2023年09月09日

ラグビーW杯開幕2023

 トゥールーズと言う街は、日本のサッカー狂たちにとって特別な存在だ。理由は簡単、ちょうど四半世紀前の1998年6月14日、私たちはこの街で、生まれて初めてW杯本大会の試合を味わうことができたから。そう、あのバティストゥータにやられたアルゼンチン戦を。
 ゴール裏で君が代を歌えた感動、井原正巳を軸にした組織守備が機能した喜び、0-1で終盤まで凌ぎ終盤幾度か好機をつかんだものの決められなかった嘆息。試合後、ビールや葡萄酒と共に堪能した名物料理のカスーレ。

 ラグビーW杯、日本は明日の初戦を、そのトゥールーズでチリと戦う。
 毎週、ベガルタ仙台の試合を追いかけ、世界最強に駆け上がりそうだった熊谷紗希と仲間達の不運に切歯扼腕し、バスケットW杯で富樫勇樹と仲間達の颯爽たる五輪出場権獲得に熱狂、そして、姫野和樹と仲間達の初戦の半日前には、遠藤航と仲間達が戦うドイツ戦(先方にとっては10ヶ月前の復讐戦!)。贅沢なことだ。
 前回日本で行われたラグビーW杯は本当に楽しかった。あの静岡でのアイルランド戦の歓喜、日本敗退後の準決勝以降の国歌斉唱時の空虚感。大会をサッカー狂の視点から振り返ったこのような文章を書かせてもいただいた。 

 正直言って、ラグビー代表の今大会準備のテストマッチを振り返ると、内容も結果も芳しいものではなかった。そのため、前々回、前回のような好成績を収めることができるのか、とても心配だ。ただし、そこには多くの錯綜した事情があったのは、ラグビーシロートの私にも理解できる。
 まず前大会と比較すると、今回の代表チームは準備期間が短い。前大会は9月の大会に向けて2月から代表候補選手を集中強化していた。しかし、今大会の強化合宿は6月からだった。おそらく頻繁にテストマッチを行っていた7月はフィットネス系の鍛錬を相当行っていたはずで、各選手のコンディションが整っていなかった可能性が高い。
 しかし、これは落ち着いて考えれば健全なことだ。ラグビーを本質的に日本に定着させる目的で作られたリーグワンが2シーズン目を迎え、5月まで熱戦が繰り広げられていたのだから。クボタスピアーズ船橋・東京ベイが、主将立川理道の信じ難いキックパスで、埼玉パナソニックワイルドナイツを破った決勝戦など、すばらしかったではないか。
 前大会、準々決勝で南アフリカに敗れた最大の敗因は、選手層の厚さだった。前半互角の攻防を続けていた日本だが、後半両軍が選手交代を重ねるにつれ、FW戦の劣勢が明らかとなり、次々に失点を重ねた。控え選手のレベルが相当違っていたのだ。代表チームの選手層を厚くするのは、長期の代表合宿では不可能。長期的には普及活動をして選手人口を増やすしかない。一方で短期的には国内リーグのレベルを上げて、優秀な選手を増やすしかないのだ。そのあたりについても、このような文章にまとめたことがる。
 前大会、あるいは前々大会、日本ラグビー協会は、地元W杯を控えていたこともあり、単独チームに相当迷惑をかけながら、長期強化合宿で成功を収めた。しかし、そのようなやり方は続かない。結局単独チームの強化がおざなりになり、選手層を厚くすることはできないからだ。
 
 強化合宿が短かったことの他にも障害があった。選手の負傷が多かったことやベテランの退場劇である。
 若手の大型ロックとして期待されているワーナー・ディアンズや、頑健で瞬足な若手ウィングのシオサイア・フィフィタは、テストマッチにまったく出場できず、ほとんどぶっつけ本番で大会に臨むことになる。ロックの中心選手ジェームス・ムーアは大会直前に離脱。同じくロックのアマト・ファカタヴァは一度離脱したが治療がうまくいったのか、直前の復帰に成功。本当に全選手がよい体調で大会を迎えられるのかと言う不安は尽きない。この激しい競技で負傷はつきものでしかたがないのかもしれないが、
 また、サモア戦でのリーチ マイケルとフィジー戦でのピーター・ラブスカフニの退場も痛かった。最近のルール改正で、意図的ではなくても結果的にタックルが相手の頭に向かって行われると無条件で一発退場となったらしい。代表主将を務めたことがあり、経験豊富な2人が対応し損ねたのだから、選手達には順応が難しいルール変更なのだろう。この2件の退場劇は、単にテストマッチの勝敗と言うこと以上に、その試合での連係成熟と言う視点で痛かった。さらにラグビーは、一度退場となると、続く複数試合退場になるので、一層連係成熟が難しくなる。

 上記した要因を考えると、テストマッチでの内容や結果が芳しくなかったのはしかたがないことなのだろう。肝心なのは明日から始まる本大会なのだから。今大会、前大会と比較して多くの外乱を抱えることになったジェイミー・ジョセフ氏がどこまでチームを仕上げることができたかは、神のみぞ知ることだ。少々怖いもの見たさもあるが、それらの不安が裏切られ、4年前同様の歓喜が連続することを期待したい。
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2023年09月08日

バスケットボール五輪出場決定!

 バスケット男子W杯、日本代表が五輪出場権獲得。
 テレビ桟敷でたっぷり堪能させていただいたが、まことに見事な娯楽。すばらしい戦いを演じてくれた富樫勇樹と仲間たちに感謝したい。

 1990年代半ばから2010年代半ばまでの約20年間、日本バスケットボール界は絶望的な状況に追い込まれていた。そのあたりは、友人でもある大島和人氏がこちらで、鮮やかに文章化してくれている。同書を読んだ時、私が感じたのは吐き気だ。同書に実名で登場するバスケット人、上記絶望的な20年間日本のバスケットボール界を牛耳っていた幾人か。彼らば、バスケット界の発展ではなく、己の権益のためだけに見苦しい活動を繰り返す。さらには、後年もそれらを恥じることなく語っている。
 私も散々サッカー界の権力者を批判してきた。例えばこれとかこれね。もちろん、前者の方はバスケット界に超大貢献したのですけれどもね。
 しかし、同書に登場する絶望的なバスケット人の質の低さはそんなものではない。日本バスケットの発展など何も考えず、己の短期的権益しか考えていないのだ。さらに言えば、Bリーグが設立し、日本バスケット界の立て直しが進んでいるにもかかわらず、当時の活動を恥じていない。正直言うが「ああ、サッカー狂でよかった、バスケットの方々はどんなにつらかったことか」と再確信したのが、正直な読後感だ。もちろん、同書にはすばらしいバスケット人も登場する。長年日本協会とJBLを支えた吉田長寿氏や、bjリーグに参画した滋賀レイクスターズ社長の坂井信介氏など。

 今大会の成功は、これら悲しい過去の歴史を完全に払拭するものとなることだろう。

 大会前から、消息通には悲観的な予測が渦巻いていたようだ。
 日本の目標は、五輪出場権獲得。そのためには、アジアの出場国でトップの順位になることが必要だと言う。このレギュレーションは、直接対決がないだけに、組み合わせ抽選の運不運が大きい。ところが、日本のグループはドイツ、フィンランド、豪州と、強力国がズラリ。一方で、ライバルとなる中国、フィリピン、イランなどは、日本と比較して楽なグループに入ったとのこと。そのため、彼らがベスト16に入るリスク?もそれなりにあった模様。さらに、全アジア国が下位順位決定戦に回ったにしても、日本は1次ラウンドで全敗のリスクが高く、ライバル諸国は1勝する可能性が高いなど、かなり悲観的予測の文章を目にした。

 実際、初戦のドイツ戦は63-86で完敗。チームのねらいの3ポイントシュートが外れてはリバウンドを奪われ、結果的に攻撃機会をドイツに提供することになり、じりじりと点差を広げられてしまった。
 しかし、2戦目のフィンランド戦。98-88で、鮮やかな逆転勝利。第1クォータこそリードしたものの、第2クォータに逆転される。その後も終盤までリードされる。しかし、第4クォータ、大エースのホーキンソンに加え、河村勇輝と富永啓生が冴え渡り、第4クォータ単独では35-15、正に鮮やかな大逆転。ドイツ戦で空席が目立ったチケットコントロールが改善され、満員となった沖縄アリーナ。ブースターたちの熱狂的声援が、富樫勇樹と仲間たちを支えたのは感動的だった。考えてみれば、沖縄は日本では屈指のバスケットが盛んな地域。日本中、ほとんどの地域で、プレイヤ人口はサッカーが最大だと思われるが、沖縄だけはバスケットのプレイヤ人口が、サッカー以上に多いのではないかと言われている地域だ(笑)。言うまでもなく、ゴールデンキングスは現状のBリーグ王者だし。
 3戦目の豪州戦、89-109で敗れた。ともあれ、負けたとは言っても、フィンランド戦で負傷し思うように活躍できなかった渡邊雄太がフル回転。渡邊とホーキンソンを軸に、この強豪に堂々と渡り合ったが、相手が強かった。それでも後半(第3クォータ+第4クォータ)のスコアは52-54、互角の攻防を見せてくれた。

 その結果、日本は1勝2敗で、下位順位決定戦に回った。しかし、1次ラウンドを終わってみれば、日本を除くアジア諸国はみな全敗。日本だけが、1勝しており、かなり優位な状況で下位順位決定戦に対応することとなった。上記の悲観的予測は、無事?外れたわけだ。

 ベネズエラ戦は、86-77の勝利。
 最終スコアを見ただけではこの試合の感動は伝わらない(笑)。第3クォータ終了時点で、53-62。攻防そのものは互角の展開だったが、大エースのホーキンソンのシュートが決まらないこともあり、点差を詰めることができない。複数回、後一歩で追いつける2、3点差に詰めたことはあったが、その都度突き放される。イヤな雰囲気は第4クォータ半ば過ぎまで継続した。
 この苦しい試合を救ったのが、大ベテランの比江島慎だった。第4クォーターだけで17得点を決める超人的活躍。あと2分しか残っていない時間帯から逆転に成功した。最終スコアの11点差だけ見ると、この試合の興奮は理解できない。バスケットのおもしろさでしょうな。ちょっと、うらやましい(笑)

 そして最終のカーボベルデ戦。勝てば五輪出場権獲得。正直言うのですが、世界中ほとんどの国は、サッカーを通じてどんな国なのか、ある程度知っているつもりだった。しかし、カーボベルデがどこにあるのかは、この大会で戦うまで知識がなかった。そうかアフリカ西部の島国、大航海時代に発見された無人島だったのか。エンリケ航海王子か。
 今大会はじめて(笑)、序盤からリードを奪い優位に試合を進める日本。ところが、気持ちよくテレビ桟敷で試合を楽しめたのは、第3クォータまでだった。73-55で迎えた第4クォータ、突然日本に点が入らなくなり、どんどん点差が詰まってくる。多くの報道は、五輪出場権獲得が眼前に迫った故のプレッシャによるものと議論されている。一方で、私のようなシロートからすると、渡邊とホーキンソンを引っ張りすぎ(結局この2人はこの試合40分間フル出場だったとのこと)、彼らが疲労困憊だったが痛かったように思えた。これだけ点差が開いていたのだ、3ポイントを無理に狙わずとも、敵ゴール下に進出し2点ずつ点をとって点差を広げられないことが重要。ところが、敵ゴールに進出し個人能力で得点を奪える渡邊とホーキンソンが疲弊してしまい、どうにもやりようがなくなってしまった。気がついてみたら、終了間際には74-71の3点差まで詰められてしまう。しかし、この苦しい局面を打開してくれたのは、やはり大エースのホーキンソンだった。ホーキンソンが、終盤あと1分のところで連続ゴール、気がついてみたら9点差とするのに成功。歓喜の五輪出場権獲得とあいなった。いや、めでたい。

 それにしても、ホーバス監督の手腕は見事だった。
 東京五輪時の女子監督での銀メダルもすばらしかったが、今大会のチーム作りも鮮やか。3ポイントを軸に、上記のスター達と守備力が高いスペシャリストを組み合わせ、目標を達成してくれた。まあカーボベルデ戦終盤の采配は不適切だったと思うが、まあそれはそれ。
 ホーバス氏が最初に来日したのは、プレイヤとして2000年だったと言う。その後、指導者として2010年に再来日。その後も女子の指導を中心に指導者として経歴を磨いたと言う。言い方を変えれば、冒頭に述べた暗黒時代でも、日本のバスケット界はホーバス氏のような有為なタレントを受け入れる土壌はあったことになる。上記したように当時、バスケット界には残念な首脳も多かった。しかし、心ある優秀な方々も現場には多かったと言うことが、このホーバス氏の大活躍で理解できた。
 今大会の成功は、そのような心あるバスケット人達の勝利と言うことだと思ってる。

 パリ五輪には、八村塁も参加することだろう。ホーバス氏率いる最強の日本代表が、どこまで上位進出できるのか。五輪の楽しみが一つ増えたのが嬉しい。
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2023年03月23日

WBC制覇2023

 日本野球が世界一を奪回した。まことにめでたい。
 過去2回の優勝も、まことめでたかったが、今大会の歓喜は格段。今大会は合衆国も大リーグのトップスターをズラリと並べた布陣。そして日本も大リーグの選手のほとんどを招集できて、いわゆるベストメンバ。誰が何を言おうが、日本が世界野球最強国になったのだ。
 サッカー狂の私だが、サッカーに浸り始めたのは中学生になってから。小学生の時は普通の野球好きのバカガキだった(私の世代では当たり前のことなのだが)。そのような世代のサッカー狂からすると、ワールドカップ同様に野球の国際試合を楽しみたい、と言う思いは常にあった。そして、(それなりに嫉妬の思いはあるが)野球ならば、当然ねらうのは世界一だろうと。
 今回の世界一奪回は、このようなバカガキの半世紀に渡る妄想が実現したことになる。
 そして、素直に思う。「羨ましい、とにかく羨ましい。いつか、ワールドカップで優勝したい、世界一になりたい」と。
 でもね、私は常に冷静なのです。私も62歳、あと何年生きられるかはわかりませんが、さすがに「俺の生きているうちは無理だろうな」とは思います。贅沢言ってはいけないよね、ドイツやスペインに勝ち、クロアチアにPKで負けたのが悔しくて悔しくてしかたがない現状など、若い頃とてもではないけど想像もしなかったのだから。よい時代になったものだ。

 ともあれ、少しWBCについて講釈を垂れさせていただこう。
 実は決勝戦は生中継を見ていない。間抜けな話だが、本業で休みをとる真剣な努力を怠っていたのだ。しかし、準決勝のメキシコ戦だけで、いくらでも語る素材はあった。
 メキシコのレフトのアロサレーナの完璧な守備能力。5回裏の岡本の「やった!ホームラン!」をハイジャンプで捕球された場面もすごかった。その後も日本打者が左翼に好打球を飛ばすたびに、この忌々しいアロサレーナの好守に防がれてしまった。おそらく、事前情報による日本打者の特徴を理解した位置どりに加え、打った直後の判断力がすばらしいのだろう。バカガキ時代にあこがれた高田繁さんを思い出しりして。
 栗山氏のチャレンジでアウトになった、7回表のメキシコのトレホの盗塁。あの2塁ベース上のトレホのタッチかいくぐりと、源田の執拗なタッチの戦いを何と語ってよいのか。トレホの格段のボディバランスと工夫。源田の冷静な対応。アウトになって、我々は嬉しかったが、本当にアウトだったのかを、映像で確認するのは非常に難しい。大体、野球の判定は厳密な定義が極めて曖昧なのだ。タッチとか捕球が、映像で確認できるわけがない。最新技術を用いた厳密な判定をするためには、ベースタッチ・守備者のグローブのタッチ・捕球の確認、以上の3点を何がしかのセンサにより検出しなければならないのかな。まあ、そのような比較論も楽しいのですが。
 吉田正尚。大谷の大活躍を否定するものではないが、私ならば吉田をMVPに選ぶ。あの好機での強さをどう表現したらよいのか。WBC打点新記録とのことだが、何とも頼りになる勝負強さだった。そして何よりメキシコ戦での3ランの美しさ。大谷や村上や岡本と言ったフィジカルに恵まれたスターの渾身のバッティングによる美しい弾道はすばらしい。しかし、この準決勝の吉田の丹念なスイングによるギリギリの本塁打の微妙な弾道の渋さをどう日本語で称えればよいのだろうか。ポールに跳ね返された映像、本当に嬉しかったよね。加えて、8回裏にツーアウト2・3塁でタイムリーヒットを喰らったものの、2塁ランナーをホームで殺した的確な返球も見事だった。繰り返すが、私の選ぶMVPは吉田だ。

 もう1つ。この世界一については、栗山監督を讃えるしかあるまい。特に感心するのは、投手起用の適切さだ。
 元々、このWBCと言う大会は、投手の投球制限など、怪しげで複雑なレギュレーションが錯綜する。そう言った中で、豪州戦で大差をつけ勝利が確定しつつある中、ダルビッシュを2回に渡り投げさせたこと。準決勝で先発佐々木が3失点したところで、決勝先発が予想された山本を起用したことなど、納得できないことが多かった。
 しかし、決勝終盤の投手起用で栗山氏の意図が正確に理解できた。少しでも世界一の確率を高めるために、決勝の最強敵合衆国に対しては、一番頼りになる山本の先発、終盤でダルビッシュと大谷の起用を決めていたのだろう。しかし、準決勝で佐々木が想定外の3ラン本塁打を許し、3点差となったところで、「これ以上の点差にはできない」と判断し、山本を投入し傷口を広げないと言う判断に切り替えたのだろう。いわゆるプランBだな。そして、決勝では今永、戸郷、高橋宏斗、伊藤大海とフレッシュな投手を次々に起用し失点を防ぎ、大勢、そしてダルビッシュと大谷につないだ。恐れ入りましたとしか、言いようがない。
 もちろん、一番の「恐れ入りました」は、村上を起用し続けたことだけれども。

 かくして楽しかったWBCは、日本優勝と言う最高の形で終了した。一点気になるのは、選手たちへの休養提供。これだけ厳しい戦いを演じた戦士たちが、すぐに自チームに戻り新シーズンに備えるのだろうか、と言う疑問。僅かでもよいから、彼らに家族や恋人との休養を提供した方が、シーズンを通しての活躍と言う視点では適切と思うのだが。
 などと、あれこれ講釈を垂れることができるのだから、本当に楽しい大会だったと思う。改めて、栗山氏とダルビッシュとその仲間たちに感謝。
posted by 武藤文雄 at 01:10| Comment(1) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月01日

仙台育英全国制覇と白河以北一山百文

 深紅の優勝旗が白河の関を越えた。高校野球での東北チームの全国制覇は、小学生時代、太田幸司や磐城の田村の時代からの夢だった。素直に喜んでいる。我々の世代の仙台の小学生は「『白河以北一山百文』を見返せ」と教育受けていたから、歓喜の思いは格段だ。小学校の洟垂れ小僧時代からの親友(お互い仙台育英高校出身ではない)がfacebookで歓喜していたので、お互いfacebookごしに乾杯。このお祭り騒ぎは宮城県関係者だけではなく、東北各地にも展開された模様。福島県や山形県など他県の地方紙も、全国制覇の号外を発行したらしい。
 もっとも、深紅の優勝旗は、20年近く前に白河の関どころか、津軽海峡を飛び越えていたのだけれども。

 物心つき、野球を見るようになったのは半世紀以上も前になる。サッカーよりも前です。父と祖父に教わり、プロ野球と併せて、夏の高校野球を見始めた。プロ野球と異なり、地元のチームを応援できる。小学校3年、八重樫(後にスワローズで独特のバッティングフォームで活躍)がいた仙台商業がベスト8に興奮、加えて太田幸司の三沢商が決勝進出、18回でも決着つかず再試合で散った。宮城県のチームが負けても、東北の他県のチームを応援するのが当然だった。2年後「小さな大投手」田村を軸にした磐城高校が決勝進出するも敗退。当時、東北のチームが甲子園で中々勝てない要因として、厳寒や豪雪により冬期にトレーニングしづらい・遠隔地ゆえ強豪との強化試合が難しい・関西の暑さへの順応の難しさなどが挙げられた。
 その後も、決勝進出は幾度もあった。大越基、ダルビッシュ、菊地雄星、佐藤世那、吉田輝星。どうしても東北勢は全国制覇ができなかった。勝てないことはしかたがないが、段々と不思議にもなってきた。考えてみればもう21世紀。東北の強豪私立高校は冬期練習場もある。東北新幹線があり首都圏はすぐだから遠征で試合経験も積める・昼間の炎天下の甲子園は暑いが宿舎に戻ればエアコンで体調を整えられる。何より、より北方でハンディキャップが大きいはずの駒大苫小牧が、既に全国制覇しているのではないか。また、大学野球では東北福祉大が幾度か全国制覇している。同じ屋外競技のサッカーで青森山田や盛岡商が全国制覇をしている。なぜ東北勢は甲子園制覇をできなかったのか。最後にまた触れる。

 今年の仙台育英。好投手を5人抱える強みを前面に出し、他チームを圧倒した。特に準々決勝以降は盤石、唯一もつれた試合となったは2試合目(3回戦)の明秀日立戦のみ。この試合は明秀監督が凝りすぎた采配で墓穴を掘ったことに救われた。おたがい小刻みに点を取り合い、6回まで2-4でリードされた難しい試合。迎えた7回裏、育英は明秀投手の乱調もあり無死満塁の好機を掴む。ここで明秀監督は、左投げ、右投げ、2人の投手をクルクルと交代させる作戦をとってきた。ワンポイントリリーフならばわかるが、小刻みに投手と右翼を交互にやらせるのはさすがに無理がある。両投手とも制球が定まらなくなり、育英は連続四級と犠牲フライで逆転に成功した。
 準々決勝の愛工大名電に対しては小刻みに加点し、5回までに6-0として悠々と逃げ切る。
 準決勝の聖光学院戦。聖光が疲労気味のエースを温存し第2投手を先発。1点リードされた2回表、第2投手をつかまえ3-1と逆転し、さらに無死二三塁、そこでたまらず聖光がエースを投入。これ以上1点もやれないと言う雰囲気にたたみ込み、気がついてみたら2回に11点を奪うと言う超ビッグイニングで早々に試合を決めた。
 決勝は、お互いに小刻みに点を取り合い6回までに3-1でリード。7回裏育英は追加点を上げ3点差、そこで相手投手が四球を連発し満塁としたところで本塁打で7点差として勝負を決めた。
 もちろん幸運もあった。選抜優勝で甲子園での勝負強さに定評ある大阪桐蔭、好投手山田を擁する近江、強打者浅野が凄かった高松商などの強豪がつぶし合い、そこを勝ち抜いた下関国際の両投手は、決勝戦では相当疲弊していた。また、これらの強豪校や準決勝で大勝した聖光学院と準々決勝以前で戦えば、先方の投手はまだまだ疲弊しておらず、互角の戦いを余儀なくされたことだろう、明秀日立戦のように。
 しかし、どの強豪校が来ても、準決勝・決勝は、よほどの不運がなければ勝てたのではないか。そのくらい、投手5人の物量は圧倒的だった。元気な投手が後から後から出てきて失点が少ないことそのものも強み。加えて、いずれの試合でも、競り合った際に相手投手や監督が「これ以上点はやれない」と言う作戦をとり、逆にそこにつけ込んで点を奪うことができたのも大きかった。
 もちろん、他にも勝因は多数ある。打撃も守備もいずれの選手がよく鍛えられていたこと、須江監督の積極的な采配、スカウティングの適正さなど。例えば名電戦の2回の2点目は2死三塁からの三塁線へのセフティバントによるものだった(試合後のインタビューで、須江監督が「相手三塁手は肩が強いため後方で守備するところを狙った」と語っていたのには、恐れ入った)。また、いずれの試合も第一試合というクジ運のよさも大きかった(勝ち抜き戦の場合、勝ってどのチームが出てくるか待つ方が、精神的に優位なのはいずれの競技でも鉄則、さらに灼熱の甲子園、朝試合ができてエアコン下で身体を休められる方が優位に決まっている)。
 とは言え、投手5人を確保して甲子園に乗り込んだ時点で、序盤戦さえ勝ち抜けば、相当な確率で育英は真紅の優勝旗を獲得することができる戦闘能力だったのだ。これだけ強ければ勝てる。

 話を戻す。今まで、東北勢はなぜ今まで優勝できなかったのか。
 冒頭に「白河以北一山百文」と述べたが、仙台の地方新聞の河北新報の創業者が、この言葉を見返すために社名(新聞名)を決めたのは、よく知られた話。私の世代の人間は、小学生の時からその話を聞き育ってきた。
 甲子園の高校野球と言うお祭りは大昔からよくできている。各地から代表校が出場、日本中が地元や故郷のチームを応援して楽しめる。昔は地域密着を基盤とするJリーグなど影も形もなかった。Bリーグもbjリーグもできたのはつい最近。プロ野球も首都圏(と言うか東京)と関西圏にチームが偏在しており、札幌、仙台、埼玉、千葉にチームが定着したのは比較的最近、長期に渡り福岡にチームがない時期もあった。
 そんな1970年代あたりから、甲子園で東北の高校が決勝に出るたびに、河北新報はもちろん、他の東北各県のマスコミも、「優勝旗が白河の関を越えるか」と大騒ぎしていた訳だ。そして、私も私の親友も、その大騒ぎ(お祭りと言ってもよいだろう)にお相伴していたわけだ。加えて悪いことに、1915年の第1回大会で当時の秋田中(現秋田高)が決勝進出して敗れている。だから、常に「第1回大会以来の東北勢の悲願が」とお祭りが、一層華やかになる。そして、決勝に負けた記憶の蓄積は、新たなチームが決勝進出する度に、お祭りに彩りを添える。
 これが北海道初めて、とか沖縄初めてとなると、単一道県の悲願だから、東北地方全域とは異なり、お祭り騒ぎも極端にでかくならない。また、同一県のマスコミならば予選段階からお付き合いがある言わば関係者。しかし、東北勢が勝ち進むと他県のマスコミが集まってくるのは、若者にとって、楽しむ以上のプレッシャ、微妙なストレスになったのではないか。かくして、河北新報を始めとする東北マスコミや、私や私の親友が、東北の野球エリートの若者達に不要なプレッシャをかけ、贔屓の引き倒しをおこなってきたのではないか。何十年にも渡って。

 その不要なプレッシャに打ち勝つため須江監督が作り上げたのが、多数の投手による圧倒的な戦闘能力のチームだった。これだけ格段の物量を抱えれば、勝負の準決勝・決勝で、戦闘能力で相手を圧倒できる。これだけ圧倒していれば、余計なストレスなど気にせず勝てる。そして、勝った。
 1度壁を破ってさえしまえば。来年以降、東北勢が幾度も優勝してくれることだろう。
 仙台出身の60歳過ぎのサッカー狂の戯言でした。
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2021年01月02日

天理大フィフィタのラストパス

 毎年1月2日は、高校選手権と箱根駅伝とラグビー大学選手権準決勝のテレビ中継が錯綜。ラグビーフリークの息子と、チャンネル争奪戦となり、テレビの2画面表示やパソコン画面を併用して乗り切るのが常となっている。
 で、今日のお題は大学ラグビー。天理大が明治大に快勝して決勝進出を決めたわけだが、天理の中心選手センターのシオサイア・フィフィタのプレイ振りに感心したのだ。息子によると、昨シーズンまでは、いかにもトンガ出身らしいゴリゴリ前進するところのみが特長の選手だったらしい。しかし、今日のフィフィタは、持ち前のゴリゴリを活かしながら、変幻自在のパスを操る選手となっていた。そのパス出しの柔らかさと緩急の使い方が格段で、敵の守備選手からすると非常に守りづらいものとなっていた。
 その典型が、とどめの6トライ目。ラックからSH藤原忍が素早くSO松永拓朗にパス(この2人もとてもパスのうまい選手だった)。松永がワンフェイント入れて、後方から前進するフィフィタへ。フィフィタはズドドドドドと約30m前進、あと数mでトライと言うところまで進む。明治守備が「あわわわわ」と何とか止めに入った瞬間、突然右サイドで前進する味方ウィング土橋源之助に約20mの横パスをピタリと通し、土橋はまったくのフリーでトライを決めた。すばらしいラストパスだった。
 後から何回か映像を見直したが、フィフィタはパスを出す直前に一瞬首を振って右サイドを見ている。とは言え、前後左右から5人の明治守備者が近づいている状態で、トップスピードで前進し、まったく直角方向に正確なパスを通した技術はすばらしい。もちろん、トップスピードで前進し、敵守備陣には自らが突破しトライをねらっていると思わせて逆を突く発想と判断も最高だった。
 このような変化を加えた攻撃は、サッカーと比べると一層難しい。こういった前進方向と直交するパスは、ラグビーではどうしても山なりになる。そして、この手の山なりのパスは、ラグビーの場合相手守備者にインタセプトされると一気にそのまま100m近く走られる逆襲のリスクがある。決まった時は鮮やかだが、危険も大きい(もっとも、この場面では、フィフィタのズドドドドドが非常に速かったので、土橋をマークする守備者は明治陣に向っていたので、一発逆襲の危険は低かったのは確かだが)。
 ともあれ、このような変化ある攻撃は本当に楽しいものだ。ただ、見ての感動ももちろんだが、サッカーとラグビーの兄弟性の合わせて考えることもできるし。
 上記したが、天理大のSH藤原もSO松永は変化あるパス出しが見事な選手だが、この2人の展開後にフィフィタの前進または再展開がくるから、天理の攻撃変化はすばらしいものがある。もちろん、FWの強さも格段なのだが。早稲田大との決勝戦が楽しみだ。 

 日本で、変化あるパスのうまいセンターと言えば、ラファエレティモシーと言うことになろうが、フィフィタはラファエレよりパスの射程が長いのではないか。長い射程のパスと言えば、田村優だが、前進能力はフィフィタが格段だ。
 先日のワールドカップ抽選、昨年の好成績もあり、せっかく第2シードでの抽選となったが、よりによって第3シード最強のアルゼンチンが来て、相当厳しいグループとなってしまったジャパン。フィフィタのような若いタレントがもっともっと出てくることを期待したい。その前に、フィフィタがジャパンを選択してくれることが大事なのだが。
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2020年02月18日

野村克也氏逝去

 野村克也氏が逝去したと言う。ご冥福をお祈りいたします。
 プレイヤとしての実績は数限りない。また、監督としての成果も格段だ。もちろん、気の利いた毒舌の解説者として、我々を楽しませてくれたのも間違いない。また、氏の指導薫陶を直接受けた相当数の選手が、プロ野球の監督を務めている。選手としても、指導者としても、TVでの情報発信と言う意味でも、超一流、いや超々一流の野球人だったのは言うまでもない。
 ただ、私にとっては、野球と言うスポーツについて、我々にわかりやすく言語化してくれたライターとしての印象があまりに強い。81年から数年間、週刊朝日に連載された「野村克也の目」は、日本スポーツ界を大きく変えた著述だと思っている。そして、不肖講釈師が一つの目標として考え続けていたのが、野村氏の文章だった。「ただの、酔っ払いサポータが、何をおこがましいことを語っているのだ」とお叱りを受けるのはわかっているが。
 野村さん、ありがとうございました。

 私が氏を尊敬するのは、野球と言うスポーツを表現する言語化能力の高さと、信じ難い将来予見能力だ。言語化能力については、紹介するまでもないだろう。将来予見能力については、清原和博と言う選手の将来を予測した、以下の一連の文章を読んでいただきたい。清原は、PL学園を卒業し、1986年シーズン、西武ライオンズに加入した。その86年に、清原が鍛錬しているキャンプの視察後と、新人ながら20本以上のホームランを打ち大騒ぎになった頃。それぞれにおける、野村氏の清原評の抜粋である。
 まずキャンプ時の86年4月、開幕直前。
「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の18歳のときなどは、クズみたいなものだったな」(中略)西武キャンプで、私は清原にこういったが、ほんとうにそう思ったからで、お世辞でもなんでもない。
(中略)気にかかかることをもうひとつ。彼の器用さである。守備はそつがないし、バッティングも器用だ。(中略)器用さに流れてしまうことは弱点に通じるといっていい。(中略)思いつくのは、素質と才能のちがい、ということになる。はたの目に見えるのが素質。才能はかくされていて見えない。辞書に、才能とは「訓練によって発揮される能力」とあるが、まさにそのとおりだろう(中略)「清原は一流打者になれるか?」と、よく聞かれる。堪えは「?」である。聞きたいのは人情だろうが、答えることができたらおかしい。才能は見えないからだ。
それから、約5ヶ月後の9月。上記の通り、清原がボカスカとホームランを量産していたころ。
(前略)清原の成績を支えているのは「修正」の能力だ。シーズン前半は手も足も出なかった内閣の厳しい球を、脇をしめたおっつけでこなし、最近はいい当たりのファウルにする。まだフェアにする力は乏しいが、投手をおどかすには十分だ。ホームランを打てる甘い外角を投げてもらえるのは、このためだ。
(中略)だが、私のほんとうの気分は、ここまでみてきた彼の”進歩”がおもしろくない。長い目でみれば、逆にわざわいになる不安すら感じる。かって強打者と呼ばれた選手たちはデビュー時、いずれも内閣に強く、下半身がうまく使え、腕の操作がたくみだった。必然的に「引っぱる」選手だった。清原は流すことで成績をあげている。(中略)流し打ちはしょせん労力が少なくてすむ打法である。
(中略)報道陣やテレビカメラを意識している最近の姿も気になる。プロ1年生なのに門限破りをする(この点はかつての強打者と共通する)ようなクソ度胸のかげに、自己本位の計算高さがチラチラしているような気もする。
 繰り返すが、これは清原の新人時代(結局31本のホームランを打ち、多くの新人記録を塗り替えたシーズン中の文章である。あれから、34年の歳月が経った今、我々は「その後」を知っている。清原は、525本の本塁打を打ち、まぎれもなく日本野球史を彩る存在ではあったが、本塁打王も首位打者も打点王も一度もとることはできなず、時代を代表する野球選手にはなれなかった。野村氏は、それをデビュー当初、マスコミが大騒ぎしている際に、冷静に予測していたのだ。

 ここらへんからは、サッカー狂の戯言です。
 野球界のVIPと言えば、長嶋茂雄と王貞治にとどめをさすと思う。ただ、このONについては、我々サッカー界は、カズと澤穂希と言った、それなりに近づきつつある人材を輩出できているように思う。50過ぎてもプロフェッショナルである現人神と、本人自身も代表チームも世界一を獲得したスーパーヒロイン。
 けれども、野村氏に匹敵するような、いや、たとえられるような人材は、サッカー界では中々思いつかない。

 日本サッカー界の名将と言えば、岡田武史氏、西野朗氏、小林伸二氏、佐々木則夫氏らが挙げられる。みな現役時代に相応の実績を残しているが、野球における三冠王のような実績ではない。 
 故岡野俊一郎氏を筆頭に加茂周氏、最近では戸田和幸のように、テレビ解説を軸にサッカーの言語化にすぐれた解説者はいることはいるが、現役時代の野村氏のような格段の実績を持った方は思い浮かばない。
 サッカー文壇では、そもそもトッププレイヤだった人は、とても少ない。
 いや、セルジオ越後氏はすごい選手だったし、在野でサッカーの拡大への貢献は最高だし、解説は野村氏ばりの毒舌で聞いていておもしろい。しかし、氏は眼前で行われているサッカーの言語化は、致命的なほどつたない。と言うか、ちゃんと試合を見てないw(ちゃんと試合を見てないサッカー解説者やサッカーライターは枚挙にいとまないし、そこがサッカーの楽しさだと思うけれど)。あ、誤解しないで欲しいけど、私はセルジオ越後氏は大好きだし尊敬してますよ。
 もちろん松木安太郎氏の、眼前の試合の言語化能力は格段なことは言うまでもない。選手としても、野村氏ほどの実績はないが、天分の素質を知性と工夫と謀略で最高に伸ばしたことは間違いない。あと、まあ一応Jリーグ初代チャンピオン監督だ。しかし、しかしだが、野村氏の言語化能力と、松木氏のそれは、軸が異なる。どちらも絶対値は大きいが、実数と虚数とでも呼べばよいか(もちろん松木さんが虚数ねw)。
 小見幸隆氏は、選手としての実績が格段だし、本来のポジションでないプレイを望まれたことで代表チームを辞退したと言う「月見草感」がある。さらに気の利いた毒舌含めたサッカー論評は絶妙。レイソルでのフロント実績も中々だ。しかし、監督としての実績に決定的に欠ける。ともあれ、あれだけおもしろい文章を書くことができるのだから、もっとサッカー文壇に登場して欲しいのだが。
 反町康治氏は、すばらしい選手だったし、監督として比較的戦闘能力に乏しいチームをそれなりに勝たせると言う実績が複数回。解説での言語能力も高く、「サッカー界の野村克也」に1番近い存在かもしれない。ただ、選手としては、あれだけ周りが見えて、技巧も優れていたのだから、代表の中核まで行って欲しかった。もっともっと、すばらしい実績を挙げられたのではないか、と思えてならないのだ。まあ時の代表監督もひどかったのだけれと。今から選手生活をやり直していただく訳にはいかないがw、反町氏がもう少し戦闘能力高いチーム率いるのは見てみたい。例えば、氏の監督生活で唯一の汚点とも言えるチームが、現在監督の監督の不首尾で苦労している。反町氏に12年前の復讐戦の機会を提供できればステキなのだけど。まあ、叶わぬ望みかな。

 上記のようなことをTwitterで述べたところ、海外の偉大なサッカー人と喩えてくださった方が何人かいた。
 マリオ・ザガロ、ヨハン・クライフ、ジョゼップ・グアルディオラと言った大巨人達は、選手としても監督としても、圧倒的な成果を誇る。けれども、監督として、彼らが率いたのは、最高の選手が集まり、世界最先端の戦術を採用することが許されるチームだった。そして、彼らは、その対価として圧倒的なサッカーでタイトルをしっかり獲得することを要求され、それを実現した。ただし、この3人が特別偉大なのは、その実現を格段の「美」を伴い実現したことだ。
 しかし、野村氏の監督としての偉大さはまったく異なる。氏が率いたのは、必ずしも経済的に潤沢とは言えない、あるいは過去からの積み上げがうまく機能してない、比較的戦闘能力が乏しいチームだった。そして、そのようなチームを強化するのが、野村氏の妙味だった。まあ、そう考えてみると、氏が強いチームを率いるのを見てみたかった思いも出てくるのだが。野村氏率いる野球の日本代表とか。

 そう言う意味で野村氏への類似性を感じさせるのが、イビチャ・オシム氏だ、と言う指摘はもっともだとは思う。でも、私はこの2人には決定的な相違があると思うのだ。
 確かに。オシム氏はジェフの指揮をとり、ナビスコ(現ルヴァンカップ)を制し、再三J1の優勝争いに参画した。少々表現は微妙になるが、当時のジェフの戦闘能力は格段に高いものではなかったし。また、オシム氏の執拗なサッカー好きと言うか、サッカーオタクと言うか、とにかくサッカーさえあればそれでよし、と言う姿勢。それは、野村氏の野球に対するそれと類似性もある。
 また、奥様に頭が上がらないこと。同じ業界で働くご子息に対し、少々いやかなり脇が甘い態度が見え隠れするところも、似ている。うん、似ている。
 では、私が前述した、この2人の決定的な違いとは何か。それは指導のやり方、考え方だ。
 野村氏は、弱者の方法を執拗に具体的に語り、それを指導で実践した。執拗なボトムアップの継続で、各選手に判断力をつけさせようとするやり方。局面ごとに判断を誤った選手への評価は極めて辛辣だった(人はそれをボヤキと呼んだが)。一つ一つのプレイの目的を語った上での誤りなので、選手はその反省を活かしやすかったことだろう。
 一方、オシム氏は、目指す姿を抽象的にあるいは概念的に語り続けた。ジェフの選手たちも、代表の選手たちも、その目指す姿が中々理解できず、戸惑いの日々もあったと聞く。もっとも、代表においては、氏が監督に就任した時点で、ジェフでの水際立った指導は各選手に浸透していた。なので、「とにかく、このオッサンの言うことは聞くしかない」的な雰囲気があったとも聞くが。しかし、氏の厳しい鍛錬と要求を受け入れ、継続しているうちに、多くの選手のプレイ選択の質が次第次第に高くなる。そして、気が付いてみれば、チーム全体で鋭いサッカーを演じられるようになっていった。結果が出て、かつプレイ中の判断力が高まったことを自覚することで、各選手は氏の指導の的確さを理解し、一層氏の指導が効果的になる。正にポジティブフィードバックを生む包括的なトップダウンとでも言おうか。
 オシム氏の日本代表への挑戦は、氏が病魔におそわれ、中途で終わってしまった。もちろん、ジェフにおいても、強奪事件が起こったので最終形を見ることはできなかった。
 オシム氏最後の采配は、この試合だった。大久保嘉人と言う偉才が、初めて日本代表で輝いた試合だった。すばらしい試合だったが、そこから氏がチームをどのように発展させ、何を目指していたのかは、永遠に氏の頭の中にしかない。そして、氏は退任後もそれを語ってはくれない。それが氏の美意識によるものなのかどうかはわからない。果たして、氏のトップダウン指導の対象の究極であるこの男には、オシム氏の最終到達点見えていたのだろうか。
 ともあれ。野村氏とオシム氏のスタイルの違いを解題するのは、とても楽しいことだ。2人の性格や考え方の違いによるものだったのか。それとも、停止とリセットを繰り返す野球と、常に流動的なサッカー、スポーツの性格の違いだったのか。あるいは、12球団の争いと言うドメスティックな戦いと、地球上のほとんどの国同士で行われる広範な戦い、と言った違いによるものだったのか。
 いま思えば、いずれかの媒体がこの2人の対談を企画すればおもしろかったような気がするが、実際に行ったとしても、あまり噛み合った議論になったとも思えないな。なにせ2人とも、あまりに自分の競技が好きすぎてしまっていたのだから。

 私が野球に興味を持った60年代後半、故郷の仙台で見ることのできる野球中継はジャイアンツがらみのみ。パシフィックリーグとは謎のリーグだった。そのパリーグの最強チームは南海ホークス、そこにはONと並び称される恐ろしい打者がいる。その幻のような噂が、私の最初の野村体験だった。
 その後、ホークスでの選手兼監督としての鮮やかな活躍。公私混同問題での解任。生涯一保守宣言でのプレイ、そして引退。この頃には、いずれの試合も毎日のように「プロ野球ニュース」で紹介されており、老獪な名手を楽しむことはできた。
 引退翌年から「野村克也の目」の連載が開始。上記の通り、私は「スポーツの言語化がここまでおもしろいとは」と、正直感動いたしました。
 改めて感謝いたします。
 野村さん、ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 22:58| Comment(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

ラグビー南アフリカ戦前夜2019年

 オールブラックスとイングランドの強さを目の当たりにした準々決勝初日。いよいよ、スプリングボックス戦が近づいてきた。あまり書いたことがなかったが、結構本業では、南アフリカと縁があり、知己も少なくない。たまたまだが、先週同国から親しい同僚が来日しており、「スコットランドに勝ったら、いよいよだね」とお互いに盛り上がった後に、「4年前のようにはいきませんよ」、「いやいや、アイルランド戦見たらわかるけど、我々の戦闘能力は4年前をはるかに超えているよ」、「ええ、本当にアイルランド戦すこかったですよね」などと、盛り上がったものだ。
 確かに、4年前とはまったく違う。明日のスプリングボックスは、何ら油断することなく、ホームグラウンドで圧倒的な我々の声援を受けるチェリーブロッサムズと戦う準備をしている。さらに先方は、10/8にカナダに完勝した後、中11日をかけて調整してきている。
 一方、ジャパンは先週のスコットランド戦の死闘から、中6日。具智元をはじめとした負傷者、疲労の色が顕著だったリーチマイケルらが、どこまで回復してくれているか。ただ、私は必ずしも、この試合間隔は、そう不利にはたらかないとも思っている。いわゆるティア1国とのテストマッチの機会が少ないジャパンにとって、この本大会のアイルランド戦、スコットランド戦の経験は、そのままチームの強化につながったと思っているから。コンディションコーチが適格な負荷を、ドクターが適切な医療を提供してくれれば、タフな試合感覚を維持して、この難敵と戦えると思うのだ。

 幾度か語っているが、私の息子は高校に入った折に、サッカーからラグビーに転向した。そして、つい最近まで現役ラガーだったこともあり、いわゆる選手枠で今大会のチケットをしっかりと押さえてくれた(カネは私が払ったw)。4年前に南アフリカに勝った時の坊主のふるまいも中々だったが、今大会の狂乱ぶりは、親バカとしては実に嬉しい。また、アイルランド戦、サモア戦を共に観戦し、応援をリードする楽しさを、それなりに指南できたw。そして、ジャパンの残り3試合も、坊主と応援できるのは大いなる楽しみだ。

 と、強気で語ってはいるが、スプリングボックスは強い。正直、当方が勝つ確率は40%くらいだろうか。
 続く準決勝、ウェールズが来る確率は80%、これに勝つのが50%。フランスが来たら70%は勝てるのではないか。
そして、エディーのオッサンが何か仕掛けてくるから、アイルランドに完勝したオールブラックスもそう簡単に勝てないだろう。オールブラックスが来る確率が60%で、こちらに勝つ確率は10%、くらいかな。一方でイングランドだったら、20%くらい。以上より、日本の優勝確率を計算すると
0.4×(0.8×0.5+0.2×0.7)×(0.6×0.1+0.4×0.2)=約0.03、つまり約3%と言う予測となった。
 で、いま25歳の坊主に説教しているわけですよ。坊主があと60年くらい生きるとしたら、あと15回ラグビーワールドカップを体験できる。果たして、ジャパンがあと3試合残して、世界一になる確率が3%あるなんてことが、もう1度あり得るだろうか。そう考えると、坊主の人生で最大のチャンスが眼前にあるのではないか、そして、この3%と言う驚異的な高確率を少しでも高めるために、我々は全知全霊を傾けて応援しなければならない、と。

 と言うことで、明日は親子仲よく、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」。いや、明日だけじゃない、あと3つ。
posted by 武藤文雄 at 01:26| Comment(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月29日

アイルランド戦の歓喜とニッポン!チャ!チャ!チャ!

 ラグビーワールドカップ、日本代表はアイルランドとの死闘を制して、19対12で見事に勝ち切った。試合内容もすばらしいものだった。
 4年前の南アフリカ戦の歓喜は、10回に1回起こせるかどうかの勝利を引き寄せた番狂わせ感があった。しかし、今回の勝利は違う。強いチーム同士が、がっぷり四つで戦い、瞬間瞬間の判断に上回った方のチームが、戦闘能力で勝利した試合だった。ジャパンは戦闘能力でも、先日まで世界ランク1位だったアイルランドと遜色なかったのだ。
 私としてはこの大会観戦2試合目。最初はオールブラックス対スプリングボックス戦。少なくとも、観戦した4か国の戦闘能力には、あまり差がないように思えたのだが。
 もちろん、ジェイミー・ジョセフ氏も、リーチマイケルとその仲間たちも、勝負はこれからなのは、わかっている。スコットランド戦はもちろん、サモア戦も、簡単な試合ではないだろう。でも、彼らはきっとやってくれることだろう。

 簡単に試合を振り返っておこう。
 20分までに2トライを奪われ、3-12、相当難しい試合になってしまう雰囲気があった。しかし、30分過ぎだったか、自陣での相手ボールスクラムでペナルティを奪い、流れは完全に変わった。敵陣でのプレイが増え、田村がペナルティキックを2本決めて3点差で前半終了。
 後半も攻勢をとる。幾度も幾度も攻め込むが、アイルランドの守備も固く、どうしても最後の5mが破れない。それでも、手変え品変え攻め込む。決勝トライは敵陣深いところで得たマイボールスクラムから、よい球出し、幾度も押し込んで、最後は両センタの妙技から、福岡が抜け出した。これは、どんなチームでも防げないだろうと思える、何とも見事な変化だった。
 その後、幾度から自陣に攻め込まれるが、強烈なタックルで22mライン近傍で幾度求める。アイルランドもさすがで、ジャパンの激しいタックルを食らっても、とにかくボールを落とさない。そのような攻防が続いたが、後半ジャパン守備陣は崩れず、とうとう押し切った。

 ともあれ、この試合、唯一残念だったのは、80分過ぎ、負けているアイルランドがキックで試合を切り、試合終了を選択した事。絶叫で応援していた我々は「アレ?」と、すぐに歓喜を味わえなかった。これは試合終了後に当のキックをしたカーベリが、7点差以内の勝ち点1の確実な確保を目指した、と発言しているらしい。やはり、ここはジャパンがマイボールを外に蹴りだして、明確な歓喜を味わいたかったところだが、贅沢は禁物だろう。まあ、アイルランドも、これ以上執拗に当たってくるジャパンと戦いたくなかったのかもしれないけれどw。

 それにしても、会場のエコパの雰囲気はすばらしかった。特に逆転以降、アイルランドが力を振り絞って攻め込んで来て、ジャパンが必死に我慢を重ねた時間帯。地鳴りのように巻き起こった「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、間違いなくジャパンの選手たちを奮い立たせたはずだ。そして、選手たちの奮戦がフィードバックとなり、我々をさらに奮い立たせる。22年前のジョホールバル、17年前の横浜国際を思い出した。コールリーダを軸に、試合の流れと変化を考えながら、ありとあらゆる歌とコールとチャントを駆使するユアテックもいいが、このようなシンプルな声援も悪くない。
 ほんの少しだけど、自分も勝利に貢献できたかなと思っている。一緒に絶叫していた息子曰く、ロシア戦のスタジアムの声援と拍手はすばらしかったが、いわゆるコールは今一歩だったとのこと。なので、前半から、節目節目で「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」を始め、回りを巻き込んで行くようにした。そして、前半半ばあたりから、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は前後左右広範なブロックに広がり、試合終盤には大きな声援のうねりとなった。上記したリードした後、アイルランドに攻め込まれた時間帯は、立ち上がってスタンド後方まで煽ったりもした。何か、30数年前、サッカーの代表を応援するために、周囲を巻き込んだ時代を思い起こして懐かしかった。眼前に行われている競技の質も、周囲の観客の量も、当時とは全く違っていたけれど。

 「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、日本サッカー狂会創始者の故池原謙一郎先生が、発明されたのは、よく知られたことだと思う。
 池原先生からは、直接幾多の薫陶を受けることができた。中でも、忘れられないのは、87年ソウル五輪予選時の議論。当時、中国戦のアウェイゲームを応援に行ったのは、我々好事家数十人程度だった。一方、クウェートで行われた男子バレーの予選は100名を超えるファンが現地で応援したと言う。サッカーは出場できず、男子バレーは出場できたのは結果論だが、その年の忘年会で、あれこれそれについて議論していた時のこと。私が「我々はバレーに負けている」と語った。すると、いつもは我々の議論をニコニコとおだやかに聞いている先生にたしなめられた。「そもそも、勝ち負けは韓国なり西ドイツやブラジルと争うものですよね。また、競技の人気度の比較をするにしても、海外の試合を応戦に行った人数で語るのはいかがなものですか。本質的には、競技人口なり、合理的な組織が作られているかで、語られるべきではありませんか」と。

 私も歳をとった。当時、そのような教えをくださった先生と、ほとんど同じ年齢となっている。
 そして、このアイルランド戦。天国の池原先生に、ちょっと嬉しい報告ができると思っている。先生が発明された「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、ラグビーと言う異なるフットボールに広がり、世界最強国を戦闘能力で粉砕することに成功しました、と。
posted by 武藤文雄 at 23:59| Comment(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

サッカー狂が堪能した史上最高の番狂わせ

 「史上最高の番狂わせ」
 この「史上最高」は、必ずしも「ラグビーワールドカップ史上」にとどまらず、「世界スポーツ史上」なのではないかと思えてならないのだが、それは結びに。

 日本ラグビーの関係者すべてに「おめでとうございます」、考え得る最大級の祝意を伝えたい。そして、日本人の野次馬として、その歓喜をお相伴させていただけた事に感謝したい、「ありがとうございました。」 さらには、サッカー狂としては正直羨望している。うん、うらやましい。
 
 幾度か拙ブログに書いてきたが、私の大学生の坊主は現役ラガー。5年半前に高校に進学した際に、それまで9年間続けてきたサッカーからラグビーに転向した。以降、ラガー坊主の試合観戦は、サッカーに浸るのとは別の愉しみとなっている。加えて、坊主の解説を聞きながら、トップレベルのラグビーをテレビ桟敷で堪能させていただいてる。
 もっとも、私のラグビーに対する造詣は限られたもの。学生時代、テレビ桟敷で新日鉄釜石の洞口、千田、松尾、谷藤と言った名手の創造性豊かなプレイに感心。87年の第1回W杯で、フランスのシャンパンラグビーを率いたFBのブランコに感嘆(奔放さがプラティニを軸とする80年代のサッカーフランス代表を思い起こさせた)、この大会のフィジーのパスワークも凄かったな。95年の決勝の南アフリカとNZのドロップゴール以外全く点が入りそうもない試合に、「ああ、ラグビーもサッカー同様、点が入らないからおもしろいのだ」と強引な解釈。以降は、毎冬の日本のトップレベルの試合や、4年おきのワールドカップを、テレビ桟敷で適宜愉しむ程度だった。
 そして、上記の通り、坊主と言う師匠を得て、観戦頻度が高まってきたのが、ここ数年。2011年の決勝の1点差の緊迫感を、坊主の解説で堪能したのは記憶に新しい。

 そのようなサッカー狂から、この「史上最高の番狂わせ」を語ってみたい。ピントがずれいている事も多いかもしれない。それで、不愉快に思うラグビーファンの方々がいたら、ごめんなさい。

 まず守備がすばらしかった。南アフリカは、体格のよい選手が多く、それを前面に出して戦ってきた。それに対して、ジャパンは低いタックルで対抗、敵のスピードが鈍ったところで2人目がつぶしに行く。愚直にこれを繰り返し、ゴールライン前で南アフリカの攻撃をつぶし続けた。
 許したトライは、ラインアウトからのモールから2本、大型FWを第一波で止め切れなかったのが2本。いずれも、体重差を活かされ「ちょっとどうしようもない」と言う印象。
 単純なモールでの争いに持ち込まれると、体重差が如実に出てしまうのは言うまでもない。そして、後者2発は、100kgをはるかに超える超大柄な選手が機敏なフットワークを見せ、止められなかったもの。そして、「どうして、あの巨体があれだけ機敏に横にも動けるのだ!」と感嘆させられた。
 言わば、この4トライは、南アフリカとジャパンの、現時点の(あくまでも現時点の)資源力の差なのだろう。 しかし、リーチマイケルと仲間たちは、その資源力の差にじっと耐え、4トライに押さえたのだ。

 ジャパンのミスの少なさも信じ難い。素人の私が把握できた大きなミスは以下の3つに止まった。なお、ここで言う「大きなミス」とは、その選手の能力を考慮すれば当然できるべきプレイをやり損ねた、あるいは明らかな判断の誤りがあった、ケースを指している。
 1つ目は、前者のやり損ね。大黒柱の五郎丸が2本目のペナルティを外した事。これは、ちょっと衝撃だった。普段の五郎丸ならば、楽々決める位置だったからだ。やはり、想像を絶するプレッシャがかかっていたのだろう。しかし、五郎丸はプロフェッショナル中のプロフェッショナルだった。3本目以降、次々と難しい位置からのキックを淡々と決め続けた。勝利が確定した後のキックを外す人間くささを含め、完璧な出来だった。
 2つ目と3つ目は、後者の明らかな判断ミス。まず、前半の逆転トライ直後に、主将のリーチマイケルが味方ノックオンのボールを思わずさばいてしまい、オフサイドを取られてしまった事。そして、3つ目は、70分過ぎに、交代出場以降に格段の突破を再三見せていたアマナキが、ラックで明らかに自分より前のボールをさばきオフサイドを演じてしまった事。
 しかしだ。ラグビーはこのようなミスが連発するゲームなのだ。たとえ、弱小国を相手にした強国だろうが、大学生を相手にしているトップリーグの代表選手だろうが、素人から見ても、再三信じ難いミスをする。特にアマナキが演じたようなオフサイドは、結構日常茶飯事だ。これは、ラグビーが激しい肉体接触を伴う、格闘性の高い競技の故だと思っている。ラックやタックルにおける、純粋に身体のぶつけ合いの連続は、時にどんな大選手からも「冷静な判断」の機会を奪ってしまうのだ。少なくとも、このようなタフな試合で、素人の私が認識できる明らかな判断ミスが、たったの2件だったのは、すべてのジャパン選手が冷静に戦っていたのかの証左と言うべきだろう。
 一方、南アフリカは自陣で再三、明らかな判断ミスから、ジャパンに再三ペナルティキックの機会を提供してくれた。特に多かったのが、ノット・ロール・アウェイ、ジャパンがラックでボールをキープして、そのボールを受けようとして接近する選手とボールの間に寝そべり続ける反則だ。おかげで、五郎丸が次々とペナルティキックで加点できた。

 そして、ジャパンのトライ。
 まず前半のトライ。敵ペナルティを利して、敵陣深くでのラインアウト。そこからモールに持ち込んでのトライ。このモールには、立川から松島からバックの選手が次々に加わり、体重差を人数差で凌駕する事に成功した。見事な作戦勝ちと言えるだろう。日本の高校ラグビーでは、「スクラムは1.5mしか押していけない」と言うルールがあるため、モールを強化する傾向があると言うが、それがこの大舞台で見られたのだから愉快だった。
 2本目のトライ。正にパスワークの妙味。松島のパスを受けた五郎丸の外に、もう1人選手がいた事でわかる通り、完全に南アフリカを崩し切った美しいトライだった。ここの仕掛けは前半から、再三鋭い前進を見せいてた立川が、この場面は「縦に出るぞ」とのフェイントから、パスを回した事による。正に、ここまでの68分間の伏線が活きたトライだったのだ。いや、本当に見事なトライでした。

 29対32のまま、時計は回り、ノーサイドが近づいてきた。ジャパンは、冷静にボールをつなぎ、南アフリカゴールライン近傍まで攻め込む。そして、79分、モールでの逆転トライ狙いに対し、南アフリカは明らかに自らモールを崩す。素人目には、認定トライが妥当に思えたが、主審はそう判断しなかった。これは主審にも同情する。「史上最高の番狂わせ」を、自らの判断による認定系の得点とするのは、耐えられなかったのだろう。
 それでもジャパンは、丁寧にボールを保持し、回して、とうとう崩し切った。この最後の時間帯、おそらく5分を超える間、15人すべてがミスをせずに、格段の意思疎通で戦い切ったのが、また素晴らしかった。
 試合終了後、勝因を聞かれたリーチマイケルが、迷わず一言「フィットネス」と答えていたが、この日に合わせて鍛えぬき、体調を揃えていたジャパンは、最終盤に体力でも判断力でも技術でも、南アフリカを圧倒していたのだ。そして、選手達もそれを自覚していたのだろう。80分経過後にジャパンに提供されたペナルティで、キックによる同点ではなく、ボールをつないでの逆転狙いを選択した事が、「あくまで勝ちを目指した勇気」として称える向きが多いようだ。しかし、リーチの選択の最大の理由は、(シンビンによる敵の人数不足を含め)ボールを回して逆転トライできる可能性が、異様なプレッシャ下で角度のない所から難しいキックを狙う仕事を五郎丸1人に託すより確率が高い、と言う事だったのではなかろうか。

 そもそも、「ラグビーと言う競技は、番狂わせが起こりづらい」のが常識と言われている。その最大の理由は、戦闘能力の劣るチームが守備を固めて失点を最小限に押さえる事そのものが厄介だからだ。それは、ラグビーがサッカーと異なり、フィールドの幅全体を守らなければならない事、特にフィジカル差が顕著な場合にラインを上げて守る策が採れない事、パスを回して時間を稼ぎ疲労しない手段が採れない事(ラグビーにおける「キープ」は、パス回しではなく、最も身体を張らなければならないラックなのだ)などによる。だから、現実的に、サッカーのように、「守備を固め失点を最小に押さえ、少ない好機を活かす」と言うやり方が使えないのだ。
 実際、この日のジャパンは、上記したように水際立った守備を見せ、沈着冷静にファウルを最小にした。それでも、32点奪われた。そのくらい、ラグビーの守備と言うものは厄介なのだ。それでもジャパンは勝った。粘って、粘って、粘って、失点を32点に止め、しっかりと計画した攻撃で、その失点を超えた得点を奪ったからだ。素晴らしい。

 と、ここまで書いてきて思った。そもそも、この日のジャパンの80分間の試合内容を見ても、体格差で押し込まれる場面は多々あったが、局面局面では負けていなかった。そのくらい、戦闘能力面でも際立った内容を見せてくれていたのだ。
 つまり、エディー・ジョーンズ氏と言う格段の指導者が、リーチマイケルとその仲間達を的確に指導し、選手達も能動的に自らを鍛え抜いた。その結果、過去の実績からは「弱者」としか言いようのないジャパンは、南アフリカに対し互角近くに戦える戦闘能力を具備できたのだ。もはやジャパンは「強者」である。

 リーチマイケル達の冒険は始まったばかりだ。スコットランド、サモア、USA、彼らに対し2勝以上を挙げ、ベスト8に進むのは、不可能ではないが、決して容易ではないミッションだ。きっと、彼らはやり遂げてくれると確信しているが。しかし、目標のベスト8を実現できる、できないは別にして、既に彼らは歴史を作ったのだ。
 それは「史上最大の番狂わせ」に止ままらない。
 エディーさんとリーチ達は、この南アフリカ戦で、「過去の実績は『弱者』でも、鍛錬と創意工夫で『強者』に勝てる」と言う事を、具体的に示した。つまり、ラグビー界の「番狂わせが起こりづらい」と言う常識そのものを、否定する事に成功した。彼らは、そのような意味でも、歴史を作ったと言えるのではないか。
posted by 武藤文雄 at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

新国立競技場について

 昨今話題となっている新国立競技場問題について。

 40年以上サッカーに浸りきっているが、競技場の事はよくわからない。そりゃ、陸上トラックが無い方がよいとか、傾斜のきついスタンドの方が見やすいとか、屋根があれば濡れなくてよいとか、そう言う意見はあるよ。一方で、屋根があまり大きいと芝の育成の妨げになるとか、どのような構造にすれば入退場がしやすいとか、そのあたりはさっぱりわからない。言うまでもなく、シロートゆえ、何百億円なら妥当だとかの値頃感は、もちろんない。それに加え、どのような外観の競技場がよろしいかなどについての意見もないのだ。

 個人的に外観を見て感動したのは唯一サンシーロスタジアム。90年イタリアワールドカップで、ミラノの街で体感したこの競技場は美しかった。あの四隅を構成する美しい螺旋階段。あの螺旋階段のピッチ側がそのままスタンドの入り口となっているために、階段を一周する度にスタンドの声援が聞こえてくる高揚感。「そうか、競技場と言うものは、こんな素敵な建造物足り得るのだ。」と素直に感動した。この街で堪能した「最後の晩餐」と「ドゥモ」と、そしてこの競技場の感動は、人生の宝物の1つだ。もちろん、そこで演じられたドラマ、バルデラマの妙技、ブレーメの知性、ファン・バステンの絶望なども。
 一方で、後日この競技場がその構造物が故に、芝の生育の問題があると聞いた。こうなると、競技場のあるべき姿の検討は、シロートには荷が重い。したがい、競技場のあるべき姿については、あまり考えなくなった。
 そうなると、話は簡単。私にとって最高の競技場は言うまでもなくユアテックであり、忘れ難い3大競技場は、広島ビッグアーチ(初のアジア王者)、ジョホールバルラーキンスタジアム(言うまでないですね)、そしてスタジアム・ミュニシパル・ドゥ・トゥールーズ(最初のワールドカップアルゼンチン戦)、と言う事になる。
 こう言う人間ゆえ、競技場のハードウェアについては何の意見もない。サッカーさえ見る事ができれば、それでよいのだ。

 もっとも。却下された現行プランがダメなのはシロートでも理解できる。
 このプロジェクトはダメだ。当初予算の1300億円を超過しているのも論外だが、要件が確定せず上限金額が確定していないからだ。あれこれの要件が確定し、施工側が安全サイドの見積もりを提示し、それが高過ぎるならば、問題はあるが仕方がない。
 けれども、本件は違う。最終要件が決まらず、現状の見積もり金額が最上限とは確定していないからだ。屋根やらスタンドやら、不確定要素が多すぎる。再三、「2520億円」と言う金額が報道されているが、シロートから見ても、これが上限金額ではない事が明らかだ。このようなプロジェクトは間違いなく破綻する。
 したがって、現行プランが中止となり、「やれやれ」とは思うが、だからと言って「2520億円」が前提となり、「それ以下の金額なら上々」と言う世論には気をつけたいとは思うけれど。

 一方で、私はしがないサッカー狂だ。五輪など、どうでもよいと思っているのが正直なところ。
 「どうせならば、ラグビーワールドカップに合わせ、球技専用競技場ができればシメシメ」と思っていたのも否定しない。だから、今回の「ラグビーワールドカップに間に合わないのはやむなし」には、少々複雑な思いもある。まして、ラグビー好きの方々の気持ちは考えると、何とも言えない。
 もっとも「シメシメ」は、五倫招致成功時点で諦めざるを得なかったのだろう。五輪の競技場なので、開会式や陸上競技をする必要があるから、陸上トラックは必須だからだ。そうなると「シメシメ」を修正して、「東京五輪のドサクサで、立派な新国立競技場が完成し、できれば五輪後に陸上トラックをなくす改装が行われて球技専用競技場が入手できればシメシメ」くらいは考えていたは確かですが。
 それよりは税金を有用に使うべきだと、考える程度の思考力はあるつもり。だから、「シメシメ」が実現しなくても仕方がない。よい五輪用競技場が完成するのを期待したい。 

 だけれども、あの都心の超一等地、それも幾多の思い出がある伝統的なあの場所の競技場。どのような競技場を作るのが一番よいのか、真剣に考えるべきだとは思う。
 サッカー狂の戯言と言われるかもしれないが、定期的に数万人以上の観衆を集める事が可能な競技は、サッカーあるいはラグビーしか考えられない。その場合、陸上トラックがあるだけで競技場の利用率は下がってしまう。だから、競技場として考えるならば、冗談抜きに将来は球技専用競技場への改造を考慮すべきだろう。
 一方で、巷言われるようにコンサート会場として有用ならば、そう決断すべきだろう。それならば五倫での仮利用の後は、そのようなイベント会場と割り切るのも一案だ。全天候用屋根をつけて、芝生の事など何もも考えず、球技競技場への転用は捨ててしまう。
 ウルトラCとして、日本で最も観客動員が期待できる野球場への転用もあり得る選択肢かもしれない。そうなると、神宮をつぶしてコンパクトな球技専用競技場とか言いたくなるが。
 さらに言わせてもらえば、五輪は味の素スタジアムなり、日産スタジアムに任せ、更地になったあの土地は、いったんそのままにすると言う選択肢も…

 よい機会だと思う。皆でどうすればよいのか、真剣に考える機会なのではないかなと。
posted by 武藤文雄 at 00:39| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする