1. 女子代表世界一
世界一、世界一だよ。あの胸に輝く美しい星。
でも、本質的な問題は何も解決していない。中学高校世代のプレイ環境、トップ選手達の収入(今の代表の方々が稼ぐのを見るのは嬉しいけれど)。
今日の紅白歌合戦、明日のビッグゲームを控えたレオネッサの選手達が自チームのユニフォームを来て揃って登場、司会者は「なでしこジャパン」と紹介した。出演経緯が見えてしまう安っぽさ極まりない演出だった。
澤は日本最高のアスリートだ。試合前日の夜にテレビに出るのは大反対だが、出るならば相応の重厚さで出なければならない。美しいイブニングドレスをまとい、AKB全員を従えて出る演出くらい要求しなければ。
この世界一を利用して、女子サッカーのプレゼンスを上げる事に、もっともっと我々は貪欲になるべきであろう。
2. アジア制覇
アジアカップ優勝したり、韓国を3点差でチンチンにしたくらいで、10大ニュースに選ぶのは、遠藤や長谷部に失礼なのはわかっているのですが。
3. 松田直樹さん逝去
松田のプレイを丁寧に観た事もない輩が、全く違う松田像を描くのが悔しくて仕方がないのだよ。
あの1対1の間合いのうまさ、鋭く深いタックル、絶妙な読み、適切な位置取り修正、美しい軌跡のロングボール、常識的だが有効なつなぎ、無骨だが適切なコースに上がるドリブル。そして、それらの全てを無にしてしまう、戦略性の欠如
本当に愉しい18年間を、ありがとうございました。
4. レイソルの大冒険
羨ましい
あのモンテレイ戦に乾杯
5. 監督の出入り
岡田氏の中国挑戦、西野氏がフリーに、小林氏がヴォルティスに。おお、反町氏もフリーか。
たまたまかもしれないが、国内の実績のある監督に動きが目立つ。震災、不況によるスポンサ減少、クラブライセンス制導入などにより、各クラブの財布の紐が厳しくなっているためもあるかもしれないが、人材の流動化は前向きに捉えてよいと思う。
まあ、若手監督期待のホープ相馬氏はどうなるのか、五輪代表監督の関塚氏がどうなるかなど、色々ありますが。
6.少年サッカー、8人制化進む
総論は賛成。でも、現場としては試合に出せる人数が3人減るのは、本当に大変なのだよ。11人制ならば、下手な子も長時間出しやすかったのだが...
ただし、大事なタイトルマッチで、8人制でガップリ四つの試合を見ると、その8人の成長には、とてもよいとは思う。ベンチに残っている子はさておき。各県協会、地方協会に布さんがやってきて、推進していると聞いている。それを聞くだけで、腹が立つのだが(笑)...あ、私は過去の布さんの実績は否定しませんよ。
7. プリンス全国リーグ
全否定はしない
しかし、「リーグ戦を戦い続ける事で、本当の意味で優秀な選手を育成する」と、「年代別最強チームを争う」が、混じってしまっていないか?元々、Jクラブがユースチームを持つ意味は、飛び級を含め、「飛び切り優秀なタレントを育てて行く」だったと思うのだが、結局高校のサッカー部と同じ3年間単位の活動を、やっている結果になっていないか。
これは別にちゃんと書きます。
8. ベガルタJリーグで4位に
これはベガルタサポータとしての評価ではない。過去、私はベガルタがJ1に上がろうが、入替戦でもがこうが、10大ニュースには採り上げていない。今年のベガルタの4位獲得は、Jリーグの歴史の中での、大変な快挙だから採り上げたのだ。
明確な親会社がなく、Jリーグ以降に人工的に作られたクラブとしては、2008年のトリニータ以来の快挙なのだから。ただし、来年ちゃんとした成績が収められるかどうかが重要なのだが。
ベガルタサポータとしては、とにかく今期の夢のような好成績が、「絶後」にならない事を祈るのみ。
震災については別途。
9. J2から陥落するクラブが登場する
J2がいっそうおもしろくなる。来期、後半戦以降のJ2の盛り上がりたるや、過去なかったものになる事だろう。いや、とりあえず、今はJ1でよかった。でも、ちょっと体験してみたい気もする。
ただ、真面目な話、降格しても、簡単に再昇格できる仕組みが、何より肝要。今期のFC東京のように、強いクラブがヘマしても、すぐに取り戻せる流動性が重要なのだ。
ちなみに、トリニータの立場の明確化は必須、個人的にはシーズン開幕前に借金を返さなかったら、無条件で降格にすべきと思うが。それがイヤならば、トリニータは地元金融機関を説得し、3億円の融資を受け、Jにカネを返してくれ。
10. 欧州に次々と選手流出
移籍制度の変更と、南アフリカでの日本サッカーの存在感向上が一致した悲喜劇。J各クラブの複数年契約などが、落ち着いたところで、どう変わっていくか。
もちろん、平行してJ各クラブの経済規模を大きくする研究は必要だろう。
ともあれ、俊輔だけが試合に出ていて、中田も小野も稲本も試合に出られなかった時代よりは、格段に進歩していると前向きに捉えるべきだろう。
特別賞として. 牛木さんの殿堂入り
選ぶ立場の方が選考されたのだが、やはり嬉しい。我々の目標として。(昨年、賀川さんの時も同じ事言いましたが)
ついでに(毎年言っていますが)
日本サッカーの日程崩壊が、(震災は別にしても)例年のように着目された1年だった。1月のアジアカップなんて、冗談以外何ものでないだろう。進行中の天皇杯、一昨日のマリノス対サンガなど、すばらしい試合があり、とってもおもしろいけれど、早く選手達を休ませたいと思わないか。
原博実さんが改善すると明言してくれた。大いに期待したい。個人的には天皇杯2年越し開催(そうすれば、組み合わせ決まってから会場決められるし)、J1を16チームにするしかないと思っているのだが。
今年も、この偏見あふれるいい加減なブログにお付き合いありがとうございました。
こうやって振り返ってみて、サッカー的には最高の1年だったと思います。いや、これ以上の年が、今後訪れるかどうかと言っても過言ではない年でした。世界一とアジア一ですよ。ベガルタも夢のような成績を収めてくれました。
また、個人的には父を亡くすと言う年でもありました。これはこれで、人生でたった1回きりの経験ですので。何とも言えない想いがあります。
でも...
震災について2つ言いたい事があります。
現地で厳しい被害を受けた方々の状況は何も好転していません。命が助かっても、仕事や家などの財産を全て失った方々も多数いらっしゃいます。そのような方々は、簡単には解決できない問題に遭遇しているのです。大した事ができない自分がもどかしい。だから、もしその気があるならば、今後も手助けを考えて下さい。募金でも、個別支援でも、ビジネスへの小額出資でもよいです。本当の意味での長期戦は、まだキックオフされたばかりなのです。
もう1つ。サッカーと震災は切り離して欲しい。ベガルタサポータとして、ベガルタがそう言われるのは仕方がないかもしれないと思っています。でも、女子代表に「震災のおかげで...」と言うのは、あまりに失礼ではありませんか?震災がなくても、澤と仲間達は私たちに、あの史上最高の歓喜を提供してくれた事を、私は確信しています。
来年が、すばらしい年になりますように。
2011年12月31日
2011年ベスト11
やや惰性に流れてはいるが、今年のベスト11です。
毎年選考基準が変わるし、偏見と言うよりは、己の想いばかり入れ込んでいますが、やはり年の瀬には、これを考えないと落ち着かないもので。
GK 林卓人
キーパとしての総合的な安定感では楢崎、J1制覇への直接貢献と拡大トヨタカップでのPK戦勝利と言う視点では菅野かもしれない。けれども、リーグ最少失点、それも1位のベガルタの総失点は25、2位のグランパスは36と言う圧倒的な差を考えれば、林の選考は正当だろ。あの至近距離のシュートに対して、勇気を持って飛び出し、ギリギリまで動かずに我慢し、最後にグワッと反応する。あれは、見事な名人芸だ。あのよさを淡々と伸ばせば、代表入りも夢ではないはずだ。だからさ、早く契約しようよ。ね。
DF 酒井宏樹
やはり、今年のライトバックはこの若者をおいていないだろう。スッと抜け出した瞬間、ちょっと猫背からルックアップ、丁寧に踏み込んで、腰の入ったクロス。この選手の最高のプレイは、7月9日の柏でのベガルタ戦。30分過ぎの柳沢の深く鋭いスライディングで防ぎ、ロスタイムに完璧なクロスを上げて澤の決勝点を演出した。くそぅ。
DF 今野泰幸
現在日本最高の守備者である事は間違いない。ボールを奪う時の読みの鋭さと当たりの強さと言う元々の持ち味。それが、さらに敵の攻撃全体への読みへの鋭さになってきている。ザッケローニ氏率いる日本代表でフル出場、とうとう代表チームでも定位置を獲得、いや中心選手となってくれた。ベトナム戦ではとうとう腕章も巻いた。宮城県出身のサッカー選手が、加藤久以来実に24年振りの代表の主将を務めた試合だった。「高さの欠如」と言う唯一の欠点をいかに最小にするために2014年までにいかに位置取りを完璧にできるかどうか、愉しい日々が続く。
DF 闘莉王
やはりその存在感を考えると外せない。しっかりと体調を整え、牙を研いでいてくれ。ブラジルで共に戦おう。
DF 駒野友一
あのチンチンにしてやった日韓戦の2点目の突破が全て。長居のタジク戦で、ハーフナーにピタリと合わせたクロスの鮮やかな事。長友と内田が負傷しても、何も心配いらない現状。でも、この地位に満足してはいないだろう。ベテラン駒野が、酒井に追い上げられながら、長友と内田にいかに割り込むかを考えるだけでも贅沢だな。
ちなみに、右サイドバックと言えば内田篤人だが、この選手の守備面での成長も今年を彩った。アジアカップでの丹念な守備振りも印象的だったが、埼玉北朝鮮戦で梁勇基を完封したプレイは正に欧州トップレベルの守備者のそれだった。長友が着々と世界最高のサイドバックになりつつあるのも大いに結構な事。
センタバックとしては、やはり中澤にも触れなければならないだろう。明らかに衰えているスピードをカバーする伶俐な読みと、熱いファイト。中澤の戦いを愉しむ事ができる我々は本当に幸せだと思う。また、我らが鎌田次郎のシーズン通じての安定感も忘れ難いが、やはり今野と闘莉王と比べては...個人的には、レイソルの増嶋も忘れ難い。この選手、高校サッカーのスタアだった事もあってか、何か妙な過小評価を受けている気がするのだが。何のかの言って、レイソルのJ制覇への貢献はすばらしいものだったと思う。
MF 大谷秀和
J1制覇のレイソルの主将としての活躍は際立っていた。そして、あのモンテレイ戦の抜群のボール奪取。代表も遠くないだろう。ライバルは長谷部と細貝だが、拡大トヨタカップであれだけのプレイができたのだから。精神的にも強く、技術的にも安定している。あのサントス戦ロスタイムのシュートが浮いた事も、しっかり反省、修正してくれるだろう。大谷の成長は、ザッケローニ氏にとっても、非常に重要なはず。
MF 角田誠
みんな笑うかもしれないけれど、この選手にはずっとずっと期待していたのだよ。で、自分のクラブに来てくれた喜びは格段だったのだよ。最初は、結構危なかったのだよ。でも、ベガルタの中核として、着々とプレイを続けるに連れ、リーグを代表するボランチに成長してくれた。この完成は数年前に期待していた。できれば、南アフリカはおろか、ドイツでも活躍して欲しかったくらいなのだ。でも、角田は帰って来た。だから、ブラジルに一緒に行こう。
MF 遠藤保仁
色々あるけれど、日の丸を着けた時に、これほど頼りになる男はいない。いや、この男より優秀な中盤選手って、シャビとイニエスタとマスケラーノと(みんなバルサだな)、ほかに誰がいるのだろうか。遠藤が健在である限り、どんな外国人の友人に自慢ができる。そして、遠藤の存在が、日本中の少年達にいかに重要な事か。姿勢をよくして、前もっと周りを見て、どうすればよいか考えて、丁寧にボールを扱って、パスを出したら適切な場所に走って。
MF 香川真司
あの日韓戦の1点目見たら、もう賛辞しかない。今期不調と言う無責任な評論に腹が立った。そもそも、トップリーグで通年の活躍は、この男はまだ経験がないのだ。南アフリカメンバ外れと言う屈辱を経て、昨期ドルトムントで大活躍、アジアカップで負傷しての復帰。順調に成長しているとしか言い様がない。ザッケロニー氏が「香川は日本のデルピエロだ」と、語ったのを聞いて、「デルピエロどまりか」と思ったのは秘密だ。
長谷部誠を外すのはいかがと思ったが、大谷と角田を選ぶのが目的のようなものだから、後悔はない。細貝萌の充実も嬉しい限り。本田圭佑は、いいから早く怪我を治せ。あと今年やはり議論すべきは清武弘嗣だけど、天皇杯準決勝でとうとう今野を敗れなかったので外した。五輪代表世代に多数いる有為な逸材が、どうやって飛び出してくるか、2012年は本当に愉しみだ。
FW 岡崎慎司
結局、今の日本が過去になく強いのは、遠藤と長谷部が安定しているのと、岡崎が着実に点を取ってくれる事だと思っているのよね。埼玉の北朝鮮戦あたりまでは、サイドMFから前線に進出するタイミングに不満があったけれど。2つのタジク戦では、いちばん肝心な所に飛び込むのはいつも岡崎。シュッツガルトが、あそこまで岡崎に守備を強いているのは、極めて間抜けな策だと思うのだけれども。でも、ドイツの強豪で完全に地位を獲得しているのだから、やはりすごいな。
FW 北嶋秀朗
ブログでも幾度も書いたけれど、今期の北嶋を観るのは(いや、今期以外でも)、大いなる愉しみだった。このシュートの巧さを誇るストライカが、リーグを制し、拡大トヨタカップで戦った事が、私にとっては重要だった。
ザッケローニ氏が、代表でワントップに拘泥する事もあり、前田遼一(技巧的なボール保持とシュート)に加え、李忠成(タフで頑張り、得点に意欲)、ハーフナー・マイク(高さがとにかく魅力)と言った、タイプが異なり典型的なストライカが活躍した今期。さらに、五輪世代にも、万能型の大迫勇也と、前に出る速さを誇る永井謙佑が控えるのみならず、技巧に優れた若者が多数いる。こちらもいくらでも期待できそう。うん、愉しみだな。
毎年選考基準が変わるし、偏見と言うよりは、己の想いばかり入れ込んでいますが、やはり年の瀬には、これを考えないと落ち着かないもので。
GK 林卓人
キーパとしての総合的な安定感では楢崎、J1制覇への直接貢献と拡大トヨタカップでのPK戦勝利と言う視点では菅野かもしれない。けれども、リーグ最少失点、それも1位のベガルタの総失点は25、2位のグランパスは36と言う圧倒的な差を考えれば、林の選考は正当だろ。あの至近距離のシュートに対して、勇気を持って飛び出し、ギリギリまで動かずに我慢し、最後にグワッと反応する。あれは、見事な名人芸だ。あのよさを淡々と伸ばせば、代表入りも夢ではないはずだ。だからさ、早く契約しようよ。ね。
DF 酒井宏樹
やはり、今年のライトバックはこの若者をおいていないだろう。スッと抜け出した瞬間、ちょっと猫背からルックアップ、丁寧に踏み込んで、腰の入ったクロス。この選手の最高のプレイは、7月9日の柏でのベガルタ戦。30分過ぎの柳沢の深く鋭いスライディングで防ぎ、ロスタイムに完璧なクロスを上げて澤の決勝点を演出した。くそぅ。
DF 今野泰幸
現在日本最高の守備者である事は間違いない。ボールを奪う時の読みの鋭さと当たりの強さと言う元々の持ち味。それが、さらに敵の攻撃全体への読みへの鋭さになってきている。ザッケローニ氏率いる日本代表でフル出場、とうとう代表チームでも定位置を獲得、いや中心選手となってくれた。ベトナム戦ではとうとう腕章も巻いた。宮城県出身のサッカー選手が、加藤久以来実に24年振りの代表の主将を務めた試合だった。「高さの欠如」と言う唯一の欠点をいかに最小にするために2014年までにいかに位置取りを完璧にできるかどうか、愉しい日々が続く。
DF 闘莉王
やはりその存在感を考えると外せない。しっかりと体調を整え、牙を研いでいてくれ。ブラジルで共に戦おう。
DF 駒野友一
あのチンチンにしてやった日韓戦の2点目の突破が全て。長居のタジク戦で、ハーフナーにピタリと合わせたクロスの鮮やかな事。長友と内田が負傷しても、何も心配いらない現状。でも、この地位に満足してはいないだろう。ベテラン駒野が、酒井に追い上げられながら、長友と内田にいかに割り込むかを考えるだけでも贅沢だな。
ちなみに、右サイドバックと言えば内田篤人だが、この選手の守備面での成長も今年を彩った。アジアカップでの丹念な守備振りも印象的だったが、埼玉北朝鮮戦で梁勇基を完封したプレイは正に欧州トップレベルの守備者のそれだった。長友が着々と世界最高のサイドバックになりつつあるのも大いに結構な事。
センタバックとしては、やはり中澤にも触れなければならないだろう。明らかに衰えているスピードをカバーする伶俐な読みと、熱いファイト。中澤の戦いを愉しむ事ができる我々は本当に幸せだと思う。また、我らが鎌田次郎のシーズン通じての安定感も忘れ難いが、やはり今野と闘莉王と比べては...個人的には、レイソルの増嶋も忘れ難い。この選手、高校サッカーのスタアだった事もあってか、何か妙な過小評価を受けている気がするのだが。何のかの言って、レイソルのJ制覇への貢献はすばらしいものだったと思う。
MF 大谷秀和
J1制覇のレイソルの主将としての活躍は際立っていた。そして、あのモンテレイ戦の抜群のボール奪取。代表も遠くないだろう。ライバルは長谷部と細貝だが、拡大トヨタカップであれだけのプレイができたのだから。精神的にも強く、技術的にも安定している。あのサントス戦ロスタイムのシュートが浮いた事も、しっかり反省、修正してくれるだろう。大谷の成長は、ザッケローニ氏にとっても、非常に重要なはず。
MF 角田誠
みんな笑うかもしれないけれど、この選手にはずっとずっと期待していたのだよ。で、自分のクラブに来てくれた喜びは格段だったのだよ。最初は、結構危なかったのだよ。でも、ベガルタの中核として、着々とプレイを続けるに連れ、リーグを代表するボランチに成長してくれた。この完成は数年前に期待していた。できれば、南アフリカはおろか、ドイツでも活躍して欲しかったくらいなのだ。でも、角田は帰って来た。だから、ブラジルに一緒に行こう。
MF 遠藤保仁
色々あるけれど、日の丸を着けた時に、これほど頼りになる男はいない。いや、この男より優秀な中盤選手って、シャビとイニエスタとマスケラーノと(みんなバルサだな)、ほかに誰がいるのだろうか。遠藤が健在である限り、どんな外国人の友人に自慢ができる。そして、遠藤の存在が、日本中の少年達にいかに重要な事か。姿勢をよくして、前もっと周りを見て、どうすればよいか考えて、丁寧にボールを扱って、パスを出したら適切な場所に走って。
MF 香川真司
あの日韓戦の1点目見たら、もう賛辞しかない。今期不調と言う無責任な評論に腹が立った。そもそも、トップリーグで通年の活躍は、この男はまだ経験がないのだ。南アフリカメンバ外れと言う屈辱を経て、昨期ドルトムントで大活躍、アジアカップで負傷しての復帰。順調に成長しているとしか言い様がない。ザッケロニー氏が「香川は日本のデルピエロだ」と、語ったのを聞いて、「デルピエロどまりか」と思ったのは秘密だ。
長谷部誠を外すのはいかがと思ったが、大谷と角田を選ぶのが目的のようなものだから、後悔はない。細貝萌の充実も嬉しい限り。本田圭佑は、いいから早く怪我を治せ。あと今年やはり議論すべきは清武弘嗣だけど、天皇杯準決勝でとうとう今野を敗れなかったので外した。五輪代表世代に多数いる有為な逸材が、どうやって飛び出してくるか、2012年は本当に愉しみだ。
FW 岡崎慎司
結局、今の日本が過去になく強いのは、遠藤と長谷部が安定しているのと、岡崎が着実に点を取ってくれる事だと思っているのよね。埼玉の北朝鮮戦あたりまでは、サイドMFから前線に進出するタイミングに不満があったけれど。2つのタジク戦では、いちばん肝心な所に飛び込むのはいつも岡崎。シュッツガルトが、あそこまで岡崎に守備を強いているのは、極めて間抜けな策だと思うのだけれども。でも、ドイツの強豪で完全に地位を獲得しているのだから、やはりすごいな。
FW 北嶋秀朗
ブログでも幾度も書いたけれど、今期の北嶋を観るのは(いや、今期以外でも)、大いなる愉しみだった。このシュートの巧さを誇るストライカが、リーグを制し、拡大トヨタカップで戦った事が、私にとっては重要だった。
ザッケローニ氏が、代表でワントップに拘泥する事もあり、前田遼一(技巧的なボール保持とシュート)に加え、李忠成(タフで頑張り、得点に意欲)、ハーフナー・マイク(高さがとにかく魅力)と言った、タイプが異なり典型的なストライカが活躍した今期。さらに、五輪世代にも、万能型の大迫勇也と、前に出る速さを誇る永井謙佑が控えるのみならず、技巧に優れた若者が多数いる。こちらもいくらでも期待できそう。うん、愉しみだな。
2011年10月05日
代表ユニフォームの色
まったく、どうでもよい話です。
日曜日の夕方、ベガルタの完勝を見届けて、ラグビーワールドカップにチャンネルを変えると、エール対イタリアをやっていた。パッと見て、この両国だと理解できるユニフォームの色。考えてみると、この両国、アルゼンチン、豪州と言ったあたりの国は、サッカーもラグビーも、いや他競技でも、着ているユニフォームを見れば、すぐに「その国だ!」と理解可能だ。
けれども、ずいぶんと古い議論だが、日本は違う。競技によって、ユニフォームの色はバラバラ。上記のエールやイタリアのような、共闘感を味わう事はできない。まあ、本件は現実的な解決は極めて困難だろう。いずれの競技も、それぞれの「色」で相応の歴史を積んでしまったからだ。しかし、何とか少しでも「理想」に近づく方法はないだろうか。
ちょっと、サッカー界の歴史を振り返っておこう。
誰もが、我々は「青」だと思っているだろう。実際、この時から「青」だった模様だし。
ただし、その後を振り返ると、案外いい加減なところもある。たとえば、メキシコ五輪銅メダル時や、85年メキシコワールドカップ予選(木村和司のFK)など、ホーム用として「白」を着ている時代もあった。もちろん、これらの時代でも、「青」は必ず使われていた(メキシコ五輪のパンツの色は濃紺、木村和司時代は白に青のラインなどが入っていた)。
誰もが口を閉ざしたくなる、88年から91年に至る暗黒時代。何をどう勘違いしたのか、「赤」主体だった。そして、選手はよいのに全く勝てない。ひどい時代だった。
そして、オフト氏が代表監督に就任した92年以降は完全に「青」。現実的に、この92年は日本サッカーが、突然に「勝って当たり前」に転じた年であり、以降我々は「青」と共に栄光を享受してきた。
だから、我々は「青」に、こだわり続けるべきだ。
ただし、その「色彩」はフラフラ変えるべきではないのではないか。92年以降、まだほんの20年足らずしか経過していないにもかかわらず、その「色彩」は毎回毎回のユニフォームのバージョンチェンジの度に、濃くなったり薄くなったり、結構変わっている。デザインが少しずつ変わるのは、機能向上もあるのだろうし、もちろん商売面、流行面などから仕方がないと思う。けれども「色彩」が変わらない事で、サッカー界と言う狭い社会の中でも、より「青」に対する愛着は深まると思う。何となく、その「青」を「サムライブルーと呼称せよ」と言われそうで、赤面しそうだが。
では、他競技との共通性についてはどうだろうか。まず、上記の理屈で我々には「青」でないと言う選択肢はない。「共闘感」より「青」が優先されるのだ。
そうすると、他競技に「『青』を着ませんか」と声をかける事になるのだが、難しいだろう。他競技が「青」を着る理屈がないのだ。他競技からすれば、サッカーの提案に耳を傾ける道理もない。
さらに言うと、80年代くらいまでは、サッカーを除く多くの競技で代表チームは、「赤」と「白」を用いたユニフォームを着る事が多かったように記憶している。これは言うまでもなく、日の丸から来ているのだろう。けれども、最近はもうグジャグジャ。黒、黄色、何でもありだ。ただ、統一の方向に持って行くとしたら、「赤白」と言う話が出てくるだろう。そう考えると、統一への最大の障害は我々である。でも妥協はなしだ。何て、我がままなのだろうか。
と言う事で、提案。ラグビー協会と話をつけられないだろうか。我々はホームは従来通り「青」でワンポイントに「赤白」の部分を入れよう、サブは「赤白」、ラグビー風の横縞か、パラグアイ風の縦縞か、フェイエノールト風か、そのあたりはアディダス(いや、プーマでもアシックスでもミズノでもアスレタでもどこでもいいですが)に任せる。一方、ラグビーさんはファーストジャージは従来通り「赤と白」の横縞でちょっとだけ「青」も入れてもらおう、サブは「青」単色系。そして、それぞれの色彩は統一。ラグビー界に、このような相談に乗ってくれる人がいるのかどうかは疑問だが、やってみる価値はあるのではないか。
そして、ラグビーと話がついたら、他競技にも拡大。それぞれ、難しい交渉だが、野球、ソフトボール、バレーボールそして陸上まで押さえれば、後は流れだ。あ、柔道は既に「青」と「白」だな。
まあ、メキシコ五輪の「白」伝統とは別れを告げるが、天国の長沼さんもそのあたりは鷹揚そうだから、許してくれるのではないか。
日曜日の夕方、ベガルタの完勝を見届けて、ラグビーワールドカップにチャンネルを変えると、エール対イタリアをやっていた。パッと見て、この両国だと理解できるユニフォームの色。考えてみると、この両国、アルゼンチン、豪州と言ったあたりの国は、サッカーもラグビーも、いや他競技でも、着ているユニフォームを見れば、すぐに「その国だ!」と理解可能だ。
けれども、ずいぶんと古い議論だが、日本は違う。競技によって、ユニフォームの色はバラバラ。上記のエールやイタリアのような、共闘感を味わう事はできない。まあ、本件は現実的な解決は極めて困難だろう。いずれの競技も、それぞれの「色」で相応の歴史を積んでしまったからだ。しかし、何とか少しでも「理想」に近づく方法はないだろうか。
ちょっと、サッカー界の歴史を振り返っておこう。
誰もが、我々は「青」だと思っているだろう。実際、この時から「青」だった模様だし。
ただし、その後を振り返ると、案外いい加減なところもある。たとえば、メキシコ五輪銅メダル時や、85年メキシコワールドカップ予選(木村和司のFK)など、ホーム用として「白」を着ている時代もあった。もちろん、これらの時代でも、「青」は必ず使われていた(メキシコ五輪のパンツの色は濃紺、木村和司時代は白に青のラインなどが入っていた)。
誰もが口を閉ざしたくなる、88年から91年に至る暗黒時代。何をどう勘違いしたのか、「赤」主体だった。そして、選手はよいのに全く勝てない。ひどい時代だった。
そして、オフト氏が代表監督に就任した92年以降は完全に「青」。現実的に、この92年は日本サッカーが、突然に「勝って当たり前」に転じた年であり、以降我々は「青」と共に栄光を享受してきた。
だから、我々は「青」に、こだわり続けるべきだ。
ただし、その「色彩」はフラフラ変えるべきではないのではないか。92年以降、まだほんの20年足らずしか経過していないにもかかわらず、その「色彩」は毎回毎回のユニフォームのバージョンチェンジの度に、濃くなったり薄くなったり、結構変わっている。デザインが少しずつ変わるのは、機能向上もあるのだろうし、もちろん商売面、流行面などから仕方がないと思う。けれども「色彩」が変わらない事で、サッカー界と言う狭い社会の中でも、より「青」に対する愛着は深まると思う。何となく、その「青」を「サムライブルーと呼称せよ」と言われそうで、赤面しそうだが。
では、他競技との共通性についてはどうだろうか。まず、上記の理屈で我々には「青」でないと言う選択肢はない。「共闘感」より「青」が優先されるのだ。
そうすると、他競技に「『青』を着ませんか」と声をかける事になるのだが、難しいだろう。他競技が「青」を着る理屈がないのだ。他競技からすれば、サッカーの提案に耳を傾ける道理もない。
さらに言うと、80年代くらいまでは、サッカーを除く多くの競技で代表チームは、「赤」と「白」を用いたユニフォームを着る事が多かったように記憶している。これは言うまでもなく、日の丸から来ているのだろう。けれども、最近はもうグジャグジャ。黒、黄色、何でもありだ。ただ、統一の方向に持って行くとしたら、「赤白」と言う話が出てくるだろう。そう考えると、統一への最大の障害は我々である。でも妥協はなしだ。何て、我がままなのだろうか。
と言う事で、提案。ラグビー協会と話をつけられないだろうか。我々はホームは従来通り「青」でワンポイントに「赤白」の部分を入れよう、サブは「赤白」、ラグビー風の横縞か、パラグアイ風の縦縞か、フェイエノールト風か、そのあたりはアディダス(いや、プーマでもアシックスでもミズノでもアスレタでもどこでもいいですが)に任せる。一方、ラグビーさんはファーストジャージは従来通り「赤と白」の横縞でちょっとだけ「青」も入れてもらおう、サブは「青」単色系。そして、それぞれの色彩は統一。ラグビー界に、このような相談に乗ってくれる人がいるのかどうかは疑問だが、やってみる価値はあるのではないか。
そして、ラグビーと話がついたら、他競技にも拡大。それぞれ、難しい交渉だが、野球、ソフトボール、バレーボールそして陸上まで押さえれば、後は流れだ。あ、柔道は既に「青」と「白」だな。
まあ、メキシコ五輪の「白」伝統とは別れを告げるが、天国の長沼さんもそのあたりは鷹揚そうだから、許してくれるのではないか。
2011年03月28日
カズと言う奇跡
明日は、日本代表対Jリーグ選抜のチャリティマッチ。
重苦しい日々が続く中で、長谷部や長友らが帰って来てくれて、有料試合を観られる事を素直に喜びたい。両軍の選手達それぞれに、多くの想いがあるだろう。観戦するサポータ達にも、複雑な想いがあるだろう。私にも、仙台出身のサッカー狂として、何とも言えない想いがある。
ただ、とにかく、私は華やかなスタア達の競演が観られればそれで十分だと思う。
ちょっと視点を変えて、改めてカズについて考えてみた。カズがアジア最優秀選手になったのは93年のドーハの悲劇の年。あれから、なんと18年の月日が経った。あの年に生まれた子供が、普通にJリーガなのだ。そして、今なお元気にプレイをして、さらに今回のチャリティマッチでも、主役の1人として君臨している。いったい、この男は何なのだろうか。
カズについて5年前にこんな事を書いた。これは自分なりにカズの記録としては決定版?なのではないかと自負していた。あの時も、「すごい男だな」と呆れていたのだが、あれから5年経ち、今なおカズが現役選手として光彩を放っている。
先日、ある方が「外国人にカズを説明するのには?カズのようにワールドカップに出た事はないが、その国のサッカーの象徴となっている選手は誰か?」と言う問いをしてくれた。
たとえば、ライアン・ギグス、ヤン・リトマネン、ジョージ・ウェア、釜本邦茂のように、格段の能力を誇った選手でも、その国がワールドカップに出る事ができない場合がある。
ベルント・シュスター、ラモン・ディアス(ディアスは1回出ているのだが、全盛期には出場できなかった)のように、ご本人の意思とか、チーム編成の都合で、出場しない場合もある。
エリック・カントナは確かにワールドカップに出られなかった。ただし、出られなかった事の責任の一端は本人にもあるのだし、何より彼は偉大な存在だが、プラティニとジダンと比べて、フランスの象徴かどうかとなると、やや疑問が残る。もっともユナイテッドの象徴ではあるかもしれないが。
しいて言えば、ジョージ・ベストかもしれない。82年大会、久々に本大会に出場し、地元スペイン、スタア軍団ユーゴスラビアと同じと言う難しいグループに入りながら、ベテランGKパット・ジェニングスを軸に2次ラウンドまで進出した北アイルランド。ジェニングスと同世代のベストが、「あの場にいてくれれば」と世界中の誰もが想った。しかし、言うまでもなく、外国の方々に、ストイックの固まりで長期に渡りプレイを続けているカズを、自堕落極まりなく全盛期があまりに短かったベストに喩えて説明すると、混乱は大きいかもしれない。共通点は、ドリブルが巧みで、得点力が抜群で、格好よくて、抜群に女にもてて、その国のサッカーの象徴である事くらいだから(同世代の北アイルランド人と飲んだ時、そいつは目を潤ませながら、極東のサッカー狂にベストの自慢話をしてたから、カズ同様男達からも尊敬されていたのだろうが)。
カズは、苦労して、苦労して、日本代表を引っぱり、ようやくワールドカップにたどり着いたが、出られなかった。
重要な事は、90年代カズの全盛期の日本サッカー界ほど、物凄い右肩上がりでその質を上昇させた国は、他に思いつかない事だ(同時に井原正巳、福田正博と言う、カズとは別な意味で超スーパーなスタアがいたのも幸いしたのだが)。そして、その右肩上がり以降も、日本は世界の強豪の片隅の地位をしっかりと確保している。その急激な上昇と、以降の安定に、カズが格段な貢献をした事は言うまでもない。
けれども、それでもカズはワールドカップに出られなかった。
以前より述べているが、岡田氏贔屓の私でさえ、その事は飲み込めずにいる。もっとも、岡田武史と言う人を現役時代からずっと観ていて、ブラジルから帰国以降のカズもずっと観ていて、その後の2人の活躍も反芻すると、あの時の岡田氏の決断とカズの悲劇は、生半可には書けない想いもある。
カズよりも、偉大でワールドカップに出る事が叶わなかった国民的象徴は他国にいない。カズは世界レベルから見ても、唯一無二の存在なのだ。
重苦しい日々が続く中で、長谷部や長友らが帰って来てくれて、有料試合を観られる事を素直に喜びたい。両軍の選手達それぞれに、多くの想いがあるだろう。観戦するサポータ達にも、複雑な想いがあるだろう。私にも、仙台出身のサッカー狂として、何とも言えない想いがある。
ただ、とにかく、私は華やかなスタア達の競演が観られればそれで十分だと思う。
ちょっと視点を変えて、改めてカズについて考えてみた。カズがアジア最優秀選手になったのは93年のドーハの悲劇の年。あれから、なんと18年の月日が経った。あの年に生まれた子供が、普通にJリーガなのだ。そして、今なお元気にプレイをして、さらに今回のチャリティマッチでも、主役の1人として君臨している。いったい、この男は何なのだろうか。
カズについて5年前にこんな事を書いた。これは自分なりにカズの記録としては決定版?なのではないかと自負していた。あの時も、「すごい男だな」と呆れていたのだが、あれから5年経ち、今なおカズが現役選手として光彩を放っている。
先日、ある方が「外国人にカズを説明するのには?カズのようにワールドカップに出た事はないが、その国のサッカーの象徴となっている選手は誰か?」と言う問いをしてくれた。
たとえば、ライアン・ギグス、ヤン・リトマネン、ジョージ・ウェア、釜本邦茂のように、格段の能力を誇った選手でも、その国がワールドカップに出る事ができない場合がある。
ベルント・シュスター、ラモン・ディアス(ディアスは1回出ているのだが、全盛期には出場できなかった)のように、ご本人の意思とか、チーム編成の都合で、出場しない場合もある。
エリック・カントナは確かにワールドカップに出られなかった。ただし、出られなかった事の責任の一端は本人にもあるのだし、何より彼は偉大な存在だが、プラティニとジダンと比べて、フランスの象徴かどうかとなると、やや疑問が残る。もっともユナイテッドの象徴ではあるかもしれないが。
しいて言えば、ジョージ・ベストかもしれない。82年大会、久々に本大会に出場し、地元スペイン、スタア軍団ユーゴスラビアと同じと言う難しいグループに入りながら、ベテランGKパット・ジェニングスを軸に2次ラウンドまで進出した北アイルランド。ジェニングスと同世代のベストが、「あの場にいてくれれば」と世界中の誰もが想った。しかし、言うまでもなく、外国の方々に、ストイックの固まりで長期に渡りプレイを続けているカズを、自堕落極まりなく全盛期があまりに短かったベストに喩えて説明すると、混乱は大きいかもしれない。共通点は、ドリブルが巧みで、得点力が抜群で、格好よくて、抜群に女にもてて、その国のサッカーの象徴である事くらいだから(同世代の北アイルランド人と飲んだ時、そいつは目を潤ませながら、極東のサッカー狂にベストの自慢話をしてたから、カズ同様男達からも尊敬されていたのだろうが)。
カズは、苦労して、苦労して、日本代表を引っぱり、ようやくワールドカップにたどり着いたが、出られなかった。
重要な事は、90年代カズの全盛期の日本サッカー界ほど、物凄い右肩上がりでその質を上昇させた国は、他に思いつかない事だ(同時に井原正巳、福田正博と言う、カズとは別な意味で超スーパーなスタアがいたのも幸いしたのだが)。そして、その右肩上がり以降も、日本は世界の強豪の片隅の地位をしっかりと確保している。その急激な上昇と、以降の安定に、カズが格段な貢献をした事は言うまでもない。
けれども、それでもカズはワールドカップに出られなかった。
以前より述べているが、岡田氏贔屓の私でさえ、その事は飲み込めずにいる。もっとも、岡田武史と言う人を現役時代からずっと観ていて、ブラジルから帰国以降のカズもずっと観ていて、その後の2人の活躍も反芻すると、あの時の岡田氏の決断とカズの悲劇は、生半可には書けない想いもある。
カズよりも、偉大でワールドカップに出る事が叶わなかった国民的象徴は他国にいない。カズは世界レベルから見ても、唯一無二の存在なのだ。
2010年12月31日
2010年10大ニュース
1. ワールドカップ
これだけで、幾らでも語る事ができるし、10大ニュースが作れそうだ。ただ、中でも先日述べたように
○我々の「格」が明確になった事
○世界のトップにおいて組織守備と言う長所、攻撃の個人能力と言う改善点が改めて明確になった事
○パラグアイ戦と見事な死闘を演じる事ができた事
の3点が非常に重要だと思う。我々は6月以降全てにおいて、ここを再スタートラインにおけるようになった。
2.西村主審大活躍
ブラジル−オランダ戦の準々決勝と拡大トヨタカップ決勝の笛を吹いた事そのものに。特にあの準々決勝の笛は見事だった。フィリップ・メロの愚行が一層評価を高めた感もあったが、あの難しい試合には、「日本風のしつこい笛」がピッタリだった?!
先日定年と言う基本ルールを平気で破り続けて来た人が引退をした。その人は晩年を汚したが、全盛時は少々杓子定規だが、悪くない主審ぶりではあった。しかし、西村氏はその人の全盛時を間違いなく凌駕している。
我々が世界のトップで勝とうとするならば、選手も、監督も、その他のスタッフも、協会の運営も、クラブの経営手法も、若年層の育成方法も、我々サポータの振る舞いも、マスコミの報道も、我々のサッカー描写力も、底辺の指導も、全てが世界のトップに近づかなければならないはずだ。その中で審判が世界トップと評価された事を素直に喜びたい。
3.少年サッカーへの8人制取り入れ
私は総論賛成。しかし、現場の悩み、混乱は大きい。少なくとも底辺レベルでは、「3人」出られないのは歴然たる事実。また指導者、審判の数、グラウンドの広さや数などの問題から、簡単にチーム数も増やせない。「日本協会は小学生世代のトップレベルの事しか考えていないのでは?」とも言いたくなる(まあ、それでも構わないようにも思うが)事もあるのだ。
とは言え、やってみる事が大事だと思う。まずは8人制のオペレーションをしっかりやってから、議論すべきだろう。
4. アルゼンチンに勝った!
代表チームの積み上げ、原博実の勝利。
5. アジア大会優勝
アジアの中での我々の「格」がいかに高いかを再確認。韓国、北朝鮮がこけた幸運はあったけれど、UAE(とてもよいチームだったけれど)は「蛇に睨まれた蛙状態」だった。関塚氏らスタッフ、各選手の努力と健闘のおかげなのだが、この大会の成功を見る限り、若年層育成は「うまく行っている」としか、言いようがない。そして、そうだとすれば、あのアジアユース惨敗の要因は、やはりかんと(以下自粛)。
女子の優勝は、何か当然の雰囲気があるからすごい。澤と大野が元気なうちに、アジアと言わず世界で大輪の花を咲かせてくれまいか。
6. 天皇杯日程スキャンダル
代表戦に合わせて、金曜日、日曜日に1,2回戦を消化、2回戦でJ1クラブが待ち構える。しかも移動手間を省くために近隣代表同士(たとえばソニー仙台対福島ユナイテッドの勝者がベガルタ仙台と...まあベガルタは、それなのに負けたのですが)。こんな抽選も無視した勝ち抜き戦を有料試合で、最も権威ある大会でやっていい訳がないだろう。
こう言う事をやっていると、いずれしっぺ返しが来るのではないかと、本当に心配になる。
7. 欧州で日本選手次々に活躍
多くの選手が、順調に欧州のトップで活躍をしている。国内の契約ルールが変った間隙を代理人達がうまく突いて、移籍料ゼロで持って行かれてる事も大きい。しかし、持って行かれた連中が大活躍しているのだから、文句の言いようがない。
ワールドカップで上位を狙う国の代表選手達なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、その当たり前の事が過去10年なぜできなかったのか。結構真剣に考えるべき課題に思う。
8. グランパスJ制覇と闘莉王
久米GMとピクシーの勝利は明らかだが、やはり闘莉王の存在は大きい。アルセーヌ・ベンゲル氏と選手ピクシーがいても勝てなかったJリーグ。闘莉王と言う選手の「勝者のメンタリティ」のすごさを感じる優勝劇だった。闘莉王は代表では、中澤、遠藤がいるために「目立たない」けれど、やはり日本サッカー史に残るタレントだなと。
9. 町田ゼルビア不透明なJ入り拒絶
明らかに既得権を守る動きがあるとしか思えない。理念がなくなった時にJリーグの進歩は止まって意しまう。これはこれで、Jリーグの危機と言えるのではないか。
簡単な事なのだ。J2からJFLの降格を認めてしまえばよい。流動性を高めれば高める程、勝負はおもしろくなり、総合的な経済パイは拡大する。総合的なパイが大きくなる方が、最終的には既存のクラブにもメリットが出てくるのだが。
10. アルディージャ観客水増し
18年の月日は、ここまで人々を弛緩させるものかと言うショッキングなニュースだった。平気で繰り返したアルディージャフロントも、まともな確認をしなかったJ当局もだが。現状のルールからすると、2000万円の制裁金が上限なので仕方がないが、罪からすればあまりに低い「罰金」に思うのは私だけか。
何より重要な事は、いかに再発を防止し、その活動を裏付ける事。Jリーグの手腕が問われている。
特別賞.賀川浩氏の殿堂入り
選ぶ立場の方が選考されたのだが、サッカーを文章化する努力を日々重ねている身としては、大先輩の殿堂入りは、やはり嬉しい。
これだけで、幾らでも語る事ができるし、10大ニュースが作れそうだ。ただ、中でも先日述べたように
○我々の「格」が明確になった事
○世界のトップにおいて組織守備と言う長所、攻撃の個人能力と言う改善点が改めて明確になった事
○パラグアイ戦と見事な死闘を演じる事ができた事
の3点が非常に重要だと思う。我々は6月以降全てにおいて、ここを再スタートラインにおけるようになった。
2.西村主審大活躍
ブラジル−オランダ戦の準々決勝と拡大トヨタカップ決勝の笛を吹いた事そのものに。特にあの準々決勝の笛は見事だった。フィリップ・メロの愚行が一層評価を高めた感もあったが、あの難しい試合には、「日本風のしつこい笛」がピッタリだった?!
先日定年と言う基本ルールを平気で破り続けて来た人が引退をした。その人は晩年を汚したが、全盛時は少々杓子定規だが、悪くない主審ぶりではあった。しかし、西村氏はその人の全盛時を間違いなく凌駕している。
我々が世界のトップで勝とうとするならば、選手も、監督も、その他のスタッフも、協会の運営も、クラブの経営手法も、若年層の育成方法も、我々サポータの振る舞いも、マスコミの報道も、我々のサッカー描写力も、底辺の指導も、全てが世界のトップに近づかなければならないはずだ。その中で審判が世界トップと評価された事を素直に喜びたい。
3.少年サッカーへの8人制取り入れ
私は総論賛成。しかし、現場の悩み、混乱は大きい。少なくとも底辺レベルでは、「3人」出られないのは歴然たる事実。また指導者、審判の数、グラウンドの広さや数などの問題から、簡単にチーム数も増やせない。「日本協会は小学生世代のトップレベルの事しか考えていないのでは?」とも言いたくなる(まあ、それでも構わないようにも思うが)事もあるのだ。
とは言え、やってみる事が大事だと思う。まずは8人制のオペレーションをしっかりやってから、議論すべきだろう。
4. アルゼンチンに勝った!
代表チームの積み上げ、原博実の勝利。
5. アジア大会優勝
アジアの中での我々の「格」がいかに高いかを再確認。韓国、北朝鮮がこけた幸運はあったけれど、UAE(とてもよいチームだったけれど)は「蛇に睨まれた蛙状態」だった。関塚氏らスタッフ、各選手の努力と健闘のおかげなのだが、この大会の成功を見る限り、若年層育成は「うまく行っている」としか、言いようがない。そして、そうだとすれば、あのアジアユース惨敗の要因は、やはりかんと(以下自粛)。
女子の優勝は、何か当然の雰囲気があるからすごい。澤と大野が元気なうちに、アジアと言わず世界で大輪の花を咲かせてくれまいか。
6. 天皇杯日程スキャンダル
代表戦に合わせて、金曜日、日曜日に1,2回戦を消化、2回戦でJ1クラブが待ち構える。しかも移動手間を省くために近隣代表同士(たとえばソニー仙台対福島ユナイテッドの勝者がベガルタ仙台と...まあベガルタは、それなのに負けたのですが)。こんな抽選も無視した勝ち抜き戦を有料試合で、最も権威ある大会でやっていい訳がないだろう。
こう言う事をやっていると、いずれしっぺ返しが来るのではないかと、本当に心配になる。
7. 欧州で日本選手次々に活躍
多くの選手が、順調に欧州のトップで活躍をしている。国内の契約ルールが変った間隙を代理人達がうまく突いて、移籍料ゼロで持って行かれてる事も大きい。しかし、持って行かれた連中が大活躍しているのだから、文句の言いようがない。
ワールドカップで上位を狙う国の代表選手達なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、その当たり前の事が過去10年なぜできなかったのか。結構真剣に考えるべき課題に思う。
8. グランパスJ制覇と闘莉王
久米GMとピクシーの勝利は明らかだが、やはり闘莉王の存在は大きい。アルセーヌ・ベンゲル氏と選手ピクシーがいても勝てなかったJリーグ。闘莉王と言う選手の「勝者のメンタリティ」のすごさを感じる優勝劇だった。闘莉王は代表では、中澤、遠藤がいるために「目立たない」けれど、やはり日本サッカー史に残るタレントだなと。
9. 町田ゼルビア不透明なJ入り拒絶
明らかに既得権を守る動きがあるとしか思えない。理念がなくなった時にJリーグの進歩は止まって意しまう。これはこれで、Jリーグの危機と言えるのではないか。
簡単な事なのだ。J2からJFLの降格を認めてしまえばよい。流動性を高めれば高める程、勝負はおもしろくなり、総合的な経済パイは拡大する。総合的なパイが大きくなる方が、最終的には既存のクラブにもメリットが出てくるのだが。
10. アルディージャ観客水増し
18年の月日は、ここまで人々を弛緩させるものかと言うショッキングなニュースだった。平気で繰り返したアルディージャフロントも、まともな確認をしなかったJ当局もだが。現状のルールからすると、2000万円の制裁金が上限なので仕方がないが、罪からすればあまりに低い「罰金」に思うのは私だけか。
何より重要な事は、いかに再発を防止し、その活動を裏付ける事。Jリーグの手腕が問われている。
特別賞.賀川浩氏の殿堂入り
選ぶ立場の方が選考されたのだが、サッカーを文章化する努力を日々重ねている身としては、大先輩の殿堂入りは、やはり嬉しい。
2010年11月02日
千葉直樹と言う幸運
私達は幸せだった。
地方都市の経済規模が小さなクラブに、地元出身の英雄がいたのだから。千葉直樹は、ブランメルのJFL2シーズン目から、いつもそこにいた。いつもそこににいるから、気がつかないのだが、地元出身の英雄が当たり前のように常にクラブを支える存在でいてくれる事は、私達にとって信じ難い幸運な偶然だったのだ。
幾多の名場面が思い起こされる。その中で、私はたった1つの試合が忘れられない。つい最近、昨期の盛夏の試合だ。J1昇格を争いつつも、チームが底の状態だった時の愛媛戦。チーム全体が疲労に沈み、冴えない試合を続けていた折に決めた鮮やかな先制のヘディングシュート。あの一番苦しい時期での、千葉の一撃でベガルタは生き返った。
もちろんそれ以外にも、千葉は幾多の見事なプレイでクラブを支え続けて来たのは言うまでもない。今期にしても中盤戦までは完全なレギュラとして、シーズン半ばからは終盤アンカーとして試合をクローズする役目を、それぞれ見事にこなしてきた。いや、毎期毎期、多くの選手と定位置争いを演じながら、結局最も頻度多く出場するのが千葉だった。どのような監督に仕えても、千葉は、常に堅実に、冷静に、丁寧に、ちょっとミスをまじえながら、時にスーパーなプレイで私達に熱狂的な歓喜を提供してきたのだ。
いや、よいプレイでクラブを引っ張って来ただけではない。本当の意味で、クラブ全体をその人格で支えて来たからこそ(たとえばこれね)、文字通り「精神的支柱」と呼ばれる存在だったのだ。
繰り返すが、私は上記した昨期の千葉の一撃で勝った愛媛戦が忘れられない。その前のシーズン、入替戦で苦杯を喫し、「必ずJ1に上がる」と、サポータを含む全てのクラブ関係者が誓った昨期。しかし、戦いは決して楽ではなく、あの愛媛戦の前節の横浜FC戦などは、最低最悪のプレイ振りだった。その苦しい愛媛戦での、あのヘディングがなければ、以降のベガルタはどんな歴史を描く事になった事だろうか。
引退は噂されていた。いや、そもそも件の入替戦時には引退を決意していたと言う噂もあった。昨期も歓喜の昇格決定時に同様な噂があった。でも、千葉直樹は再びJ1の戦地に登場してくれた。1977年生まれの33歳、まだまだやれるとは思う。ピッチ上の千葉直樹の経験は、何にも代え難いベガルタの宝である事は違いない。しかし、決断はなされたのだ。今はただ、冒頭に語った幸運をかみしめて、過去の幾多の好プレイと発言を反芻し、残り6試合の共闘を誓い、よい結果を受け入れるのみである。
背番号「7」を永久欠番にしようではないか。
クラブの黎明期に、信じ難い幸運で私達が所有する事ができた地元出身の英雄なのだから。いっそ、今期まで私達に提供されている背番号「12」をいずれかの選手に提供し、私達が千葉の背番号を引き継ぐと言うのはいかがだろうか。そう言った提案を、謙虚な千葉直樹自身は辞退するかもしれない。でも、ここまで私達に幸せを提供してくれてきたのだ。もう1つくらい、私達の我がままを聞いて欲しい。
千葉直樹とはあと6試合。残り6試合は、私達にとって、あまりに大切な試合となった。千葉直樹は去る事で、私達に一層の輝きを提供してくれる。
地方都市の経済規模が小さなクラブに、地元出身の英雄がいたのだから。千葉直樹は、ブランメルのJFL2シーズン目から、いつもそこにいた。いつもそこににいるから、気がつかないのだが、地元出身の英雄が当たり前のように常にクラブを支える存在でいてくれる事は、私達にとって信じ難い幸運な偶然だったのだ。
幾多の名場面が思い起こされる。その中で、私はたった1つの試合が忘れられない。つい最近、昨期の盛夏の試合だ。J1昇格を争いつつも、チームが底の状態だった時の愛媛戦。チーム全体が疲労に沈み、冴えない試合を続けていた折に決めた鮮やかな先制のヘディングシュート。あの一番苦しい時期での、千葉の一撃でベガルタは生き返った。
もちろんそれ以外にも、千葉は幾多の見事なプレイでクラブを支え続けて来たのは言うまでもない。今期にしても中盤戦までは完全なレギュラとして、シーズン半ばからは終盤アンカーとして試合をクローズする役目を、それぞれ見事にこなしてきた。いや、毎期毎期、多くの選手と定位置争いを演じながら、結局最も頻度多く出場するのが千葉だった。どのような監督に仕えても、千葉は、常に堅実に、冷静に、丁寧に、ちょっとミスをまじえながら、時にスーパーなプレイで私達に熱狂的な歓喜を提供してきたのだ。
いや、よいプレイでクラブを引っ張って来ただけではない。本当の意味で、クラブ全体をその人格で支えて来たからこそ(たとえばこれね)、文字通り「精神的支柱」と呼ばれる存在だったのだ。
繰り返すが、私は上記した昨期の千葉の一撃で勝った愛媛戦が忘れられない。その前のシーズン、入替戦で苦杯を喫し、「必ずJ1に上がる」と、サポータを含む全てのクラブ関係者が誓った昨期。しかし、戦いは決して楽ではなく、あの愛媛戦の前節の横浜FC戦などは、最低最悪のプレイ振りだった。その苦しい愛媛戦での、あのヘディングがなければ、以降のベガルタはどんな歴史を描く事になった事だろうか。
引退は噂されていた。いや、そもそも件の入替戦時には引退を決意していたと言う噂もあった。昨期も歓喜の昇格決定時に同様な噂があった。でも、千葉直樹は再びJ1の戦地に登場してくれた。1977年生まれの33歳、まだまだやれるとは思う。ピッチ上の千葉直樹の経験は、何にも代え難いベガルタの宝である事は違いない。しかし、決断はなされたのだ。今はただ、冒頭に語った幸運をかみしめて、過去の幾多の好プレイと発言を反芻し、残り6試合の共闘を誓い、よい結果を受け入れるのみである。
背番号「7」を永久欠番にしようではないか。
クラブの黎明期に、信じ難い幸運で私達が所有する事ができた地元出身の英雄なのだから。いっそ、今期まで私達に提供されている背番号「12」をいずれかの選手に提供し、私達が千葉の背番号を引き継ぐと言うのはいかがだろうか。そう言った提案を、謙虚な千葉直樹自身は辞退するかもしれない。でも、ここまで私達に幸せを提供してくれてきたのだ。もう1つくらい、私達の我がままを聞いて欲しい。
千葉直樹とはあと6試合。残り6試合は、私達にとって、あまりに大切な試合となった。千葉直樹は去る事で、私達に一層の輝きを提供してくれる。
2010年10月29日
忘れたいが、忘れてはいけない過去2010
また今年もこの日がやってきた。そして、あれから12年経った事になる。サッカー界における時間単位は4年(便宜的にその単位を「ワールドカップ」と呼ぶ事にしようか)なので、「あれから3ワールドカップ経った」事になる。
3ワールドカップ経てば、時代は流れる。
楢崎正剛は代表引退を表明した。遠藤保仁はワールドカップ最高峰のプレイを見せてくれた。鹿児島実業高校を卒業したばかりの遠藤を抜擢したレシャック氏は、南アフリカでの遠藤のプレイを見て、どのような思いを抱いてくれたのだろうか(どなたか、スペイン系の取材を得意としている方がいたら、是非お願いします、取材前に連絡いただければご機嫌をとるネタくらい提供しますよ、何せクライフの家来だったのですから)。
3ワールドカップ前に、あの悲劇について書いた文章は、今でも正鵠を射ていたと思っている。フリューゲルスは極めて理不尽に悲劇的に消えて行ったのだ。そして時間が経った今でも、あの理不尽さへの怒りを押さえる事ができない自分がいる。それについては、昨年書いたエントリを参照いただきたい。
その怒りをいかに継続すべきなのか。
今年、私は友人(である、とうこくりえ氏)から格好のメッセージを受領した。こちらである。そのメッセージは、おそらく本書を購入しなければ受信できない。とにかく、本書を購入し、丁寧になめ回して欲しい。そうすれば、フリューゲルスの悲劇に関するとうこく氏の「メッセージ」を見つける事ができるはずだ。
私はこのメッセージを見つけた際に、改めて彼女のサッカー描写力に嫉妬し、尊敬した。私にはできない。
また、彼女のメッセージを既に見つけた方、私の駄文をキッカケに気がついた方にお願いしたい。コメント欄でネタバレはしないでいただきたい。おそらく、彼女のメッセージは、自分で見つける事によって、明確に伝わるから。
フリューゲルスと言うクラブはもうない。でも、執拗に繰り返すが、なくなった悲劇を忘れては行けない。
3ワールドカップ経てば、時代は流れる。
楢崎正剛は代表引退を表明した。遠藤保仁はワールドカップ最高峰のプレイを見せてくれた。鹿児島実業高校を卒業したばかりの遠藤を抜擢したレシャック氏は、南アフリカでの遠藤のプレイを見て、どのような思いを抱いてくれたのだろうか(どなたか、スペイン系の取材を得意としている方がいたら、是非お願いします、取材前に連絡いただければご機嫌をとるネタくらい提供しますよ、何せクライフの家来だったのですから)。
3ワールドカップ前に、あの悲劇について書いた文章は、今でも正鵠を射ていたと思っている。フリューゲルスは極めて理不尽に悲劇的に消えて行ったのだ。そして時間が経った今でも、あの理不尽さへの怒りを押さえる事ができない自分がいる。それについては、昨年書いたエントリを参照いただきたい。
その怒りをいかに継続すべきなのか。
今年、私は友人(である、とうこくりえ氏)から格好のメッセージを受領した。こちらである。そのメッセージは、おそらく本書を購入しなければ受信できない。とにかく、本書を購入し、丁寧になめ回して欲しい。そうすれば、フリューゲルスの悲劇に関するとうこく氏の「メッセージ」を見つける事ができるはずだ。
私はこのメッセージを見つけた際に、改めて彼女のサッカー描写力に嫉妬し、尊敬した。私にはできない。
また、彼女のメッセージを既に見つけた方、私の駄文をキッカケに気がついた方にお願いしたい。コメント欄でネタバレはしないでいただきたい。おそらく、彼女のメッセージは、自分で見つける事によって、明確に伝わるから。
フリューゲルスと言うクラブはもうない。でも、執拗に繰り返すが、なくなった悲劇を忘れては行けない。
2010年09月11日
落合弘とネルソン吉村
9月10日に、日本協会が日本サッカー殿堂入りした6名の方の掲額式典を行ったとの事。
いずれの方々も日本サッカーに多くの貢献をしてきた方々だが、おそらく若い方々に最も著名なのは賀川浩氏だろうか。賀川氏はサッカーをテキストで表現しようとする我々にとっては、いつでも尊敬の対象であり、目標の存在であり続ける方。そして、賀川氏はいかにも氏らしい嬉しいコメントを残されている。
その他の受賞者の大畠氏、浅見氏、鈴木氏、それぞれ日本サッカー史におけるVIPなのだが、やはり今日は投票選考で選ばれた落合弘氏(1946年生まれ)と故ネルソン吉村氏(1947年生まれ、帰化以降は吉村大志郎に改名したが、やはりネルソン吉村の方が落ち着きがよいな)について、語りたい。と言うのは、この2人は私が真剣にサッカーを見始めた当時(中学生時代)の、日本サッカー界の大スタアだったから。そして、この2人は釜本(1944年生まれ)より若いタレントとして、色々な面で日本サッカー界を支え、今日の礎になった選手だったから。
落合は69年シーズンに攻撃的MFとして釜本に競り勝って、23歳で得点王を獲得している。しかし、代表に定着したのは、DFにコンバートされた後、75年あたり。つまり、29歳とベテランになってからだった。しかし、以降は80年の春先に行われたモスクワ五輪予選(この五輪を、日本は当時のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する合衆国に呼応してボイコットしているが、予選は行われた)まで、6年間34歳になるまで、多くはDFとして(たまには機動的なMFとして)、完全に日本代表の中核として活躍した。プレイスタイルとしては、後方から精度の高いボールを蹴る、あるいは後方から巧みに飛び出すプレイが得意。ちょうど、今日の代表とすれば長谷部の飛び出しの巧さと阿部の起点としての精度と守備力を具備したような選手だった。
落合が代表の中核として活躍した70年代後半と言うのは、歴史的に振り返ってみても日本代表の戦闘能力が他国と比較してかなり低かった時期。アルゼンチンワールドカップ、モントリオール五輪、モスクワ五輪の各予選とも、韓国、イスラエル(当時はアジア連盟に所属)、マレーシア(当時はアジアの強国として韓国と互角に戦っていた)と言った、アジアの強国と引き分けるのがやっとの状態だった。そんな中で、落合は常に中心選手として水準以上のプレイを見せてくれた。あの辛かった時代、常に我々の誇りとして存在してくれた選手だったのだ。
所属していた浦和レッズの前身である三菱での活躍も秀でていた。こちらを見ていただくとわかるが、66年シーズンから81年シーズンまで、16年に渡り落合はリーグ戦をフル出場しているのだ。もちろん、今日の過密日程とは異なる時代ではあったが、当時の三菱は常に日本のトップクラブ。その中で常に定位置を確保し、負傷などによる不運な戦線離脱や、警告累積(まあ、昔は審判の警告発生基準も大らかなものだったのだが)による出場停止がなかったのは驚異的な記録と言えよう。
そして、三菱〜浦和レッズは、幾多の国内タイトルを獲得しているが、三菱時代の全タイトルに落合は関与している。言い方を変えるともっと劇的かな。三菱〜浦和レッズが、落合が関与しない初めてのタイトルは、2003年のナビスコカップ、田中達也らの活躍によるものだったのだ。
上記して来た通り、落合弘は正に日本サッカー史に残る巨人。日本サッカー史のベスト11に選ばれる権利を十二分に持つタレントだった。
吉村はブラジル育ちで67年に来日し、釜本の名コンビで大活躍した。吉村氏が亡くなった時に、氏の功績についてはこちらを読めば理解いただけるだろう。ネルソンは、以降無数に来日したブラジル人選手のはしりだったのみならず、帰化選手として日本代表に貢献してくれた最初の選手だった。そして、ネルソンの柔らかな技巧そのものが我々にとって大きな驚きだった。
南アフリカ大会。日系3世選手の闘莉王の大奮闘、ネルソンが帰化してから40年が経っていた(40年経って、2世が3世となったのは歴史だな)。ネルソン以降、多くのブラジルからの帰化選手が日本代表で活躍してくれた。そして、闘莉王のプレイは、その集大成と言っても過言ではなかった。早世したネルソンが生きていてくれれば、あの闘莉王のプレイを見て、どんなに喜んでくれた事だろうか。
落合弘とネルソン吉村が、南アフリカで相応の成果を挙げた2010年に、日本サッカー殿堂に選考されたのは偶然の事だろう。しかし、落合弘とネルソン吉村がいたからこそ、今日の栄光がある事だけは間違いない事なのだ。
いずれの方々も日本サッカーに多くの貢献をしてきた方々だが、おそらく若い方々に最も著名なのは賀川浩氏だろうか。賀川氏はサッカーをテキストで表現しようとする我々にとっては、いつでも尊敬の対象であり、目標の存在であり続ける方。そして、賀川氏はいかにも氏らしい嬉しいコメントを残されている。
日本サッカー界は、どん底の時代も今もいつも前向きなのが推進力と思う。前向きでいれば楽しいことがある。このあたりの賀川氏の受賞後の様子は、友人のブログを参照していただきたい。
その他の受賞者の大畠氏、浅見氏、鈴木氏、それぞれ日本サッカー史におけるVIPなのだが、やはり今日は投票選考で選ばれた落合弘氏(1946年生まれ)と故ネルソン吉村氏(1947年生まれ、帰化以降は吉村大志郎に改名したが、やはりネルソン吉村の方が落ち着きがよいな)について、語りたい。と言うのは、この2人は私が真剣にサッカーを見始めた当時(中学生時代)の、日本サッカー界の大スタアだったから。そして、この2人は釜本(1944年生まれ)より若いタレントとして、色々な面で日本サッカー界を支え、今日の礎になった選手だったから。
落合は69年シーズンに攻撃的MFとして釜本に競り勝って、23歳で得点王を獲得している。しかし、代表に定着したのは、DFにコンバートされた後、75年あたり。つまり、29歳とベテランになってからだった。しかし、以降は80年の春先に行われたモスクワ五輪予選(この五輪を、日本は当時のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する合衆国に呼応してボイコットしているが、予選は行われた)まで、6年間34歳になるまで、多くはDFとして(たまには機動的なMFとして)、完全に日本代表の中核として活躍した。プレイスタイルとしては、後方から精度の高いボールを蹴る、あるいは後方から巧みに飛び出すプレイが得意。ちょうど、今日の代表とすれば長谷部の飛び出しの巧さと阿部の起点としての精度と守備力を具備したような選手だった。
落合が代表の中核として活躍した70年代後半と言うのは、歴史的に振り返ってみても日本代表の戦闘能力が他国と比較してかなり低かった時期。アルゼンチンワールドカップ、モントリオール五輪、モスクワ五輪の各予選とも、韓国、イスラエル(当時はアジア連盟に所属)、マレーシア(当時はアジアの強国として韓国と互角に戦っていた)と言った、アジアの強国と引き分けるのがやっとの状態だった。そんな中で、落合は常に中心選手として水準以上のプレイを見せてくれた。あの辛かった時代、常に我々の誇りとして存在してくれた選手だったのだ。
所属していた浦和レッズの前身である三菱での活躍も秀でていた。こちらを見ていただくとわかるが、66年シーズンから81年シーズンまで、16年に渡り落合はリーグ戦をフル出場しているのだ。もちろん、今日の過密日程とは異なる時代ではあったが、当時の三菱は常に日本のトップクラブ。その中で常に定位置を確保し、負傷などによる不運な戦線離脱や、警告累積(まあ、昔は審判の警告発生基準も大らかなものだったのだが)による出場停止がなかったのは驚異的な記録と言えよう。
そして、三菱〜浦和レッズは、幾多の国内タイトルを獲得しているが、三菱時代の全タイトルに落合は関与している。言い方を変えるともっと劇的かな。三菱〜浦和レッズが、落合が関与しない初めてのタイトルは、2003年のナビスコカップ、田中達也らの活躍によるものだったのだ。
上記して来た通り、落合弘は正に日本サッカー史に残る巨人。日本サッカー史のベスト11に選ばれる権利を十二分に持つタレントだった。
吉村はブラジル育ちで67年に来日し、釜本の名コンビで大活躍した。吉村氏が亡くなった時に、氏の功績についてはこちらを読めば理解いただけるだろう。ネルソンは、以降無数に来日したブラジル人選手のはしりだったのみならず、帰化選手として日本代表に貢献してくれた最初の選手だった。そして、ネルソンの柔らかな技巧そのものが我々にとって大きな驚きだった。
南アフリカ大会。日系3世選手の闘莉王の大奮闘、ネルソンが帰化してから40年が経っていた(40年経って、2世が3世となったのは歴史だな)。ネルソン以降、多くのブラジルからの帰化選手が日本代表で活躍してくれた。そして、闘莉王のプレイは、その集大成と言っても過言ではなかった。早世したネルソンが生きていてくれれば、あの闘莉王のプレイを見て、どんなに喜んでくれた事だろうか。
落合弘とネルソン吉村が、南アフリカで相応の成果を挙げた2010年に、日本サッカー殿堂に選考されたのは偶然の事だろう。しかし、落合弘とネルソン吉村がいたからこそ、今日の栄光がある事だけは間違いない事なのだ。
2010年07月21日
恩師の叙勲
前宮城県サッカー協会会長、東北サッカー協会理事長の伊藤孝夫先生が、先日瑞宝小綬章を叙勲された。そして、18日には仙台にて、祝賀パーティに行われ、300名近い東北、宮城県関連のサッカー人が出席、不肖サッカー講釈師も末席をけがさせていただいた(主な出席者を挙げておこう、宮城県サッカー協会小幡会長(塩釜FC代表)、ベガルタ仙台白幡社長、モンテディオ山形川越理事長、元ベガルタ監督鈴木武一氏、ちなみに松本育夫氏と犬飼日本協会会長(笑)から花輪が届いていた)。
ブログにも書いた事があるが、私は今を去る事30年近く前の学生時代、宮城県あるいは東北地区の大学サッカー連盟で、結構色々なシゴトをしていた。当時、宮城県協会と東北協会の理事長として、その実務の指導と管理をして下さったのが伊藤先生だった。私は、先生の出身大学サッカー部の後輩だったと言う事もあり、本当にかわいがっていただいた。
多くの読者は、先生の名前を知らないかもしれない。
しかし、先生が、ベガルタ(当時ブランメル)の立ち上げをサッカーサイドから引っ張った事、仙台の地下鉄終点駅近傍の公園に小さなサッカー場を作る計画を、2万人収容の専用競技場建設計画に転換させた事、などを聞けば先生の業績を理解いただけると思う。
また現在J1のクラブには宮城県出身の監督が2名(加藤久氏、鈴木淳氏)、強化部長が2名(アントラーズの鈴木満氏、フロンターレの庄子春男氏)いる。もちろん、彼らが今日の地位を掴んだのは、ご本人達の努力研鑽によるものである。ただし、伊藤先生は中央で活躍する宮城県出身選手(当時はベガルタなどないから、優秀な選手が「中央」に出て行くのは当然の事だった)達の活動を常にフォローし、彼らの引退後のキャリアメークにも気を配っていた(ちょうど彼らの現役時代が、私が学生として直接先生に仕えた時期だった)。宮城県がこれだけ日本サッカー界の強化畑に優秀な人材を輩出しているのは偶然ではなく先生の尽力が大きかったと、私は捉えている。
先生は1954年に宮城県工業高の教諭となられ、62年には同校を監督として高校選手権で3位に導いている。準決勝では、森孝慈を中心とした広島修道高校に敗れたとの事。65年に東北工業大学に移られ、以降2001年に定年退官されるまで同学の教授をされたいた。その間、東京五輪の競技役員をされたり、一級審判員を務められながら、73年以降宮城県協会理事長として辣腕を振るわれた。つごう30年以上に渡り、宮城県、東北のサッカー界をリードされてきたと言う事になる。合わせて随時、日本協会の重要な役職を再三務められたのは、言うまでもない。
これだけ長期間地域のサッカー界をリードしていたにもかかわらず、先生は強引に物事を運ぶ事は少なく、常に人の話を聞いて行動する柔軟さ、謙虚さをお持ちだった。帰仙した折に「俺は企業経営のことはよくわからんのだ」と言う先生に、ベガルタの経営改善について語らせていただいた事もある。
さらに言えば、日本サッカー界に本格的なプロフェッショナリズムが立ち上がって約20年、今なお多くの地域協会が、プロフェッショナリズムと底辺レベルのサッカーの両立に悩んでいる。と言うか、プロクラブと協会の相互の関係がギクシャクする程度ならまだましで、全くうまく行っていない地域も結構あると言う。その中で宮城県サッカー協会とベガルタ仙台の関係が比較的良好なのは、先生の人望によるものだと私は思っている。
先生から学んだ事は無数にある。
当時学生だった私に、社会人の方々とつき合うための礼儀や所作を指導いただいた事、物事を推進するためには想像力をフルにはたらかせてどのような部門に影響するかを考える事、人に無理をお願いする時は誠心誠意説明する事。書いてしまえば当たり前の事を、先生はいい加減な学生に懇切丁寧に指導してくださった。
また、サッカーの大会をするためには、日程を決め、グラウンドを確保し、選手と審判がが集まれる準備をする必要がある。加えて大会によっては観客の対応も必要。それだけの事なのだが、それだけの事について起こり得る問題を想定し、事前に準備をする事が難しい。それらについて、先生は常に具体的に指導して下さった。そして先生に言われたのは「そう言った準備は、地域の小大会だろうが、キリンカップや招待サッカーのような有料試合だろうが、何も変わらない事。」さらには「ワールドカップでもそれは変わらないはずだ」とも言われたのも忘れ難い。
さらに。そのような大会運営方法の議論を通じ、日本のサッカー界の海外諸国と比較しての特徴、欧州のサッカー強国の物事の進め方などを、日本協会の業務や遠征を通じて実経験された海外事情と合わせて教授くださった。当時一般人は池原謙一郎氏(故人)あるいは牛木素吉郎氏らの文章を通じてしか知る事ができなかった海外サッカー事情の実態を、先生から学ぶことができたと言う事だ。
もちろん、ピッチ上で行われる妙技の数々についても、多くの事を教えていただいた。82年スペイン大会でのロッシやプラティニやルムメニゲの観戦自慢には、大いに触発されたものだ。
くしくも、本パーティは、初めてのトップリーグにおいての「みちのくダービー」翌日。結果こそ残念だったが(パーティさなか川越モンテディオ理事長は、四面楚歌の快感を愉しまれていた)、あのようなすばらしいダービーマッチが実現した事そのものが、伊藤先生の勝利と言えるだろう。
先生は、数えで80歳、OBサッカー大会では「金色のパンツ」を穿く権利を獲得したとの事で、まだまだ元気そうだ。先生がお元気なうちに、ベガルタはタイトルを取るくらいのつもりで励まなければいかん。
ブログにも書いた事があるが、私は今を去る事30年近く前の学生時代、宮城県あるいは東北地区の大学サッカー連盟で、結構色々なシゴトをしていた。当時、宮城県協会と東北協会の理事長として、その実務の指導と管理をして下さったのが伊藤先生だった。私は、先生の出身大学サッカー部の後輩だったと言う事もあり、本当にかわいがっていただいた。
多くの読者は、先生の名前を知らないかもしれない。
しかし、先生が、ベガルタ(当時ブランメル)の立ち上げをサッカーサイドから引っ張った事、仙台の地下鉄終点駅近傍の公園に小さなサッカー場を作る計画を、2万人収容の専用競技場建設計画に転換させた事、などを聞けば先生の業績を理解いただけると思う。
また現在J1のクラブには宮城県出身の監督が2名(加藤久氏、鈴木淳氏)、強化部長が2名(アントラーズの鈴木満氏、フロンターレの庄子春男氏)いる。もちろん、彼らが今日の地位を掴んだのは、ご本人達の努力研鑽によるものである。ただし、伊藤先生は中央で活躍する宮城県出身選手(当時はベガルタなどないから、優秀な選手が「中央」に出て行くのは当然の事だった)達の活動を常にフォローし、彼らの引退後のキャリアメークにも気を配っていた(ちょうど彼らの現役時代が、私が学生として直接先生に仕えた時期だった)。宮城県がこれだけ日本サッカー界の強化畑に優秀な人材を輩出しているのは偶然ではなく先生の尽力が大きかったと、私は捉えている。
先生は1954年に宮城県工業高の教諭となられ、62年には同校を監督として高校選手権で3位に導いている。準決勝では、森孝慈を中心とした広島修道高校に敗れたとの事。65年に東北工業大学に移られ、以降2001年に定年退官されるまで同学の教授をされたいた。その間、東京五輪の競技役員をされたり、一級審判員を務められながら、73年以降宮城県協会理事長として辣腕を振るわれた。つごう30年以上に渡り、宮城県、東北のサッカー界をリードされてきたと言う事になる。合わせて随時、日本協会の重要な役職を再三務められたのは、言うまでもない。
これだけ長期間地域のサッカー界をリードしていたにもかかわらず、先生は強引に物事を運ぶ事は少なく、常に人の話を聞いて行動する柔軟さ、謙虚さをお持ちだった。帰仙した折に「俺は企業経営のことはよくわからんのだ」と言う先生に、ベガルタの経営改善について語らせていただいた事もある。
さらに言えば、日本サッカー界に本格的なプロフェッショナリズムが立ち上がって約20年、今なお多くの地域協会が、プロフェッショナリズムと底辺レベルのサッカーの両立に悩んでいる。と言うか、プロクラブと協会の相互の関係がギクシャクする程度ならまだましで、全くうまく行っていない地域も結構あると言う。その中で宮城県サッカー協会とベガルタ仙台の関係が比較的良好なのは、先生の人望によるものだと私は思っている。
先生から学んだ事は無数にある。
当時学生だった私に、社会人の方々とつき合うための礼儀や所作を指導いただいた事、物事を推進するためには想像力をフルにはたらかせてどのような部門に影響するかを考える事、人に無理をお願いする時は誠心誠意説明する事。書いてしまえば当たり前の事を、先生はいい加減な学生に懇切丁寧に指導してくださった。
また、サッカーの大会をするためには、日程を決め、グラウンドを確保し、選手と審判がが集まれる準備をする必要がある。加えて大会によっては観客の対応も必要。それだけの事なのだが、それだけの事について起こり得る問題を想定し、事前に準備をする事が難しい。それらについて、先生は常に具体的に指導して下さった。そして先生に言われたのは「そう言った準備は、地域の小大会だろうが、キリンカップや招待サッカーのような有料試合だろうが、何も変わらない事。」さらには「ワールドカップでもそれは変わらないはずだ」とも言われたのも忘れ難い。
さらに。そのような大会運営方法の議論を通じ、日本のサッカー界の海外諸国と比較しての特徴、欧州のサッカー強国の物事の進め方などを、日本協会の業務や遠征を通じて実経験された海外事情と合わせて教授くださった。当時一般人は池原謙一郎氏(故人)あるいは牛木素吉郎氏らの文章を通じてしか知る事ができなかった海外サッカー事情の実態を、先生から学ぶことができたと言う事だ。
もちろん、ピッチ上で行われる妙技の数々についても、多くの事を教えていただいた。82年スペイン大会でのロッシやプラティニやルムメニゲの観戦自慢には、大いに触発されたものだ。
くしくも、本パーティは、初めてのトップリーグにおいての「みちのくダービー」翌日。結果こそ残念だったが(パーティさなか川越モンテディオ理事長は、四面楚歌の快感を愉しまれていた)、あのようなすばらしいダービーマッチが実現した事そのものが、伊藤先生の勝利と言えるだろう。
先生は、数えで80歳、OBサッカー大会では「金色のパンツ」を穿く権利を獲得したとの事で、まだまだ元気そうだ。先生がお元気なうちに、ベガルタはタイトルを取るくらいのつもりで励まなければいかん。
2010年06月26日
2次トーナメントを前に
欧州6国。南米5国。アジア2国。北中米2国。アフリカ1国。正にワールドカップ、世界中に上位進出国が分散した。
欧州はイタリア、フランスの2大国の敗退を代表的に、いつになく不振の様相。さらに、セルビア、デンマーク、スイスと言ったいわゆる2番手国が、スロバキアがイタリアを脱落させたのを除き、軒並みこけてしまった。やはり、時差はないとは言え、欧州の「乾いた夏」でないと、強みを発揮できないと言う事なのだろうか。フランスは、結局プラティニかジダンがいなければ、と言う事だろう。チーム内紛の自滅は、「戦闘能力不足をチーム全体が自覚できなかった現れ」と見た。イタリアの敗退は常に美しいが、まあさじ加減のミスなのだろう。1次リーグ敗退は74年以来36年振り、私がはじめて真剣に愉しんだ大会以来で、それはそれで感慨深い。
南米は全5国が進出。南米勢全チーム2次ラウンド進出は78年以来か(地元アルゼンチン、ブラジル、ペルーが進出)。「冬の大会」は南米勢に有利と言う事なのだろうか。ウルグアイ、チリ、パラグアイいずれも、南米独特の技巧、助走が少なくても加速したり高く飛べる体質に加えて、非常に組織的な攻守を誇る。
日本のみならず、韓国のトーナメント進出成功は別な意味で我々のランクが高い事を示している事となる。互角のライバル(と言うには、今年の対戦成績は、代表のみならずAFCでも芳しくないが)も、列強と互角以上に戦っていると言う事は、我々の成功がフロックでない事の裏付けとなる。活動量が落ちづらい「冬の大会」が、日本と韓国に有利に働いているのではないか、と言う論調があるが、逆に「蒸し暑い8年前」も(地元とは言え)両国に有利に働いた。共に中立地でのトーナメントは初体験となるが、持ち味を前面に発揮したいところだ。豪州は初戦の0−4が全て、負けても大差にしないと言う鉄則を、この経験豊富なチームが失念してしまうとは。ニュージーランドの大健闘は驚き。いずれの対戦国も、押し込めるものだからつい単調な攻撃に終始し、最終ラインのフィジカル勝負に落ち込んでしまった。距離は遠いが、時差が非常に少ないこの国の向上は日本サッカーにとってもプラスになるだろう。北朝鮮はよく頑張ったが、ポルトガル相手にあそこまで前半から互角に戦おうとしては...国際経験の少なさと言う事だろうか。
メキシコとUSAは、既に列強の一員と言ってよい実績のある国だけに、ここまでの進出は驚きではないか。メキシコは初戦の南アフリカ戦の劣勢からの立て直しにせよ、フランス戦の勝負ところの集中力にせよ、強国のそれだ。USAの勝負強さは、往時の西ドイツを彷彿させるほど。どこからあの粘りが出てくるのだろうか。
アフリカの大会ながら、アフリカ勢には寂しい大会となってしまった。地元南アフリカは、組み分け抽選にも、審判判定にも、保護がなく、戦闘能力差でウルグアイ、メキシコの後塵を拝したと言う事だろう。まあ、FIFAは「南アフリカで大会を開く」事で目的を達したと言う事なのだろう。コートジボワールは組み合わせの不運に泣いた(あと、ドログバの負傷と...)が、その他のアフリカ国は選手の能力はさておき、組織力や大会準備の点で他大陸国と比べて差が目立った。デンマーク戦のカメルーン、ギリシャ戦のナイジェリア、スロベニア戦のアルジェリア、いずれも不甲斐なさが目立った。アフリカ大陸は広いので、最南端のこの国での開催は、他国には有利にはたらかなかったと言う事か。一方で、ガーナはエシアンの離脱と言う不運を乗り越えての、連続トーナメント出場、さらなる上位進出も考えられる。ここは純粋にチーム力が高いと理解すべきか。
おもしろいのは、欧州6国が皆1/16ファイナルで直接対決する事。特にドイツーイングランド、スペインーポルトガルはいずれも重厚な対決となる。そう言えばブラジルーチリも南米同士か。8試合中、同大陸戦が4試合、異大陸戦が4試合となった。
ウルグアイのブロックは、欧州勢がおらず各大陸の強者がこの古豪に挑む形となる。ウルグアイは久々(40年振り!)の上位進出の絶好機。韓国はやや甘い守備ラインを李榮杓がどう引き締めるか、ルガノを軸にした守備に朴智星がどう崩しにかかるか。ガーナは上記の通り、安定したバランスを誇るし、ギャンとかアサモアとか強烈なタレントを抱える。。セルビア戦の勝ち切り方など実に見事だった。一方のUSAは戦闘能力も抜群だが、恐ろしい程の粘りがすごい。ドノバン(もう代表戦120越えているのね、まだ28歳なのに)と言う精神的支柱もしっかりしているし。
FCディエゴは32国中、1次リーグで出来が一番よかったのように思う。そして、チームにさらなる向上余地が多数あるのがまた凄い。やはり本命はここだろう。イングランドにせよ、ドイツにせよ、因縁ある欧州強国との準々決勝だが、両国は直接対決で消耗しちゃうからなあ。とは言え、この直接対決はおもしろいだろうな。ともあれ、この両国戦と言うと、ドイツが勝つのに決まっていると考えてしまうのは私だけかしらん。メキシコは前回に続いて1/16ファイナルでアルゼンチンと。何かついてない気がする。速攻から先制し、ディエゴの焦りを誘いたいが、選手達がしっかりしているからなあ。
ブラジルに挑戦するチリだが、おもしろい試合になるとは思う。ただ、ビエルサ氏はひたすら前に行こうとさせると思うので、勝負どころでブラジルのカウンタが奏功するような気がしてならない。つけ込むとしたら、カカーが本調子ではないと言う事くらいか。でも、何となく、カカー自身(退場で1試合休養して)そろそろ上げて来るように思うし。オランダもいつになく、ゆっくりとペースを上げているような気がするので、ブラジルーオランダはすごい準々決勝となりそう。
そして、日本のブロック。まずはパラグアイに勝つ事のみ考えよう。重厚なスペインーポルトガル、隣国同士の意地をぶつけ、大量の出場停止者が出て疲弊する事をとりあえず期待するのは当然として(笑)。
まあ、こうやって、列強の間に我々が当然のように収まっている現状を素直に喜びたい。
さて、このような大会ではベスト11を選ぶのが愉しい遊びとなる。
GK、ナイジェリアのエニェアマの素早い反応、スロベニアのハンダノビッチの安定感など、あまり馴染みのない選手に感心。
サイドバック、マイコンの北朝鮮戦の先生弾の鮮やかさ。李榮杓のサイドから守備を組織化する知性。コエントランとフェレイラのいやらしい攻撃参加。賛否両論あろうがエインセは頭がやはり頭がいい。ラームのドイツ人らしい知的な位置取り。
センタバック、いつのまにかルッシオの対人能力が格段になっている。サムエルの1対1の強さと位置取り。ルガノの強さは相変わらず。シュクルテルはスロバキアのトーナメント進出の最大のヒーローだろう。スロベニア戦のテリーはすごかったな。パラグアイのダシルバは1/16ファイナルで厄介な存在になりそうな気がする。
ボランチ、やはりマスケラーノがすばらしい。オランダのデ・ヨングとファン・ボメルは本当に忌々しかった。パラグアイのリベロスのいやらしい位置取りとスロバキア戦の得点時のトラップはすごかったな。エジルはバラック不在を忘れさせる出来、久々にドイツに登場した柔らかい指揮官。
中盤の前なりFWはキリがない。フォルラン、メッシ、イグアイン、朴智星、ルーニー、ドノバン、ロビーニョ、アサモア、ギャン、ケーヒル、スナイデル、トマソン、エトー、バルデス、C・ロナウド、ビジャ、鄭大世、キリがないな。
そうこう考えて厳選したのが以下。
GK 川島
DF 駒野、中澤、闘莉王、長友
MF 阿部、長谷部、遠藤、松井、大久保
FW 本田
欧州はイタリア、フランスの2大国の敗退を代表的に、いつになく不振の様相。さらに、セルビア、デンマーク、スイスと言ったいわゆる2番手国が、スロバキアがイタリアを脱落させたのを除き、軒並みこけてしまった。やはり、時差はないとは言え、欧州の「乾いた夏」でないと、強みを発揮できないと言う事なのだろうか。フランスは、結局プラティニかジダンがいなければ、と言う事だろう。チーム内紛の自滅は、「戦闘能力不足をチーム全体が自覚できなかった現れ」と見た。イタリアの敗退は常に美しいが、まあさじ加減のミスなのだろう。1次リーグ敗退は74年以来36年振り、私がはじめて真剣に愉しんだ大会以来で、それはそれで感慨深い。
南米は全5国が進出。南米勢全チーム2次ラウンド進出は78年以来か(地元アルゼンチン、ブラジル、ペルーが進出)。「冬の大会」は南米勢に有利と言う事なのだろうか。ウルグアイ、チリ、パラグアイいずれも、南米独特の技巧、助走が少なくても加速したり高く飛べる体質に加えて、非常に組織的な攻守を誇る。
日本のみならず、韓国のトーナメント進出成功は別な意味で我々のランクが高い事を示している事となる。互角のライバル(と言うには、今年の対戦成績は、代表のみならずAFCでも芳しくないが)も、列強と互角以上に戦っていると言う事は、我々の成功がフロックでない事の裏付けとなる。活動量が落ちづらい「冬の大会」が、日本と韓国に有利に働いているのではないか、と言う論調があるが、逆に「蒸し暑い8年前」も(地元とは言え)両国に有利に働いた。共に中立地でのトーナメントは初体験となるが、持ち味を前面に発揮したいところだ。豪州は初戦の0−4が全て、負けても大差にしないと言う鉄則を、この経験豊富なチームが失念してしまうとは。ニュージーランドの大健闘は驚き。いずれの対戦国も、押し込めるものだからつい単調な攻撃に終始し、最終ラインのフィジカル勝負に落ち込んでしまった。距離は遠いが、時差が非常に少ないこの国の向上は日本サッカーにとってもプラスになるだろう。北朝鮮はよく頑張ったが、ポルトガル相手にあそこまで前半から互角に戦おうとしては...国際経験の少なさと言う事だろうか。
メキシコとUSAは、既に列強の一員と言ってよい実績のある国だけに、ここまでの進出は驚きではないか。メキシコは初戦の南アフリカ戦の劣勢からの立て直しにせよ、フランス戦の勝負ところの集中力にせよ、強国のそれだ。USAの勝負強さは、往時の西ドイツを彷彿させるほど。どこからあの粘りが出てくるのだろうか。
アフリカの大会ながら、アフリカ勢には寂しい大会となってしまった。地元南アフリカは、組み分け抽選にも、審判判定にも、保護がなく、戦闘能力差でウルグアイ、メキシコの後塵を拝したと言う事だろう。まあ、FIFAは「南アフリカで大会を開く」事で目的を達したと言う事なのだろう。コートジボワールは組み合わせの不運に泣いた(あと、ドログバの負傷と...)が、その他のアフリカ国は選手の能力はさておき、組織力や大会準備の点で他大陸国と比べて差が目立った。デンマーク戦のカメルーン、ギリシャ戦のナイジェリア、スロベニア戦のアルジェリア、いずれも不甲斐なさが目立った。アフリカ大陸は広いので、最南端のこの国での開催は、他国には有利にはたらかなかったと言う事か。一方で、ガーナはエシアンの離脱と言う不運を乗り越えての、連続トーナメント出場、さらなる上位進出も考えられる。ここは純粋にチーム力が高いと理解すべきか。
おもしろいのは、欧州6国が皆1/16ファイナルで直接対決する事。特にドイツーイングランド、スペインーポルトガルはいずれも重厚な対決となる。そう言えばブラジルーチリも南米同士か。8試合中、同大陸戦が4試合、異大陸戦が4試合となった。
ウルグアイのブロックは、欧州勢がおらず各大陸の強者がこの古豪に挑む形となる。ウルグアイは久々(40年振り!)の上位進出の絶好機。韓国はやや甘い守備ラインを李榮杓がどう引き締めるか、ルガノを軸にした守備に朴智星がどう崩しにかかるか。ガーナは上記の通り、安定したバランスを誇るし、ギャンとかアサモアとか強烈なタレントを抱える。。セルビア戦の勝ち切り方など実に見事だった。一方のUSAは戦闘能力も抜群だが、恐ろしい程の粘りがすごい。ドノバン(もう代表戦120越えているのね、まだ28歳なのに)と言う精神的支柱もしっかりしているし。
FCディエゴは32国中、1次リーグで出来が一番よかったのように思う。そして、チームにさらなる向上余地が多数あるのがまた凄い。やはり本命はここだろう。イングランドにせよ、ドイツにせよ、因縁ある欧州強国との準々決勝だが、両国は直接対決で消耗しちゃうからなあ。とは言え、この直接対決はおもしろいだろうな。ともあれ、この両国戦と言うと、ドイツが勝つのに決まっていると考えてしまうのは私だけかしらん。メキシコは前回に続いて1/16ファイナルでアルゼンチンと。何かついてない気がする。速攻から先制し、ディエゴの焦りを誘いたいが、選手達がしっかりしているからなあ。
ブラジルに挑戦するチリだが、おもしろい試合になるとは思う。ただ、ビエルサ氏はひたすら前に行こうとさせると思うので、勝負どころでブラジルのカウンタが奏功するような気がしてならない。つけ込むとしたら、カカーが本調子ではないと言う事くらいか。でも、何となく、カカー自身(退場で1試合休養して)そろそろ上げて来るように思うし。オランダもいつになく、ゆっくりとペースを上げているような気がするので、ブラジルーオランダはすごい準々決勝となりそう。
そして、日本のブロック。まずはパラグアイに勝つ事のみ考えよう。重厚なスペインーポルトガル、隣国同士の意地をぶつけ、大量の出場停止者が出て疲弊する事をとりあえず期待するのは当然として(笑)。
まあ、こうやって、列強の間に我々が当然のように収まっている現状を素直に喜びたい。
さて、このような大会ではベスト11を選ぶのが愉しい遊びとなる。
GK、ナイジェリアのエニェアマの素早い反応、スロベニアのハンダノビッチの安定感など、あまり馴染みのない選手に感心。
サイドバック、マイコンの北朝鮮戦の先生弾の鮮やかさ。李榮杓のサイドから守備を組織化する知性。コエントランとフェレイラのいやらしい攻撃参加。賛否両論あろうがエインセは頭がやはり頭がいい。ラームのドイツ人らしい知的な位置取り。
センタバック、いつのまにかルッシオの対人能力が格段になっている。サムエルの1対1の強さと位置取り。ルガノの強さは相変わらず。シュクルテルはスロバキアのトーナメント進出の最大のヒーローだろう。スロベニア戦のテリーはすごかったな。パラグアイのダシルバは1/16ファイナルで厄介な存在になりそうな気がする。
ボランチ、やはりマスケラーノがすばらしい。オランダのデ・ヨングとファン・ボメルは本当に忌々しかった。パラグアイのリベロスのいやらしい位置取りとスロバキア戦の得点時のトラップはすごかったな。エジルはバラック不在を忘れさせる出来、久々にドイツに登場した柔らかい指揮官。
中盤の前なりFWはキリがない。フォルラン、メッシ、イグアイン、朴智星、ルーニー、ドノバン、ロビーニョ、アサモア、ギャン、ケーヒル、スナイデル、トマソン、エトー、バルデス、C・ロナウド、ビジャ、鄭大世、キリがないな。
そうこう考えて厳選したのが以下。
GK 川島
DF 駒野、中澤、闘莉王、長友
MF 阿部、長谷部、遠藤、松井、大久保
FW 本田