この最終日の大団円までは、今回の世界選手権は日本にとってよい事があまりない大会だった。
大会前に、かの山下氏が理事選挙を,落選する事態。本件が、国際柔道連盟の権力闘争だったあたりの背景はこちらに詳しい(当のご本人が書かれている文章なので、割り引いて読む必要があるかもしれないが)。ただ、こちらの記事通りに、国際柔道連盟が「カネ」のための人事が動くのは、これはもう仕方がない事。カスミを食うだけでは物事は進まないのだし、TV放映料やスポンサーがあって、大きな組織は動くものだ。幸い、世界選手権で広告看板を出しているのは多くが日系企業だし、日本のTV局の発言権は相当大きいはずだから、日本柔道界の発言力は相当強い状態が継続すると思う。案外、日本柔道界にとって重要な事は、ビセール氏よりも日本の広告代理店に影響されない信念を持ち続ける事だったりして。
また、大会初日に2枚看板とも言うべき井上、鈴木が「疑惑の判定」で早期敗退。さらに各選手の成績も今一歩だった。特に初日の2連敗は、柔道の素人がTV桟敷で見ていた限りではよく理解できなかった。しかし、こちらによると、国際柔道連盟審判委員の川口孝夫氏が
(負けは)やむなし。(判定は)最後に決めた方を取ることが多いと語っている。微妙な判定でもあり、「日本の柔道基準」と「他国のJUDO基準」の違いもあったのかもしれない。まあもし日本人選手が「返し技」で金メダルを取っていれば、「日本人が勝てばそれで満足」と言う思いで、日本国内ではそれほど問題にはならなかったのかもしれない(もっとも、日本人選手は皆返し技など考えずに、堂々と攻めて勝ちに行こうとするから見ていて興奮するのだが)。
このあたりは、念仏の鉄氏が柔道の世界普及史と言う観点から思慮に富むエントリをまとめられている。
ここでサッカー狂視点から暴論を述べたい。
柔道は国際競技なのだから、発祥の地日本が考えている柔道から少しずつ変質して行くのは仕方がない事ではないのか。
たとえば、サッカー発祥の地は言うまでも無くイングランド(世界各地に蹴鞠とかカルチョとかセパタクローとか「足」を主体にした競技があったのは確かだが、現状のサッカーは、やはりイングランド発と考えるべきだろう)。しかし、サッカーのスタイルは世界各国に広がるに連れ千差万別になっていった。各地の気候、国民性、嗜好などから、受け入れた各国がサッカーを消化して言ったのだ。
これはサッカーに限った事ではない。野球にしても、現在日本は世界チャンピオンな訳だが、発祥の地の合衆国のBASEBALLを日本風に攻守走いずれも精緻化する事に成功したのが主要因となったのは記憶に新しい。そう考えると、世界各地に柔道が広がる事で、他国が「柔道」を「JUDO」として消化して行くのは仕方がない事だと思うのだ。様々な国の人々が「柔道」を自国なりに解釈し、日本と異なるスタイルで戦ってくるところが、国際試合の面白さだと思うのだが。
しかも、日本柔道は今なお名実共に世界最強。とすれば、敵が守備的に戦い、日本の隙を突いてくるのは当然の策。それでも、多くの選手は一本勝ちを連発するのだから、大したものではないか。
結びに雑感をいくつか。
鈴木の苦杯に、棟田の押さえ込みに、それぞれ乗り出して興奮する斎藤監督。88年のソウル五輪、どうしても金メダルを取れなかった柔道選手団の殿として最終日に登場し、堂々と金メダルを獲得してくれた19年前を思い出した。今回も最終日の歓喜だったな。
リオから帰国は大変長い旅となる。なんと日本選手は、金メダルの3人だけがビジネスクラスでの帰国で、その他の選手はエコノミークラスだと言う。それの是非をどうこう言う気はないが、やはり日本柔道界は凄いよ。
谷亮子は、まごう事なき日本スポーツ史に残るスーパースターなのだが、この方の発言を聞くと、喋り方と言い、内容と言い、かの長嶋茂雄氏にそっくりだと思うのは私だけだろうか。谷亮子は平成の長嶋茂雄なのだろうか。う〜ん。