2000年05月18日

エスパルスとJリーグ

 2000年5月に、エスパルスがカップウィナーズカップで優勝、ジュビロがチャンピオンズカップで準優勝を遂げた際に書いた文章です。同県のクラブが大陸のビッグタイトルを独占しかけました。考えてみれば、ミラノ、リバプール、ロンドン、マドリードあたりでも実現不可能そうな快挙まであと一歩に迫った訳です。
 Jリーグスタート時、私は静岡県をホームタウンにするクラブの選考について、何とも言えないもやもやを感じていました。極論すれば、Jリーグは開幕時は、最強チームが集ったリーグ戦とは言えなかったためです。しかし、開幕7年後、静岡にアジアに冠しようとする2つの強豪が並立したのですから、当時の判断はある意味では正しかったのかもしれません。
(2008-12-5)


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1999年10月06日

楽観以外何もなし ー韓国戦の快感と五輪最終予選展望−

 シドニー最終予選直前に、トルシェ氏率いる五輪代表が、韓国にホームでもアウェイでも快勝した直後に、大喜びで書いた文章です。内容も素晴らしく、実に気持ちのよい連戦でした。
 考えてみれば、たかが五輪代表の準備試合に欧州でプレイしていた中田英寿が帰国してプレイしていたのは凄いなと。まあ、その後の中田英寿周辺のビジネスへの姿勢を考えるとなるほどとも思う訳ですが。

(2008年2月11日)


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1999年04月30日

ワールドユース準優勝

1999年4月に行なわれたワールドユース準優勝直後に書いた文章です。当時のユース代表選手の多数は、(A代表もユース代表も兼務していた)トルシェ氏の下、A代表に昇格。シドニー五輪、レバノンアジアカップ、地元コンフェデとタイトルマッチを経験し、2002年に突入しました。
今思えば、さらに2002年以降の彼らの成長、停滞を振り返るのが、非常に面白い事になっています。今後を含めた彼らの成長線を、いつか振り返る事(それもこれまで以上の歓喜付きで)を愉しみにしています。

(2007年7月12日)

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1997年12月10日

勝った! −生涯最高の試合の観戦記−

あの1997年11月16日、人生最良の日の記録です。
元々は日本サッカー狂会報に投稿した作品ですが、記念すべき狂会報の第100号に掲載されたのもよい思い出です。
オリヂナル版は、狂会員の友人達が皆本名で登場しますが、さすがにBLOG版ではそれは拙いので、頭文字での登場とさせていただきました。皆、日本サッカーの暗黒時代から諦める事なく日本代表を応援し続けた戦友たちです。
なお、日本サッカー狂会創設者であられる、故池原謙一郎先生と、鈴木良韶和尚だけは本名で登場いただきました。お2人はサッカー界においては完全な公人と考えているからです。なお、当時病気療養中だった池原先生は、約4年後の2002年3月に、地元でのワールドカップ開催を待たずに逝去されました。

ジョホールバルと言う単語を聞くだけで、今なお目頭が熱くなる気がします。本当に幸せな一夜でした。

(2007年4月2日)
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1997年06月01日

代表チーム強化とJリーグ

97年6月に「サッカーマニア」に書いたものです。開幕後4年目のJリーグについて書いたものです。

(2007年5月18日)

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1996年07月01日

フランスとアトランタ

 アトランタ五輪予選の総括と本大会の展望です。本大会でブラジルに惨敗するに決まっている、と言う論調については、西野氏と選手たちに謝罪しなければいけないかもしれません。ともあれ、当時から、どうしても西野氏を好きになれないのです。
 氏と同年代の実績を残している監督たちの多くは、皆現役時代に、自らの素質の限界に近いところまでプレイを極めたと思えるのに対し、西野氏は「ありあまる素質を活かし損ねた」と言う印象が強いためかもしれません。
 もっとも、ここ最近のガンバにおける氏の実績には敬服しているのは事実ですけれども。
(2007-7-24)


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1996年04月01日

加茂監督について

 フランス予選直前と最中に、多くの人が「加茂批判」を繰り広げましたが、私は80年代(いわゆる日産の全盛期)から加茂氏の監督としての手腕、実績に疑問を呈してきました。「腐ったミカン事件」で加茂氏留任が決まった頃に、それらの思いをまとめた文章です。
 ただし、氏は監督としてはイマイチだったにせよ、日本サッカー史に記録されるべき貢献(プロフェッショナリズムの先駆的導入、木村、名波のコンバート)をした偉大な人物である事は、忘れてはいけないと思います。
(2007年7月24日)

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1988年10月26日

井原正巳に期待す

 この作品は88年10月26日に国立競技場で行われた日韓定期戦(0−1で敗戦)で、見事なプレイを見せてくれた当時21歳の井原に感動して書いたものです。
 この日も完敗だった事は確かなのですが、最終ラインを引き締める井原のプレイは、かつての日本選手のスケールを遥かに越えたものだと確信したのです。「ついに日本にこのような選手が現れた」本当に嬉しかったのです。その嬉しさのあまり、この作品をサッカーマガジンに投稿し、晴れて採用されました。



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