2023年08月15日

貴女たちはアルゼンチンやブラジル

 女子代表、スウェーデンに苦杯し、準々決勝敗退。
 終盤圧倒的に押し込んだ場面で明らかなように、選手の総合的な知性と技術はスウェーデンを圧倒していた。ただ、スウェーデンの前半に強引に仕掛けて先制逃げ切りをねらう作戦にはまり、不運な判定のPKもあって、悔しい敗戦となってしまった。
 悔しさと言う快感を噛み締めると共に、すばらしい戦いを見せてくれた熊谷紗希と仲間達に感謝したい。ありがとうございました。

 試合前から予想された通り、スウェーデンは非常に厄介な相手だった。
 スウェーデンは「普通にやったら勝てない」との自覚の下、強引な作戦をねらってきた。前半からスタミナ切れ覚悟で、中盤でプレスをかけ、パスコースを限定し、押し込んできたのだ。それでも、一度だけ裏を狙われた時に熊谷紗希が処理を誤り危ない場面を作られたが、それ以外はピンチらしいピンチもない。中盤の組織守備が機能していたからだ。一方で、スウェーデンの守備もGKが広範囲にDFラインの裏を警備し、日本がプレスを回避した裏抜けを狙っても決定機を作らせない。
 ところが、先制点を奪われた以降、清水梨紗と杉田妃和の両翼が消極的になってしまい前進できなくなってしまった。そのため、長谷川唯や宮澤ひなたが中盤でボールを保持しても出しどころがなく、幾度もスウェーデンMFにボールを奪われショートカウンタを許すことになった。山下杏也加のすばらしいセービングがなければ、前半で2点差にされてもおかしくない展開だった。それでも前半を0-1でしのいだ直後の後半立ち上がりに、微妙な判定でPKを提供するとは。
 しかし、最前線に植木理子を起用し前線からの守備を整備し、スウェーデン各選手の切れが落ちるにつれ、日本が圧倒的攻勢をとり猛攻をしかける。終盤、スウェーデン各選手も、疲弊しながら創意工夫して抵抗。日本は幾度も好機をつかむが、PK失敗など最前線での焦りも目立ち、同点には至らず試合終了。
 スウェーデンの注文相撲にはまり、不運な判定もあり悔しい敗戦。もちろん、スウェーデンが見事で日本に足りないものもあったが、この敗戦は極めて不運だった。熊谷と仲間達は世界最高峰の戦闘能力を持ちながらも力尽きた。

 これがサッカーなのだ。

 スウェーデンとしては「日本に勝つにはこれしかない」と言う戦いを完璧にやり遂げた。悔しいけれどお見事でした。
 前述のように前半から後先考えず厳しい組織的プレスで日本に簡単に攻めさせない。FK崩れから日本の明らかなミス(後述する)を突き先制。日本の動揺を見てとると、組織的プレスを強化する。微妙な判定でPKで2-0とした後は、疲労が顕著ながら割り切って粘り強く守りを固め。日本の攻め込みのこぼれ球に対しては、速攻は狙わず極力ファウルしないように丁寧に身体を入れて、焦る日本の無理な裏抜け狙いだけは防ぐ。笛が鳴ると、したたかに時間稼ぎ。
 以上冷静に振り返れば、50分で0-2となる展開は(おそらくスウェーデンも期待はしていただろうが、実現するとは思っていなかった)信じ難い事態だった。その後、日本はいくつかの稚拙さはあったが、体勢を立て直し猛攻をしかけた。でも1点しかとれなかった。
 繰り返すが、これがサッカーなのだ。交通事故も起こるし、敵守備がすばらしくシュートが入らないこともあるし、PK時に露骨な時間稼ぎしているGKに経験足りない主審が警告を出さないこともある。日本は、それを乗り越えて勝利の確率を少しでも上げる駆け引きが足りなかった。
 おそらく、日本とスウェーデンが10回試合をすれば、5勝4分1敗くらいとなるだろう。その1/10を大事な準々決勝でやられてしまった。繰り返すが、スウェーデンの勝負強さに敬意を表したい。しつこいが繰り返そう。これがサッカーなのだ。

 余談ながら。あのPK判定は疑問だ。ルールブックによると、
手や腕で体を不自然に大きくして、手や腕でボールに触れる。手や腕の位置が、その状況における競技者の体の動きによるものではなく、また、競技者の体の動きから正当ではないと判断された場合、競技者は、不自然に体を大きくしたとみなされる。競技者の手や腕がそのような位置にあったならば、手や腕にボールが当たりハンドの反則で罰せられるリスクがある。
と記述されている。あの場面、長野風花の手の動きのどこが「不自然」だったのか。広げた手に当たった訳ではなく、方向が変わった正面に飛んできたボールがバランスをとろうとしていた手に当たったに過ぎないのだが。最後の判断は主審に任せるしかないわけだが、日本はとても不運だった。

 一方で日本は稚拙な戦い方をしてしまった。戦術ミスを列挙しよう。
 先制されたFK崩れ、山下のパンチが弱かった。しかし、それ以上に田中美南と清水梨紗の押上げが遅れたのが残念。特に田中が最後までゴールライン上から動かなかったことで、オフサイドラインが形成されなかったのは痛かった。傍から見ると、田中の個人的な判断ミスに見えたが、セットプレイ崩れの後の守備網構築はどのような約束事だったのか。
 先制点失点後、あそこまで押し込まれたのを修正できなかったのも痛かった。スウェーデンは主に日本のシャドーとサイドMFにプレスをかけてきたが(上記の通り、そこで清水と杉田が消極的になり前進できなくなったのが痛かった)、もう少しCBの南萌華と高橋はな、CFの田中がうまくサポートする、あるいは割り切ってロングボールで逃げておくなど、回避の手段はいくつもあったと思うのだが。ちなみに後半立ち上がり、PKを誘引した敵CKも、清水がせっかくハーフウェイライン近傍でボールを受けながら、逃げのパスを打ち、そこから逆襲されて提供したものだった。つまり、このCKも先制失点後の消極性によるもので、ハーフタイムでも修正し切れなかったことになる。
 体格差を気にし過ぎ、セットプレイを凝りすぎ、CKや敵陣近くでのFKでトリックプレイを狙い過ぎたのはいかがだったか。結果的にスウェーデンに読まれ、好機を作り損ねた。長谷川にしても藤野あおばにしても高精度のボールを蹴ることができる。普通にニアかファーに高精度のボールを入れ熊谷らの空中戦に期待し、たまにトリックプレイを使っていれば、好機はもっと掴めたのではないか。戦っている選手達にとって、単純な体格差(特に体重差)は大変厳しいものなのはよく理解できる。しかし、素早い左右の動きと精度の高いボールを組み合わせれば、もっと変化を作れたように思う。
 池田氏の交代が明らかに遅く、終盤疲弊した敵を追い詰めるのが遅れた事も痛かった。5人交代制においては、後半元気な選手をどのようなタイミングで入れるかが勝負を分ける。ところが、池田氏はハーフタイムに杉田に代えて遠藤純を、52分に田中に代えて植木を起用した後、中々動かない。80分過ぎに、宮澤と長野に代えて、清家貴子と林穂之香を起用。攻撃活性化に成功したが、いかにも遅かった。ノルウェー戦までの戦いですばらしかった宮澤と長野を代えることに躊躇があったのだろうか。せめて、もう70分あたりにこの決断ができなかったものか。
 もう一つ、終盤に秘密兵器?の浜野まいかを起用したが、これも唐突感があった。もし、この勝負どころで投入するならば、浜野をノルウェー戦でプレイさせておくべきだった(アディショナルタイムで浜野を起用しようとしたが、ピッチに入る前にタイムアップ、これは池田監督の単なるヘマとしか言いようがない)。さらに常識的に考えたら、ここは経験豊富な猶本光の投入だったと思うのだが。まあ、ここまで来ると完全に結果論だが。
 もっとも、池田氏の采配が外れた、と言うのも違うような気がする。スタメンに杉田を起用したのは前半は消耗戦を覚悟したためだろう。実際、後半から起用された遠藤純はスウェーデンが疲弊した終盤、完全に左サイドに君臨していたのだから。1点差以下で後半を迎えていれば、「池田采配ズバリ!」と絶賛されていたかもしれない。

 上記の通り池田監督を批判したが、それは個別局面の戦術的課題。今大会の池田氏の手腕がすばらしかったのは言うまでもない。
 幾度も繰り返してきたが、前監督は非常に残念な監督で、池田氏が引き継いだチームの組織連係は非常に低かった。4年前のフランスW杯でも2年前の東京五輪でも、あまりに試合内容が悪かったのは記憶に新しい。あの残念だったチームを世界最高峰のレベルに引き上げたのだから、池田氏の手腕は本当にすばらしいものだ。
 大会直前に、池田氏は非常に大きな決断を実施、ベテランの岩渕真奈を外した。言うまでもなく、岩渕は熊谷と共に2011年の世界制覇メンバ。そして、残念だった東京五輪、組織的な攻撃ができない悲しいチームの中、圧倒的な個人能力でチームを引っ張ったのも記憶に新しい。あのカナダ戦終盤の同点弾は最高だった。その後、岩渕が欧州のクラブで中々出場機会が得られていないなどの報道は目にしていたが、池田氏は強化試合で岩渕を相応には起用していたので、不選考は驚きだった。しかし、その決断は正しかった。この大会を通じ、23歳の宮澤は格段の素質を開花させた、そして19歳の藤野はその圧倒的な潜在力を世界に見せつけた。
 もちろん、このチームが大会に入って急速に完成度を上げてきたのを忘れてはいけない。準備試合のパナマ戦、最前線の連係は今一歩。宮澤はシュート前のトラップが決まらず、藤野は強引さが空回りするばかりだった。そのため、長谷川が一仕事しなければ、崩せる形には中々持ち込めなかった。初戦のザンビア戦もその傾向はあり、ほとんどの得点は、長谷川の縦横無尽のパス回しを起点としていた。しかし、ザンビア戦、コスタリカ戦を通じ、宮澤はシュート前の走り込みとトラップの精度が格段に上がり世界最高のストライカになった。遠藤は的確なファーストタッチをものにし左利きと鋭い切り返しで世界最高のサイドアタッカになった。そして藤野は強引に行きながらタイミングのよいパスを出せるようになり、世界最高の攻撃素材であることを示した。今後、世界中のサッカー狂が、藤野が澤穂希の域に達するかどうかを楽しむことになる。そして、スペイン戦、ノルウェー戦、スウェーデン戦の終盤、屈強な欧州のDF達をおもしろいように崩す連係が完成した。
 ただ、そうやって築き上げられた連係だが、各選手に経験の絶対量が足りなかった。この経験不足は、もちろん選手個々の若さによるものもあったが、もっと大きいのはチームとして勝ち続けた自信ではないか。どうしても前任者への愚痴となってしまうが、数年間に渡り非組織的なサッカーを行い強国に負けるのが平常化してしまったことが、経験不足を招いてしまった。20代前半や10代の選手は仕方がないが、長谷川、田中、清水と言った20代後半以上のタレント達も代表での勝利経験が浅いのが痛かった。

 このような強力なチームができ上がったのは、各選手の創意工夫、それらの選手を育んだ環境、池田氏の手腕、選手達と池田氏を支えたスタッフ達、多くの人々の努力によるものだ。それらすべてに感謝したい。
 勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。しかし、負けても最高峰のレベルのチームを所有している喜びも格段のものなのだ。
 もちろん、女子サッカーの強化については、多くの課題がある。一方で、FIFAやUSAサッカー界が、現実的とは思えない、無謀な市場拡大を進めている現実もある。そのような矛盾を踏まえながら、女子サッカーの活性化に尽力している方々の現場の苦労は相当なものだ。そう言った多くの尊敬すべき方々が努力を重ねている現場に、不肖講釈師も触れる機会を得ており、少しずつ真面目に作文していきたいと思っている。

 今回の悔しい敗戦について、国内のあちらこちらから「スウェーデンのように大柄な選手を発掘しないと勝てない」とか「スウェーデンにのような強国には日本の能力が通用しない」とか「スウェーデンの方がポジショナルサッカーの理解が高かった」とか、次々と熊谷と仲間達を貶める発言が出てきている。サッカーに浸って半世紀経つが、この国のサッカー評論界には「何があっても日本サッカーを卑下しなければいけない」と考えている向きが、後から後から出てくるのだ。そして何より、このような評論は、リスクを負って勝負を賭けて成功したスウェーデンに対しても失礼なのだが(そのような発言をしている方々に、日本を貶めたりスウェーデンに失礼と言う自覚がないから、一層厄介なのだが…)。
 そのような発言を気にしてはいけない。
 もちろん各選手にも課題はあった。強国との試合で相手ペースで展開する時にどう我慢し打開するか、フィジカルの強い相手に対し無理に前に行ったり逃げのパスを出さずにボール保持できないか。さらには、明らかな時間稼ぎにどのように冷静さを保つか。
 しかし、そうだとしても、このチームが世界制覇する戦闘能力を保持していたのは間違いない。だからこそ、選手達は誇りを持って欲しい。
 男子のサッカーを思い起こそう。アルゼンチンが昨年世界一を奪還するのに32年の月日、8回のワールドカップが必要だった。ブラジルは、ここ21年間、5回のワールドカップで世界一となっていない。両国ともワールドカップに世界最高峰の戦闘能力を持つチームを送り込み、常に優勝候補たるプレイを見せながらも。そして、もはや貴女たちはアルゼンチンやブラジルなのだ。これがサッカーなのだ。
 また1年後の五輪についても、思いがないわけではない。しかし、ワールドカップにすべてを賭けて戦った貴女達に対して、次の大会について語るのは失礼と言うものだろう。今は、このワールドカップの悔しい敗退のみを振り返るべきだろう。

 ありがとうございました。悔しい。でも貴女たちのプレイは世界最高峰だった。すばらしかった。
 繰り返します、ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月09日

好調の女子代表を俯瞰する

 笑いが止まらなかったスペイン戦の前半、いや、後半もでしたけれど。
 日本は、5-4-1でしっかりブロックを固め、スペインの攻撃を押さえ続ける。前半15分までは敵サイドバックのサポートへの対応に苦労してペナルティエリア内に進出されることもあったが、マークの受け渡しが決まった以降は、危ない場面はほとんどなくなった。この組織守備の指揮を貫徹した熊谷紗希が世界最高峰守備者であることを改めて認識できた。さらには先制点の起点となる完璧なロングパス。
 そして日本の逆襲が冴え渡る。ハーフウェイライン手前で、楢本光の巧妙な動きもありスペイン守備陣が薄くなった瞬間に、植木理子や遠藤純が巧みにボールを受けるや、宮澤ひなたがスペイン守備選手の誰よりも早く挙動を開始。ボールを受けた宮澤は、トップスピード後の正確なボール扱いを見せ、2得点1アシスト。主役を務めたのは宮澤だったが、全軍の意思統一がなければ、ここまで美しい速攻は幾度も成功できない。池田太監督の仕込みの巧みさは恐るべきものがあった。しかも、日本は世界屈指の攻撃創造主の長谷川唯と、世界屈指の好素材の藤野あおばを温存していたのだ。
 後半も同じペースで試合が進む。いや、日本の守備網の組織化は一層進み、スペインはシュートにさえ持ち込めない。唯一好機と言えそうな場面は清水梨紗が足をとられて転倒した場面くらいか。さらに終盤、疲弊したスペインDFを田中美南が個人能力で振り切りダメ押し点を決めてくれた。
 このスペイン戦、しいて残念なことを語るとすれば、4-0と完勝が確定し、スペインは崩壊していて、交代枠が1枚残っていたにもかかわらず、ゴールキーパを交代させなかったことくらいか。この手の大会は、ゴールキーパだけは複数選手の起用が難しく、控えのキーパは完全に裏方役となることが多い。ここは出場機会を得るのが難しい平尾知佳なり田中桃子を起用してもよかったと思うのだが。
 スペインとしては、悪夢のような試合だっただろう。技巧的なボール保持で丁寧に崩しを狙っていたところで、日本の完璧な速攻から失点を繰り返し、なすすべなく敗れたのだから。ゲームプランの全てが打ち砕かれる完敗だった。

 一方のノルウェーは日本に対し、ゲームプラン通りに戦い、単純な戦闘能力差で敗れた。スペインのゲームプランが崩れ去ったのは対照的だった。
 ノルウェーは、5-4-1でしっかりブロックを固め、日本の攻撃を押さえようとした。しかし、立ち上がりから清水と遠藤の両翼が広く開く日本の展開に苦しみ、組織守備は機能しない。日本にサイドで拠点を作られたこともあり、一番恐ろしい長谷川唯にプレッシャをかけることができない。
 それでも、前半ノルウェーは失点を自殺点の1点に押さえ、唯一と言ってもよい好機を活かし前半を1-1で終えることに成功。後半立ち上がりに突き放されるも、その後も複数回の決定機をしのぎ、3点目をとられずに70分過ぎまで時計を進めた。そして、1枚ストライカを入れて4-4-2に切り替え無理攻めに出る。熊谷を軸にした日本守備陣の落ち着きとGK山下杏也加の好守がなければ、同点の可能性もあった。これだけ戦闘能力差がある相手に対し、最後の20分で勝負を賭ける展開に持ち込んだのだから、大成功と言える展開だった。
 しかしノルウェーにとって、そううまくは事は運ばなかった。後方を薄くしたところで、藤野が格段の視野と正確な技術によるスルーパスを宮澤に通したのだから。そして宮澤が挙動を開始した瞬間に、世界中の誰もが得点を確信したに違いない。1対3、2点差。
 このノルウェー戦、日本視点から見て、かなり残念だったのは、ノルウェーがリスク覚悟で攻めに出てきた時間帯に、疲弊した選手を交代させなかったこと。疲労が目立ち始めた長野風花や遠藤純に代えて、林穂之香や杉田妃和を投入してもよい。もちろん、前線に楢本を入れて運動量を確保するとか、空中戦の強い石川璃音を起用するやり方もあったはずだ。結果的には上記した藤野→宮澤で2点差としたので、極端な不安感はなかったが、池田太監督の消極性は気になった。5人交代制のレギュレーション下では、疲労した選手に代えて元気な選手を起用し失点のリスクを最小にするのは必須なはずなのだが。
 ノルウェーとしては、完璧に近い試合だったのだ。日本の攻撃力を警戒し、全軍で守備的なサッカーを展開し、70分過ぎまで1点差で試合を進めることができた。そして、勝負に出て前線に選手を押し出し、複数回の好機をつかんだのだから。ただ、相手が強すぎた。

 スペイン戦の鮮やかな速攻の数々。それを見てのノルウェーの超守備的布陣。ノルウェーはそれでも守り切れずリードを許し、勝負に出て無理攻めに出たところで、宮澤の餌食となった。そう、ノルウェー戦の宮澤の一撃には、今後の対戦想定国のスカウティング担当の嘆息が聞こえてくるように思えた。後方を厚くして守備を固めても、両翼から崩される。両翼を警戒すると長谷川が必殺のパスを刺してくる。攻勢をとり押し込もうとすると宮澤を軸とした超高精度の速攻に襲われる。
 現実的な対応策としては、ノルウェーのように守備を固めた上で(それで失点を防げるかはさておき)、時間帯を限り前線に多数の選手を送り込み、変化や強さを活かした攻撃を仕掛けるか(それで熊谷を破れるかどうかはさておき)。あるいは体力が続く限り、前線からプレスをかけ長谷川を封印し(できるかどうかはさておき)、宮澤の逆襲の脅威はDFの対応力に賭けるか(それで対応できるかはさておき)。
 熊谷とその仲間達がどこまで勝ち進めるか、神のるぞ知ることだ。そしておそらく、ベスト8のいずれの国よりも戦闘能力は高く、残り3試合を全勝してくれる可能性がそれなりに高いことは間違いない。そして何より熊谷とその仲間達のサッカーは、効率的で攻撃的で、そして何より魅力的だ。現地に行かなかった己の先見性のなさを反省しながら、12年ぶりの世界一の歓喜を期待しつつTV桟敷で応援できるのはありがたいことだ。
posted by 武藤文雄 at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月30日

高倉カテナチオからの切り替え

 今回の女子代表のチーム作りは、カテナチオねらいということになるのだろうか。
 敵にボールを奪われると(最近の流行りことばでいえば「ネガティブトランジション」)、各選手はボールの再奪取をねらわず、後方に引いて4DF-4MFのライン形成を心掛ける。再奪取をねらわないので、敵は攻撃起点を作りやすくすぐに攻め込まれることが多いが、第一波をしのげば人数が揃っているので、それなりに守れる。特に熊谷と南の2CBは位置取りもよく、強さも高さもある。
 例えば英国戦の後半、日本は中盤から抜け出せず、終始攻め込まれる展開となった。それでも熊谷を軸とする守備ラインは、勇猛果敢にクロスや裏抜けに対応。決定的なシュートはほとんど許さなかった。唯一の失点は、英国の大エースのホワイトの絶妙としか言いようなバックヘッドによるものだった。ただ、このホワイトの妙技もGK山下が中途半端な飛び出しをしてしまったから入ったもの。さらにこの場面のブロンズのクロスにしても狙いすましたものではなく偶然的なもの。日本にとってはかなり不運な失点だった。
 カナダ戦の失点にしても、前半開始早々に押し込まれた時間帯でよい縦パスが入り、えぐられたところで、カナダのレジェンドのシンクレアの絶妙な位置取りから決められたもの。試合後、熊谷が「あのようなクロスへの対応は相当練習していたのに」と悔しがっていた。ただ、カナダ戦に関しては、その後の時間帯であの場面ほどの縦パスは出てこなかった。おそらく、あの縦パスはかなり偶然のものだったのだろう。
 チリ戦でも後半バーに当たったヘディングシュートがゴールラインを割っておらず救われたが、あの場面はGKとDFの信じられないパスミスが連続して起こったための決定機だった。
 そうこう考えると、今回の女子代表の守備は相応に強いことが、改めてわかる。

 しかし、この守備が本当の強豪国に通用するかどうか。
 上記したように、ボールを奪われた直後に再奪取にいかない以上、そこからの攻め込み第一波で崩されてしまうリスクはある。これまではその第一波を熊谷と南で防ぐことができていた。これは、カナダにせよ英国にせよ、攻撃の精度、スピード、変化、アイデアが、格段のものではなかったからとも言える。問題は、開幕で合衆国を3-0で破ったスウェーデンの攻撃力次第となる。
 さらに別な問題がある。英国戦の後半、日本は中盤をほとんど抜け出せなかった。これは英国の選手との体格差によるものではなく、位置取りや連係の差に思えた。上記したように、日本の守備網は4DFと4MFが素早く後方に引くことが基盤になっている。そのためか、一度ボールを奪ってからの押し上げが悪い(ポジティブトランジション)。一方英国は日本にボールを奪われるや、すぐに近くの選手が再奪取にかかる。そして周辺の選手はそのポイントを中心にサポートに入る。瞬間的な技巧は日本の選手の方が優れているから、最初のアプローチを外すことができる。しかし、数的優位を作るスピード、つまりサポートに入る早さに格段の差があり、すぐにボールを奪われてしまった。あれだけ中盤を制圧されてしまっては、いくら守備が固くてもいつかは崩されてしまう。
 一方カナダ戦は、英国ほどサポートの早さがなく、日本はそこそこ攻め返すことができた。しかし、サポートが遅いから、前線で多くの選手が孤立。有効な攻撃回数は限られたものになった。同点弾が、後方に引いた長谷川の正確なフィードを、岩渕が巧みな個人技で決めたわけだが、サポートに課題を抱えるチームらしい得点だったとも言えよう。

 このサポートの遅さが、今回のチームの最大の課題なのだ。
 チリ戦にしても、押し込んでいるが何かイライラ感がつのったのは、ボールを持った選手に対して、周囲の呼応が遅いから。せっかく敵陣で敵ゴールを向いてボールを受けられても、結果的に各選手が一拍置き、単身突破を狙う事になる。そうなると緩急の変換などあったものではないから、単調な攻めかけになり、人数をかけたチリ守備網にひっかかることとなった。
 岩渕と長谷川を筆頭に、日本選手の攻撃技術は鋭いものがある。杉田、塩越、遠藤、木下、椛木、みな自分の間合いでボールを持てば、それなりの突破が期待できる。しかし、周囲のサポートが遅いから、自分の間合いでボールを持てないのだ。

 強敵スウェーデン戦。何とも陳腐な結論となるが、ボール保持時のサポートをいかに早くするかが勝敗の鍵を握る。どうして日本代表にこんな講釈を垂れなければならないかはさておき。
 マイボールになったら、周囲の選手はすぐにキープする選手をサポートする。そこで拠点を作り、田中美南なり岩渕なり長谷川に当てる。彼女たちがキープしたらすぐにサポート。そうしてこの3人で敵陣に新たな拠点を作る。そうすれば、清水や林が追い越せる時間が作れる。そこにまたサポート…

 スウェーデンの選手が、高倉氏が構築したカテナチオを破れるか。日本の選手が、高倉氏の指示したカテナチオから素早く切り替えて攻撃に参加できるか。
 ワールドカップでも、1次ラウンドは重苦しかったが、2次ラウンドのオランダ戦の攻撃は鋭さを増すことができていた(不運な失点から敗れることになったが、それはそれ)。地元大会でのプレッシャはあっただろうが、2次ランド進出で最低のノルマは達成した。
 今こそ、各選手には思い切りのよさを発揮して、持ち前の技術を活かすべくサポートの早さを徹底してほしい。そうすれば活路は開けるのではないか。
posted by 武藤文雄 at 01:09| Comment(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月22日

女子代表五輪開幕、あまりに残念な内容

 大会が始まるまで、私は高倉麻子監督の手腕に疑問を抱いていた。特に2019年のワールドカップでは、なでしこリーグで複数回得点王を獲得していた田中美南をメンバから外し、未経験な選手を複数抜擢、しかし抜擢した選手の何人かは、ほとんど機能しなかったらだ。もっとも、ワールドカップでのオランダ戦の苦杯は非常に不運なものだったけれど。
 一方で、地元で行われる五輪に向けて、ワールドカップを経験を積む大会と、割り切ったと言う考え方もある(私はその考えには反対だが)。しかもこの五輪に向けては予選もない。さらにワールドカップ後は、昨年3月に米国で行われた国際大会では全敗したところでCOVID-19禍で強化が困難になった。今年に入り、親善試合での強化が行われたが、日本に呼んだ国々の戦闘能力が非常に低く評価のしようがない試合が続いた。もちろん、18年のアジアカップ(兼ワールドカップ予選)、アジア大会、19年の東アジア選手権のアジアの3タイトルを獲得したことに言及しておかないと公平さを欠くかもしれないが。
 結果として、高倉氏の監督としての評価は、目標の五輪本大会でしか判断できないことになってしまった。そして、カナダとの初戦、大変残念な試合だった。

 誤解されては困るが、カナダは決して弱い相手ではなかった。連続銅メダルを獲得している実績もあり、引き分けたことは決して残念なことではない。しかも後述するが、開始早々の失点やPK失敗もありながら、エース岩渕の得点で追いついた結果は悪くなかった。
 カナダのCBのブキャナンは1対1の対応が見事だったし(彼女が固めるペナルティエリア内、日本はとうとう崩せなかった)、右バックのローレンスの球際の強さと前進も効果的、ボランチのクインは頑健で配球も上手、そして大ベテランのシンクレアの優雅なプレイは健在(代表300試合、187点目とのこと)、先制点時の低いクロスへの合わせ方の見事なこと。
 カナダはよいチームだったけれども、日本の内容がひどすぎた。およそ組織的な攻撃は見られず、選手の個人能力に頼るばかり。初戦での緊張感とか、コンディションをこれから上げていくのではとか、悪いなりに勝ち点1とか、そのような議論ではなく、各選手が攻撃時に連係をまったく作ろうとしないのだから(そして、少なくとも国内クラブ所属選手は、自分のクラブの試合で様々な連係を見せてくれているのだから)、これは監督の責任だろう。
 従来から、高倉氏の監督としての能力に疑問を向ける意見は多かった(上記の通り、私も疑問に思っていた)。そして、よりによって目標とする大会が始まって、その問題が誰の目にも明らかになってしまったことになる。

 試合を振り返ろう。
 立ち上がりの失点、カナダの激しいプレスに押し込まれ、ハーフウェイラインを越えられない時間帯だった。連続して左右のオープンに鋭く正確な縦パスが入り、簡単に裏を取られる。そして2回目(日本から見て)左を完全にえぐられて、巧みな位置取りからシンクレアに決められてしまった。
 こんな鋭い攻撃を継続されたらどうしようもない、これは何点取られるかわからない、と心配したのだが、カナダはそこまでは強くなかった。この先制直前の鋭い連続縦パスは、やや偶然だった模様。失点後、日本が落ち着いた以降は危ない場面はなかった。試合後、高倉氏や選手たちが「立ち上がりがよくなかった」と語っていたようだが、あれは相手を褒めるしかない。
 前半の日本、失点後は落ち着いてボールを回す。しかし、ハーフウェイラインを越えても、最後の30m以降に工夫がなく、ほとんど崩せない。岩渕が前を向けば好機となりかけるが頻度が非常に少ない。これでは、長谷川なり中島なりが、どこかで相当無理をしないと苦しい印象があった。
 
 後半立ち上がり、菅澤に代えて田中を投入。このチームでの菅澤は、いつも中央で味方の縦パスを待つ役割で、浦和でのように奔放に動いたり、強引に裏をとるような動きが少ない。しかし、エースとして最前線を任せている菅澤を、何か不完全燃焼のまま前半で見切る采配には驚いた。上位進出を目指そうと言うからには、エースストライカ候補の扱いには、神経を使うべきに思うのだが。
 後半開始早々、左サイドでうまく裏を突いた長谷川が、DFラインとGKの間にボールを入れ、田中が走り込み、敵GKラビに倒される。テレビ桟敷で見ていても明らかなPK。しかし主審は田中の反則をとり驚いたが、VARでPKとなった。ここで、田中との交錯で負傷したラビへの治療で数分時間が空く。ところが驚いたことに、PKキッカーの田中はその間数分間にわたり時間が空いたにもかかわらず、それをずっと待って何もせず待つのみ、チームメートとボールを蹴って感覚を維持することすらしない。そして、つらそうな表情でゴールライン上にポジションをとったラビに対峙した田中はいきなりPKを蹴って失敗してしまう。自分をリラックスさせたり、キックの感触を確認する、田中が当たり前のことができないことはショックだった。重要な初戦での緊張だろうか。それにしても、主将の熊谷も、ベテランの岩渕も、そのあたりの常識を理解していないのだろうか。もちろん、そのような指示もできないベンチは論外なのだが。
 その後も日本は中々有効な攻撃ができないし、守備もおぼつかない。
 敵にボールを奪われると、中盤の4人がそこで奪い返そうとせず、DF4人と4-4のラインを作り直すことばかり意識しているからだ。ボールを奪われた後、日本の選手は敵の配置を考えずに、自分の都合でライン再生しか考えない。そのため、カナダのパスの精度がそれほど高くなくても、簡単に前線の起点となる選手につながれてしまうのだ。幸いに大ベテランのシンクレアが交替したため、危ない場面はあったが、守り切ることができた。そりゃ、8人のラインを早々に築けば、第一波をしのげば守れる。
 しかし、そのような守備をしていれば、90分を通して最終ラインの押し上げが遅くなるのは当然のこと。その結果、最後の30mまで前進しても、後方からDFが押し上げたり、オーバラップを仕掛けたりしないから、パスコースが増えない。タッチ沿いに展開しても、ボランチか流れてくるFWしか選択できないから、ブキャナンに簡単に読まれてしまう。それでも岩渕や長谷川など、個人技に優れた選手は勇気をもって仕掛けるが、組織力皆無で個人能力頼みの貧困な攻撃となる。
 こんな非組織的な日本代表は、未だかつて見たことがない。
 まあ、それでも縦パス一本で裏を突いて、同点弾を決めてしまう岩渕は凄かったですけれど。

 これだけ非組織的なサッカーでも、難敵カナダ相手にそこそこ好機を得たのだから、各選手の個人能力は中々のものだと、改めて理解できた。1970年代から少しずつ普及してきた日本の女子サッカー。かつての選手達の献身と努力で知的で技巧的なチームが世界制覇して10年が経った。あの世界制覇により、さらに女子サッカーの普及、強化が進み、若年層大会での好成績は当たり前のこととなった。今日も非組織的な残念なサッカーだったが、その悪環境下、熊谷と岩渕のリードの下、いずれの選手も見事な個人能力を見せてくれた。知性と経験はさておき、各選手の単純な技巧とフィジカルは10年前を上回るものがあるかもしれない。
 そして、この女子サッカーの黎明期の80年代から90年代にかけて、選手高倉麻子はたぐいまれな努力で、この苦しい期間を支えてくれた。間違いなく、日本サッカーのレジェンドの1人なのだ。そして高倉氏は早々にS級ライセンスを獲得し、2回の若年層ワールドカップで好成績を上げている。その高倉氏を、栄光に包まれた佐々木則夫氏の後任に抜擢した日本協会の気持ちはわからなくもない。
 それはよくわかっているが、選手や若年層チームの監督としての能力と、大人の代表チームの監督としての能力はまったく異なる。残念ながら、高倉氏は大人の代表チームを指揮し、チームに組織力を植え付ける能力には恵まれていないようだ。
 とは言え大会は始まってしまった。今からできることは限られよう。それでも、地元での貴重な五輪。WEリーグ開幕を控え、女子サッカーの人気を高める絶好機。いかに選手達の能力をフルに発揮させる環境を作れるか。不運なことに日本協会の女子委員長の今井純子氏は、必ずしも技術畑の人ではない。田嶋会長や反町技術委員長が、男子の戦いをフォローしながら、いかに女子代表にも目を配れるか。難しい舵取りが要求されそうだ。
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2016年03月05日

ここまでの歓喜に感謝

 女子代表のリオ五輪出場がほぼ絶望になってしまった。陳腐な言い方で恐縮だが、1つの時代が終わったのだろう。

 多くの方々も同意されるだろうが、敗因は若返りの失敗だと見た。多くの選手が北京五輪前から代表で活躍、10年近くに渡り世界のトップレベルで戦ってきた。昨年のワールドカップの準決勝を1つのピークに多くの選手が、すり減ってしまったのだろう。澤のみならず、海堀の突然の引退もその顕れだったのかもしれない。

 しかしだ。いや、だからだ。

 私は今回の敗戦を「仕方がない」と思っている。
 何故ならば、若返りを的確に目指していたとすれば、昨年のカナダワールドカップで好成績を得るのは難しかったと思うからだ。このリオ予選で相応に若手選手が活躍するためには、そのような選手をカナダで起用する必要があった。そうした場合、カナダで準優勝できただろうか。
 私は「カナダでの準優勝とリオの予選落ち」は「カナダでもリオでも本大会でそこそこの成績」よりも格段によいと思っている。さらに言えば、カナダで最高の成績を目指さず若返りを目指したとしても、このリオ予選で確実に勝てると言えないのは言うまでもない。
 言うまでもなく、このチームのピークは11年のドイツワールドカップ制覇だっただろう。さらに彼女たちは、その後も12年のロンドン五輪、上記のカナダワールドカップで準優勝と格段の実績を残してくれた。08年のアテネ五輪の4位と合わせれば、世界大会で、1度の世界制覇を含み、4大会連続、8年間に渡りベスト4以上を獲得している。一体、これ以上の成績を、どう望もうというのだ。

 もちろん、佐々木氏以上のカードがあれば、結果は違うのかもしれない。
 けれども。サッカーに浸り切って40余年。幾多の名将のチーム作りと采配を堪能してきた。そして、ここ最近のなでしこの鮮やかな戦績を見るにつけ、氏以上に的確になでしこを勝たせる監督がいるとは、そうは思えないのだ(女子選手に対するマネージメントを含めだが)。まあ、ぺケルマン氏やモウリーニョ氏が女子のチームを率いるのを見てみたい気もあるけれど。

 皆が今回の苦闘と現時点での結果に心を痛めている。しかし、これだけ皆が落ち込むのも、ここ最近のなでしこの成績があまりに輝かしかったから、その明暗の大きさが著しいからだ。予選を勝ち抜くのがやっとで、本大会では冴えない成績を続けているチームが予選で敗れても、ここまでの悲しさは味わえない。
 いつもいつも語っているが、「負ける」と言うことは、サポータにとって快感なのだ。そして、その快感は、結果がよかった時との落差が大きいほど、最高のものとなる。

 先般、澤穂希引退時に、女子代表の歴史を振り返った。繰り返すが、このリオ予選で苦闘している彼女たちの多くは、ここ最近の十年近くに渡り、幾度も幾度も歓喜を我々に提供してくれた、いや提供し続けてくれたのだ。
 今はただ、彼女たちに「ありがとう、お疲れ様」と、伝えるのみである。

 でも、でも。
 この悔しい状況において、感謝の意を伝えるのは、貴女たちに失礼なのはわかっている。
 だから、意地を見せて欲しい。
 リオは忘れよう。でも、4日後の北朝鮮戦で、美しい舞いを見せてくれないか。ベトナム戦もトレーニングの一環と割り切り体調を整え直し、佐々木氏の最後の采配となる試合で。美しい舞いを。

 そのように割り切ることが、ほんの僅かに残っている確率を少しでも高めることにもなるはずだし。
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2015年12月30日

澤去りし後

 澤穂希引退。

 引退を宣言し、最後の大会として選択した皇后杯で、堂々の優勝。それも決勝戦の終盤に、決勝点を決めてしまうのだから恐れ入る。スーパースタアの所以と言えばそれまでだが、引退を決意してもなおその個人能力が他を圧していると言うことだろう。実際問題として、今大会中盤奥深くで敵の攻撃を刈り取る妙技と落ち着いた展開は、今なお格段のものがあった。準決勝、ベガルタはアイナックに敗れたのだが、澤の存在は忌々しさは格段。数日前の横浜国際で堪能したマスケラーノの読みの冴えを思い起こした。
 個人能力は未だ他を圧しているものの、澤が引退を決意したのは、ひとえにモチベーションの問題なのだろう。引退記者会見で、「心と体が一致してトップレベルで戦うことがだんだん難しくなったと感じたから」と語ったと報道された。アスリートとして考え得る最大限の栄光を手にした澤だからこその思いと言うことか。例えば王貞治、山下泰裕、千代の富士と言った方々が、引退時に類似の発言をしていたのを思い出した。
 その状況で、最後と選んだ大会に、見事に合わせ、結果を出すのですからねえ。長い間、本当にありがとうございました。

 で、今日のお題。
 澤去りし後の、日本女子サッカーは、どうなるのだろうか。

 とても不安なのだ。
 不安なのは、澤とその仲間達の実績があまりに素晴らしかったこと、そのものだ。それにより、一般マスコミが世界一、あるいはそれに準ずる成績を当然と考えてしまうのではないか。そして、それに至らない時に非常に低い評価を与えるのみならず、罵詈雑言を飛ばすのではないか。あるいは、まったく無視をしてくるのではないか。それを、どうこう不安視しても仕方がないのかもけれども。

 澤の日本代表の経歴を振り返ると、3つの時代に分けられる。
 まず、1990年代。澤が10代後半から20代前半で、木岡、野田、高倉、大部、大竹姉妹ら、澤より年長の選手が活躍していた時代だ。当時は、中国や北朝鮮に勝てることはほとんどなく、世界大会に出ても欧州勢に歯が立たなかった。一方で当時のLリーグは、Jリーグバブルの影響もあり、海外のトッププレイヤが続々と参加していた奇妙な時代でもあった。
 2000年代前半。澤は20代後半。酒井(加藤)、三井(宮本)、川上、小林、荒川ら、澤と同世代の選手が中軸の時代。澤より年長選手としては磯ア(池田)が活躍した。この時代になり、ようやく北朝鮮や中国と互角の戦いができるようになり、世界大会でも他地域の代表国に勝てるようになってきた(たとえばこの試合)。単に強くなっただけではなく、小柄な選手達が素早いパスワークで丁寧に攻め込み、組織守備で粘り強く守る、いわゆる「なでしこのスタイル」を、世界で発揮できるようになってきた。アテネ五輪でのスウェーデン戦の完勝は忘れ難いものがある。
 そして2000年代後半以降、澤より若い世代が台頭。宮間、大野、岩清水、川澄、阪口、熊谷、永里(大儀見)らが、澤を軸に戦うおなじみの時代である。分水嶺は2006年の東アジア選手権で、中国に完勝した試合だった。以降、日本はアジアで紛れもない最強国となった。そして2008年北京五輪では、再度地元中国に完勝し、ベスト4を獲得。さらに2011年の歓喜獲得(そしてこの妙技)につながっていく。さらに素晴らしいのは、「世界一」獲得後の、世界大会でも強国の地位を継続したことだ。トップになることそのものはとても難しいことだ。しかし、その地位を維持することは、もっと難しいことなのは言うまでもない。そして、澤とその仲間達は、それを実現し、今日に至っているのだ。

 繰り返すが、なでしこジャパンが、アジアで「トップレベル」と言ってより地位を確保したのは、2004年から2006年あたり。それから、たったの数年で澤とその仲間達は世界一を獲得し、さらにその地位を4年間維持し続けているのだ。これを快挙と言わずして、何と言おうか。そして、この快挙の輝きはあまりにもまぶし過ぎる。
 もちろん、この約10年間で、日本の女子サッカーのレベルは格段に向上した。10年前、北朝鮮や中国に苦戦していた時代、左足でしっかりボールを蹴ることのできる代表選手は少なかった。しかし、今のなでしこリーグの強豪チームならば、いずれの選手もボールを受ける際に、しっかりと敵陣を向いて左右両足でボールをさばくことができる。若年層の代表チームを見ても、技巧や体幹に優れた選手が多数輩出されているのも確かだ。さらに多くの関係者の地道な努力もあり、長年の懸念となっていた中学世代のサッカー環境も、少しずつ改善されている。
 けれども、だからと言って、なでしこジャパンが、現状の世界トップの地位を維持できるかどうかは、わからない。むしろ、一連の女子ワールドカップや五輪の盛況により、多くの国が強化を推進していることを考えると、容易ではなかろう。例えば、アジアのライバルを考えても、豪州、北朝鮮、中国は、常に体格のよい選手を並べてくる。韓国は、世界屈指のスタアになり得る池笑然を持つ。つまり、アジア予選でさえ、相当厳しい戦いになる。そして、欧州勢。先日のオランダへの苦杯は記憶に新しいが、たとえばイングランドが今年の痛恨を忘れるとは思えない。もはや、難敵は合衆国、ドイツ、フランスだけではない。
 しかも、サッカーと言う競技は極めて不条理。戦闘能力が高く、駆け引きに長けていても、勝てるとは限らない。男のアルゼンチン代表は、ワールドカップの度に、世界屈指のチームを送り込んでくるが、昨年決勝に進出したのは、実に24年振りだったのだ。

 そして、もう澤はいない。
 宮間たちが、いかに努力しても、思うような成績が挙げられない時代が来るかもしれない(常に最高の努力を見せてくれる、宮間達に甚だ失礼なことを語っているのはわかっているのだけれども)。冒頭に述べたが、もしそうなってしまったときに、一般マスコミがどのような態度に出てくることか。
 だから。サッカー狂を自負する我々は、冷静にありたい。彼女たちがすばらしいプレイを見せてくれれば感嘆し、よくないプレイを見せたときには批判をする。そして、目先の結果に一喜一憂せずに、重要な大会の結果を大事に見守る。そして、努力する選手達に尊敬を忘れない。
 そのような対応こそが、澤穂希と言う希代のスーパースタアに対する、最大限の感謝につながるのではなかろうか。
posted by 武藤文雄 at 21:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

3大会連続世界大会決勝進出を称えて

 早いもので、女子ワールドカップ終了から、2週間が経過した。決勝戦およびその後について雑感を。

 まずは偉業を称える。
 五輪を含め、3大会連続での世界大会決勝進出である。言葉にするのも難しい偉業だ。
 男のサッカーに比較すればマイナー競技かもしれないが、女子サッカーを本格強化している国は少なくない。西欧、北欧、北米、大洋州、東アジア、少なくとも10国を超える。その中での快挙だ。
 重要な指摘。北京五倫では、日本はかろうじて2次ラウンドに進出、何とかベスト4に滑り込んだ印象だった。あの大会を観た限りでは、選手達には失礼だが、このメンバで世界のトップに到達するのは容易ないと思ったものだった。けれども、私は間違っていた。ほぼ同じメンバ(戦力的には、熊谷と川澄が加わったくらい)で、3大会連続の決勝進出。これは、各選手達の努力が生半可なものでなかった事を示している。
 実際、この3大会を振り返ってみると、1つ1つの試合の勝ち抜きぶりの鮮やかさには恐れ入る。大会終盤を目指して的確に体調を整え、大会が進むに連れ連係の精度が増していく。正に本当のプロフェッショナルだけが演じられる戦い振りを見せてくれた。 
 もちろん、宮間と仲間たちは優勝しか考えていなかっただろうから、今大会の最終結果は大いに不満だった事だろう。けれども、サポータの我々からすれば、ここまで鮮やか結果を残してくれた彼女たちに、感謝の言葉しかない。
 本当にありがとうございました。

 ともあれ、何とも重苦しい決勝戦だった。
 サッカーの神は(女神かもしれないが)、時にこのような気まぐれを起こす。昨年のドイツ対ブラジルのように。しかし、この日の女子代表にとっては、この苦闘は昨年のブラジル以上に厳しいものだった。それは、その失点劇の直接要因が、選手の個人的ミスによるものだったからだ。最初の3点の岩清水、残り2点の海堀のプレイは、かばいようのない個人的ミス。もちろん、合衆国の攻撃は見事だったし、3、4点目はボールの奪われ方が、あり得ない軽率なものだった等、2人以外にも失点要因はあったのも確かだ。けれども、5失点とも2人が判断を過たなければ防げたものだった。それをあいまいに記述するのは、かえって2人に失礼と言うものだろう。、
 けれども、この2人がいなければ、決勝まで来る事ができなかったのは言うまでもない。いや、ここ数年間の女子代表の好成績はなかった。何とも残酷な現実ではあったが、胸を張って欲しい。
 それでも、宮間達は崩壊せずに堂々と90分間を戦い抜いた。崩壊し切ったまま、3位決定戦を終えた昨年のセレソンとは異なり。見事なものだ。

 決勝で合衆国にしてやられたのは確かだ。しかし、大会終了後の「合衆国が強かった。恐れ入りました」報道には違和感を感じる。
 開始早々のトリックプレイ以降、序盤に失点を重ねてしまったが故の完敗だった。この試合に関しては、相手が強いとか、こちらが弱いとかを感じる前にやられてしまったのだ。。
 4年前のドイツ、3年前のロンドン、正直言っていずれも戦闘能力は合衆国が上回っていた。今回もそうだった、と思う。「思う」と書いたのは、それを確認する前に勝負がついてしまったからだ。4対2に追い上げた以降を含め、好機の数は合衆国の方が格段に多かったのだし。けれども、今回に関しては、敵に感心する事なく敗れてしまったのも確か。戦闘能力差を云々する前に失点を重ね、勝負をつけられてしまったのだ。
 だから、「合衆国にひれ伏す」的な報道に違和感を感じるののだは、私だけだろうか。

 大会終了後、宮間が「女子サッカーをブームではなく文化にする」と見事な発言をした。それを面白おかしく採り上げるマスコミは論外としても、実に重い問題提起なのは間違いない。
 宮間が潤沢なキャッシュを望んでの発言なのはよく理解している。けれども、身も蓋もない言い方になるが、「文化」にすると言う事は、彼女たちに潤沢なキャッシュを提供できる環境を作る事と等価と言わざるを得ない。そして、過去も女子代表が鮮やかな戦いを見せてくれる度に語ってきたが、どうやったら彼女達に豊かなキャッシュを提供できる環境を作れるのだろうか。
 いつもいつも語っているが、なでしこリーグの最大競合は、Jリーグなのだ。冷めた目で語れば、なでしこリーグが定期的に万単位の観客を集める事は不可能に近い。Jリーグでさえ、スポンサを集めるのに四苦八苦している中で、どうやって、彼女たちにキャッシュを落とせるか。
 日本協会が、女子のトッププレイヤを積極的に欧州に送り出す対応を行ったのは、今大会の成功につながったのは間違いない。また、各Jクラブに女子チームを持つように行政指導?をしているのも悪くない。我がベガルタも、レディーズを持たせていただいたし。このような1つ1つを丁寧に実施し、女子サッカーに落ちるキャッシュを増やしていくしかないのだろう。
 このような努力は、この10年来丹念に続けられてきた。それにもかかわらず、女子の好成績と比較して、男の代表チームを揶揄し、偉そうに「カネを女子に回せ」と言う輩が後から後から出てくるは悲しい事だ。それも、通常サッカーの仕事をしていない人ならさておき、日々サッカーで食っている人間にもそう言うのがいるから残念なのだが。

 それはそれとして。「わたしもボールを蹴りたい」と言う、小学生の女の子が増える事が「文化」には重要な事も間違いない。しかしながら、我が少年団には、宮間達の颯爽といた戦いに感銘し「私も蹴りたい」と言う女の子は、今のところ登場していない。
 もし、そのような女の子を増やすノウハウがあるのならば、どなたか教えてください。

 ともあれ。宮間とその仲間たちの颯爽としたプレイ振りに乾杯。
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2015年07月02日

サッカーの母国の歴史的悲劇

 何歳になっても、何試合経験しても、サッカーの奥深さは尽きない。新たな感動と発見を体験させてくれた両国の選手達に感謝の意を表するしかない。
 講釈の垂れようがない結末だった事は確かだ。また日本の選手達、関係者の方々のきめ細かな努力が歓喜を生んだのも間違いない。しかし、ここは敢えて、あの場面およびその直前について執拗に語る事が、自分なりのローラ・バセットへの最大級の敬意ではないかと考えた。

 そもそも。サッカーの言語において、この自殺点は「ミス」と語るべきではないだろう。バセットがボールに触れなければ、至近距離から大儀見がシュートを放つ事ができたのだ。悲劇は悲劇だったが、バセットはボールに触るしかなかったし、川澄のクロスを誉めるしかない。あのような位置関係で、川澄があのボールを入れた時点で、バセットがやれる事は限られており、バセットは的確にそれを行った。それだけの事だ。これは「ミス」ではない。あのような選手の配置関係を作り出し、川澄がタイミングと精度が適切なボールを入れた瞬間に、日本はバセットの悲劇の準備をすべて終えていたと言う事だ。
 もちろん、細かな事を言えば、いくらでも指摘できる事はある。極力自殺点となるリスクを下げるために、ボールを浮かしたり外に出すために、足首のスナップを使えばよかったとか。直前の大儀見との位置取りの駆け引きを工夫すればよかったとか。しかし、そんな詳細まで語り始めたら、サッカーの論評は成立しない。むしろ、バセットは工夫してクリアを浮かそうとしたからこそ、ボールはネットを揺らさずバーを叩いたのかもしれない。いずれにしても、バセットが何か判断を誤った訳でも、技術的な失敗をした訳でもない。オランダ戦の終盤の海堀のプレイとは異なるのだ。
 
 だから、あの自殺点は「ミス」ではない。

 一方、これはイングランドにとっても「悲劇」ではあったが、決して「不運」ではない。日本は能動的にあの状況を作り、日本の攻撃がイングランドの守備を上回ったから、得点となったのだ。イングランドは日本に得点を奪われる状況を作ってしまったのだ。それを「不運」と呼ぶのは、すばらしい戦いを演じたイングランドに対しても失礼と言うものだろう。
 ただし、日本にとっては「幸運」だった。なぜならば、サッカーで最も厄介な「シュート」と言う要素を自ら行う事なく、得点となったからだ。

 さらに、この場面を作り上げたのが、我らが主将の宮間の明らかな「ミス」だった。
 直前の場面を思い起こそう。イングランドが攻め込みを日本DFがはね返し、宮間はほとんどフリーでボールを持ち出す。「よし、速攻につなげられる。」と思った瞬間、信じ難い事に、宮間がボールを大きく出し過ぎ、敵MFにカットされてしまった。速攻をしようとした日本としては恐ろしい瞬間(逆速攻を受けるリスクがあった)だったが、イングランドもボール扱いに手間取り、そこから速攻をされ直す事はなかった。そして、紆余曲折の末、日本DFがほぼフリーでターンできる状態の川澄にボールを出す事になる。
 敵にボールを奪われ速攻を許しそうな場面が訪れた直後に、逆にボールを奪えると、自軍がよりよく速攻を狙える可能性が高い。宮間のミスの瞬間のイングランドは正にそのような状況を迎えていた。ところが、そこでボールを確保し切れなかった。結果として、イングランドの後方の選手の意識にズレが生まれ、結果川澄の持ち出しにつながった。
 その意識のズレそのものは、イングランドのチーム全体の「ミス」だったが、防ぐ事が非常に難しい「ミス」だったのは言うまでもない。あの終盤の難しい時間帯に、確実なマイボールを確認するまで安全をとるか(安全をとり過ぎると、逆にラインが間延びするリスクともなり得る)、勝負どころと見て前進するか(あの時間帯に上がり過ぎるのは非常に危険でもある)、11人全員が極めて高級な判断を余儀なくされる状況だったから。そして、その難しい状況の起因となったのが、日本の大黒柱のずっと単純な「ミス」からだったのだから、サッカーの無常さを感じずにはいられない。

 この「悲劇」は、長らくイングランドの方々に歴史的悲劇として、語り継がれる事だろう。そのような試合をサッカーの母国と戦う事ができた事を、誇りに思う。 
posted by 武藤文雄 at 23:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

女子代表、結果は100点満点のスタート

 女子代表はスイス、カメルーンそれぞれに似た試合で2連勝。グループリーグ1位抜けをほぼ確定した。見事だ。極めて難しいワールドカップ連覇と言うミッションをめざし、ほぼ100点満点のスタートと言えるだろう。
 誰が見てもわかる通り、内容はよくない。早々にリードを奪い、しっかり守る作戦を採ったのは明らかだが、内容的にはうまく機能していない。守りを固めると言っても、体格的劣勢から最後方を固める策をとれない以上は、ラインを上げて厳しいプレスをかけて敵の自由を奪い続けるのが基本的なやり方。もちろん、それでは体力がもたないのでボールを丹念に回し、敵にペースを与えない事が肝要。ところが、これまでの2試合は、いずれもプレスが利かず、ラインを上げきれない時簡帯がしばしば見られ、結果的に敵に決定機を許す時間帯が増えてしまった。
 その要因は明らかで、各選手の体調が今一歩なためだ。たとえば、大儀見がその典型。終盤になると、明らかに切れがなくなり、前線でのボールキープできなくなってしまう。終盤の内容が悪いのは、ここに最大要因がある。しっかり守ろうとしている時間帯、いつもいつもうまくボールを回すのは難しい以上、トップに入ったボールを持ちこたえて時間を稼ぎたいところ。これが有効に機能しなくなるのだから。しかし、これだけ実績のある大儀見である。あれだけ、ボールキープができないと言うのは、体調を大会後半に合わせていると理解するのが妥当だろう。
 他の選手も同様だ。終盤苦しい時間帯、結構ミスが出る。澤が肝心の時にミスパスするのは全盛期からだが(笑、たとえばこれこれね)、大野や宮間のような知性と経験あふれるタレントが、無理をすべきでない時に無理をして状況を悪くしている。しかし、これも彼女達が大会後半、いや終盤に合わせているが故と見る。
 そうこう考えれば、体調が悪いなりに内容は褒められたものではなかったが、最初の2試合にベストの結果を残せたのだから、100点満点と言う評価ではないか。

 説明は不要と思うが、日本は比較的対戦相手に恵まれたグループに入れた。さらに1位抜けをすると、ドイツ、USAと決勝まで当たらない可能性が高まる。さらに、試合会場も、エクアドル戦のウィニペグを除くと、バンクーバーとエドモントンに限られる。この両都市の移動は飛行機で僅かに1時間半程度、広大なカナダを考えると、とても楽な移動だ(全くの余談:私がカナダで訪ねた事がある都市がこの2都市なのですよ、いずれも美しい都市で、人々も親切、とても印象のよい都市でした)。したがい、1位抜けをする事が、1次ラウンドのミッションだった。
 もちろん、準々決勝ではブラジルが来る。1/16ファイナルで、いきなりフランスやイングランドが来る可能性もある(必ずしも確率は高くないがね)。けれども、「優勝」を目指す上では、ドイツとUSAに決勝まで会わないに越した事はない。4年前の「どうせ当たるならば準々決勝も悪くない」とはちょっと違っているのだ。なぜか。

 そもそも。
 前回、我々は世界一となった。素晴らしかった。しかし、日本代表の戦闘能力は、USA、ドイツと比較して、優れているとは言えなかった。それでも、彼女達は、この両国に対し、堂々と戦い、知性の限りを尽くし、ほんの僅かな幸運にも手伝ってもらい、世界一を獲得した。本当に、本当に、素晴らしい戦いだった。今、彼女達の胸に光る星の美しい事と言ったらない。
 間にはさんだ五輪でも彼女達は見事な戦いを見せてくれた。したたかに、フランスとブラジルを破り、堂々の決勝進出。しかし、決勝ではUSAとの戦闘能力差を埋め切れず苦杯した。
 その後、佐々木氏は退任するとの噂がもっぱらだったが留任。連覇を目指す事となった。けれども、4年前の中心選手を凌駕する選手は、開拓できなかった。ほぼ4年前と同じメンバでの連覇への挑戦。これはある意味仕方がない事だ。「世界一」と言う成功経験を積んだタレントは、最高レベルの経験を得る事で、他の選手よりも格段の能力を身につけてしまったのだから。新進気鋭のどんな優れたタレントが登場しても、最高級の成功体験を抜き去るのは容易ではないのだ。
 かくして、連覇を目指すために、佐々木氏は4年前とほぼ同じメンバを連れてきた。元々、戦闘能力で圧倒した訳ではない「世界一」。連覇は容易なミッションではない。それでも、佐々木氏と宮間の仲間たちは連覇を目指す。その道は非常に細い道だ。しかし、その細い道筋は見えている。
 大会終盤に体調を合わせる事、抽選で得た優位を活かすべく最小限のエネルギーでグループラウンドを1位突破する事、2次ラウンドは対戦相手ごとに淡々と策を立て粘り強く勝ち抜く事、そして決勝に残れれば戦闘能力で上回るUSAなりドイツ(他の国かもしれないが、たぶんこのいずれかが来るだろう)に奇策を含めて立ち向かう事。つまり、4年前と異なり、ドイツとUSAと手合せするのは、できれば最後にしたい。
 細い道筋通りに大会序盤を抜けかけているのだ。素晴らしい。この後、どこまで行かれるかはわからない。しかし、真のプロフェッショナルである彼女達が、その総力を賭けて「世界一」を目指す。素晴らしい娯楽を愉しませていただけるのだから、ありがたい事だ。
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2014年04月05日

リトルなでしこ世界制覇

 気持ちよい世界制覇でした。

 何とも日本らしい、判断力と技巧を活かしたボール回し。組織的な守備。よいチームだった。
 ただこのチームが従前のチームと異なっていたのは、いつもいつも特に若年層で日本の欠点とされているGK、CBの中央が、非常に強かった事。ベストGKに選考された松本の安定感、大熊と市瀬の的確な読みと位置取り、様々な世代、様々なレベルのチームでよく見られた「自陣前における不測の事態」が、ほとんどなかったのが、このチームの強みだった。
 一方で、敵陣近くでの変化あふれる攻撃もまた見事。トップから降りてくる小林の受けの巧さを軸に、長谷川と杉田が技巧あふれる展開を見せる。
 とても、とても、よいチームだった。

 先制弾は、小林が1度裏に抜け出し打ちきれずに戻したボールを、トップ下の長谷川が巧みに落とし、右MFの松原が狙い澄ましたシュート、バーに当たって跳ね返ったところを、左MFの西田が詰めたものだった。ゆるやかなパス回しで敵DFを前に引出し裏を突く。そこからさらに執拗に丁寧なつなぎと崩し。よい攻撃だった。
 以降も、日本は小林を軸に幾度も攻め込むが、スペインの4DFが粘り強い守備を見せ、隙を見せず前半は1-0で終了。
 スペインの4DFの守備の見事さにも感心した。日本は素早いパス回しでスペインDFを引き出しておいて、小林なり長谷川が裏を狙うやり方。しかし、スペインのCBは身体を後方に向きながらも粘り強く、日本の裏を狙うバスに対処。さらに両サイドバックが的確な絞りから、さらにその後を的確にカバー。中盤で劣勢となるチームとしては、この守り方は非常に有効。早々に先制を許しながらも、粘り強く点差を開かせない献身は実に見事だった。スペイン代表と言うと、最近のシャビとイニエスタの攻撃芸術がよく取沙汰されるが、20年から30年前はイエロとかカマーチョみたいな選手の献身的な守備が魅力だったのを思い出したりして。

 一方でスペインの攻撃は、さほどの脅威を感じなかった。日本の素早い切り替えによるプレスも適切な事に加え、アンカーの長野の適切な位置取りが有効。パス回しで中盤を抜け出せないので、後方から頑健なトップに長いボールを入れ強引な突破を狙う事になった。しかし、そこには上記の通り、大熊と市瀬が待ち構えている。
 男子の代表は色々な世代で、スペインや中南米の所謂ラテン系の国を苦手としている。理由は簡単で、日本の持ち味である判断力と技巧によるパス回しで、先方を上回れない状況に陥るから。余談ながら、よく「ブラックアフリカや北欧のチームのパワーにやられる」と大騒ぎする人がいるが、日本がしっかりと準備する時間的余裕があった試合でフィジカル負けした試合はほとんどない。やられるのは、いつも先方の高度な技巧からなのだ。
 そして、この日のリトルなでしこは、技巧でスペインを完全に圧倒。まあ、女子サッカーのランキングを考えれば、当たり前の事かもしれないが。

 65分過ぎには両軍とも疲労からガクッと運動量が落ちてしまい、試合は一層単調なものとなり、正直見ている方がつらくなる展開。決勝含めて7試合の過負荷と言う事もあったかもしれないが、この世代の女子選手に90分試合が適切なのかどうか、議論が必要かもしれない(あ、審判については...)。
 ただ、日本は負傷退場した遠藤に代わってトップに起用された児野が豊富な運動量で攻撃を引っ張り、攻撃を活性化させる。そして、77分には児野が鮮やかな2点目を決め突き放しに成功した。
 疲労困憊で迎えた後半30分過ぎ、2点差になったら、普通のサッカー選手なら諦めるよな。けれども、この日のスペインの娘さん達は諦めないのだから恐れいった。ボール回しでも崩せない、裏を狙ってもカバーされる。「もう君達には攻め手はないだろ!」とテレビ桟敷で思ったのだが、その状況でも、アディショナルタイムの48分まで、諦める事なく闘い続けた。正直、感動しました。おかげ様で、日本の優勝は一層感動的なものになったのも確かです。本当に、本当にスペインの選手たちの気持ちは、素晴らしかった。

 何が嬉しかったって、高倉麻子さんの笑顔だな。
 50過ぎのおじさんにとって、「シニアなでしこ」の歓喜は堪えられないのだよ。児野が2点目を決めた瞬間、そして優勝直後のインタビューの高倉氏の笑顔。高倉氏を支えた大部氏の満面の笑み。解説を務めた、酒井氏じゃなかった加藤氏の、優しくも厳しい一言、一言。
 この日珠玉のプレイを見せてくれた若者達の存在もすばらしい。しかし、高倉氏、大部氏、加藤氏、彼女たちの存在が、日本の女子サッカーをこれまで以上のレベルに高めるために重要なのは言うまでもない。
 資源は着々と増強されている。じっくりと、精悍な若き女性のプレイを愉しんでいけるのがありがたい。
 
 おめでとうございます。ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 22:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする