2007年11月05日

落合の日本選手権制覇、素人の素朴な疑問

 選手時代から、落合は好きな選手だった。知性と技巧が融合したバッティングは、野球の素人でも「見事なものだな」とわかりやすかった。晩年のジャイアンツ時代「チームが苦しくなった場面」で投手に一声かけるタイミングが絶妙だったが、試合の流れを完璧に把握しているが故なのがよく理解できた。
 ドラゴンズの監督として、抜群の実績を挙げているのは間違いないところだったが、このチームの伝統?か、どうしても日本選手権では勝ち切れずにいた。

 で、素人の疑問なのですよ。もちろん、山井の交代についてです。

 「あそこまで完璧だった山井(マメがどうしたとかを含めて)」より「押えの切り札岩瀬」の方が、押える確率は自明なほど高いのだろうか。
 自明なほど高いなら、落合采配は当然だろう。野次馬が論評するのは自由だが、「日本一」のためにそのような采配をするのは当然の事だろう。
 でも、私にはその「自明さ」がよく理解できない。94年にジャイアンツの槙原が完全試合を達成した直後のTVでのインタビューで「今日は投げていて全く打たれる気がしなかった」と言う趣旨の発言をしていた。おそらく完全試合を実現するような時は、投手は体調調整や技術のバランスが完璧にはたらいているのだろう。
 そう考えると、「山井をそのまま投げさせた方が、ドラゴンズの勝利の確率は高かった」ように思うのですが、違うのだろうか。
 ともあれ、あそこで完璧に押えた岩瀬が凄いのは確かだがね。
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2007年10月05日

大相撲の危機

 大相撲が深刻な事態に襲われている。言うまでも無く、時津風部屋でのリンチ殺人事件である。

 冒頭に述べておくが、この事件は、朝青龍サッカー騒動とは全く質が異なる。朝青龍騒動は、単なる相撲界内部の内輪もめであり、誰に迷惑をかけた訳でもない。朝青龍が内規(巡業期間はオフではなく活動期間である事)を破り、それが中田英寿と取り巻きの金儲けに巻き込まれた事で公になり、その後処理を朝潮(高砂親方)が誤っただけの話である。まあ、サッカー人としては、爾後に発表された中田英寿の空気が読めないコメントは感心しなかったが、大変残念な事に既に彼はサッカー界の人間ではないのだし。

 しかし、今回の時津風部屋事件は異なるのは言うまでもない。これは殺人事件である。しかも、被害者の知人による密室内で行なわれた、陰惨な殺人事件なのだ。
 北の湖のおじぎの角度が浅いのが話題になったが、北の湖にが対応すべき問題は、おじぎの角度ではなく、過去の状況の明示化と、それに伴う未来への展開であるのは言うまでもない。
 双津龍(時津風親方)の解雇、北の湖以下の理事の自主減俸などの処置が決定されたが、相撲界が行なわなければならないのは、そのような「トカゲの尻尾切り」ではない。
(1)時津風部屋で何が起こったのか
(2)過去類似の事件はあったのか
(3)今後これらの事件を無くすために何をするのか
(1)を司法当局に任すのは(悲しい事だが)起こってしまった事ではあり、仕方が無いかもしれない。しかし、(2)、(3)は相撲界にしかできない事だ。既に世論は(2)を当然の事実と見なし始めている。このまま事態を放置したら、(2)は既定の事実と見なされ、相撲界に入門する人間はいなくなってしまうくらいの危機的状況なのだ。事は人の生き死にの問題である。「人の噂も七十五日」は通用しないのだ。

 初代貴ノ花(故人、2代目貴乃花、3代目若乃花(先日離婚報道)の父親)引退時に、二子山部屋の稽古風景がテレビで放映された事がある。当時まだ横綱にはなっていなかった隆の里(鳴門親方)が若い衆を徹底的にしごく映像が映し出された。先日来テレビで再三採り上げられている「ぶつかり稽古」。凄まじい迫力にちょっと驚いた記憶がある。横でニヤニヤ笑っている2代目若乃花(間垣親方)も印象的だったが。ちなみに、「隆の里に『かわいがられていた』若い衆は、実は初代貴ノ花の内弟子で...」と言う噂があったが真偽は不明。
 北の湖、三重の海(武蔵川)、藤ノ川(伊勢の海)らが今しなければならない事は、このような過酷な鍛錬が「あくまでも鍛錬である事」を示す事である。そして示せないならば、過去の問題点を可能な範囲で抽出し反省点を明確にして、「徹底した再発防止」を行なう事である。当然ながら、外部の監査的な対応も必要だろう(大相撲界には幸いにして「横綱審議委員会」と言う外部の人間の公的組織があるのだが)。

 私は大相撲が大好きだ。大相撲の魅力は、鍛え抜かれた力士の個性的な対決と、伝統の様式美にある。
 幾度か国技館の桝席で生観戦をした事がある。原色で彩られた土俵周囲の美しさ、土俵入り、仕切り、勝ち名乗りなどの伝統的な姿勢。一方で鍛え抜かれた力士の技巧。それぞれの力士は、皆全く異なる個性を武器にしており、それぞれの相対関係は一瞬の立会いの差や駆け引きで大きく変わる。それでも数年に1人登場する、大鵬、北の湖、千代の富士、2代目貴乃花、朝青龍などの、群を抜く天才。
 個人的には様式美はさておき、個性の激突は、サッカーとの類似性を感じている。各個人の特長がすぐわかるのは、サッカーも相撲も全く同じ。元々、私は幼少時サッカーの事などロクに知らなかった。もしかしたら私のサッカーに対する執念は、大相撲のテレビ観戦が基礎になっているかもしれない。

 このまま事態を放置しておくと、大相撲は消えてしまうのではないか。最近の北の湖の振る舞いを見ていると、その危機感の欠如に苛立つのだ。
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2007年09月17日

サッカー狂から見た柔道世界選手権

 リオデジャネイロで行なわれた柔道世界選手権。最終日に棟田、谷、塚田が金メダルを獲得、前日まで不振だった日本勢もやれやれと言ったところだろうか。結果的には、日本は、この3個の金メダルで金メダル数も地元ブラジルと並び、総メダル数でもトップになったと言う。やはり、苦しみ抜いたこの大会でも、やはり名実共に我が日本は世界最強の柔道国と言えるだろう。

 この最終日の大団円までは、今回の世界選手権は日本にとってよい事があまりない大会だった。
 大会前に、かの山下氏が理事選挙を,落選する事態。本件が、国際柔道連盟の権力闘争だったあたりの背景はこちらに詳しい(当のご本人が書かれている文章なので、割り引いて読む必要があるかもしれないが)。ただ、こちらの記事通りに、国際柔道連盟が「カネ」のための人事が動くのは、これはもう仕方がない事。カスミを食うだけでは物事は進まないのだし、TV放映料やスポンサーがあって、大きな組織は動くものだ。幸い、世界選手権で広告看板を出しているのは多くが日系企業だし、日本のTV局の発言権は相当大きいはずだから、日本柔道界の発言力は相当強い状態が継続すると思う。案外、日本柔道界にとって重要な事は、ビセール氏よりも日本の広告代理店に影響されない信念を持ち続ける事だったりして。
 また、大会初日に2枚看板とも言うべき井上、鈴木が「疑惑の判定」で早期敗退。さらに各選手の成績も今一歩だった。特に初日の2連敗は、柔道の素人がTV桟敷で見ていた限りではよく理解できなかった。しかし、こちらによると、国際柔道連盟審判委員の川口孝夫氏が
(負けは)やむなし。(判定は)最後に決めた方を取ることが多い
と語っている。微妙な判定でもあり、「日本の柔道基準」と「他国のJUDO基準」の違いもあったのかもしれない。まあもし日本人選手が「返し技」で金メダルを取っていれば、「日本人が勝てばそれで満足」と言う思いで、日本国内ではそれほど問題にはならなかったのかもしれない(もっとも、日本人選手は皆返し技など考えずに、堂々と攻めて勝ちに行こうとするから見ていて興奮するのだが)。
 このあたりは、念仏の鉄氏が柔道の世界普及史と言う観点から思慮に富むエントリをまとめられている。

 ここでサッカー狂視点から暴論を述べたい。
 柔道は国際競技なのだから、発祥の地日本が考えている柔道から少しずつ変質して行くのは仕方がない事ではないのか。
 たとえば、サッカー発祥の地は言うまでも無くイングランド(世界各地に蹴鞠とかカルチョとかセパタクローとか「足」を主体にした競技があったのは確かだが、現状のサッカーは、やはりイングランド発と考えるべきだろう)。しかし、サッカーのスタイルは世界各国に広がるに連れ千差万別になっていった。各地の気候、国民性、嗜好などから、受け入れた各国がサッカーを消化して言ったのだ。
 これはサッカーに限った事ではない。野球にしても、現在日本は世界チャンピオンな訳だが、発祥の地の合衆国のBASEBALLを日本風に攻守走いずれも精緻化する事に成功したのが主要因となったのは記憶に新しい。そう考えると、世界各地に柔道が広がる事で、他国が「柔道」を「JUDO」として消化して行くのは仕方がない事だと思うのだ。様々な国の人々が「柔道」を自国なりに解釈し、日本と異なるスタイルで戦ってくるところが、国際試合の面白さだと思うのだが。
 しかも、日本柔道は今なお名実共に世界最強。とすれば、敵が守備的に戦い、日本の隙を突いてくるのは当然の策。それでも、多くの選手は一本勝ちを連発するのだから、大したものではないか。

 結びに雑感をいくつか。
 鈴木の苦杯に、棟田の押さえ込みに、それぞれ乗り出して興奮する斎藤監督。88年のソウル五輪、どうしても金メダルを取れなかった柔道選手団の殿として最終日に登場し、堂々と金メダルを獲得してくれた19年前を思い出した。今回も最終日の歓喜だったな。
 リオから帰国は大変長い旅となる。なんと日本選手は、金メダルの3人だけがビジネスクラスでの帰国で、その他の選手はエコノミークラスだと言う。それの是非をどうこう言う気はないが、やはり日本柔道界は凄いよ。
 谷亮子は、まごう事なき日本スポーツ史に残るスーパースターなのだが、この方の発言を聞くと、喋り方と言い、内容と言い、かの長嶋茂雄氏にそっくりだと思うのは私だけだろうか。谷亮子は平成の長嶋茂雄なのだろうか。う〜ん。
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2007年09月01日

世界陸上についての雑感

 今日は諸事情あって本業がらみの出張。土曜日だと言うのに、子ども達にも遊んでもらえなかったし、J1の映像も見る事ができなかった。己の情けなさを呪うのみ。で、サッカーとは全く異なる話題。

 出先に向かう羽田空港で何気なく大型TVを見ていたら、世界陸上の50km競歩をやっていた。それも正に終盤戦。競歩と言う競技の過酷さは、自分で試しにやってみればすぐわかる。「頼むから走らせてくれ」と言う程の難行苦行だ。それも、この季節の大阪で50kmの距離を「歩く」のだから、いくらトップアスリートでも相当過酷な事だろう。だからこそ、映像を通しての迫力は素晴らしかった。優勝した豪州の選手が、苦痛に顔をゆがめながらも森島スタジアムに入り、顔をクシャクシャにしてもがくようにゴールイン。美しい場面だった。もっとも、優勝選手が決まるたびに、わざとらしく出るテロップにはいささか辟易してるのだが。
 ところが、事件はその直後起こった。日本のエース山崎が大映しになる。入賞圏内ギリギリらしいが、相当疲労しており、苦しい状況にあるのは素人でもすぐわかった。そして、係員が森島スタジアムに誘導。「頑張れ、あと少しだ。」と、待合室中が盛り上がる。ところが、ここまで絶叫するばかりで、ほとんど有用な情報を我々に提供していなかったアナウンサが、初めて有用な情報を絶叫して説明してくれる。
「山崎はもう1周残っています!まだ競技場に入ってはいけません!」
遅れて競技役員?が山崎を追いかけるが、追いつけず?山崎は必死の形相でフィールドを回りゴールイン、そして失格。何とも言えないむなしい映像だった。
 信じられない事件だ。誘導係員が選手の周回数を勘違いして誘導してしまった訳だ。世界最高峰の大会でこんな信じられない事が起こってよいのだろうか。

 今回の世界陸上に関しては、残念なニュースがいくつか聞こえてくる。
 まず、期待された日本選手の不振。思うような成績が残せないのは、相手のある事で、ある意味仕方がない。しかし、期待された有力選手が、自己ベストからほど遠い記録で惨敗を続ける。それどころか、競技最中で負傷しまともな記録を残せない選手まで再三。野次馬の立場からはどうこう言えないが、何かどこかで間違った強化が行なわれたのではないかとしか言いようがない。もっとも、我々も昨年のドイツでは(以下自粛)。せめても、残る女子マラソンと4×100mリレーと言う大物競技での歓喜を期待したいのだが。
 もう1つ。各方面から聞こえてくる運営の拙さ。やれ、某国の選手にホテルがあてがわれず、ロビーに寝る事を余儀なくされたとか、某国の選手がホテルに戻ろうとしたらバスが行ってしまっていて深夜まで待たされたとか。ボランティアの方々の情報交換の掲示板が某ウェブサイトにあり、誰もがアクセスできるのだが、ここに書かれている情報が真実だとしたら、運営のレベルの低さにはあきれるばかり。このような噂が真実かどうかは、わからない。もしほとんどが真実ならばとても悲しい事だ。もし事実と異なるのならば、大会本部(?...と言う組織があるのかどうかは知らないが、そのような組織はあるだろうから)明確にマスコミを通じて発言すべきだと思うのだが。

 個人的には世界陸上にはよい思い出がある。
 91年夏に東京で行なわれた世界陸上。100m決勝があった日のチケットが幸運にも入手できたのだ。カール・ルイスがリロイ・バレルと競い堂々の世界新記録を樹立したあの日だ。とにかく100m走には感動した。カール・ルイスは、本当に「速い」のだ。
 この日のチケットは売り切れていた、それ以外の日のチケットも結構売れていた記憶があるので、今大会のガラガラにはビックリ...しない、だってあの高額ならば仕方がないがな。
 この日は他にも見所がタップリ。
 午前中に行なわれていた女子マラソンの表彰式、銀メダルを山下佐知子が獲得していた。ちなみに有森裕子は4位だった。今では五輪や世界選手権の女子マラソンにおいて日本選手が上位に来るのは当然の感があるが、当時としてはメダルを取った事が驚異だった。君が代は歌えなかったものの、このような国際大会で日の丸が上がるのを目の当たりにしたのは感動的だった。大体、当時のサッカー日本代表の実力たるや(...以下略)。
 この日決勝が行われた女子走り幅跳びの決勝。当時のスーパースター、ジャッキー・ジョイナー・カーシー。見事なジャンプで金メダルを獲得した。ちなみにカーシーは決勝序盤の踏み切りで足首を捻挫してしまい、休み休み丹念にジャンプを重ねていた。そして、その間に男子100mの表彰式が始まった。カール・ルイスを称えるために米国国歌が流れる。その瞬間だけ、カーシーはしっかり立ち上がった。格好よかった。
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2007年08月02日

阿久悠氏逝去について

 阿久悠氏が亡くなったと言う。

 「う〜ん」とうなって、いくつかの関連サイトを見に行き、氏が作詞した曲を再確認した。

笑って許して、また逢う日まで、ピンポンパン体操、あの鐘を鳴らすのはあなた、ミュンヘンへの道、どうにもとまらない、せんせい、狙いうち、ジョニーへの伝言、ウルトラマンタロウ、絹の靴下、街の灯り、わたしの青い鳥、個人授業、みずいろの手紙、五番街のマリーへ、宇宙戦艦ヤマト、乙女のワルツ、ロマンス、時の過ぎゆくままに、北の宿から、嫁に来ないか、青春時代、ペッパー警部、ふり向くな君は美しい、津軽海峡・冬景色、勝手にしやがれ、思秋期、UFO、サムライ、二十歳前、狼なんか怖くない、たそがれマイラブ、ブルースカイブルー、LOVE(抱きしめたい)、舟唄、雨の慕情、No1、もしもピアノが弾けたなら、色つきの女でいてくれよ、居酒屋、熱き心に

 凄い。
 一連の曲は70年代初頭から80年代半ば(私が10代から20代半ばの頃)にかけての曲。若い頃大好きだった女性歌手の曲を多く手がけていたので、一層思い入れが深いのかもしれないが。もっとも、若い方々からすれば、一連の曲を書き出しても、何の事やらわからないかもしれないけれどね(坊主は「UFO」だけは知っていた)。
 歌謡曲の作詞家が誰かなんて、曲を聞いているときも歌っているときも、ほとんど気にしないものだ。阿久悠氏が亡くなり、氏の作詞リストを見て「この曲も氏が手がけていたのか」と驚く曲が多い。こう並べてみて改めてこの人はある種の天才だったのだと思った。そう、この人の業績は、並べる事で大変な迫力を増すのだ。
 それにしても、ピンポンパン体操と、狙いうちと、ジョニーへの伝言と、ふり向くな君は美しいと、狼なんか怖くないと、舟歌と、それぞれの歌詞が、同じ頭脳から出てきた事を考えるのは愉しい(ピンポンパン体操とふり向くな君は美しいは類似系かもしれないな)。まさにポリバレント(ちょっと違うか)。

 この人がいなかったら、私のカラオケライフはどんなに寂しいものになっていた事だろう。こんな陳腐なお礼は甚だ失礼かもしれないけれど。心から冥福をお祈りします。
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2007年05月20日

フットサルアジア選手権決勝

 恥ずかしながらフットサルは自分でプレイした事はあるもののトップレベルの試合を観るのは、TV観戦含めて初めて同然。ともあれ、結果は大変残念だったイランに敗れた決勝戦の映像は、存分に堪能させていただいた。ともあれ、ピントのずれている視点があるかもしれないがご容赦を。

 言われ尽くされている議論かもしれないが、フットサルはサッカーとは全く異なるスポーツだ。決定的に異なるのは中盤がない事。速攻がかけられない時はサッカー同様ボールを回して敵の隙を伺うのは同じだが、この日の両国のように組織的に集中した守備振りだと、それだけでは崩せない(守備力が弱いチームが相手だと、ミドルシュートを打つスペースができるのかもしれないが)。結果、遅攻で直接崩すと言うよりは、むしろ後方でボールを回す目的は、全体で動いて敵守備網にズレを作り、速攻と同様に前線に速いボールを送り込む機会をうかがう事が狙いに思えた。このあたり、サッカーとは全く異なる概念だ。
 サッカーとは異なる競技な事は確かなのだが、では似た広さのバスケットボールやハンドボールに似ているかと言うと、「足と手」の決定的な違いがある。バスケットやハンドボールでは、「ボール保有時には得点をする」事が基盤となるが、上記したようにフットサルの場合はボールを回していても得点にはつながらないケースが格段に多い。すると、類似するスポーツとして当然考えられるのはアイスホッケーなのだが、オフサイドと壁の利用とゴール裏でのプレイの相違から、これまた全く異なるスポーツの様態を呈してしまう(ボールを運ぶスピードはアイスホッケーが一番近いかもしれない)。昔、合衆国で流行っていたと言うプロの室内サッカーは壁を使ってもよかったはずだけれども。そう考えると、フットサルは全く独自の競技なのだろうなと。
 もちろん、基本技術としての足技の重要性は言うまでも無くサッカーとの類似しているのだが。

 イランとの決勝は、見たところ完敗。エースストライカの9番をこちらは止められず、一方敵の主将のヒゲの10番の心憎いポジショニングに日本の攻撃はほとんど止められてしまった。正直なところ、こちらがホームだったにも関わらず、よほどの幸運に恵まれないと勝てないのではないかと印象を受けた。もちろん、1試合だけ見ての印象に過ぎないし、昨年は逆に準決勝でイランに快勝しているとの事。実際には両国の戦闘能力差はそれほど大きな差は無く駆け引きや作戦で、結果的に内容、得点とも差がついたのかもしれない。
 ただいずれにしても、この決勝戦を見る限りでは、このレベルまで来ていると、ボール扱いと判断力と言うサッカーと同様の「個の力」の向上が必要なのかと推察した。

 フットサルと言う競技は、普及については今後も問題ないように思える。少年にとってサッカーへの導入としても適しているだろうし(ロナウド、ロナウジーニョと言った名手達がフットサル出身と言うし)、成年が仕事帰りにやる競技としても相当定着しているし、年寄り同士ならば動かずに済むフットサルは悪くないし(ただし、サッカーと異なりサボるとすぐばれるのは問題だが)。問題は、その普及から強化にどう結びつけるかだろう。
 今秋より開催されるFリーグが、どれほどの集客が可能で、各クラブの損益計算がいかほどになるのか。Lリーグと同様Fリーグも、常にJリーグと言う強豪と戦いながらの集客が必要となる。また、サッカー女子代表のように、勝利が一層のサッカーの普及につながる(刺激された女性が1人でも多く球を蹴り始める)循環が働くかと言うと微妙な部分もある。フットサル代表の見事な勝利に刺激されて、サッカーあるいはフットサル人口が増えるかと言うと、その露出の少なさ、特にサッカー露出との相対差を考えると、そう単純には事が運ばないようにも思えるからだ。
 などと言うややこしい事は、Fリーグの各クラブ(既にプロのクラブもあると言う事だが)が経営破綻さえしないと言う前提を守りながら、走りながら考えればよいのかもしれない。とにかく、私の宿題は秋から始まるFリーグをまず生観戦する事だな。
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2006年10月30日

野球の凄さ

 1年間だけ、仕事の都合で愛知県東部に居住した事がある。ちょうどその時、JSLではヤマハが優勝した。磐田のヤマハスタジアムへはクルマで1時間ほどで行かれるので、当時の優勝争いの大一番だったヤマハ−日本鋼管戦などを観戦したのはよい思い出だ。ヤマハの柳下、石神のCBコンビと、鋼管の松浦の丁々発止は、今でも目に浮かぶ。ちなみにFC東京の倉又監督は、当時の鋼管の主将で、闘志と知性あふれるサイドバックだった。この時に知り合ったヤマハサポータの友人達は、今でも私の貴重な財産となっている。

 一方、面白いものでプロ野球でもその年はドラゴンズが優勝した。つまり、サッカーも野球も近隣地域のチームが優勝した訳だ。一緒に仕事をしていた仲間の多くは当然ながら、ドラゴンズびいきだから、随分と祝い酒をおごってもらったのも愉しい思い出だ。ちなみに、当時のチームは星野氏は監督就任2年目、落合が主砲でフル回転し、立浪が新人だったのだから、時代を感じずにはいられない。



 そのドラゴンズが、落合監督の下セリーグを制覇しながらも、またも日本選手権で敗れた。ドラゴンズは選手権では勝てない事に定評がある。けれども、今年の相手は大沢親分、江夏以来久々の選手権のフライヤーズじゃなかったファイターズだけに、今度こそ勝てるかと思われた。しかし、北海道サポータに押し切られてかのような敗戦だった。昨年のオリオンズじゃなかったマリーンズの勝利と言い、この2年の選手権は強力なサポータ抜きでは語れないようだ。

 一方で、ファイターズの快進撃を、非常に複雑な思いで眺めているコンサドーレのサポータが多いのも確か。北海道あるいは札幌をホームタウンとして、活動を開始したのはコンサドーレの方がずっと早かったのだが、現時点では「見かけの人気」に大きな差がついてしまった。さらに言えば、コンサドーレの場合、一時はJ1に定着する雰囲気すらあったのに、明らかな監督選考の不備から始まるJ2陥落、同時に顕在化した財務的な危機により、J2中位に低迷する事になっただけに、悔しさはひとしおかもしれない。いや、近い将来イーグルスの強化が順調に進めば、我々ベガルタサポータも同じ感情を持つかもしれない。

 このあたりは、やはり「野球の凄さ」だと思う。我々サッカーサイドの人間が何を言っても、この国における野球は凄い。もちろん、そこに至るまでにファイターズやマリーンズの営業努力もまた並々ならぬものだったのだろうが。よく「野球人気は頭打ち」と言う議論をよく読むが、私にはとてもではないがそうは思えない。06年の野球を回顧してみれば、王監督の下で世界一になって、ユースの日本選手権の決勝では歴史的な好ゲームがあって、トップリーグでは札幌と名古屋のクラブが叡智を尽くした死闘を演じた。我々が川淵会長とジーコでアボーンしたのとはえらい違いだ(いや、Jリーグはこれから非常に面白い終盤戦を愉しめるだろうが)。むしろ、「野球人気は頭打ち」ではなく、単にジャイアンツと言う球団が苦戦していると言う事なのだろう。



 一方でかなり驚いた事がある。小学6年の坊主が「『遊びとしての野球』をほとんどした事がない」と言うのだ。「野球は道具が必要だし、ルールがややこしいからすぐケンカになるし」と言っていた。私が子どもの時は、放課後いつも野球ばかりやっていた。もちろん、「校庭でバットを使ってはいけない」と言ったキマリもあったから、いわゆる「ハンドベースボール」が多かったが。確かにルールの解釈で、よくケンカしていた記憶はあるけれど。ところが、坊主に言わせると「野球は少年団に入っている子が、ユニフォームを着てやる競技」らしい。坊主がサッカー少年団所属で、極めて特殊な父親の息子である事は割り引いて考えなければならないが、「みんなで身体を動かしたい時はサッカーだよ、道具はいらないし、わかりやすいし。」との事だ。

 野球の凄さは認めざるを得ないだろうが、確かに時代は動いているのかもしれない。



 誤解されては困るが、私はサッカー人だが、野球とサッカーの人気が排他的なものだとは思っていない。野球場に生観戦しに行く時間があったら、サッカーを見に行くだろうが、野球(を含めた他のスポーツ)をノンビリ愉しむのも嫌いではない。上記のWBCも甲子園決勝も、存分に愉しませてもらったし。野球とサッカーは「排他的ではない競合」として、相互を利用しつつ成長すべきものではないかと思っている。

 先ほど、コンサドーレについて述べた時に「J1に定着」と言う表現を用いたが、長い歴史で見れば「J1に定着」と言う日本語が妥当かどうかは疑問が多い。たとえば、マンチェスターユナイテッドが2部落ちしたのは「ほんの」30年ほど前の話で、前回ファイターズならぬフライヤーズが日本選手権を制覇した時よりは「最近」なのだから。つまり、長い歴史と言うのはそう言うものなのだ。ファイターズとコンサドーレの、ホークスとアビスパの、ドラゴンズとグランパスの、カープとサンフレッチェの、そしてイーグルスとベガルタの、「排他的ではない競合」関係の戦いは、未来永劫続く。



(付録)

 お遊びです。

 ファイターズが栄冠を掴むまでの一連の道のりで、最も興奮したのは、プレイオフの決勝点の場面の森本の2塁からの快走でした(ホークス斉藤和に完璧に抑えられていたファイターズだったが、9回ウラに森本四球、田中雅送りバント、小笠原敬遠、セギノール三振で迎えた2アウト1、2塁で、稲葉の内野ゴロで2塁のフォースプレイになる所に小笠原が飛び込みセーフ、その間に森本が長躯ホームを突いてしまった!)。で、この場面をサッカーにシミュレートしてみました。もし、野球に詳しい方が不快に思ったらゴメンナサイ。



 お互い完璧な守備で守り合っていた試合。ホークスの守備は、CBの斉藤和の驚異的な読みを軸に安定し、何らゆるぎを見せない。一方若手の八木を最終ラインに起用した日本ハムの守備ラインも堅実でとてもではないが崩せそうもない。

 かくしてお互いに0−0で迎えたロスタイム。日本ハムのサイドハーフ田中賢が、ソフトバンクの中盤のプレスの僅かな隙を見つけてアーリークロス、もちろんそのクロスのコースを冷静に読み切った斉藤和は落ち着いてコースに入る。ところが、日本ハムの闘将小笠原が、そのクロスに強引に頭から飛び込んだ。

 そのため体勢を崩した斉藤和は味方につなぐのを断念し、プレイを切るためタッチラインにクリア。ところが、この日素晴らしい気迫で守備ラインを引き締めていたサイドバック森本が、好機はここしかないと読んでいたのか長躯70mを疾走していた。森本はそのクリアを拾って、角度のないところからアウトサイドにかけたシュート、その一撃が完璧な決まってしまった。

 ゴールキーパの新庄が、森本の近くまで来ていたのがご愛嬌。



 って言う感じでしょうか。それにしても、ノーヒット、ノーエラーで、点が入るのだからビックリしました。それでサヨナラ勝ちで優勝と言うのですから...
posted by 武藤文雄 at 23:24| Comment(8) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

野次馬が見た高校野球

 日曜日の午後、本業の整理で少々夜更かしをしたのに加えて朝から子ども達と灼熱の中でボールを追い掛け回していたので、いささか疲労気味だったので、翌日からの本業復帰に向けて昼寝としゃれ込んでいた。すると、何か知らぬが興奮した坊主が騒いでいる。「あれ、何かサッカーをやっていたっけ?」と思って起きてみると、高校野球の決勝戦だった。坊主が興奮していたのは、試合内容にもだが、近所のスーパーマーケットの「優勝校当てクイズ」に応募したチームが決勝に残っていたために、必死に片方に肩入れしていたと言う訳。この坊主の興奮振りを見ていると、totoの不振は「よほど商売が下手だからではないか」と思えてくるが、それは今日の本題ではない。この機会に高校野球について講釈を垂れるのが、今日の本題。

 試合はなるほど面白かった。両軍の投手の外に流れる変化球に共に手を焼いてほとんど好機が生まれない。たまの好機も、両軍の守備が実に安定しており、なかなか点が入らない。それにしても、ほとんどの外野への飛球が外野手の正面に飛ぶのだが、外野手は投手と打者の相対関係や投げる球種などできめ細かく位置取りを修正しているとしか思えない。あの灼熱の中、いつ飛んでくるかどうかもわからぬ打球に備えるのだから恐るべき集中力だ。内野手も必ず身体を正面に向けて捕球するから、土のグラウンドのためにバウンドが変わっても必ず球を前に落とせる。素人が見ても、両軍が鍛え抜かれているのがわかる。なるほど、世界一の国の若年層の大会の決勝戦は凄いものだ。と、陰険なサッカーが好きな私には堪えられない重苦しい展開を、堪能させていただいた。

 そして、延長も後半じゃなかった終盤に入り、いよいよ再試合の雰囲気が漂いだす。そうなると思い出すのは37年前当時小学校3年生だった時の、三沢商−松山商の死闘だ。「東北勢悲願の優勝旗が白河の関を超えるのではないか」幼な心にも興奮し、太田幸司を必死に応援していた。私は坊主と異なり物欲ではなく、名誉欲?で応援していたのだ。などと、37年前の思い出を、娘と坊主に語るのも愉しい。

 とまあ戯言はさておき、延長戦は昔と異なり15回で打ち止めになる事を初めて知った。37年前でさえ、太田幸司の体力や将来を心配する報道があったのだから、さすがに状況は改善されている訳だ。とすれば、「再試合は日を置いてやるのだろうな」と思っていたら、とんでもなかった。翌日のそれも灼熱の13時開始との事。これにはあきれた。もう2チームしか残っていないのだ。中1日くらい、いやプロ野球の真似をして中3日や4日くらい空けたって問題なさそうではないか。中5日空けて週末にしてくれれば、また私も見る事ができる(これは関係ないか)。会場だって、もうここまで甲子園を堪能した彼らなのだから、この試合後に土はシューズケースに詰めてもらって、他の野球場でやればよい。ドーム球場ならば涼しくよさそうだ。選手の滞在費だって、この大会の総予算からすれば微々たるものだ(大会本部から見ても、学校から見ても)。応援団の滞在費は最後自己責任で高校生たちに考えさせればよい。どうしても同級生の応援を現地でしたいならば、親を説得するか、学校が保障して借金させてバイトさせるか卒業後に返させればよい。友の奮闘を見る費用の借金を返すための労働は、若者に対する格好の社会教育になるだろう。

 もちろん、これが決勝でなければ、次への進出チームを決める必要があるし、他の待機チームとの兼ね合いもあるので、問題は単純でなかろうが。

 と、不思議に思っていたら、尊敬するブロガである「念仏の鉄」様が、より論理的かつ具体的に問題点を指摘して、怒りをぶつけていた。私のような、お茶らけた文章ではないので、心して読んで下さい。「決勝翌日灼熱下再試合」の問題点については、この鉄さん(以下、馴れ馴れしいが「鉄さん」と呼ばせていただきます)の文章が決定版と呼んでも過言ではないと思う。



 ただ、この鉄さんの憤りと、多くの識者のコメントを読んで考えた。「このままでは、永久に改善はされないだろう」と。理由は明白だ、この甲子園大会の主催団体は、選手の健康問題を重視する事で何もトクをしないからだ。

 鉄さんは、高校サッカーの日程がだいぶマシな事に言及されている。しかし、サッカー界も夏場の大会のインタハイは相変わらず酷い連戦続きだし、冬の選手権の日程も、2,3回戦が連戦になるなど、まだまだ改善の余地がある(一方で逆に45分ハーフの試合にすべきと言う古典的問題もある...この問題の障害はTV中継の時間の問題)。また、ほんの約20年前は、そのような配慮は一切なく4、5連戦の死闘が毎年続いていた。その結果、疲労により大きく体調を崩した選手もいたし、高校サッカーで燃え尽きたかのように消えていく選手も多かった。「それではいけない」と言う事で、少しずつ改善が進んできた訳だ。そして、サッカーの場合「それではいけない」と言う発想が生まれるのは、良好な内容の試合を求める事及び、選手の完成が高校段階ではなくその先にある事への配慮(健康問題を含めた)と言った事項が、「サッカー界全体の発展」のための共通理念として存在するからだと思う。

 一方、高校野球はどうだろうか。高校野球の現場で活躍されている方々は、多くの問題意識を持っているだろうが、肝心の主催者である高野連と新聞社は、いかがか。まず高野連だが、「野球界全体の発展」を毛頭考えていないのは明白だし、(組織の趣旨から言っても)考える義理もない。高野連の態度を見ていると、「プロ野球はない方がよいもの」なのかもしれない。彼らからすれば、プロ野球への人材供給など本題ではないからだ。とすれば、将来を嘱望される選手が高校時代に無理をして大成しなくとも、痛くも痒くもない。もう1つの主催者である新聞社は、「日本で最も正論を期待できない法人」の1つであるし、何よりこの大会を主催して「見かけの感動物語」を作る事がビジネスに直結するのだから、「腕も折れよとの闘魂」を絶賛こそすれ、抑制しようなどとの発想は全く期待できない。つまり、高校野球甲子園大会とは「『それではいけない』とは絶対に考えない団体」が主催している大会なのだ。

 したがって、このままの悪い状態が、相当な期間継続する事を危惧するものである。
posted by 武藤文雄 at 23:56| Comment(18) | TrackBack(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

祝WBC優勝 −感動と羨望−

 私は日本人だから素直にこの世界制覇は嬉しい。
 世界一だ、世界一だよ。
 もう明日から、米国のビジネスパートナに
「まあ、それはさておき、俺たちは野球については世界一だよね。」
と言えると思うと、もう最高。あいつらの悔しそうな表情を想像するだけで、もう完璧。おー、そう言えば、サンタクララのあいつに、明日メールを打つのだっけ、ヘッヘッへ。

 もっとも韓国のパートナに対しては微妙だな(笑)。丁寧な対応をする事にしようっと。でもあいつらはあいつらで、割と単純だな、「お互い世界最強2トップ、今度雌雄を決しようぜ、とりあえず俺たちが世界一だけど。」と、からかう事にしよう。大体、間抜けなのはあいつらなのだ、無理して勝たなくていいあの試合で、あんなに頑張るから、準決勝で力尽きるのだ。アッハッハ。

 野球の素人から見た想い。米国やドミニカの試合をじっくり見てはいないからの勘違いかもしれないが、守備も走塁もテクニックは日本が格段に優れているのではないか? 
 北中米諸国のプレイを見ていると、位置取りの不備を筋力でカバーしているように見えた。一方、日本は(韓国も)いずれの選手も、ボールを受ける前にしっかりと位置取りを修正し、無理の無い姿勢でプレイしていた。
 技術と戦術眼については、日本のレベルは他国と比較して格段なものがあるように思えた(繰り返すが、韓国は相当近いレベルだと思うが)。
 乱暴にサッカーにたとえよう。少なくとも、今大会の北中米諸国のプレイぶりは、サッカーにおけるアフリカ諸国のような完成度の低いものだった。野球界におけるブラジルとアルゼンチンは、日本と韓国だったのではないか。

 だから、私は素直に羨望したい。そして、今回の世界制覇を素直にたたえたい。世界一かよ、凄いよな...

 悔しいけれど、野球はすごいよな。
 いつか、韓国とワールドカップのトーナメントで雌雄を争いたい。勝ったら嬉しいだろうな。負けた時の悔しさはすごいだろうな。

 そして、いつか、いつか、我々もワールドカップで優勝したい。野球が世界一になったのだ。俺たちも世界一を目指さなければ。できれば俺が生きているうちに。
posted by 武藤文雄 at 23:54| Comment(22) | TrackBack(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

祝、WBC決勝進出 −得点が入らないから面白いのだ−

 過日、WBCについて、松井の不出場について論じたところ、多数のコメントをいただいてありがたい限り。
 本件については、政治的な背景も多いのだろうし、私はそこまで勉強はしていないので、松井の意思決定について良し悪しを論じる事はできない。ただし、私は単純な人間だから、日本には勝って欲しいので、松井が不在なのは残念なだけと言う事だ。
 また、この大会そのものの適切性も論じる立場にはない。ただし、とても面白い娯楽を提供してもらっているので、「大会の存在」自体には大いに感謝している。
 普段より熱心に野球を愉しんでいる方々は、私のような門外漢の発言は陳腐なものなのかもしれないが、まあサッカー狂の視野狭窄と捉えていただければ。

 と言う事で準決勝韓国戦の勝利を堪能しての、サッカー狂の感想を。

 いや、本当に面白かった。福留の一撃の瞬間たるや、先日ロシアの美女が転倒した瞬間の興奮を思い出した(ごめんなさい、フィギュアファンの皆様)。
 そして、何ゆえこれほど面白ったのか。大事なタイトルマッチ、難敵韓国(特に私のようなサッカー狂にはトラウマがある)、世界一まであと少し、などの要素は確かにある。けれども、私個人が興奮した理由は明白だ。めったに得点が入らないからだ。今大会を観てよくわかったのだが、あれだけ優秀な投手を多数確保し、あれだけ守備のよい選手を並べると、野球と言うスポーツはなかなか得点が入らない。いや、好機すらそう滅多につかめない。
 したがい、よい打撃や走塁、守備側の僅かなミスで作られた好機は貴重なものとなる。その数少ない貴重な好機をも、両軍守備網のファインプレイがしばしば妨害し、なかなか得点が入らない。結果、僅かながら入る得点は、極めて貴重なものとなる。そのため、得点が入らない展開ではひたすら胃が痛くなり、一方入った瞬間の歓喜は凄いものとなる。逆もまた真で、先行された時、いや失点するのではないかと言う懸念の際でも胃の痛みも相当だ。これは面白い。

 と、ここまで書いてきて、この興奮って、随分味わい慣れたものだと思いついた。
 一昔前は「サッカーは点が入らないからつまらない」と言う理屈が横行したものだが、今回のWBCで、そのような偏見、誤解が、わが国から消え去る事を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 23:51| Comment(9) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする