2014年12月31日

2014年10大ニュース

 ブラジルワールドカップ。愉しい日々でした。行ってよかった。そして、本業にも恵まれ、ブログを思うように更新できない日々が続きました。
 昨日暴言を吐きましたが、Jリーグはいささか後退期に入っているかもしれません。少年の8人制もいかがとは思います。でも、大丈夫。日本のサッカーの発展は着実に進んでいます。底辺で毎週子供たちに遊んでもらっている立場からも、東北の経済的に苦しいJクラブのサポータと言う立場からも、間違いなくそれは実感しています。
 1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。

1.ワールドカップ1次リーグ敗退
 悔しかった。でも、あの崩壊劇を堪能できたのだから、現地に行ってよかった。作文中です。

2.ガンバ3冠獲得と長谷川健太氏
 終盤の差し足の鋭さは見事でした。遠藤爺と宇佐美と言う老若のスタアの競演も中々よかった。エスパルスで上々の成績を収めた長谷川健太氏は、さらに素晴らしい成果を挙げるに成功した。森保氏と並び、格段の実績を持つ若手?日本人監督となった。おめでとうございます。 

3.賀川浩氏、FIFA会長賞受賞
 私たちの大先輩の栄誉。正に誇らしい。まあブラッター風情が、賀川さんにどうこう言うのはカチンと来るけれど。

4.若年層代表チーム敗退による過剰な将来悲観
 そりゃ、私だって悔しい。10代後半のエリート選手育成に課題があるのも明らかだ。だからと言って、一連の悲観論は、どうかと思う。サッカーライターの方々の「日本が弱くなったら、仕事が減ってしまう」と言う切実さは理解できなくもないけれど。

5.大型出資企業も歴史もないなラブのJ1進出相次ぐ
 今シーズンのJ1昇格クラブは、ベルマーレ、山雅、モンテディオ。甲信越3県すべてがJ1クラブを持ち、みちのくダービーが復帰し、サガンがACLまであと一歩と迫った。創意工夫で、大型出資企業も歴史のないクラブのJ1比率が着実に増えている(ベルマーレは歴史ありますね、すみません)。もはや、Jリーグは「すべてのJクラブが、J2以下の生活を覚悟すべきリーグ」に成熟した。まことにめでたい事だ。

6.アギーレ氏八百長騒動
 ちょっと心配になるのは、比較的ベテランの40代、50代のサッカー記者達が、「推定無罪」原則や「冤罪」リスクに、あまりに無頓着な事。我々年寄の数少ない存在意義は、若者たちに「落ち着け」と語りかける事にあると思うのだが。

7.天皇杯日程問題
 準決勝の少ない観客、悲しいではないか。1年でこの壮大なトーナメントを完結する事が不可能なのだ。2年越しでやろう。何も2年に1回とは言わない地方大会から決勝までを2年間かけて行い、それを毎年やればよいのだ。そうすれば、今年のように12月中旬の決勝も可能になる。

8.山岸の一撃
 勝てば天国、負ければ地獄、他人の不幸は蜜の味。入れ替え戦やJ1昇格戦の興奮は堪えられない。そこで、あんな得点決めるか。

9.ギラヴァンツ北九州、J1昇格権なくともJ2の5位に
 昇格要件を全否定するものではないが、総当たり戦で上位に入ったクラブこそ、強いし評価されるべきだと思うのだが。そのようなハンディキャップをものともせず、堂々と5位獲得。すばらしい。ちなみに北九州は、宮本輝起を擁したJSL黎明期の新日鉄のホームグラウンドですね。

10.悲しい2シーズン制
 昨日書きました。まあ、いいんですけれどもね。愚かな施策程度では、我々のJは死にません。
posted by 武藤文雄 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年ベストイレブン

毎年恒例のいい加減なベストイレブンです。ワールドカップが残念だっただけに、「該当者なし」にする事も考えたのですが、それではあまりに芸がないので、普通に選んでみました。肝心なワールドカップ総決算まだ未完成なのですが、それはそれで頑張っています。

GK 東口順昭
 ガンバの3冠はこのGK獲得なしにはあり得なかった。GKとしての実力は西川と甲乙つけ難いが、両クラブの今年の成績を鑑みて東口を選考。代表の正GKもこの2人のいずれかがよいのではないかと思うのだが。

DF 内田篤人
 ワールドカップで最も輝いた日本人選手。我慢を重ねここぞと言う所で見舞う鋭いタックル、タイミングを見極めた的確な攻撃参加。正にインテリジェンスの高さを見せてくれた。内田不在のアジアカップに不安は高まるばかりである。

DF 塩谷司
 縦を狙ってくる敵への応対が格段に向上。日本を代表するセンタバックに成長した。攻撃参加も巧みなのは正に現代的なセンタバックと言うところか。どこまで成長してくれるかは、日本代表の近い将来を大きく左右しそう。

DF 阿部勇樹
 レッズの守備を支えた相変わらずの知性。MFから下がってきて、守備のバランスをとり、美しいサイドチェンジを繰り出す。往時のプレイに一層の彩りが加わってきた。

DF 石川直樹
 今年のベガルタのJ1残留の最大の立役者。梁と野沢のベテランが奏でる芸術的パスワークを後方から支えてくれた。長友が不振だった今年、ドサクサまぎれに選考しました。

MF 細貝萌
 たとえばコートジボワール戦の終盤に各選手の足が止まった時に、細貝を起用し中盤でボール保持時間を増やす事で状況を打開できた可能性がある。守備的な選手にはこのような使い方もできるのだ。ワールドカップに続きアジアカップもメンバ外。本当にそれでよいのだろうか。

MF 遠藤保仁
 コートジボワール戦、遠藤起用後にようやくボールが回り出した。あの場面、ドログバを恐れずに日本がラインを上げる事ができたならば。相変わらずお元気に3冠に貢献。

MF 田口泰士
 明神や細貝とは異なる意味で、非常に有用な中盤選手。あと少し身体が強くなり守備力が強化されれば、大変なタレントに化ける可能性がある。アジアカップで見たかった。

MF 本田圭佑
 コートジボワール戦の先制点。本当に素晴らしかった。あの一撃だけで選ばない訳にいかない。ただ、それ以降のワールドカップのプレイはあまりに残念だったのだけれども。

FW 岡崎慎司
 あのコロンビア戦のダイビングヘッド。反対側のゴール裏から見ていた私は、本田がクロスを入れた瞬間、ゴールを確信した。祈、ブンデスリーガの得点王。

FW 豊田陽平
 わかりやすい強さと高さは、正に鍛錬の賜物。さらにテレビに登場した際の、わかりやすい解説は、それらの特徴が格段の知性に支えられている事を証明した。
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2014年06月12日

日本人審判団、開幕戦担当

 西村雄一氏、相楽亨氏、名木利幸氏の日本人審判団が、開幕戦のブラジル対クロアチアの審判団に指名された。

 これからありとあらゆる快楽を味わえるワールドカップ開始直前に、よい報せが1つ加わった訳だ。もちろん、皆さんご記憶の通り、アジアの主審が開幕戦をさばくのは初めてではない。2002年のフランス対セネガルはUAEのブジサイム氏が、前回の南アフリカ対メキシコはウズベキスタンのイルマトフ氏が、それぞれ笛を吹いている。開幕戦は地元国(または前回優勝国)つまりトップシード対セカンドシードの戦いとなり、当該対戦同士の地域外から審判団が選考される。トップシードまたはセカンドシードに入らないアジアの審判団にお声がかかりがちなためだろう。
 ともあれ、西村氏らが世界のトップレベルにある事は論を待たない。4年前の準々決勝ブラジル対オランダ、ブラジル優位と思われた試合だったが見事にオランダが勝利した試合。西村氏、相楽氏、それに韓国の鄭解相氏の審判団がさばいた。西村氏は、少々神経質過ぎる雰囲気もあったが、厳しめの早めの笛でゲームコントロール。フィリップ・メロの愚行を毅然とした態度で退場にした事と合せ、非常に高い評価を得た。
 その後、同年の拡大トヨタカップ決勝、インテル対マゼンベは、名木氏を加えたこの3人がさばいている(この試合はトヨタカップ、いやワールドクラブカップ史上初めて、欧州中南米ではない国のクラブであるマゼンベが決勝に登場した歴史的な試合だった)。
 そう考えると、西村氏、相楽氏、名木氏が、ワールドカップ開幕戦を担当するのは、そう不思議ではない。もはや、彼らは世界のトップなのだ。岡崎や香川や長友や内田や本田や遠藤が、そうであるのと同様に。
 何と素晴らしい時代になったものか。

 余談ながら、この3氏がさばいた直近のJの試合が、ユアテックでのベガルタ対サンフレッチェ。サンフレッチェの猛攻を、我らがベガルタ守備網が見事に押さえ切った美しい試合だった。全くの偶然ではあるが、何か誇らしい。
 
 2002年は論外だったが、過去2回のワールドカップで、審判の判定の難しさを感じる試合があった。
 まず前回の決勝戦スペイン対オランダ。序盤、オランダのデ・ヨングが足裏を見せるラフタックルをしたが、主審のウェブ氏は我慢して警告にとどめた。以降本件を含め14枚のカードが飛び交う乱戦ではあったが、オランダ、ハイティンファが退場になるまで約110分間緊迫した攻防が続いた。これを、見事なゲームコントロールと解釈すべきか、ミスジャッジと判断すべきか。少なくとも、この決勝戦はとても面白い試合だった事は間違いないのだが。
 前々回のポルトガル対オランダ。ワールドカップ史上最悪の試合だったかもしれない。名審判として名高い経験豊富なイワノフ氏が笛を吹いたこの試合、開始早々にオランダのブラルーズが対面にあたる若きクリスチャン・ロナウドを削る。ここでイワノフ氏は、我慢して黄色に止めたのだが、クリスチャン・ロナウドがこの負傷で後退を余儀なくされたものだから、当然のようにポルトガルが報復の渦。さらに試合中断後のドロップゴール直後に不運な事故があり、双方のラフファイトが止まらなくなってしまった。悲しい試合だった。
 
 審判は難しいのだ。我らが西村氏だって、このようなトラブルもあったのだし。
 ともあれ、我らの審判団が開幕戦をさばく。素直に、この現状に歓喜しよう。
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2014年01月02日

メキシコ五輪3位決定戦を堪能

 昨年8月24日にNHK放映されたメキシコ五輪3位決定戦の完全録画中継のテレビ桟敷観戦記です。中継直後に書き始めたのものの完成に至らず、正月休みに完成させました。結構未完成の文章が多いのは、反省しきりなのですけれども。


 もし「日本代表史で最も重要な試合を3つ選べ」と言われたら、「ベルリン五輪のスウェーデン戦、このメキシコ五輪の3位決定戦、そしてジョホールバル」と答えるのかなと思う。そのメキシコ五輪3位決定戦のフルタイム映像を、NHKが中継してくれた。
 考えてみると、この3位決定戦は釜本の2得点と試合終了の瞬間の映像しか見た事がなかった。今回の放映案内での説明によると、日本国内にフルタイムの映像が保存されていなかったとの事。そう言う事だったのか。そして、メキシコでたまたま映像が見つかり、今回の番組が成立したと言う。僅か45年前の歴史的試合の映像が適切に保存されていなかった事を嘆きつつも、この映像を堪能できた事を素直に喜びたい。

 そして何より嬉しかったのは、実に見事な試合だった事だ。
 技巧に優れ献身的な中盤、組織的で勇気あふれる最終ライン。時代の相違から、守備ラインの深さと前線でのチェックの甘さは否めない。また、最前線に1人で大仕事をしてしまうハイパーなストライカがいるので、トップに精度のよいボールを入れれば、それだけで押し上げが甘くとも攻撃が成立してしまっているのも確かだ。けれども、基本的には今も見慣れているおなじみの日本風サッカーが展開され、成果を上げている。とても愉快な試合映像だった。

 試合を振り返る前に、当時の五輪のレギュレーションをおさらいしておきたい。当時、五輪にはプロフェッショナルは出場できなかったのだ。まず、この事を理解できない若い方もいらっしゃるかもしれないが、サッカーに限らず五輪と言うのはそのような大会だったのだ。
 たとえば、4年前の東京五輪では、イタリア代表が一部選手がアマチュア規定違反と言う事で、大会直前に棄権を余儀なくされている。問題になったのは、既にインテルで欧州制覇をしていたファケッティやマッツオーラと言った後年のスーパースタアだったと言う。4年後の72年札幌冬季五輪において、大会直前にアルペンスキーの金メダル候補選手が、用具の宣伝に関与したとの事で追放になった「事件」もあった。
 したがって、日本がこの大会で対戦したブラジル、スペイン、フランス、そしてメキシコと言った国は、若いプロフェッショナル契約をしていない選手を集めたチームだった。実際同大会のメンバを見ても、上記サッカー強国のメンバで馴染み深い選手はほとんどいない。強いて言えば、フランスのラルケがプラティニ時代前のフランスフル代表の中盤のリーダに成長したくらいか。もし今日の日本でそのようなチームプレイを組むとしたら、大学選抜とユース代表を組み合わせたようなチームとなるだろう。
 一方で、東欧だけは、国家社会主義の国だった事もあり、たとえ選手がサッカーで生計を立てていても、給与は国が支給する形態ゆえプロフェッショナルではないと言う判断で、事実上のフル代表が五輪に出場していた。日本が準決勝で大敗したハンガリーは、欧州トップクラスの代表チームだったのだ。また、選手イビチャ・オシムは、そのような「アマチュア」と言う立場で、ユーゴスラビア代表として4年前の東京五輪に出場していた事になる。
 つまり、乱暴にたとえてみると、当時の五輪は、東欧やアジアの代表チーム、南米や西欧のユース代表が集まる独特の大会だったのだ。誤解しないで欲しいが、私は「だからメキシコ五輪銅メダルは、巷で騒がれているほどの偉業ではない」と言いたいのではない。むしろ、正確に当時の状況を把握しておく事こそ、この成績の偉大さは際立つと考えている。
 まず、この銅メダルは36年のベルリン五輪から80年のモスクワ五輪までの間で、欧州外の国が獲得した唯一のメダルだった(五輪へのプロフェッショナリズム導入がはじまった84年ロサンゼルス大会以降、プロフェッショナル選手が登場し南米やアフリカ諸国が好成績を収めているのは周知の通り)。さらに、我が日本代表チームが、ワールドカップを含め世界大会に向けてアジア予選を勝ち抜くの成功したのは、96年のアトランタ五輪以前は、メルボルン五輪とメキシコ五輪だった。この2点だけでも、メキシコ五輪実績の偉大さは際立つ。

 さて、試合。
 当時はいわゆる4-2-4システムが主流だった訳だが、日本は守備的に戦うためにカバーリングのためのスイーパをおいた5-2-3システムを採用していた、とよく言われる。しかし、映像を見た限りだが、いわゆる両翼の杉山(大杉山)と松本育夫は多くの時間帯、中盤に引いており、5-4-1と呼ぶ方が適切に思えた。
 嬉しいのは、中盤の質が高い事。敢闘型ファイタでボール奪取に優れる渡辺正。技巧的でエレガントで高精度のパスを操る宮本輝紀。落ち着いたボールキープができる松本育夫。そして、速さが格段なのに加え縦に出た瞬間のボール扱いが正確な大杉山。献身と技巧に優れた中盤が基軸の戦いとなるのは、今日と全く同じ。もちろん、全員のファーストタッチや身体の向きなど、今日ほど洗練されていない。だから、今の代表と比較して、チームとしてのボールキープには課題はあるのは一目瞭然だが、各選手の献身やできる事を確実にやる徹底振りはすばらしい。
 最終ラインは、今日では考えられない深いラインに位置する鎌田をスイーパとするやり方。おもしろいのは2ストッパが森と小城、2人とも本来は中盤で創造的な展開を得意とする選手。しかし、この試合ではメキシコの(少々短調な)クロスをはね返し続け、敵FWに対して鋭い当たりを継続した。両サイドバックの片山と山口は正に職人、厳しいマークで進出してくる敵を押さえ込む。GK横山の横への反応は、なるほど「動物的」な鋭さがある。
 これらのスペシャリスト10人の前に、ハイパーなストライカがいた訳だ。

 キックオフ直後、右サイド松本育夫のクロスがファーに流れかけたのを、釜本は強引に左足ボレーで合わせ、枠に飛ばす事に成功する。シュートそのものはGK正面で防がれたが、これはすごかった。おそらく、松本が蹴る瞬間に、釜本は後方に移動し、敵ストッパの視野から「消えた」のだろう。また、松本と釜本の間で、「どこに蹴るか」、「どこで受けるか」の約束事が完全にできていたのだろう。さらに、やや外に流れたボールに対し、1度巧く身体を外に開いて腰をしっかりと入れて、ある程度の強さのシュートをグラウンダで枠に飛ばす、釜本の技術の確かさ。
 解説していた釜本氏が「松本さんのクロスの精度がもう少し高ければ、決めていたのに」と語ったのはご愛嬌。それにしても、約束事通りのパスを受け、 強引に枠に持っていく事ができるストライカが、どんなに頼りになる事か。
 幾度も幾度も映像を見てきた先制弾。でも、その組み立てを堪能したのは、初めてだったが実に見事だった。中盤から宮本輝起がボールを持ち出し、クサビを釜本に。釜本は左サイド後方の大杉山に落とし、左サイドに飛び出す。そこに大杉山から柔らかいパス。左サイドに流れた釜本は、身体を入れたキープで、大杉山が上がる時間を稼ぎ、丁寧に大杉山にボールを渡し、中央に戻る。大杉山がサイドバックを揺さぶっている間に中央に戻った釜本に、大杉山が精度もタイミングも格段なクロス。後は、釜本自身の「ミスキック」と言う証言と共に歴史である。それにしても、「ミスキック」の前のトラップの絶妙な事。左斜め前方のここしかない場所へトラップする事で、「敵DFを外す」と「自分が強くボールを蹴る事ができる場所に置く」の2つを同時に成功させている。
 過去2点目の映像を再三見て、よく理解ができなかった事があった。大杉山のセンタリングが、ゴールラインぎりぎりをえぐったものではないのに、釜本へのマークが随分と緩かった事だ。今日と異なり、守備のプレッシャが厳しくない時代だった事はあるのだが、それにしても。この試合の前半映像を通して観る事で、その疑問が解けたように思えた。他の場面でもそうだったのだが、えぐらずにゴールラインに平行のクロスを正確に入れる事が、このチームの約束事だったのだ。上記した開始早々の松本のクロスも、松本が蹴った場所はそれほど深くはなかった。また、2対0になった後の前半終了間際、大杉山からのファーサイドのクロスを、釜本が見事なヘディングで落とし、宮本が全くのフリーでシュートを打った場面もその典型だった。
 できるだけゴールライン近くまでに進出してクロスを入れるのは、サイド突破のセオリー。しかし、その場合トップの選手はシュートするでなく囮となり、後方から進出してくる選手が狙う形が多くなる。しかし、このチームの場合、中央で待ち構える釜本を囮に使うのは得策でなく、必ず釜本が絡む事ができるクロスを上げる方が得策と言う、チームとしての意志統一があったのだろう。実際、大杉山や松本がよいクロスを上げても、飛び込むのは釜本だけと言う状況が多かった。それでも、崩せるのだからすごい。正に作り込まれた連係の妙だな。
 それにしても、この2点目の釜本のトラップがまた見事な事。先制点では敵ストッパを外すために左側に止めたのに対し、ここではストッパの寄せの前で利き足で打つ事ができる右斜め前への完璧なトラップ。「巧い」と言ってしまうとそれまでだが、高い意識での徹底した反復練習の賜物だろう。そして、低く強く押さえた強烈なインステップキック。そのフォームの美しい事。
 釜本がすばらしいのは、敵陣直前だけではなかった。よい位置取りで後方の選手がパスを出しやすい地点に顔を出し、そのフィードを柔らかく受けて、確実にキープし、味方に適切につなぐ。これだけチームプレイに優れながら、得点力あるストライカは、歴史的にも世界的にも、そうはいない。釜本御大は引退後「とにかく俺が点を取ればそれでよい」的な自分勝手に聞こえる事ばかり発言しているが、あれは照れからなのだろう。
 さらに後半、前掛りになったメキシコの裏を突き、幾度となく単身で逆襲を仕掛ける。これがまた絶妙。巧みな位置取りでボールを受け、大杉山や松本のサポートを待たずに、強引な(しかし柔らかい)ドリブルで前進する。当然ながら、その前進が目的化していない。釜本の前進は、あくまでも己が得点する事を目的とした手段なのだ。そして、幾度となく単身逆襲速攻を成功しかける。僅かな幸運があれば、この試合は3点差になってもおかしくなかった。

 改めてこの映像を堪能し、デッドマール・クラマー氏のバックアップを受けた長沼監督、岡野コーチの手腕に感心した。そして、その後の歴史も考えた。
 これだけ質の高いサッカーを見せながら、メキシコ五輪後日本サッカーは長い期間アジアでもほとんど勝てなくなる。これは言い古された事だが、一部の代表選手のみを集中的に強化しなければならなかった事、当時まだ若かった釜本が病魔に倒れた事などが要因と言われる。しかし、このような優れた見本が、どうして直接円滑に後輩たちに伝授されなかったのか。
 また、メキシコ五輪の中心選手の多くが、後に指導者となるが、残念ながら「よい指導者」と言われる存在にはなっていない。今は亡き森氏と渡辺氏、晩年の松本氏が例外なくらいか。クラマー氏と言う最高級の指導者の直接指導を、長期に渡り受けた名手達の多くが、何故「教える立場」で成功しなかったのか。
 もっとも、考えてみれば、日本代表がアジアで思うように勝てなかったのは、せいぜい15年か20年程度。1968年のメキシコ銅メダルから1992年にアジアカップ制覇までは24年(85年のワールドカップ最終予選進出までは17年)。そして、そのアジアカップ制覇からもう21年以上経った事を考えれば、メキシコ五輪以降の停滞時期も、それほど気にする事はないのかもしれないが。

 いずれにしれても、我々がカミカゼカマモトをスピアヘッドにした実に見事なチームを所有していた事を、この映像で再確認できた。実に誇らしい映像だった。
posted by 武藤文雄 at 16:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月31日

2013年10大ニュース

 今年1年お付き合いいただき、どうもありがとうございました。
 53歳になりました。おかげさまで、本業も充実し、思うように講釈を垂れる事が叶わない日々が続き、少々フラストレーションが溜まる年でした。「もう少し頑張れ」と、お叱りも頂戴しました。すみません、忙しいのですよ。何とかTwitterも併用し、日本サッカーの進歩と退化に、粘り強く着いて行きたいと思っています。

 そして、今年はベガルタ仙台が、ACLに出場と言う、数年前には考えられない幸せな経験を積む事ができました。恥ずかしい事に、6試合中5試合しか参戦できませんでした。南京での江蘇舜天戦の引き分け、ユアテックでのFCソウルへの快勝、グループリーグ最終戦のイルマトフ氏の大誤審。すばらしい経験でした。日本代表のサポートとは異なる世界を体験しました。この参戦経験で、また新しい風景が見えてきたような気がしています。
 そして、日本代表…そこから入ります。

1. ワールドカップ最速出場決定の日本代表
 セルビア戦とベラルーシ戦の停滞に対する不満山積が、一層今の代表チームの凄みを示しているのだろう。ブラジルに完敗し、イタリアに点の取り合いをして苦杯した時にも誹謗中傷の嵐だった。ところが、本田と岡崎の体調が整った瞬間に、オランダとベルギーを圧倒。
 岡崎、本田、香川、柿谷、大迫、大久保、工藤、清武、エヒメッシ、そして憲剛。いったい、どうしたらよいのだ。もちろん、俊輔もいるし。過去ではあり得なかったような強力攻撃陣でブラジルへ。もう、生でベルギー戦の3得点を見て、何かどうでもよくなってきた。いつからいつまで休暇を取るべきか、サポータの真価が問われる日が近づいている。もう、面倒くさいから、後先考えず前代未聞の休暇をとろうかとも思っているけれど。

2. 中村俊輔の悲劇
 勝っても、負けても、あんなに絵になる男はそうはいない。なるほど、スコットランドで全てのタイトルを獲得したはずだ。
 と言う事で、明日。悲劇のヒーローも、歓喜のヒーローも、どちらも似合うのですよね。どっち見ても、心打たれる国立競技場に行くのが、愉しみなのです。

3. 2ステージ制導入
 何が残念かと言うと、J当局が真剣に金儲けに向き合っていない事。
 本当に身体を張って金儲けをしたいならば、何かを捨てなければいけないのだよ。何も捨てずに、陳腐な思いつきを無理やり実行しようとするから、誰の支援も得られない。
 本当に盛り上がるプレイオフをしたいならば簡単だ。1部リーグのチーム数を減らし、プレミアム化するのもアリかもしれない。
 いや、外資の導入を考えてもよい、出資企業なりスポンサ企業にクラブの冠権を渡してもよい、リーグ戦の各週のスポンサも募るのも一手段だ。そこまで物事を突き詰めて考えてくれれば、心あるサポータは、皆協力するさ。皆が当事者なのだから。そして、皆が貧乏の辛さを理解しているのだから。
 小野裕二や金崎夢生のように、国際試合でもJリーグでも必ずしも大きな実績を残していない選手でも、欧州に簡単に買われるようになってきている。カレン・ロバートのようなJでも欧州でも成功したとは言えない選手が、東南アジアから高額のオファーがあると言う。そのような厳しい現実を見据えて、何をしたらよいのか。どう考えても、このプレイオフ導入が有効とは思えないのが悲しい。
 この愚行が「終わりの始まり」なるのかどうか。我々の真価が問われているのかもしれないが。

4. 次々と新しいストライカ登場
 いったい、どうしてしまったのだろうか。何が起こったのだろうか。
 柿谷と大迫。工藤、豊田、川又。新たな境地を開いた大久保。チームを連覇に導いた寿人。前田はチームではつらい1年だったが、コンフェデ杯では存在感を見せた。
 「点を取ることだけが悩み」だったのが、我が代表チームだったのではなかったのか。いや、めでたい。

5. 徳島ヴォルティス、J1昇格
 四国からのJ1昇格。トップリーグに地域差がどんどんなくなっていると言う事だ。Jが本当の意味での全国リーグになっていると言う事だ。我々全員の勝利。
 もっとも、来シーズンのJ1は一層過酷な戦いになる。あの嫌らしい小林伸二氏が率い、大塚製薬の強力バックアップのあるクラブが参入するのだから。

6. レッズ対アントラーズ誤審
 ここで、執拗に講釈を垂れた。本当に本当に、不思議な誤審だった。

7. ジュビロ磐田降格
 ジュビロ(前進はヤマハ)は、Jリーグ開始時に参加していない。しかし、この不参加は、甚だ不合理な理由によるものだった。そう考えると、83年シーズンにJSL1部に復帰以降、約30年振りにトップリーグから実力で降格した事になる。しかも、このクラブは90年代後半から2000年代初頭にかけて、精強を誇った名門。ある意味では、ガンバやFC東京が降格した以上の大事件だったのだ。
 しかも、その降格劇が、あまりに無抵抗だった。
 やはり、本田技研の選手OBを、降格ストップの切り札として招聘したのがいけなかったのだろうか。

8. 意味不明なJ3導入
 なぜ、JFLではいけないのか。
 なぜ、異なるロゴを採用するのか。
 なぜ、若年層代表チームを無理やり参入させるのか。
 誰か合理的な説明をお願いします。
 せっかく、昨シーズンには、J1から地域リーグまで一気通貫が成立したと言うのに。

9. サッカーマガジン廃刊
 数年前、牛木氏のコラムを廃止した時に、サッカーマガジンは貴重な差別化手段を自ら切り捨てていた。
 驚きがなかったとは言わない。でも、後発の競合と差別化する術がなければ仕方がない。雑誌ビジネスの厳しさはよくわかる。だからこそ、他の競合に真似できない仕掛けを作れなければ、こうなってしまうのだ。
 ともあれ、時代ですね。色々、考えます。

10. 森保一監督の成果
 J1を2連覇。天皇杯でも決勝進出(しかも準決勝では、終盤に寿人を交代させる度胸)。ACLを捨てる胆力。
 我々は、大変な監督を入手しつつあるのかもしれない。まずは明日の決勝戦。
 
posted by 武藤文雄 at 23:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年ベスト11

毎年恒例のいい加減な選考基準のベストイレブンです。今年は久しぶりに、ベガルタの選手を選ぶ気にならなかったのが寂しい。

GK 西川周作
 あの準決勝のPK戦を見せられてしまっては。代表でも、あれだけ幾度も川島におバカを見せられているだけに、西川に定位置を委ねるべきだと思うのだが。ボール扱いがよいだけに、組み立ての精度も上がると思うのだが。

DF 小林祐三
 元々、大好きな守備者。もう少し上背があれば、センタバックとして代表の中核にもなれる人材だと思っていたのだが。マリノスに移籍以降は、守備は完璧で、攻撃も巧みなサイドバックに転身した。内田と酒井宏樹の壁は厚いが、代表でも活躍を期待したいのだが。
DF 中澤祐二
 やはり何のかの言っても、日本のベストDF。知性、決断、高さ、献身。追い越す選手が出て来ないのは残念でもあるが、当然でもある。闘莉王もそうなのだが、ブラジルでやはり見たい。
DF 徳永悠平
 東アジア選手権でのすばらしいプレイに感謝。吉田麻也や酒井高徳が、軽率なプレイを見せる度に、徳永を呼びたくなるのは私だけだろうか。本職は競争激しい右サイドバックだが、左サイドもセンタバックもこなせ、何よりその堅実さは貴重だ。

MF 山口螢
 自陣でのミスパス、奪ってから軽率に奪われる、決定機をふかす、不満は多い。しかし、あれだけ中盤で止めてくれるのだから。渡辺正、藤島信雄、宮内聡、明神智和の系譜を次ぐ、「何があっても最後まで戦い抜いてくれる中盤戦士」候補。「候補」が取れれば…
MF 中村俊輔
 遠藤は攻撃全体の演出。だから、粘り強く組織守備を維持すると言う対抗手段がある。憲剛は精度とタイミングと速さが格段のラストパス。だから、パスの受け手を厳しく押さえ込むと言う対抗手段がある。けれども、全軍を指揮しながら、僅かな隙を作り最後に悪魔のようなシュートを狙って来る俊輔を、どうやって防げばよいのだろう。
MF 本田圭祐、岡崎慎司
 日本代表の中核選手が、代表でも欧州の自クラブでも、圧倒的、決定的存在である事の喜び。世界中すべてのライバルに「俺の本田」、「俺の岡崎」と胸を張って語れる。

FW 大久保嘉人
 31歳での完成。若い頃から、格段にシュートが巧かったタレント。南アフリカでは得点以外の献身で日本を支えた。そして、ブラジルでは、その能力の全てで我々に歓喜を。
FW 柿谷曜一郎
 新しいパオロ・ロッシ。「新しい」が取れれば…
FW 大迫勇也
 新しい釜本邦茂。「新しい」が取れれば…
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2013年01月25日

近江達先生逝去

 1960年代に大阪の枚方FCを創設し、判断力と技巧に優れたタレントを育成する方法を理論、実践の両面で具現化した近江達先生が、1月11日に享年83歳で逝去された。心よりご冥福をお祈りします。

 若い方々には、なかなか具体的なイメージが湧かないだろうが、70年代の日本サッカーの技術レベルは非常に低かった。日本代表選手でも、フリーで30m程度のロングボールが正確に味方に届かない、ちょっとプレッシャを受けると前線のタレントでもトラップが浮いてしまう(もっとも、「『ボール扱い』より「身体の強さ、足の速さ」を優先的に選考するから勝てないと主張する向きも多かったのだが)。とは言え、実際、韓国やイスラエルは当然として、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア国よりも、明らかにボール扱いが劣っていた。だから、当時は勝てなかったのだ。
そのため、岡野俊一郎氏らが、各所で「メキシコ五輪で銅メダルを取れたとは言っても、日本選手の技術は低い、それを改善するには、幼少時からボールに触れ合う事が必要」と各地で説いていた。結果、日本中のあちらこちらでサッカー少年団が登場していた。もちろん、賀川浩氏も、牛木素吉郎氏も。
 その頃、幾度もサッカーマガジンに採り上げられたのが、近江先生が率いた枚方FCだったのだ。

 近江先生は、「日本人だってブラジル人のようにうまくなれる」と、まず非常にわかりやすい言葉を掲げた。その上で、「ストリートサッカー的な自由度の高い練習法を多用すべし」、「『持つな!』と言うのは間違い、子供には徹底してボールを持たせろ」、「ダンゴサッカーは、いずれほぐれる。子供の自由にさせよう」、「初心者でも常にゲームをやらせ、愉しさの中で考えさせる」など、今日では当たり前かもしれないが、当時としては極めて斬新な指導方法を提示した。
 それだけではない、現実に佐々木博和(松下で活躍した名ドリブラ)のような技巧が格段に優れた選手の育成してみせたのだ。ちなみに、佐々木は1962年2月生まれ、学齢としては、都並敏史、鈴木淳、戸塚哲也、風間八宏らと同学年だが、当時から「佐々木が圧倒的に巧い」と言われ続けていた。さらに79年に日本で行われたワールドユース、佐々木はいくら呼ばれても選考合宿には中々参加しなかった。それでも、監督の松本育夫氏は最後の最後まで、佐々木を選考する事を考え、候補には入れ続けたと言う伝説もある。ついでに余談だが、このワールドユース大会後、相当数の関係者が「やはり世界は広い、この大会で僅か1人だが、生まれて初めて佐々木より巧い選手を見た」と語ったとも言われた。
 この成功は、日本中のサッカーおじさん(あるいは、おばさん)を勇気づけた。わかりやすい指導論と、実際の成果。日本中のサッカーおじさんが、それぞの創意工夫で、スキルフルな少年を育成しようとし始めたのだ。理論と実践の高度な融合を証明した、近江先生の貢献は大きい。あれから40年、日本中から技巧に優れた若者が次々に登場、今や、日本は世界屈指の「技巧派選手を輩出する国」にまで成長した。

 枚方FCそのものも近江先生の大変な成果だ。当時、学校体育が主体だった日本サッカー界。無数にサッカー少年団はあったが、卒団後は中学校、高校のサッカー部で活動するのが当然だった。そのような状況下で、先生はいわゆる「街クラブ」を創設したのだ。
 当時、若年層の選手が所属する全国的に著名なクラブは3つ。加藤正信氏、岩谷俊夫氏、賀川浩氏、大谷四郎氏と言ったキラ星のような神戸一中OBの方々が中心となり、神戸と言う大都市を基軸に作られた神戸FC。補足説明の必要もない読売クラブ。そして、近江先生率いる枚方FCは、大阪(あるいは京都)のベッドタウンの一角の普通の地域の少年達が集い、ジュニアユース、ユース世代まで共にプレイするために作られたクラブチームだった。そして、1977年より始まった日本クラブユース選手権の初代チャンピオンは、枚方FCだった。
 今日の日本サッカーの充実要因の1つが、特に中学生世代の選手を受け入れ、的確な指導でその能力を伸ばしている街クラブの存在がある(高校生世代でも、その存在は重要だが)。そのはしりが、枚方FCだったのだ。近江先生は指導法のみならず、「場」の作り方でも先鞭を着けたのだ。

 この2点だけでも、冒頭に述べたように、先生の日本サッカー界に対する貢献の大きさが理解いただけると思う。

 ただし、先生の発想はそこに止まっていなかった。先生は著書「日本サッカーにルネサンスは起こるか?」(枚方FCの自費出版)の後書きで、理想は
個性豊かな選手たちが素晴らしいテクニックで自由奔放に展開する創造性溢れるサッカー
と明確に語っている。
 私は自宅で一杯やりながら同書を読むのが大好きだ。後書きの別な部分を抜粋する。
 実験は成功し、雑誌に連載された私の指導法は好評だった。でも、創造性向上を主眼とする教育の場合、今回の部分は文章化しにくい。(中略)そうした指導の思想、哲学、彼我の相違のよってきたる所以などをかなり綿密に分析、著述することができた。
 先生の理想は創造的、あるいはクリエイティブなサッカーだった。当たり前と言えば当たり前だが。

 当然ながら先生は「見る」技術も格段だった。
 85年の伝説とも言える国立競技場での日韓戦。ご承知のように、敗れはしたものの日本は見事な試合を行った。しかし、先生は健闘した日本代表に厳しい評価だった。「韓国は明らかに一枚上の実力、そして落ち着いて試合を運び、一枚落ちる日本のミスを待ち、確実にそれを拾った」
 同じ85年に行われた、「史上最高のトヨタカップ、アルヘンチノス・ジュニアズ対ユベントス」、私のような凡人は、今なお鮮明なアルヘンチノスの美しい攻撃サッカーや、全盛期のプラティニのきらびやかなプレイばかりに気を取られていた。先生の評価は異なっていた。「世界のトップ選手を並べたユベントスが、局地戦的に試合を進めた」、「セオリーでは、『極力局地戦を避けて、オープンに展開すべし』と言う事になっているが、アルヘンチノスのチェックが極度に素早く強烈だったので、とっさにかわして、近くの味方と機敏に連係していくしか手がなかった」
 私自身、この2試合の先生の評論を読んで、サッカーの見方が大きく変わったと思っている。
 実は先生とは、1度じっくりとサッカー談義をさせていただいた事がある。上記の諸々を語り合う夢のような数時間だった。おひらき前に、「日本サッカーにルネサンスは起こるか?」にサインをお願いした。「常にクリエイティブに!」と書いて下さった先生唯一の著書は、私の宝物だ。

 幾多の教え、ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 02:16| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月31日

2012年 10大ニュース

 本年も、このしようがない講釈にお付き合いいただき、ありがとうございます。
 早いもので、形態は変わりつつも10年以上も好き勝手なサッカーネタについて、講釈を垂れて来た事になります。本業の形態が毎年微妙に変わり、それに伴い、少しずつ更新頻度が落ちてきて、申し訳ありません。情熱だけは何も変わってないつもりなのですが、今後もマイペースで好き勝手を吠え続けようと思っています。

 ただ、今年は本当に悔しかった。あと何年生きる事ができるのかどうかわかりませんが、ベガルタがJを制する機会が、人生でそう何回も訪れるものではない事だけは覚悟ができています。いや、今年が最後だったかもしれません。本当に、幸せで残念な1年でした。まあ、これも経験でしょう。そう、来年はアジアチャンピオンです。

 サッカーを堪能し始めて40年になります。日本代表がこんなに強くなるなんて、思ってもいませんでした。いや、講釈垂れ始めて10年、ベガルタがこんなに強くなるなんても、思ってもいませんでした。そして、この10年間、いつ日本サッカー界の右肩上がりが止まるのだろうかと、思いながら日々を愉しんできました。ところが、現状ではその勢いは止まる雰囲気を見せません。ありがたい事です。未来はどうなるかわかりませんが、日々のサッカーを愉しめる幸せを噛み締め続けたいと思っています。


1.異質の強さを発揮しつつある日本代表
 ワールドカップ予選での安定感、親善試合でのフランスへの勝利など、日本代表の「格」が、過去と比較して、一段上がった感のある2012年だった。本大会では、いわゆる優勝候補国の次に位置するグループとして評価され、日本が入るグループは「死のグループ」と言われる事だろう。
 とても嬉しい事だが、これは本大会では相当な警戒をされると言う事。また、相変わらず選手層薄いセンタバックや、遠藤の年齢が、2年後の問題となる可能性もある。さらに、この「右肩上がり」がいつまでも続くのかどうかと言う不安も。ともあれ、今年も日本代表はよかったと素直に喜ぶのが正しいな。
 余談ながら、ジーコ率いるイラクとの対戦は、史上初めて「過去の代表監督との対戦」と言う意味で意義深いものだった。こうやって、日本サッカーは経験値を積み上げて行く。

2.女子代表五輪銀メダル、女子サッカーの今後
 昨年ワールドカップを制し、完全にマークされた状態での銀メダルは実に見事だった。決勝進出までのリアリズムあふれる勝ち抜き振り。決勝でも、再三スキルフルな好機を掴んだものの、合衆国の2大エースのワンバックとモーガンの好プレイに早々に2点差にされてしまったのが痛かった。「終盤、もう少し慌てずにゆっくり攻めていれば」とも思うが贅沢と言うものだろう。異様な注目下で丹念に好成績を収めた彼女達の鋼の精神力に拍手と感謝。
 さらに女子ワールドユースの地元開催や、皇后杯の新設など、昨年以上に女子サッカーの注目が集まった年だった。この好ムードをいかに継続的なものにするか。
 それはそれとして、大野忍は欧州に行ってしまうのか。

3.五輪と、またも負けたユース
 予選で無様としか言いようのない試合を演じた五輪代表だが、オーバエージ補強の成功などもあり、堂々のベスト4進出。最後の韓国戦は残念だったが、十分合格点だろう。この世代の日本選手の個人能力が世界的に見て高水準にある事、Jで好成績を挙げた実績ある日本人監督が世界大会で通用した2点に、安堵した大会でもあった。清武を筆頭に既にA代表で実績を残す選手も多数いるし。
 それと比較して、3回連続のワールドユース出場失敗。ジュニアユースへの本大会出場に連続成功している現状を考えると、日本サッカーの地盤沈下と言うよりは、ユース代表強化の現状からくる必然と捉えるべきではないのか?プリンスリーグの発展など、評価されるべき施策は打たれている。一方で、結果的にJのユースチームは高校3年間での完結状態、言わば高校サッカーと同じ状態のチームが多数できて、強化の焦点が分散されただけに思うのは私だけだろうか。そうなれば、どうしても18歳での完成度が微妙に下がるのはやむを得ないのではないか。しかし、多様性は悪い事ではないし、大人になってから勝てばよい事だ。慌てず、よい選手の育成を考えればよいと思うのだが。北京五輪で苦闘した若者の現状を考えれば、何も嘆く必要はないのではないか。

4.サンフレッチェ42年振りのリーグ制覇
 東洋工業以来、42年振りにサンフレッチェがリーグ制覇。80年代からの継続的強化が成功したとも考えるべきだろう。多くの地方中核都市のクラブの指標となるべき活動の成功、恐れ入りましたと尊敬、感心すると共に、皆が彼らの活動を参考にすべきだろう。くそぅ。

5.ガンバの2部落ち
 一昨シーズンのFC東京の2部落ちも、相当なニュースだったが、今年のガンバはそれを越える衝撃。皮肉なのは、遠藤も今野も代表ではトップレベルのプレイを見せており、さらにいくばくかの修正を加えた天皇杯で、ガンバは当然のように決勝進出を決めている事。親会社の経営不振と併せ、来期ガンバはどのようなメンバでJ2を戦えるのか。捲土重来を期待したい。
 余談ながら、昨期ガンバが再契約しなかった西野氏を中途半端に起用したヴィッセルの2部落ちも、余波と言えば余波か。 

6.3部リーグへの陥落、20年振りの一気通貫リーグに
 J2からJFLに陥落するクラブが登場。これにより、J1を頂点として、地域リーグまで上下する可能性ある「正常」なリーグ戦が、20年振りに日本に登場した事となる。この「正常」な状態を健全に発展させる事が重要なのだ。

7.ベガルタ、J開始後スタートクラブとして、初めて優勝を争う
 毎年の事ですが、この選考は私がベガルタのサポータである事とは一切関係ありません。
 Jリーグ開始後人口的に作られたクラブが、優勝を争い、最終的にACL出場権を確保した。これはJリーグスタート時にメンバとして認められたエスパルスを除くと、初めての快挙だ。しかもベガルタは確固とした親会社を持たない純然たる地域クラブ。言い換えれば、これこそJリーグが新しいステップに入った証左とも言える。ここまで、僅か20年で到達できた事は非常に重要だ。

8.カズのフットサルワールドカップ出場
 スタアの存在は、すべての野暮評論を凌駕する。格好よいものな。

9.サガンの好成績
 見事としか言いようがない好成績。止まらない走力、激しいプレス、すばらしい。すべての地方小クラブに勇気を与える快進撃に多謝。

10.ゾンビのような年またぎ開催
 厳寒期と盛夏期をオフにした、合理的な年またぎシーズンの実現方法があるならば、お願いだから誰か教えて下さい。
posted by 武藤文雄 at 22:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年ベスト11

 選考基準もいい加減な恒例のベストイレブンです。サッカー界としては、今年もよい年だったと思います。1年を思い起こしながら、これを考えるのはやはり愉しいのです。今年は、1、2のポジション除いては、あまり迷いませんでした。と言う事で、寸評も短く。

GK 西川周作
 思うに、西川がもう少し不安定だったら、ベガルタは優勝できていたと思う。

DF 菅井直樹
 思うに、菅井が肝心の場面で、あと3点とってくれれば、ベガルタは優勝できていたと思う。

DF 吉田麻也
 五輪が、麻也の帝王教育の機会となった。

DF 水本裕貴
 サンフレッチェの守備が崩れなかったのはこの男の存在が大きかった。ブラジルへの期待含めて。

DF 長友佑都
 インテルの中心選手だもんなあ。

MF 山口螢
 五輪におけるあの献身に。地味だが、このままJで伸びて代表をうかがって欲しいタレント。

MF 富田晋伍
 ベガルタの中盤を支えてくれた。日本サッカーの新しい明神。

MF 中村憲剛
 風間さんが提供する試練に、嬉しそうに全力投球する今期の憲剛が大好きです。

MF 中村俊輔
 今の俊輔、もう最高。独特の溜め、パスの強弱、勝敗を超越したサッカーの愉しさをありがとう。

FW 佐藤寿人
 ザッケローニさん、1回でよいです。寿人にスタメンをください。

FW 豊田陽平
 サガン鳥栖の「勢い」を代表するタレントとして。代表でも期待、シュートの入る鈴木隆行。
posted by 武藤文雄 at 21:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月11日

1986年3月22日西ヶ丘競技場

 1986年3月22日土曜日。85−86年JSL最終節、三菱対全日空戦。私にとって、シーズン最後の観戦となる試合だった。

 このシーズンはとてもよいシーズンだった。
 日本があと一歩でワールドカップに到達するところまで行った(「メキシコの青い空」、あの「木村和司の直接フリーキック」)。清雲栄純監督が率い岡田武史が主将を務めた古河が、ゾーンディフェンス、前線からのハイプレス、サイドを使った高速カウンタと、今日でも通用しそうな組織的なサッカーを見せJSLを制した(翌年古河はアジアチャンピオンズカップも制覇する)。元日には、木村和司がリーグでの不振のうっぷんを晴らすようなプレイを見せ、日産が技巧あふれるサッカーで若きMF鈴木淳を軸としたフジタを圧倒、天皇杯を高々と上げた。
 このシーズンはとてもよいシーズンだった。
 
 けれども...

 試合開始前の整列。我が目を疑った。全日空の選手が足りないのだ。キックオフ直後は選手は8人しかいなかった。開始直後には、控えのGKがフィールドプレイヤとして入り、最終的には11対9で試合は行われた。観戦していた我々には、何が何だかわからなかった。
 自分達が行う草サッカーにおいては、このように人数不足での試合はいくらでも経験した事があった。けれども、トップレベル、有料で行われている試合で、このような事があるのは許されない。
 
 後日、段々と状況がわかってきた。
 全日空は、今シーズンJSL1部に昇格した。横浜のサッカークラブに70年代後半から全日空が出資。プロフェッショナリズムを志向したクラブとして、読売、日産に次ぐ存在になるのではないかと期待されていた。けれども、開幕当時の期待に反し、チームは不振を極め、最下位を独走。シーズン当初のメンバとは随分異なる陣容で連戦連敗、早々に2部降格となってしまっていた。
 その背景に、元々のクラブに所属していた人々と、全日空経営参画以降の人々の対立があったらしい。そして、財布を握っている後者が優位となり、結果的に前者の人々が排斥されたとの事。そして、最終節において、監督(派閥としては後者らしい)がシーズン最後と言う事もあり、前者の選手6名をスタメンおよびベンチ入りさせた。監督しては、チームを去る6人に対するせめてもの配慮だったのだろう。
 ところが、その6人が試合直前にボイコット、会場を去ったと言う。JSL1部の公式戦と言う日本最高峰の試合に泥を塗る事で、恨みのあるチームに迷惑をかけようと言う魂胆だったのだろう。彼らは己の恨みを晴らすために、サッカーを売ったのだ。

 私は彼ら6人を許せない。
 サッカーを売った人間を許す事はできない。
 したがい、直後に日本協会が下した「6人を永久追放(クラブは3カ月活動停止)」と言う処分は妥当なものだと思っている。
 当時彼らの敵であった全日空は、12年後に私たちに対して本当に許し難い行為をしている。彼らは鋭敏にそれを察していたとも言えなくはないだろう。だけど、それと日本最高峰の試合を汚したのは別な話だ。
 そして、あの試合を観戦した人間として(それを自慢に思う気持ちは否定しませんがね)、この6人は「本当に永久追放」となって欲しかったとは思っているが、「罪を恨んで人を恨まず」も大事な事はわかっている。何人かが処分解除され、そのうちの1人がサッカー界の中枢で偉そうに活動しているのを見て、苦々しく思いつつも、仕方がないかとも感じていた。
 今回の報道。当時の主犯格?の2人も免責となるらしい。それはそれでよいだろう。もう26年経ったのだから。

 あの試合。三菱が6対1で勝利した。この日も堅実にプレイし、しっかりと得点を決めた原博実。私は原が得点を決めた直後に見せる笑顔が大好きだった。この日、原は笑顔を一切見せなかった。
 26年経った。私は今回の日本協会の判断を評価したいと思う。しかし、私は彼ら6人を許さない。
posted by 武藤文雄 at 00:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする