2020年02月18日

野村克也氏逝去

 野村克也氏が逝去したと言う。ご冥福をお祈りいたします。
 プレイヤとしての実績は数限りない。また、監督としての成果も格段だ。もちろん、気の利いた毒舌の解説者として、我々を楽しませてくれたのも間違いない。また、氏の指導薫陶を直接受けた相当数の選手が、プロ野球の監督を務めている。選手としても、指導者としても、TVでの情報発信と言う意味でも、超一流、いや超々一流の野球人だったのは言うまでもない。
 ただ、私にとっては、野球と言うスポーツについて、我々にわかりやすく言語化してくれたライターとしての印象があまりに強い。81年から数年間、週刊朝日に連載された「野村克也の目」は、日本スポーツ界を大きく変えた著述だと思っている。そして、不肖講釈師が一つの目標として考え続けていたのが、野村氏の文章だった。「ただの、酔っ払いサポータが、何をおこがましいことを語っているのだ」とお叱りを受けるのはわかっているが。
 野村さん、ありがとうございました。

 私が氏を尊敬するのは、野球と言うスポーツを表現する言語化能力の高さと、信じ難い将来予見能力だ。言語化能力については、紹介するまでもないだろう。将来予見能力については、清原和博と言う選手の将来を予測した、以下の一連の文章を読んでいただきたい。清原は、PL学園を卒業し、1986年シーズン、西武ライオンズに加入した。その86年に、清原が鍛錬しているキャンプの視察後と、新人ながら20本以上のホームランを打ち大騒ぎになった頃。それぞれにおける、野村氏の清原評の抜粋である。
 まずキャンプ時の86年4月、開幕直前。
「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の18歳のときなどは、クズみたいなものだったな」(中略)西武キャンプで、私は清原にこういったが、ほんとうにそう思ったからで、お世辞でもなんでもない。
(中略)気にかかかることをもうひとつ。彼の器用さである。守備はそつがないし、バッティングも器用だ。(中略)器用さに流れてしまうことは弱点に通じるといっていい。(中略)思いつくのは、素質と才能のちがい、ということになる。はたの目に見えるのが素質。才能はかくされていて見えない。辞書に、才能とは「訓練によって発揮される能力」とあるが、まさにそのとおりだろう(中略)「清原は一流打者になれるか?」と、よく聞かれる。堪えは「?」である。聞きたいのは人情だろうが、答えることができたらおかしい。才能は見えないからだ。
それから、約5ヶ月後の9月。上記の通り、清原がボカスカとホームランを量産していたころ。
(前略)清原の成績を支えているのは「修正」の能力だ。シーズン前半は手も足も出なかった内閣の厳しい球を、脇をしめたおっつけでこなし、最近はいい当たりのファウルにする。まだフェアにする力は乏しいが、投手をおどかすには十分だ。ホームランを打てる甘い外角を投げてもらえるのは、このためだ。
(中略)だが、私のほんとうの気分は、ここまでみてきた彼の”進歩”がおもしろくない。長い目でみれば、逆にわざわいになる不安すら感じる。かって強打者と呼ばれた選手たちはデビュー時、いずれも内閣に強く、下半身がうまく使え、腕の操作がたくみだった。必然的に「引っぱる」選手だった。清原は流すことで成績をあげている。(中略)流し打ちはしょせん労力が少なくてすむ打法である。
(中略)報道陣やテレビカメラを意識している最近の姿も気になる。プロ1年生なのに門限破りをする(この点はかつての強打者と共通する)ようなクソ度胸のかげに、自己本位の計算高さがチラチラしているような気もする。
 繰り返すが、これは清原の新人時代(結局31本のホームランを打ち、多くの新人記録を塗り替えたシーズン中の文章である。あれから、34年の歳月が経った今、我々は「その後」を知っている。清原は、525本の本塁打を打ち、まぎれもなく日本野球史を彩る存在ではあったが、本塁打王も首位打者も打点王も一度もとることはできなず、時代を代表する野球選手にはなれなかった。野村氏は、それをデビュー当初、マスコミが大騒ぎしている際に、冷静に予測していたのだ。

 ここらへんからは、サッカー狂の戯言です。
 野球界のVIPと言えば、長嶋茂雄と王貞治にとどめをさすと思う。ただ、このONについては、我々サッカー界は、カズと澤穂希と言った、それなりに近づきつつある人材を輩出できているように思う。50過ぎてもプロフェッショナルである現人神と、本人自身も代表チームも世界一を獲得したスーパーヒロイン。
 けれども、野村氏に匹敵するような、いや、たとえられるような人材は、サッカー界では中々思いつかない。

 日本サッカー界の名将と言えば、岡田武史氏、西野朗氏、小林伸二氏、佐々木則夫氏らが挙げられる。みな現役時代に相応の実績を残しているが、野球における三冠王のような実績ではない。 
 故岡野俊一郎氏を筆頭に加茂周氏、最近では戸田和幸のように、テレビ解説を軸にサッカーの言語化にすぐれた解説者はいることはいるが、現役時代の野村氏のような格段の実績を持った方は思い浮かばない。
 サッカー文壇では、そもそもトッププレイヤだった人は、とても少ない。
 いや、セルジオ越後氏はすごい選手だったし、在野でサッカーの拡大への貢献は最高だし、解説は野村氏ばりの毒舌で聞いていておもしろい。しかし、氏は眼前で行われているサッカーの言語化は、致命的なほどつたない。と言うか、ちゃんと試合を見てないw(ちゃんと試合を見てないサッカー解説者やサッカーライターは枚挙にいとまないし、そこがサッカーの楽しさだと思うけれど)。あ、誤解しないで欲しいけど、私はセルジオ越後氏は大好きだし尊敬してますよ。
 もちろん松木安太郎氏の、眼前の試合の言語化能力は格段なことは言うまでもない。選手としても、野村氏ほどの実績はないが、天分の素質を知性と工夫と謀略で最高に伸ばしたことは間違いない。あと、まあ一応Jリーグ初代チャンピオン監督だ。しかし、しかしだが、野村氏の言語化能力と、松木氏のそれは、軸が異なる。どちらも絶対値は大きいが、実数と虚数とでも呼べばよいか(もちろん松木さんが虚数ねw)。
 小見幸隆氏は、選手としての実績が格段だし、本来のポジションでないプレイを望まれたことで代表チームを辞退したと言う「月見草感」がある。さらに気の利いた毒舌含めたサッカー論評は絶妙。レイソルでのフロント実績も中々だ。しかし、監督としての実績に決定的に欠ける。ともあれ、あれだけおもしろい文章を書くことができるのだから、もっとサッカー文壇に登場して欲しいのだが。
 反町康治氏は、すばらしい選手だったし、監督として比較的戦闘能力に乏しいチームをそれなりに勝たせると言う実績が複数回。解説での言語能力も高く、「サッカー界の野村克也」に1番近い存在かもしれない。ただ、選手としては、あれだけ周りが見えて、技巧も優れていたのだから、代表の中核まで行って欲しかった。もっともっと、すばらしい実績を挙げられたのではないか、と思えてならないのだ。まあ時の代表監督もひどかったのだけれと。今から選手生活をやり直していただく訳にはいかないがw、反町氏がもう少し戦闘能力高いチーム率いるのは見てみたい。例えば、氏の監督生活で唯一の汚点とも言えるチームが、現在監督の監督の不首尾で苦労している。反町氏に12年前の復讐戦の機会を提供できればステキなのだけど。まあ、叶わぬ望みかな。

 上記のようなことをTwitterで述べたところ、海外の偉大なサッカー人と喩えてくださった方が何人かいた。
 マリオ・ザガロ、ヨハン・クライフ、ジョゼップ・グアルディオラと言った大巨人達は、選手としても監督としても、圧倒的な成果を誇る。けれども、監督として、彼らが率いたのは、最高の選手が集まり、世界最先端の戦術を採用することが許されるチームだった。そして、彼らは、その対価として圧倒的なサッカーでタイトルをしっかり獲得することを要求され、それを実現した。ただし、この3人が特別偉大なのは、その実現を格段の「美」を伴い実現したことだ。
 しかし、野村氏の監督としての偉大さはまったく異なる。氏が率いたのは、必ずしも経済的に潤沢とは言えない、あるいは過去からの積み上げがうまく機能してない、比較的戦闘能力が乏しいチームだった。そして、そのようなチームを強化するのが、野村氏の妙味だった。まあ、そう考えてみると、氏が強いチームを率いるのを見てみたかった思いも出てくるのだが。野村氏率いる野球の日本代表とか。

 そう言う意味で野村氏への類似性を感じさせるのが、イビチャ・オシム氏だ、と言う指摘はもっともだとは思う。でも、私はこの2人には決定的な相違があると思うのだ。
 確かに。オシム氏はジェフの指揮をとり、ナビスコ(現ルヴァンカップ)を制し、再三J1の優勝争いに参画した。少々表現は微妙になるが、当時のジェフの戦闘能力は格段に高いものではなかったし。また、オシム氏の執拗なサッカー好きと言うか、サッカーオタクと言うか、とにかくサッカーさえあればそれでよし、と言う姿勢。それは、野村氏の野球に対するそれと類似性もある。
 また、奥様に頭が上がらないこと。同じ業界で働くご子息に対し、少々いやかなり脇が甘い態度が見え隠れするところも、似ている。うん、似ている。
 では、私が前述した、この2人の決定的な違いとは何か。それは指導のやり方、考え方だ。
 野村氏は、弱者の方法を執拗に具体的に語り、それを指導で実践した。執拗なボトムアップの継続で、各選手に判断力をつけさせようとするやり方。局面ごとに判断を誤った選手への評価は極めて辛辣だった(人はそれをボヤキと呼んだが)。一つ一つのプレイの目的を語った上での誤りなので、選手はその反省を活かしやすかったことだろう。
 一方、オシム氏は、目指す姿を抽象的にあるいは概念的に語り続けた。ジェフの選手たちも、代表の選手たちも、その目指す姿が中々理解できず、戸惑いの日々もあったと聞く。もっとも、代表においては、氏が監督に就任した時点で、ジェフでの水際立った指導は各選手に浸透していた。なので、「とにかく、このオッサンの言うことは聞くしかない」的な雰囲気があったとも聞くが。しかし、氏の厳しい鍛錬と要求を受け入れ、継続しているうちに、多くの選手のプレイ選択の質が次第次第に高くなる。そして、気が付いてみれば、チーム全体で鋭いサッカーを演じられるようになっていった。結果が出て、かつプレイ中の判断力が高まったことを自覚することで、各選手は氏の指導の的確さを理解し、一層氏の指導が効果的になる。正にポジティブフィードバックを生む包括的なトップダウンとでも言おうか。
 オシム氏の日本代表への挑戦は、氏が病魔におそわれ、中途で終わってしまった。もちろん、ジェフにおいても、強奪事件が起こったので最終形を見ることはできなかった。
 オシム氏最後の采配は、この試合だった。大久保嘉人と言う偉才が、初めて日本代表で輝いた試合だった。すばらしい試合だったが、そこから氏がチームをどのように発展させ、何を目指していたのかは、永遠に氏の頭の中にしかない。そして、氏は退任後もそれを語ってはくれない。それが氏の美意識によるものなのかどうかはわからない。果たして、氏のトップダウン指導の対象の究極であるこの男には、オシム氏の最終到達点見えていたのだろうか。
 ともあれ。野村氏とオシム氏のスタイルの違いを解題するのは、とても楽しいことだ。2人の性格や考え方の違いによるものだったのか。それとも、停止とリセットを繰り返す野球と、常に流動的なサッカー、スポーツの性格の違いだったのか。あるいは、12球団の争いと言うドメスティックな戦いと、地球上のほとんどの国同士で行われる広範な戦い、と言った違いによるものだったのか。
 いま思えば、いずれかの媒体がこの2人の対談を企画すればおもしろかったような気がするが、実際に行ったとしても、あまり噛み合った議論になったとも思えないな。なにせ2人とも、あまりに自分の競技が好きすぎてしまっていたのだから。

 私が野球に興味を持った60年代後半、故郷の仙台で見ることのできる野球中継はジャイアンツがらみのみ。パシフィックリーグとは謎のリーグだった。そのパリーグの最強チームは南海ホークス、そこにはONと並び称される恐ろしい打者がいる。その幻のような噂が、私の最初の野村体験だった。
 その後、ホークスでの選手兼監督としての鮮やかな活躍。公私混同問題での解任。生涯一保守宣言でのプレイ、そして引退。この頃には、いずれの試合も毎日のように「プロ野球ニュース」で紹介されており、老獪な名手を楽しむことはできた。
 引退翌年から「野村克也の目」の連載が開始。上記の通り、私は「スポーツの言語化がここまでおもしろいとは」と、正直感動いたしました。
 改めて感謝いたします。
 野村さん、ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 22:58| Comment(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

ラグビー南アフリカ戦前夜2019年

 オールブラックスとイングランドの強さを目の当たりにした準々決勝初日。いよいよ、スプリングボックス戦が近づいてきた。あまり書いたことがなかったが、結構本業では、南アフリカと縁があり、知己も少なくない。たまたまだが、先週同国から親しい同僚が来日しており、「スコットランドに勝ったら、いよいよだね」とお互いに盛り上がった後に、「4年前のようにはいきませんよ」、「いやいや、アイルランド戦見たらわかるけど、我々の戦闘能力は4年前をはるかに超えているよ」、「ええ、本当にアイルランド戦すこかったですよね」などと、盛り上がったものだ。
 確かに、4年前とはまったく違う。明日のスプリングボックスは、何ら油断することなく、ホームグラウンドで圧倒的な我々の声援を受けるチェリーブロッサムズと戦う準備をしている。さらに先方は、10/8にカナダに完勝した後、中11日をかけて調整してきている。
 一方、ジャパンは先週のスコットランド戦の死闘から、中6日。具智元をはじめとした負傷者、疲労の色が顕著だったリーチマイケルらが、どこまで回復してくれているか。ただ、私は必ずしも、この試合間隔は、そう不利にはたらかないとも思っている。いわゆるティア1国とのテストマッチの機会が少ないジャパンにとって、この本大会のアイルランド戦、スコットランド戦の経験は、そのままチームの強化につながったと思っているから。コンディションコーチが適格な負荷を、ドクターが適切な医療を提供してくれれば、タフな試合感覚を維持して、この難敵と戦えると思うのだ。

 幾度か語っているが、私の息子は高校に入った折に、サッカーからラグビーに転向した。そして、つい最近まで現役ラガーだったこともあり、いわゆる選手枠で今大会のチケットをしっかりと押さえてくれた(カネは私が払ったw)。4年前に南アフリカに勝った時の坊主のふるまいも中々だったが、今大会の狂乱ぶりは、親バカとしては実に嬉しい。また、アイルランド戦、サモア戦を共に観戦し、応援をリードする楽しさを、それなりに指南できたw。そして、ジャパンの残り3試合も、坊主と応援できるのは大いなる楽しみだ。

 と、強気で語ってはいるが、スプリングボックスは強い。正直、当方が勝つ確率は40%くらいだろうか。
 続く準決勝、ウェールズが来る確率は80%、これに勝つのが50%。フランスが来たら70%は勝てるのではないか。
そして、エディーのオッサンが何か仕掛けてくるから、アイルランドに完勝したオールブラックスもそう簡単に勝てないだろう。オールブラックスが来る確率が60%で、こちらに勝つ確率は10%、くらいかな。一方でイングランドだったら、20%くらい。以上より、日本の優勝確率を計算すると
0.4×(0.8×0.5+0.2×0.7)×(0.6×0.1+0.4×0.2)=約0.03、つまり約3%と言う予測となった。
 で、いま25歳の坊主に説教しているわけですよ。坊主があと60年くらい生きるとしたら、あと15回ラグビーワールドカップを体験できる。果たして、ジャパンがあと3試合残して、世界一になる確率が3%あるなんてことが、もう1度あり得るだろうか。そう考えると、坊主の人生で最大のチャンスが眼前にあるのではないか、そして、この3%と言う驚異的な高確率を少しでも高めるために、我々は全知全霊を傾けて応援しなければならない、と。

 と言うことで、明日は親子仲よく、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」。いや、明日だけじゃない、あと3つ。
posted by 武藤文雄 at 01:26| Comment(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月29日

アイルランド戦の歓喜とニッポン!チャ!チャ!チャ!

 ラグビーワールドカップ、日本代表はアイルランドとの死闘を制して、19対12で見事に勝ち切った。試合内容もすばらしいものだった。
 4年前の南アフリカ戦の歓喜は、10回に1回起こせるかどうかの勝利を引き寄せた番狂わせ感があった。しかし、今回の勝利は違う。強いチーム同士が、がっぷり四つで戦い、瞬間瞬間の判断に上回った方のチームが、戦闘能力で勝利した試合だった。ジャパンは戦闘能力でも、先日まで世界ランク1位だったアイルランドと遜色なかったのだ。
 私としてはこの大会観戦2試合目。最初はオールブラックス対スプリングボックス戦。少なくとも、観戦した4か国の戦闘能力には、あまり差がないように思えたのだが。
 もちろん、ジェイミー・ジョセフ氏も、リーチマイケルとその仲間たちも、勝負はこれからなのは、わかっている。スコットランド戦はもちろん、サモア戦も、簡単な試合ではないだろう。でも、彼らはきっとやってくれることだろう。

 簡単に試合を振り返っておこう。
 20分までに2トライを奪われ、3-12、相当難しい試合になってしまう雰囲気があった。しかし、30分過ぎだったか、自陣での相手ボールスクラムでペナルティを奪い、流れは完全に変わった。敵陣でのプレイが増え、田村がペナルティキックを2本決めて3点差で前半終了。
 後半も攻勢をとる。幾度も幾度も攻め込むが、アイルランドの守備も固く、どうしても最後の5mが破れない。それでも、手変え品変え攻め込む。決勝トライは敵陣深いところで得たマイボールスクラムから、よい球出し、幾度も押し込んで、最後は両センタの妙技から、福岡が抜け出した。これは、どんなチームでも防げないだろうと思える、何とも見事な変化だった。
 その後、幾度から自陣に攻め込まれるが、強烈なタックルで22mライン近傍で幾度求める。アイルランドもさすがで、ジャパンの激しいタックルを食らっても、とにかくボールを落とさない。そのような攻防が続いたが、後半ジャパン守備陣は崩れず、とうとう押し切った。

 ともあれ、この試合、唯一残念だったのは、80分過ぎ、負けているアイルランドがキックで試合を切り、試合終了を選択した事。絶叫で応援していた我々は「アレ?」と、すぐに歓喜を味わえなかった。これは試合終了後に当のキックをしたカーベリが、7点差以内の勝ち点1の確実な確保を目指した、と発言しているらしい。やはり、ここはジャパンがマイボールを外に蹴りだして、明確な歓喜を味わいたかったところだが、贅沢は禁物だろう。まあ、アイルランドも、これ以上執拗に当たってくるジャパンと戦いたくなかったのかもしれないけれどw。

 それにしても、会場のエコパの雰囲気はすばらしかった。特に逆転以降、アイルランドが力を振り絞って攻め込んで来て、ジャパンが必死に我慢を重ねた時間帯。地鳴りのように巻き起こった「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、間違いなくジャパンの選手たちを奮い立たせたはずだ。そして、選手たちの奮戦がフィードバックとなり、我々をさらに奮い立たせる。22年前のジョホールバル、17年前の横浜国際を思い出した。コールリーダを軸に、試合の流れと変化を考えながら、ありとあらゆる歌とコールとチャントを駆使するユアテックもいいが、このようなシンプルな声援も悪くない。
 ほんの少しだけど、自分も勝利に貢献できたかなと思っている。一緒に絶叫していた息子曰く、ロシア戦のスタジアムの声援と拍手はすばらしかったが、いわゆるコールは今一歩だったとのこと。なので、前半から、節目節目で「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」を始め、回りを巻き込んで行くようにした。そして、前半半ばあたりから、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は前後左右広範なブロックに広がり、試合終盤には大きな声援のうねりとなった。上記したリードした後、アイルランドに攻め込まれた時間帯は、立ち上がってスタンド後方まで煽ったりもした。何か、30数年前、サッカーの代表を応援するために、周囲を巻き込んだ時代を思い起こして懐かしかった。眼前に行われている競技の質も、周囲の観客の量も、当時とは全く違っていたけれど。

 「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、日本サッカー狂会創始者の故池原謙一郎先生が、発明されたのは、よく知られたことだと思う。
 池原先生からは、直接幾多の薫陶を受けることができた。中でも、忘れられないのは、87年ソウル五輪予選時の議論。当時、中国戦のアウェイゲームを応援に行ったのは、我々好事家数十人程度だった。一方、クウェートで行われた男子バレーの予選は100名を超えるファンが現地で応援したと言う。サッカーは出場できず、男子バレーは出場できたのは結果論だが、その年の忘年会で、あれこれそれについて議論していた時のこと。私が「我々はバレーに負けている」と語った。すると、いつもは我々の議論をニコニコとおだやかに聞いている先生にたしなめられた。「そもそも、勝ち負けは韓国なり西ドイツやブラジルと争うものですよね。また、競技の人気度の比較をするにしても、海外の試合を応戦に行った人数で語るのはいかがなものですか。本質的には、競技人口なり、合理的な組織が作られているかで、語られるべきではありませんか」と。

 私も歳をとった。当時、そのような教えをくださった先生と、ほとんど同じ年齢となっている。
 そして、このアイルランド戦。天国の池原先生に、ちょっと嬉しい報告ができると思っている。先生が発明された「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、ラグビーと言う異なるフットボールに広がり、世界最強国を戦闘能力で粉砕することに成功しました、と。
posted by 武藤文雄 at 23:59| Comment(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

サッカー狂が堪能した史上最高の番狂わせ

 「史上最高の番狂わせ」
 この「史上最高」は、必ずしも「ラグビーワールドカップ史上」にとどまらず、「世界スポーツ史上」なのではないかと思えてならないのだが、それは結びに。

 日本ラグビーの関係者すべてに「おめでとうございます」、考え得る最大級の祝意を伝えたい。そして、日本人の野次馬として、その歓喜をお相伴させていただけた事に感謝したい、「ありがとうございました。」 さらには、サッカー狂としては正直羨望している。うん、うらやましい。
 
 幾度か拙ブログに書いてきたが、私の大学生の坊主は現役ラガー。5年半前に高校に進学した際に、それまで9年間続けてきたサッカーからラグビーに転向した。以降、ラガー坊主の試合観戦は、サッカーに浸るのとは別の愉しみとなっている。加えて、坊主の解説を聞きながら、トップレベルのラグビーをテレビ桟敷で堪能させていただいてる。
 もっとも、私のラグビーに対する造詣は限られたもの。学生時代、テレビ桟敷で新日鉄釜石の洞口、千田、松尾、谷藤と言った名手の創造性豊かなプレイに感心。87年の第1回W杯で、フランスのシャンパンラグビーを率いたFBのブランコに感嘆(奔放さがプラティニを軸とする80年代のサッカーフランス代表を思い起こさせた)、この大会のフィジーのパスワークも凄かったな。95年の決勝の南アフリカとNZのドロップゴール以外全く点が入りそうもない試合に、「ああ、ラグビーもサッカー同様、点が入らないからおもしろいのだ」と強引な解釈。以降は、毎冬の日本のトップレベルの試合や、4年おきのワールドカップを、テレビ桟敷で適宜愉しむ程度だった。
 そして、上記の通り、坊主と言う師匠を得て、観戦頻度が高まってきたのが、ここ数年。2011年の決勝の1点差の緊迫感を、坊主の解説で堪能したのは記憶に新しい。

 そのようなサッカー狂から、この「史上最高の番狂わせ」を語ってみたい。ピントがずれいている事も多いかもしれない。それで、不愉快に思うラグビーファンの方々がいたら、ごめんなさい。

 まず守備がすばらしかった。南アフリカは、体格のよい選手が多く、それを前面に出して戦ってきた。それに対して、ジャパンは低いタックルで対抗、敵のスピードが鈍ったところで2人目がつぶしに行く。愚直にこれを繰り返し、ゴールライン前で南アフリカの攻撃をつぶし続けた。
 許したトライは、ラインアウトからのモールから2本、大型FWを第一波で止め切れなかったのが2本。いずれも、体重差を活かされ「ちょっとどうしようもない」と言う印象。
 単純なモールでの争いに持ち込まれると、体重差が如実に出てしまうのは言うまでもない。そして、後者2発は、100kgをはるかに超える超大柄な選手が機敏なフットワークを見せ、止められなかったもの。そして、「どうして、あの巨体があれだけ機敏に横にも動けるのだ!」と感嘆させられた。
 言わば、この4トライは、南アフリカとジャパンの、現時点の(あくまでも現時点の)資源力の差なのだろう。 しかし、リーチマイケルと仲間たちは、その資源力の差にじっと耐え、4トライに押さえたのだ。

 ジャパンのミスの少なさも信じ難い。素人の私が把握できた大きなミスは以下の3つに止まった。なお、ここで言う「大きなミス」とは、その選手の能力を考慮すれば当然できるべきプレイをやり損ねた、あるいは明らかな判断の誤りがあった、ケースを指している。
 1つ目は、前者のやり損ね。大黒柱の五郎丸が2本目のペナルティを外した事。これは、ちょっと衝撃だった。普段の五郎丸ならば、楽々決める位置だったからだ。やはり、想像を絶するプレッシャがかかっていたのだろう。しかし、五郎丸はプロフェッショナル中のプロフェッショナルだった。3本目以降、次々と難しい位置からのキックを淡々と決め続けた。勝利が確定した後のキックを外す人間くささを含め、完璧な出来だった。
 2つ目と3つ目は、後者の明らかな判断ミス。まず、前半の逆転トライ直後に、主将のリーチマイケルが味方ノックオンのボールを思わずさばいてしまい、オフサイドを取られてしまった事。そして、3つ目は、70分過ぎに、交代出場以降に格段の突破を再三見せていたアマナキが、ラックで明らかに自分より前のボールをさばきオフサイドを演じてしまった事。
 しかしだ。ラグビーはこのようなミスが連発するゲームなのだ。たとえ、弱小国を相手にした強国だろうが、大学生を相手にしているトップリーグの代表選手だろうが、素人から見ても、再三信じ難いミスをする。特にアマナキが演じたようなオフサイドは、結構日常茶飯事だ。これは、ラグビーが激しい肉体接触を伴う、格闘性の高い競技の故だと思っている。ラックやタックルにおける、純粋に身体のぶつけ合いの連続は、時にどんな大選手からも「冷静な判断」の機会を奪ってしまうのだ。少なくとも、このようなタフな試合で、素人の私が認識できる明らかな判断ミスが、たったの2件だったのは、すべてのジャパン選手が冷静に戦っていたのかの証左と言うべきだろう。
 一方、南アフリカは自陣で再三、明らかな判断ミスから、ジャパンに再三ペナルティキックの機会を提供してくれた。特に多かったのが、ノット・ロール・アウェイ、ジャパンがラックでボールをキープして、そのボールを受けようとして接近する選手とボールの間に寝そべり続ける反則だ。おかげで、五郎丸が次々とペナルティキックで加点できた。

 そして、ジャパンのトライ。
 まず前半のトライ。敵ペナルティを利して、敵陣深くでのラインアウト。そこからモールに持ち込んでのトライ。このモールには、立川から松島からバックの選手が次々に加わり、体重差を人数差で凌駕する事に成功した。見事な作戦勝ちと言えるだろう。日本の高校ラグビーでは、「スクラムは1.5mしか押していけない」と言うルールがあるため、モールを強化する傾向があると言うが、それがこの大舞台で見られたのだから愉快だった。
 2本目のトライ。正にパスワークの妙味。松島のパスを受けた五郎丸の外に、もう1人選手がいた事でわかる通り、完全に南アフリカを崩し切った美しいトライだった。ここの仕掛けは前半から、再三鋭い前進を見せいてた立川が、この場面は「縦に出るぞ」とのフェイントから、パスを回した事による。正に、ここまでの68分間の伏線が活きたトライだったのだ。いや、本当に見事なトライでした。

 29対32のまま、時計は回り、ノーサイドが近づいてきた。ジャパンは、冷静にボールをつなぎ、南アフリカゴールライン近傍まで攻め込む。そして、79分、モールでの逆転トライ狙いに対し、南アフリカは明らかに自らモールを崩す。素人目には、認定トライが妥当に思えたが、主審はそう判断しなかった。これは主審にも同情する。「史上最高の番狂わせ」を、自らの判断による認定系の得点とするのは、耐えられなかったのだろう。
 それでもジャパンは、丁寧にボールを保持し、回して、とうとう崩し切った。この最後の時間帯、おそらく5分を超える間、15人すべてがミスをせずに、格段の意思疎通で戦い切ったのが、また素晴らしかった。
 試合終了後、勝因を聞かれたリーチマイケルが、迷わず一言「フィットネス」と答えていたが、この日に合わせて鍛えぬき、体調を揃えていたジャパンは、最終盤に体力でも判断力でも技術でも、南アフリカを圧倒していたのだ。そして、選手達もそれを自覚していたのだろう。80分経過後にジャパンに提供されたペナルティで、キックによる同点ではなく、ボールをつないでの逆転狙いを選択した事が、「あくまで勝ちを目指した勇気」として称える向きが多いようだ。しかし、リーチの選択の最大の理由は、(シンビンによる敵の人数不足を含め)ボールを回して逆転トライできる可能性が、異様なプレッシャ下で角度のない所から難しいキックを狙う仕事を五郎丸1人に託すより確率が高い、と言う事だったのではなかろうか。

 そもそも、「ラグビーと言う競技は、番狂わせが起こりづらい」のが常識と言われている。その最大の理由は、戦闘能力の劣るチームが守備を固めて失点を最小限に押さえる事そのものが厄介だからだ。それは、ラグビーがサッカーと異なり、フィールドの幅全体を守らなければならない事、特にフィジカル差が顕著な場合にラインを上げて守る策が採れない事、パスを回して時間を稼ぎ疲労しない手段が採れない事(ラグビーにおける「キープ」は、パス回しではなく、最も身体を張らなければならないラックなのだ)などによる。だから、現実的に、サッカーのように、「守備を固め失点を最小に押さえ、少ない好機を活かす」と言うやり方が使えないのだ。
 実際、この日のジャパンは、上記したように水際立った守備を見せ、沈着冷静にファウルを最小にした。それでも、32点奪われた。そのくらい、ラグビーの守備と言うものは厄介なのだ。それでもジャパンは勝った。粘って、粘って、粘って、失点を32点に止め、しっかりと計画した攻撃で、その失点を超えた得点を奪ったからだ。素晴らしい。

 と、ここまで書いてきて思った。そもそも、この日のジャパンの80分間の試合内容を見ても、体格差で押し込まれる場面は多々あったが、局面局面では負けていなかった。そのくらい、戦闘能力面でも際立った内容を見せてくれていたのだ。
 つまり、エディー・ジョーンズ氏と言う格段の指導者が、リーチマイケルとその仲間達を的確に指導し、選手達も能動的に自らを鍛え抜いた。その結果、過去の実績からは「弱者」としか言いようのないジャパンは、南アフリカに対し互角近くに戦える戦闘能力を具備できたのだ。もはやジャパンは「強者」である。

 リーチマイケル達の冒険は始まったばかりだ。スコットランド、サモア、USA、彼らに対し2勝以上を挙げ、ベスト8に進むのは、不可能ではないが、決して容易ではないミッションだ。きっと、彼らはやり遂げてくれると確信しているが。しかし、目標のベスト8を実現できる、できないは別にして、既に彼らは歴史を作ったのだ。
 それは「史上最大の番狂わせ」に止ままらない。
 エディーさんとリーチ達は、この南アフリカ戦で、「過去の実績は『弱者』でも、鍛錬と創意工夫で『強者』に勝てる」と言う事を、具体的に示した。つまり、ラグビー界の「番狂わせが起こりづらい」と言う常識そのものを、否定する事に成功した。彼らは、そのような意味でも、歴史を作ったと言えるのではないか。
posted by 武藤文雄 at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

新国立競技場について

 昨今話題となっている新国立競技場問題について。

 40年以上サッカーに浸りきっているが、競技場の事はよくわからない。そりゃ、陸上トラックが無い方がよいとか、傾斜のきついスタンドの方が見やすいとか、屋根があれば濡れなくてよいとか、そう言う意見はあるよ。一方で、屋根があまり大きいと芝の育成の妨げになるとか、どのような構造にすれば入退場がしやすいとか、そのあたりはさっぱりわからない。言うまでもなく、シロートゆえ、何百億円なら妥当だとかの値頃感は、もちろんない。それに加え、どのような外観の競技場がよろしいかなどについての意見もないのだ。

 個人的に外観を見て感動したのは唯一サンシーロスタジアム。90年イタリアワールドカップで、ミラノの街で体感したこの競技場は美しかった。あの四隅を構成する美しい螺旋階段。あの螺旋階段のピッチ側がそのままスタンドの入り口となっているために、階段を一周する度にスタンドの声援が聞こえてくる高揚感。「そうか、競技場と言うものは、こんな素敵な建造物足り得るのだ。」と素直に感動した。この街で堪能した「最後の晩餐」と「ドゥモ」と、そしてこの競技場の感動は、人生の宝物の1つだ。もちろん、そこで演じられたドラマ、バルデラマの妙技、ブレーメの知性、ファン・バステンの絶望なども。
 一方で、後日この競技場がその構造物が故に、芝の生育の問題があると聞いた。こうなると、競技場のあるべき姿の検討は、シロートには荷が重い。したがい、競技場のあるべき姿については、あまり考えなくなった。
 そうなると、話は簡単。私にとって最高の競技場は言うまでもなくユアテックであり、忘れ難い3大競技場は、広島ビッグアーチ(初のアジア王者)、ジョホールバルラーキンスタジアム(言うまでないですね)、そしてスタジアム・ミュニシパル・ドゥ・トゥールーズ(最初のワールドカップアルゼンチン戦)、と言う事になる。
 こう言う人間ゆえ、競技場のハードウェアについては何の意見もない。サッカーさえ見る事ができれば、それでよいのだ。

 もっとも。却下された現行プランがダメなのはシロートでも理解できる。
 このプロジェクトはダメだ。当初予算の1300億円を超過しているのも論外だが、要件が確定せず上限金額が確定していないからだ。あれこれの要件が確定し、施工側が安全サイドの見積もりを提示し、それが高過ぎるならば、問題はあるが仕方がない。
 けれども、本件は違う。最終要件が決まらず、現状の見積もり金額が最上限とは確定していないからだ。屋根やらスタンドやら、不確定要素が多すぎる。再三、「2520億円」と言う金額が報道されているが、シロートから見ても、これが上限金額ではない事が明らかだ。このようなプロジェクトは間違いなく破綻する。
 したがって、現行プランが中止となり、「やれやれ」とは思うが、だからと言って「2520億円」が前提となり、「それ以下の金額なら上々」と言う世論には気をつけたいとは思うけれど。

 一方で、私はしがないサッカー狂だ。五輪など、どうでもよいと思っているのが正直なところ。
 「どうせならば、ラグビーワールドカップに合わせ、球技専用競技場ができればシメシメ」と思っていたのも否定しない。だから、今回の「ラグビーワールドカップに間に合わないのはやむなし」には、少々複雑な思いもある。まして、ラグビー好きの方々の気持ちは考えると、何とも言えない。
 もっとも「シメシメ」は、五倫招致成功時点で諦めざるを得なかったのだろう。五輪の競技場なので、開会式や陸上競技をする必要があるから、陸上トラックは必須だからだ。そうなると「シメシメ」を修正して、「東京五輪のドサクサで、立派な新国立競技場が完成し、できれば五輪後に陸上トラックをなくす改装が行われて球技専用競技場が入手できればシメシメ」くらいは考えていたは確かですが。
 それよりは税金を有用に使うべきだと、考える程度の思考力はあるつもり。だから、「シメシメ」が実現しなくても仕方がない。よい五輪用競技場が完成するのを期待したい。 

 だけれども、あの都心の超一等地、それも幾多の思い出がある伝統的なあの場所の競技場。どのような競技場を作るのが一番よいのか、真剣に考えるべきだとは思う。
 サッカー狂の戯言と言われるかもしれないが、定期的に数万人以上の観衆を集める事が可能な競技は、サッカーあるいはラグビーしか考えられない。その場合、陸上トラックがあるだけで競技場の利用率は下がってしまう。だから、競技場として考えるならば、冗談抜きに将来は球技専用競技場への改造を考慮すべきだろう。
 一方で、巷言われるようにコンサート会場として有用ならば、そう決断すべきだろう。それならば五倫での仮利用の後は、そのようなイベント会場と割り切るのも一案だ。全天候用屋根をつけて、芝生の事など何もも考えず、球技競技場への転用は捨ててしまう。
 ウルトラCとして、日本で最も観客動員が期待できる野球場への転用もあり得る選択肢かもしれない。そうなると、神宮をつぶしてコンパクトな球技専用競技場とか言いたくなるが。
 さらに言わせてもらえば、五輪は味の素スタジアムなり、日産スタジアムに任せ、更地になったあの土地は、いったんそのままにすると言う選択肢も…

 よい機会だと思う。皆でどうすればよいのか、真剣に考える機会なのではないかなと。
posted by 武藤文雄 at 00:39| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月04日

日本一と連投

 イーグルスが日本選手権を制し、日本チャンピオンとなった。故郷の野球チームの日本一。心底嬉しい。
 しかし、最後の最後に、イーグルス星野監督が前日160球投げていた田中を起用した事で、歓喜が随分と薄いものになってしまった。
 誤解しないで欲しいが、投手の酷使を気にしているものではない。それはそれで、いかがなものかとは思う。けれども、「目先の勝利」と「各選手の永続性」のバランスは中々難しいのは否定しない。
 そして、星野氏が、田中を酷使する事が「勝つ確率を高めるため」なのだったら、(非難する向きもあるだろうが)彼の仕事は「イーグルスを勝たせる事」なのだから、それはそれで納得できる。けれども、私が乗り切れないのは、「美馬や則本の方が抑える確率が高いのに、星野氏は大向こう受けを狙って田中を使った(ようにしか、私には見えなかった)」からだ。真剣勝負こそ、最高の娯楽のはずではないか。

 ともあれ、素直に喜びを語りたい。

 仙台人として、日本選手権には結構なトラウマがある。73年から当時のロッテオリオンズが仙台宮城球場(今のKスタです)を準本拠地として活動した事があった。私も何試合か観戦しに行ったが、結構な観客動員だった。当時のオリオンズは、ショーマンシップあふれる金田正一監督に率いられ、木樽正明、村田兆治、有藤通世、アルトマンらが活躍し、最強と言われた阪急ブレーブスを追いかける存在、熱狂的に応援し、勝利に歓喜したものだった。そして、74年にはプレイオフ(これは仙台でも行われた)でブレーブスを破り、日本選手権に出場権を獲得した。ところが、その日本選手権は東京後楽園(今の東京ドーム)で行われ、さらに日本一のパレードすら仙台では行われなかった。これで仙台の野球熱は完全に冷めてしまい、観客動員も激減、数年後オリオンズは逃げるように仙台を去った。
 私はサッカー狂だが、この世代のスポーツ好きの常として、当然のようにガキの頃から野球に浸り切って育ってきた。
小学校2年の夏休みに家族旅行で東京に出かける際に父にねだり、当時の後楽園での讀賣ジャイアンツ対サンケイアトムズ(今のスワローズね)を観戦したのが、最初の生観戦。高橋一三の好投に興奮し、生で観る長嶋茂雄に熱狂したのは忘れ難い思い出だ。確か王貞治は負傷欠場だったはず。サッカーの初生観戦は、その1年後仙台で譲渡試合として行われた日立対ヤンマー戦だから、野球の生観戦の方が先だった、ちなみにこの試合では釜本は肝炎から回復しておらず不出場、どうも私はそう言う運がないのかもしらんな。
 故郷に野球チームができて、ちゃんと昔の宮城球場を完全な本拠地として活動しているだけで嬉しかった。大学時代のサッカー部のチームメートが、ドラゴンズの勝ち負けに一喜一憂しているのが、本当に羨ましかったから。

 ベガルタへの思いとは全く違うけれど、心底嬉しかった。ただ、上記の星野采配には、引っ掛かりがあった。
 「神様、仏様、稲尾様」や「権藤、権藤、雨、権藤」とは違う。稲尾様が連投する方が、権藤が投げる方が、勝利の確率が高かったから、彼らは投げたのだ。けれども、今日の田中マーは違う。絶対に違う。美馬や則本の方が、勝つ確率は高かったのだ。

 ともあれ、日本一である。
 仙台の母に電話した。あれこれ喜びを含めた野球談義を交わした後に、母に言った。
「あの場面、やはりどうしても飲み込めない。勝つために確率を高めるべきではなかったか。」
と。すると、母に叱られた。
「いや、違う。あそこは、やはり、何があっても田中に投げさせるしかない。」
と。
 まあ、そう言う事なのでしょう。素直に祝い酒を堪能すべきなのかな。うん。
posted by 武藤文雄 at 01:20| Comment(9) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月21日

ラグビーを堪能

 ここのところ、諸事多忙で書きたい事が無数に溜まっている。五輪の総決算も書きかけだし、ベガルタへのフォローも遅れがちだし、J2の残留争いも愉しそうだし、麻也の相棒について論じたいし、寿人がなぜ代表に呼ばれないか考察したいし、長谷部と細貝と高橋を比較したいし、欧州でみんなボカスカ点をとるし、少年団で毎週末遊んでくれるガキ共も可愛いし、ベストメンバ規定についても吠えたいし、新たに殿堂入りした方々も語りたいし、ブラジルでのエメルソンとの再会も書いてないし、モルンビースタジアム見学ツアーでのエピソードも自慢したいし、いやボルトアルグレ訪問の事も...
 まあ、少しずつ、溜めてしまった事を、丹念に吐き出していきたい、じゃなかった、書き出していきたいとは思っています。

 実は他人様の親バカ振りをからかう文章を進めていたのだが、どうにもまとまらない。と、言うか、書けば書くほど、独自性が出せず、悩んでいる。あのお父上へのツッコミは簡単ではないなと。
 ここは気分を切り替えて、他人様を冷やかすよりも、自らの親バカ振りを語る方がよいかなと。

 時々書いた事があるが、拙ブログに時々登場してきた我が息子だが、高校3年生になった。中学校まで律儀にサッカーをやってくれていたのだが、高校に入り「俺、ラグビーをやる」と突然転向。かつての守備的MFは、今ではプロップを務め、花園を目指している。と、言っても、ラグビーと言うのは番狂わせが非常に少ない競技だし、神奈川県のレベルは全国屈指で高いから、公立高校の若者にとっては「全国大会に行ける」と言う錯覚にも浸れないようなのだが。ともあれ、たとえサッカーではなくとも、息子がチームメートと共に、少しでも上を目指してもがいているのを見るのは、親バカ冥利につきると言うものだ。

 さて、坊主のクラブ、毎年夏休みは、菅平で合宿を行う。妻が突然「高校最後の合宿なのだから、観に行きたい」と言い始めた。もとより、妻に歯向かえる立場ではないし、親バカとしては坊主の試合も観てみたい。仙台の母まで誘い、長野までラグビー観戦付き温泉一泊旅行を行う事にした。坊主にとっては迷惑な話である。
 ところで、菅平と言う場所だが、驚いたは涼しい事だ。落ち着いて考えれば、そのような気候だから、ラグビーやる若者が集まっている訳で当たり前なのだが。さらに、その涼しさを利用した、キャベツ、レタス、白菜、正に高原野菜畑がそこいら中に。いや、高原野菜畑だけではないのだ、あちらこちらに、芝生のグラウンドが無数に準備されている。午前の試合は76番、午後の試合は92番、と言う感じで、100面以上も。齢51歳、これほどのキャベツ畑も芝生のグラウンドも、まとめて見た事はなかった。
 もう1つ。これらのグラウンドを利用しているのは、ラガーだけではない。サッカー少年もあちらこちらにいるのだ。夏場涼しくて、芝生のグラウンドが無数にあるのだから、確かにラグビー屋さん達だけに、この界隈を独占されるのはもったいない。とてもよい事だと思った。
 さらに感心したのは、多数のラグビーショップが、臨時の出店をしている事。午前中の試合で、敵タックルにより、バンツがスカート化してしまった坊主のために、妻が新しいパンツを買っている。暇つぶしに店を冷やかしていると、黒地のいい感じのポロシャツが売られている。よく見ると、南半球選手権(ラグビーチャンピオンシップと言うのかな、去年までは南ア、NZ、豪州の3カ国の大会でトライネーションと言われていたが、今年からアルゼンチンが加わったので、大会名が変わった)のポロシャツ。4カ国のロゴ入りで、格好よいので、思わず買ってしまった。
 私がそれを着ていると、坊主はすごく羨ましそうな顔をする。坊主の幼少時は、欲しいものを買ってやって溺愛するのが愉しかったが、今は欲しがるものを、私が利用して羨ましがらせるのが、最高だ。ああ、何と心の小さい父親なのだろうか。

 この南半球選手権だが、ちょうど今が佳境。毎週末、テレビで生中継を愉しむ事ができる。坊主のお相伴をしながら、似非ラグビー講釈師を目指している訳。
 NZも、豪州も、南アも、いずれ劣らぬラグビー強国。これらの国同士の試合も、もちろんおもしろい。しかし、私にとっては何と言ってもアルゼンチンだ。この国のラグビースタイルは、サッカーと完全に一緒なのだ。一人一人が攻守両面に渡り、自由奔放に戦う。全く予想外の攻撃を成功させてみたり、押し込まれた時の守備はかなりえげつなかったり。
 こう言ったラグビーの国際試合がもっともっと、日本国内で採り上げられれば、もっとメジャーな娯楽の1つになると思うのだが。もちろん、ラグビー日本代表の試合を含めて。
 以前も述べた事があるが、アジアの予選をほぼ間違いなく突破できるボールゲームは、ラグビーの他は野球、ソフトボール、そしてサッカーくらいのものだろう。それなのに世界のトップとの差が、中々埋まらないのが悩みのタネのようだ。
 だから、代表チームの低迷に切歯扼腕する高校3年生を、毎度毎度観察する事になる。むしょうに懐かしいのだ。ほんの僅か、30数年前。競技は異なるが、全く同じように悩んでいた高校3年生を思い出すから。
posted by 武藤文雄 at 01:35| Comment(5) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

松平康隆氏逝去

 バレーボール界、いや日本スポーツ界の大巨人、松平康隆氏が亡くなったと言う。日本のスポーツ史に残る大巨人だった。

 サッカー界でたとえてみれば、佐々木則夫氏(世界一を獲得したと言う実績と組織作り)と、岡田武史氏(優秀な素材を徹底して鍛え、超一流に育てる)と、カズ(サッカーそのものをマスコミに露出させ、多くの人々の注目を集める、カズの場合は自らが輝き、松平氏は選手達を売り込んだのだが)と、木之本興三氏(サッカーをより多くの人に広げるために、トップリーグをオーガナイズ)と、松木安太郎氏(あの愉しいテレビ解説)を合わせたような実績を挙げた人だ。
 スゴいよね。

 いや違う、松平氏は1人時間差とか移動攻撃のような、独創的、根源的な戦法を編み出している。ここで重要なのは、これら松平氏が編み出した戦法は、他の世界の国に次々に導入され、当たり前の戦法になっている事だ。よく「originality」と言う英語を、我々は「独創的」と訳す。しかし、この英語には、「これをきっかけに色々と広がりを生む」と言う、言わば「根源的」と言う意味がある。言ってみれば、松平氏はまさに「originality」ある戦法を生み出したのだ。
 日本サッカー界にこんな人はいない。悔しいけれど、日本サッカーは、4−2−4も、スイーパシステムも、トータルサッカーも、ゾーンプレスも、あるいはディディのフェイントも、ラボーナも、エラシコも、発明していない。もちろん、サッカー狂からすれば、「サッカーとバレーボールの世界普及の差」と言いたくはなる。しかし、実績は実績。悔しいけれど、歴然とした差があるのだ。もちろん、我々は釜本邦茂や澤穂希を生んでいる。でも、それを言うと、バレー界も大古誠司や田中幹保や白井貴子を生んでいるので...

 ただ、松平氏の責任かどうかは断言できないが、どうにも今日のバレーボール界にはなじめないものがある。テレビにおもねり過ぎているようにしか思えないのだ。
 ジャニーズやEXILEもどうかと思うが、まあしょせん応援団だ。重要な国際大会を常に日本でやり、日本有利な日程でやるのも、まあいいだろう。カネは重要なのだから。
 でも、飲み込めないのは、公式戦のラリーポイント制の導入だ。あれは、バレーボールを決定的につまらないものにした。サッカーはGKへのバックパスを禁止した、柔道は柔道着を青と白にした、ラグビーはトライを4点から5点にした。いずれも、相当な冒険だったが、競技の本質を損ねてはいない。でも、ラリーポイント制はいけない、あれでバレーボールは決定的につまらないものになった。そして、そのルール変更は、テレビ局の都合(放映時間内に中継を終える、CMを挟みやすくする)そのものとしか言い様がない。
 サッカーは決して25分クゥオータ制にはしないだろう、ラグビーはグラウンディングなしでトライとはしないだろう。それが矜持と言うものだ。
 このバレーボールにとっての致命傷に、松平氏がどの程度関与したかは知らない。しかし、氏が推進したテレビ局との融合活動が悪影響を与えたのは間違いないと見ているのだが。
 
 一方で、我々には故長沼健氏と岡野俊一郎氏がいる。
 特に、岡野氏はよく松平氏と比較されて論じられてきた。以前、こんな文章を書いた事がある。いずれも、日本のスポーツ界には珍しい、ほんとうの意味で世界に通用するスポーツ人である。松平氏と、我々の岡野氏の実績比較は、後年の評価を待つしかなかろう。

 おそらくだ。松平氏は、あまりに偉大過ぎたのだ。
 我々が、岡野氏のような理論的巨頭を軸に、集団戦を挑んだ。いや、ひたすら、我々は集団戦を戦っている。この雑文を読んでいるあなたも、もちろん私も、「サッカーの世界一、いつかブラジルやアルゼンチンに追いつく」と言う命題の下、淡々と戦っている。全員が戦力なのだ、そして全員が、現状は、遠藤保仁と長谷部誠を支えている。
 しかし、松平氏は、あまりに偉大過ぎたのだ。すべてを自分でやってしまい、すべてをやれてしまった。我々が、佐々木則夫、岡田武史、カズ、木之本興三、松木安太郎と、歴史に残る巨人を束になってやっている事を、軽々と越えてしまったのだから。

 でも、あのミュンヘン五輪の男子バレーの金メダル。当時、私は小学校6年生だった。あれに、どんなに興奮した事か。世界最強と言う言葉に、いかに甘美感を味わった事か。
 ご冥福をお祈りします。ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 00:58| Comment(26) | TrackBack(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月30日

ラグビーワールドカップ日本代表雑感

 高校生ラガーの横で、幾試合かを観ると、自然にラグビー用語が身に付いてくる。「フェーズを重ね、敵の守備を崩せ」とか、「体格では劣るが、接点では負けてない」とか、何となくもっともらしい言い回しができるようになった。サッカー仲間うちでは、似非ラグビー通として通用しそうだ。
 残念ながら、日本は1分け3敗で全日程を終了。目標としていた2勝はならなかった。けれども、素人目線からは、ニュージーランド戦を除けば、いずれも大変おもしろい試合で、すっかり娯楽として堪能させていただいた。巷では目標未達でもあり、厳しい評価が多いようだ。けれども、少なくとも私には、いずれの選手も己の能力をよく発揮し、見事に戦っていたように見えた。個人的には、田中、小野澤、そして大野がお気に入り。
 サッカー狂の立場からは、準々決勝を最初から目標としない理屈、ニュージーランド戦を捨てた発想などはよくわからないが、このあたりは家風の違いや、冷静な戦闘能力分析からの現実性なのだろう。異なる競技は、このような比較文化論(オーバか)的な愉しみ方もあると言う事だ。

 とは言え、素人目線から気になった事を2つ指摘してみる。

 まず、セットプレイの工夫のないように見えた事。
 先回も指摘したが、フランス戦、トンガ戦で、比較的簡単なペナルティキックやコンバージョンを外し、展開を苦しいものにした。また、トンガ戦の終盤など、幾度か敵陣間近のラインアウトからトライを狙ったが、いずれも奏功しなかった。キックオフにしても、カナダ戦の終盤に3点差に追いすがられた際、簡単に敵ボールにしてしまった。
 流れの中でのプレイは、敵の妨害も多く、思うに任せないことが多い。しかし、セットプレイだけは、事前の準備、計画でかなり優位に立つ事ができるはず。これはラグビーもサッカーも同じ事だと思う。けれども、今回の日本は(何となく、記憶をたどると、今回に限らないようにも思うが)、上記のようにセットプレイがうまく行かなかったように思えた。2、30年前の日本は、サインプレイを得意にしていた記憶があるのだが、少なくとも今大会はセットプレイの創意工夫を、あまり感じなかった。ちなみに、カナダ戦だが、アレジがペナルティもコンバージョンもすべて決めてくれたのに対し、一方カナダのキックの精度の悪さが目立った。このカナダ戦は唯一勝ち点を獲得できた試合だが、このプレースキックのよさで引き分けに持ち込めたとも言えると思う。
 ちなみに、トンガに敗れた際、「ボールを奪われるミスが多かったのがケシカラン」的な批判が多かったが、やや理解しづらい理屈だ。トンガだって必死なのだから、得意のコンタクトプレイに勝機を求め、日本がボールロストが増えたのは、言わば戦闘能力差の問題。ボールロストが多かったのは、要因ではなく、結果なのだ。「ボールを奪われるような試合展開にしたのが失敗」ならば理解できるのだが。だからこそ、素人としては、「そのような展開になった要因」を知りたいのだが、誰か教えて下さい。

 もっと気になったのは、報道の少なさ。
 初戦のフランス戦は、地上波で生中継が行われたが、他の試合の生中継はすべてJ Sportsのみ。一般のスポーツニュースでの取扱いも寂しいものだった。不思議だ。
 現状日本のボールゲームで、アジア最強と言える競技は、男女のサッカー、野球、ソフトボールを除くと、私が知る限りラグビーくらい(抜けがあったら指摘ください)。日本ラグビーは、かなり強いのだ。また、ラグビーワールドカップと言う大会そのものも、世界陸上あたりと同等の規模感で行われている大会。コンテンツとしての「素材の潜在性」は抜群のものがある。うまく宣伝すれば、相当な注目を集める事も可能だったのではないか。
 そして、上記したように、日本の試合は、実におもしろかった。あのフランス戦の4点差に迫った後の猛攻、トンガ戦終盤の必死の攻勢、カナダ戦前半の颯爽とした戦いぶり、同点後の仕掛けなど。あれを、結果を知らずに観れば、どんなへそ曲がりも「ラグビーおもしろい、日本もやるじゃない」と思ったはずだ。結果的に思うような成績が残せなかったとしても、あれだけのプレイを見せてくれれば、まともな人は皆感動する。結果だけで非難するのは、馬鹿マスコミとちゃんと観ていない輩だけだ(もちろん、ラグビーをじっくりと愛している方々からすれば、「結果」を出すべき大会なのだろうから、心底悔しいのはよく理解できる。そう言う方々は視点も浸り方も異なるのだから、当然評価点も異なってくるし、「結果」を残せなかったチームに厳しい評価を下すのは、当然の事だ)。
 そう考えると、今大会の日本の奮闘(今後、世界列強の虚々実々がはじまるのだが)の報道が非常に少なかったのが残念。マスコミ側から見ると、潜在性の非常に高いコンテンツを無駄にした損失は非常に大きいのではないか。一方、ラグビー界も、もっとうまく訴求していれば、絶対ラグビーの人気、それも浮ついた人気でなく、本質的な人気を高められたと思うのだが。

 そして、この「後ろにつないでいく」フットボールの兄弟が強い事、多くの国民がこのフットボールについて語る文化を持つ事は、将来我々がワールドカップを制覇するためにも、とても役に立つのではないかとも思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(5) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月10日

ラグビーワールドカップ、初戦フランス戦

 ラグビーワールドカップが開幕した。そして、日本は初戦で強豪フランスと対戦。

 たぶんまだ書いていなかったと思うが、以前本ブログに時々登場していた我が坊主は、昨年から高校生。ところがこの息子、高校進学と同時に小学校1年生からやっていたサッカーをやめ、何とラグビー部に加入した。かくして、この親バカは時折ラグビーを観戦する羽目に陥っているのだが、そのあたりは機会を見て講釈を垂れたいと思っている。
 で、坊主は昨日から始まった、ラグビーワールドカップの観戦準備に余念がない。かくして、父親もつられて、ラグビーマガジンなどひもとき、あれこれ研究する事にあいなっている。

 日本は、地元NZ、フランス、トンガ、カナダと同じグループ。2位抜けのレギュレーションゆえ、ラグビー素人の私が見ても、初戦のフランスに勝たないと準々決勝進出が非常に難しい事はわかる。もちろん、フランスに勝つ事そのものも大変に難しいのだが。

 結果、21−47の敗戦。

 しかし、60分あたりには21−25と4点差に追い上げ、その直後も幾度かフランス陣深くに攻め込むなど、大変興奮させられる試合。後半立ち上がりにフランスの2度のトライ機を防いだあたりなど最高だった(ラグビーは、このような微妙な場面はビデオ判定するのを初めて知った)。
 何と残念な敗戦だった。

 テレビ解説をしていた大畑氏が、「いままで世界の列強とはラスト20分まで戦えた。今日はラスト15分まで戦えた。」と述べていた。このラスト15分を素人なりに解釈してみた。
 もちろん、素人目にも戦闘能力差は明らか。典型例は終盤の77分、35点目の5トライ目。フランス陣に攻め込んだ日本のノックオンを拾われ見事なパスワークで崩された。押し込んだ大事なところでノックオンしてしまう技術、フランス独特の各選手のパスの種類の多さ。このような差は、ある意味本質的なところで、育成レベルからの差であり、数年レベルの強化でどうこうできるものではないだろう。しかし、本質的な差は簡単には埋まらないが、小さな差を工夫する事で差を詰めて、より接戦に持ち込む事は可能に思ったのだ。個人的に気がついた事を3点述べたい。

 1つ目。日本のSOアレジは、前半フランス陣の比較的簡単なペナルティキックとコンバージョンを失敗した。言わば日本は5点を自らのミスで失ったのだ。特に10分のペナルティキックはもし決めていれば3−7となっていた。直後日本はフランス陣に攻め込みながら連携ミスからボールを奪われトライを許し0−14になった。この差は本当に大きかった。「その後追い上げた」、「最後突き放された」のような話とは別に、簡単なキックを確実に決めるのは重要だと思うのだが。
 2つ目。上記した5トライ目が典型だが、攻撃から守備への切り替えの早さ。映像で見ていても、フランスはその直後の切り替えが、日本と比較して明らかに早い。これを解決するためには、厳しい試合経験しかないように思う。しかし、上記したラグビーマガジン予習のカーワン氏のコメントによると、「日本はフランスのような強豪とは中々試合をしてもらえず、サモア、イタリアと何とか試合を組めた」との事。難しい問題だ。
 3つ目。67分にペナルティを決められ21−28と突き放された日本は、その後もフランスの猛攻にゴール前5mあtりで強烈なタックルを繰り返し、粘っていた。しかし71分、オープンに展開され、そこに頑健なロックがいて、マークしていた小野沢が体重差に吹き飛ばされてトライを決められた。あの場面、フランスは日本の粘り強い守備を破るために、わざわざあの体格よいロックをオープンに配したのだろう。このような策が、試合前からの周到な準備によるものなのか、とっさの閃きなのかはわからない。しかし、点をとるための創意工夫は、いずれの競技でも重要なはずだ。

 大変残念で、おもしろい試合だった。
 それにしても、これだけの娯楽だ。どうしてマスコミはもっと真剣に採り上げないのだろうか。もっと全国民的な注視があれば、それだけで日本の強化にもつながるし、キャッシュとなるスポーツコンテンツの創生にもなり、一挙両得だと思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(7) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする