2007年08月28日

29年前の高校3年生

 ジュニアユース代表は、ナイジェリアに完敗した後、フランスにも敗れ、3位抜けも得失点差で叶わず、1次リーグ敗退となった。ナイジェリアに対しては(果敢な戦い振りはさておき)ちょっとどうしようもない印象があったが、フランスとは十分やれていた。しかし、柿谷のあの「ミラクル」があってなお、短い時間帯で逆転されたのだから、言い訳の余地はなく完敗と言うしかないだろう(たまたま「魔の時間帯」で2失点したのは確かだが、全体の流れから言ったら2失点はやむ無し、と言う展開ではあったのだから)。ちょっと悔しいのは、グループリーグが3位でもベスト16に残れる可能性があったため、2点差にされるのが最悪の事態となるために、試合終盤に強引な無理攻めができなかった事か。また、何とかしたい試合終盤に、柿谷と水沼の2人共がピッチにいないのも残念と言えば残念。
 しかし、未だベンチプレスすらしていそうに見えない貧弱な上半身しかしていない、我らが若者達が技巧と判断で、フランスとナイジェリアと堂々と戦っただけで、現時点では十分かと言う気もする。追いつくのは不可能かもしれないが、フィジカルの差はこれからの鍛錬でいくらでも詰まるはず。したがい問題になるのは、技巧と判断なのだ。
 「勝てなかった」事よりも、「つなげなかった」、「逃げのロングボールを蹴ってしまった」、「仕掛けるべき時に仕掛けなかった」と言う事を、1人1人がどれだけ反省できるか。先の長い戦いは継続する。まずは2年後のワールドユースが愉しみである。

 ともあれ、ちょっと水沼親子について。

 1978年、翌年の第2回ワールドユースを目指して強化を進める松本育夫監督率いる日本ユース代表は、バングラデシュで行なわれたアジアユース大会に出場した。この大会の上位2国が翌年日本で開催されるワールドユースに出場できる。もちろん、日本は地元なのでこの大会の成績はどうあれ、ワールドユース出場権があるのは言うまでもない。
 そのアジアユース。水沼貴史は高校3年生で日本の中心選手として出場した。最終ラインには柳下正明(浜名高→東農大)、水沼と同じ浦和南高の田中真二。水沼と一緒に中盤を構成したのが、半年前の高校選手権の準決勝で浦和南の3連覇の野望を打ち砕いた四日市中央工業高出身の樋口士郎(当時本田技研)、さらに全国的には全く無名の存在だった仙台向山高の鈴木淳(まだ高校2年生だった)。最前線には、尾崎加寿夫、さらには直前のインターハイで大活躍した関塚隆などがいた。
 前年の77年イラン大会では、金田喜稔、木村和司、山本正邦らのメンバで、準決勝進出を果たしていた日本(もし、この準決勝でイランに勝っていれば、第1回ワールドユース大会に出場できていたのだが)。このバングラデシュでの大会は、直前に行なっていた欧州遠征の内容もよかった事もあり、それなりの好成績が期待されていた。
 しかし、大会に入って日本のプレイは低調。日本は敢え無く1次リーグで敗退する。

 その後、日本は約1年間、徹底した強化を継続し、79年のワールドユースに臨むが、2分け1敗でグループリーグ敗退。再び日本がワールドユースに登場するのは、94年の予選を勝ち抜いた95年大会の16年後となる(この時の中心選手は田中誠、松田直樹、奥大介、中田英寿など)。

 この親子は、共に高校3年生で日の丸を背負い苦闘を演じてくれた訳だ。水沼貴史が出場していたのはアジアユース大会。一方水沼宏太が出場したのは1世代下ながら世界大会であるワールドジュニアユースだけれども。

 若い選手に過剰な期待をかけるのは適切ではない事を理解しているつもりだ。しかし、右サイド下がり目からの突破と味のあるクロス、敵陣前でのふてぶてしさ、ハイスピードのパスに対するボレーキックの巧さなど、親父殿を思い起こさずにはいられないプレイ振り。そう考えると、ついつい、この若者だけには大きな期待をしたくなってしまうのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:40| Comment(5) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月20日

ジュニアユース代表、まずは1勝

 ワールドジュニアユース初戦の相手はハイチ。

 TVのアナウンサが再三「ハイチは33年ぶりの世界大会」と強調していた。確かに、33年前にワールドカップ本大会に登場したが故に、私は「ハイチ」と言う国が中米のどこにあるか答える事ができるのだな。当時、欧州予選を無失点で通過したイタリアから得点を奪うのはいずれの国かと議論されていたが、1次リーグ初戦でアウトサイダと見られていたハイチが鮮やかな得点を奪ったのが印象的だった。この試合はその後イタリアがしっかりと3点取って逆転したが、イタリアはこの初戦がケチのつき始め。その後アルゼンチンと引き分け(当時のアルゼンチンは今日と異なり、優勝候補と言う雰囲気ではなかった)、さらにこの大会大躍進するポーランドに完敗し、敢え無く1次リーグ敗退となる。ハイチは結局、3連敗でワールドカップを終えるが、あの初戦のイタリア戦の速攻の鮮やかさは今でも記憶に残っている。

 さて、そのハイチ戦。
 ハイチの選手は皆アフリカ系の黒人選手。中米のチームを相手にしていると言うよりは、アフリカのチームと戦っている風情だった。そして日本はいかにも日本らしく、各選手が勤勉に動き短いパスをつなぎ、敵の隙を見つけてはサイドチェンジで変化を入れヒタヒタと攻め込んだ。正にミニ日本代表である。そして先制。
 ところが、後半も半ばまで進み、同点を狙ってハイチが前に出てくると、よいリズムを思うように維持できなくなる。解説の清水秀彦氏が、「ラインが下がり過ぎ」、「中盤で止まらない」と嘆くたびに、それ以上に状況が悪化し、つまらないミスも増えてくる。そして、ルーズボールのクリアミスを拾われ、冗談のような難しいドライブがかかったミドルシュートを決められ同点。
 そして、この失点直後から決定的にリズムがおかしくなる。中盤でやらずもがなのミスを連発、幾度も横パスを引っ掛けられ、速攻から決定機を許す。それをあのPK戦を勝ち抜く原動力になったGK廣永が再三のファインプレイで防ぐ。
 この苦境に城福氏は、負傷のために温存を余儀なくされていたエースの柿谷を投入。そして見事なサイドチェンジで主将の水沼が右サイドフリーでボールを受け、飛び込む河野(先日Jリーグデビューを飾ったタレントだと言うが、ボールをもっての落ち着きが頼もしい)が大柄頑健なCB2人に挟まれているのを見てとった水沼は親父譲りの図太さで低く速いセンタリング。混戦になったところを、河野が心憎いまでの冷静さで押し込んだ。さらに河野の好スルーパスで抜け出した柿谷がGKを鮮やかに抜き去り角度のないところから、何とも言いようのないシュートを決め2点差にした。

 苦しい試合ではあったが、終盤に攻撃のスターが活躍し振り切った試合。初戦としてはまずまずだろう。これから、もっと苦しい敵が待ち受けているのだろうが、この調子で上位進出を目指して欲しいものだ。

 しかし、どうして我々の代表チームは、A代表からこのU17まで、リズムが悪くなると、中盤の横パスをああも再三かっさわれるのだろうか。
 シュートを打たないとか、得点が中々入らないとかは、これは元々の素質か、国民性か(笑)、国民のサッカーへの嗜好か、不明だが何か理屈もつけられそうな気がする。そして、イライラする事は否定しないが、そのような課題を抱えながらも、いずれの選手も精神力と技巧と判断力のバランスが取れているのが、日本代表なのだ。
 しかし、1度リズムが崩れた際に、どうして大人から子供まで(笑)、ああも横パスを敵に奪われるのかは本当に不思議だ。リズムがよい時は、皆あんなに上手なのに。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

勝負は先だ

 若年層の代表チームは、有為な素材に経験を積ませるためにあるのだから、負けたとは言え我々の若者達がこれだけの経験を積む事ができたのだから、大成功と言える大会だったのだろう。と、強がりを言うには、あまりに惜しい敗退だった。

 チェコ戦と言うと、3年前の甘美な思い出と言う事になる。しかし、今回のチームは、当時ネドベドに率いられた速くて鋭いパスでひたひたと攻め込んでくるやり方とは随分異なり、大柄な選手への長いボールを基盤にしたチームだった。ネドベドやポボルスキーと言ったタレントがいないと、コーラー、ロクベンツ頼りになってしまうと言う事なのか。ちょっと寂しかった。その寂しいチームに注文相撲でやられたのだから、悔しさはひとしおなのだが。

 序盤こそ押し込まれたものの、前半半ば以降日本は小気味の良いパスワークでチェコを圧倒。CKで先制後も攻勢を取る事ができていた。さらに後半早々にPKで加点(映像で見る限り明らかなPKだし、完全に崩せていた)。典型的な勝ちパタンと思われた。
 ところが、このあたりからチェコが、「長身選手に長いボールを合わせ後方から怒涛の押し上げをする」と言う、単調ながら徹底した攻撃をしかけてきた。日本の対応手段としては
(1)ラインをさらに上げて前線からプレスをかける
(2)中盤の運動量を上げて再度ボールキープで優位になるようにする
(3)後方の選手を増やしてはね返す
(4)敵の間延びを狙い逆襲速攻を仕掛ける
等の方法が考えられた。2点差があるのだしいずれかの手段に意思統一し、まずは落ち着くべきだった。しかし、残念な事にいずれの策を執る事もなくズルズルと押されるに任せてしまった。そのような意味では、個々の選手の判断力にも大きな課題があったし、吉田監督の采配にも疑問が残った。チェコは相当無理攻めを仕掛けていたのだから、我慢すれば攻め疲れも期待できたのだが。
 失点はPK2本によるものだが、いずれのプレイもPKと言われて仕方がないものだった。PK場面以外も、あの時間帯には好機を多数作られたのかだから、追いつかれて当然と言う時間帯だった。せめて1点差にされた時は、落ち着く絶好のタイミングだったのだが。
 同点になって、チェコが一息ついた以降は、退場者が出た事もあって、再び日本のペースとなった。以降は慌てる事なく丁寧に攻め、延長終盤には後一歩まで攻め込んだのだが、仕留め切れなかった。この日3本のPKを取った主審だが、終盤の誰が見てもハンドでPKと言う場面を見落とされたのは悔しいね。

 それにしてもバランスの取れたよいチームだった。穴がないと言う意味では、99年の準優勝のチームよりも優れていたのではないか。当時のチームと比べて攻撃ラインは遜色ないし、守備ラインの人材は格段に今回の方が優れていたと思う。だからこそ、もう少し多くの試合経験を積んで欲しかった。世界のベスト16程度で終わってしまうには、あまりに惜しい世代だった。
 当時小野たちはやはり同じ1/16ファイナルで、ポルトガルと死闘を演じPK戦で準々決勝進出を決めた。あの試合は後半早々遠藤が先制し、さらにポルトガルが選手交代を使い切った後にGKが負傷退場。10人で素人GKとなったポルトガルが、逆に戦意を高めてきて猛攻を仕掛けてきた。日本は、80分に追いつかれ、延長でも圧倒的な攻勢を取られたが、かろうじて同点で試合を終え、PK戦の末振り切る事に成功した。
 チェコの5人目にやられるまで、あの場面を思い出し、勝利を信じていたのだが。

 済んでしまった事は仕方が無い。そして、彼らの挑戦はこれで終わりなわけではない。まずは今秋行なわれる五輪最終予選がその舞台となる。8月上旬には最終予選に向けた遠征が行なわれると聞いているが、そこから今回のユース選手が大量に五輪代表に流入し始めるはず(五輪代表の反町監督はA代表に帯同しベトナムにいるのだが、ヴィクトリアに行かなくてよかったのだろうか)。
 そして、安田よ。君が目指した「99年メンバ越え」は、ワールドカップ本大会で実現してくれ。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(10) | TrackBack(2) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

好調ユース代表の不安

 ユース代表は第2戦のコスタリカ戦に見事な勝利を上げた。

 正に「中米の雄」対「東アジアのトップチーム」の戦いの典型。両軍の技巧によるボールキープ能力はほぼ互角、前線からのプレスも強力でお互い容易に中盤に拠点を作れない。それでも、僅かな隙を見つけて中盤でフリーの選手ができると、コスタリカは俊足のFWが日本の守備ラインの背後を狙い、日本は両サイドからの崩しを試みる。
 前半やや劣勢だった日本だが、コスタリカがやや疲労しプレスが甘くなってきた後半半ば、少しずつ柏木が前を向けるようになり、日本の好機が増え始める。
 決勝点は内田?が前線に入れた速いボールが敵に当たって、偶然に右サイドでアトムが前を向いてボールを捉えたのが起点。素早く当てられた若森島がさらに左に展開。この展開前に若森島は、左にドリブルでそのまま左足でシュートに持ち込むかのような動きを見せた。そのため、敵DFは3枚若森島にアプローチする事になり、梅崎は完全にフリーでボールを受ける事ができた。中央から左に振られた3枚のDFは当然視線を梅崎に移すから、起点となったアトムがファーに飛び込むのを誰もつかまえられなかった。若森島の素晴らしい想像力による得点だったと言えるのではないか。この若者は、得点後の振る舞いがアレだから誤解?されているが、判断力と言うかサッカー頭と言うかは非常に優れているように思う。もっとも、本人は梅崎のセンタリングを自分で決めるつもりだったかもしれないから、褒め過ぎかもしれないが。

 ともあれ、気になった事が1点だけ。
 このユース代表のフィールドプレイヤレギュラの10人を(非常に失礼ながら)性格的な見地から4種類に分類してみる。こうして見るとこのチームが非常にバランスが取れているのがわかるな。
 いわゆるアレ:若森島、槇野、安田
 天才:柏木、梅崎
 知的労働者:青山、アトム、河原(「えなり」と呼称するか迷うところだが)
 精神的支柱:福元、内田。
 ところが、この日は「精神的支柱」であるべき福元と内田のミスが目立った。特に主将の福元は、再三後方を取られ危ない場面を作ってしまった。大体、坊主頭の福元の左右の選手の頭が金色と真っ赤なのがそれぞれのキャラクタを示しているのだが、福元のミスを再三安田がカバーしてくれた。坊主頭が「スマン」とあやまり、金色が「いいよ、いいよ」と返すのが、何とも言えずに味わい深かったが。
 また内田も今一歩の内容だ。アジアユースではこの選手の攻め上がりが大きな武器になっていたのだが、今大会はセンタリングの精度があまりよくない。守備面でも軽率なミスが目立つ。
 2人とも、体調が今一歩なのか、バカダンスに参加しないのがいけないのか、原因は不明だが、今後の上位進出に向け気になるところだ。
 言い換えれば、そこが改善されれば、欧州、南米の列強にも存分に対抗できる戦闘能力を感じるよいチームだと思う。こちらで金色君が語った目標達成を期待したい。

 ついでに1つ余談。アトムの英語表記は「ATOMU」より「ATOM」の方がよいと思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月03日

ユース代表初戦快勝

 スコットランドの監督アーチー・ゲミル氏は、私達の世代には忘れ難い名選手だ。70年代半ばイングランドリーグをダービーカウンティとノッティンガムフォレストの中盤の将軍として2度制覇している。小柄ながら、中盤後方で豊富な運動量と安定した技巧で支えた名手中の名手。当時スコットランドは欧州屈指の強豪で、78年アルゼンチンワールドカップ前には優勝候補の一角とも言われた。ちなみにイングランドは予選でイタリアに屈して本大会に出場できなかったが、当時はスコットランドの方がイングランドより強かったのは間違いない。この時のスコットランドの中盤は充実しており多数の名手がズラリと揃っていた。結果的に初戦のペルー戦は、押し出されるかのようにゲミルはスタメンから外れてしまった。ところがスコットランドはこの試合、ペルーの伝説的名手クビジャスの技巧にチンチンにされ完敗。続く2試合目のイラン戦からゲミルが起用された。ところが、イランの自殺点で先制したものの、後半にゲミルが自陣前でベロンと抜かれたところから失点し、結局1−1に終わる。当時、アジア代表が欧州のチームと本大会で引き分けるのは、相当な快挙だった。しかし、ゲミルはこの屈辱を、1次リーグ最終戦のオランダ戦で晴らすことに成功する。3点差で勝たなければ次ラウンドに出場できないと言う厳しい状態のこの試合、オランダの名手レンセンブリングにPKで先制されるも、リバプールの名手ダルグリッシュで追いつくや、ゲミルのPKで逆転。そして、ゲミルが鮮やかなドリブル突破から3人抜きで美しい得点を決める。その後、オランダのレップに1点差とされてしまい、敢え無くスコットランドは1次リーグ敗退。以降もスコットランドはワールドカップに出場しては、1次リーグの壁にはね返される歴史を繰り返す事になる。
 ともあれ、この名手率いる大英帝国北方のサッカー強国に対し、我らの自慢の若者達が完勝したのだ。何も文句を言う筋合いはあるまい。

 試合そのものは、日本が技巧、戦術眼でスコットランドを圧倒した。一方のスコットランドは1人1人は決して器用ではないが丁寧なプレイを続けて、高さと強さで日本の守備陣を悩ませる。それでも、日本の守備陣が粘っているうちに、根負けしたスコットランドにミスが出始め、日本が先制に成功した。槇野の何でもない縦パスを敵CBがミス、さらにGKがクリアを若森島にぶつけてしまうのだから、幸運といえば幸運。しかし、この幸運は技巧的なサッカーで日本が攻め続けたから舞い降りたものと考えるべきだろう。以降は前に出てきたスコットランドのミスを拾った逆襲から、梅崎と青山が見事なミドルシュートを決めて振り切った。青山はこのメンバの中で唯一Jでの試合出場経験に乏しい人材。ベンチにはJでも経験を積んでいる太田、香川、森重、柳川らがいた訳だが、それでも青山にこだわった吉田監督の采配に見事にこたえた。得点場面も見事だったが、DFラインの前でよくボールにさわり、見事な展開振りだった。この日のマンオブザマッチと言ってもよいだろう。どうでもいい話だが、北京世代にはどうして「青山」と言う選手が多いのだろうか。
 柏木、梅崎は「格」を発揮し、林、福元、槇野は常に安定した戦いを見せ、若森島は強さと思い切りのよさで活躍し(でも後半柏木のパスから抜け出した場面は決めろよ)、アトムと河原は知的によく動いた。贅沢を言うと、内田と安田には攻め上がるのみならず常に高精度なラストパスを狙って欲しかったと思うが、これは期待値が高過ぎるのかもしれない。

 余談ながら、どのような世代でも日本の代表チームならば、つまらないミス(選手にも監督にも)や燃料切れが起こらなければ、欧州北方の国との試合はこのような展開から、技巧と戦術眼で勝利するパタンを持っている。私がアジアカップについつい楽観的になるのは、今の代表チームならば豪州相手にこの日のユースのような試合で快勝できるのではないかと思うからなのだが。

 ともあれ、初戦快勝は結構な事。あのバカダンスを幾度も鑑賞できる事を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(14) | TrackBack(2) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

若年層代表チーム選手招集問題

 いささか旧聞ではあるが、コンサドーレの三浦監督が、なかなか面白い発言をしたらしい。要点を抜粋してみた。
大事なことは所属チームで出ること。(抜ければ)もちろん痛いです。(招集は)ルールでそうなっているからしょうがないけれど、個人的にはサブなら連れていく必要はない。U−20の大会は世界的にはそれほどではないし、プレミアリーグの選手は(ほとんど)出ないし、スーパーの選手はいない。ルーニー(マンチェスターU)だって卒業していた。出ないなら、行かないほうがいい。
 快調にJ2首位を走る三浦氏としては、「とにかく藤田を取られるのは痛い」と言うのがホンネだろう。しかし、スポーツ新聞の報道ゆえ本当にこのような発言をしたかどうかは割り引いて考えなければならないだろうが、正直言って「知将三浦俊也」としては隙のあり過ぎる発言である。

 いくつか揚足を取る。
 「個人的にはサブならば連れていく必要はない」
 この言葉をそのまま真に受ければ「レギュラの11人ならばJリーグから選手を連れて行ってもよいが、サブならばJでプレイする選手を連れて行くべきではない」と言う事になってしまう。論理的に分析すると、あまりに説得力のない発言となってしまっている。三浦氏としてはマスコミを用いて、吉田氏にプレッシャをかけたつもりなのかもしれないが。
 「U−20の大会は世界的にはそれほどではないし...」
 アルゼンチンが、過去誰をこの大会に出場させていたか知らない訳ではなかろうに。
 「ルーニーだって卒業していた。」
 あんた、藤田は日本のルーニーかい。札幌のルーニーかもしれないけれど。もっとも、ペトロビッチ氏が柏木に関して同じ発言をしたならば、結構迫力はあったかもしれない。ちなみに、小野、高原、遠藤、小笠原らでワールドユース準優勝を果たした時の1次リーグイングランド戦、敵にクラウチがいたな。

 何より、この発言が公になった事で藤田本人が辛くなったな。コンサドーレユース出身ゆえコンサドーレへの愛着は人一倍だろうが、ようやく掴んだ日の丸のチャンス。ここで成果を発揮し、ワールドユースでも活躍すれば、一気に北京五輪代表、そして南アフリカへと野望が広がるはず。ところが、三浦氏の発言が藤田の耳に入れば、「もしかして代表に行ってしまったら、三浦さんには使ってもらえなくなるのだろうか」くらい思っても不思議ではなくなってしまう。

 三浦氏はこう言うべきだったのではなかろうか。
78年地元ワールドカップで初優勝したアルゼンチン代表チームは、75年のトゥーロン国際大会からスタートを切ったと言う。この由緒ある大会の代表に、我がコンサドーレの藤田征也が選出された事を誇りに思う。藤田が代表に取られるのは本当に痛いが、トゥーロン、そしてカナダで藤田が活躍する事は、コンサドーレの財産そのものになる。吉田監督にお願いしたいのは、とにかく藤田をたくさん使ってもらう事。J1クラブに所属している他の誰にも負けない実力を持っているのだから、1分でも多く使って欲しい。もし、藤田の実力を見誤って、出場時間が短いようだったら、それは日本サッカー界にとって大損失だ...
とか。
 あるいは、「(ワールドユースはさておき)準備のための合宿や遠征は止めるべきだ」と、本質的な事に絞って発言した方がよかったかもしれない。これはこれで1つの卓見である。私は日本代表サポータではあるが、一方で若年層代表チームの強化は、あまりに単独チームの犠牲の上に成り立ち過ぎているのではないかと危惧している。たとえば、ワールドユース前にトゥーロンに行くよりは、各選手がJで戦う方がより強化には適切かもしれない。集まって強化するばかりが能でないのだから。

 ともあれ、藤田はよい選手だ。トゥーロンでもカナダでも十分期待できる。毎週の厳しいJ2の試合と、今回の国際経験を巧く組み合わせ、この好機を活かして大いに成長して欲しいところだ。
 
 より上位を快走する目の上のタンコブ、三浦氏のこの不用意かつ軽率な発言は、コンサドーレにとってマイナスにしかならなかったではないかと思ったりする。シメシメ。と最後にホンネ。
posted by 武藤文雄 at 23:50| Comment(10) | TrackBack(1) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月30日

15番の思い出

 森本がセリエAで初得点を決めた。

 カターニャと言うあまりなじみのないクラブに加入し、まだユースでプレイしているのかと思っていたのだが、トップにデビューしいきなり初得点を決めたようだ。さっそく各種情報が要領よくまとめられたこちらは便利だな。この選手はJリーグでのデビューでいきなりジュビロの山西をまたぐフェイントで悩ませ、初得点を決めた時は位置取りの駆け引きで(当時)ジェフの茶野を出し抜いた。僅か15歳でJにデビューした事そのものも凄かったが、もっと感心させられたのは、そのあくなき前進意欲。常に前に行こうとする意欲、それも単にゴリ押しではなく、技巧を活かしながら強引に前に行こうとする意欲が素晴らしかった。さらに、敵陣に入るあたりで、しっかりと駆け引きできる冷静さにも感心させられた。

 その若者が早々にイタリアに飛んだ。その判断、意思決定が妥当かどうかは結果が決める事。ただし、10代半ばで「本場」に飛び、ワールドカップ出場を除く全ての栄光を掴み尊敬を集める男が日本にはいるのだよね。そう考えると、「その意気やよし」なのかなとは思っていた。

 で、その初得点。映像を見るやに興奮した。これはストライカだ。あの右サイドからクロスを上げた選手がどこまでの意図を持っていたのかはよくわからない。とにかく、あのクロスが上がったスペースに、少しタメを作っておいてトップスピードで入ってきてDFを振り切ったところからスタート。斜め後方からの浮き球と言う難しいボールを、とにもかくにもしっかりとコントロールしたのがまず素晴らしい。次にシュートを阻止しようと身体を寄せてくるDFを、腰までしっかり入れて肩でブロックして吹き飛ばしたのには感慨。その上でそのような外乱を防いだ後、利き足の右で強いボールを蹴る事ができる場所にボールを置き直す(この「置き直し」が、この見事な得点でもっとも重要にも思える)。そして、その2つ前のプレイで着実にトラップしたボールを、悠然とインステップキックで強烈に蹴り込んだ。

 何とまあ、あざやかな得点である事か。この森本と言う若者が、並々ならぬストライカの素質を持っている事は間違いない。まだ「素質」と言うしかないのだけれども。



 そして、何より嬉しかった事は、この若者の背番号が「15番」だった事。今を去る事、30数年前だろうか。とにかく得点を取る事のみを考えていたあの偉大なストライカは、日本代表に入ると、いつも「15番」を付けていたなと。
posted by 武藤文雄 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(1) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月10日

高校選手権の将来

 高円宮杯が非常に充実した大会になり、各地域でユース年代のサッカーでリーグ戦が定着している現状で、正月の風物詩でもある高校サッカー選手権はどうあるべきか。もちろんサッカー界の都合だけで事は運ばず、日本テレビや高体連の思惑もあるのだが、いくつか考えてみた。



 まず誰でも考える事は、連戦を無くし、45分ハーフ、延長戦ありに変更する事だろう。

 連戦を無くすのは、各高校が冬休みに入った26日あたりから大会を始めれば何とかなるし、TV局が毎日試合が無いと困るならば、1日ずらしで大会を進行させる手もある。数年前にやったように決勝戦を1週ずらした1月中旬にする手段もとれる。

 45分ハーフにするのは、放映枠との絡みが出てくるが、延長戦よりは導入しやすいので、サッカー協会は早々にでも主張をすべきだろう。

 問題は延長戦だ。日本テレビに納得させるよい知恵が浮かばない。録画による時差中継にしても、延長に入る試合だけ後半から放送が始めるようなバレーボールみたいな見え見えの放送をする訳にもいかないし難しいところ。毎日の試合後に、高校サッカーダイジェストみたいな枠を準備してもらえればよいのだが、そう考えると新たなスポンサ開拓が必要になるような大騒動になりかねない。このような問題にこそ、日本協会会長に頑張って欲しいのだが(以下略)。



 次にトーナメントでよいのかと言う話。各県1校が本大会に登場する事は必須なのだから、長期に渡るリーグ戦にするのは難しい。この件については、友人がユニークな4チームのグループリーグ案を提示しているので紹介しておく。確かに大会期間は伸びるが、各チームが3試合できるのは、各地方局にとっても悪くないので、TV局の賛同も得やすいのではないか。大会日程の長期化対応は、上記の連戦を無くす方案で解消可能と考える。真剣に検討するに値する方案だと思う。



 さらにはクラブチームを参加させられないかと言う件。

 一方で「高校生活最後の1月のこの時期に高円宮杯を持ってこられないか」と言う正論が多い。しかし、私はそうは思わない。高円宮杯はエリート選手達が覇を競う、言わばユース世代のJリーグ。一方、高校選手権は多くの選手、チームが決勝大会にまで進出可能な、言わばユース世代の天皇杯だ。ユース世代は高校だろうがクラブだろうが、日本の学校制度の関係で3月で1つの切れ目を迎える。その切れ目にできるだけ近い正月に、多くのユース世代選手の夢がつながる大会を置いておきたい。これは約30年前に、その夢(正確には錯覚と言うべきかもしれないが)目指して、毎日グラウンドで走り回り削り合っていた元サッカー少年のノスタルジーかもしれないけれど。

 したがって、むしろ私はこの高校選手権を本当の意味でも「天皇杯」化するために、クラブチーム(ちなみにクラブチームと言うのはJのユースクラブだけではない)にも参加の道を開いて欲しい。

 TV局からすれば「朝練のために早朝起きて弁当を作るお母さん」がいればよいし(これは高校の部活だろうが、クラブユースだろうが同じ)、「苦節何十年の高校の先生」の代わりは「負傷に悩まされたかつての名選手だったユース監督」が使えるので、クラブユースを参加させる事にそれほど文句は言わないだろう。むしろ、「ユース代表だ」、「来期からはJ入りだ」とアナウンサが絶叫しやすくなるし、同じ高校に所属する選手が高校チームとクラブに分かれて戦うなどは格好のネタになるから、賛同は得られやすいのではないか。唯一問題は「負けている試合終盤に涙を流す美少女」の確保だが、Jクラブのユースならば、サポータが大挙して応援に来るだろうからそこから探していただこう。ただし「美少女」ではなく「美女」になるかもしれないが。

 もっとも、真面目な話、クラブチームの高校選手権出場実現は大変障害のある構想なのだ。高校サイドからはクラブユースとの選手勧誘合戦に「高校選手権の存在」が貴重な要素になっている部分もあるので強烈な反論が相当出てくるだろう。また、予選にしても、クラブチームを地域予選から加えるとなると、Jクラブがいる県の高校からは相当の反論が渦巻くのは間違いない。一方で、クラブチームを別枠で高校選手権本大会に出場させるとなると、「別な意味での不公平感」も高まり、これはこれで反論を生むだろう。しかし、サッカー界は常にこの事を考え、ユースサッカー界の発展を考えて行く必要があると思う。



 最後に全く視点を変えた話。これだけ多くのチームに優秀な選手が多数いるのだから凄い。そして、ここまで日本全体の選手層が厚くなった以上は、この裾野の広さをもっと有効に活かしたい。Jリーグのスカウトのお眼鏡に叶わずとも、優秀な素材は多数いるはずだ。さらに言えば選手権に出場できたタレントすら、氷山の一角と言ってもよいだろう。意欲ある優秀な選手がユース世代以降も(高校卒業後も)真剣にサッカーを続け、潜在力を磨ける環境を作っていきたいところだ。今年高校を卒業する無名選手の中に、かつての中澤や中村憲剛と同等の素質を持った若者が多数いるかもしれないではないか。

 この時点でJクラブから声がかからなかった若者の多くは大学で自らの限界に挑戦していくのだろう。これも有力なキャリアパスである事は間違いない。しかし、それ以外にもJFLや地域リーグの強チームで、有為な若者が力を蓄えられる機会が増えるのならばそれに越した事もない。重要な事は、トップへの夢をあきらめない若者が生計を立てながら球を蹴る事のできる環境が多様にある事なのだ。このような多様な環境を準備するための制度設計こそ、日本協会が真剣に考えるべきことのはずだ。以前にもも述べた事があるが、今の日本協会の財力があれば、そのような制度設計を検討する人材を雇用する事は可能なはず。その構想を、各地域協会やJクラブを通じて実現するだけの社会的なパワーも、今のサッカー界にはあるあはずだ。

 毎回毎回陳腐な事を述べていると言われようが、福島に中学生を集めるよりも、もっと重要で高邁な事を今の日本協会ならばやれると思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

盛岡商業全国制覇

 私は東北人だ。素直に嬉しい。私が物心ついた以降、東北地方のチームがこのような全国規模のタイトルを獲得した事はなかった。学生時代に幾度と無く岩手県のチームと戦った事もある。また、齋藤先生についてもよく存じ上げている(もちろん、先方は私の事など覚えていないだろうが)。現場近くにいた当時(20年ほど前の事だが)、関東や静岡の高校がやっているサッカーと、我が地域のサッカーとには、歴然とした質の差があった。それでも、齋藤先生を含めた多くの現場の指導者が、地道に努力を重ねていた。

 東北のサッカー界は、藤島信雄や加藤久のような紛れも無い日本サッカー史に残るトッププレイヤを登場させているし、最近でも小笠原満男や今野泰幸など優秀な選手を輩出している。しかし、チームとして全国を席巻する東北チームは中々登場しなかった。一昨年の青森山田のインタハイ制覇にも感嘆したが、やはり正月の高校選手権制覇となると一層感慨深い。



 のんびりと正月を仙台で過ごしていたのだが、利府高校が初戦敗退してしまったため、宮城テレビは高校サッカーを中継してくれない。このあたりは、ベガルタが仙台に定着した今日でも私の学生時代と変わらぬ悲しい状況だ。そのため、生観戦はもちろん映像でも、この大会をほとんど見る事はできなかった。じっくりと映像を見る事ができたのは、準決勝と決勝のみだから情けない。

 大会序盤にPK戦が多く、3試合を無得点で勝ち抜くチームが丸岡、広島皆実と2チーム出たのが話題になったが、まあ乱暴な一般論からすれば、組織的な守備をしっかりするチームが多かったのだろう。その中で攻撃にも一工夫あり、かつ運に恵まれたチームが上位に進んだと言う事か。決勝に残った2チームにしても、組織的な巧みな守備もさすがだったが、前線によいタレントを抱えていた。

 特に個人的に気に入ったのは作陽の村井。トップでボールを受けながら、テクニックによる突破もノールックのラストパスも選択でき、しかも長身。決勝戦でも、後半起用された早々に自分をハードマークしてくる盛岡主将の藤村にラフファイトを演じる駆け引きもなかなか。敗戦後の悔しさを噛み殺す表情もよかった。膝の負傷が慢性で無い事を祈るのみだが、大変な素材だと思ったのけれどあまり騒がれていませんね。

 Jユースに選手が取られ「レベルが下がった」と評する向きがあるようだが、準決勝以降の3試合を見た限りでは、特にそうは思わなかった。一時の帝京とか清水勢とか国見とか市立船橋とか東福岡などのように、ユース代表クラスが複数名登場するチームがなかったと言う事ではないか。ちなみに友人のユースウォッチャの高円宮杯と仙台カップが東北勢の強化に貢献していると言うには納得(仙台カップは、日本ユース代表が国内でアウェイ体験できると言う意味でも貴重な大会らしいけれど)。

 もっとも、昨年アジアユースで準優勝したユース代表を構成した選手のほとんどが、Jユースクラブ出身だった。あれほど、高校チーム出身者が少なかったユース代表は初めてだったのは確かだが、選手の評価はこれからなのだから、むしろ北京五輪に向けてどの選手が伸びてくるかに注目したい。
posted by 武藤文雄 at 23:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月28日

ファンタジスタを生み出す国

 ダラダラとサボっているうちに、すっかり年の瀬になってしまった。色々あった1年だったが、全体を振り返るのは毎年のように30日、31日に行いたいと思う。

 今日講釈を垂れたいのは、今年日本サッカー界に若きファンタジスタ(いや呼び方はエキストラキッカでも何でもよいです、要は技巧的で創造的な攻撃の名手の事)が次々に登場した(しつつある)と言う事。



 散々反町氏に毒を吐いたアジア大会。反町監督の手腕に多々疑問は残ったが、本田圭佑が凄かった事だけは間違いない。パキスタン戦のいきなりの先制FKで度肝を抜き、シリア戦では平山に完璧なクロスを合わせ、北朝鮮戦は先制された直後に増田に完璧なスルーパスを通し一柳へのアシストを演出。北朝鮮戦はその後も、苦しい状況で幾度と無く好機を演出した。

 一方、日本協会の不可思議な選考基準からアジア大会のメンバ外になった水野晃樹。水野不在でアジア大会に臨む事そのものがスキャンダルと言ってもよい程シーズン終盤は充実していた。あのナビスコの「水野晃樹の決勝戦」、そしてあの国立の韓国戦、幾度と無く右サイドをえぐり続けた水野。

 決勝がちょっと悔しかったアジアユース。大会前からJで猛威を振るっていた梅崎には相当な期待がかかっていた。技巧で屈強な守備者を抜き去るタイミングを完全にものしたこのこの若者は、そのドリブルへの自信(と言うか確信と言うか)から、次々に変化ある攻撃をJで見せてくれていたからだ。そして迎えたアジアユース、梅崎の出来はそう悪くは無かったのが、やや印象が薄くなってしまった。

 それは、この大会ではあまりに柏木が充実していたからだ。独特のテンポのドリブルから落ち着いたパス、正確なヒールキックで見事にゲームを作った。あげく、決勝では強引なドリブルから強烈な得点も決めた。この2人が来年のワールドユースで世界相手に、どのような技巧と発想を見せてくれるか。

 そして、柿谷。あのアジアジュニアユース決勝戦でのプレイ。何かこう、論評すら無意味な印象を持たせてくれたプレイの数々。組織がどうだ、駆け引きがどうだ、と言う事以前に圧倒的な個人能力で北朝鮮を叩きのめしてくれた。この若者も来年は世界が待っている。



 よく、小野たちの世代は「黄金世代」と呼ばれていた。この「黄金世代」と言う表現にはには2つの意味があったように思う。1つはワールドユースで準優勝した世代の事を示す意味。つまり、この年代の選手達には、小野を筆頭に高原、稲本らワールドユース直後に一気にA代表まで昇格した選手が多く、他の世代よりも質量とも優れた選手が多いと言う見方だ。

 もう1つは、少し世代の幅を広げていわゆるシドニー五輪世代には、中田、中村、小野、小笠原と言った所謂ファンタジスタ系の選手が多かったと言う見方もあったように思う。以降の世代に決定的なその手の選手がなかなか出てこなかった事もあり(唯一の例外は松井だろうか)、結果的に現在20代後半の世代が、日本サッカー界の1つのピークと言う雰囲気があった。そしてその貴重な世代のワールドカップを川淵とジーコによって台無しにされた悔しさが、今年の日本サッカー界には漂っていた。



 しかし、日本のサッカーは短期的に代表監督の選考を誤ったり、協会会長が訳の分からない理屈をこね回して居座っても、ビクともしない堅牢な若手育成システムが確立しているようだ。本田、水野、梅崎、柏木、柿谷と言った前途有為なタレントが次々に登場するのだから。彼らがこれから順調に成長できるかどうかはわからない。また、オシム氏が常日頃語るように、彼らだけでは強いチームは作れず、彼らに献身する優秀な人材の育成も不可欠だ。さらには彼らが作った好機を敵陣に叩き込むストライカの育成(いやストライカと言うポジションは、他のポジション以上に育成するものではなく登場するものかもしれないが)も必須だろう。

 とは言え、これだけの逸材が次々に登場した2006年は、それはそれで悪くなかった年だったと振り返ってもバチは当たるまい。
posted by 武藤文雄 at 23:34| Comment(11) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする