難しい。もちろん、倉又氏や森山氏はよい選択肢だろうが、果たして各クラブが手放してくれるかどうか。まさか「森山って言っちゃったね」と言う訳にもいかないだろうし。また、さんざん上記した通り、布氏のユース世代の指導者としての実績は格段のものがあったのだ。その布氏の、今回の味わい深いチーム作りを見てしまうと、ユース世代での監督としての実績が十分条件ではないようにも思えてくる。
 とにかく、協会御用達ではないプロフェッショナルを、と言う声も多い。それにも基本的に賛同するが、典型的協会御用達コーチだった田中孝司氏や山本昌邦氏が、ワールドユースでそこそこの成績を収めた事もある(2人とも、爾後Jの監督に就任し、お世辞にも成功したとは言えない成績だったが)。また、まだ10代の若者のチームをまとめる仕事と、トッププロの指導の仕事は随分と性格が異なるのも間違いない。そのような状況で、10代の代表チームをうまく強化できるプロフェッショナルをどのように探すのか課題は多い。
 優秀な外国人監督の招聘を推す声も多いが、この世代の指導に外国人監督が果たして適切かも議論が分かれる。フィリップと言う大成功例はあるものの、あれは日本代表監督として「未来へのつながり」が明確だったゆえの成功と言う見方もできる。たとえば、「今の若年総代表チームをフィリップに任せる!」と日本協会が言い出したとすれば、「おいおい」と止める人も多かろう。まして、新外国人監督には、日本の学校制度、高等学校卒業年に合わせてJクラブも選手を輪切りにするなどの日本独特のJリーグ制度、さらにJ1、J2、JFL、大学リーグ、その他地域リーグなどへの選手分散の理屈、そう言った日本独特の事情をある程度理解してもらう必要ある。これはこれで、相当エネルギーが必要そうに思えるではないか。
 誤解しないで欲しいが、上記理由から「現状維持がよい」などと言う気は毛頭ない。私だって、もう布氏の顔をとうぶん見たくないし、「協会御用達コーチがよい」などとの思いはない。ただ、「誰に何をどのような立場で頼むと成功する」と言った、簡単な議論では片付かない事を述べたかっただけなのだ。

 しかしだ。
 あの悔しい敗戦が日本サッカー界を絶望の淵に落とすものだろうか。むしろ、ユース代表なのだから、代表入りを目指せるであろう何人かが「高い個人能力」を存分に発揮して、よい経験を積んでくれれば、それで十分ではないのか。そして、あの韓国選手は、そう言った一部の選手が「圧倒的な個」を発揮したのも確かなのだ(ただし、そうは言っても2回連続のワールドユース失敗は堪え難いものがあるのだが)。
 先日の試合で、終盤の永井のシュートがバーを叩いた場面。試合映像は見られなくとも各種のニュース映像で見た方が多いと思う。あの場面、日本は宇佐美と永井の即興で約5名いた韓国守備網を完全に右に寄せる事に成功、さらに永井は永井でボールを受けた後見事な加速で敵DFを振り切るのに成功した。同様に、序盤の指宿の2得点も同様に見事だった。大柄な指宿にもかかわらず、瞬間的な柔軟性と技巧を発揮してくれたのだ。これだけ前線のタレントがそろっていたのだ。負けたのは悔しくて仕方がないが、若年層育成はうまく進んでいると考えるべきではないか。

 今回のユースの敗戦は、日本協会が作ったユース代表チームの敗戦であり、日本サッカー界の若年層強化の敗戦でない。あるいは、前後して行われたA代表の颯爽とした戦い振りや南アフリカでの成功は、日本サッカーの育成の成果であって、日本協会の育成の成果ではない。我々はここを絶対に間違わないようにしなければならない。
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2010年01月02日

東北高校苦杯

 高校選手権。今年は事情で帰省しなかったので、久々に生観戦できた。幸いな事に東北高校の2回戦が、自転車で行ける平塚競技場。宮城県のトップレベルのユースチームを見る事ができたのは久しぶりだったので、得難い機会となった。よりによって、対戦相手は隣県福島の尚志高校、東北勢同士の対戦となった。

 驚いたのは東北の戦い方。
 最前線は小柄だが瞬発力にすぐれるドリブラ千葉、後方に2シャドー主将の峰岸(1回戦でも2得点、左足の精度が抜群と言う)と柏崎は技巧と判断に優れる。1トップ2シャドーは、日本強会御用達の指導者が好むもののあまり機能しないやり方として定評のあるところだが、東北のそれは見事に機能している。しかも、過去の成功例の多くは、往時のセレッソ(西澤ー森島、古橋)のように、「前進できるポストプレイヤ」を使うのが常道。ところが、東北のトップ千葉はスリムで小柄、常に動き回って前向きにボールを受けてドリブルを仕掛けるタイプ。そして、峰岸からの高精度パスを千葉が受けるだけで好機を作ってしまう。その他にも球際に強くドリブルで抜け出せる選手が多く、少人数で最前線まで抜け出してしまう、まるでアルゼンチンのようなサッカーだ。正直言って、宮城県のユースクラスのチームが、このような技巧と判断で成立する攻撃をするとは思ってもいなかった。すばらしい。
 ただ、守備は感心しなかった。2ストッパが敵2トップをマンマークし、スイーパの日野を余らせた3DF。それも日野が深〜〜い位置取りをする。90年代の韓国みたいな守備スタイル。もちろん最近でも1人余らせる守備網のチームは存在する、オシム爺さんのジェフとか、ブラジルのクラブチーム(たとえばこのチーム)とか、少々古いが98年フランス大会の井原とか。これらのチームの「スイーパ」は深いラインをとらず、マーカと同じライン、あるいは前に位置取りし、中盤のこぼれ球も拾いに行く。けれども、最終ラインで人を余らせるやり方そのものは否定しないが、あそこまで深くスイーパが引いてしまうと、どうしても中盤が粗になってしまう。

 開始早々、峰岸の高精度FKから日野のヘディングで先制した東北は、その後も峰岸を起点にしたカウンタで再三好機を掴む。峰岸は、右でもボールを扱えるし、ヘッドも強く後方からのフィードを巧く受けて展開を図る。峰岸の好パスから、尚志DFの間隙を突いた千葉のシュートがポストを叩いた場面などは絶品だった。このペースを掴んでいた前半に2点差にできていればよかったのだが。
 後半、尚志は負傷していたエースの渡部を起用、中盤でドリブルの巧い平野や古庄が強引に仕掛けてくる。こうなると深いラインを引いている分、中盤で劣勢になり最終ラインが脅かされ、さらにラインが深くなる悪循環に陥る。同点弾は右サイドバック田中の精度高いアーリークロスに渡部が飛び込み(マーカが振り切られ)ニアサイドでヘッドで決められたもの。ここでも、深すぎるラインによりチェックが甘くなっていた。このあたり、尚志の仲村監督の策が当たった感があった(仲村氏は、バルセロナ五輪代表候補選手、1次予選ホームのインドネシア戦、澤登、藤田と中盤を組み、精度の高いロングパスで中盤を作り将来を嘱望されたタレントだった。Jリーグを目指したものの、解散を余儀なくされた福島FCでプレイしていた)。その後は双方攻め合うが詰め切れずPK戦に、主将のGK菅野が2本止めた尚志の勝利となった。

 おそらく手の内を知っている同士の戦い、監督同士の駆け引きに関しては、一見の私にはわからないものがあったのかもしれない。ただ、宮城県サッカー出身者としては、アルゼンチンばりの攻撃タレントを抱えていただけに、あのサッカーを上位に進出して全国に見せたかった想いがあるので残念と言う事だ。
 ただ、峰岸、日野を含め、東北にはベガルタJY出身選手が相当数おり、ベガルタを軸にした宮城県の若年層のサッカーの質が相当上がっている事は実感できた。さらに、東北勢同士が全国の場で、技術に優れた選手を多数所有し、堂々たる勝負を演じるのを見る事もできた。そう考えると、実に満足できる試合だった。元日のガンバの華麗な攻撃に続き、このようなサッカーを見る事ができて、新年早々景気がいい。うん、満足。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする