2015年09月23日

サッカー狂が堪能した史上最高の番狂わせ

 「史上最高の番狂わせ」
 この「史上最高」は、必ずしも「ラグビーワールドカップ史上」にとどまらず、「世界スポーツ史上」なのではないかと思えてならないのだが、それは結びに。

 日本ラグビーの関係者すべてに「おめでとうございます」、考え得る最大級の祝意を伝えたい。そして、日本人の野次馬として、その歓喜をお相伴させていただけた事に感謝したい、「ありがとうございました。」 さらには、サッカー狂としては正直羨望している。うん、うらやましい。
 
 幾度か拙ブログに書いてきたが、私の大学生の坊主は現役ラガー。5年半前に高校に進学した際に、それまで9年間続けてきたサッカーからラグビーに転向した。以降、ラガー坊主の試合観戦は、サッカーに浸るのとは別の愉しみとなっている。加えて、坊主の解説を聞きながら、トップレベルのラグビーをテレビ桟敷で堪能させていただいてる。
 もっとも、私のラグビーに対する造詣は限られたもの。学生時代、テレビ桟敷で新日鉄釜石の洞口、千田、松尾、谷藤と言った名手の創造性豊かなプレイに感心。87年の第1回W杯で、フランスのシャンパンラグビーを率いたFBのブランコに感嘆(奔放さがプラティニを軸とする80年代のサッカーフランス代表を思い起こさせた)、この大会のフィジーのパスワークも凄かったな。95年の決勝の南アフリカとNZのドロップゴール以外全く点が入りそうもない試合に、「ああ、ラグビーもサッカー同様、点が入らないからおもしろいのだ」と強引な解釈。以降は、毎冬の日本のトップレベルの試合や、4年おきのワールドカップを、テレビ桟敷で適宜愉しむ程度だった。
 そして、上記の通り、坊主と言う師匠を得て、観戦頻度が高まってきたのが、ここ数年。2011年の決勝の1点差の緊迫感を、坊主の解説で堪能したのは記憶に新しい。

 そのようなサッカー狂から、この「史上最高の番狂わせ」を語ってみたい。ピントがずれいている事も多いかもしれない。それで、不愉快に思うラグビーファンの方々がいたら、ごめんなさい。

 まず守備がすばらしかった。南アフリカは、体格のよい選手が多く、それを前面に出して戦ってきた。それに対して、ジャパンは低いタックルで対抗、敵のスピードが鈍ったところで2人目がつぶしに行く。愚直にこれを繰り返し、ゴールライン前で南アフリカの攻撃をつぶし続けた。
 許したトライは、ラインアウトからのモールから2本、大型FWを第一波で止め切れなかったのが2本。いずれも、体重差を活かされ「ちょっとどうしようもない」と言う印象。
 単純なモールでの争いに持ち込まれると、体重差が如実に出てしまうのは言うまでもない。そして、後者2発は、100kgをはるかに超える超大柄な選手が機敏なフットワークを見せ、止められなかったもの。そして、「どうして、あの巨体があれだけ機敏に横にも動けるのだ!」と感嘆させられた。
 言わば、この4トライは、南アフリカとジャパンの、現時点の(あくまでも現時点の)資源力の差なのだろう。 しかし、リーチマイケルと仲間たちは、その資源力の差にじっと耐え、4トライに押さえたのだ。

 ジャパンのミスの少なさも信じ難い。素人の私が把握できた大きなミスは以下の3つに止まった。なお、ここで言う「大きなミス」とは、その選手の能力を考慮すれば当然できるべきプレイをやり損ねた、あるいは明らかな判断の誤りがあった、ケースを指している。
 1つ目は、前者のやり損ね。大黒柱の五郎丸が2本目のペナルティを外した事。これは、ちょっと衝撃だった。普段の五郎丸ならば、楽々決める位置だったからだ。やはり、想像を絶するプレッシャがかかっていたのだろう。しかし、五郎丸はプロフェッショナル中のプロフェッショナルだった。3本目以降、次々と難しい位置からのキックを淡々と決め続けた。勝利が確定した後のキックを外す人間くささを含め、完璧な出来だった。
 2つ目と3つ目は、後者の明らかな判断ミス。まず、前半の逆転トライ直後に、主将のリーチマイケルが味方ノックオンのボールを思わずさばいてしまい、オフサイドを取られてしまった事。そして、3つ目は、70分過ぎに、交代出場以降に格段の突破を再三見せていたアマナキが、ラックで明らかに自分より前のボールをさばきオフサイドを演じてしまった事。
 しかしだ。ラグビーはこのようなミスが連発するゲームなのだ。たとえ、弱小国を相手にした強国だろうが、大学生を相手にしているトップリーグの代表選手だろうが、素人から見ても、再三信じ難いミスをする。特にアマナキが演じたようなオフサイドは、結構日常茶飯事だ。これは、ラグビーが激しい肉体接触を伴う、格闘性の高い競技の故だと思っている。ラックやタックルにおける、純粋に身体のぶつけ合いの連続は、時にどんな大選手からも「冷静な判断」の機会を奪ってしまうのだ。少なくとも、このようなタフな試合で、素人の私が認識できる明らかな判断ミスが、たったの2件だったのは、すべてのジャパン選手が冷静に戦っていたのかの証左と言うべきだろう。
 一方、南アフリカは自陣で再三、明らかな判断ミスから、ジャパンに再三ペナルティキックの機会を提供してくれた。特に多かったのが、ノット・ロール・アウェイ、ジャパンがラックでボールをキープして、そのボールを受けようとして接近する選手とボールの間に寝そべり続ける反則だ。おかげで、五郎丸が次々とペナルティキックで加点できた。

 そして、ジャパンのトライ。
 まず前半のトライ。敵ペナルティを利して、敵陣深くでのラインアウト。そこからモールに持ち込んでのトライ。このモールには、立川から松島からバックの選手が次々に加わり、体重差を人数差で凌駕する事に成功した。見事な作戦勝ちと言えるだろう。日本の高校ラグビーでは、「スクラムは1.5mしか押していけない」と言うルールがあるため、モールを強化する傾向があると言うが、それがこの大舞台で見られたのだから愉快だった。
 2本目のトライ。正にパスワークの妙味。松島のパスを受けた五郎丸の外に、もう1人選手がいた事でわかる通り、完全に南アフリカを崩し切った美しいトライだった。ここの仕掛けは前半から、再三鋭い前進を見せいてた立川が、この場面は「縦に出るぞ」とのフェイントから、パスを回した事による。正に、ここまでの68分間の伏線が活きたトライだったのだ。いや、本当に見事なトライでした。

 29対32のまま、時計は回り、ノーサイドが近づいてきた。ジャパンは、冷静にボールをつなぎ、南アフリカゴールライン近傍まで攻め込む。そして、79分、モールでの逆転トライ狙いに対し、南アフリカは明らかに自らモールを崩す。素人目には、認定トライが妥当に思えたが、主審はそう判断しなかった。これは主審にも同情する。「史上最高の番狂わせ」を、自らの判断による認定系の得点とするのは、耐えられなかったのだろう。
 それでもジャパンは、丁寧にボールを保持し、回して、とうとう崩し切った。この最後の時間帯、おそらく5分を超える間、15人すべてがミスをせずに、格段の意思疎通で戦い切ったのが、また素晴らしかった。
 試合終了後、勝因を聞かれたリーチマイケルが、迷わず一言「フィットネス」と答えていたが、この日に合わせて鍛えぬき、体調を揃えていたジャパンは、最終盤に体力でも判断力でも技術でも、南アフリカを圧倒していたのだ。そして、選手達もそれを自覚していたのだろう。80分経過後にジャパンに提供されたペナルティで、キックによる同点ではなく、ボールをつないでの逆転狙いを選択した事が、「あくまで勝ちを目指した勇気」として称える向きが多いようだ。しかし、リーチの選択の最大の理由は、(シンビンによる敵の人数不足を含め)ボールを回して逆転トライできる可能性が、異様なプレッシャ下で角度のない所から難しいキックを狙う仕事を五郎丸1人に託すより確率が高い、と言う事だったのではなかろうか。

 そもそも、「ラグビーと言う競技は、番狂わせが起こりづらい」のが常識と言われている。その最大の理由は、戦闘能力の劣るチームが守備を固めて失点を最小限に押さえる事そのものが厄介だからだ。それは、ラグビーがサッカーと異なり、フィールドの幅全体を守らなければならない事、特にフィジカル差が顕著な場合にラインを上げて守る策が採れない事、パスを回して時間を稼ぎ疲労しない手段が採れない事(ラグビーにおける「キープ」は、パス回しではなく、最も身体を張らなければならないラックなのだ)などによる。だから、現実的に、サッカーのように、「守備を固め失点を最小に押さえ、少ない好機を活かす」と言うやり方が使えないのだ。
 実際、この日のジャパンは、上記したように水際立った守備を見せ、沈着冷静にファウルを最小にした。それでも、32点奪われた。そのくらい、ラグビーの守備と言うものは厄介なのだ。それでもジャパンは勝った。粘って、粘って、粘って、失点を32点に止め、しっかりと計画した攻撃で、その失点を超えた得点を奪ったからだ。素晴らしい。

 と、ここまで書いてきて思った。そもそも、この日のジャパンの80分間の試合内容を見ても、体格差で押し込まれる場面は多々あったが、局面局面では負けていなかった。そのくらい、戦闘能力面でも際立った内容を見せてくれていたのだ。
 つまり、エディー・ジョーンズ氏と言う格段の指導者が、リーチマイケルとその仲間達を的確に指導し、選手達も能動的に自らを鍛え抜いた。その結果、過去の実績からは「弱者」としか言いようのないジャパンは、南アフリカに対し互角近くに戦える戦闘能力を具備できたのだ。もはやジャパンは「強者」である。

 リーチマイケル達の冒険は始まったばかりだ。スコットランド、サモア、USA、彼らに対し2勝以上を挙げ、ベスト8に進むのは、不可能ではないが、決して容易ではないミッションだ。きっと、彼らはやり遂げてくれると確信しているが。しかし、目標のベスト8を実現できる、できないは別にして、既に彼らは歴史を作ったのだ。
 それは「史上最大の番狂わせ」に止ままらない。
 エディーさんとリーチ達は、この南アフリカ戦で、「過去の実績は『弱者』でも、鍛錬と創意工夫で『強者』に勝てる」と言う事を、具体的に示した。つまり、ラグビー界の「番狂わせが起こりづらい」と言う常識そのものを、否定する事に成功した。彼らは、そのような意味でも、歴史を作ったと言えるのではないか。
posted by 武藤文雄 at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

新国立競技場について

 昨今話題となっている新国立競技場問題について。

 40年以上サッカーに浸りきっているが、競技場の事はよくわからない。そりゃ、陸上トラックが無い方がよいとか、傾斜のきついスタンドの方が見やすいとか、屋根があれば濡れなくてよいとか、そう言う意見はあるよ。一方で、屋根があまり大きいと芝の育成の妨げになるとか、どのような構造にすれば入退場がしやすいとか、そのあたりはさっぱりわからない。言うまでもなく、シロートゆえ、何百億円なら妥当だとかの値頃感は、もちろんない。それに加え、どのような外観の競技場がよろしいかなどについての意見もないのだ。

 個人的に外観を見て感動したのは唯一サンシーロスタジアム。90年イタリアワールドカップで、ミラノの街で体感したこの競技場は美しかった。あの四隅を構成する美しい螺旋階段。あの螺旋階段のピッチ側がそのままスタンドの入り口となっているために、階段を一周する度にスタンドの声援が聞こえてくる高揚感。「そうか、競技場と言うものは、こんな素敵な建造物足り得るのだ。」と素直に感動した。この街で堪能した「最後の晩餐」と「ドゥモ」と、そしてこの競技場の感動は、人生の宝物の1つだ。もちろん、そこで演じられたドラマ、バルデラマの妙技、ブレーメの知性、ファン・バステンの絶望なども。
 一方で、後日この競技場がその構造物が故に、芝の生育の問題があると聞いた。こうなると、競技場のあるべき姿の検討は、シロートには荷が重い。したがい、競技場のあるべき姿については、あまり考えなくなった。
 そうなると、話は簡単。私にとって最高の競技場は言うまでもなくユアテックであり、忘れ難い3大競技場は、広島ビッグアーチ(初のアジア王者)、ジョホールバルラーキンスタジアム(言うまでないですね)、そしてスタジアム・ミュニシパル・ドゥ・トゥールーズ(最初のワールドカップアルゼンチン戦)、と言う事になる。
 こう言う人間ゆえ、競技場のハードウェアについては何の意見もない。サッカーさえ見る事ができれば、それでよいのだ。

 もっとも。却下された現行プランがダメなのはシロートでも理解できる。
 このプロジェクトはダメだ。当初予算の1300億円を超過しているのも論外だが、要件が確定せず上限金額が確定していないからだ。あれこれの要件が確定し、施工側が安全サイドの見積もりを提示し、それが高過ぎるならば、問題はあるが仕方がない。
 けれども、本件は違う。最終要件が決まらず、現状の見積もり金額が最上限とは確定していないからだ。屋根やらスタンドやら、不確定要素が多すぎる。再三、「2520億円」と言う金額が報道されているが、シロートから見ても、これが上限金額ではない事が明らかだ。このようなプロジェクトは間違いなく破綻する。
 したがって、現行プランが中止となり、「やれやれ」とは思うが、だからと言って「2520億円」が前提となり、「それ以下の金額なら上々」と言う世論には気をつけたいとは思うけれど。

 一方で、私はしがないサッカー狂だ。五輪など、どうでもよいと思っているのが正直なところ。
 「どうせならば、ラグビーワールドカップに合わせ、球技専用競技場ができればシメシメ」と思っていたのも否定しない。だから、今回の「ラグビーワールドカップに間に合わないのはやむなし」には、少々複雑な思いもある。まして、ラグビー好きの方々の気持ちは考えると、何とも言えない。
 もっとも「シメシメ」は、五倫招致成功時点で諦めざるを得なかったのだろう。五輪の競技場なので、開会式や陸上競技をする必要があるから、陸上トラックは必須だからだ。そうなると「シメシメ」を修正して、「東京五輪のドサクサで、立派な新国立競技場が完成し、できれば五輪後に陸上トラックをなくす改装が行われて球技専用競技場が入手できればシメシメ」くらいは考えていたは確かですが。
 それよりは税金を有用に使うべきだと、考える程度の思考力はあるつもり。だから、「シメシメ」が実現しなくても仕方がない。よい五輪用競技場が完成するのを期待したい。 

 だけれども、あの都心の超一等地、それも幾多の思い出がある伝統的なあの場所の競技場。どのような競技場を作るのが一番よいのか、真剣に考えるべきだとは思う。
 サッカー狂の戯言と言われるかもしれないが、定期的に数万人以上の観衆を集める事が可能な競技は、サッカーあるいはラグビーしか考えられない。その場合、陸上トラックがあるだけで競技場の利用率は下がってしまう。だから、競技場として考えるならば、冗談抜きに将来は球技専用競技場への改造を考慮すべきだろう。
 一方で、巷言われるようにコンサート会場として有用ならば、そう決断すべきだろう。それならば五倫での仮利用の後は、そのようなイベント会場と割り切るのも一案だ。全天候用屋根をつけて、芝生の事など何もも考えず、球技競技場への転用は捨ててしまう。
 ウルトラCとして、日本で最も観客動員が期待できる野球場への転用もあり得る選択肢かもしれない。そうなると、神宮をつぶしてコンパクトな球技専用競技場とか言いたくなるが。
 さらに言わせてもらえば、五輪は味の素スタジアムなり、日産スタジアムに任せ、更地になったあの土地は、いったんそのままにすると言う選択肢も…

 よい機会だと思う。皆でどうすればよいのか、真剣に考える機会なのではないかなと。
posted by 武藤文雄 at 00:39| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月04日

日本一と連投

 イーグルスが日本選手権を制し、日本チャンピオンとなった。故郷の野球チームの日本一。心底嬉しい。
 しかし、最後の最後に、イーグルス星野監督が前日160球投げていた田中を起用した事で、歓喜が随分と薄いものになってしまった。
 誤解しないで欲しいが、投手の酷使を気にしているものではない。それはそれで、いかがなものかとは思う。けれども、「目先の勝利」と「各選手の永続性」のバランスは中々難しいのは否定しない。
 そして、星野氏が、田中を酷使する事が「勝つ確率を高めるため」なのだったら、(非難する向きもあるだろうが)彼の仕事は「イーグルスを勝たせる事」なのだから、それはそれで納得できる。けれども、私が乗り切れないのは、「美馬や則本の方が抑える確率が高いのに、星野氏は大向こう受けを狙って田中を使った(ようにしか、私には見えなかった)」からだ。真剣勝負こそ、最高の娯楽のはずではないか。

 ともあれ、素直に喜びを語りたい。

 仙台人として、日本選手権には結構なトラウマがある。73年から当時のロッテオリオンズが仙台宮城球場(今のKスタです)を準本拠地として活動した事があった。私も何試合か観戦しに行ったが、結構な観客動員だった。当時のオリオンズは、ショーマンシップあふれる金田正一監督に率いられ、木樽正明、村田兆治、有藤通世、アルトマンらが活躍し、最強と言われた阪急ブレーブスを追いかける存在、熱狂的に応援し、勝利に歓喜したものだった。そして、74年にはプレイオフ(これは仙台でも行われた)でブレーブスを破り、日本選手権に出場権を獲得した。ところが、その日本選手権は東京後楽園(今の東京ドーム)で行われ、さらに日本一のパレードすら仙台では行われなかった。これで仙台の野球熱は完全に冷めてしまい、観客動員も激減、数年後オリオンズは逃げるように仙台を去った。
 私はサッカー狂だが、この世代のスポーツ好きの常として、当然のようにガキの頃から野球に浸り切って育ってきた。
小学校2年の夏休みに家族旅行で東京に出かける際に父にねだり、当時の後楽園での讀賣ジャイアンツ対サンケイアトムズ(今のスワローズね)を観戦したのが、最初の生観戦。高橋一三の好投に興奮し、生で観る長嶋茂雄に熱狂したのは忘れ難い思い出だ。確か王貞治は負傷欠場だったはず。サッカーの初生観戦は、その1年後仙台で譲渡試合として行われた日立対ヤンマー戦だから、野球の生観戦の方が先だった、ちなみにこの試合では釜本は肝炎から回復しておらず不出場、どうも私はそう言う運がないのかもしらんな。
 故郷に野球チームができて、ちゃんと昔の宮城球場を完全な本拠地として活動しているだけで嬉しかった。大学時代のサッカー部のチームメートが、ドラゴンズの勝ち負けに一喜一憂しているのが、本当に羨ましかったから。

 ベガルタへの思いとは全く違うけれど、心底嬉しかった。ただ、上記の星野采配には、引っ掛かりがあった。
 「神様、仏様、稲尾様」や「権藤、権藤、雨、権藤」とは違う。稲尾様が連投する方が、権藤が投げる方が、勝利の確率が高かったから、彼らは投げたのだ。けれども、今日の田中マーは違う。絶対に違う。美馬や則本の方が、勝つ確率は高かったのだ。

 ともあれ、日本一である。
 仙台の母に電話した。あれこれ喜びを含めた野球談義を交わした後に、母に言った。
「あの場面、やはりどうしても飲み込めない。勝つために確率を高めるべきではなかったか。」
と。すると、母に叱られた。
「いや、違う。あそこは、やはり、何があっても田中に投げさせるしかない。」
と。
 まあ、そう言う事なのでしょう。素直に祝い酒を堪能すべきなのかな。うん。
posted by 武藤文雄 at 01:20| Comment(9) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月21日

ラグビーを堪能

 ここのところ、諸事多忙で書きたい事が無数に溜まっている。五輪の総決算も書きかけだし、ベガルタへのフォローも遅れがちだし、J2の残留争いも愉しそうだし、麻也の相棒について論じたいし、寿人がなぜ代表に呼ばれないか考察したいし、長谷部と細貝と高橋を比較したいし、欧州でみんなボカスカ点をとるし、少年団で毎週末遊んでくれるガキ共も可愛いし、ベストメンバ規定についても吠えたいし、新たに殿堂入りした方々も語りたいし、ブラジルでのエメルソンとの再会も書いてないし、モルンビースタジアム見学ツアーでのエピソードも自慢したいし、いやボルトアルグレ訪問の事も...
 まあ、少しずつ、溜めてしまった事を、丹念に吐き出していきたい、じゃなかった、書き出していきたいとは思っています。

 実は他人様の親バカ振りをからかう文章を進めていたのだが、どうにもまとまらない。と、言うか、書けば書くほど、独自性が出せず、悩んでいる。あのお父上へのツッコミは簡単ではないなと。
 ここは気分を切り替えて、他人様を冷やかすよりも、自らの親バカ振りを語る方がよいかなと。

 時々書いた事があるが、拙ブログに時々登場してきた我が息子だが、高校3年生になった。中学校まで律儀にサッカーをやってくれていたのだが、高校に入り「俺、ラグビーをやる」と突然転向。かつての守備的MFは、今ではプロップを務め、花園を目指している。と、言っても、ラグビーと言うのは番狂わせが非常に少ない競技だし、神奈川県のレベルは全国屈指で高いから、公立高校の若者にとっては「全国大会に行ける」と言う錯覚にも浸れないようなのだが。ともあれ、たとえサッカーではなくとも、息子がチームメートと共に、少しでも上を目指してもがいているのを見るのは、親バカ冥利につきると言うものだ。

 さて、坊主のクラブ、毎年夏休みは、菅平で合宿を行う。妻が突然「高校最後の合宿なのだから、観に行きたい」と言い始めた。もとより、妻に歯向かえる立場ではないし、親バカとしては坊主の試合も観てみたい。仙台の母まで誘い、長野までラグビー観戦付き温泉一泊旅行を行う事にした。坊主にとっては迷惑な話である。
 ところで、菅平と言う場所だが、驚いたは涼しい事だ。落ち着いて考えれば、そのような気候だから、ラグビーやる若者が集まっている訳で当たり前なのだが。さらに、その涼しさを利用した、キャベツ、レタス、白菜、正に高原野菜畑がそこいら中に。いや、高原野菜畑だけではないのだ、あちらこちらに、芝生のグラウンドが無数に準備されている。午前の試合は76番、午後の試合は92番、と言う感じで、100面以上も。齢51歳、これほどのキャベツ畑も芝生のグラウンドも、まとめて見た事はなかった。
 もう1つ。これらのグラウンドを利用しているのは、ラガーだけではない。サッカー少年もあちらこちらにいるのだ。夏場涼しくて、芝生のグラウンドが無数にあるのだから、確かにラグビー屋さん達だけに、この界隈を独占されるのはもったいない。とてもよい事だと思った。
 さらに感心したのは、多数のラグビーショップが、臨時の出店をしている事。午前中の試合で、敵タックルにより、バンツがスカート化してしまった坊主のために、妻が新しいパンツを買っている。暇つぶしに店を冷やかしていると、黒地のいい感じのポロシャツが売られている。よく見ると、南半球選手権(ラグビーチャンピオンシップと言うのかな、去年までは南ア、NZ、豪州の3カ国の大会でトライネーションと言われていたが、今年からアルゼンチンが加わったので、大会名が変わった)のポロシャツ。4カ国のロゴ入りで、格好よいので、思わず買ってしまった。
 私がそれを着ていると、坊主はすごく羨ましそうな顔をする。坊主の幼少時は、欲しいものを買ってやって溺愛するのが愉しかったが、今は欲しがるものを、私が利用して羨ましがらせるのが、最高だ。ああ、何と心の小さい父親なのだろうか。

 この南半球選手権だが、ちょうど今が佳境。毎週末、テレビで生中継を愉しむ事ができる。坊主のお相伴をしながら、似非ラグビー講釈師を目指している訳。
 NZも、豪州も、南アも、いずれ劣らぬラグビー強国。これらの国同士の試合も、もちろんおもしろい。しかし、私にとっては何と言ってもアルゼンチンだ。この国のラグビースタイルは、サッカーと完全に一緒なのだ。一人一人が攻守両面に渡り、自由奔放に戦う。全く予想外の攻撃を成功させてみたり、押し込まれた時の守備はかなりえげつなかったり。
 こう言ったラグビーの国際試合がもっともっと、日本国内で採り上げられれば、もっとメジャーな娯楽の1つになると思うのだが。もちろん、ラグビー日本代表の試合を含めて。
 以前も述べた事があるが、アジアの予選をほぼ間違いなく突破できるボールゲームは、ラグビーの他は野球、ソフトボール、そしてサッカーくらいのものだろう。それなのに世界のトップとの差が、中々埋まらないのが悩みのタネのようだ。
 だから、代表チームの低迷に切歯扼腕する高校3年生を、毎度毎度観察する事になる。むしょうに懐かしいのだ。ほんの僅か、30数年前。競技は異なるが、全く同じように悩んでいた高校3年生を思い出すから。
posted by 武藤文雄 at 01:35| Comment(5) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

松平康隆氏逝去

 バレーボール界、いや日本スポーツ界の大巨人、松平康隆氏が亡くなったと言う。日本のスポーツ史に残る大巨人だった。

 サッカー界でたとえてみれば、佐々木則夫氏(世界一を獲得したと言う実績と組織作り)と、岡田武史氏(優秀な素材を徹底して鍛え、超一流に育てる)と、カズ(サッカーそのものをマスコミに露出させ、多くの人々の注目を集める、カズの場合は自らが輝き、松平氏は選手達を売り込んだのだが)と、木之本興三氏(サッカーをより多くの人に広げるために、トップリーグをオーガナイズ)と、松木安太郎氏(あの愉しいテレビ解説)を合わせたような実績を挙げた人だ。
 スゴいよね。

 いや違う、松平氏は1人時間差とか移動攻撃のような、独創的、根源的な戦法を編み出している。ここで重要なのは、これら松平氏が編み出した戦法は、他の世界の国に次々に導入され、当たり前の戦法になっている事だ。よく「originality」と言う英語を、我々は「独創的」と訳す。しかし、この英語には、「これをきっかけに色々と広がりを生む」と言う、言わば「根源的」と言う意味がある。言ってみれば、松平氏はまさに「originality」ある戦法を生み出したのだ。
 日本サッカー界にこんな人はいない。悔しいけれど、日本サッカーは、4−2−4も、スイーパシステムも、トータルサッカーも、ゾーンプレスも、あるいはディディのフェイントも、ラボーナも、エラシコも、発明していない。もちろん、サッカー狂からすれば、「サッカーとバレーボールの世界普及の差」と言いたくはなる。しかし、実績は実績。悔しいけれど、歴然とした差があるのだ。もちろん、我々は釜本邦茂や澤穂希を生んでいる。でも、それを言うと、バレー界も大古誠司や田中幹保や白井貴子を生んでいるので...

 ただ、松平氏の責任かどうかは断言できないが、どうにも今日のバレーボール界にはなじめないものがある。テレビにおもねり過ぎているようにしか思えないのだ。
 ジャニーズやEXILEもどうかと思うが、まあしょせん応援団だ。重要な国際大会を常に日本でやり、日本有利な日程でやるのも、まあいいだろう。カネは重要なのだから。
 でも、飲み込めないのは、公式戦のラリーポイント制の導入だ。あれは、バレーボールを決定的につまらないものにした。サッカーはGKへのバックパスを禁止した、柔道は柔道着を青と白にした、ラグビーはトライを4点から5点にした。いずれも、相当な冒険だったが、競技の本質を損ねてはいない。でも、ラリーポイント制はいけない、あれでバレーボールは決定的につまらないものになった。そして、そのルール変更は、テレビ局の都合(放映時間内に中継を終える、CMを挟みやすくする)そのものとしか言い様がない。
 サッカーは決して25分クゥオータ制にはしないだろう、ラグビーはグラウンディングなしでトライとはしないだろう。それが矜持と言うものだ。
 このバレーボールにとっての致命傷に、松平氏がどの程度関与したかは知らない。しかし、氏が推進したテレビ局との融合活動が悪影響を与えたのは間違いないと見ているのだが。
 
 一方で、我々には故長沼健氏と岡野俊一郎氏がいる。
 特に、岡野氏はよく松平氏と比較されて論じられてきた。以前、こんな文章を書いた事がある。いずれも、日本のスポーツ界には珍しい、ほんとうの意味で世界に通用するスポーツ人である。松平氏と、我々の岡野氏の実績比較は、後年の評価を待つしかなかろう。

 おそらくだ。松平氏は、あまりに偉大過ぎたのだ。
 我々が、岡野氏のような理論的巨頭を軸に、集団戦を挑んだ。いや、ひたすら、我々は集団戦を戦っている。この雑文を読んでいるあなたも、もちろん私も、「サッカーの世界一、いつかブラジルやアルゼンチンに追いつく」と言う命題の下、淡々と戦っている。全員が戦力なのだ、そして全員が、現状は、遠藤保仁と長谷部誠を支えている。
 しかし、松平氏は、あまりに偉大過ぎたのだ。すべてを自分でやってしまい、すべてをやれてしまった。我々が、佐々木則夫、岡田武史、カズ、木之本興三、松木安太郎と、歴史に残る巨人を束になってやっている事を、軽々と越えてしまったのだから。

 でも、あのミュンヘン五輪の男子バレーの金メダル。当時、私は小学校6年生だった。あれに、どんなに興奮した事か。世界最強と言う言葉に、いかに甘美感を味わった事か。
 ご冥福をお祈りします。ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 00:58| Comment(26) | TrackBack(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月30日

ラグビーワールドカップ日本代表雑感

 高校生ラガーの横で、幾試合かを観ると、自然にラグビー用語が身に付いてくる。「フェーズを重ね、敵の守備を崩せ」とか、「体格では劣るが、接点では負けてない」とか、何となくもっともらしい言い回しができるようになった。サッカー仲間うちでは、似非ラグビー通として通用しそうだ。
 残念ながら、日本は1分け3敗で全日程を終了。目標としていた2勝はならなかった。けれども、素人目線からは、ニュージーランド戦を除けば、いずれも大変おもしろい試合で、すっかり娯楽として堪能させていただいた。巷では目標未達でもあり、厳しい評価が多いようだ。けれども、少なくとも私には、いずれの選手も己の能力をよく発揮し、見事に戦っていたように見えた。個人的には、田中、小野澤、そして大野がお気に入り。
 サッカー狂の立場からは、準々決勝を最初から目標としない理屈、ニュージーランド戦を捨てた発想などはよくわからないが、このあたりは家風の違いや、冷静な戦闘能力分析からの現実性なのだろう。異なる競技は、このような比較文化論(オーバか)的な愉しみ方もあると言う事だ。

 とは言え、素人目線から気になった事を2つ指摘してみる。

 まず、セットプレイの工夫のないように見えた事。
 先回も指摘したが、フランス戦、トンガ戦で、比較的簡単なペナルティキックやコンバージョンを外し、展開を苦しいものにした。また、トンガ戦の終盤など、幾度か敵陣間近のラインアウトからトライを狙ったが、いずれも奏功しなかった。キックオフにしても、カナダ戦の終盤に3点差に追いすがられた際、簡単に敵ボールにしてしまった。
 流れの中でのプレイは、敵の妨害も多く、思うに任せないことが多い。しかし、セットプレイだけは、事前の準備、計画でかなり優位に立つ事ができるはず。これはラグビーもサッカーも同じ事だと思う。けれども、今回の日本は(何となく、記憶をたどると、今回に限らないようにも思うが)、上記のようにセットプレイがうまく行かなかったように思えた。2、30年前の日本は、サインプレイを得意にしていた記憶があるのだが、少なくとも今大会はセットプレイの創意工夫を、あまり感じなかった。ちなみに、カナダ戦だが、アレジがペナルティもコンバージョンもすべて決めてくれたのに対し、一方カナダのキックの精度の悪さが目立った。このカナダ戦は唯一勝ち点を獲得できた試合だが、このプレースキックのよさで引き分けに持ち込めたとも言えると思う。
 ちなみに、トンガに敗れた際、「ボールを奪われるミスが多かったのがケシカラン」的な批判が多かったが、やや理解しづらい理屈だ。トンガだって必死なのだから、得意のコンタクトプレイに勝機を求め、日本がボールロストが増えたのは、言わば戦闘能力差の問題。ボールロストが多かったのは、要因ではなく、結果なのだ。「ボールを奪われるような試合展開にしたのが失敗」ならば理解できるのだが。だからこそ、素人としては、「そのような展開になった要因」を知りたいのだが、誰か教えて下さい。

 もっと気になったのは、報道の少なさ。
 初戦のフランス戦は、地上波で生中継が行われたが、他の試合の生中継はすべてJ Sportsのみ。一般のスポーツニュースでの取扱いも寂しいものだった。不思議だ。
 現状日本のボールゲームで、アジア最強と言える競技は、男女のサッカー、野球、ソフトボールを除くと、私が知る限りラグビーくらい(抜けがあったら指摘ください)。日本ラグビーは、かなり強いのだ。また、ラグビーワールドカップと言う大会そのものも、世界陸上あたりと同等の規模感で行われている大会。コンテンツとしての「素材の潜在性」は抜群のものがある。うまく宣伝すれば、相当な注目を集める事も可能だったのではないか。
 そして、上記したように、日本の試合は、実におもしろかった。あのフランス戦の4点差に迫った後の猛攻、トンガ戦終盤の必死の攻勢、カナダ戦前半の颯爽とした戦いぶり、同点後の仕掛けなど。あれを、結果を知らずに観れば、どんなへそ曲がりも「ラグビーおもしろい、日本もやるじゃない」と思ったはずだ。結果的に思うような成績が残せなかったとしても、あれだけのプレイを見せてくれれば、まともな人は皆感動する。結果だけで非難するのは、馬鹿マスコミとちゃんと観ていない輩だけだ(もちろん、ラグビーをじっくりと愛している方々からすれば、「結果」を出すべき大会なのだろうから、心底悔しいのはよく理解できる。そう言う方々は視点も浸り方も異なるのだから、当然評価点も異なってくるし、「結果」を残せなかったチームに厳しい評価を下すのは、当然の事だ)。
 そう考えると、今大会の日本の奮闘(今後、世界列強の虚々実々がはじまるのだが)の報道が非常に少なかったのが残念。マスコミ側から見ると、潜在性の非常に高いコンテンツを無駄にした損失は非常に大きいのではないか。一方、ラグビー界も、もっとうまく訴求していれば、絶対ラグビーの人気、それも浮ついた人気でなく、本質的な人気を高められたと思うのだが。

 そして、この「後ろにつないでいく」フットボールの兄弟が強い事、多くの国民がこのフットボールについて語る文化を持つ事は、将来我々がワールドカップを制覇するためにも、とても役に立つのではないかとも思うのだが。
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2011年09月10日

ラグビーワールドカップ、初戦フランス戦

 ラグビーワールドカップが開幕した。そして、日本は初戦で強豪フランスと対戦。

 たぶんまだ書いていなかったと思うが、以前本ブログに時々登場していた我が坊主は、昨年から高校生。ところがこの息子、高校進学と同時に小学校1年生からやっていたサッカーをやめ、何とラグビー部に加入した。かくして、この親バカは時折ラグビーを観戦する羽目に陥っているのだが、そのあたりは機会を見て講釈を垂れたいと思っている。
 で、坊主は昨日から始まった、ラグビーワールドカップの観戦準備に余念がない。かくして、父親もつられて、ラグビーマガジンなどひもとき、あれこれ研究する事にあいなっている。

 日本は、地元NZ、フランス、トンガ、カナダと同じグループ。2位抜けのレギュレーションゆえ、ラグビー素人の私が見ても、初戦のフランスに勝たないと準々決勝進出が非常に難しい事はわかる。もちろん、フランスに勝つ事そのものも大変に難しいのだが。

 結果、21−47の敗戦。

 しかし、60分あたりには21−25と4点差に追い上げ、その直後も幾度かフランス陣深くに攻め込むなど、大変興奮させられる試合。後半立ち上がりにフランスの2度のトライ機を防いだあたりなど最高だった(ラグビーは、このような微妙な場面はビデオ判定するのを初めて知った)。
 何と残念な敗戦だった。

 テレビ解説をしていた大畑氏が、「いままで世界の列強とはラスト20分まで戦えた。今日はラスト15分まで戦えた。」と述べていた。このラスト15分を素人なりに解釈してみた。
 もちろん、素人目にも戦闘能力差は明らか。典型例は終盤の77分、35点目の5トライ目。フランス陣に攻め込んだ日本のノックオンを拾われ見事なパスワークで崩された。押し込んだ大事なところでノックオンしてしまう技術、フランス独特の各選手のパスの種類の多さ。このような差は、ある意味本質的なところで、育成レベルからの差であり、数年レベルの強化でどうこうできるものではないだろう。しかし、本質的な差は簡単には埋まらないが、小さな差を工夫する事で差を詰めて、より接戦に持ち込む事は可能に思ったのだ。個人的に気がついた事を3点述べたい。

 1つ目。日本のSOアレジは、前半フランス陣の比較的簡単なペナルティキックとコンバージョンを失敗した。言わば日本は5点を自らのミスで失ったのだ。特に10分のペナルティキックはもし決めていれば3−7となっていた。直後日本はフランス陣に攻め込みながら連携ミスからボールを奪われトライを許し0−14になった。この差は本当に大きかった。「その後追い上げた」、「最後突き放された」のような話とは別に、簡単なキックを確実に決めるのは重要だと思うのだが。
 2つ目。上記した5トライ目が典型だが、攻撃から守備への切り替えの早さ。映像で見ていても、フランスはその直後の切り替えが、日本と比較して明らかに早い。これを解決するためには、厳しい試合経験しかないように思う。しかし、上記したラグビーマガジン予習のカーワン氏のコメントによると、「日本はフランスのような強豪とは中々試合をしてもらえず、サモア、イタリアと何とか試合を組めた」との事。難しい問題だ。
 3つ目。67分にペナルティを決められ21−28と突き放された日本は、その後もフランスの猛攻にゴール前5mあtりで強烈なタックルを繰り返し、粘っていた。しかし71分、オープンに展開され、そこに頑健なロックがいて、マークしていた小野沢が体重差に吹き飛ばされてトライを決められた。あの場面、フランスは日本の粘り強い守備を破るために、わざわざあの体格よいロックをオープンに配したのだろう。このような策が、試合前からの周到な準備によるものなのか、とっさの閃きなのかはわからない。しかし、点をとるための創意工夫は、いずれの競技でも重要なはずだ。

 大変残念で、おもしろい試合だった。
 それにしても、これだけの娯楽だ。どうしてマスコミはもっと真剣に採り上げないのだろうか。もっと全国民的な注視があれば、それだけで日本の強化にもつながるし、キャッシュとなるスポーツコンテンツの創生にもなり、一挙両得だと思うのだが。
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2011年05月31日

オーストラリアンフットボールを観て

 明日は日本代表の試合なのだが、情けないことに実は豪州にいる。考えてみれば、明日はペルー戦の前座として、五輪代表の豪州戦が行われるのだから、間抜けな事この上ないな。

 で、ホテルでテレビをつけたら、オーストラリアンフットボールをやっているではないか。最初は何が何だか、さっぱりわからなかったのだが、観ているうちに段々とルールや駆け引きがわかってきた。これが、結構おもしろいのだ。
 ルーズボールの争いなどは、ラグビーを彷彿させる激しさで、すさまじいボディアタックの応酬。また、ボールをパンチする事で長いパスを出すやり方や、長い距離をボールをもって走る際は1回ボールをバウンドさせる(バスケットボールやハンドボールのドリブルを一拍はさむ感じ)など、独特のルールが興味深い。
 しかし、何と言っても一番おもしろいのは、大きな展開をするのにパントキックを使う事だ。どうやら、肉弾戦の目的は、フリーでパントキックができる選手を作るのが目的のようだ。そして、一度フリーの選手ができると、幅広なフィールドを駆使してサイドチェンジを含むパントキックの連続で攻撃を組み立てる。各選手の射程距離や精度はかなりのもので、長いボールが悠然とつながって、広大なフィールドを上下左右するのは、中々の見ものである。
 そういう意味では、ラグビーやアメリカンフットボールと比較すると、「ボールを蹴る」と言う技術が非常に重要な競技で、これらよりも「フット」ボールとしては、サッカーに近い技術が必要とされるように思える。

 唯一残念なのは、長いパントキックがゴール前に通ると、厳しいチェック抜きでフリーでパントキックで得点を狙うルールなので、一番肝心なゴール前の攻防が少ない事くらいか。
 そのせいもあって、とにかくよく点が入る。4本棒が立っていて、真ん中の2本の間にキックが通ると6点、外側の棒の間だと1点らしいのだが、20分4クォータ制で、100点入るのはざらに思える。そういう意味では、サッカー的に「点が入らない」おもしろさは感じられないが、まあ仕方がないのだろう。
 また、どうやらオフサイドの概念がない模様で、それも最終ラインの攻防を単調なものにしているように思える。
 サッカー狂からすれば、「もう少し点を入りづらくすれば、もっともっとおもしろいのになあ」とは思うけれど、まあ余計なお世話と言う奴だろう。
 それでも、状況によっては、敵に妨害されながらボールを抱えながら全力疾走し、その状態から鋭角のキックで直接得点を狙う技術などは、挙動開始こそ全く異なるが、サッカーに近い感覚があり、興奮させられる。

 まあ、こうやって人生の手段と目的を取り違える間抜けな日々の中にも、喜びはあると言うことで。
posted by 武藤文雄 at 23:20| Comment(1) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

多くのサッカー狂に訴えます

 正直、かつてない程、落ち込んでいました。見知った地域が絶望的な災害に襲われた事、幾人かの知人、友人、その家族が直接的災禍に見舞われた事。先日述べたように、仙台の家族が無事である幸運を噛み締めながらも、何とも言えない週末を過ごしました。

 でも、嘆いても何もはじまりません。私は切り換えます。

 短期的な被害、救済策は、自衛隊、警察、消防、海上保安庁、関係各部門がきっと講じてくれます。きっと彼らは、1人でも多くの人を救ってくれます。我々にはできない事を、彼らは可能な限りやってくれるはずです。

 皆で知恵を絞りましょう。明日から、関東地方は思うように電気が来ないようです。でも、経済活動の停滞こそ、最悪の状況につながってしまいます。みんなで明日から、電気を節約する事を除いて、できる限り通常の経済活動を維持しましょう。難しい状況の中で、自分の仕事を従来以上の生産性で実現する事、プライベートの生活を通常通り行う事、極端な言い方をすれば、外食や宴会を通常通り行う事もそれに含まれるかもしれません。サッカーをする事、見る事を継続する事も重要でしょう。
 無事な地域に住んでいる私達が、通常の、いや通常以上の経済活動を行う事が、被災地で苦しんでいる人を救う事になるのです。

 被災され救援を待つ方、いまだライフラインが回復せず苦しい思いをされている方、近しい人の無事が確認できないでいる方には言葉もありません。多くの方の無事を祈っています。また、とにかくご自分の健康を維持する事に注意していただければと思います。
 電気の件は、正直言ってあまりに急過ぎるとは思います。直接大きな被害を受ける方も相当いらっしゃると思います。ご自分の生活を守るのが手一杯の方も多いと思います。お身体を大事にして、現状を乗り切って下さい。

 でも、幸運に恵まれた私は違います。前向きに生きる機会をいただきました。私は自分のできる事をやります。

 仙台出身のサッカー狂である私からお願いします。
 サッカーなんて、この災禍に比べればほんのほんのとるに足らない事です。改めて痛感されました。
 でも、サッカーはサッカーなのです。サッカーは常に周囲を見て、適切な判断を瞬時に行う競技です。そして、常に理不尽な事態がおきる中、創意工夫で窮地を脱する所に妙味があります。被災者の方には、サッカーのような卑近な喩えは、大変申し訳なく思います。でも、「俺はサッカーを愛している」と自負を持っている人達は、率先して周囲を励まし、この難しい事態を工夫して乗り越える努力を、少しづつやりませんか。
 苦境を乗り越える姿の最高の実例を、1月に長谷部や遠藤たちが見せてくれたではないですか。今、無事と言う幸運に恵まれた私達だけは、長谷部や遠藤に学ぶべきはないでしょうか。

 繰り返します。それが、苦しんでいる被災者の方々を、少しでも救う手段のはずです。あれだけの被害です。必要なのは、経済の維持、いや発展です。お願いします。各自がやれる努力に邁進し、私の故郷を救って下さい。

 最後に被災者を救っている専門家の皆様、お身体に気をつけてベストを尽くして下さい。私は私で、できる事をやります。
posted by 武藤文雄 at 00:15| Comment(12) | TrackBack(2) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月12日

地震

 今回の地震に関して、私の家族を案じたコメント、メールを多数いただき、ありがとうございました。Twitterで述べたように、仙台在住の私の家族の無事は確認できました。
 私自身は、電車が完全にストップしていた事もあり、昨晩は会社に泊まり、今日帰宅したものです。
 やれやれではあるのですが、被害状況を映像で見るともう言葉もありません。
 荒浜周辺、名取川、仙台空港など自分が育った街、相馬、志津川、気仙沼、大船渡、陸前田など訪ねた事のある街が、あそこまで自然災害に蹂躙されてしまった事に言い様のない衝撃を受けています。知人、友人の無事を知る術も無く、寒さに悩んでいるだろう両親の助け1つできない自分の無力さがもどかしい。
 今は、節電をするなど自分ができるほんの小さな事を行い、被害が最小にとどまる事を祈るばかりです。
posted by 武藤文雄 at 20:31| Comment(5) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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