2004年11月02日

野球って不思議だ

 どうやら、我が故郷の仙台にプロ野球チームができる事が確定したようだ。素直に喜びたい。喜びたいのだが...

 

 どうにも、私のような門外漢がどうこう言う話ではないかもしれないが、野球と言うのは不思議な世界だと思う。いくつか素朴な疑問を述べたい。



 2つの企業体を競合させたのはいいが、両チームともGMやら監督などのスタッフから、チーム名などを準備させられて(これだけで相当な事前投資だ)、さらに「経済的な余力があるから長期の赤字に耐えられる」と言うあたりが、重要な判断基準になったと言う。そこまで「野球サイド」から無体(に私には思えるのだが)な要求をされても、両企業とも粛々と従って参入を希望したのだから、よほどこの業界は魅力があるのだろう。それなのに、撤退する企業があるのだから、大変不思議だ。近鉄がどうしても「プロ野球事業」から撤退したかったのだったら、合併などせずに、いずれかの企業に譲り渡せば、もっと話は簡単だったのではないか。



 さらに、もっと早い段階で片方の企業に決めてしまえば、お互い無駄な投資もないし、各種の準備(どうでもいいが、球場の準備やら試合日程の段取りやら、本当に来年春の開幕に間に合うのだろうか)も円滑だったと思う。選手会のストなどもあり、「新規参入を受け入れる努力を最大限行う」事が決まった直後に、今回の2企業は意思表示した。あれから今までの時間を審査に使うよりは、来期の準備に使うべきだったのではなかろうか。



 加えて落選したライブドアには、今後参入の可能性は残されるのか。上記のように、そこまで厳しい要求をされて、さらに事業内容にケチまでつけられて、それでも野球がいいのだろうか。「いやサッカーに出資して欲しいな」と思ってるだけなのですが。

 

 東北楽天と言うだけあって、仙台を中心に東北全体の広域で試合をするのだろう。これならば、例えば仙台で約40試合、東北の残り5県で約30試合(各県で5,6試合)ならば、いずれの試合も相当な観客が期待できるのかもしれないし、それなりの入場料収入が確保できるのかなと理解した。ただ不思議なのは、そうだとすれば、以前から経営が苦しいチームは、東北でも北陸でも四国でも山陰でも、他チームがフランチャイズ(これは独占権と言う意味で、サッカーで言うホームタウンとは全く意味が異なる)を持たない地域で試合をもっと行っていれば、入場料収入を確保できたようにも思える。サッカーと異なり、試合数が相当多いだけに、1箇所に集中して開催する必要はないと思うのだが。



 ところで、GMだ監督だコーチだと言う面々は決まったようだが、選手はどうするのだろうか。素人の素朴な考えでは、現在のブルーウェーブとバファローズ(つい先日コメント欄で指摘されるまでバッファローズと言うのだと思っていた。40年近く活字に触れていて知らなかっただから、自分の観察眼の無さを恥じるばかり)の選手の半分を無条件で受領できるのだろうか。

 すると、どうやって分けるのだろう。例えば、仰木氏と田尾氏がじゃんけんでもして、勝った方が「僕は中村紀を取る」、負けた方が「じゃあ谷を取る」と言うの繰り返して、分けるのだろうか。



 もちろん、ベガルタサポータとしては「ゴールデンイーグルス」と言う「ベガルタ」に、喧嘩を売ってきているのか、友達になろうと言う意思表示なのか、いや出資して下さると言うご神託なのか、判断に苦しむ愛称も不思議なのは勿論だ。

 また、これでヴィッセルがハーバードカラーのユニフォームになり、東北楽天が違う色のユニフォームだったら、さすがにヴィッセルサポータは不愉快だろうとも思う。

 このあたりのサッカーとの関連付けについて、ここまで明確な説明が何も無い事は、一番不思議なのだが、今後おいおい解決されていくのだろうか。
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2004年09月17日

迷惑な野球騒動

 一連の野球のデモについては、明確な意見は持っていない。

 

 要は「将来の野球界をどうしたいのか」で考えは変わるからだ。現在のプロ野球のように少数に限られたチーム間でのみ参加権を持つべきなのか。サッカーのように、参加権の間口を広げるべきなのか。それとも、他の方向を模索すべきなのか。そのような「大目標」をどうするかと言う議論をまずすべきなのに、個別の方法論の議論に入ってしまっては、まとまる話もまとまらなくなると思うのだ。

 選手会も、闘うならば「合併阻止、凍結」とか「新規参入タイミング」などの、方法論に議論を持ち込むべきではなかったのではないか。議論すべきは「将来の野球界をどの方向に持っていくべきか」と言う一種の、哲学論なのではなかろうか。



 と野次馬を決め込んでいた野球の行く末。

 ところが、新球団の経営を希望する会社が、何と「来年から新チームを仙台に本拠地を置こうとしている」との報道にはビックリ。何人かの方からもメールで「プロ野球チームが仙台に本拠地を置いた場合、ベガルタはどうなるだろうか」と意見を求められた。ヒトゴトが一気に現実に落ちて来た想いすらする。



 私の意見は「まともでない計画を、J2佳境の今頃騒がれる事は大変迷惑だ」である。

 

 と言うのは、「来年のプロ野球仙台本拠地計画」が現実的とはとても思えないからだ。

 まず観客動員。ベガルタは隔週の試合に2万人足らずの観衆を集めるのに四苦八苦しているのが現状だが、仙台のプロ野球チームは、ならして毎週2〜3試合に一体何人の観衆を集められる見込みなのだろうか。野球はサッカーよりも人気があるかもしれないが、いきなり来年の3月からそれほど観衆が集まるとはとても思えない。観客を集めるためには、しっかりとして計画的なチケット販売計画とその実現がなければならない。そもそも、現在のプロ野球チームは、それぞれの本拠地で何年も何年も執拗な営業活動を行って、今日の観客数を維持している。それらの活動が、たった半年で実現できるとは思えない。経営母体はそのままで本拠地を移転した、今年の日本ハムファイターズの場合は、3年間の準備期間を経ての移転であり、営業体制を準備する時間的余裕があったのだ。そして仙台圏は札幌圏に比べて、実人口は半分程度である。

 次にチーム強化。サッカーならば新規参入のチームは実力見合いの、下位リーグからのスタートが切れる。しかし、野球の場合はいきなりトップリーグから。トッププロにおいて、いきなり全く新しいチームが好成績を収められるとはとても思えない。現に、過去を振り返っても、ここ30年間で本拠地とチームの経営母体双方を切り替えたチームとして、78年の西武ライオンズ、88年のダイエーホークスが挙げられる。両チームとも、親会社が大量のキャッシュを投入し選手を収集したが、黎明期の成績は悲惨なものだった。チーム強化には相当な継続性が必要なのだ。



 野球の素人の私だって、このくらいはわかる。

 つまり、2005年から仙台を本拠地にしてプロ野球を行うのは現実的な計画ではないのだ。

 もちろん、「将来的」と言う事ならばあり得ない話ではないかもしれない。その場合、ベガルタから見た「仙台の野球チーム」の関係も議論可能になる。総論賛成と各論反対、中長期視野と短期視野、建前と本音、それぞれ前者の立場からすれば、ベガルタと野球は何らかの相互作用で連携して発展できる可能性もあるかもしれない。後者の立場からすれば、仙台圏におけるゼロサムゲームで迷惑なだけになるが。

 しかし、こう言った議論は、「仙台の野球チーム」の計画がまともに具体的になってから、であろう。



 そのような机上の空論を落としどころに、闘わなければならなかった古田と仲間たちには、同情を禁じ得ない。



 しかし、我々からすれば、とにかく迷惑極まりない。県知事や市長周辺のスタッフ、いや、県や市から出向しているベガルタのスタッフは何をやっているのだ。河北新報にまともな人材はいないのか(いや、県庁にも市役所にも河北新報にも、多数知人、友人がいるな、これを読んだら怒るだろうな、まあいいや)。



 宮城県人にとっては、こんな空論に付き合うよりも、この週末のサガン鳥栖戦に勝つ事がずっと大事なのだ。 

 頼むぞ、シルビーニョ、寿人、セドロスキー。
posted by 武藤文雄 at 23:40| Comment(16) | TrackBack(4) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月30日

五輪に見る他スポーツとの比較論

 マラソンでトップを快走するブラジルのデ・リマが、暴漢に襲われた場面にはゾッとした。随分前の箱根駅伝で走者が暴漢に襲われた事件があったが、決定的な影響がある前に周囲が取り押さる事ができた。しかし、この日のデ・リマは、完全になぎ倒されてしまい、タイムロスのみならず、走りそのものにも多大な影響が出てしまったようだ。マラソンの場合、再試合をする訳にもいかないだろうし、何とも後味の悪い事になってしまった。

 昔、友人と飲みながら議論した事があった。「サッカーの大事な試合でホームチームが負けている時に、ホームチームのサポータがフィールドに乱入し敵ゴールにシュートを蹴り込んだり、自陣の決定的ピンチを防いだ時に、審判はどのような判定を下すべきなのだろうか」と。今回のマラソンの事件はそれに近い事態だった。サッカー場で事はそうは巧くは事を運ばないだろうが、マラソンならば警備の隙をつけば、あそこまでの暴挙が可能になってしまうのはショッキング。どうやら、暴漢は前科持ちの精神異常者だったようだが、後方から追い上げている選手の同国人や関係者が犯人だったとしたら、主催者サイドはどのような判定をすべきなのだろうか。



 室伏の金メダル獲得につながったドーピング問題。問題の選手は再検査に応じないと言うのだから、自ら有罪を認めた訳だ。今回尿サンプルのすり替えや、提出の早さなどが話題になったが、これはあまり表ざたにはなっていないがサッカーでも聞く話。我々サポータが歓喜に震え、ビールで乾杯している時に、一部の選手は尿が出るまでジッと我慢しながら検査を待っているのだ。



 採点で勝負がつく競技のいい加減さは、今大会に始まった事ではない。例えば体操。最近の採点法では、成功した技の難易度による客観法に安定してきたとの報道があった。しかし、個人戦での集計ミス(あれは金メダルは韓国選手に与えられるべきだろう)、さらには富田の平行棒での「最初の演技者」ゆえの不利など、結局グダグダになってしまった。

 その後も、レスリング、シンクロナイズドスイミングなど、訳のわからない採点による勝敗が継続した。まあ、そう言うものなのだろう。サッカーにしても、女子の米国戦の悔しい2失点はいずれも疑惑の判定だったし、逆にパラグアイ戦では疑惑のPKを2つもらっていたのだし。審判まで引き付けられての勝敗なのだ。月並みな言い方になるが、審判が何をどう判定しようとも、冷静に次善を目指すのが勝利への道なのだろう。



 その中で、シドニー五輪に比べて審判法に格段に進歩があったように感じられたのが柔道。前大会の篠原の痛恨が、我々にはあまりに印象的だったせいだろうか。我々から見て理解不能な指導や教育も見られなかった。何より同点の場合はサドンデスの延長戦となり、各選手が技を仕掛け、一本狙いだったのが爽快感を高めたのか。

 個人的に感銘を受けたのが、銀メダルに終わった2人、泉と横沢。泉は決勝で敵を投げようとして、逆に裏投げ?で返されて敗れた。横沢は決勝で敗れたが、準決勝で残り0秒!で敵を投げ飛ばして一本を取った。それぞれ、一本狙いの面白さを堪能できた。

 そして、感心したのが井上康生。痛恨の敗退以降も、日本チーム全体の主将?との立場からか、ギリシャに残り、他競技にも顔を出すなど、単なる一選手を越えた働きをしていた。これは凄い。本人が単なる1プレイヤではなく、競技者として日本を代表する存在だと自覚しているからだろう。そして、トッププレイヤにそのような教育をしているところに、日本柔道界の強みを感じた。

 そして、今回の柔道の審判法の格段の向上、見て面白い一本の重視などは、こちらの方が、国際柔道連盟の理事として機能していたからとの事だ。柔道界は、井上を彼の後継者として帝王教育を行っているのだろう。これこそ伝統の強みだろう。非常に乱暴な言い方になるが、中田や小野はまだ、そこまでの要求はなされていない。中田や小野がそこまですべきかどうかはさておき、井上は周囲からそのような扱いを受けている事は事実なのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:44| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月28日

野球の敗退は大事件ではないのか

 私の感覚からすると、五輪でフル代表チームの野球が豪州に敗れたと言うのは、我が国にとって驚天動地の屈辱であり、野球界の根底を覆す大事件ではないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。選手たちは無事?帰国し、単独チームでの試合に復帰し始めているし、現場監督の重責を担った中畑氏に対して(サッカー五輪監督の山本氏に対して頻出している)「人格否定」までの厳しい批判もあまり聞かれない(もっとも、ほとんどのファンは、中畑氏に対する期待など最初から全く持っていなかったのかもしれないが)。さらに驚いたのは、銅メダルに終わった事にさえ「よくやった」的な報道がある事。さらに一部の選手に至っては「最低限の仕事はできた」との発言(サッカーの日本代表選手が格下の代表チームに敗れた後、その種の発言をしたとしたら大変な事になるだろう(笑))。
 私などは単なるサッカー狂に過ぎないから、野球が負けたとしても「だからケシカラン」と言うつもりはない。「もう少しやりようがあったのではないか」と思う程度だ。しかし、野球の熱心なファンの方々は、このような現況に我慢できるのだろうか。

 以下は邪推である。
 おそらく、スポーツとしての成り立ちそのものが野球とサッカーでは根底から異なっているのではないか。
 考えてみれば日本サッカー界は昔から「日本代表が勝った、負けた」と大騒ぎし、他国との相対関係に一喜一憂する日々を送ってきた。そして、日本代表強化のために、強国である先達(欧州だったり南米だったり韓国だったり)に学び続けてきた。結果として、日本代表をピラミッドの頂点に、日本中津々浦々に少年サッカーを普及させる分厚い強化システムを作り上げ、ようやくの事世界の列強と伍する実力をつけてきた(だから、たとえ相手がイタリアやパラグアイのような強豪だろうが、負ければ本当に悔しくて悔しくて仕方が無いのだ)。
 代表チームだけではない。日本サッカー界は、組織化された欧州のプロリーグやクラブ運営などを熱心に吸収してきた。それにより先進国同様に、多くの人がサッカーそのものを蹴ったり観たり語ったりする事で愉しめるからだ。結果的に、現在の日本サッカー界は、女性や子供でも安心してサッカーを愉しめる環境、日本代表やJリーグのチームを敵地まで追いかけて熱心に応援するサポータ、日本中で行われるフットサルや草サッカーなど、様々な側面でサッカーを普及させる事に成功している。
 つまり、日本サッカー界は、あらかじめ壮大な目標、つまり「日本代表の強化、そのためのサッカーの普及」と言うわかりやすい方向性が共通認識としてあるのだ。だから、議論は目的ではなく、方法論に絞る事ができる。「監督はジーコ氏でよいのか」、「Jリーグと代表強化の兼ね合いはどうすべきか」、「女子サッカーの普及をどうしたらよいか」、「少年サッカーのあるべき姿は」などの議論も、意見は百出でまとまりはしないかもしれないが、最終目標は明確なのだ。

 ところが、野球はサッカーと比較して普及の度合いも歴史も深いためか、目標そのものがハッキリしないのだろう。昔、正力松太郎氏が語ったと言う「日米決戦の勝利」は少なくとも、現時点での野球界の目標になっているようには思えない。話は飛ぶが、昨今のプロ野球合併問題にしても、「どの方向に進むべきか」が全くないところで、合併の是非、リーグ統合の良し悪し、選手会の立場、アマ球界とプロ球界の関係など、方法論の議論になるので隘路に嵌ってしまう。少なくとも、意見を言う前に「自らが考える目標」も発言すべきだと思うのだが。
 今回の野球の代表チームが「優勝を目指していた」事は確かだ。一部の選手たちが感じていたプレッシャは相当なものだったようだし(例えば、一塁へのヘッドスライディングは、巧くない方法だと言うのは子供だって知っている事だ)。しかし、野球界そのものが、どちらに行くべきかの結論や方向性が出ていない以上、代表チームの位置づけが曖昧なものになるのは仕方が無い事なのだろう。

 ただし、私はだから「サッカーが野球より優れている」と言う気は毛頭ない。目標が明確であれば行動はしやすい事は確かだが、目標が不明確であるのはそれだけ物事が成熟していると言う事でもある。また、サッカー関係者が皆共通の目標のみを考えているのが本当に健全なのかも、よくわからない。ただ、たまに野球の事を考えてみるのも、サッカーの役に立つかなと想い考察した次第。
posted by 武藤文雄 at 23:01| Comment(11) | TrackBack(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月26日

ニュースステーション終了

 ちょっと驚いたのは、この番組は1985年10月に開始されたと言う事だ。あの「木村和司の日韓戦」が行われた、忘れ難い月ではないか。以前も触れたが、この年は私が社会に出た年でもあり(つまり今も働いている本業の会社に入った年だな)、そういう意味でも私にとって印象的な年だ。あれから、ずっと続いていた訳だ。

 あの日韓戦の直前に森監督が出演し、久米宏氏が「同じ日にタイガース対ライオンズの日本シリーズがあり、観客動員は大丈夫でしょうか」と言う質問をしたのが記憶に残っている(森氏は「日本のサッカーファンを信じています、皆応援に来てくれると思います」と、いかにも森氏らしい誠実な回答をした。事実国立は満員になった、今では当たり前の事だが、当時国立が満員になるのは大変な事だったのだ)。

 あの97年の死闘の最中の久米氏のセリフも忘れられない。「いや、これだけもがく事が面白いのですね」その通りです。さすがサッカーは素人でも、客商売の玄人の理解力は違うと思った。サッカーのタイトルマッチの面白さの本質を見抜いたのだ。さらに、氏の当時のチームメートだった小宮悦子氏。あのジョホールバルで、試合前に小宮氏がホテルのロビーに登場した時は忘れ難い。「花」のある大美人の登場、ロビー中が小宮氏に注目、その中で女王は堂々と試合場に向かった。いや、それだけ。

 私にとっての久米氏は、「ぴったしカンカン」の軽妙な司会者の印象が強過ぎる。そのためもあり、TV局の方針に合わせていたのだろうが左寄りの論評もあって、ニュースキャスタとしては苦手なものがあった。でも、18年の継続は凄いよね。うん、私も日記を続けようと思いました。最後の場面、「よくも続けた、自分をほめたい」と言いつつ、ラベルを隠しながら(この気配りがプロなんだろうな)自分のグラスにだけビールを注いで、視聴者に乾杯を要求した。それには私は応えられる。ご苦労様でした。乾杯。 
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2004年03月21日

いかりや長介氏逝去について

 小学生時代にあのような楽しさを提供してくれた事に、最大限の感謝をすると共に、心から冥福を祈りたい。

 ただし、この「1億国民が皆、偉大なコメディアン(俳優)が亡くなりました」と言う報道には、物凄い違和感を感じる。私は典型的な「8時だよ、全員集合」世代、毎週ドリフに大笑いしたドリフギャグの最大の享受者の1人である。先般の荒井注氏に続いてのこの悲報は本当に寂しい(なお、私にとってのドリフターズは、いかりや、荒井、高木、仲本、加藤であり、志村は存在しない)。しかし、全盛時代の「全員集合」の評価は、「下品だ」、「人の頭を簡単に殴るな」、「子供だましだ」(おっしゃる通り、当時のだまされていた子供もそう思う)など、悪評たらたらだったのだ。その批判はどこに行ってしまったのか。

 亡くなったいかりや氏だって、ポジティブな評価のみを望んでいるとはとても思えないのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月18日

予選は最高

 何気なくテレビをつけたら、バスケット女子の五輪予選、準決勝の韓国戦をやっていた。3位までが出場権を獲得するとの事だが、ここまでの新聞報道によると、戦闘能力的に韓国に勝つのは難しく、むしろ3位決定戦の台湾戦が勝負どころと目されていたようだ。

 しかし、どうしてどうして。この韓国戦も全く互角の戦いを見せる。中盤突き放されそうになるが、苦しいところで3ポイントシュートで粘る。そして、後半終了間際まで1点差で負けているところを、あと10数秒のところで3ポイントで逆転。これで勝ったかと思ったが、あと4秒のところでフリースローを与えてしまい、同点となる。延長戦は、5点リードするも、ミスから逆転される。それでも終盤同点とし、さらに最後の最後にシュートを決めるも、タイムアップとなっており再延長に。そして、再延長では、とうとう韓国が根負けしてミスを連発し、完全に突き放す事に成功した。

 バスケットと言うのは、サッカーと異なり、時計は完全にオープンで、秒刻みで残り時間がわかる。最後の最後、日本が時間稼ぎでボールキープしているところで、観衆がカウントダウンして祝福。いや、おめでとうございます。当方も、男女とも続くのだ。



 やはり、予選はいい。特に勝てば最高だ。この日も最初は、何気なく見ていた試合だが、試合終盤の興奮たるやなかった。

 そして、今年は予選がたっぷり愉しめる年だ。今日の大和撫子たちの奮闘で、改めて今シーズンへの期待が高まってきた。ワールドカップの1次予選、上記した五輪予選(女子のもある)、そして、予選ではないが、アジアカップ、五輪本大会。ベガルタの復帰を目指す艱難辛苦の44試合の超過密日程に加えて、これだけの愉しみがあるのだから、こたえられないシーズンとなる。SARS騒動による五輪予選の遅れと、ワールドカップ予選の前倒しにより、凄いタイトルマッチが並ぶ事になった。これほど、濃厚な愉しみに満ちたシーズンは、生涯初めての経験だ。選手達も大変だが、40代半ばとなる自分も、身体と気持ちが持つかどうか、ちょっと心配だが。今日だって、テレビ桟敷で疲労しきったのだから。



 それにしても、我が故郷仙台で代表チームのタイトルマッチをやるのは、いかがなものかと思った(笑)が、よかった、よかった。え、トルコ戦は仙台ではなくて、利府だって?
posted by 武藤文雄 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年10月20日

ラグビーワールドカップ、日本−フランス

 スコットランドとの大健闘の次は、強豪フランス。
 フランスのラグビーには、そこそこ思い入れがある。私が世界のラグビーを初めてじっくり愉しむ事ができたのは、87年の第1回ワールドカップ。この大会で印象的だったのはまずフランス。それまでラグビーと言うものは最後は肉体能力で勝負がつくと考えていた私の偏見を打ち破る美しい「フットボール」だった。他国のパス回しが、比較的一本調子なのに対して(もっとも豪州やNZのそれは一本調子でも高速かつ正確なのだが)、フランスのそれは左右どちらに行くか、長短どこに届くか、見事に意表をつく変化が絶妙。さらに当時の主将FBのブランコが、独特のタイミングでラインに加わり、受け手として変化をつけ、さらにパス出し、突破も担当する縦横無尽さ。準決勝の豪州戦の終了間際の逆転劇には、本当に興奮したものだった。80年代の「フランス」と言えば、プラティニ将軍が率いる華麗なMFのパス回し。フランスラグビーも、サッカー同様、技巧と知性を組み合わせたパス回しが愉しめるのも、面白かった。
 
 そのフランスとの戦い。日本はスコットランド戦同様、激しく知的に戦った。スコットランド戦同様、タックル、ラインアウトはよかった(さすがにスクラムはやや劣勢だったが、破綻はきたさなかった)。またペナルティキックも素晴らしい精度で着実に加点。さらにフル出場したSOミラーが、独特の溜めを作り変化をつける。前の試合で(私なりに勉強した)モールでのキープも(ウィリアムズの助言通り?)改善されたように見えた。本当に素晴らしい試合を見せたと思う。
 しかしながら、戦闘能力はやはり格段に相手が上。フランスは、スコットランド以上に単独で敵を抜き去る技術が高いと見た。ボールを持ってのステップワークが、速い事も速いが、何とも軟らかい。ゴールライン前(ラグビーもゴールラインと呼ぶのだろうか)での攻防で、その差が顕著に出た。
 ただ残念なのは、敵キックオフ直後の攻防。立ち上がり早々の先制時(3−0とリード)、後半追い上げた際(20−19と1点差に追い上げる)、それぞれの敵キックオフ直後に、巧くボールをキープできずに、日本陣でボールを奪われ、すぐに失点してしまった。あの2つの場面、巧く切り抜けられれば、相当戦えたのではないかと思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年10月16日

ラグビーとの類似性にこだわる −偉大な先達に感謝−

 昨日ラグビー日本代表に関して、いい加減な講釈を垂れたら、掲示板にmasuda氏より早速突っ込みがあった。曰く「モールを維持しようとするとおしくらまんじゅうに負けてライン形成どころじゃなくなるのを恐れての高速展開ですから、アレはアレでいいんですよ。」

 これを読んで、昨日以上にサッカーとの類似性が、より正確に理解できた。サッカーと全く同じではないか。つまり、サッカーで「ボールキープ力」が弱いチーム(つまりキープのためのドリブルが巧くできる選手が少ないチーム)は、相手の守備が固まっていて速攻をかけられない状況でも、中盤でキープしきれないと、苦し紛れに「前に」」蹴りだすなり、「後ろに」逃げのパスを出す。ラグビーで「ボールキープ力」が弱いチーム(つまりモールのおしくらまんじゅうに勝てる選手が少ないチーム)は、相手の守備が固まっていて速攻がかけられない状況でも、ライン形成どころでなくなると、苦し紛れに「前に」蹴りだすなり、「後ろに」逃げのパスを出す。

 こう整理すると(整理できているかどうかはさておき)、自分の幸福を改めて感じる。現在のサッカー日本代表チームが、世界のどの代表チームと対しても、相当な「ボールキープ力」を持つ事ができ、相応の抵抗が可能な事を。

 思えば、私がサッカーをまともに見始めた約30年前。日本代表の「ボールキープ力」は、アジアの中でも決して優れたものではなかった。それに対する改善の手法は明確だった。1968年のメキシコ五輪銅メダルチームのコーチ岡野氏(前協会会長)は、「日本は世界一ボールコントロールが下手な国だ。その対策としては、幼少時からボールになじむ必要がある」と論陣を張った。幸いにも、日本の現場にはその問いに堂々と応える事のできる天才的な指導者がいた。

 枚方FCの近江達氏は、ジュニアレベルにおいて、卓越した理論に基づきボール扱いにすぐれ知的な判断ができる選手を多数育成した。藤枝東高の故長池実氏、静岡学園の井田勝通氏らは、ユースレベルにおいて技巧に優れ勝負にも拘泥できる有能な選手を多数輩出した。

 このような天才的指導者を先駆者として、日本中のサッカーおじさんが(おばさんもいました)技巧を重視した選手育成を行い、今日では日本中から技巧的で野心あふれる若者が次々に登場する事と相成った。かくして、我々は「ボールキープ力」に苦労しない代表チームを保有している。そのチーム運営に多々問題があるにせよ(その点に対する怒りは大きいのだが)、私はその幸福を噛み締めている。
posted by 武藤文雄 at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年10月15日

ラグビーワールドカップ、日本−スコットランド

 先週末よりラグビーワールドカップが始まった。日本の初戦の相手は強豪スコットランド。日本は素晴らしいプレイを見せて大健闘。日本の1つ1つのプレイは素晴らしく、実に愉しめる試合だった。私が見た日本の試合としては、最高レベルの試合ではないかとも思えた。

 日本の戦いぶりで感心したのは、気迫に満ちたタックルに加え合理的に戦った事。過去私が見た日本代表はラインアウト確保を苦手としていたが、この日は巧みなサインプレイでほぼ100%マイボールを確保。また、少々距離があっても、狙える距離のペナルティはキックを選択し確実に3点を狙う。これも往々にして日本のチームは、「トライ狙い」で、つなぐ事を選択する事が多いのだがこの日は違った。自陣でのオフサイドを避けるための丁寧に辛抱した位置取りも見事なものだった。

 しかし、これだけ見事な戦いぶりを見せながらも、正直言って「勝つのは難しい」ほど圧倒的に押され、最後は21点差で完敗。試合中は、敵を突破する個人能力(フィジカルで打ち抜こうとする突破、あるいはステップワークでの突破、いずれも相当な差があるように思えた)に大きな差があるためだろうかと思った。



 そう思っていたら、今日の日本経済新聞で、かつての神戸製鋼の名ウィング、イアン・ウィリアムズが、日本の検討を讃えた上で、実に明晰に敗因を整理してくれた。曰く「相手の強いプレッシャを受けると、後方へのパスやキックで逃げたくなるもの...たとえゲインできなくても、ボールを保持した方がよかった。」そう言われてハッとした。確かにモールなりラックなりになって、日本は巧くボールを安定して保持できていなかった。さらには、モールでのキープには拘泥せず、比較的早いタイミングのパス出しから突破を狙っていた。

 つまり、サッカーと同じなのだ。すぐにつなげる時は速攻(サッカーならば前線へのフィードであり、ラグビーならパスとなる)がよい、しかし味方の体勢が整っていない時は何がしかの方法でキープして遅攻(サッカーならば丁寧にパスをつなぎ敵DFの穴を探す、ラグビーならばモールでキープし味方のラインが揃うの待つ)。サッカーと違って「ラグビータックル」が許されているラグビー(ええいややこしい!)では、「パス」の選択は「確実なキープ」ではなく、速攻の仕掛けなのが面白いが。

 日本代表の気迫あふれる素晴らしい試合と、名手ウィリアムズの名解説で、ラグビーの観戦能力を相当向上させる事ができた。何のかの言って、兄弟フットボールである。日本は今後フランス戦を残すなど、楽ではない戦いが続く。しかし、スコットランド戦と同等のファイトをすれば、相当な試合ができるはず。

 日本の検討を含め、世界最高峰のワールドカップを1ヵ月、じっくりと愉しんでいきたい。
posted by 武藤文雄 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする