2012年04月20日

選手風間八宏

 正式発表はされていないものの、「フロンターレの新監督が風間八宏氏に決まる」との報道が、もっぱらである。この人事の是非についても、講釈を始めればキリがなかろう。しかし、類似の試みは、おそらくあちらこちらで行われるだろうから、私は全く異なる切り口で講釈を垂れたい。

 選手としての風間八宏への想いである。

 今でも再三話題になる、地元開催だった79年ワールドユース。
 風間は清水商業高校3年でメンバに選ばれ、定位置を確保して中盤で活躍した。このチームは主将の尾崎加寿夫や守備の中核柳下正明らが、学齢で風間の2つ上。1つ上には、水沼貴史、田中真二、柱谷幸一らがいた。風間は、鈴木淳、名取篤と共に、最も下の学年で選考され(高3トリオなどと呼ばれたのが、時代を反映していて懐かしい)、定位置も確保していたのだから、能力の高さが伺い知れると言うもの。
 このチームは変則の4−4−2の布陣。中盤はボランチに脚力のある田中、攻撃的MFに技巧的で精神的にも頑張れる尾崎、引き気味の右ウィングに水沼が入り、風間は最年少ながら、中盤後方でいわゆるつなぎや展開の役割を担当していた。
 さすがに展開となると、荷が重いようだったが、正確な技巧はスペインやメキシコと言った相手にしっかりと通用しており、正に将来が嘱望される存在だった。

 筑波大に進学した風間は順調に成長を続け、代表にも選考される。80年の年末に行われたスペインW杯の予選は、川淵三郎監督が大胆な若返りを行ったチーム。25歳以上は前田秀樹しかいなかった。そこで日本は、風間、戸塚哲也、金田喜稔の3人が「夢の中盤」とまで語られた技巧的な展開を披露。右ウィングの木村和司の突破や直接FKを含め、従来の日本代表にはなかった魅力を見せてくれたと言う。
 その後監督を引き継いだ森孝慈氏の下、風間は常時代表には選考されていたが、定位置は掴み切れなかった。技巧に優れ、フィジカルも弱くなく、脚力もあるのだが、中盤で球離れが悪いため、もう1つ活躍しきれなかった。
 しかし、風間を軸とした筑波大は当時大学サッカー屈指の強豪であり、インカレや関東大学リーグを複数回制したのみならず、81−82年シーズンの天皇杯ではベスト4にも進出している(当時のJSLと関東大学リーグの戦闘能力差を考えると、正に快挙と言う実績だった)。
 森氏が率いる日本代表は、最大目標として設定されていた84年春に、ロサンゼルス五輪予選に挑戦。準備試合での好調ぶりから、相当期待されたチームだったが、これまた語り草の「ピアポンショック」、初戦でタイに2対5で惨敗し、4戦4敗で敗北した。風間はメンバ入りしていたが、出場機会はなかった。

 ちょうどこのロス五輪予選直前に筑波大を卒業した風間が、JSLのどのチームに加入するのか、大いに注目された。しかし、風間は日本でのプレイを望まず、ドイツに渡る。そして、数シーズンに渡りブンデスリーガ3部あるいは2部のクラブでプレイを続ける。つまり、20代半ばの全盛期、風間は日本ではプレイしなかった。また、ブンデスリーガの1部でプレイしていた奥寺(帰国は86年)と比較して、報道も極端に少なく、どのようなプレイをしていたかも我々には、よくわからなくなってしまった。
 85年秋のメキシコ五輪予選(例の「メキシコの青い空、木村和司のFK」)の際も、一部マスコミは「奥寺を呼び戻せないか」とは報道したが、風間は忘れ去られた存在だった。

 89年、風間は帰国、マツダ(後のサンフレッチェ)に加入し、すぐ中軸選手として活躍した。若い頃の球離れの悪さは全くなくなり、中盤で実に効果的な展開ができる選手となっていたのだ。ただ、正直言って若い頃の期待値を考えると、もう少しスケールの大きな選手になるのではないかとの期待もあった。中盤から次々にラストパスを出したり、技巧を活かした突破をできる選手になって欲しかったと言う想いである。
 とは言え、94年前期にサンフレッチェがJの前期を制覇した際のプレイなど、誠に見事。僚友の森保一と組む中盤は、実に見応えのあるものだった。
 オフト氏が代表監督に就任後、風間の代表復帰が何度か議論されたが、結局声はかからなかった。以下は、全くの邪推。オフト氏は「当時の代表の中盤の中核選手が、自らの定位置を危うくする選手の選考を嫌がる事」を理解し、混乱を避けたのではないか。

 風間八宏とは、そのような選手だった。
 正直言って、選手としては「もったいなかった、もっとやれたのではないか」と言う想いが、あまりに強いのだ。また、年齢的に全盛だったはずのブンデスリーガ2部で活躍していた頃は、一体どんなプレイを見せてくれていたのかと言う想いも、また深いのだ。
 ただ、1人でドイツに行ってしまい20代後半に日本に復帰した現役時代と、50歳で初めてトッププロの監督を引き受ける経歴。何か既視感もある。果たして、どのような采配を見せてくれるだろうか。
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2012年04月17日

水沼宏太の勝負年

 水沼貴史は、私の同級生で日本一サッカーがうまかった男だ。

 本太中学3年、浦和南高1年で、2年続けて全国制覇。今でも語り草となっている、高校選手権決勝の静岡学園戦、「いやあ、同い年でこんなにサッカーがうまい奴がいるのか」と感心したのをよく覚えている。
 その後も、順調に成長し、ユース代表の常連となった水沼貴史。法政大に進学した夏場、日本開催のワールドユースの中核として活躍。メキシコ戦で、この大会日本の唯一の得点を決めたのが水沼貴史だった。
 しかし、水沼貴史は法政大学で伸び悩む。残念ながら、当時の法政大学は、水沼貴史を筆頭に高校サッカーのエリート選手を多数集めてはいたが、必ずしもトップレベルの鍛練が行われない状態だった。そして、天賦の才を活かさないまま消えて行った選手が多数いた。
 実際、同学年の柱谷幸一(当時、国士舘大)、越田剛史(当時、筑波大)(2人共、水沼貴史とはワールドユースのチームメート)は、森孝慈監督率いる日本代表にも選考され、順調に成長していた。水沼貴史も、そのまま消え去ってしまうのではないかとの危惧もあった。
 
 80年代半ばは、日本サッカー界に実質的なプロフェッショナリズムが導入され始めた時期だった。加茂周氏を監督に据えた日産は、金田喜稔、木村和司ら、学生時代から代表チームの定位置を確保した選手を獲得、清水秀彦、マリーニョなどのトッププレイヤも保持し、着々と日本一を狙っていた。
 そして、83年シーズン開幕前、日産は大量の有力新人を獲得し、話題を独占した。既に代表に定着していた柱谷、越田、やはり代表経験のある中央大の田中真二(浦和南で水沼貴史と同級生)、愛知学院大の左利きの技巧派境田雅章、堅実な守備で定評のある東農大の杉山誠、そして水沼貴史。
 しかし、この時点で水沼貴史の評価は、他の5人と比較して必ずしも高いものではなかった。その潜在能力は、高校時代を思い起こせば格段のものがあるが、大学ではほとんどはっきりした活躍をしていなかったからだ。

 しかし、水沼貴史は見事によい方向に期待を裏切ってくれた。日産でプロフェショナルなトレーニングを積むうちに、すばらしい選手に化けてきたのだ。この83年シーズンの最中、加茂氏は右ウィングだった木村和司を中盤に移した、いわゆる「日本サッカー史上最高のコンバート」である。そして、水沼はその前の右ウィングとして完全に定位置を獲得、独特の間合いのドリブルと、冷静なシュートで、完全な中心選手に成長する。
 この83年シーズン、日産は終盤まで読売とリーグ制覇を争うが、あと一歩及ばず2位に終わるも、天皇杯を堂々と制覇した。そして、この天皇杯決勝では、選手兼任監督の釜本邦茂率いるヤンマーに対し、技巧的なサッカーで完勝。この決勝戦は「時代の変化」を見せつける歴史的な勝利だった。
 この天皇杯後、水沼貴史は日本代表にも選抜される。選抜直後のロス五輪予選の代表は、いわゆる「ピヤポン粉砕事件」でボロボロにされてしまったが、以降水沼は代表の中核として活躍を継続。84年秋の敵地日韓定期戦では、見事な決勝点を決め敵地勝利に貢献。この決勝点は、原博実が打点の高いヘッドで落としたボールに合わせて飛び込み、正確なボール扱いでしっかりとシュートを打てるポイントにトラップし、強烈なシュートを決めたものだった。この「プレッシャの中での正確なボール扱い」は、水沼貴史の最大の強みだった。

 以降、「メキシコの青い空」で知られる85年メキシコ予選でも中核として活躍した水沼貴史。諸事情で木村和司が代表から去った後は、いよいよ攻撃のエースとして活躍。87年ソウル五輪予選、国立タイ戦では上記日韓戦同様にゴール前の抜群のボール扱いで決勝点。同じく敵地中国戦では、原博実にピタリと合わせる正確無比なFK。さらに89年のイタリア予選でも、国立北朝鮮戦でも、リードされた時間帯に佐々木雅尚のセンタリングを見事なダイレクトシュートを決めている。本当に頼りになる男だった。

 その水沼貴史のご子息の水沼宏太が少しずつ日本のトップに近づいているのだ。このPK戦に感嘆し、この奮闘に興奮し、この成長に歓喜してきた。
 ジュニアユース時代から高名な水沼宏太だが、マリノスでは必ずしも出場機会に恵まれず、栃木SCにレンタル。J1昇格を狙う野心的な若いクラブの中核として活躍し、今期はJ1に昇格したサガン鳥栖にレンタル。とうとう、J1のチームの攻撃の中核にまで成長してきた。
 必ずしも前評判は高くなかったが、全員の溢れ出る運動量で多くのチームを恐怖に陥れ、着実に勝ち点を積み重ねているサガン。藤田直之、豊田陽平、池田圭などの献身性あふれるチームメートに囲まれ、水沼宏太は中盤でキープし、サイドを突破し、ラストパスを出し、そして得点をも期待されるシゴトを担当している。
 やさ男だった水沼貴史に比べて、(顔つきは似ているが)格段に精悍な顔つきの水沼宏太。わかりやすく前面に出る戦う姿勢、忠実な守備などは、既に水沼貴史を凌駕している。サイドでのボールキープも、やや猫背の姿勢から出す厳しいコースへのパスの精度とタイミングも、相当なレベルになってきた。しかし、まだまだ水沼貴史に届いていないのは、勝負どころでの突破と、得点能力だ(一番肝心な事なのだけれども)。
 水沼貴史の最大の魅力は、右サイドで突破する時、あるいは敵ペナルティエリアに進出した際の、間合いのうまさ、ふてぶてしい冷静さ、そしてボール扱いだった。過去の水沼宏太のプレイを反芻してみると、水沼宏太は少なくとも、水沼貴史からふてぶてしさと、速く流れてくるボールをしっかりと扱う事ができる能力を、DNAで受け継いでいるように見える。だから、J1の1試合1試合で、間合いの駆け引きを身に付けてさえくれれば、完全に大化けするのではないかと期待したくなるのだ。そして、そのためにはサガンは最高の環境だ。
 水沼宏太は90年2月生まれ、今22歳。水沼貴史が日産に加入し化けた時と同じ学齢である。正に勝負の年なのだ。

 今節、サガンは水沼宏太の鮮やかなミドルシュートで、難敵サンフレッチェを下した。
 まずはロンドンだ。そして...
 水沼宏太はここまで成長してきた。一流選手まで、あと一歩のところまで来てくれた。もう、私は気持を隠さない。私は日の丸を振りながら、20数年振りに「ミズヌマ」を応援したいのだ。
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2012年01月24日

松田直樹さん追悼試合

 少年団の練習もあり、ちょっと疲労気味だったので、生観戦はやめておく事にした。テレビから流れてくる映像を見て、「行けばよかった」いや「行くべきだった」と後悔した。井原正巳が元気なプレイ姿を見せていたからだ。しかも、そこに攻め込んでくるのはカズ。
 フィリップの反対側のベンチに水沼貴史が座っていたが、ちょっと違うよね。ここは、岡田武史か木村和司のいずれかでなければダメだったのだが、それぞれお2人に別々の事情があって...松田とは、ほとんど縁がなかったはずのカズが全軍を仕切るのは、スタアの所以だろうが。
 
 試合に戻ろう。
 中田英寿を起点に、カズが前線でがんばり、藤田俊哉が後方から進出する攻撃。中澤佑二が前に出て押さえて、井原が微妙にラインを上下する。この微妙な上下動、動き出しのタイミングも、修正の細やかさも、往時の井原ではなかった。でも、中澤を動かしてから、自らがそのカバーに入る動きそのものは、80年代後半から2000年代前半まで20年近くに渡って堪能させてもらった動きと、何ら違っていなかった。行くべきだった。
 こうやって40歳を越えた井原のプレイを愉しむ事ができた要因を思い起こすと、やはり胸が痛むのだが。

 そして、テレビ映像を見ているうちに、異なる意味で、むしょうに悔しさを感じて来た。井原と中澤の、センタバックを見ているうちに。
 この2人は、一緒にプレイをした事はないはずだ。そして、この2人をつなぐ存在として、松田直樹がいた事は言うまでもない。いや、それはよい。井原と松田が、松田と中澤が、それぞれ見せてくれた連携を思い起こせばよい事だ。いずれも美しい思い出だ。

 でも悔しかったのだ。

 井原も中澤も、松田と共にワールドカップを戦う事が叶わなかった事に。
 98年、井原と組むべきは、松田だったのだ。2006年、中澤と組むべきは、松田だったのだ。いや、2010年だって、松田と闘莉王の定位置争いを見たかったではないか。あるいはベンチで待機する松田を、延長終盤前線の選手に代えて起用して、長友を前進させるとか(結局、松田と闘莉王が上がって行き、長友が後方待機になりそうだが)。
 ああ、どうして、君はたった1回しかワールドカップに出てくれなかったのか。
posted by 武藤文雄 at 00:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月31日

2011年10大ニュース

1. 女子代表世界一
 世界一、世界一だよ。あの胸に輝く美しい星。
 でも、本質的な問題は何も解決していない。中学高校世代のプレイ環境、トップ選手達の収入(今の代表の方々が稼ぐのを見るのは嬉しいけれど)。

 今日の紅白歌合戦、明日のビッグゲームを控えたレオネッサの選手達が自チームのユニフォームを来て揃って登場、司会者は「なでしこジャパン」と紹介した。出演経緯が見えてしまう安っぽさ極まりない演出だった。
 澤は日本最高のアスリートだ。試合前日の夜にテレビに出るのは大反対だが、出るならば相応の重厚さで出なければならない。美しいイブニングドレスをまとい、AKB全員を従えて出る演出くらい要求しなければ。
 この世界一を利用して、女子サッカーのプレゼンスを上げる事に、もっともっと我々は貪欲になるべきであろう。

2. アジア制覇
 アジアカップ優勝したり、韓国を3点差でチンチンにしたくらいで、10大ニュースに選ぶのは、遠藤や長谷部に失礼なのはわかっているのですが。

3. 松田直樹さん逝去
 松田のプレイを丁寧に観た事もない輩が、全く違う松田像を描くのが悔しくて仕方がないのだよ。
 あの1対1の間合いのうまさ、鋭く深いタックル、絶妙な読み、適切な位置取り修正、美しい軌跡のロングボール、常識的だが有効なつなぎ、無骨だが適切なコースに上がるドリブル。そして、それらの全てを無にしてしまう、戦略性の欠如
 本当に愉しい18年間を、ありがとうございました。

4. レイソルの大冒険
 羨ましい
 あのモンテレイ戦に乾杯

5. 監督の出入り
 岡田氏の中国挑戦、西野氏がフリーに、小林氏がヴォルティスに。おお、反町氏もフリーか。
 たまたまかもしれないが、国内の実績のある監督に動きが目立つ。震災、不況によるスポンサ減少、クラブライセンス制導入などにより、各クラブの財布の紐が厳しくなっているためもあるかもしれないが、人材の流動化は前向きに捉えてよいと思う。
 まあ、若手監督期待のホープ相馬氏はどうなるのか、五輪代表監督の関塚氏がどうなるかなど、色々ありますが。

6.少年サッカー、8人制化進む
 総論は賛成。でも、現場としては試合に出せる人数が3人減るのは、本当に大変なのだよ。11人制ならば、下手な子も長時間出しやすかったのだが...
 ただし、大事なタイトルマッチで、8人制でガップリ四つの試合を見ると、その8人の成長には、とてもよいとは思う。ベンチに残っている子はさておき。各県協会、地方協会に布さんがやってきて、推進していると聞いている。それを聞くだけで、腹が立つのだが(笑)...あ、私は過去の布さんの実績は否定しませんよ。

7. プリンス全国リーグ
 全否定はしない
 しかし、「リーグ戦を戦い続ける事で、本当の意味で優秀な選手を育成する」と、「年代別最強チームを争う」が、混じってしまっていないか?元々、Jクラブがユースチームを持つ意味は、飛び級を含め、「飛び切り優秀なタレントを育てて行く」だったと思うのだが、結局高校のサッカー部と同じ3年間単位の活動を、やっている結果になっていないか。
 これは別にちゃんと書きます。

8. ベガルタJリーグで4位に
 これはベガルタサポータとしての評価ではない。過去、私はベガルタがJ1に上がろうが、入替戦でもがこうが、10大ニュースには採り上げていない。今年のベガルタの4位獲得は、Jリーグの歴史の中での、大変な快挙だから採り上げたのだ。
 明確な親会社がなく、Jリーグ以降に人工的に作られたクラブとしては、2008年のトリニータ以来の快挙なのだから。ただし、来年ちゃんとした成績が収められるかどうかが重要なのだが。
 ベガルタサポータとしては、とにかく今期の夢のような好成績が、「絶後」にならない事を祈るのみ。
 
 震災については別途。

9. J2から陥落するクラブが登場する
 J2がいっそうおもしろくなる。来期、後半戦以降のJ2の盛り上がりたるや、過去なかったものになる事だろう。いや、とりあえず、今はJ1でよかった。でも、ちょっと体験してみたい気もする。
 ただ、真面目な話、降格しても、簡単に再昇格できる仕組みが、何より肝要。今期のFC東京のように、強いクラブがヘマしても、すぐに取り戻せる流動性が重要なのだ。
 ちなみに、トリニータの立場の明確化は必須、個人的にはシーズン開幕前に借金を返さなかったら、無条件で降格にすべきと思うが。それがイヤならば、トリニータは地元金融機関を説得し、3億円の融資を受け、Jにカネを返してくれ。

10. 欧州に次々と選手流出
 移籍制度の変更と、南アフリカでの日本サッカーの存在感向上が一致した悲喜劇。J各クラブの複数年契約などが、落ち着いたところで、どう変わっていくか。
 もちろん、平行してJ各クラブの経済規模を大きくする研究は必要だろう。
 ともあれ、俊輔だけが試合に出ていて、中田も小野も稲本も試合に出られなかった時代よりは、格段に進歩していると前向きに捉えるべきだろう。

特別賞として. 牛木さんの殿堂入り
 選ぶ立場の方が選考されたのだが、やはり嬉しい。我々の目標として。(昨年、賀川さんの時も同じ事言いましたが)

ついでに(毎年言っていますが)
 日本サッカーの日程崩壊が、(震災は別にしても)例年のように着目された1年だった。1月のアジアカップなんて、冗談以外何ものでないだろう。進行中の天皇杯、一昨日のマリノス対サンガなど、すばらしい試合があり、とってもおもしろいけれど、早く選手達を休ませたいと思わないか。
 原博実さんが改善すると明言してくれた。大いに期待したい。個人的には天皇杯2年越し開催(そうすれば、組み合わせ決まってから会場決められるし)、J1を16チームにするしかないと思っているのだが。



 今年も、この偏見あふれるいい加減なブログにお付き合いありがとうございました。
 こうやって振り返ってみて、サッカー的には最高の1年だったと思います。いや、これ以上の年が、今後訪れるかどうかと言っても過言ではない年でした。世界一とアジア一ですよ。ベガルタも夢のような成績を収めてくれました。
 また、個人的には父を亡くすと言う年でもありました。これはこれで、人生でたった1回きりの経験ですので。何とも言えない想いがあります。

 でも...

 震災について2つ言いたい事があります。
 現地で厳しい被害を受けた方々の状況は何も好転していません。命が助かっても、仕事や家などの財産を全て失った方々も多数いらっしゃいます。そのような方々は、簡単には解決できない問題に遭遇しているのです。大した事ができない自分がもどかしい。だから、もしその気があるならば、今後も手助けを考えて下さい。募金でも、個別支援でも、ビジネスへの小額出資でもよいです。本当の意味での長期戦は、まだキックオフされたばかりなのです。
 もう1つ。サッカーと震災は切り離して欲しい。ベガルタサポータとして、ベガルタがそう言われるのは仕方がないかもしれないと思っています。でも、女子代表に「震災のおかげで...」と言うのは、あまりに失礼ではありませんか?震災がなくても、澤と仲間達は私たちに、あの史上最高の歓喜を提供してくれた事を、私は確信しています。

 来年が、すばらしい年になりますように。
posted by 武藤文雄 at 23:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年ベスト11

 やや惰性に流れてはいるが、今年のベスト11です。
 毎年選考基準が変わるし、偏見と言うよりは、己の想いばかり入れ込んでいますが、やはり年の瀬には、これを考えないと落ち着かないもので。

GK 林卓人
 キーパとしての総合的な安定感では楢崎、J1制覇への直接貢献と拡大トヨタカップでのPK戦勝利と言う視点では菅野かもしれない。けれども、リーグ最少失点、それも1位のベガルタの総失点は25、2位のグランパスは36と言う圧倒的な差を考えれば、林の選考は正当だろ。あの至近距離のシュートに対して、勇気を持って飛び出し、ギリギリまで動かずに我慢し、最後にグワッと反応する。あれは、見事な名人芸だ。あのよさを淡々と伸ばせば、代表入りも夢ではないはずだ。だからさ、早く契約しようよ。ね。

DF 酒井宏樹
 やはり、今年のライトバックはこの若者をおいていないだろう。スッと抜け出した瞬間、ちょっと猫背からルックアップ、丁寧に踏み込んで、腰の入ったクロス。この選手の最高のプレイは、7月9日の柏でのベガルタ戦。30分過ぎの柳沢の深く鋭いスライディングで防ぎ、ロスタイムに完璧なクロスを上げて澤の決勝点を演出した。くそぅ。

DF 今野泰幸
 現在日本最高の守備者である事は間違いない。ボールを奪う時の読みの鋭さと当たりの強さと言う元々の持ち味。それが、さらに敵の攻撃全体への読みへの鋭さになってきている。ザッケローニ氏率いる日本代表でフル出場、とうとう代表チームでも定位置を獲得、いや中心選手となってくれた。ベトナム戦ではとうとう腕章も巻いた。宮城県出身のサッカー選手が、加藤久以来実に24年振りの代表の主将を務めた試合だった。「高さの欠如」と言う唯一の欠点をいかに最小にするために2014年までにいかに位置取りを完璧にできるかどうか、愉しい日々が続く。

DF 闘莉王
 やはりその存在感を考えると外せない。しっかりと体調を整え、牙を研いでいてくれ。ブラジルで共に戦おう。

DF 駒野友一
 あのチンチンにしてやった日韓戦の2点目の突破が全て。長居のタジク戦で、ハーフナーにピタリと合わせたクロスの鮮やかな事。長友と内田が負傷しても、何も心配いらない現状。でも、この地位に満足してはいないだろう。ベテラン駒野が、酒井に追い上げられながら、長友と内田にいかに割り込むかを考えるだけでも贅沢だな。

 ちなみに、右サイドバックと言えば内田篤人だが、この選手の守備面での成長も今年を彩った。アジアカップでの丹念な守備振りも印象的だったが、埼玉北朝鮮戦で梁勇基を完封したプレイは正に欧州トップレベルの守備者のそれだった。長友が着々と世界最高のサイドバックになりつつあるのも大いに結構な事。
 センタバックとしては、やはり中澤にも触れなければならないだろう。明らかに衰えているスピードをカバーする伶俐な読みと、熱いファイト。中澤の戦いを愉しむ事ができる我々は本当に幸せだと思う。また、我らが鎌田次郎のシーズン通じての安定感も忘れ難いが、やはり今野と闘莉王と比べては...個人的には、レイソルの増嶋も忘れ難い。この選手、高校サッカーのスタアだった事もあってか、何か妙な過小評価を受けている気がするのだが。何のかの言って、レイソルのJ制覇への貢献はすばらしいものだったと思う。

MF 大谷秀和
 J1制覇のレイソルの主将としての活躍は際立っていた。そして、あのモンテレイ戦の抜群のボール奪取。代表も遠くないだろう。ライバルは長谷部と細貝だが、拡大トヨタカップであれだけのプレイができたのだから。精神的にも強く、技術的にも安定している。あのサントス戦ロスタイムのシュートが浮いた事も、しっかり反省、修正してくれるだろう。大谷の成長は、ザッケローニ氏にとっても、非常に重要なはず。

MF 角田誠
 みんな笑うかもしれないけれど、この選手にはずっとずっと期待していたのだよ。で、自分のクラブに来てくれた喜びは格段だったのだよ。最初は、結構危なかったのだよ。でも、ベガルタの中核として、着々とプレイを続けるに連れ、リーグを代表するボランチに成長してくれた。この完成は数年前に期待していた。できれば、南アフリカはおろか、ドイツでも活躍して欲しかったくらいなのだ。でも、角田は帰って来た。だから、ブラジルに一緒に行こう。

MF 遠藤保仁
 色々あるけれど、日の丸を着けた時に、これほど頼りになる男はいない。いや、この男より優秀な中盤選手って、シャビとイニエスタとマスケラーノと(みんなバルサだな)、ほかに誰がいるのだろうか。遠藤が健在である限り、どんな外国人の友人に自慢ができる。そして、遠藤の存在が、日本中の少年達にいかに重要な事か。姿勢をよくして、前もっと周りを見て、どうすればよいか考えて、丁寧にボールを扱って、パスを出したら適切な場所に走って。

MF 香川真司
 あの日韓戦の1点目見たら、もう賛辞しかない。今期不調と言う無責任な評論に腹が立った。そもそも、トップリーグで通年の活躍は、この男はまだ経験がないのだ。南アフリカメンバ外れと言う屈辱を経て、昨期ドルトムントで大活躍、アジアカップで負傷しての復帰。順調に成長しているとしか言い様がない。ザッケロニー氏が「香川は日本のデルピエロだ」と、語ったのを聞いて、「デルピエロどまりか」と思ったのは秘密だ。

 長谷部誠を外すのはいかがと思ったが、大谷と角田を選ぶのが目的のようなものだから、後悔はない。細貝萌の充実も嬉しい限り。本田圭佑は、いいから早く怪我を治せ。あと今年やはり議論すべきは清武弘嗣だけど、天皇杯準決勝でとうとう今野を敗れなかったので外した。五輪代表世代に多数いる有為な逸材が、どうやって飛び出してくるか、2012年は本当に愉しみだ。

FW 岡崎慎司
 結局、今の日本が過去になく強いのは、遠藤と長谷部が安定しているのと、岡崎が着実に点を取ってくれる事だと思っているのよね。埼玉の北朝鮮戦あたりまでは、サイドMFから前線に進出するタイミングに不満があったけれど。2つのタジク戦では、いちばん肝心な所に飛び込むのはいつも岡崎。シュッツガルトが、あそこまで岡崎に守備を強いているのは、極めて間抜けな策だと思うのだけれども。でも、ドイツの強豪で完全に地位を獲得しているのだから、やはりすごいな。

FW 北嶋秀朗
 ブログでも幾度も書いたけれど、今期の北嶋を観るのは(いや、今期以外でも)、大いなる愉しみだった。このシュートの巧さを誇るストライカが、リーグを制し、拡大トヨタカップで戦った事が、私にとっては重要だった。

 ザッケローニ氏が、代表でワントップに拘泥する事もあり、前田遼一(技巧的なボール保持とシュート)に加え、李忠成(タフで頑張り、得点に意欲)、ハーフナー・マイク(高さがとにかく魅力)と言った、タイプが異なり典型的なストライカが活躍した今期。さらに、五輪世代にも、万能型の大迫勇也と、前に出る速さを誇る永井謙佑が控えるのみならず、技巧に優れた若者が多数いる。こちらもいくらでも期待できそう。うん、愉しみだな。
posted by 武藤文雄 at 00:08| Comment(1) | TrackBack(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月05日

代表ユニフォームの色

 まったく、どうでもよい話です。
 日曜日の夕方、ベガルタの完勝を見届けて、ラグビーワールドカップにチャンネルを変えると、エール対イタリアをやっていた。パッと見て、この両国だと理解できるユニフォームの色。考えてみると、この両国、アルゼンチン、豪州と言ったあたりの国は、サッカーもラグビーも、いや他競技でも、着ているユニフォームを見れば、すぐに「その国だ!」と理解可能だ。
 けれども、ずいぶんと古い議論だが、日本は違う。競技によって、ユニフォームの色はバラバラ。上記のエールやイタリアのような、共闘感を味わう事はできない。まあ、本件は現実的な解決は極めて困難だろう。いずれの競技も、それぞれの「色」で相応の歴史を積んでしまったからだ。しかし、何とか少しでも「理想」に近づく方法はないだろうか。

 ちょっと、サッカー界の歴史を振り返っておこう。
 誰もが、我々は「青」だと思っているだろう。実際、この時から「青」だった模様だし。
 ただし、その後を振り返ると、案外いい加減なところもある。たとえば、メキシコ五輪銅メダル時や、85年メキシコワールドカップ予選(木村和司のFK)など、ホーム用として「白」を着ている時代もあった。もちろん、これらの時代でも、「青」は必ず使われていた(メキシコ五輪のパンツの色は濃紺、木村和司時代は白に青のラインなどが入っていた)。
 誰もが口を閉ざしたくなる、88年から91年に至る暗黒時代。何をどう勘違いしたのか、「赤」主体だった。そして、選手はよいのに全く勝てない。ひどい時代だった。
 そして、オフト氏が代表監督に就任した92年以降は完全に「青」。現実的に、この92年は日本サッカーが、突然に「勝って当たり前」に転じた年であり、以降我々は「青」と共に栄光を享受してきた。

 だから、我々は「青」に、こだわり続けるべきだ。
 ただし、その「色彩」はフラフラ変えるべきではないのではないか。92年以降、まだほんの20年足らずしか経過していないにもかかわらず、その「色彩」は毎回毎回のユニフォームのバージョンチェンジの度に、濃くなったり薄くなったり、結構変わっている。デザインが少しずつ変わるのは、機能向上もあるのだろうし、もちろん商売面、流行面などから仕方がないと思う。けれども「色彩」が変わらない事で、サッカー界と言う狭い社会の中でも、より「青」に対する愛着は深まると思う。何となく、その「青」を「サムライブルーと呼称せよ」と言われそうで、赤面しそうだが。

 では、他競技との共通性についてはどうだろうか。まず、上記の理屈で我々には「青」でないと言う選択肢はない。「共闘感」より「青」が優先されるのだ。
 そうすると、他競技に「『青』を着ませんか」と声をかける事になるのだが、難しいだろう。他競技が「青」を着る理屈がないのだ。他競技からすれば、サッカーの提案に耳を傾ける道理もない。
 さらに言うと、80年代くらいまでは、サッカーを除く多くの競技で代表チームは、「赤」と「白」を用いたユニフォームを着る事が多かったように記憶している。これは言うまでもなく、日の丸から来ているのだろう。けれども、最近はもうグジャグジャ。黒、黄色、何でもありだ。ただ、統一の方向に持って行くとしたら、「赤白」と言う話が出てくるだろう。そう考えると、統一への最大の障害は我々である。でも妥協はなしだ。何て、我がままなのだろうか。
 と言う事で、提案。ラグビー協会と話をつけられないだろうか。我々はホームは従来通り「青」でワンポイントに「赤白」の部分を入れよう、サブは「赤白」、ラグビー風の横縞か、パラグアイ風の縦縞か、フェイエノールト風か、そのあたりはアディダス(いや、プーマでもアシックスでもミズノでもアスレタでもどこでもいいですが)に任せる。一方、ラグビーさんはファーストジャージは従来通り「赤と白」の横縞でちょっとだけ「青」も入れてもらおう、サブは「青」単色系。そして、それぞれの色彩は統一。ラグビー界に、このような相談に乗ってくれる人がいるのかどうかは疑問だが、やってみる価値はあるのではないか。
 そして、ラグビーと話がついたら、他競技にも拡大。それぞれ、難しい交渉だが、野球、ソフトボール、バレーボールそして陸上まで押さえれば、後は流れだ。あ、柔道は既に「青」と「白」だな。
 まあ、メキシコ五輪の「白」伝統とは別れを告げるが、天国の長沼さんもそのあたりは鷹揚そうだから、許してくれるのではないか。
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2011年03月28日

カズと言う奇跡

 明日は、日本代表対Jリーグ選抜のチャリティマッチ。
 重苦しい日々が続く中で、長谷部や長友らが帰って来てくれて、有料試合を観られる事を素直に喜びたい。両軍の選手達それぞれに、多くの想いがあるだろう。観戦するサポータ達にも、複雑な想いがあるだろう。私にも、仙台出身のサッカー狂として、何とも言えない想いがある。
 ただ、とにかく、私は華やかなスタア達の競演が観られればそれで十分だと思う。

 ちょっと視点を変えて、改めてカズについて考えてみた。カズがアジア最優秀選手になったのは93年のドーハの悲劇の年。あれから、なんと18年の月日が経った。あの年に生まれた子供が、普通にJリーガなのだ。そして、今なお元気にプレイをして、さらに今回のチャリティマッチでも、主役の1人として君臨している。いったい、この男は何なのだろうか。
 カズについて5年前にこんな事を書いた。これは自分なりにカズの記録としては決定版?なのではないかと自負していた。あの時も、「すごい男だな」と呆れていたのだが、あれから5年経ち、今なおカズが現役選手として光彩を放っている。

 先日、ある方が「外国人にカズを説明するのには?カズのようにワールドカップに出た事はないが、その国のサッカーの象徴となっている選手は誰か?」と言う問いをしてくれた。
 たとえば、ライアン・ギグス、ヤン・リトマネン、ジョージ・ウェア、釜本邦茂のように、格段の能力を誇った選手でも、その国がワールドカップに出る事ができない場合がある。
 ベルント・シュスター、ラモン・ディアス(ディアスは1回出ているのだが、全盛期には出場できなかった)のように、ご本人の意思とか、チーム編成の都合で、出場しない場合もある。
 エリック・カントナは確かにワールドカップに出られなかった。ただし、出られなかった事の責任の一端は本人にもあるのだし、何より彼は偉大な存在だが、プラティニとジダンと比べて、フランスの象徴かどうかとなると、やや疑問が残る。もっともユナイテッドの象徴ではあるかもしれないが。
 しいて言えば、ジョージ・ベストかもしれない。82年大会、久々に本大会に出場し、地元スペイン、スタア軍団ユーゴスラビアと同じと言う難しいグループに入りながら、ベテランGKパット・ジェニングスを軸に2次ラウンドまで進出した北アイルランド。ジェニングスと同世代のベストが、「あの場にいてくれれば」と世界中の誰もが想った。しかし、言うまでもなく、外国の方々に、ストイックの固まりで長期に渡りプレイを続けているカズを、自堕落極まりなく全盛期があまりに短かったベストに喩えて説明すると、混乱は大きいかもしれない。共通点は、ドリブルが巧みで、得点力が抜群で、格好よくて、抜群に女にもてて、その国のサッカーの象徴である事くらいだから(同世代の北アイルランド人と飲んだ時、そいつは目を潤ませながら、極東のサッカー狂にベストの自慢話をしてたから、カズ同様男達からも尊敬されていたのだろうが)。
 
 カズは、苦労して、苦労して、日本代表を引っぱり、ようやくワールドカップにたどり着いたが、出られなかった。
 重要な事は、90年代カズの全盛期の日本サッカー界ほど、物凄い右肩上がりでその質を上昇させた国は、他に思いつかない事だ(同時に井原正巳、福田正博と言う、カズとは別な意味で超スーパーなスタアがいたのも幸いしたのだが)。そして、その右肩上がり以降も、日本は世界の強豪の片隅の地位をしっかりと確保している。その急激な上昇と、以降の安定に、カズが格段な貢献をした事は言うまでもない。
 けれども、それでもカズはワールドカップに出られなかった。
 以前より述べているが、岡田氏贔屓の私でさえ、その事は飲み込めずにいる。もっとも、岡田武史と言う人を現役時代からずっと観ていて、ブラジルから帰国以降のカズもずっと観ていて、その後の2人の活躍も反芻すると、あの時の岡田氏の決断とカズの悲劇は、生半可には書けない想いもある。

 カズよりも、偉大でワールドカップに出る事が叶わなかった国民的象徴は他国にいない。カズは世界レベルから見ても、唯一無二の存在なのだ。
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2010年12月31日

2010年10大ニュース

1. ワールドカップ
 これだけで、幾らでも語る事ができるし、10大ニュースが作れそうだ。ただ、中でも先日述べたように
 ○我々の「格」が明確になった事
 ○世界のトップにおいて組織守備と言う長所、攻撃の個人能力と言う改善点が改めて明確になった事
 ○パラグアイ戦と見事な死闘を演じる事ができた事
の3点が非常に重要だと思う。我々は6月以降全てにおいて、ここを再スタートラインにおけるようになった。

2.西村主審大活躍
 ブラジル−オランダ戦の準々決勝と拡大トヨタカップ決勝の笛を吹いた事そのものに。特にあの準々決勝の笛は見事だった。フィリップ・メロの愚行が一層評価を高めた感もあったが、あの難しい試合には、「日本風のしつこい笛」がピッタリだった?!
 先日定年と言う基本ルールを平気で破り続けて来た人が引退をした。その人は晩年を汚したが、全盛時は少々杓子定規だが、悪くない主審ぶりではあった。しかし、西村氏はその人の全盛時を間違いなく凌駕している。
 我々が世界のトップで勝とうとするならば、選手も、監督も、その他のスタッフも、協会の運営も、クラブの経営手法も、若年層の育成方法も、我々サポータの振る舞いも、マスコミの報道も、我々のサッカー描写力も、底辺の指導も、全てが世界のトップに近づかなければならないはずだ。その中で審判が世界トップと評価された事を素直に喜びたい。

3.少年サッカーへの8人制取り入れ
 私は総論賛成。しかし、現場の悩み、混乱は大きい。少なくとも底辺レベルでは、「3人」出られないのは歴然たる事実。また指導者、審判の数、グラウンドの広さや数などの問題から、簡単にチーム数も増やせない。「日本協会は小学生世代のトップレベルの事しか考えていないのでは?」とも言いたくなる(まあ、それでも構わないようにも思うが)事もあるのだ。
 とは言え、やってみる事が大事だと思う。まずは8人制のオペレーションをしっかりやってから、議論すべきだろう。

4. アルゼンチンに勝った!
 代表チームの積み上げ、原博実の勝利。

5. アジア大会優勝
 アジアの中での我々の「格」がいかに高いかを再確認。韓国、北朝鮮がこけた幸運はあったけれど、UAE(とてもよいチームだったけれど)は「蛇に睨まれた蛙状態」だった。関塚氏らスタッフ、各選手の努力と健闘のおかげなのだが、この大会の成功を見る限り、若年層育成は「うまく行っている」としか、言いようがない。そして、そうだとすれば、あのアジアユース惨敗の要因は、やはりかんと(以下自粛)。
 女子の優勝は、何か当然の雰囲気があるからすごい。澤と大野が元気なうちに、アジアと言わず世界で大輪の花を咲かせてくれまいか。

6. 天皇杯日程スキャンダル
 代表戦に合わせて、金曜日、日曜日に1,2回戦を消化、2回戦でJ1クラブが待ち構える。しかも移動手間を省くために近隣代表同士(たとえばソニー仙台対福島ユナイテッドの勝者がベガルタ仙台と...まあベガルタは、それなのに負けたのですが)。こんな抽選も無視した勝ち抜き戦を有料試合で、最も権威ある大会でやっていい訳がないだろう。
 こう言う事をやっていると、いずれしっぺ返しが来るのではないかと、本当に心配になる。

7. 欧州で日本選手次々に活躍
 多くの選手が、順調に欧州のトップで活躍をしている。国内の契約ルールが変った間隙を代理人達がうまく突いて、移籍料ゼロで持って行かれてる事も大きい。しかし、持って行かれた連中が大活躍しているのだから、文句の言いようがない。 
 ワールドカップで上位を狙う国の代表選手達なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、その当たり前の事が過去10年なぜできなかったのか。結構真剣に考えるべき課題に思う。

8. グランパスJ制覇と闘莉王
 久米GMとピクシーの勝利は明らかだが、やはり闘莉王の存在は大きい。アルセーヌ・ベンゲル氏と選手ピクシーがいても勝てなかったJリーグ。闘莉王と言う選手の「勝者のメンタリティ」のすごさを感じる優勝劇だった。闘莉王は代表では、中澤、遠藤がいるために「目立たない」けれど、やはり日本サッカー史に残るタレントだなと。


9. 町田ゼルビア不透明なJ入り拒絶
 明らかに既得権を守る動きがあるとしか思えない。理念がなくなった時にJリーグの進歩は止まって意しまう。これはこれで、Jリーグの危機と言えるのではないか。
 簡単な事なのだ。J2からJFLの降格を認めてしまえばよい。流動性を高めれば高める程、勝負はおもしろくなり、総合的な経済パイは拡大する。総合的なパイが大きくなる方が、最終的には既存のクラブにもメリットが出てくるのだが。

10. アルディージャ観客水増し
 18年の月日は、ここまで人々を弛緩させるものかと言うショッキングなニュースだった。平気で繰り返したアルディージャフロントも、まともな確認をしなかったJ当局もだが。現状のルールからすると、2000万円の制裁金が上限なので仕方がないが、罪からすればあまりに低い「罰金」に思うのは私だけか。
 何より重要な事は、いかに再発を防止し、その活動を裏付ける事。Jリーグの手腕が問われている。

特別賞.賀川浩氏の殿堂入り
 選ぶ立場の方が選考されたのだが、サッカーを文章化する努力を日々重ねている身としては、大先輩の殿堂入りは、やはり嬉しい。
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2010年11月02日

千葉直樹と言う幸運

 私達は幸せだった。
 地方都市の経済規模が小さなクラブに、地元出身の英雄がいたのだから。千葉直樹は、ブランメルのJFL2シーズン目から、いつもそこにいた。いつもそこににいるから、気がつかないのだが、地元出身の英雄が当たり前のように常にクラブを支える存在でいてくれる事は、私達にとって信じ難い幸運な偶然だったのだ。

 幾多の名場面が思い起こされる。その中で、私はたった1つの試合が忘れられない。つい最近、昨期の盛夏の試合だ。J1昇格を争いつつも、チームが底の状態だった時の愛媛戦。チーム全体が疲労に沈み、冴えない試合を続けていた折に決めた鮮やかな先制のヘディングシュート。あの一番苦しい時期での、千葉の一撃でベガルタは生き返った。
 もちろんそれ以外にも、千葉は幾多の見事なプレイでクラブを支え続けて来たのは言うまでもない。今期にしても中盤戦までは完全なレギュラとして、シーズン半ばからは終盤アンカーとして試合をクローズする役目を、それぞれ見事にこなしてきた。いや、毎期毎期、多くの選手と定位置争いを演じながら、結局最も頻度多く出場するのが千葉だった。どのような監督に仕えても、千葉は、常に堅実に、冷静に、丁寧に、ちょっとミスをまじえながら、時にスーパーなプレイで私達に熱狂的な歓喜を提供してきたのだ。
 いや、よいプレイでクラブを引っ張って来ただけではない。本当の意味で、クラブ全体をその人格で支えて来たからこそ(たとえばこれね)、文字通り「精神的支柱」と呼ばれる存在だったのだ。
 繰り返すが、私は上記した昨期の千葉の一撃で勝った愛媛戦が忘れられない。その前のシーズン、入替戦で苦杯を喫し、「必ずJ1に上がる」と、サポータを含む全てのクラブ関係者が誓った昨期。しかし、戦いは決して楽ではなく、あの愛媛戦の前節の横浜FC戦などは、最低最悪のプレイ振りだった。その苦しい愛媛戦での、あのヘディングがなければ、以降のベガルタはどんな歴史を描く事になった事だろうか。

 引退は噂されていた。いや、そもそも件の入替戦時には引退を決意していたと言う噂もあった。昨期も歓喜の昇格決定時に同様な噂があった。でも、千葉直樹は再びJ1の戦地に登場してくれた。1977年生まれの33歳、まだまだやれるとは思う。ピッチ上の千葉直樹の経験は、何にも代え難いベガルタの宝である事は違いない。しかし、決断はなされたのだ。今はただ、冒頭に語った幸運をかみしめて、過去の幾多の好プレイと発言を反芻し、残り6試合の共闘を誓い、よい結果を受け入れるのみである。

 背番号「7」を永久欠番にしようではないか。
 クラブの黎明期に、信じ難い幸運で私達が所有する事ができた地元出身の英雄なのだから。いっそ、今期まで私達に提供されている背番号「12」をいずれかの選手に提供し、私達が千葉の背番号を引き継ぐと言うのはいかがだろうか。そう言った提案を、謙虚な千葉直樹自身は辞退するかもしれない。でも、ここまで私達に幸せを提供してくれてきたのだ。もう1つくらい、私達の我がままを聞いて欲しい。

 千葉直樹とはあと6試合。残り6試合は、私達にとって、あまりに大切な試合となった。千葉直樹は去る事で、私達に一層の輝きを提供してくれる。
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2010年10月29日

忘れたいが、忘れてはいけない過去2010

 また今年もこの日がやってきた。そして、あれから12年経った事になる。サッカー界における時間単位は4年(便宜的にその単位を「ワールドカップ」と呼ぶ事にしようか)なので、「あれから3ワールドカップ経った」事になる。

 3ワールドカップ経てば、時代は流れる。
 楢崎正剛は代表引退を表明した。遠藤保仁はワールドカップ最高峰のプレイを見せてくれた。鹿児島実業高校を卒業したばかりの遠藤を抜擢したレシャック氏は、南アフリカでの遠藤のプレイを見て、どのような思いを抱いてくれたのだろうか(どなたか、スペイン系の取材を得意としている方がいたら、是非お願いします、取材前に連絡いただければご機嫌をとるネタくらい提供しますよ、何せクライフの家来だったのですから)。
 3ワールドカップ前に、あの悲劇について書いた文章は、今でも正鵠を射ていたと思っている。フリューゲルスは極めて理不尽に悲劇的に消えて行ったのだ。そして時間が経った今でも、あの理不尽さへの怒りを押さえる事ができない自分がいる。それについては、昨年書いたエントリを参照いただきたい。

 その怒りをいかに継続すべきなのか。
 今年、私は友人(である、とうこくりえ氏)から格好のメッセージを受領した。こちらである。そのメッセージは、おそらく本書を購入しなければ受信できない。とにかく、本書を購入し、丁寧になめ回して欲しい。そうすれば、フリューゲルスの悲劇に関するとうこく氏の「メッセージ」を見つける事ができるはずだ。
 私はこのメッセージを見つけた際に、改めて彼女のサッカー描写力に嫉妬し、尊敬した。私にはできない。
 また、彼女のメッセージを既に見つけた方、私の駄文をキッカケに気がついた方にお願いしたい。コメント欄でネタバレはしないでいただきたい。おそらく、彼女のメッセージは、自分で見つける事によって、明確に伝わるから。

 フリューゲルスと言うクラブはもうない。でも、執拗に繰り返すが、なくなった悲劇を忘れては行けない。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(7) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする