2005年01月08日

ああ日本テレビ

 高校選手権の準決勝2試合を見に、国立参戦も企画したのだが、少年団の都合もありTV桟敷での観戦となった。

 見事に国見の出足を封じた鹿児島実業の疾風怒濤、国見は決勝にピークを持ち込もうとしていたのか、例年に比べて戦闘能力が足りなかったのか。それにしても鹿実の運動量と展開の広さはお見事。

 市立船橋の強力守備網に技巧で挑んだ星陵。従来必ずしもサッカーが強いとは言えなかった石川県から、これほどのチームが出てくるとは。そしてロスタイムの同点劇。

 いずれも愉しい試合だったし、詳細な戦評でも書こうと思っていたのだが、「あの事件」以降気が変わった。



 「あの事件」の流れを再録しておこう。市立船橋−星陵のPK戦。お互い5人目が終わり4−4のサドンデスに入ったところで、スポンサのテロップが入り始める。悪い予感、しかしその割にはアナウンサの定番「大変残念ですが...」も聞こえなかったし(私の聞き落としか)、画像に「この試合の結果はご覧のチャンネルで...」も表示されない。

 市船の第6キッカがボールをスポットに置くのを見守る。と、その瞬間映像に、田中達也が登場しスポーツ飲料水のCMが始まった。慌てて新聞を見ると、どうやら引き続き高校サッカーの特別番組が準備されている。「そうか、次の特別番組で放送するのか」と期待して待つ。

 ところが日本テレビは、全く意表をついた行動に出る。始まった特別番組で、アナウンサが「先ほどのPK戦終了しましたが、それは後にして、まず第1戦のダイジェストをご覧下さい」と語って、国見−鹿実戦と放送始めたのだ。「まずPK戦の残りを中継してから、ダイジェストを始めればよいものを」日本テレビ関係者の判断力の悪さに、怒りも感じたがあきれてもいた。まさか視聴率を引っ張るための高等戦術だったりして(笑)。さらにゲスト出演していた日本代表経験のあるFWが、視聴者の怒りに気がついていないのかノンビリと第1戦の試合分析、現役時代は巧妙なすり抜けが巧かった選手だが、確かに視野は狭い男だったな(笑)。

 各地から怒りと抗議の電話が集まったためだろうか、日本テレビはここで最悪の選択を行う。映像を流すことなく「PK戦の結果のみ」を報告したのだ。これには激怒しましたよ。思い切り引っ張られた上で、せめてもの望みであった「時間差での興奮」を愉しむ機会を奪われたのだから。

 私のTV観戦史においてはワースト3に入るものだな、これは。



 高校サッカーにおいて、PK戦になっての時間切れによる時間切れ中継については、日本テレビは幾多の前科がある。私の記憶の限りでは、77年の東京移転最初の大会の準決勝、帝京−浦和南戦(あの静岡学園−浦和南戦の前日、帝京には2年生の宮内、金子、浦和南には1年生の水沼、田中真二)がその皮切りだったか。ただ昔は「サッカー中継をやっていただけるだけでありがたいか」との想いもあったのは確か。また、トーナメントの試合のTV中継について、長引いたPK戦までの時間枠を取るのが難しいのも現実だった。

 しかし、この日は異なる。「高校サッカー」を伝えるための時間はたっぷりと準備されていたのだが。



 ちなみに、過去と比較して今回1つだけ異なっていた事がある。このような事態が発生すると、その激怒を発散させるためにTV局へ抗議の電話をかけるのを常としている。しかし今回は全く電話が通じず、NTTの「回線が混み合っています」のみが聞こえてきた。あたかもビッグゲームのチケット発売直後を思わせた(笑)。サッカーでかほど多くの人の怒りが結集したのは初めてなのかもしれない。と言う事で、私は日本テレビの人に激情をぶつけ損なったので(笑)、こちらで発散させたものです。
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2004年10月20日

「EL GOLAZO」への期待

 各方面から期待されているサッカー専門新聞「EL GOLAZO」が今日で通巻第5号。私としても、月水金の帰りの電車で愉しむパタンが確立してきた。残念なのは、未だ同じ車輌で橙色の同じ新聞を読んでいる仲間を見つけられていない事。

 記事の内容そのものは玉石混合感があるものの、隔日でこれだけのサッカー関連の記事を提供してくれる事、そしてそれを夕刊紙の形態で提供する事(いくらインタネット時代とは言え、神媒体の読み易さは格段)など、今後に大いに期待したいところだ。シーズンオフにどう記事を集めるのか、ヒトゴトながら心配になってくるが。

 実は、友人が間接的にこの新聞の発刊に関わっており、その友人から創刊にこぎつけるまでの中心人物の熱意を聞いているだけに、一層この試みが成功する事を期待している。素人感覚では決して楽な経営とは思えないけれど「サッカー専門新聞がある国」と言うだけで嬉しいではないか。まあ、私ができる事は毎週390円の投資をする事だけなのだが。



 毎号の愛読者として、3点ほど注文を述べたい。と言っても、「せっかく静岡高校選抜で同級だったベルマーレの鈴木良和と佐野裕哉の対談記事を準備したのだったら、『プライベートの過ごし方』ではなくて、『お互い何を意識してプレイしているかなどサッカーの事』を聞け」的な突っ込みは、やめておこう。商売は商売なのだし、切り口は多様なのはやむを得ないだろう。個々の記事に対してではなく、新聞そのものへ本質的な事を突っ込む事にしたい。

 1つ目。まず不可能な要求。実は私は橙色と言うのが気に入らない(笑)。ガゼッタを意識したのだろうけど、将来世界のサッカー界を代表する新聞に育った時に、ガゼッタと同じ色と言うのはいかがなものか。どうせならば、西のガゼッタ、東のエルゴラッソ、と呼ばれたいでしょ。ワールドカップの決勝でイタリアと当たる時とか。まるで真似したみたいじゃないか(真似したのだろうが)。キヨスクで見つけ易いのはメリットだが、だったら例えば日本代表を意識して青っぽい色にするとか。でも、アズーリのイタリアが橙色なんだな。

 2つ目。短期的には難しい話。販売地域が首都圏のみなのが残念。日本サッカーは全国津々浦々にトップクラブを広める構想で進んでいる。何とか首都圏で、安定した経営を固め、地方進出を果たして欲しい。少しだけ旧聞になってもいいから、各地のJ会場やサッカーショップで販売できないだろうか。そしてそれを起点にした通信販売など。

 中学校の時友人と語り合った「東京でやってる『ダイヤモンドサッカー』って見たいっちゃねや」を、ちょっと思い出した。

 3つ目。すぐに改善して欲しい事。それは社説。新聞なのだから、編集長氏なりの「主観的な言説」が欲しい。1面の下段に毎号社説っぽい記事が出ているが、あまりに客観的な言説な事が不満。明快な一人称での意見が欲しい。それが、新聞としての「色」につながると思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:39| Comment(7) | TrackBack(3) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月25日

頑張れスポーツ新聞

 フィリップ・トルシェ氏が在任中にフラストレーションを高めた要因の1つに、サッカーの事をさっぱり勉強しない記者が世界中のどこにもゾロゾロ付いて来るから、と言う邪説があった。まあ世界中でなくて日本国内に限ってでもよいのだが、合宿をするとスポーツ新聞は紙面を埋めるために記者を派遣するが、それらの記者がピントのずれた質問をしたり、ウロウロして練習の邪魔をしたりするのを、フィリップが非常に嫌ったと言う説だ。

 事の真偽はさておき、大の大人がスポーツ選手たちに一日張り付いて、紙面を埋めるための目的とは言え、このような典型的な当たり前の記事しか書けないのであれば、フィリップでなくてもエネルギーの無駄と言いたくなる。これならば、練習終了後、日本代表チームの広報担当が、「今日は××の練習と○○大学との練習試合を行いました。練習試合のメンバは下記の通り、得点者は△△でした」とさえ、発表してくれれば、それで記事が書ける。つまり取材する意味がないのだ。別に安易なマスコミ批判をする気はないが、どうせ取材するならば現地にいなければ書けない記事を書いて欲しい。



 と、考えていたら、今度は現地にいなければ書けないユニークな記事を見つけた。これは面白い記事だ。可哀想に、よほど記者氏もヒマだったのだろう。しかし、おかげ様でこの記事からは、様々な新しい考察が可能になりそうだ。

 例えば、この決定率は高いのか、低いのかが議論できる。直感的には低過ぎるのではないかと想うが。例によってアレックスの空気が読めていないトボケたコメントが絶品。

 例えば、2月の合宿の時の成功率はより高かったようだが、このシュート練習の成功率を定点観測し、実際の試合を含めて比較検討すれば、サッカークリニックにも通用する記事が書けそう。

 例えば、国内屈指の指導者と名高いジェフのオシム氏やアルビレックスの反町氏が、類似のシュート練習を行うのか、あるいはそのようなシュート練習についてどう考えているかと、ふくらませる手もある。



 やはり現場で具体的に観察する機会のある人は強い。我々サッカー狂が試合のない日でも楽しめる様に、取材現場の方々には、努力と研鑚を継続していただきたいものだ。
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2004年02月25日

愛読書への失望

 インタネットで国内事情に精通可能な異国生活だったが、印刷物は帰国しないと入手困難。と言う事で、成田エクスプレスでの愛読書サッカーマガジンが帰国の愉しみとなった。
 私の大好きな大森をネルシーニョ氏がボランチとして料理とか、エメルソンと闘莉王のレッズポルトガル語コンビが同年齢だとか、佐山氏が突っ込むヴァンフォーレ社長とか、順調にチームを仕上げている山本氏の高笑いとか(もっともインタビューはあの日韓戦前だな)、なかなかいい記事が多かった。
 しかし、終盤のページに至ってがっかりした。オマーン戦の採点である。
 終盤起用されたのみの鈴木を除いて、被採点者は14人。もちろん1位は久保の7点(私ならば10点だが)。2位の楢崎が6.5点(後半のファンブルがあったので、6.5止まりは仕方がないか)。さて、3位は6点だけど、誰だと思う?
 そう、ジーコだぜ、ジーコ。あれで6点だとさ。ちなみに「6点が標準」と明確に定義までされている。思わず「何ぃ〜〜」と声を荒げてしまい、通路をへだてて座っていた白人の紳士に怪訝な顔をされてしまった(今思うと、ちゃんと説明してやればよかった。米国人でなければジーコの事くらい知っていただろう)。ちなみに中田、稲本、坪井、アレックス、高原が5.5、宮本、遠藤、小笠原が5、中村、柳沢が4.5、山田が4。
 例えば中村を考えてみよう。確かにこの日の中村はPKを外すは、後半の決定機に難しいボレーキックを試みてふかすは(あれはヘッドだろうが)、散々の出来。結構中村びいきの私だって4.5くらいが関の山だろうと言う出来だった。しかし、少なくとも中村は、必死に勝利を目指して戦っていた。最後のアシスト(?!)は偶然の産物だが、それとてあの場所に詰めていた事、瞬時に右足でコントロールしようとした事は評価されてよい。頻度こそ少なかったが、中村の左足は何度か決定機を演出していたのも事実。繰り返すが、それでも中村の4.5は仕方がないと思う。
 ではジーコ氏はどうなのだ。いい加減としか言いようのない準備、コンディションも把握していない海外組みを漫然と並べる布陣、全く機能しない山田を交代させない采配ミス。一体何を持って、氏の出来が「標準」なのだろうか。中村が4.5ならば、ジーコ氏はせいぜい1点とか2点だろうが。それとも、本来持っている能力を考慮すると「標準」的な出来、とでも言うのか。

 巻頭言で伊東編集長が、カーニバルジーコを批判していただけに、この評価の落差は理解不能。今回の「6点」は、歴史ある我が愛読書の伝統を汚すものとして、大いに失望した次第。
posted by 武藤文雄 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月23日

スカイパーフェクトに入ろかな

 私はスカイパーフェクトに加入していない。

 理由は明確で、そんなに多数の試合を見る時間がないからだ。WOWWOWには元々加入しているし(考えてみればセリエAを見るための加入だったのだから時代は変わったものだ)、ケーブルテレビで、JスポーツやBSデジタルを見る事ができる。今シーズンからチャンピオンズカップじゃなかったチャンピオンズリーグが、スカイパーフェクトに移ったのは痛いが、それまでは中田や中村の試合を生中継で毎週見られないのが残念な事くらいで、かなりの試合がカバーする事ができていた。

 困った事にサッカーと言うものはVTRをどう駆使しようが、観戦するためには90分かかる。そして、私には1日24時間しかない。と言う事で、スカイパーフェクトに加入しない事で、見られない試合はあるものの、それほど悲しい想いはしなくて済んでいた。



 しかし、今回は心が揺れている。この企画は、完璧に私の心の琴線に触れるものだ。あの西ドイツワールドカップ全試合中継とは。当時中学生だった私は、典型的なサッカーおたく。愛読書であるサッカーマガジンを端から端まで読んで記憶し、未だ見たことのない欧州の列強に思いをはせていたのだ。そして、その記憶を映像で再確認させてくれ、一層の感動を提供してくれるのが、ダイヤモンドサッカーだった。あのダイヤモンドサッカーの映像をまた見る事ができるとは。はっきり言って、私にとっては昨今の試合よりも魅惑的なコンテンツである。



 一例を挙げよう。

 FCクライフ、オランダの初戦はウルグアイ戦だった。そして、オランダの先制ゴール。

 クライフのパスを受けて、右サイドをえぐったのはサイドバックのシュルビア。シュルビアはウルグアイDFを落ち着いてかわして、センタリング。そして、右ウィングのレップが見事にヘディングシュートを決めた。映像を見る前から、サッカーマガジンを繰り返し読み返す事で、その得点経緯は記憶していた(笑)。それでも、映像を初めて見たとき、言葉に表せないくらい感動した。ボールとプレイヤが、本当に渦巻きのように動いたからだ。CFのクライフが後方に下がる事で作られたスペースにウィングのレップが進出、そのため空いた右サイドのオープンにシュルビアが進出。そして、そのシュルビアにパスを出したのがクライフ。人もボールも実に美しい軌跡で展開し、最後名GKマズルケビッチがどうにも防ぎようのない得点が決まる。



 ああ、こう言った試合が再び映像で見られると言うのか。さすがに今回は心が動く。

 もっとも、いくら私の心が動いたところで、最大の問題は、妻への稟議を通す事であるが。
posted by 武藤文雄 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月28日

サッカー批評への疑問

 サッカー批評の最新号の特集は「ドイツサッカーが教えてくれた」。副題は「チーム戦術ロジック」と「あくまでも闘う意志」。70年代までは、日本が学ぶ先進国と言えば西ドイツだった訳で、そのあたりの温故知新を整理した企画である事が期待された。
 しかし、内容はかなり意表をつくものだった。デッドマール・クラマー氏の指導、あるいはクラマー氏が日本代表を仕切っていた頃に日本がドイツサッカーから学んだ事柄(例えば、釜本が単身ドイツに留学し後に西ドイツ代表監督となるダァバル氏に受けた指導など)についてほとんど言及されていなかったからだ(しいて言えば特集とは別枠の小城についてのコラムが唯一のものか)。 
 「日本が享受したドイツサッカーの良さ」と言えば、デッドマール・クラマー氏の指導につきるであろう。東京五輪からメキシコ五輪に至る60年代にクラマー氏が提供してくれた指導は、正に「ロジック」と「闘志」。当時代表チームコーチだった岡野氏がクラマー氏の指導法(ロジック)を各種の書物で具体的に紹介してくれた。さらに選手たちがその指導の受益者として様々な試合で闘志を見せてくれた。
 ところがサッカー批評では、ドイツサッカーから学んだ代表的人物として、二宮元代表監督を取り上げている。確かに、二宮氏はインタビューでも述べている通り、クラマー人脈とは全く独立に西ドイツに向かい、(ある意味で当時の世界最高の監督だった)バイスバイラー氏に師事した。そして、自分なりにバイスバイラーイズムを学び咀嚼して、三菱で好成績を残した。二宮氏がバイスバイラー氏を通して、西ドイツサッカーの本質を学び、三菱や日本代表に適用したのは事実だが、クラマー氏の指導とは全く独立した話だ。そして、二宮氏の成果はクラマー氏の指導と比較して成果が大きかった訳ではない。
 したがって、私は今回のサッカー批評を読んだ若い読者が、60年代から70年代に至る日本サッカー界の歴史を誤解する事を恐れているのだ。
 さらに言うと、せっかく二宮氏へインタビュ−したのならば、「奥寺を西ドイツに斡旋した」、「欧州で先端的な分割合宿を行った」などと氏の功績面にばかり焦点を置くのではなく、「ソ連の弱小チーム相手に本来DFの選手をCFに起用し完敗した背景」や「読売やフジタの選手が代表辞退した経緯」などを聞いてもらえれば、より日本サッカー史への知見が深まったと思うのだが(誤解されては困るが、二宮氏は三菱でシャープなカウンタアタックを活かした好チームを作ったし、代表でも藤島のような異能なタレントをよく機能させ、さらに若き金田を抜擢するなど、優秀な監督だった事は間違いない)。

 ともあれ、チルコフスキへのインタビューは最高でしたが。
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2003年11月20日

皮肉

 アマラオ周辺、U22強化計画の愚行(掲示板への書き込みありがとうございます)、ユーロ予選など語りたい事満載の昨今。ネタ探しに苦労する日も多いが、このように何を書いていいか迷う日もあるのだから面白い。

 考えてみれば、毎日小文を書き続ける経験は、小学校3、4年の時、担任のA先生から「全員、毎日日記を書け」と命じられた時以来。このA先生は、学校一怖い先生と定評があり、いたずら坊主の私は毎日殴られていた。殴られる事がわかっていても、馬鹿な事をするのだから、現在小3の愚息の愚行を見ていると、身につまされる。あ、話題がずれた。戻そう。今思うと感動するのだが、A先生は毎日全員の日記に目を通し、誤字脱字の添削に加え、簡単なコメントを書いて戻してくれたのだから凄い。今思っても、感謝の言葉すらない。

 そして、インタネット上で不特定多数の方々に向かって「書く」と言う行為は、齢43歳のサッカー狂にとっても、日々勉強になる。後から読み直すと、相変わらず、誤字脱字、言い回しの矛盾、同じ表現のくり返しなど、添削不足が目立つのは赤面の至り(A先生、ごめんなさい)。それに加えて、先日反省したように「いかに毒のある文章を書くか」は永遠の課題か。
 そう言えば、もう20年くらい前の事になるが、我が愛読書サッカーマガジンで、牛木先生が面白い事を書いていたのを思い出した。曰く、「『ワンツーパス』と言う言葉がある。そのワンツーパスと言う概念を知らない人に言葉で説明しようとするのは非常に難しい。しかし、テレビ東京の金子アナウンサはダイヤモンドサッカーで、そのようなプレイがある度に『ワンツー』とアナウンスする事で、日本中のサッカーファンに『ワンツーパス』と言う概念を定着させてしまった。物書きの自分としては『映像にはかなわない』と思った」と言う内容だった。

 そう考えてみると、今週号のサッカーマガジン、近藤篤氏の「木曜日のボール」は、写真と言う素晴らしい映像(静止画だが)媒体と「毒のある」文章を併用した、素晴らしい内容だと、本当に感心している。
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2003年11月04日

文章力の欠如

 このような、独断かつ偏見あふれる独自サッカー論を日々垂れ流しているWEBサイトにも、それなりに注目して下さる人が、多数いるのはありがたい事だ。リンクして下さったり、文章を引用してもらえれば、やはり嬉しい。ついでに言うと、どうせ引用して下さるならば、一言連絡いただければ、知り合いが増えてなお嬉しいのだが。
 さて、先日(10月28日)毎日新聞荒井氏の論評について講釈したが、結構反響が大きかった。それはそれでありがたい事だ。しかし、ちょっと驚いたのは、私の文章力の至らなさだろうが、私の真意を理解いただけなかった方が多かった事だ。あるサイトでは「ベガルタを応援するのは当然で、反省する必要などなし、武藤どうした」的な論評までありビックリ。
 はっきり申し上げます。あの文章は「荒井氏の意見に対する極めて大きな怒り」を伝えるために書いたものです。そして、比較的若い方はご存じないだろう過去の氏の論評をいくつか紹介する事で、昔から氏が「実に独自の(私とは異なる)サッカー観」を持っていた事、そしてそれらの意見が実に非常識だったかを論じたかった訳。 
 あの荒井氏の文章は、少なくとも私のようなサッカー狂を否定するものだ。私はサッカーを愛する事、観察する事については、誰にも負けるつもりはない(笑)。もっとも、拙稿をお読みになるような方ならば、その思いについては皆自分が世界一と思っているだろうが(笑)。まあ、サッカー狂のサッカー論などはそのようなものだ。お互いが、世界一と思っている自分の意見を語り合うのだから、愉しい酒の肴と言う事なのだ。したがって、自分の意見を否定されても、「へえ、あんたはそう思っているの。でも俺はこう思っているのだよ」と笑って、楽しめるのがサッカー論のいいところではないか。
 現在のサッカーマスコミには、サッカーが別に好きでもないくせに、金のためにサッカーを書いている輩が多数いる。特にそのような輩が、私の愛する日本代表を愚弄する文章を書くのは、本当に不愉快だ。しかし、一方で彼らは彼らで、金を稼ぐのに必死なのだ。どんな人間も稼ぐ権利はあるのだから。
 しかし、「『欧州バブルのサッカーにキャーキャーやっている輩』が、自分よりサッカーを見る目がある」と言われたら、さすがに腹が立ったのだ。大人気ないのだが、自分が完全に愚弄されたと思ったのだ。

 ただし、その怒りをあまり悪し様に語ってしまっては面白くなく、毒が少なかろうと言うので、あのような文章にまとめたものなのだが。しかし、一部の方に真意が伝わらなかったのは、己の文章力のつたなさによるもの。大いに反省した次第(あ、これは皮肉ではないです(笑))。
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2003年10月28日

独自の視点

 毎日新聞のベテラン記者荒井氏の独自の視点は、実に興味深い。最新作の「夢の実現へ、個々のプレーの検証を」も、示唆に富む内容である。特に「アジア各国では欧州リーグのTV中継に人気が集まり、自国リーグの観客動員が大幅に落ち込んでいるのに対し、日本では自国の試合に人気が集まっている。日本以外のアジアのファンの目の方が確か(意訳は武藤)」と言う下りには感心させられた。私のように出身地のチームと言う事だけでJリーグ下位のチームの応援に心血を注ぎ、レアルマドリッドのような最高レベルのチームを非難する不届きな輩は反省しきりである。



 考えてみれば、氏の独自の視点からの発言は昔からなのである。



 先日も別な機会に述べたが、70年代の日本サッカー界は、アジア各国から見ても、技術的に劣っていた。そこで、多くの関係者が「時間がかかっても、幼少時から技巧的な選手を育成する事が必要」と論陣を張り、「技巧重視」のサッカー観がマスコミの主体を占めていた。ところが、その流れに堂々と異論を唱えたのが、荒井氏だった。曰く「ブラジル選手のドリブルが見事なのは筋力が優れているから、サッカー選手にとってワンタッチコントロールなどのボール扱いがよいと言う能力よりも体力が重要、等々。」このような独自の視点に基づく発言は実に斬新だった。



 75年に予定されたモントリオール五輪予選。日本は、韓国、イスラエル、台湾などと同じグループとなった。当時はホーム&アウェイは定着しておらず、1国に集中してのセントラル開催が普通だった。日本はいったん予選開催権を獲得した。ところが、大会直前返上を余儀なくされた。理由は2点あるとされた。1つ目はイスラエル問題。当時、日本は連合赤軍などの左翼過激派組織が、パレスチナゲリラと連携しており、イスラエルを含んだスポーツ大会を、日本で強行するのは、安全面の問題があった。2つ目は台湾問題。当時、日本は中国と国交回復した直後であり、中国政府は日本が台湾と民間レベルの交流を行う事を、快く思わない事を、はっきりと発言していた。これらを斟酌して、日本は有利となるセントラル予選の開催を断念した(その後予選はホーム&アウェイで行われ、日本のホームゲームであるイスラエル戦は、ソウルで開催された)。

 その日本協会の弱腰を強く非難したのは荒井氏だった。「メキシコ五輪で銅メダルを取りながら、ミュンヘン五輪に欠場した日本としては、何としてもモントリオールに出場する必要がある。それなのに、大事なセントラル予選の開催権を返上するとは何事か」と言う内容だった。小事と大事について、荒井氏独自の視点は、見事に異彩を放っていた。



 とにもかくにも、言論の自由は重要なのだ。
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2003年03月29日

金田氏に物申す

 昨日のウルグアイ戦、再放送をじっくりと愉しんだ。改めて思ったが、結構いい試合だったと思う。特にジーコ氏就任後3試合目で、チームの骨格が固まってきたのがよかった。もちろん、不満を言えばキリがない(と言うか私は不満を言うために観戦しているようなところがあるのだが)が、我々の目標は2005年の予選突破と2006年の準々決勝進出なのだから。



 で、画像を見ながら昨日を反芻していたのだが、ちょっとガッカリした事があった。それは解説の金田氏の、思いつきで出たようなコメントだ。

 2点目の失点場面「これは仕方がないですね」とのコメント。一体何が仕方がないのだ。仕方がないもへったくれもない、川口が悪いのは明らか。「仕方がない」と言う日本語の意味から調べ直したらどうか。

 さらに稲本の同点ゴール。完璧な崩しからの完璧なシュート。曰く「カリーニにとってブラインドでした」。冗談ではない。シュートコースを見れば、ボールはサイドネットを捕えており、弾道はカリーニの手の外だった。あのシュートはブラインド云々ではない。しっかり画面を見て欲しい。



 選手金田のデビューを鮮烈だった。代表デビューとなった1FCケルン戦、釜本のロングパスを受けて左サイドを突破し永井(レイソル永井の父親)の決勝ゴールを生む完璧なセンタリング。さらにA代表初戦となるソウルでの韓国戦、これが最後のA代表ゲームとなる釜本のパスを受け角度のない所から叩き込んだ代表初ゴール。「日本に技巧的なプレイヤが登場した」あの時の戦慄は忘れられない(今では笑い話としか言えないような時代だった)。サッカー批評の最新号で大住、今井両氏のコンビがまとめた「76年アジアユース」のエースでもあり、60年代半ばから急速に広がった「少年サッカーで技巧を教える」成果の第一世代とも言える選手だった。

 現在の日本サッカー界の指導陣は氏と同世代の人間が多い。氏はコーチへの道は選択しなかったのだろうが、解説者としてはメジャーな存在で、日本サッカーの中核を担うべき人材だ。たかがTV解説とは見過ごせなかったのでしつこく大騒ぎした次第。
posted by 武藤文雄 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする