ここ数年来、日本でも各プレイヤの採点がすっかり定着してきた。イタリアやブラジルでもよく採用されている10点満点制で平均?を6点とするやつだ。
考えてみれば、これは実にいい加減な採点だ。例えば「平均である6点」の基準が曖昧。チームの中核である代表選手とかろうじて試合に出ることのできる選手がそれぞれ無難にプレイをしたとしても、個人能力のところで相当差が出るはず。
また、守備の選手がたった1つのミスで失点の誘引となったがそれ以外の場面では素晴らしいパフォーマンスを演じた場合どう評価するのか。89分に交替出場した選手がワンプレイで決勝ゴールを決めた場合は...
つまり、この採点はお遊びであり、1つの基準と判断するしかないのだ。そう言うものだと言う割り切りが必要なのだ。
しかし、本日発売のサッカーマガジンを読んでいて、お遊びとは言え耐え難い採点があった。先般のベガルタ−トリニータ戦、トリニータの主将浮氣の採点が「6」に留まっていた事である。この日の浮氣は、本当に素晴らしかった。前半、押されっ放しの展開で、再三見事な(しかし少々ラフな)タックルでベガルタの攻撃を断ち切る。イエローが出るか出ないかのギリギリのプレイ。考え過ぎかもしれないが、前日のジェフ−ヴェルディ戦で柏原主審がカードを多数切り、一部マスコミで批判されたため、この日の主審がカードが切りづらい状況までも考慮していたのではないか。さらに押しこんだ後半は、ベガルタのシルビーニョや岩本が苦境を脱しようと強引なドリブルでMFを突破しようとしたのを冷静に読み、再三実に見事なボール奪取を見せ、さらにはそこから逆襲速攻につなげた。
あのプレイが「平均」と言うならば、採点者は浮氣に一体どのようなプレイを望んでいるのだろうか。例えばベガルタの左サイドからの攻撃を全く止められなかった若松、不用意な前進から再三ピンチを招いた小森田、後半動きが完全に止まり浮氣の好餌となった岩本、これらの選手も「6」なのだ。
冒頭で述べた採点基準の曖昧さは仕方がない。しかし、ベガルタ戦の浮氣のプレイを、上記した他の選手と同じ「平均」と評価する人は、単に試合をしっかりと見ていないだけとしか思えない。