2009年01月28日

バーレーン戦生中継失敗について

(この原稿は試合前にまとめていたものです。ところが、有料のネット中継は定員オーバで利用できませんでした。こうなると、事態は非常に深刻です、そのあたりは別途考えていきたいと思います。試合そのものについても別に述べます。)

 バーレーン戦のテレビの生中継がないと言う。一般の方々における日本代表人気の凋落と景気の悪化が重なった事がきっかけなのだろうが、残念であると共にどうも釈然としない。一部報道に見られた日本協会首脳の発言「バーレーンサイドが法外な金額をふっかけてきて、交渉決裂」がよく理解できないのだ。いくつか推定できる原因を整理してみた。

 1つ目の可能性、登場人物の皆が間抜けだったと言うのが原因か。最初ふっかけきたのは事実かもしれないが、あくまでもこれは交渉ごとだ。最終的に交渉が決裂してしまっては、誰も得をしないではないか。バーレーンサイドは得るものはゼロだし、日本サイドも我々は試合を見られないし、テレビ局もコンテンツを失いカネは一銭も入ってこない。日本協会も非難される。交渉術においては、「意地を張りすぎて誰も得をしない」と言うヘタクソな交渉そのものの典型例ではないか。玄人が交渉したとは考えられない見苦しい結果である。
 2つ目の推測。もちろん、スポンサがこのコンテンツに対して払う対価が、中継の費用を下回るならば、テレビ局は何もしない方がよい。特にこの不況でスポンサの財布の紐が固い事は容易に予想される。これならば決裂も仕方がない(もっとも、「この苦境を救った○○社」と大きなPRになるので、結構な宣伝効果はあったと思うが)。しかし、それならば冒頭の日本協会首脳の発言は嘘になり「代表チームへのテレビ局とスポンサの評価が、バーレーンサイドの限界金額を下回った」と言うべきだ。これまでは交渉が成立していたのだから、今回だけが法外な金額を要求されたとは考えづらい。もっとも、それでもバーレーンサイドは、テレビ局の下限金額を下回る金額で販売した方が収入になるのだから、妥協の余地はあったはずで、ヘタクソ極まりない交渉なのは言うまでもない。
 3つ目。「交渉当事者の『誰か』が、相場を下げたくなかった」と言う可能性がある。バーレーンサイドかもしれないし、AFCかもしれないし、広告代理店かもしれないし、日本協会かもしれない(複数関係者の共謀による可能性もある)。今回のアジアカップで、日本のテレビ局サイドが許容できる金額で妥結してしまうと、今後の商売に差し支えると言う考えだ(あるいは既に別権利を購入した客に顔向けできない、あるいは値下げ交渉をされる、などもあるかもしれない)。これならば、1つ目、2つ目と異なり、日本協会も「嘘をつく」しかないのだから、ある意味で納得できる。
 4つ目、今回の試合は有料のネット放送(と言う日本語が正しいのかどうかはわかりません)で観戦可能だと言う。私も早速登録を行い、これで試合を愉しむつもりだ。もし、こちらのルートの会社が、日本の放送局より高い金額を払っているならば、十分考えられる事態。今回のネット放送局は登録も簡単だったし、これが成功し、かつビジネスとして成立するならば、これまでの放送の概念を大きく変える事になるかもしれない。消費者サイドの我々としては、このルートで観戦可能ならば、それはそれで全く問題ないのだし。ただし、報道で噂されている数千万円の放映料を、今回の聴取料でカバーするとなると、10万人もの人の観戦が必要なのだが、そんなに多数の人が利用するのだろうか。広告料との抱き合わせ、ネット中継そのもの宣伝など、別収入も考えられるのだろうが。

 おそらく、2、3、4番目なりが混在したあたりが真実なのではないか。日本のテレビ局が許容できる金額が低すぎる事に困る誰かが交渉を長引かせ、最終的にテレビ中継をするには時間切れとなり、ネット局に(やや安価で)投売りされたとか。
 ネットで見られるのだから不満を言ってはいけないのかもしれないが、大昔のように「映像が見られるだけまし」と言う悲しい時代にだけは戻って欲しくない。とりあえず重要なのはそれにつきる。
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2008年01月23日

「不快」の要因

 戯言です。不愉快に思う方がいたらご容赦を。

 過日の事だが、複数の著名自称サッカー評論家が、「拡大トヨタカップのレッズサポータの応援は、大した事がなかった」と言う趣旨の発言を行ったとの由。まあ、彼らの発言は、過去も再三に渡り(私を含め)いくばくかのサッカー狂を不快にし続けてきた。この機会に、何故彼らの発言は、かくも私(のようなサッカー狂)を不愉快にさせるかを考えてみたので、以下述べる。彼らの発言など不愉快になるのだから無視すればよいし、他に愉快になるようなサッカーの話題も多々あるのに、わざわざ不愉快な話題に関して講釈を垂れる私自身の矛盾も感じるのだけどね。
 とは言え、私は「レッズサポータの応援が世界レベルか否か」を論じるものではない。そもそも、その命題そのものが、あまり意味の無い事だし。あくまでも、本稿は「著名サッカー評論家への不快感の理由」のみを述べるものである。

 まず、こちら。これは対談形式。二宮氏が聞き手になっているが、この方は「サッカー界においては『キャプテン』と言う単語は、試合中11人の中で腕章を巻いてチームを統率する人間である」と言う事を理解していないと言う実績があるので論外。で、語り手の金子氏。レッズサポータ批判の部分を抜粋させていただく。
金子:(前略)。それにしても、僕は浦和のサポーターにがっかりしましたね。
二宮: それはどういうこと?
金子: 試合の空気を読んでほしい、と強く言いたい。0対1で負けていて、残り時間はどんどん少なくなっていく。でも、0−0の時と変わらずに歌っているわけですよ。同じ応援歌がタイムアップという絶望の瞬間にもスタジアムに鳴り響いている。こんなスタジアムでは日本のクラブは勝てないな、と思いましたね。浦和のサポーターが日本で最先端を走っているのは事実ですよ。でも、欧州のスタンダードには程遠い。
ここまでの部分は、肯定はしないが、一つの理屈だと思う。確かに負けている試合終盤、(必ずしもレッズを含めたJクラブのサポータが、0対0の時と同じように歌っているとは思っていないし、少なくとも私はあまりそのような場に遭遇した事はないのだが)金子氏が指摘するように、単調に歌っているだけだとしたら、改善の余地はあるかもしれない。
 ところが、笑えるのは続く金子氏の発言である。
自分の愛するクラブが目の前に木っ端微塵に打ち砕かれていているのに、僕なら歌えない。言葉を失ってしまう。でも、テレビゲームのようにバーチャルに感じているから、負けても痛くもかゆくもないんですよ。
この人は経験がないのだ。自分の愛するクラブが目の前で打ち砕かれようとしているその時、言葉を失う人はサポータではない。打ち砕かれる直前までは、絶叫するのがサポータなのだ。そして、打ち砕かれた直後に言葉を失うのだが。この主審のホイッスル前後の絶叫と絶望を味わうのは、(願ってはいないのだが)一種のサポータ冥利なのだ。真のサポータとして経験のない人間(つまりサッカーが好きではない人間)に、どうして指図を受けなければならないのか。
 だから、この人の文章は私を不快にするのだろう。

 次はこちら。この人は再三「世界」とか「欧州トップモード」と言う定義不明な言葉を弄するので有名なのだが、レッズサポータ批判の部分を抜粋してみる。
 浦和のみならず、ゴール裏に陣取るJリーグの各クラブのサポーターは「見る」という行為が、いささか疎かになっている気がしてならない。常に声を張り上げ、身体を上下に揺らしていては、試合がよく見えるはずがない。
 それが端的に表れるのが、ブーイングのシーンだ。反応が決定的に遅いのだ。世界のサポーターに比べて、たとえば相手に有利に吹いた審判のジャッジに対し、異を唱える反応が確実に数秒遅れている。正面スタンドやバックスタンドで、静かに観戦している人の方が、むしろ反応は早いくらいだ。
 その応援風景は、殺気漂う圧倒的なものに見える。だが、少なくとも相手選手や審判は、最初はともかく、時間の経過とともに視線に鋭さが欠けていることに気づくことになる。彼らにとって本当に怖いものが、そこにはない。あるようでいてないのだ。一方、世界のスタンドにはそれがある。視線の鋭さこそが、スタジアムに殺気を漲らせているのだ。
 たとえば「カンプ・ノウ」に応援団はいない。試合中のスタンドは、滅茶苦茶静かだ。しかし、だからこそ、時にわき起こる歌声には迫力がある。ため息にさえ殺気を感じる。98,000人の観衆が瞬間、一斉にどっとつくため息だからである。ピッチに集中していない観衆が誰もいないことを意味するため息が、巨大なスタンドに響き渡った瞬間、そこには止めどもない戦慄が走る。
細かい部分の突っ込み(例えば、「数秒の遅延があればサッカーでは違う場面になっている、コンマ数秒の遅延はあるかもしれないが」とか「フィーゴの移籍直後の『カンプ・ノウ』が滅茶苦茶静かでしたか」などについては触れない)はさておき、「試合をしっかり見て反応すべし」と言う理屈は正しいとも思う。
 しかし、何か違和感がある。しばらくしてから気がついた。それは、杉山氏がここまでサポータの動きを観察している事そのものなのだ。少なくとも私は、サッカーの試合中、サッカー以外のものを見る余裕はない。過日のレッズーミラン戦にしても、レッズサポータを観察する余裕など一切なく試合ばかり見ていた。確かに相当な戦闘能力差を感じる試合ではあったが、一方でのんびりと応援風景を観察できる余裕のある試合ではなかった。
 おそらく杉山氏は試合そのものは見ないで、試合周辺を見るのが愉しいのだろう。そう言われてみれば、氏の過去の文章の多くは、形骸的な選手の配置や、欧州のサッカー場の雰囲気を語るものがほとんど。まともにサッカーの試合を見ているとは思えない内容のものが多かった。氏が97年ジョホールバルでイランに逆転された直後「ハハハハ、まただな」と笑っていたと言う逸話があるが、そう言う人なのである。これはこれで、1つの考え方だろうが。
 そのため、この人の文章は私を不快にするのだろう。


 ただし、上記した私の視点は、サッカーそのものを愉しむしか術のない、しがないサッカー狂のそれである。
 日本代表のワールドカップ3次予選タイ戦のチケットの売れ行きがあまりよくないとか、Jリーグの観客数が増えているがやや頭打ちと言う話を見聞きする。多くの方々にサッカーを愉しんでいただくためには、「サッカー狂」ではない方々に競技場に来ていただく事が非常に重要。そのためにも、このような「必ずしも自分はサッカーが好きではないが、一般人が喜ぶ視点でサッカーを語る事ができる」と言う自称サッカー評論家が必要なのだろう。
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2007年06月12日

サッカー批評「川淵三郎インタビュー」を読んで

(ややわかりづらい文末部を書き換えました。2008年4月27日)

 先般発売されたサッカー批評35号の冒頭に、宇都宮徹壱氏による「川淵三郎インタビュー」が掲載されている。昨年のワールドカップ後に、ジーコの監督是非問題や、川淵会長自身の失言問題などが相次ぎ、川淵解任デモが行なわれるなどの大騒動があった(私もデモには参加させていただいた)のは記憶に新しいが、早くも1年近い時が経った訳だ。当時、週刊文春や日本経済新聞に、川淵会長のインタビューが掲載されたが、サッカーの専門誌あるいは商業誌に、これだけまとまったインタビューが載るは、(私が知る限りでは)これが初めてだろうか。
 冒頭に正直に述べておくが、私は宇都宮氏とは面識があり、この川淵会長インタビューが行なわれる前に氏とメールベースで議論する機会があった。そのような意味では、私は客観的に宇都宮氏のインタビューを公正に評価できる立場かどうかは、やや微妙ではある。
 また、上記したように、私は川淵会長解任デモに参加したように、ワールドカップ以降の川淵会長の振る舞いを、全く評価していない。したがい、現状の私は典型的「川淵否定論者」である。そのような人間から見た本インタビュー評である事もおことわりしておきたい。

 しかし、そのような立場を踏まえてもなお、このインタビューは日本サッカー界にとって、非常に重要なものだと、高く評価したい。

 まず第1に、このインタビューにより、川淵会長が完全に日本協会内で「裸の王様」状態になっている事がよく理解できる。このインタビューを読んで最初に類似性を感じたのは、新興宗教のパンフレット。教祖様が立派な事を述べ、信者たちがありがたく拝読する、アレだ。具体的には、「後継者に求められる素質は」と言う問いに対し、「志が高いと言う事だね」、「代表経験もあり、経営能力もあり、公私混同のない、世のため人のため...」、「そうそう、無私。それが一番。」と言った一連の回答。川淵会長ご自身が、自分はそのような人間だと、自画自賛している訳だ。正に新興宗教のパンフレットそのものではないか。
 インタビュー終盤の
僕があと2年間、頑張ろうと思ったのは、協会の幹部から『辞めないでください。川淵さんがいなくなったら、日本のサッカー界はおかしくなります』って言われたから。そういう部長クラスが、実は一番、僕に厳しくやられていてね。本当は、僕が辞めたら喜ぶ連中なんだよ(笑)。それが『辞めないでくれ』って言ってくれたことが、最も僕を突き動かしたね
は、笑いを通り越して脱力ものだ。こんな低レベルのお世辞で上司が喜んでくれたら、我々サラリーマンも楽なのだけれどもね(笑)。
 新興宗教のパンフレットの読者は皆信者だから、そのような自画自賛をありがたく拝読する。しかし、サッカー批評の読者は、別に川淵会長の信者ではないから、川淵会長が相当アレな事をよく理解できる。
 のみならず、このような教祖的な表現が、事前に日本協会の検閲を通ってしまう事も興味深い。協会の広報部門が投げやりになっているのか、広報部門に広告代理店が優秀な人材を出向させてくれなくなっているのか、理由はいずれかだろうが。

 第2に昨年の代表監督就任騒動の顛末も、よくヒアリングされている。
 川淵会長が「オシム氏が急速な若返りを行なう事が必要なほど、ジーコがアテネ世代に着目しなかった事を問題視している事」を引き出しながら、一方で川淵会長が「中国アジアカップで苦戦しながらも感動的に優勝したジーコ」の事に言及しないのが面白い。川淵会長は「ジーコの問題点」はよく覚えているが、「ジーコの実績」はすぐに思い出せない状態なのではないか。ジーコが監督していた時代、最後のワールドカップは残念だったし、就任期間中に酷い試合も多かったし、不調の選手に拘泥し優秀な若手選手の起用が遅れたのは確かだ。しかし、「アジアカップの奇跡的優勝」を筆頭に、「ワールドカップ予選の慎重かつ確実な勝ち抜け」、「コンフェデブラジル戦の大健闘」など、見事な実績もあったのだ。ところが、あのドイツでの屈辱的な敗戦から1年も経った今でも、川淵会長はその「ジーコのよかった面」を思い出せずにいるようだ。よほど、ワールドカップの失敗がショックで、「ジーコ選考は失敗だった」と考えているから、と考えるのが妥当だろう。

 第3にオシム失言問題。当時、本件は「わざとか、本当に失言だったのか」と言う議論に、問題が矮小化されてしまった。本件について、宇都宮氏は強烈に突っ込む事で、
人間の過ちを絶対に認めないと言うのであれば別だけど...でも、取り返しのつかないことだとも思わないな
と、ホンネを見事に引き出している。さらにジェフのサポータに対しては
サボータに対しては、こちらから説明するんじゃなくて、ジェフ側が説明する話だよ、それに『Jリーグ軽視』とかね、僕のやっていることを理解したら、そんなことを言われる筋合いは毛頭ないね
だそうです。
 毎週末、自クラブを応援する事をタノシミにしているサポータへの冒涜の意識がないところが、また味わい深いではないか。

 そして第4番目。インタビューの最後に「チェアマン時代、協会会長時代を含め、やり直せることがあるとすれば、それは何か?」と言う質問。それに対する川淵会長の回答がいささかショッキング。
それはないね、不思議と。もちろん、常に正しかったとは思ってないよ。でも、フリューゲルスとマリノスの合併問題にしたって『じゃあ、合併しなかったらどうなっていたか分かっていますか?』という背景があって、あのような決断をしたんだからね。(以下略)
 突然にフリューゲルス消滅問題が登場した。
 本件については、当時述べたが、あれは完全にサッカー側が勝てる交渉事だったと今でも思う。そして、あの悲劇はどう考えても、日本サッカー史上に残る人災である。その人災の責任者が川淵会長だった訳だ。宇都宮氏が聞いてもいない問題を自ら持ち出すあたり、よほど本人も気にしているのだろう。
 改めて、この悲劇の責任が川淵会長にある事を再確認できた。氏が何を取り繕おうが、氏自身がそれを認めているのだから。

 さらに全く異なる視点から、もう1つ。
 このインタビュー冒頭に宇都宮氏自身が「尊敬して止まない同業者・木村元彦氏も、再三にわたりインタビュー取材を申し込んできたものの、いまだ実現していない。「自分でいいのだろうか」というのが、率直な気持ちであった。」と述べている。ところが、当の木村氏が同誌上の「『日本サッカー協会のコンプライアンスへの取り組み』を読んで」と言うタイトルで、木村氏自身が川淵氏へのインタビュー申請を行い却下された顛末を述べている。日本協会広報部門が、相当な問題を抱えている事がよくわかる文章になっている。

 このまま行くと、川淵会長は日本サッカー史において「東京五輪アルゼンチン戦で同点弾を決めたFWだったのが」と言う表現でしか記録されない人になってしまうのではないか。


サッカー批評 issue35―季刊 (35) (双葉社スーパームック)
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posted by 武藤文雄 at 23:50| Comment(25) | TrackBack(5) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月24日

「オシムに問う」てはいない雑誌

 移動の最中、駅の売店でNUMBERが目に付いた。今号は679号。メインタイトル曰く「オシムに問う」。ページの半分を、爺さんが何がしかを訴えるような写真。
 副題がいい。「オシムは日本サッカーを再生できるか」、「巻誠一郎はなぜ必要とされるか」、「小野伸二はこのまま招集されないのか」、「松井大輔は試練を生かせるか」、「日本はアジアカップで勝てるのか」。

 思わず手に取り、530円の投資の是非を検討する。疑り深い性格なもので、念のため目次を開く。すると、特集として様々な記事があるが、トップにはあの木村元彦氏が「特別取材」した「オシム −日本サッカーを再生できるか−」と言うのが掲載されている。「これは買いだ!」と判断、新幹線の時間まであまりなかったので、さっさと530円の投資を行った。

 完全にだまされたよ。

 新幹線に乗り、パソコンを立上げメールを処理した後、おもむろにNUMBERを開いた。上記冒頭の木村氏のページを開くのももどかしい。読み始める。「あれ?!」全然オシム氏の「語り」は始まらない。始まったのは、グルノーブルのGMの祖母井氏のインタビュー。上記した木村氏の「オシム −日本サッカーを再生できるか−」と言う記事は、実は祖母井氏のインタビュー記事だったのだ。
 その他の記事は、巻、小野、松井へのインタビュー、その他オシム氏がらみの様々な記事、もちろんいずれもNUMBERらしいヒネリの利いたものものあるのだが。
 つまり、この雑誌は誰も「オシムに問う」ていないのだ。期待していた「オシム氏の小野へ論評」どころか、「オシム氏へのインタビュー」もかけらもない。確かに、「オシムに問う」ている記事はないが、それぞれの論評の主題は「オシムに問う」だけれどもね。
 しかも、疑り深い私のような人間が目次を確認する事まで、完全に読まれていた訳だ。目次には祖母井氏の「祖」の字も出てこない。

「文藝春秋よ、ここまでやるか?!」

 まあ、多くの場合、詐欺と言うものは「騙された方が悪い」と言うものなのだが。それにしても悔しい。

 しかも、この号は結構いい記事が多かったりして。猪狩真一氏がまとめたレイソル監督石崎氏の「オシム氏から学びたい」と言う思いを引き出した見事なインタビューは絶品(これは僅か1ページですが素晴らしい。皆さん是非呼んで下さいね)。また、「オシムに問う」特集に関係あるのかないのかはわからないが(もちろん私は関係あると思いたいが)佐藤岳氏の「久保竜彦インタビュー」も興味深いものだった。どこまで真実かどうかはさておき、現状で久保が悩んでいる負傷の詳細を掴む事ができる。
 上記の2つの記事が載っている雑誌を、530円で買う事に不満があるものではない。けれども、「完全に文藝春秋に騙された」と言う悔しさは消えないな。

 NUBMERと私の付き合いは古い。大学時代、「NUMBER1」と言う雑誌が発刊され、次号が「NUMBER2」だった時の「そうか雑誌名は『NUMBER1』ではなくて『NUMBER』だったのだ」と「やられた!」と言う思いは忘れ難い。当時はサッカーの記事は僅少だったが、野球やラグビーの記事は面白かったし勉強になった。
 初めてサッカーの特集が組まれたのが、84年の釜本引退時。「蹴る巨人」と言うタイトルだった。後日、その号がNUMBER始って以来の最小の売れ行きだったと聞いてショックを受けた。
 しかし、90年代に入り状況は変わった。NUMBERはサッカーが人気を得ると共に再三「サッカー特集」が組まれるようになった。最初は喜んでいたが、97年のフランス予選あたりから、あまりに「自虐的日本代表論」ばかりが目立つようになり、距離を置くようになった。その後は、たまに面白そうな企画を発見すると買うくらい。
 それでもオシム氏就任以降、幾度か興味深いインタビューが掲載されたこともあり、最近は購入機会が増えていた。で、今回騙されたわけ。騙されての530円への悔しさよりも、文藝春秋の低い志が悔しい。

 でも、悔しいけれど、54ページの石崎監督のインタビューは必見ですけれどもね。
posted by 武藤文雄 at 23:50| Comment(9) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月29日

ではワイルド11について

 牛木氏の連載終了、言い換えればサッカーマガジンがサッカー言論界のリーダシップを執る座から自ら降りる事の宣言も衝撃的だが、望月三起也氏の連載終了もこれまた1つの事件である。



 70年代、望月氏は少年キング(って今でもあるのかなあ)に連載していた「ワイルド7」と言う作品を中心に、当代きっての人気マンガ家だった。その望月氏が、当時マイナスポーツだったサッカーが大好きで、JSLの三菱に大変な肩入れをしていた。その肩入れ振りが、何とも愉しい連載だった訳。大体、当時は「ワイルドイレブン」と言う名前の連載だったのだから。若い方々に理解いただくためには、尾田栄一郎氏とか岸本斉史氏あたりが、ハンドボールの某チームに肩入れして商業誌に連載を持っていると考えてもらえばいいだろうか(すみません、最近読むマンガと言うのは、坊主が買って来る少年ジャンプくらいなもので)。

 ちなみに氏は、レッズとジュビロのサポータと公言されているが、その理由は明確。三菱を引退した大杉山が、故郷の静岡に帰ってヤマハの監督になったからなのだ。

 実際、望月氏は三菱の関係者と、個人的な関係があったので、そのあたりの記事が何とも面白かった。たとえば、サテライトリーグで部員不足のために、当時の三菱監督二宮寛氏(後の日本代表監督)が出場し得点を決めた場面とか。日韓クラブチャンピオン定期戦(みたいな公式戦が昔あったのだ)で三菱が韓国のどこか(浦項製鉄だったような気がするが)と戦った際に、関係者席に座っていた「既に三菱を引退していた大杉山」が、試合に出ないのは残念と語ってみたり。

 三菱の選手で、特に氏のお気に入りは、ファイトあふれるサイドバックだった菊川凱夫(菊川氏は、後に藤枝ブルックスを立上げる、ブルックスは本拠地を福岡に移し、今日のアビスパ福岡の前身となる)。氏は菊川を「K青年」と呼び、連載で必死に称え続けた。菊川が74年シーズンを最後に引退した時に、氏はサッカーマガジンの自ページを使い、選手菊川の引退特集としたが、これは長きに渡るサッカーマガジン史に残る美しい記事だった。

 ところで、当時の三菱のライバルチームだったヤンマーに、苗字が同じ「K」を頭文字にした名選手がいたが、望月氏がそのヤンマーの「K青年」を再三からかうのがまた面白かった。特にヤンマーの「K青年」にやられた試合の後の嘆き振りが。

 当然ながら、当代きっての人気マンガ家であった氏は、超多忙ながら経済的には豊か。ドイツを中心に再三欧州を訪問し、サッカー観戦を愉しまれていた。上記二宮寛監督つながりから名将バイスバイラー氏ともコネクションがあるため、サッカー界の人脈も完璧。ベルティ・フォクツとの嬉しそうな記念写真や、奥寺のドイツでの活躍への歓喜などは、サッカーマガジンのグラフページよりも、よほど充実していた号もあった。



 ここまで書けばご理解いただけるのではなかろうか。望月氏は、我々のサッカーの愉しみ方を、先駆的に具現化し、マンガと文章で具体的に説明してくれ続けてくれたのだ。



 サッカーマガジン編集部が、何がしかの理由で、その連載を止めるのは、それはそれで仕方が無い。ただ、望月氏の連載を止めるならば止めるで、せっかくここまで続けてきたのだから、総決算の座談会くらいをじっくり行ったらどうだろうか。座談会の進行は元編集長の千野氏なり大住氏。ゲストは望月氏の他は、三菱OBの大杉山かK青年か森氏、レッズOBの福田氏、ヤマハOBの長澤氏(お嬢さんが大変有名らしいが)か吉田光範氏、そして「ヤンマーのK青年」。こう言ったメンバが望月氏を中心に、ドイツワールドカップの苦杯を嘆いたら、さぞ面白いコンテンツになると思うのだが。



 望月氏も独自のWEBサイトを持っているので、今後も氏の活躍を愉しむ事はできる。わかっている事は、来週からのサッカーマガジンが無味乾燥なものになるだろうと言う事くらい。
posted by 武藤文雄 at 23:13| Comment(2) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月26日

日本サッカー史の分岐点

 毎週火曜日は、最寄駅のキヨスクで中学生時代以来の愛読書サッカーマガジンを購入し、通勤電車で愉しむのを常にしてきた。思えば、毎号購入し始めたのは、74年のワールドカップ以頃だから32年間も通読していた訳である。もっとも、週刊化したのは比較的最近の事だから「通勤の友」化したのは、せいぜいここ10年ちょっとの事で、多くの期間は月に1度の愉しみだった。逆に当時は、サッカーの情報が少なく、国内事情、海外事情、各種記録、大会予定、サッカー上達法など、サッカーに関する総合情報が満載で、発売日を心待ちにしていたのも懐かしい思い出だ。

 常に競合としてやや柔らかな立場で編集されていたイレブン、新興の雑誌であるサッカーダイジェスト、ストライカーと競合誌は存在したし、一時はその全てを購入していた事もあった。しかし、90年代に入り、新聞などでサッカーが取り上げられる機会が飛躍的に増え、雑誌媒体を全て購入する必要性がなくなった時点(これがちょうど週刊化した頃となるか)からは、ずっとサッカーマガジン1本に戻していた。

 私の思いと言う事を抜きにしても、日本のサッカー商業誌としては、サッカーマガジンが代表的なものであり、サッカー界における重要なオピニオンリーダの地位を占めていた事に異論を唱える人は少ないと思う。



 そのサッカーマガジンが大きな転進をする事になった。

 牛木素吉郎氏の連載が、今号(9月26日発売の10月10日号)で終了すると言うのだ。しかもサッカーマガジン編集部が打ち切りの判断をしたのだと言う。これは、日本サッカー界にとって大変な事件だ。

 サッカーマガジンと言う雑誌が、サッカー界におけるオピニオンリーダとして過去40年間君臨できた要因の1つには、牛木氏の連載があったと考えるのは私だけだろうか。と言うより、若い頃の私にとって、サッカーマガジンの牛木氏の連載は、サッカー界のあるべき姿、欧州、南米の先進地域の仕組み、先進地域の仕組みをいかに日本に導入するか、こう言った「日本サッカー界のあるべき姿」を、毎月講義してくれるものだった。私は、サッカーマガジンと言う媒体を通じて、賀川浩氏からピッチ上のサッカーの愉しみ方を学び、牛木氏からサッカー周辺文化の奥深さを学んだのだ。

 連載最後となった今号で、氏はサッカーマガジン黎明期に

(1)地域のクラブを基盤に

(2)プロを導入

(3)ワールドカップを目指そう

と言う内容を述べたと記述されている。今となっては全てが実現された事であり、若い方々には「当たり前の事」と言う認識しかないかもしれない。けれども、牛木氏の凄みはそれが実現された90年代前半よりも約25年前に、その事を主張し、いやその後も主張し続けた事にある。何ゆえ氏がそこまで先進的な発想を抱くに至ったのか、実は直接氏に尋ねた事があり、またそのあたりの歴史的背景に関しては、自分なりの考えもあるが、そのあたりは別な機会に述べたい。

 いや、その他にも牛木氏は先進的な主張を多数述べている。例えばワールドカップ予選やや五輪予選をホーム&アウェイで行うべし、と言う提案も斬新だった(60年代から70年代にかけてはセントラル方式で予選が行われるのが通例だった、牛木氏はセントラル方式を好む日本協会を批判した訳)。余談ながら、上記のホーム&アウェイ開催の主張については、翌月号で協会サイドの岡野俊一郎氏が「日本協会もアジア連盟にその主張はしたが却下されたのだ」などの反論が載った事もある。愉しい時代だった。田島氏は岡野氏の爪の垢でも...いや格が違いすぎるか(ちなみに岡野氏と牛木氏は、東大サッカー部、正しくはア式蹴球部と言うのかな、の先輩後輩との由)。

 もちろん牛木氏のピッチ上の評論も素晴らしいものが多かった。個人的に忘れ難いのは、91年欧州チャンピオンズカップ決勝、レッドスター対マルセイユの戦評。両軍が秘術を尽くして敵のよさをつぶし合う素晴らしい試合について、的確な論評を流してくれた。日本から取材に行った多くのライタ達が「ただ守備的な試合」と述べていたのとは実に対象的だった。



 サッカーの情報があふれるように流れる今日。必ずしも取材の環境に恵まれていない牛木氏の視点が、やや古いものになっていた事は否定しない。けれども、氏の論評の視点は一切ぶれていなかった。日本サッカー界のご意見番として、力尽きるまで連載を継続していただきたかったのだが。牛木氏の連載を終える事により、サッカーマガジンは、業界のオピニオンリーダの座を危ういものにする事を、自ら選んだと言うのは言い過ぎか。

 いずれにせよ、来週から愛読書の継続購入をすべきかどうか、迷う日々が始まるのは間違いがない。



<以下加筆、06年9月30日>

 コメント欄でmasuda氏に指摘いただきましたが、牛木氏の過去作品及び最新の文章は、氏の主宰されているWEBサイトで読む事ができます。過去の作品が少しずつ公開されていくのは、本当に愉しみです。最新に公開されたアーカイブ(忙しすぎる日本サッカー ムルデカ参加はなぜもめたか?)などは、日本サッカーの歴史を勉強(周辺アジア国との関係、岡野俊一郎氏の大奮闘、当時の日本代表選手の負担など)するのに最高の教材と言える程です。

 考えてみれば、氏の文章はこのサイトなどで読み続ける事ができるのですから、我々は困る事は全くない訳ですね。
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2006年04月05日

事務連絡(関塚氏の現役時代)

今日(5日)発売のエルゴラッソに、隔週連載「サッカー講釈今昔」として、フロンターレの関塚監督の現役時代について書かせていただきました。是非、購入の上、お読み下さい。
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2006年03月20日

エル・ゴラッソで連載開始

先日、高校大学を通じてのY先輩と飲む機会があった。仙台で20年来少年サッカーを指導してきた経歴をお持ちのY先輩は、自称加藤久のライバル。たしかに、我が高校と加藤氏の高校とは、色々な面でライバルと言われるているし、加藤氏もY先輩も同年の主将だったのだから、そう間違った情報(記憶?主張?)ではないかもしれない。もっとも、加藤氏がY先輩の事を記憶しているかどうかは、定かではないが。



 ともあれ、そのY先輩。拙BLOGを愛読して下さっていて、厳しい批評者でもある。で、Y先輩と飲んだ際に2つ宿題を受け取った。



 1つ目。

 「一体、いつ西野への謝罪を行うのだ。」

 そうなんですよ。今シーズンに入る前にも散々言い訳したのだけど、諸事情あってサボっているうちに、色々書いていない宿題がたくさん溜まってしまった。ようやくシーズン入りに前後して、ベガルタの評論については書く事ができたが、とてもではないが他のチームまでは言及できなかった。

 中でも、今まで酷評の限りを尽くしてきた、私の大嫌いな西野氏がリーグ制覇をしたのに対して、何か書いておかないとみっともない事は確かだな。



 2つ目。

 「エルゴラッソに書くなら、早くBLOGで告知せよ。事前にわかってなきゃ、買いそびれてしまう。」

 すかさず武藤は「そこで定期購読ですよ。」と拡販に努力したのだが、Y先輩は「毎回買ったとしても、どこにお前の文章があるかわからん。」と実に鋭いご指摘。確かに毎号熟読していたとしても、いちいち書き手の名前まで誰も追いかけはしないな。と言う事で、今後はちゃんと事前に告知しよう。



 と言うY先輩からの宿題に、一気にお答えすることができた。

 今後水曜日に隔週で「サッカー講釈今昔」と銘打った連載を持つ事になったがゆえ。具体的には、現在監督やコーチや解説者をしているかつての名プレイヤの現役時代の想い出を語るもの。

 そして、その第1回が「西野朗氏」なんですねえ。編集の方と幾度か打ち合わせを行ったのだが、どうしても第1回は西野氏でなければならないそうだ。おそらく、彼女もY先輩同様1つ目の宿題を待っていたのかもしれない。

 と言う事で22日発売のエルゴラから連載開始。さすがに、字数にも限りがあるし、BLOGほど自由闊達に何でも書くわけにはいかないので、まっとうに選手西野の想い出を語らせていただいつもり。ご興味ある方は是非お読みいただければ。
posted by 武藤文雄 at 23:05| Comment(8) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

新聞に書く

 最近エル・ゴラッソづいている。もちろん、読む方ではなく書く方でなのだが。このような機会を得るに至るには、様々な偶然が重なっての事なのだが、ありがたい事だ。さすがにblogほど、気ままに放言はできないが、自分のサッカー論が活字になるのは、やはり嬉しい。

 blogでは、カズについて書いた事を掲載した。実はその直後に、相馬の引退についても書く事ができた(掲載誌は11月14日発売分)。面白かったのは、カズの件のコメント欄、2段目のスレイヴさんの投稿。実はスレイヴさんがそのコメントを書いて下さった時点から約12時間前に、エルゴラッソの担当の方から、スレイヴさんと全く同じ依頼を受けていたのだ。担当氏に「『私が先に(武藤に)依頼したもんね』とコメント欄に書いたらどうですか」と提案したが、さすがに遠慮されてしまった。

 相馬の件をblogには未掲載と言うのは理由がある。エル・ゴラッソでは分量が限られたために、書ききれない事がいくつかあったからだ。相馬が清水FCと早稲田大出身である意味とか、バルセロナ五輪予選の事とか、名良橋の事とか。そのあたりを含めて、まとまった相馬論を書きたいからだ。大体、引退報道でその選手の過去を褒め称える文章に、00年アジアカップのクウェート戦や、トゥルーズでの失点について、突っつく野暮はできないし(笑)。

 ところで、先日また編集担当氏から電話が来た。「すわ、澤登か」と思って話をしたら、違いました(と言う事で、blogに澤登思い出は掲載済み)。全然違う文章の依頼だった。30日発売版に掲載される予定です、典型的な季節もの、そして「今、どうしても書いておきたい事」を見事に依頼された。1年間の積もり積もった想いを、短い文章にまとめるのはしんどかったが、土曜日、そして来週に向けた想いのたけです(と、書けば何について書いたかすぐわかるでしょ)。どうかお愉しみに。
posted by 武藤文雄 at 23:48| Comment(4) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月07日

名作公開、ただし付録付き

 今日は思い切りもったいぶったエントリとなります。



 こちらのエントリで絶賛した作品だが、肝心のエル・ゴラッソが、国内の特定地域のみで販売されていると言う問題があり、拙blogの多くの読者から「俺は読めない」とのクレームが相次いだ。はっきり言って、これは私の責任ではない。適切な流通網を作れていない、エル・ゴラッソの問題である。

 しかし、ある程度あおっておいて、放置するのもまずかろう。と、言う事で私の責任において、当該作品を公開する事にした。しかしながら、ただ公開するのは、面白くないので、あくまで拙blogオリジナルとして、当該作品に若干だが特別なアレンジを行ってから公開する事にした。オリジナル部分はタイトル部に注目していただければ、すぐわかる。どうだ、うらやましいだろう。

 繰り返すが、メインコンテンツについては(1コマ目もよい作品だが)私は2コマ目の素晴らしさを強調したい。2コマ目の「あの場面」の、ほとんど完璧な記録に注目いただきたいのだ。この2コマ目により、私たちはあの名場面を永久に記憶できるのだ。



 ね、凄いでしょ。



 ついでに宣伝。

 と言う事で、読者範囲に極端な地域偏在があると言う問題を抱えるエル・ゴラッソ。もし、購入可能な地域にいる方は、本日(7日)発売された、ジェフの歓喜が1面となっているやつを購入ください。そして、12、13面見開きの下段に注目いただきたい。

 購入不可能地域にいる方については、しばらくお待ち下さい。今はそれ以上申し上げられません。
posted by 武藤文雄 at 23:41| Comment(12) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする