2010年05月26日

1970年決勝、ブラジルーイタリア

 少々旧聞となるが、先日NHKで中継された70年ワールドカップ決勝ブラジル−イタリアを堪能した。この時のブラジルは、29歳全盛期のペレを軸に今なお「史上最強」と呼ばれているチーム。学生時代に1度映像を見て感動した記憶があるのだが、約30年振りの再見となった次第。

 40年前の試合ゆえ、今日のサッカーとは多いに異なる点がある。ルール的に決定的に異なるのは、当時バックパスをゴールキーパが手でさばく事が許されているくらい(当時キックオフからの直接シュートは認められていなかった等の小さなルール変更はあるが)なのだが、試合展開は全く異なる。
 それ以外で、大きくルールは変わっていないのだが、1つ決定的に異なっているのは、ルールの運用への考え方。中でも、後方から相当きついタックルをしても、退場はおろか警告にならない事が、もっとも大きな違いだろう。したがって、(反則タックルがあまりに危険過ぎて)目を覆うよう場面に我慢する必要があった。
 次に、前線の選手がほとんど守備をしない。もちろん、流れの中からボールを追う事くらいは行うが、ゴールキーパのフィードを受けた守備者が持ち上がるのに対して、FWが妨害するケースはほとんどなかった。ただし、ブラジルのCFトスタオは、味方がボールを奪われた直後に、幾度かすばやい攻から守の切り替えを見せていた(と、言ってもその努力や頻度は、今日のトップ選手の1/10程度だろうが)。当時から、勤勉で頭の良いストライカと呼ばれていた理由が、この守備振りからも理解できた。
 前線の選手が守備をしない事ととも関連するが、中盤でのプレスがほとんどないのも今日のサッカーとの大きな違い。ただし、これはこの日のイタリアが極端に後方を厚くして守りを固めていたのも関連しているかもしれないが。と言うのは、ブラジルはサイドを有効にえぐる事はできず、それなりに攻撃に苦労していた。これはイタリアが中盤でボールを奪うのをあきらめ、おかげで、ブラジルの中盤のリーダのゲルソンは、常にハーフウェイラインを過ぎたあたりで、ノンビリと実に優雅な展開を見せてくれた。それにしても、ゲルソンは、視野の広さ、長いボールの精度、頭の上がり具合など、12年後のファルカンによく似ていた。
 もう1つ。ボールの違いもあるようだ。今のボールと異なり、完成時の寸法精度が落ちると言えばいいだろうか、ボールの当たりが不安定。ペレやリベリーノのように、抜群に上手な選手が時々信じ難いようなミスキック(宇宙開発)をしてしまう。高地のせいもあるかもしれないが、16年後の同じワールドカップでは、あまりそのような場面は見なかった記憶があるので、そう思った次第。なお、この映像の解説者が、高地について愉しい事を喋っていたが、それは書かないのが武士の情けと言うものか。

 さて試合。
 序盤からブラジルが中盤を支配し、イタリアが引いて守るのはお約束。上記の通り、ゲルソンがハーフウェイラインを越えた当たりで、悠然とルックアップしボールを散らす。サポートするクロドアウドは技巧的でよく動くボランチ。ファルカンとトニーニョ・セレーゾの組み合わせと同じだ(クロドアウドはトニーニョ・セレーゾより一層技巧的な分、あのバカバカしい長駆はないようだったが)。
 右ウィングのジャイルジーニョ(どうでもいいが、70年代半ばにあのヤスダが出していたジャイールラインのスパイクは懐かしい)は強引で直線的なドリブル。マークするファケッティとの1対1の攻防と駆け引きはすばらしい見せ物。そしてジャイルジーニョが内側に切れ込む事で空いた右サイドに主将のカルロス・アルベルト(グランパスにいたトーレスの親父、どうでもいいが高校時代世界史のテストでラテン人名を問う問題で答えがわからない時、私はいつも「カルロス」と書く事にしていた。そうすると4回に1回くらいは正解になる)が前進してくる。そして、多くの攻撃の起点はカルロス・アルベルトだった。イタリアが後方を固めているのを見ると、カルロス・アルベルトは球足が速く正確で低いクロスを、ペナルティエリア内のペレとトスタオにいれる。この2トップが、激しいプレッシャを受けながら、正確無比にそのボールを保持する事で、ブラジルの攻撃にスイッチがはいる。こう言うのを見ると、ジーコがサイドバックとしてアレックスに拘泥した気持ちがわかってくる。残念ながら、アレックスはカルロス・アルベルトではなかったのだが。
 引き気味の左ウィングはもちろんリベリーノ。この試合のリベリーノは、フェイントの総合百貨店みたいなプレイ振りで、とにかく何をするかわからない。スピードも抜群で、イタリア守備陣は深めに守っているのだが、それでも幾度も勝負して抜いていく(抜き去った後、必ず後方から削られて直接FKとなり、そのFKをリベリーノが豪快に外す、と言う事を繰り返していた)。トップのトスタオは、常に冷静にボールを受け、後方から削られながら冷静にペレ達にボールを落とし続ける。その落ち着きぶりに、ちょっと二川を思い出した。
 一方のイタリアは、正に正真正銘のカテナチオ。全員がマンツーマンでブラジル選手にまとわりつき、抜かれたら責任を持って後方から大ファウルで削り止める。ボールを奪うや、勇気を持ってカウンタに出る。最前線のリーバは怪我しない久保竜彦、ボニンセーニャは技巧的な鈴木隆行。この2人だけでどんなチームからも点を取ってしまう、そして後方から押し上げるマッツオーラ。巧いし動くし頭がいいし。やはりイタリア史上最高の10番ではないか(私は昔からジャンニ・リベラよりアレッサンドロ・マッツオーラの方が好きなのだ)。
 
 ブラジルの先制点は有名なペレのヘディングシュート。左サイドでスローインを受けたリベリーノが見事な動き出しで難しい体勢でファーサイドにセンタリング、ペレが後方に引いてマーカのブルグニキの視野後方に入り、驚異的な滞空時間のヘディングを決めたもの。あの体勢から高精度のセンタリングを上げるリベリーノもリベリーノだが、そのようなボールを期待して位置取りするペレもペレだな。あんな攻撃されたら防ぎようない。
 しかし、イタリアは恒例のブラジル守備陣のミスを引っ掛け、ボニンセーニャが同点弾を決めて1−1で前半を終える。
 後半開始早々のブラジルの攻撃は印象的。ペレが引いて右サイドのジャイルジーニョへ、ファケッティと正対したジャイルジーニョの右外側をカルロス・アルベルトが追い越す。ジャイルジーニョの高精度パスを受けたカルロス・アルベルトはそのままゴールラインギリギリまで切り込み、低いセンタリング。そこに飛び込んだのが起点となったペレ。けれども僅かに合わせ切れず逸機。これまた有名な場面だが、この試合外を完全にえぐる事ができたのは、先制点とこの場面の2回のみ。いかに、イタリアのカテナチオが利いていたかの証左と言える。
 ブラジルの2点目はゲルソン。左サイドから中央に切れ込むジャイルジーニョ(相変わらずポジションチェンジが頻繁)、ファケッティが冷静についていく。その時、右サイドから挙動を開始したゲルソンが、ジャイルジーニョと交錯する動き(いわゆるシザース)でボールを奪う。さすがのイタリア守備陣もずれる。そこでゲルソンは強く右足を踏み込んでクロスするように左足でシュート、ボールはサイドネットに突き刺さった。GKのアルベルトシからすると、ジャイルジーニョのドリブルで(自分の)右から左にボールが動き、シザースで左から右に、そして最後は再びゲルソンがいきなり左に強シュートを打って来たもの、たまったものではない。
 イタリアは散発的ながら幾度もリーバを軸に反撃する。ほんの少しイタリアに幸運があったとしたら、もう少し試合はもつれたかもしれない。しかし、もうブラジルは止まらない。ハーフウェイラインを越えたあたりでつかんだFK。外に開いたゲルソンが受け、ゴールを交差する深いロビング。何の事はないボールと思ったが、いやらしくGKがとれないコースへ。そして、そこにはまたも見事な後方への陽動動作で引いたペレが、ブルグニキを振り切ってフリーでヘディング。ゴール前に飛び込んで来たジャイルジーニョは、ファケッティに腕をつかまれバランスを崩しながらゴールに押し込んだ。歓喜で走ったジャイルジーニョがひざまずいて十字を切るのも有名な場面だな。
 そして、あの伝説的4点目。自陣でのクロドアウドの4人抜き(そりゃ2点差で負けていればイタリアは無理に取りにいくから、こうやって抜かれてしまう)、それを受けたジャイルジーニョが中央に切れ込み、右サイドで全くフリーのペレへ。ペレは一拍おいて、丁寧なパスを右に流す。と、後方から長駆してきたカルロス・アルベルトが全くのフリーで、強烈な右アウトサイドキックで叩き込んだ。この場面、ペレが後方にも目を持っている事を証明する場面と言えた(真実は、その前にいたトスタオが指差していたらしいが)。正にビューティフルゴール、お祭りの大団円を飾る一撃だった。

 それにしてもペレ。
 ディエゴのように「人間とは思えない」瞬間加速とも違う。クライフのように「流れるような体勢から展開する」のとも少し違う。最前線で、厳しいマークを受けて、幾度も削られながら、肝心の時に抜群の視野の広さと究極の状況判断を見せてくれる。ヘディングを含めて、技術も完璧。常にイタリアの意表を突き、超一流のチームメート達を使いこなす。そして、一番危険な選手が最前線にいる事の恐怖。

 なるほど、本当にすごい歴史的なチームだったのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:31| Comment(7) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

2009年10大ニュース

1.Jクラブの経営問題
 15年かけて、負債12億円、観客20000人、ナビスコの歓喜を積み上げたトリニータ(もっとも負債の半分は今期1年間で積み上げたのだが)。何とか、何とか、生き延びて欲しい。
 10年かけてJ1に復帰したベルマーレは、観客3000人からの再スタートに成功した。
 そして、40年をかけて、ヴェルディは観客3000人と、幾多の想い出と、優秀な若い選手と再スタートを切る。
 不況もあるし、他競技との競争もある。けれども、「サッカーを、自分のクラブを応援する」と言う、このバカバカしい娯楽を、日本中の全ての地域に広げたい。

2.ワールドカップ予選、アジア、オセアニアの攻防
 イラクは復活ならず、イランとサウジアラビアの不振、ミラン・マチャラの大冒険はあったものの、32年ぶりの「西アジア不在」のワールドカップとなる。
 論外の中国に対し、北朝鮮の歓喜。
 一方で、「3強」には、あまりに無風の予選だった。最後の豪州戦にベストメンバを組まなかった重さはあるものの。

3.ACL連覇失敗と国内タイトルの攻防
 グランパス、インフルエンザに散る。
 フロンターレ、過酷日程に散る...さらに。米本。ポポビッチ氏。そして、ユアテックスタジアム!!!!
 ガンバ、憲剛に散る、一発勝負は難しい。
 そして、アントラーズ、運がないのだろうな。でも、アントラーズ強いな。伊野波と興梠の成長が嬉しい。

4.岡崎慎司の確立
 4回目にして初めて、「フォワードの中核」、「いかにして彼に点を取らせるかと言うストライカ」を所有して、ワールドカップに出場できる。
 まだ23歳で「型」を持ったストライカになりつつある岡崎。過度の期待は禁物とわかってはいるのだが。

5.移籍制度改定
 いきなりシーズン中に改定決定って、あってよいのだろうか。
 現状のFIFA方式は労働者保護の面からは正しいとは思う。しかし、サッカー的にそれが正しいのかと言うと、何とも言えない自分がいる。もっとも、短期的混乱はあろうが、結局戦力の極端な独占化にはつながらないだろうが(西欧の一部とは違う、外国人枠の撤廃がなければ)。
 ただ、この改訂の影響は、サッカー狂の思考実験の材料としては最適かもしれないが。

6.相次ぐ中東クラブによる選手の強奪
 毎年恒例行事、来年はペドロ・ジュニオールの番なのだろうか。中東に圧倒的な評価のガンバスカウトの眼力。まあ、直接前所属クラブから買えば効率よいと思うのだが。
 もっとも、広い視点から見れば異常でも何でもない。アジア枠の不自然さはあるのだが。いつか、日本人選手が中東に買われる時代は来るのだろうか。

7.雨天中止試合
 「主審に任せる」のは当然として、「その判断は正しかったのか?」と言う検証がなくてよいのだろうか。
 それにしても、よりによって、超過密日程のフロンターレ戦で、あの判断だから皮肉なものだった。「中途より再試合」と言う苦渋の決断は一定の評価をせざるを得ないだろう。(背景に日程がまったく空いていない事情もあったのだが)。FKからの再開と言うやり方(そしたら点がはいっちゃった)も議論の余地ありか。
 さらに、試合費用問題(アントラーズは「負け」を受け入れようとしたのも重要、結局費用はJ持ちだが、J持ちと言う事は全クラブの「割り勘」と言う事)。
 ともあれ、観戦したサポータの方々には強く羨望するものである(しかも無料だったと言うし)。

8.ジェフ、44年目の陥落
今日、イビチャ・オシム監督と日本代表の監督としての契約をできることを非常に嬉しく思っています。その反面、千葉のチーム関係者やサポーターの皆さんには色々なご心配や、納得の行かないこともあると思いますが、オシム監督を日本代表チームに送り出してよかったと思える日が早くくることは間違いないと思っています。
 まあ、それだけじゃないのは、わかっているけれど。

9.池田誠剛氏の韓国代表フィジカルコーチ就任
 日本人指導者が、「その実力のみ」を評価され、海外の強いチームから招聘されたのは、大変な快挙。さすが洪明甫氏と言うべきか。池田氏とは個人的ながあるもので。

10.モンテディオのJ1残留
 すべてのクラブが学ぶべき大成果、J1昇格よりJ1残留は難しい。アントラーズ戦のシュートゼロ、明治大戦の完敗が、その見事さを際立たせる。
posted by 武藤文雄 at 23:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

2009年ベストイレブン

 毎年恒例のベストイレブン。ご承知のように、雰囲気と勢いで選んでいますし、毎年結構選考基準が変わります。今年も1年を振り返りながら、愉しんで選びました。遠藤を選んでいませんが、まあ事情がありまして。あと、中澤は今期は選んで欲しくないだろうなと勝手に憶測したものです。

GK 楢崎正剛
 やはり、あのウズベク戦の最後の仁王立ちを見るとこの人だろう。元日の決勝、楢崎と遠藤の攻防が愉しみ。

DF 長谷部誠
 MFだけど、チーム編成上右サイドバックに。長谷部と遠藤を中盤で組み合わせた岡田氏の発想はすばらしいと思うのだが、長谷部をここに下げて、今野と遠藤で中盤ってアリだと思う。代表でもすばらしかったけれど、個人的にはこのアシストが気に入っている。南アフリカでも重要な存在になってくれる事だろうし。

DF 伊野波雅彦
 アントラーズの守備の中核として機能し、J制覇に貢献。貢献度と言う意味ではチーム最高と語っても過言ではない。今期の守備者としての成長は顕著だった。対敵動作、判断力、前線へのフィード、いずれも水準以上のプレイを見せた。
 「代表」と言うと「高さ」に不満が残るが、国内の中堅どころでは最高レベルのCBである事は間違いない。このようなタレントが、自らの工夫で「高さ」をカバーしてくれると嬉しいのだが。

DF 闘莉王
 バカではある。レッズを追われた事についてレッズの判断は正しい。
 けれども、レッズにおける闘莉王のプレイは魅力あふれるものだった。坪井と阿部と連携を活かしながら、読みと強さでカバーリング。攻撃の起点としても、フィニッシャとしても敵に脅威を与える。昨期までの闘莉王の攻撃参加の多くは空回りだったが、今期の攻撃は細貝と啓太の連動と合わせ、存分に組織的だった。1人のプレイヤとしては本当に魅力的なのだが。

DF 長友佑都
 ガーナ戦。ハンドの大ミスはあったが、信じ難いスタミナで走り切り勝利に貢献した。日本が本大会で攻め切るためにサイドバックの重要性は言うまでもない。あの傍若無人の上下動が世界を驚かせる事を期待したい。
 あと、全力疾走の直後、ちょっとだけでいいから、敵の逆を突く事も考えてくれれば。

MF 明神智和
 天皇杯準決勝で、あんなプレイをされたら選ばない訳にいかないではないか。

MF 米本拓司
 ナビスコ決勝。あんなシュートを決めるなんて、城福氏も関塚氏も今野も憲剛も誰も予想していなかっただろう。
 あの年齢での抜群の判断力、しつこさ、ボールを持ってからの度胸、事前のルックアップ。久々に「来た!」と言うタレントだ。まずはイエメン戦で機能し、一気に南アフリカまで行って下さい。

MF 千葉直樹
 今年くらいは構わないだろう?

MF 石川直宏
 場面1つ1つ美しさに。南アフリカでの歓喜を。

MF 中村憲剛
 「敗れた瞬間」が絵になり過ぎて恐ろしいくらいだ。
 あの天皇杯準々決勝延長後半、ゴール裏に憲剛が近付く度に抱いた恐怖感。そして、プレイが切れる度に天を仰ぐ憲剛、その頬のこけた疲労感。それでも幾度と無く、前進してくる恐怖の継続。
 代表でもトップ下と言う新境地を開き、完全に定位置を確保。南アフリカの歓喜は、この人次第と言う気がしてならない。

FW 岡崎慎司
 すさまじい進歩。あくなき闘志で守備を機能させながら、敵陣前に抜群のタイミングで飛び込み、敵陣前で敵DFに囲まれてもボールを自分のところに止める事ができる。
 日本代表は、久々に「エース」を獲得した。
 
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

忘れたいが、忘れてはいけない過去2009

 また今年もこの日がやってきた。昨年は異国滞在中だったために、本件について書く事ができなかったが、毎年この日はあのクラブについて思い起こし、2度とあのような悲しい出来事は起こって欲しくない考える事はとても大切だと思っている。

 あれから11年が経った。当然ながら多くの選手が現役を去った、それでも当時の主力選手だった楢崎誠剛を筆頭に、、三浦淳宏、吉田孝行、波戸康広らは今なおJのトッププレイヤとして君臨している。以前も語ったが、あのクラブの「ある意味において明確な後継クラブ」と言わざるを得ない横浜FCはJ1での戦いも経験した。さらに、そこでは山口素弘がプレイし、そのクラブを最後に彼はスパイクを脱いだ。あのクラブでキャリアをスタートした遠藤保仁は、丹念に自らを磨き日本最高の選手と評価されるに至った。いや、他にもあのクラブ出身のサッカー人は、加茂周、ズデンコ・ベルデニック、反町康治、ゲルト・エンゲルス、田口禎則、岩井厚裕、前田浩二、大島秀夫、氏家英行ら、日本サッカーを色々な立場で支えているのは言うまでもない。

 11年の月日を経て、Jリーグは当時考えられない程、日本の隅々に根を張る事に成功した。いや、「Jリーグ」と言う表記は適切ではないな。先日の松本山雅が浦和レッズに勝利した事そのものが、日本サッカーが分厚くなっている事の証左なのだ。
 しかし、一方で厳しい現実もある。ヴェルディの迷走は、経営の失敗そのものかもしれないが、この名門クラブに消失の危機がある事はやはり残念だ。そのほかにも、FC岐阜をはじめ、Jでも相当経営が苦しいクラブの話は枚挙に暇ない。日本経済の冷え込み、ネットの発達によるマスコミの急激な構造変動(広告ビジネスの大きな転換を含み)など、サッカー界は世情に左右されるのは仕方がない事だ。しかし、ステークホルダであるサポータの厚みさえあれば、ほとんどの危機を乗り越える事ができるはずだ。そして、それがサッカーなのだ。経営が苦しくなり、キャッシュが回らなくなり優秀な選手を確保できずに下位リーグに陥落しても、クラブが存続すれば夢は続く。
 ところが、あのクラブの消滅は、分厚いサポータがいながら、「サッカーを理解しない」企業の論理を、「サッカー側」が誤って認めてしまった事態だった。だからこそ、あの痛恨の失敗を忘れてはいけない。
 繰り返すが、あのような悲劇を再発させぬように、あのクラブの事は絶対に忘れてはならないのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月27日

ピクシーとデヤンと...

(修正しました 2009/10/27)
すみません。ピクシーの「シュート」直前の軌道をすっかり勘違いしてました。ピクシーさん、皆様、ごめんなさい。自戒を込めて字消し線で間違いを残しました。それにしても、投稿直後わずか15分で3本お叱りをいただくとは、感謝感激であります。



 少々旧聞になってしまうが、先般のマリノス−グランパス戦で、ピクシーが決めた「ロングシュート」から、あれこれ考えた事を。
 
 それにしても、何とも言いようのない美しい軌跡だった。あのキックの精度を可能にした抜群の技量については言うまでもない。それ以上に、コロコロポワーンとボールがころがってきた飛んで来た瞬間に「これなら決められる、大観衆を喜ばせる事ができる」と判断したのだろうが、この閃きの豊かさを、どう讃えたらよいのか。
 あの試合場にいて、あの場面を目の当たりにしたすべての方々(野暮な主審を含めて)に嫉妬するものである。

 ところが、前後して行われたセリエA、ジェノアーインテル戦で、全く類似の「ロングシュート」が見られた。GKのクリアキックを、デヤン・スタンコビッチがダイレクトボレーでシュートし、約50mの距離を決めたものだ。
 こちらは公式の得点だが、軌跡と言い、飛んだコースと言い、実によく似ていた。浮いたボールを捉える難しさを考慮すると技術的にはこちらの方が難度が高いか。ただ、デヤンは試合に集中し常時「点を取る」事を考えていたのだろうから、瞬間閃きレベルはピクシーの方が上かな。

 おお、この2人は共にセルビア人ではないか。あのような類似した美しい弾道を、遠く離れた日本とイタリアで、新旧の同国のスーパースタアが、決めてくれた訳だ。その偶然に、サッカーの偉大さを感じずにはいられない。
 さらに言えば、2人は98年フランスワールドカップの「ユーゴスラビア代表」のチームメートだった。当時の「ユーゴスラビア」代表は、ピクシーを主将にサビチェビッチ、ユーゴビッチ、ミハイロビッチ、ミヤトビッチら、ピクシー世代のベテラン(つまり90年代前半にオシム爺さんに師事した世代)を主体にしたチームで、唯一デヤンのみが若手でレギュラ入りしていた。当時デヤンは、このバルカンの代表チームを長きに渡り支える存在として将来を嘱望されていたワールドクラスのスタア候補生だったのだ。

 そして、当時のデヤンの事を考えると、私は胸の片隅にちょっとした痛みを感じるのだ。ある場面を思い出して。
 それは上記フランスワールドカップ直後の、98ー99年シーズンのセリエAのある1試合の事だった。ワールドカップ後、レッドスターからラツィオに移籍したばかりのデヤンは、その試合で直接マークをやり合う形になった同年代のMFに圧倒された。デヤンは、技巧、フィジカル、駆け引き、すべてで劣勢となり再三1対1でしてやられたのだ。デヤン自身、ワールドカップでも一定の評価を受けたプライドもあった事だろう。試合終盤のある場面、そのMFに必死に食い下がり、何か全知全霊を賭けたかのようなプレイでボールを奪取した。そのデヤンの必死の形相はすさまじいものがあり、忘れ難い場面となっている。
 当時、そのペルージャのMFは20代前半の選手としては、世界最高レベルの逸材と期待されていたのだが。
posted by 武藤文雄 at 22:36| Comment(9) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

あれから24年

 今日は10月26日。今から24年前の今日は、「メキシコの青い空」「ボールが曲がる、ボールが落ちる」のメキシコワールドカップ予選の日韓戦が行われた日だ。時の経つのは速いものだ。来年には、あれから数えて7回目のワールドカップが行われるのだから。
 ちょうど中間点の12年前の今日は、フランス予選で自力突破権を一時失ってしまった国立のUAE戦が行われた日となる。個人的にはフランス予選が、「メキシコの青い空」から現在への折り返し点とはとても思えず、ずっと最近に感じられてならないのだが。
 メキシコまであと一歩まで迫りながら涙を飲み初出場するまでに12年の歳月が必要だった。当時、その12年間はとても長く感じたものだった。ところが、12年前のUAE戦に代表される七転八倒の末につかみ取ったジョホールバルの歓喜から、「出場して当然」、「準備試合のオランダに完敗して世も末」と言う世評になる今日までは「アッと言う間」に感じるのだ。
 まあ、このような錯覚は、トシをとったが故の事なのだろうか。
 
 ただ、このような錯覚を感じる理由もある。
 「メキシコの青い空」から「ジョホールバルの歓喜」さらにはフランスワールドカップへの挑戦に至るまでの期間の日本サッカー界の急速な右肩上がりの微分値はすさまじいものがあった。4年前の今日にも述べたのだが、あの24年前の今日は、今日の日本サッカー界がアジアに覇を唱える前兆だった。そして、その前兆以降、短期的失敗はあったものの、プロフェッショナリズムの本格導入と共に日本サッカーの質は急速に向上した。とにかく、この12年間の日本サッカーの発展スピードはすごかったのだ。
 そしてフランス以降。地元開催ワールドカップと言う大イベントを含め、我々はアジアで勝つのは当然となり、欧州や南米の列強とそれなりの試合もできるようにはなった。けれども、そこからの壁が思うように破れない。フランスのあたりまでの極端なほどの向上の微分係数が見られなくなったのだ。
 だから、前半の12年間を長く感じ、後半の12年間を短く感じたのだと思う。

 考えてみれば、これは当たり前の事なのだ。「名人と上手には天地ほどの差がある」と言われるが、前半の12年間我々は上手への道を歩んでいた。そして上手になってみると、名人への道の遠さを感じてると言う事だろう。
 先進の南米からも欧州からも、距離も文化も遠い我々(たとえば合衆国は欧州や南米に距離も文化も近い、豪州は南米に距離は近いし欧州に文化が近い)がどうやって名人に近付き、名人になっていくべきか。いたずらに悲観する事なく、知恵をしぼりながら、悠々といつかワールドカップを優勝する事を目指す事。
 そう言う目標を新たに考えるために、10月26日と言う日は格好なのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

友の死

 友人が死んだ。
 友人と言うにはいささか失礼な約10歳年上のサッカー界の大先輩。かつてJSLでも戦ったトッププレイヤ。引退後は少年の指導を中軸に活躍されていた方だ。大先輩ではあるが、やはり私にとっては「友人」と語るのが適切な人だった。

 知り合ったのは2002年大会のちょっと前だった。縁あっての事。経歴と名前を聞いた瞬間に、私は思わず反応した。
「あの74−75年シーズンの天皇杯決勝の方ですか。」
これはこれで、彼には相当な驚きだったようだ。彼ほどの経歴を持ち主でも、30年近く経った後に初対面で己の経歴を記憶している輩との対面は、よほどの印象があったのだろう。彼にとって、この初対面時の私の反応は、「完璧な合格点」だったのだと思う。以降、本当に可愛がってもらった。

 あの2002年の森島スタジアムの歓喜の夜。ミナミの飲み屋でお互い涙しながらの会話の数々。「前半押し込みながらの我慢」、「前半終了間際のちょっと危ない時間帯の戸田のファウルの是非」、「ハーフタイムに稲本を代えるフィリップの勇気」、「なぜ、あそこで森島の前にボールはこぼれたのか」、「市川が右サイドをえぐろうとした時に、中田は一瞬止まって突然前に出た」。あの歓喜の晩に、彼とその仲間たちと語り合った数々。
 トヨタカップの度に東上する彼との試合後の会話。「結局ロナウドのすべてはファーストタッチにある」、「なぜアンチェロッティは腰が引けたのか」、「カルロス・ビアンキは、どこまでこの試合展開を読んでいたのか」、「ジェラードは前に出るべきか、ボランチで戦うべきか」。
 贅沢極まりない料理を堪能した後の、彼との会話は珠玉の愉しみだった。勝負を分ける一瞬のプレイ、それを見つけられるかどうか。試合後に幾度「俺はあれを見たよ」との会話で競った事か。

 子どもの指導に悩んだ時によく助言を求めた。
 いつも彼は答えてくれた。
「武藤さんよ、子どもが愉しんでいるかい。」
「どんな厳しい要求しても、子どもの目が光っていれば大丈夫よ。」
「愉しんでいれば、俺たちが思っていもいないアイデアを出してくるって。」
「愉しければ大丈夫、子どもは勝手にうまくなるよ。」

 「子どもは愉しんでいるのか」
これは今でも私の課題だ。どんな試合でも子ども達は勝ちたい。勝とうともがくからこそ、進歩がある。一方で我々指導陣は「失敗してもいいから挑戦しろ」と激励する。でも、彼らは勝ちたい。その苦しいもがきを、子ども達は愉しんでいるのか。

 一昨年、重病に臥せった彼は見事に回復してくれた。オシム爺さん最後の代表戦のエジプト戦後。回復直後の彼との会話は愉しかった。
「あそこで、大久保が飛び出してきた時に、絶対入ると思ったよね。」
 今思えば、じっくりと彼と会話できたのは、あれが最後だったのだ。

 もっと、もっと、語り合いたかった。もっと、もっと、勉強させて欲しかった。もっと、もっと、子ども達への指導法を聞きたかった。いや、もっと、もっと、一緒に飲んだくれたかった。

 平田生雄さん、享年58歳。法政大学、永大産業でプレイ。永大産業ではマネージャとして、解散したチームの各選手の再就職先の斡旋に尽力。引退後は、セルジオ越後氏と共に少年サッカーの指導に活躍。彼の弟子は日本中に無数。

 平田さん。さようなら。ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 23:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

2008年10大ニュース

 未曾有の不況に面している世界経済の悪影響が、サッカー界にも迫ろうとしている現状だが、それはそれとして受け止めるしかないので、敢えてこの10大ニュースからは外した。
 時代は劇的に変わりそうな節目で、2009年は日本のサッカー界も世界のサッカー界も、「決して楽ではない年」になるかもしれない。しかし、何が起こっても、サッカーの美しさは変わらないはずだ
 この1年間も、この偏見あふれるサッカー講釈にお付き合いいただき、ありがとうございます。こうやって、不平不満の愚痴と、素晴らしいプレイに感嘆と、クドクドと講釈を垂れる事が愉しいのです。来年も懲りずに、好き勝手な事を語り続けるつもりです。
 それではよい年をお迎えください。

1.危機的状況にある日本協会
 犬飼会長云々は別項として。会長の問題以前に、日本協会の当事者能力欠如がいよいよ深刻になってきた。もはやトップの資質、能力ではなく、組織として真っ当な対応ができなくなっているのだ。
 具体的に問題を列記する。いくつかはJリーグの問題だが、Jリーグ当局の当事者能力に問題があるならば、日本協会が決然とした対応をすればよいのだから。
 ドーピング濡れ衣問題。第3者期間から完全に「シロ」の判断が下ったのだから、単なる濡れ衣だったのだが、その後の処理、対応の拙さは眼を覆うばかりのものがある。このような不適切な対応で失う「信用」がどんなに痛いかわかっていないのだろうか。
 スタジアム暴力事件対応。過日の帳尻合わせ的な対処の発表を含め、極めて深刻な問題を深刻に捉えられない見識の無さ。取り返しがつかなくなってからでは遅い事がどうしてわからないのか。
 敵地オマーン戦のキックオフ時間。テレビ局には彼らの都合があり、勝手な要求をしてくるのは仕方が無い。しかし、許容できない事はサッカー側が拒絶しなければならないのだ。
 これらは川淵前会長の「錯綜する問題に対する解決能力欠如」が要因であろう。しかし、こう言った問題を、上司の顔を立てながら解決する事がそれほど難しいとは思えない。日本協会の有償スタッフの方々には、誇りを持って「愛するサッカーのために」問題解決に励んでいただきたいのだ。
 
2.日本代表への異様なバッシング
 マスコミやネット世論から代表チームに対して異様なバッシングが行われた1年だった。
 既に破綻しきっている現状の日程下において、クラブと代表強化のバッティングは避けられない。そのためクラブのサポータが「代表などどうでもよいから、自クラブのために時間を割いてくれ」と願うのも仕方がないだろう。オシム氏と言う誰からも尊敬され求心力ある監督を失った事もあろうし、川淵ジーコ時代のヘタクソなマーケティング活動の失敗が代表チームに対する尊敬の念を失わせてしまった事もあろう。
 しかし、一部のマスコミの戦評は「日本代表は準備段階で一切クラブチームに迷惑をかけずに、敵地だろうが灼熱下だろうがどのような敵に対しても、発展性のある攻撃的サッカーで圧倒する義務がある」ような論調だ。3月の敵地バーレーン戦のように無様な試合があったのも確かだが、少々出来が悪いと「(勝ち点勘定など忘れたように)ワールドカップには出場できないのではないか」と評され、出来のよい試合で勝つと「アジアで勝てても世界では勝てない」と評される。厳しい評価があってもよいし、挙国一致で全員が応援する必要もないのは確かだ。けれども、代表で戦っている選手は、岡田監督以下、名誉のために真摯に戦っている。その彼らが尊敬の目線で語られないのは異常な事態だし、日本サッカーの将来にとってもよい事ではない。
 もっとも、岡田氏率いる代表チームは、現実的には的確に予選を戦い、過去最高の選手層で着実に強化されている。こちらの現場は2009年、2010年に向けて状況は明るく、今までにないスケールの大きな代表チームが期待できそうなのだが。

3.ワールドユース出場失敗
 大変残念。しかし、ここまでの連続出場そのものが見事だったのであり、負けた事は仕方がない。ワールドカップ予選に負けた訳でもないのだし。重要な事はいかに反省し次に備えるかであろう。
 心配なのは、日本協会の強化筋から「強烈な反省」が聞こえてこない事。たまたま昨日の読売新聞に布氏の発言が掲載されていた(高校サッカー展望を兼ねて)が、相変わらず「日本は個が弱い」と言う抽象的内容。だいたい、A代表を見ていても、他のアジア諸国に中澤、遠藤、中村俊輔より「個」が優れた選手には、ほとんどお目にかかれないのだが、具体的に「日本選手の何が『個』で劣っているのか」語ってくれないものか。

4.ガンバアジア制覇
 と言う事で、圧倒的な「個」の強さを前面に出した見事な攻撃的サッカーでガンバがアジアを制覇した。さらに拡大トヨタカップでも見事なサッカーを披露。
 遠藤は世界でも通用する能力を見せ、実質的にアジア最高の選手と評されるに至った。
 西野監督については、書かなければなりませんね。

5.トリニータナビスコ制覇
 トリニータと言う地方クラブ、それも事実上Jリーグ開幕以降に作られたクラブが、ビッグタイトルを獲得した事は、今期の日本サッカーの充実を示す大ニュースだ。優秀な監督を招聘し、若手育成を重視し、丹念にスポンサを集める。日本中のサッカークラブが目標とすべき1つの理想だろう。

6.モンテディオJ1昇格
 ヴァンフォーレ、横浜FCと、必ずしも財政規模の大きくないクラブがJ1に昇格した事例はあった。しかし山形は、甲府と異なり必ずしもサッカーが盛んな土壌はなく、横浜と異なり首都圏でないため選手やスポンサの獲得は容易ではない。そのモンテディオがJ1に昇格したのは素晴らしい事だ。本当に羨ましい。
 また、小林伸二監督はこのJ1昇格で、岡田武史氏、西野朗氏に匹敵する実績を挙げたと言っても過言ではない。

7.反町氏の五輪大失敗と颯爽たる女子代表
 アルビレックス監督として秀でた成果を挙げた反町氏。大いなる期待を受けて五輪代表監督に就任し、ただの1度も見事な試合を見せず敗戦。もちろんオーバエージを選ばないなど、日本協会の真剣でない姿勢が最大の問題だったのだが、それを甘んじて受け入れチームを活性化できなかった反町氏の責任は重い。あのアルビレックス時代の見事さと、五輪代表時代の無様さの対比は何なのだろうか。そして、これだけの実績がある若手日本人監督が成果を発揮できなかった事実は、日本サッカー界にとって極めて深刻に捉えるべき問題に思える。その反町氏はJ1昇格を狙うベルマーレ監督に就任、監督として「最後のチャンス」に賭けるのだが。
 一方の女子代表。名将中の名将古沼先生の最高の弟子とも言える佐々木監督の下、颯爽たるサッカーを見せた。この女子の颯爽さと、男の無様さの対比にも考えさせられる。
 「日本人監督ではダメだ」とか「恵まれない環境で戦うLリーグ戦士達」と、安易な議論では語り尽くせない問題に思う。

8.異様な中国代表
 隣にいるのだから試合をしない訳にはいかない。しかし「敵を蹴ってはいけない」と言うルールを知らない国とは戦いたくない。

9.無知な新会長の暴言連発
 サッカーに関する知識と理解の欠如は明らかなのだから、発言はうるさいだけだ。就任数ヶ月で、発言を面白おかしく記事にするマスコミ以外は(協会関係者を含め)誰も相手にしなくなっているようだが。

10.長沼元会長逝去
 サッカー界の皆が世界を目指そうとした成長期の卓越したリーダの死。
 サッカー人の利害、目標が一致しなくなりつつある難しい時代になりつつある今、サッカーの将来を真摯に考える事が、長沼氏への感謝となるのだろう。
 それにしても、長沼批判を口泡飛ばして語っていた時代は幸せだったのだなと。
posted by 武藤文雄 at 23:29| Comment(8) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月30日

2008年ベストイレブン

 恒例のベスト11です。
 中村憲剛は代表選手としてもう一歩上がって欲しいので選んでません。トップに柳沢を選ぼうかと思っていたのですが、Jのベスト11にも選ばれた事もあり、こちらで選ぶまでもないかなと思い外しました。でも代表への復帰は十分ありだとは思っています。長谷部も敵地カタール戦ですごかったので選びたかったのですが、他のMFを選ばない訳にいかないので断念。一番悩んだのは玉田ですが、これは玉田と岡田氏に土下座してからにしたいと思うので、やはり外しています。

楢崎正剛
 敵地オマーン戦のPKストップに。
 あの灼熱の下、TV局都合を止められない情けない日本協会の愚行を、楢崎が救ったともいえる名場面だった。本場面を含め川口から第一GKを奪取した今期だが、シーズンを通しての楢崎のプレイには不満も残る。特に埼玉ウズベク戦の終盤、丁寧に攻め込むべき終盤にゴールキックで常に単調なロングキックを行い続けたアイデアの無さ、判断の悪さは酷かった。若いライバルの川島、西川、菅野らの一層の向上による、高レベルの争いを期待したいところだが。

内田篤人
 元日の天皇杯決勝とリーグ制覇に大きく近づいた敵地トリニータ戦の得点を評価して。
 五輪では不完全燃焼気味だったが、A代表でも定位置を確保。今年を代表する若手選手だったと言える活躍振り。ただしA代表のレギュラなのだから要求水準は高く、守備面での欠点である「絞り過ぎ」、「戻りの早さ」など是正すべき課題も多い。南アフリカまでの1年半で、いかに長所を伸ばし短所を改善していくか。これ以上ない名門育ちのエリート選手にかかる期待は大きい。

中澤祐二
 代表チームでの圧倒的存在感。
 久々に我々が獲得できた日本サッカーの真のキャプテン。あの「異様な中国戦」勝利後のガッツポーズは、正に加藤久、井原正巳を継ぐ存在である事を実証した。的確な読みと抜群の1対1の強さで守備を引っ張るとともに幾度と無く貴重な得点を決める空中戦の強さ、これらに精神的リーダシップが加わり正に鬼に金棒。
 負傷欠場を余儀なくされた敵地カタール戦で、お馬鹿で定評ある闘莉王が抜群の自覚を持ってプレイした事そのものが、中澤の偉大さを強調する事となった。

森重真人
 トリニータのナビスコカップ制覇に中核として貢献。
 若手を代表する守備者で五輪でも活躍、A代表候補にも選考されている。非常に頭のよい守備者で、若いながらカバーリングが絶妙、シャムスカ魔術にとって必要不可欠の存在にまで成長した。体幹も強く当たり負けも少ない。将来が嘱望される選手だが、CBとして国際試合を戦っていくには上背がやや足りない事をどうカバーしていくか。五輪の合衆国戦のシュートミスやナイジェリア戦の失点を糧にして欲しい。

長友佑都
 その抜群の出世振りに。
 昨期は大学リーグでプレイしていた選手が、見事な決断でJリーグ加入し、一気にA代表まで駆け上がった。同世代の内田、安田と異なり、日本には珍しい強さを前面に出したサイドプレイヤ。脚力による上下動を活かし比較的単純だが効果的な攻撃参加を見せる。身体の強さを前面に出した守備も悪くない。
 ただし、五輪初戦の合衆国戦で簡単に縦突破を許した場面、J最終戦のジェフ戦の2点目で巻に見事な落しをされた場面、こう言った失敗経験をどこまで活かせるのか。

遠藤保仁
 真のアジア最優秀選手。
 ガンバのアジア制覇、代表の安定した強さに抜群の貢献。抜群の視野の広さ、正確でタイミングよく敵のイヤなところを突くパス。独特の間合いは拡大トヨタカップでユナイテッドの名手達にも存分に通用した。アンデルソンやフレッチャーも遠藤がいい体勢でボールを持てば、安易に取りにいけずウェイティング。正に世界を驚かせたのではないか。
 99年ワールドユース準優勝選手で、最も高いレベルに成長した訳だが、あの時点で遠藤が出世頭になると予想した向きはいなかっただろう。この向上振りは、選手の成長を考える意味でも非常に重要に思う。

明神智和
 拡大トヨタカップで2002年以来6年ぶりの世界挑戦。
 相変わらずの質も優れた運動量と読みのよさが世界に通用した事を堪能。全盛期に特殊な代表監督を抱いていたために国際試合で活躍の機会が得られなかった事を、改めて残念に思った。C・ロナウドに完敗した事がユナイテッド戦の勝敗を決めたのだが、世界最高の名手にやられたのだから恥ずべき事ではなかろう。
 
中村俊輔
 世界を代表する攻撃創造主。
 少々負傷がちで、例年に比べると不満があるが、代表でもセルティックでもここぞと言う時にあれだけ得点を生み出せるのだから選ばない訳にいかないか。今年最も気に入ったのは、ウズベク戦の同点弾の起点となるパス。

小川佳純
 今期最も成長を感じさせたタレント。
 この選手はどうしても高校時代のあの一撃の印象が強いのだが、ピクシーの好指導の下、見事に成長しつつある。グランパス躍進への貢献も大きい。1.5列目から飛び出す動き、サイドの崩し、シュートの巧さなど、「使われる攻撃的MF」として代表でも活躍を期待したいところだが、岡田氏は選考しないのだろうか。来期のACLが愉しみな選手だ。
 
松浦拓弥
 説明不要

山崎雅人
 ACL、拡大トヨタカップでの幾多の得点に。
 いかにも日本選手らしい精力的な運動量と献身に加え、日本選手らしからぬ敵陣前の冷静さで実によく得点を重ねた。トリニータから移籍して、明らかに今期「化けた」選手。位置取り、敵陣への進出タイミング、ファーストタッチ精度、いずれも実に見事。「国際試合に出られる事」が、あそこまでの改善を生んだのだろう。これだけ国際試合で点を取った選手だけに代表で試してみたらと思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

たまには自己啓発

 たまには自己啓発に励む必要があると考え、こちらの勉強会に出席してきた。色々な意味で大変勉強になった。
 開始時に進行の方が「録音、撮影は禁止」とおっしゃっていたが、メモ取ったものをブログに載せる事に関しては特に言及されていなかった。とは言っても、本筋の話は主催の方々がまとめられるだろうから、今日の勉強会の中で、出てきたサイドストーリをいくつか紹介したい(いずれも私が意訳している部分があるので、あくまでも私の解釈である事に注意いただきたい)。

このブログをご覧になっている主催者関連の方:
  もし、このエントリが思わしくないならば連絡下さい。

少年の指導について。
パネラの方々の発言を以下に抜粋。
中条氏曰く、クラマーさんが以下の如く語ったとの由
「釜本の後継者は必ずいるはずだ。以下をよい指導者が見れば必ず見つかるはずだ。『ボールを持った時にどう動くか。味方が持った時にどう動くか。敵が持った時にどう動くか。マークがついた時にどう動くか。シュートが打てるか。』」
岡野氏曰く
「子ども達の多くは、野球ではなくサッカーをするようになっており、隔世の感がある。しかし、上記クラマーさんが語ったように、サッカーで最も重要なのは『考える事』。日本の教育は『考える人材』育成に欠けるものがあるのではないか。」
杉山氏曰く
「基礎、基本は、頭で理解し、身体で覚えるもの。人の話を聞き、自分で考える事が重要。今の指導者はその事がわかっているのだろうか。指導のライセンスを獲得した事で『自分は優秀だ』と考え違いをしている指導者が多いのではないかと危惧する。」

岡野氏のキャリアメーク
(審判編)
「私は国際審判を目指すつもりだった。ところが、クラマーさんの補佐をする立場になった関係で指導者への道を歩む事になった。」
「私はロコモティブモスクワ戦と実業団選手権決勝では審判を務めた事もある。」
(解説者編)
「私が初めて解説者を務めたのが、日本対ユーゴスラビア。クラマーさんから以下を教授された。『センテンスは短く、チャーミングに喋れ、敵チーム選手の特徴も理解して臨め』。そして、クラマーさんはユーゴスラビア代表選手の特徴を、丁寧に教授してくれた。」
「それにしても、最近の解説者は(以下自粛)。」
あ、自粛したのは、もちろん武藤です。

杉山氏の反復練習の思い出
「クラマーさんが蹴るボールを、トップスピードでコントロール、ニアかファーに正確にセンタリングを上げるトレーニングを繰り返す。」
「釜本は、ニアで呼ぶかファーで呼ぶかサインを出して、飛び込み必ず枠に入れる事を要求される。枠にさえ飛べば、弱くてもGKのミスなどで得点になる可能性がある。」
「クラマーさんのボールは、僕が全力疾走してかろうじて間に合うところに正確に飛んでくる。毎回全力疾走しなければ間に合わない。」
「右サイドは松本育夫さんと渡辺正さん(故人)と2人いるから、同じ練習を交互にやるので休める。左ウィングは僕だけだから休めない、本当に苦しかった。」

岡野氏は、当然ながら長沼氏についても語ってくれた。さすがにこれは書きません。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。