2008年01月03日

宮城県工高の奮闘

 仙台に帰省中。

 高校サッカー選手権のテレビ中継は地元チームの中継。今年の宮城県代表は宮城県立工業高校。地元では県工と言われている。赤と白の横縞のストッキングが、30年前の私の高校時代から変わっていなかったのが嬉しい。テレビ桟敷で大騒ぎしていたら、娘が「お父さん、この高校と試合した事はあるの?」と聞いてきた。「もちろんある。負けたり、引き分けたり、負けたり、勝ったりしていた。」と答えた。大体こんな星勘定だったな。県工の私の1年下には、後に住友金属(アントラーズの前身)で高速ウィンガとして長く活躍する茂木一浩がいて、随分痛い目に会わされたものだった。ちなみに茂木は、80年代半ばJSL1部と2部を上下する住金のエースとして素晴らしい活躍をしてくれた。同年齢の鈴木淳(当時仙台向山高校、現アルビレックス監督)とは高校時代からライバルとしてそれなりに話題になっていたな。

 で、県工の初戦の相手は鹿児島実業。何が腹が立ったと言えば、アナウンサが最初から「鹿実が勝つ」と言う前提で放送をしている事だった。しかも解説者は鹿実OBの前園真聖氏。上位進出する鹿実の初戦突破を観察すると言う番組編成が自明ではないか。
 しかし、流れてくるテレビ映像は、テレビ局の思惑とは全く異なるものだった。立ち上がり、様子見で試合に入った鹿実に対し、県工は最前線からプレスをかけ攻撃を仕掛ける。このプレスが相当厳しいのだが、主審の判定基準が激しいチャージを許容するものだったため、ほとんど反則が取られないのが県工に幸いした。そして、前の方の各選手が自らフィニッシュを決めようとする意欲にあふれていた。昨日の天皇杯決勝にたとえて言えば、皆が内田的な意欲を見せていたのだ。それでも鹿実は押されているとなると、7,8人で守備ブロックを固め、しっかりと守ってくる。このあたりは、豊富な試合経験の賜物だろう。「よくない時間帯は耐えるべし」と言う教えがしっかりと、各選手に身についているのだ。それでも、前進意欲がとぎれない県工は、前半半ばにCKから見事に先制点を決める。
 この時点では解説の前園氏も冷静だった。「いやあ、宮城工業高のプレスは素晴らしいですね。鹿実は受身に回ってはいけません。」と余裕の目線を継続。しかし、アナウンサの「なんと、なんと、宮城県工業が先制しました!」はいくら何でも失礼だろうが。
 後半の立上りこそ押し込まれたが、粘り強い守備で対応。この時間帯は危なかったが、鹿実が県工の逆襲を警戒したのか、比較的深めに守備ラインを築いていたため、第2波、3波の攻撃がやや薄かったのも幸いした。後半半ばに逆襲から見事な個人技で2−0に突き放すロビングシュート。上記したように鹿実の守備は人数が揃っていたのだが、技巧あふれるドリブルと前半から見せてくれたフィニッシュへの意欲が奏効した。この時点で前園氏もさすが絶句。こうなると鹿実の攻撃は焦り気味になり、県工は分厚いカバーリングで冷静にいなす。さらにロスタイムには自陣FKから、時間稼ぎの交代で起用した選手がファーストタッチで得点を決め3−0としてしまった。何とも見事な勝利だった。
 県工が鹿実をよく研究し激しいプレスと前線の個人能力で対抗した事、鹿実が「確実に初戦突破」を考えやや守備的に戦い過ぎたのが裏目に出た事の2点が勝敗を分けたのだと見た。

 これは上位進出か、と盛り上がったのだが、次の試合の都立三鷹戦で敢え無く敗退。鹿実戦と異なり、前半何か集中を欠いた入りをしてしまい、いきなり2失点。そのままズルズルと押し切れず敗れてしまった。この試合の解説も前園氏だったのが、「昨日の良さが出ていない」と不満そうだった。確かに鹿実戦に焦点を合わせ過ぎ、目標を達成してしまって、集中を欠いたのかもしれない。また、2点差と言う事を考え過ぎて攻め急いだのも敗因に思えた。
 このあたりが、高校選手権の面白さでもあり、難しさでもあるのだろう。
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2007年10月08日

体育の日のテレビ桟敷

 高円宮の決勝を観に行く計画もあったのだが、諸事情で叶わず、1日自宅に滞在。結果的に朝から様々な競技の映像を愉しむ1日になってしまった。

 まず大リーグのヤンキース−インディアンス。
 既に2敗してもう後がないヤンキースが、序盤0−3とリードを許す大苦戦。このまま松井のシーズンもオシマイかと思っていたら、そう単純ではなかった。
 松井は、まず3回に内野安打で出塁しチャンスを作って、そのままホームを踏む。続く5回もレフト前安打で出塁し、後続が続いてまた得点。引き続き、3ランホームランが出て逆転。さらに6回には1死2、3塁で敬遠され、続くバッタの右前安打を右翼手がタイムリエラーで1塁から長躯ホームイン。3得点を挙げ、勝利に貢献した。膝の負傷は相当悪いらしくDHでの起用だったが、貢献度は相当高かった。
 大リーグの試合を丁寧に観るのは珍しいのだが、6回松井が敬遠される直前の場面は無死1、2塁で代打が起用され見え見えのバントを行なうのは興味深かった。やはり大リーグでも、バントすべき場面は同じなのだなと。終盤5点差のヤンキースが継投をどうすべきかも、明日以降の試合を見据えなければならないので、また複雑。「大リーグは日本と異なり細かい野球をしない」と言うのは間違いなのを再確認できた。

 続いて高円宮杯決勝。
 序盤から流通経済大柏が運動量で圧倒する。トップの小柄な大前の素早い動き出しに呼応して3人から4人が同サイドに一斉に飛び出す動きが面白い。サッカーのセオリーは、ピッチ全体を広く使い敵DFを分散させる事だが、流通経済大柏のやり方は全く逆。狭いエリアに3、4人が飛び出し、その範囲で数的優位を作り、強く精度の高いパスをトップに当てて崩しを狙う。サンフレッチェの守備は4DFのラインディフェンスだが、68mのピッチの左右全面を4人で真面目にカバーしようとするので、局所的に必ず数的不利ができる。このような局所サッカーを狙う場合、運動量やパスの精度が狂うとどうしようもなくなるものだが、流通経済大柏はこのやり方70分過ぎまで押し切ってしまった。
 サンフレッチェは2つの対処法があったと思う。流通経済大柏のサイドバックの押し上げは、ちゃんとMF陣が見張る事ができていたので、両サイドバックはタッチライン沿いに拘泥せず、中央に絞りこんでしまってよかったのではないか。そうすれば、あれだけ数的優位を作られる事はなかったと思う。あるいは、流通経済大柏のハイペースが90分間続くとは考えづらいので、3DFか何かに切替えスイーパを置いた布陣で我慢をするとか。
 しかし、サンフレッチェは奇策で対応する事なく、通常のラインディフェンスで我慢を継続した。流通経済大柏が攻め疲れするまで0点で押えられればよかったが、あれだけ攻められればいつかミスが出る。失点場面は明らかにGK原のミス。(流通経済大柏から見て)左サイドを大前がえぐり低いセンタリング、詰めてくるFWはいなかったので、DF篠原に任せればよかったのだが、無理に取りに行ってしまった。篠原は篠原で原の無謀な飛び出しを無視して、さっさとタッチにクリアすればよかったのだが、原の声が耳に入ったのだろう遠慮?してボールに触れなかった。結果的に2人ともボールに触れず(触らず)ボールは中央に流れ、全くフリーの小島が流し込んだ。
 さすがにその後は流通経済大柏も運動量が落ちてきたが、逆にサンフレッチェは守り疲れが出てしまったのか、攻め手がないまま時間がどんどん経過してしまう。それならば、パワープレイに出るとか、中盤の選手を代えて運動量を増やすとかすればよいのだが、そのままのメンバで戦いを継続。終盤、立て続けに3人交代を使ったが、流通経済大柏の守備を脅かす事はほとんどなくタイムアップ。
 戦闘能力差から、試合前優位が伝えられたサンフレッチェだが、守備も攻撃も何か杓子定規に終始し、結果的に何もできずに90分を終えてしまった感が強かった。言い換えれば、大ベテランの本田監督と、まだ若い森山監督の差が出た試合と言えるのかもしれない。
 また大前は素晴らしい選手だと思ったが、年齢別の代表には選ばれないのだろうか。少なくとも、これだけのタレントをJリーグが必要としない程、日本サッカー界は選手層が厚いとは思えないのだが。

 そして、夕刻にはラグビーワールドカップ、イングランド−豪州戦。
 9年前にブラジル−ノルウェー戦を愉しんだマルセイユのヴェロドロームスタジアム。
 まあ両軍のラックでのボールキープの巧い事。日本のラグビーと、これらのトップレベルの差は、フィジカルよりもラックで体勢が崩れた際のボールキープ能力(つまりボール扱いの巧さ)にあると、あらためて確信した。
 豪州の方が、ボールを持った時に変化をつける事のできる選手や、突破に工夫できる選手が多かったように思える。しかし、イングランドは豪州ラックがボールキープしている時、とにかくラフプレイやオフサイドを起こさぬように、ひたすら我慢し続けた。結果的に微妙な判定のペナルティの獲得に成功し、豪州を振り切ってしまった。
 トップレベルのラグビーを見る度に、しっかりしたボールキープ、我慢を重ねる守備、貴重なセットプレイを得点につなげる、とサッカーとの類似性を感じる事ができるものだ。

 と、テレビ桟敷でサッカーを含めた各種競技を堪能できた体育の日であった。
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2007年08月28日

29年前の高校3年生

 ジュニアユース代表は、ナイジェリアに完敗した後、フランスにも敗れ、3位抜けも得失点差で叶わず、1次リーグ敗退となった。ナイジェリアに対しては(果敢な戦い振りはさておき)ちょっとどうしようもない印象があったが、フランスとは十分やれていた。しかし、柿谷のあの「ミラクル」があってなお、短い時間帯で逆転されたのだから、言い訳の余地はなく完敗と言うしかないだろう(たまたま「魔の時間帯」で2失点したのは確かだが、全体の流れから言ったら2失点はやむ無し、と言う展開ではあったのだから)。ちょっと悔しいのは、グループリーグが3位でもベスト16に残れる可能性があったため、2点差にされるのが最悪の事態となるために、試合終盤に強引な無理攻めができなかった事か。また、何とかしたい試合終盤に、柿谷と水沼の2人共がピッチにいないのも残念と言えば残念。
 しかし、未だベンチプレスすらしていそうに見えない貧弱な上半身しかしていない、我らが若者達が技巧と判断で、フランスとナイジェリアと堂々と戦っただけで、現時点では十分かと言う気もする。追いつくのは不可能かもしれないが、フィジカルの差はこれからの鍛錬でいくらでも詰まるはず。したがい問題になるのは、技巧と判断なのだ。
 「勝てなかった」事よりも、「つなげなかった」、「逃げのロングボールを蹴ってしまった」、「仕掛けるべき時に仕掛けなかった」と言う事を、1人1人がどれだけ反省できるか。先の長い戦いは継続する。まずは2年後のワールドユースが愉しみである。

 ともあれ、ちょっと水沼親子について。

 1978年、翌年の第2回ワールドユースを目指して強化を進める松本育夫監督率いる日本ユース代表は、バングラデシュで行なわれたアジアユース大会に出場した。この大会の上位2国が翌年日本で開催されるワールドユースに出場できる。もちろん、日本は地元なのでこの大会の成績はどうあれ、ワールドユース出場権があるのは言うまでもない。
 そのアジアユース。水沼貴史は高校3年生で日本の中心選手として出場した。最終ラインには柳下正明(浜名高→東農大)、水沼と同じ浦和南高の田中真二。水沼と一緒に中盤を構成したのが、半年前の高校選手権の準決勝で浦和南の3連覇の野望を打ち砕いた四日市中央工業高出身の樋口士郎(当時本田技研)、さらに全国的には全く無名の存在だった仙台向山高の鈴木淳(まだ高校2年生だった)。最前線には、尾崎加寿夫、さらには直前のインターハイで大活躍した関塚隆などがいた。
 前年の77年イラン大会では、金田喜稔、木村和司、山本正邦らのメンバで、準決勝進出を果たしていた日本(もし、この準決勝でイランに勝っていれば、第1回ワールドユース大会に出場できていたのだが)。このバングラデシュでの大会は、直前に行なっていた欧州遠征の内容もよかった事もあり、それなりの好成績が期待されていた。
 しかし、大会に入って日本のプレイは低調。日本は敢え無く1次リーグで敗退する。

 その後、日本は約1年間、徹底した強化を継続し、79年のワールドユースに臨むが、2分け1敗でグループリーグ敗退。再び日本がワールドユースに登場するのは、94年の予選を勝ち抜いた95年大会の16年後となる(この時の中心選手は田中誠、松田直樹、奥大介、中田英寿など)。

 この親子は、共に高校3年生で日の丸を背負い苦闘を演じてくれた訳だ。水沼貴史が出場していたのはアジアユース大会。一方水沼宏太が出場したのは1世代下ながら世界大会であるワールドジュニアユースだけれども。

 若い選手に過剰な期待をかけるのは適切ではない事を理解しているつもりだ。しかし、右サイド下がり目からの突破と味のあるクロス、敵陣前でのふてぶてしさ、ハイスピードのパスに対するボレーキックの巧さなど、親父殿を思い起こさずにはいられないプレイ振り。そう考えると、ついつい、この若者だけには大きな期待をしたくなってしまうのだが。
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2007年08月20日

ジュニアユース代表、まずは1勝

 ワールドジュニアユース初戦の相手はハイチ。

 TVのアナウンサが再三「ハイチは33年ぶりの世界大会」と強調していた。確かに、33年前にワールドカップ本大会に登場したが故に、私は「ハイチ」と言う国が中米のどこにあるか答える事ができるのだな。当時、欧州予選を無失点で通過したイタリアから得点を奪うのはいずれの国かと議論されていたが、1次リーグ初戦でアウトサイダと見られていたハイチが鮮やかな得点を奪ったのが印象的だった。この試合はその後イタリアがしっかりと3点取って逆転したが、イタリアはこの初戦がケチのつき始め。その後アルゼンチンと引き分け(当時のアルゼンチンは今日と異なり、優勝候補と言う雰囲気ではなかった)、さらにこの大会大躍進するポーランドに完敗し、敢え無く1次リーグ敗退となる。ハイチは結局、3連敗でワールドカップを終えるが、あの初戦のイタリア戦の速攻の鮮やかさは今でも記憶に残っている。

 さて、そのハイチ戦。
 ハイチの選手は皆アフリカ系の黒人選手。中米のチームを相手にしていると言うよりは、アフリカのチームと戦っている風情だった。そして日本はいかにも日本らしく、各選手が勤勉に動き短いパスをつなぎ、敵の隙を見つけてはサイドチェンジで変化を入れヒタヒタと攻め込んだ。正にミニ日本代表である。そして先制。
 ところが、後半も半ばまで進み、同点を狙ってハイチが前に出てくると、よいリズムを思うように維持できなくなる。解説の清水秀彦氏が、「ラインが下がり過ぎ」、「中盤で止まらない」と嘆くたびに、それ以上に状況が悪化し、つまらないミスも増えてくる。そして、ルーズボールのクリアミスを拾われ、冗談のような難しいドライブがかかったミドルシュートを決められ同点。
 そして、この失点直後から決定的にリズムがおかしくなる。中盤でやらずもがなのミスを連発、幾度も横パスを引っ掛けられ、速攻から決定機を許す。それをあのPK戦を勝ち抜く原動力になったGK廣永が再三のファインプレイで防ぐ。
 この苦境に城福氏は、負傷のために温存を余儀なくされていたエースの柿谷を投入。そして見事なサイドチェンジで主将の水沼が右サイドフリーでボールを受け、飛び込む河野(先日Jリーグデビューを飾ったタレントだと言うが、ボールをもっての落ち着きが頼もしい)が大柄頑健なCB2人に挟まれているのを見てとった水沼は親父譲りの図太さで低く速いセンタリング。混戦になったところを、河野が心憎いまでの冷静さで押し込んだ。さらに河野の好スルーパスで抜け出した柿谷がGKを鮮やかに抜き去り角度のないところから、何とも言いようのないシュートを決め2点差にした。

 苦しい試合ではあったが、終盤に攻撃のスターが活躍し振り切った試合。初戦としてはまずまずだろう。これから、もっと苦しい敵が待ち受けているのだろうが、この調子で上位進出を目指して欲しいものだ。

 しかし、どうして我々の代表チームは、A代表からこのU17まで、リズムが悪くなると、中盤の横パスをああも再三かっさわれるのだろうか。
 シュートを打たないとか、得点が中々入らないとかは、これは元々の素質か、国民性か(笑)、国民のサッカーへの嗜好か、不明だが何か理屈もつけられそうな気がする。そして、イライラする事は否定しないが、そのような課題を抱えながらも、いずれの選手も精神力と技巧と判断力のバランスが取れているのが、日本代表なのだ。
 しかし、1度リズムが崩れた際に、どうして大人から子供まで(笑)、ああも横パスを敵に奪われるのかは本当に不思議だ。リズムがよい時は、皆あんなに上手なのに。
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2007年07月12日

勝負は先だ

 若年層の代表チームは、有為な素材に経験を積ませるためにあるのだから、負けたとは言え我々の若者達がこれだけの経験を積む事ができたのだから、大成功と言える大会だったのだろう。と、強がりを言うには、あまりに惜しい敗退だった。

 チェコ戦と言うと、3年前の甘美な思い出と言う事になる。しかし、今回のチームは、当時ネドベドに率いられた速くて鋭いパスでひたひたと攻め込んでくるやり方とは随分異なり、大柄な選手への長いボールを基盤にしたチームだった。ネドベドやポボルスキーと言ったタレントがいないと、コーラー、ロクベンツ頼りになってしまうと言う事なのか。ちょっと寂しかった。その寂しいチームに注文相撲でやられたのだから、悔しさはひとしおなのだが。

 序盤こそ押し込まれたものの、前半半ば以降日本は小気味の良いパスワークでチェコを圧倒。CKで先制後も攻勢を取る事ができていた。さらに後半早々にPKで加点(映像で見る限り明らかなPKだし、完全に崩せていた)。典型的な勝ちパタンと思われた。
 ところが、このあたりからチェコが、「長身選手に長いボールを合わせ後方から怒涛の押し上げをする」と言う、単調ながら徹底した攻撃をしかけてきた。日本の対応手段としては
(1)ラインをさらに上げて前線からプレスをかける
(2)中盤の運動量を上げて再度ボールキープで優位になるようにする
(3)後方の選手を増やしてはね返す
(4)敵の間延びを狙い逆襲速攻を仕掛ける
等の方法が考えられた。2点差があるのだしいずれかの手段に意思統一し、まずは落ち着くべきだった。しかし、残念な事にいずれの策を執る事もなくズルズルと押されるに任せてしまった。そのような意味では、個々の選手の判断力にも大きな課題があったし、吉田監督の采配にも疑問が残った。チェコは相当無理攻めを仕掛けていたのだから、我慢すれば攻め疲れも期待できたのだが。
 失点はPK2本によるものだが、いずれのプレイもPKと言われて仕方がないものだった。PK場面以外も、あの時間帯には好機を多数作られたのかだから、追いつかれて当然と言う時間帯だった。せめて1点差にされた時は、落ち着く絶好のタイミングだったのだが。
 同点になって、チェコが一息ついた以降は、退場者が出た事もあって、再び日本のペースとなった。以降は慌てる事なく丁寧に攻め、延長終盤には後一歩まで攻め込んだのだが、仕留め切れなかった。この日3本のPKを取った主審だが、終盤の誰が見てもハンドでPKと言う場面を見落とされたのは悔しいね。

 それにしてもバランスの取れたよいチームだった。穴がないと言う意味では、99年の準優勝のチームよりも優れていたのではないか。当時のチームと比べて攻撃ラインは遜色ないし、守備ラインの人材は格段に今回の方が優れていたと思う。だからこそ、もう少し多くの試合経験を積んで欲しかった。世界のベスト16程度で終わってしまうには、あまりに惜しい世代だった。
 当時小野たちはやはり同じ1/16ファイナルで、ポルトガルと死闘を演じPK戦で準々決勝進出を決めた。あの試合は後半早々遠藤が先制し、さらにポルトガルが選手交代を使い切った後にGKが負傷退場。10人で素人GKとなったポルトガルが、逆に戦意を高めてきて猛攻を仕掛けてきた。日本は、80分に追いつかれ、延長でも圧倒的な攻勢を取られたが、かろうじて同点で試合を終え、PK戦の末振り切る事に成功した。
 チェコの5人目にやられるまで、あの場面を思い出し、勝利を信じていたのだが。

 済んでしまった事は仕方が無い。そして、彼らの挑戦はこれで終わりなわけではない。まずは今秋行なわれる五輪最終予選がその舞台となる。8月上旬には最終予選に向けた遠征が行なわれると聞いているが、そこから今回のユース選手が大量に五輪代表に流入し始めるはず(五輪代表の反町監督はA代表に帯同しベトナムにいるのだが、ヴィクトリアに行かなくてよかったのだろうか)。
 そして、安田よ。君が目指した「99年メンバ越え」は、ワールドカップ本大会で実現してくれ。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(10) | TrackBack(2) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

好調ユース代表の不安

 ユース代表は第2戦のコスタリカ戦に見事な勝利を上げた。

 正に「中米の雄」対「東アジアのトップチーム」の戦いの典型。両軍の技巧によるボールキープ能力はほぼ互角、前線からのプレスも強力でお互い容易に中盤に拠点を作れない。それでも、僅かな隙を見つけて中盤でフリーの選手ができると、コスタリカは俊足のFWが日本の守備ラインの背後を狙い、日本は両サイドからの崩しを試みる。
 前半やや劣勢だった日本だが、コスタリカがやや疲労しプレスが甘くなってきた後半半ば、少しずつ柏木が前を向けるようになり、日本の好機が増え始める。
 決勝点は内田?が前線に入れた速いボールが敵に当たって、偶然に右サイドでアトムが前を向いてボールを捉えたのが起点。素早く当てられた若森島がさらに左に展開。この展開前に若森島は、左にドリブルでそのまま左足でシュートに持ち込むかのような動きを見せた。そのため、敵DFは3枚若森島にアプローチする事になり、梅崎は完全にフリーでボールを受ける事ができた。中央から左に振られた3枚のDFは当然視線を梅崎に移すから、起点となったアトムがファーに飛び込むのを誰もつかまえられなかった。若森島の素晴らしい想像力による得点だったと言えるのではないか。この若者は、得点後の振る舞いがアレだから誤解?されているが、判断力と言うかサッカー頭と言うかは非常に優れているように思う。もっとも、本人は梅崎のセンタリングを自分で決めるつもりだったかもしれないから、褒め過ぎかもしれないが。

 ともあれ、気になった事が1点だけ。
 このユース代表のフィールドプレイヤレギュラの10人を(非常に失礼ながら)性格的な見地から4種類に分類してみる。こうして見るとこのチームが非常にバランスが取れているのがわかるな。
 いわゆるアレ:若森島、槇野、安田
 天才:柏木、梅崎
 知的労働者:青山、アトム、河原(「えなり」と呼称するか迷うところだが)
 精神的支柱:福元、内田。
 ところが、この日は「精神的支柱」であるべき福元と内田のミスが目立った。特に主将の福元は、再三後方を取られ危ない場面を作ってしまった。大体、坊主頭の福元の左右の選手の頭が金色と真っ赤なのがそれぞれのキャラクタを示しているのだが、福元のミスを再三安田がカバーしてくれた。坊主頭が「スマン」とあやまり、金色が「いいよ、いいよ」と返すのが、何とも言えずに味わい深かったが。
 また内田も今一歩の内容だ。アジアユースではこの選手の攻め上がりが大きな武器になっていたのだが、今大会はセンタリングの精度があまりよくない。守備面でも軽率なミスが目立つ。
 2人とも、体調が今一歩なのか、バカダンスに参加しないのがいけないのか、原因は不明だが、今後の上位進出に向け気になるところだ。
 言い換えれば、そこが改善されれば、欧州、南米の列強にも存分に対抗できる戦闘能力を感じるよいチームだと思う。こちらで金色君が語った目標達成を期待したい。

 ついでに1つ余談。アトムの英語表記は「ATOMU」より「ATOM」の方がよいと思うのだが。
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2007年07月03日

ユース代表初戦快勝

 スコットランドの監督アーチー・ゲミル氏は、私達の世代には忘れ難い名選手だ。70年代半ばイングランドリーグをダービーカウンティとノッティンガムフォレストの中盤の将軍として2度制覇している。小柄ながら、中盤後方で豊富な運動量と安定した技巧で支えた名手中の名手。当時スコットランドは欧州屈指の強豪で、78年アルゼンチンワールドカップ前には優勝候補の一角とも言われた。ちなみにイングランドは予選でイタリアに屈して本大会に出場できなかったが、当時はスコットランドの方がイングランドより強かったのは間違いない。この時のスコットランドの中盤は充実しており多数の名手がズラリと揃っていた。結果的に初戦のペルー戦は、押し出されるかのようにゲミルはスタメンから外れてしまった。ところがスコットランドはこの試合、ペルーの伝説的名手クビジャスの技巧にチンチンにされ完敗。続く2試合目のイラン戦からゲミルが起用された。ところが、イランの自殺点で先制したものの、後半にゲミルが自陣前でベロンと抜かれたところから失点し、結局1−1に終わる。当時、アジア代表が欧州のチームと本大会で引き分けるのは、相当な快挙だった。しかし、ゲミルはこの屈辱を、1次リーグ最終戦のオランダ戦で晴らすことに成功する。3点差で勝たなければ次ラウンドに出場できないと言う厳しい状態のこの試合、オランダの名手レンセンブリングにPKで先制されるも、リバプールの名手ダルグリッシュで追いつくや、ゲミルのPKで逆転。そして、ゲミルが鮮やかなドリブル突破から3人抜きで美しい得点を決める。その後、オランダのレップに1点差とされてしまい、敢え無くスコットランドは1次リーグ敗退。以降もスコットランドはワールドカップに出場しては、1次リーグの壁にはね返される歴史を繰り返す事になる。
 ともあれ、この名手率いる大英帝国北方のサッカー強国に対し、我らの自慢の若者達が完勝したのだ。何も文句を言う筋合いはあるまい。

 試合そのものは、日本が技巧、戦術眼でスコットランドを圧倒した。一方のスコットランドは1人1人は決して器用ではないが丁寧なプレイを続けて、高さと強さで日本の守備陣を悩ませる。それでも、日本の守備陣が粘っているうちに、根負けしたスコットランドにミスが出始め、日本が先制に成功した。槇野の何でもない縦パスを敵CBがミス、さらにGKがクリアを若森島にぶつけてしまうのだから、幸運といえば幸運。しかし、この幸運は技巧的なサッカーで日本が攻め続けたから舞い降りたものと考えるべきだろう。以降は前に出てきたスコットランドのミスを拾った逆襲から、梅崎と青山が見事なミドルシュートを決めて振り切った。青山はこのメンバの中で唯一Jでの試合出場経験に乏しい人材。ベンチにはJでも経験を積んでいる太田、香川、森重、柳川らがいた訳だが、それでも青山にこだわった吉田監督の采配に見事にこたえた。得点場面も見事だったが、DFラインの前でよくボールにさわり、見事な展開振りだった。この日のマンオブザマッチと言ってもよいだろう。どうでもいい話だが、北京世代にはどうして「青山」と言う選手が多いのだろうか。
 柏木、梅崎は「格」を発揮し、林、福元、槇野は常に安定した戦いを見せ、若森島は強さと思い切りのよさで活躍し(でも後半柏木のパスから抜け出した場面は決めろよ)、アトムと河原は知的によく動いた。贅沢を言うと、内田と安田には攻め上がるのみならず常に高精度なラストパスを狙って欲しかったと思うが、これは期待値が高過ぎるのかもしれない。

 余談ながら、どのような世代でも日本の代表チームならば、つまらないミス(選手にも監督にも)や燃料切れが起こらなければ、欧州北方の国との試合はこのような展開から、技巧と戦術眼で勝利するパタンを持っている。私がアジアカップについつい楽観的になるのは、今の代表チームならば豪州相手にこの日のユースのような試合で快勝できるのではないかと思うからなのだが。

 ともあれ、初戦快勝は結構な事。あのバカダンスを幾度も鑑賞できる事を期待したい。
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2007年05月21日

若年層代表チーム選手招集問題

 いささか旧聞ではあるが、コンサドーレの三浦監督が、なかなか面白い発言をしたらしい。要点を抜粋してみた。
大事なことは所属チームで出ること。(抜ければ)もちろん痛いです。(招集は)ルールでそうなっているからしょうがないけれど、個人的にはサブなら連れていく必要はない。U−20の大会は世界的にはそれほどではないし、プレミアリーグの選手は(ほとんど)出ないし、スーパーの選手はいない。ルーニー(マンチェスターU)だって卒業していた。出ないなら、行かないほうがいい。
 快調にJ2首位を走る三浦氏としては、「とにかく藤田を取られるのは痛い」と言うのがホンネだろう。しかし、スポーツ新聞の報道ゆえ本当にこのような発言をしたかどうかは割り引いて考えなければならないだろうが、正直言って「知将三浦俊也」としては隙のあり過ぎる発言である。

 いくつか揚足を取る。
 「個人的にはサブならば連れていく必要はない」
 この言葉をそのまま真に受ければ「レギュラの11人ならばJリーグから選手を連れて行ってもよいが、サブならばJでプレイする選手を連れて行くべきではない」と言う事になってしまう。論理的に分析すると、あまりに説得力のない発言となってしまっている。三浦氏としてはマスコミを用いて、吉田氏にプレッシャをかけたつもりなのかもしれないが。
 「U−20の大会は世界的にはそれほどではないし...」
 アルゼンチンが、過去誰をこの大会に出場させていたか知らない訳ではなかろうに。
 「ルーニーだって卒業していた。」
 あんた、藤田は日本のルーニーかい。札幌のルーニーかもしれないけれど。もっとも、ペトロビッチ氏が柏木に関して同じ発言をしたならば、結構迫力はあったかもしれない。ちなみに、小野、高原、遠藤、小笠原らでワールドユース準優勝を果たした時の1次リーグイングランド戦、敵にクラウチがいたな。

 何より、この発言が公になった事で藤田本人が辛くなったな。コンサドーレユース出身ゆえコンサドーレへの愛着は人一倍だろうが、ようやく掴んだ日の丸のチャンス。ここで成果を発揮し、ワールドユースでも活躍すれば、一気に北京五輪代表、そして南アフリカへと野望が広がるはず。ところが、三浦氏の発言が藤田の耳に入れば、「もしかして代表に行ってしまったら、三浦さんには使ってもらえなくなるのだろうか」くらい思っても不思議ではなくなってしまう。

 三浦氏はこう言うべきだったのではなかろうか。
78年地元ワールドカップで初優勝したアルゼンチン代表チームは、75年のトゥーロン国際大会からスタートを切ったと言う。この由緒ある大会の代表に、我がコンサドーレの藤田征也が選出された事を誇りに思う。藤田が代表に取られるのは本当に痛いが、トゥーロン、そしてカナダで藤田が活躍する事は、コンサドーレの財産そのものになる。吉田監督にお願いしたいのは、とにかく藤田をたくさん使ってもらう事。J1クラブに所属している他の誰にも負けない実力を持っているのだから、1分でも多く使って欲しい。もし、藤田の実力を見誤って、出場時間が短いようだったら、それは日本サッカー界にとって大損失だ...
とか。
 あるいは、「(ワールドユースはさておき)準備のための合宿や遠征は止めるべきだ」と、本質的な事に絞って発言した方がよかったかもしれない。これはこれで1つの卓見である。私は日本代表サポータではあるが、一方で若年層代表チームの強化は、あまりに単独チームの犠牲の上に成り立ち過ぎているのではないかと危惧している。たとえば、ワールドユース前にトゥーロンに行くよりは、各選手がJで戦う方がより強化には適切かもしれない。集まって強化するばかりが能でないのだから。

 ともあれ、藤田はよい選手だ。トゥーロンでもカナダでも十分期待できる。毎週の厳しいJ2の試合と、今回の国際経験を巧く組み合わせ、この好機を活かして大いに成長して欲しいところだ。
 
 より上位を快走する目の上のタンコブ、三浦氏のこの不用意かつ軽率な発言は、コンサドーレにとってマイナスにしかならなかったではないかと思ったりする。シメシメ。と最後にホンネ。
posted by 武藤文雄 at 23:50| Comment(10) | TrackBack(1) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月30日

15番の思い出

 森本がセリエAで初得点を決めた。

 カターニャと言うあまりなじみのないクラブに加入し、まだユースでプレイしているのかと思っていたのだが、トップにデビューしいきなり初得点を決めたようだ。さっそく各種情報が要領よくまとめられたこちらは便利だな。この選手はJリーグでのデビューでいきなりジュビロの山西をまたぐフェイントで悩ませ、初得点を決めた時は位置取りの駆け引きで(当時)ジェフの茶野を出し抜いた。僅か15歳でJにデビューした事そのものも凄かったが、もっと感心させられたのは、そのあくなき前進意欲。常に前に行こうとする意欲、それも単にゴリ押しではなく、技巧を活かしながら強引に前に行こうとする意欲が素晴らしかった。さらに、敵陣に入るあたりで、しっかりと駆け引きできる冷静さにも感心させられた。

 その若者が早々にイタリアに飛んだ。その判断、意思決定が妥当かどうかは結果が決める事。ただし、10代半ばで「本場」に飛び、ワールドカップ出場を除く全ての栄光を掴み尊敬を集める男が日本にはいるのだよね。そう考えると、「その意気やよし」なのかなとは思っていた。

 で、その初得点。映像を見るやに興奮した。これはストライカだ。あの右サイドからクロスを上げた選手がどこまでの意図を持っていたのかはよくわからない。とにかく、あのクロスが上がったスペースに、少しタメを作っておいてトップスピードで入ってきてDFを振り切ったところからスタート。斜め後方からの浮き球と言う難しいボールを、とにもかくにもしっかりとコントロールしたのがまず素晴らしい。次にシュートを阻止しようと身体を寄せてくるDFを、腰までしっかり入れて肩でブロックして吹き飛ばしたのには感慨。その上でそのような外乱を防いだ後、利き足の右で強いボールを蹴る事ができる場所にボールを置き直す(この「置き直し」が、この見事な得点でもっとも重要にも思える)。そして、その2つ前のプレイで着実にトラップしたボールを、悠然とインステップキックで強烈に蹴り込んだ。

 何とまあ、あざやかな得点である事か。この森本と言う若者が、並々ならぬストライカの素質を持っている事は間違いない。まだ「素質」と言うしかないのだけれども。



 そして、何より嬉しかった事は、この若者の背番号が「15番」だった事。今を去る事、30数年前だろうか。とにかく得点を取る事のみを考えていたあの偉大なストライカは、日本代表に入ると、いつも「15番」を付けていたなと。
posted by 武藤文雄 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(1) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

高校選手権の将来

 高円宮杯が非常に充実した大会になり、各地域でユース年代のサッカーでリーグ戦が定着している現状で、正月の風物詩でもある高校サッカー選手権はどうあるべきか。もちろんサッカー界の都合だけで事は運ばず、日本テレビや高体連の思惑もあるのだが、いくつか考えてみた。



 まず誰でも考える事は、連戦を無くし、45分ハーフ、延長戦ありに変更する事だろう。

 連戦を無くすのは、各高校が冬休みに入った26日あたりから大会を始めれば何とかなるし、TV局が毎日試合が無いと困るならば、1日ずらしで大会を進行させる手もある。数年前にやったように決勝戦を1週ずらした1月中旬にする手段もとれる。

 45分ハーフにするのは、放映枠との絡みが出てくるが、延長戦よりは導入しやすいので、サッカー協会は早々にでも主張をすべきだろう。

 問題は延長戦だ。日本テレビに納得させるよい知恵が浮かばない。録画による時差中継にしても、延長に入る試合だけ後半から放送が始めるようなバレーボールみたいな見え見えの放送をする訳にもいかないし難しいところ。毎日の試合後に、高校サッカーダイジェストみたいな枠を準備してもらえればよいのだが、そう考えると新たなスポンサ開拓が必要になるような大騒動になりかねない。このような問題にこそ、日本協会会長に頑張って欲しいのだが(以下略)。



 次にトーナメントでよいのかと言う話。各県1校が本大会に登場する事は必須なのだから、長期に渡るリーグ戦にするのは難しい。この件については、友人がユニークな4チームのグループリーグ案を提示しているので紹介しておく。確かに大会期間は伸びるが、各チームが3試合できるのは、各地方局にとっても悪くないので、TV局の賛同も得やすいのではないか。大会日程の長期化対応は、上記の連戦を無くす方案で解消可能と考える。真剣に検討するに値する方案だと思う。



 さらにはクラブチームを参加させられないかと言う件。

 一方で「高校生活最後の1月のこの時期に高円宮杯を持ってこられないか」と言う正論が多い。しかし、私はそうは思わない。高円宮杯はエリート選手達が覇を競う、言わばユース世代のJリーグ。一方、高校選手権は多くの選手、チームが決勝大会にまで進出可能な、言わばユース世代の天皇杯だ。ユース世代は高校だろうがクラブだろうが、日本の学校制度の関係で3月で1つの切れ目を迎える。その切れ目にできるだけ近い正月に、多くのユース世代選手の夢がつながる大会を置いておきたい。これは約30年前に、その夢(正確には錯覚と言うべきかもしれないが)目指して、毎日グラウンドで走り回り削り合っていた元サッカー少年のノスタルジーかもしれないけれど。

 したがって、むしろ私はこの高校選手権を本当の意味でも「天皇杯」化するために、クラブチーム(ちなみにクラブチームと言うのはJのユースクラブだけではない)にも参加の道を開いて欲しい。

 TV局からすれば「朝練のために早朝起きて弁当を作るお母さん」がいればよいし(これは高校の部活だろうが、クラブユースだろうが同じ)、「苦節何十年の高校の先生」の代わりは「負傷に悩まされたかつての名選手だったユース監督」が使えるので、クラブユースを参加させる事にそれほど文句は言わないだろう。むしろ、「ユース代表だ」、「来期からはJ入りだ」とアナウンサが絶叫しやすくなるし、同じ高校に所属する選手が高校チームとクラブに分かれて戦うなどは格好のネタになるから、賛同は得られやすいのではないか。唯一問題は「負けている試合終盤に涙を流す美少女」の確保だが、Jクラブのユースならば、サポータが大挙して応援に来るだろうからそこから探していただこう。ただし「美少女」ではなく「美女」になるかもしれないが。

 もっとも、真面目な話、クラブチームの高校選手権出場実現は大変障害のある構想なのだ。高校サイドからはクラブユースとの選手勧誘合戦に「高校選手権の存在」が貴重な要素になっている部分もあるので強烈な反論が相当出てくるだろう。また、予選にしても、クラブチームを地域予選から加えるとなると、Jクラブがいる県の高校からは相当の反論が渦巻くのは間違いない。一方で、クラブチームを別枠で高校選手権本大会に出場させるとなると、「別な意味での不公平感」も高まり、これはこれで反論を生むだろう。しかし、サッカー界は常にこの事を考え、ユースサッカー界の発展を考えて行く必要があると思う。



 最後に全く視点を変えた話。これだけ多くのチームに優秀な選手が多数いるのだから凄い。そして、ここまで日本全体の選手層が厚くなった以上は、この裾野の広さをもっと有効に活かしたい。Jリーグのスカウトのお眼鏡に叶わずとも、優秀な素材は多数いるはずだ。さらに言えば選手権に出場できたタレントすら、氷山の一角と言ってもよいだろう。意欲ある優秀な選手がユース世代以降も(高校卒業後も)真剣にサッカーを続け、潜在力を磨ける環境を作っていきたいところだ。今年高校を卒業する無名選手の中に、かつての中澤や中村憲剛と同等の素質を持った若者が多数いるかもしれないではないか。

 この時点でJクラブから声がかからなかった若者の多くは大学で自らの限界に挑戦していくのだろう。これも有力なキャリアパスである事は間違いない。しかし、それ以外にもJFLや地域リーグの強チームで、有為な若者が力を蓄えられる機会が増えるのならばそれに越した事もない。重要な事は、トップへの夢をあきらめない若者が生計を立てながら球を蹴る事のできる環境が多様にある事なのだ。このような多様な環境を準備するための制度設計こそ、日本協会が真剣に考えるべきことのはずだ。以前にもも述べた事があるが、今の日本協会の財力があれば、そのような制度設計を検討する人材を雇用する事は可能なはず。その構想を、各地域協会やJクラブを通じて実現するだけの社会的なパワーも、今のサッカー界にはあるあはずだ。

 毎回毎回陳腐な事を述べていると言われようが、福島に中学生を集めるよりも、もっと重要で高邁な事を今の日本協会ならばやれると思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする