2010年04月22日

(書評)世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術的ミス

 ワールドカップが近づいたためか、サッカー関連の書籍が多数出版されている。サッカー界も出版界も不況下にあると言うが、ありがたい事だ。サッカーの人気が振るわないと散々言われているが、Jリーグが開幕して17年、すっかりと分厚くなったサッカー界ゆえ、結構多様な切り口の書物が目立つのもうれしい。

 本書は、複数の日本代表試合の映像を、5人のイタリアのトップクラスのコーチ達に見せ、忌憚のない意見、批評、賞賛をまとめた構成。編集の主眼はイタリアのコーチらしく、多くは日本代表の守備、特に個人の守備戦術に着目し、(残念ながら)その拙さへの批判が主となっている。著者の宮崎隆司氏は、イタリア在住、幾度かサッカー批評などの媒体で作品を目にした事があったが、まとまった書物として読むのは、私にとっては初めてとなる。

 これは、内容がありとてもおもしろい本だ。従来、的確に日本語化される事が難しかった「守備戦術」について、日本代表を実例に丁寧で妥当な分析がなされているからだ。
 正直言って、最初本書のタイトルを見た時は、巷にあふれる「凡百な岡田批判本」だと思い、手に取ろうとすらしなかった。けれども、信頼できる友人が高く評価しているのを聞き、本屋でパラパラとめくってみると、そのおもしろさに引き込まれて、すぐに購入を決断した次第。特に「日本代表の守備の失敗」の分析描写が具体的なのには感心した。

 具体的によく指摘されているのは、マイボール時の位置取りの修正不足、守備の際の相互の距離感覚の悪さ、ゴールから遠い場所での追い過ぎなど。さすがに我らの代表選手の課題を執拗に指摘されると、落ち込むけれど、(そして、それらの批判の全てを受けいれる必要はないのだろうが)多くの指摘は的を射ているように思えた。
 たとえば、08年10月の埼玉ウズベク戦の失点(敵の縦パスを、闘莉王が無謀なジャンプボレーでクリアしようとして失敗、そこから攻め込まれて先制点を奪われた場面)の、「その前」の分析が秀逸。この試合の分析を担当したレンツォ・ウリビエリ氏(イタリア協会の監督協会会長、中田のパルマ時代の監督)は、「その前」の日本守備の失敗を、事細かに分析している。私はこの場面、闘莉王のミスがあまりに劇的で(かつ見ていて笑える失敗だったので)、つい「その前」を忘れていた。けれども、確かに闘莉王が「飛ぶ」前に、「せっかくうまくボールを回してよい時間帯になったのに、中盤の守備が甘い!」文句を言っていたのを思い出した。確かにあの場面はまずかったが、そのまずさが実に見事に分析されている。
 その他にも、再三「もっと几帳面に守ってくれたらよいのに」「どうして、そんなに慌てるのだ」と記憶している場面の多くが、怜悧に切り出されている。
 もちろん、この手の文章に付き物の「あの解釈は違うのではないか」と言う分析もない訳ではない。たとえば、上記同じ試合の日本の同点弾(左サイドから俊輔の好クロスを、すばらしい飛び出しで抜け出した大久保が折り返し、玉田が決めた得点)のウリビエリ氏の分析。氏は大久保をマークしていたウズベクのDFハサノフが、大久保を見失った事について「信じ難い守備の綻びだ」と酷評している。しかし、俊輔がルックアップする直前に、大久保が見事な陽動動作で当のハサノフを振り切ったのを現地で見ていた私としては、この氏の分析には異を唱えたくなった。
 もっとも、サッカーは常に相対的なもの。氏が述べるようにハサノフが「ヨーロッパのトップレベル」だったならば、大久保の陽動動作には引っかからなかったかもしれない。むしろ、このような相対比較もサッカーを見て語る上ではもっともおもしろいところでもある。
 例として採り上げたのはウリビエリ氏の分析だが、他4名の監督連もいずれおとらず、日本代表を厳し批評している。

 ウリビエリ氏は
 言葉にするとすれば、それは下地ということになるだろうか。すなわち、基本だ。この基本的なことを、おそらく日本の選手たちはユースの時代から正しく積み重ねてこなかったのではないだろうか。この試合の中で数多く見られた初歩的なミスを見る限り、そう考えざるを得ない。
 サッカーとは、秒単位で局面が変わるスポーツであり、だからこそ瞬時の判断が連続して求められる。そして、その判断を半ば本能に委ねた結果がポジショニングなのだから、それを若い頃から培っていないとすれば、また次の試合でも同じようなミスを繰り返してしまうのではないだろうか
と、心底落ち込むようなコメントを述べている。氏の指摘を受け入れれば、(特に)守備における守備の修正能力は、「現状の日本代表選手には身に付かない」事になってしまう。
 そう言われても、私は南アフリカの日本代表に期待したい。98年や02年のワールドカップで、日本は相応の守備を見せる事ができた(それがウリビエリ氏から合格点をもらえるのかどうかは興味があるところだが)。南アフリカで、各選手がしっかりと体調をととのえ、徹底した几帳面さを持ってプレイし、そして岡田氏が適切にバランスをとる指導を行えば、必ずや他国を悩ませる守備網を築けると信じている。常々語っているが、ワールドカップで勝ち抜こうと言うならばまず守備なのだ。そう言う見地からすれば、私はウリビエリ氏の予測が外れる事を望んでいる。
 けれども、一般論として日本選手の個人守備戦術に課題がある事は間違いないだろう。実際、(特に守備における)個人戦術を、若年時にどのように育成すべきかについては、日本国内で明確な指導基準はあまりなかったように思う。そして、本書でイタリアの監督たちが述べているのは、その問題解決の一助となるものである可能性は高い。そう言う意味では、本書の主題は、書名の「岡田ジャパン」ではなく「日本サッカー界」への提言と捉えるべきであろう。そう言う意味では、切り口を南アフリカにとどめるのではなく、今後の日本サッカーと言うところに持って行って欲しかった。
 もちろん、本書の提案が、完全に正しいとか、この考え方を取り入れれば日本サッカーがすぐに向上すると発想すると、断言はできないし、危険である。ただし、従来日本で行われていた指導の考え方とは一戦を画すものであり、世界屈指のサッカー強国、それも守備力の強さでは定評のあるイタリアの複数の指導者が主張する考えだけに、傾聴に値するのは間違いないだろう。
 逆に言えば、これだけ具体的に日本サッカーの課題を述べ、その改善案をある程度提案しているだけに、「単なる現状の代表チームあるいは監督批判」と思われる書名は、少々残念にも思える。この書名を読んだだけで、指導畑の方には敬遠されるおそれもあると思う。もっとも、出版サイドは「この書名の方が売れる」と判断しての事だろうし、実際たくさん売れればそれだけ本書の提案が世に定着する訳だから、このあたりは難しいところだ。
 
 個人的に、日本国内で発刊されたサッカー戦術の本では、以下2作が白眉のものと考えている。1つは74年に出版された「サッカー戦術とチームワーク (チャールズ・ヒューズ著、岡野俊一郎訳)」、今1つは95年に発売された「ワールドサッカーの戦術(瀧井敏郎氏著)」である。前者は、丹念にサッカーにおける攻守の個人戦術を整理し記述した好著で、私自身のプレイ及び指導のバイブル的存在。ここまで明確に個人戦術の基礎原則を述べた本はないと思っている。後者は現学芸大監督でもある著者が、80年代から90年代前半の、トヨタカップや日本代表の試合俯瞰写真を元に、グループ守備戦術を分析した大作。ちょうど、世界の守備作戦の主流が、3DFのマンマークから4DFのゾーンに移って行った時期なのだが、双方の得失、変化の理屈などが、実に明確に説明されている。そして、本書はこれらの名作に匹敵し得るインパクトがある作品である。

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2009年02月21日

(書評)駆けぬけた奇跡

 70年代半ば、正に彗星のように日本サッカー界に突然登場し、あっという間に消えていった永大産業と言うチームがあった。本書はその永大のマネージャを務めていた河口洋氏への取材を中心に、永大の太く短かった歴史をまとめたもの。
 日本リーグ黎明期には、東洋工業(現サンフレッチェ)、三菱(現レッズ)、古河(現ジェフ)、日立(現レイソル)、八幡製鉄(後の新日鉄、現在の継承チームなし)、ヤンマー(現セレッソ)などが中核と言える存在だった。以降、次々と振興チームが参画してくる。藤和不動産(後のフジタ、現ベルマーレ)、読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)、ヤマハ(現ジュビロ)等々。永大は藤和より後、読売より前に、JSL1部に昇格した位置づけになる。
 永大は74−75年シーズンに創部以降実質僅か4年半(!)でJSL1部に昇格し、そのシーズンの天皇杯で決勝進出(決勝では、第2全盛期とも言える釜本を擁するヤンマーに惜敗)。3シーズンJSL1部を戦い、76−77年シーズンを最後に会社の業績不振で廃部となりサッカー界から去っていった。余談っぽい豆知識だが、かのセルジオ越後氏が現役引退をした後、唯一(コーチとして)トップの指導陣に直接加わったチームでもある。
 その永大がどのように強化を行う事で、短期的に国内のトップリーグにまで参画し、天皇杯決勝を戦うまでに至ったか。本書はその辺りを丹念に記述している。

 この本の読みどころは2つある。

 1つ目。70年代の日本のトップレベルのサッカー界そのものを、巧みに裏面から描写している事。Jリーグより前のサッカー界が「前史」扱いされる事そのものは仕方がないだろう。けれども、その「前史」を巧みに切り出した文章の存在は非常に貴重なものである。こう言うと、当時「闘っていた」男達には大変失礼だろうが、何か牧歌的な雰囲気がする当時の息吹は、非常に愉しい。
 いや「前史」と限定する事はもったいない。今日でさえ、トップレベルのサッカー界で戦う選手達の内実を正確に描写するテキストは、そう簡単には公開されない。30年経った今日だからこそ、公開する事が差し支えなくなった当時の実態を眺める事は、今日のサッカー界を考えたい人々への有効な材料となるのは間違いない。

 2つ目。河口氏が極めて短い期間で、トップチームを作り上げるために行った施策(と言うより権謀術数(笑))の数々が愉しい。本書を読めば、日本サッカーには「マリーシアがない」と言った表面的な議論が、いかに浅薄なものかをよく理解できる。当時の日本協会首脳と氏の駆け引きの界隈の描写など(どこまで事実なのかは、その協会首脳が鬼籍に入っているため不明だが)、もう最高だ。30年以上前に、我がサッカー界に「夢」を実現するために、ありとあらゆる努力を尽くした先達が存在した事そのものが、我々サッカー人への最大の勇気となる。
 本書は一昨年に出版されたもので、少々紹介の機を逸した感がある。しかし、上記した浅薄な議論が横行している現状を鑑み、敢えて紹介させていただく次第。

 個人的に、私には本書にも登場する永大関係者が友人(友人と言うには失礼なサッカー人の大先輩なのだが)にいる。実際には本書では、河口氏に関する記述は相当美化されているとの事だ(本人への取材を主体にしているのは当然なのだが)。それに対してどうこう評価する事はできない。しかし、そう言ったインサイダ情報を持ちつつも、本書は「サッカーを心底愉しみたい」と言う人には絶対読んでいただきたい逸品である。


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2009年01月31日

(書評)サッカー誰かに話したいちょっといい話

 世界中の普通のおじさん、お兄さんの幼少時代、若者時代のサッカーとの触れ合いをまとめた小編集。エルゴラッソ連載「世界のサッカー風景」に加筆修正を加えたものだ。

 エルゴラッソの連載時は、1人1人の間抜け振りをニヤリと愉しむのが常だったこのシリーズ。25人のサッカー狂がまとまって攻撃をしてくる本書における印象は全く異なったものに感じられた。一言で語ろうとすると、世界中のサッカー狂がまとまって、共感を求めてくる印象なのだ。
 そう共感。とにかく共感させられる本だ。この本に後から後から登場するオジサンは、みんな俺ではないか。

 猛獣がたむろするサバンナをおんぼろバスで敵地に応援に向かう連中。
 奥さんが娘さんに「敵」のチームカラーの服を着せると激怒する奴。
 ワールドカップのプレイオフで敗れ涙を流しながら四半時黙り込んでしまう男達。
 愛するクラブの事ならば何でも知っているじいさん
 特別休暇を賭けて猛特訓に励む軍人達
 年長の兄と同じチームで戦う事を目指しありとあらゆる抵抗を試みる幼児
 ベリーダンスもサッカーも真似をして覚えていくものだと語る親父
 雪上サッカーこそ足腰を鍛えるのだと語る研究者

 みんな見事なまでのサッカー狂。そして、それぞれが一流の球蹴りを目指しつつも、叶わなかった夢を己のチームに託し、最も愉しかった頃を遠い目で語っている。文化も宗教も教育も経済状況も全く異なる俺達なのに、どうしてみんな似たような振る舞いをするのだろうか。ある意味でサッカーの本質を考え直させてくれる小著だ。
 以上はサッカー狂向けの話。

 ついでに戯言を。
 本業で異国の方々と一緒に仕事をしている度に感じるのだが、インタネットの発達と国際分業の推進により、世界は本当に小さなものになった。
 昨今の異様な経済不況も、世界が一体化したが故の事態と解釈できる。再三マスコミをにぎわす「合衆国発の経済危機」くらい事態を見誤らせる表現はないと思っている。この不況の主要因が合衆国であるのは間違いないが、日本も中国も中東諸国も欧州各国も相応に関与してのこの事態なのだ。そして、もはや異国との交流なしに我々の生活は成立しない。誰もがある程度の国際感覚を身につけるべき時代になっていると言うのは言い過ぎだろうか。
 本書はそんな時代に格好なの一冊に思える。下手な人文科学者の国際文化論を読むよりも、本書を通して異文化を眺める方が格段に実用的に思うのだが。



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2008年05月05日

(書評)戦後欧米見聞録(近衛文麿著、中公文庫版)

 文庫本で約150ページの小著、今回の連休でじっくりと再読し、昨今の世界情勢にも、日本サッカー界の今後にも、非常に参考になる本なので採り上げたもの。

 近衛文麿と言えば、1次内閣時には盧溝橋事件に始まる日中戦争の泥沼に日本を引き入れ、さらに2次内閣時には仏印進駐、日独伊三国軍事同盟、日ソ中立条約を締結などにより、日米関係を決定的に悪化させ太平洋戦争を導いた首相である。本書はその近衛が20代の折に、第一次大戦後のパリ講和会議に西園寺公望全権特使の秘書として帯同、その後ライン占領地域、英国、米国と外遊を重ねた際の記録である。
 後年の我々から見れば、近衛は首相として考え得る最悪手を次々に行った男である。私自身、本書を読む前は、軍部に引きずられた世界観のない貴族出身の政治家と思っていた。ところが本書において、当時20代半ばの近衛は、第一次大戦終結時の世界観、英仏米3大国の現状と今後、労働運動と社会主義の蔓延と資本家との関係などについて、実に怜悧で的確な分析を行っている。
 中でも、因習にとらわれず発展をしようとしている米国が今後世界最強国になろう事、さらに日米関係を阻害するものとして(当時日本にとって様々な面で対立的関係にあった)支那の的確なプロパガンダ工作(様々な手法による情報公開によるアピール)の指摘など、1920年以降の世界の展開予測を実に正確に行っている(中国の広報戦略に苦しむには、今日の日本も変わりないのだが)。
 そして、そのような的確な分析を若年時に行った政治家が、首相となってその分析と正反対の施策を次々に実施して、日本を破滅に導いていく(その責を1人に押し付ける気はないが、近衛に相当な責があった事を否定する人は少なかろう)。物事を適切に実行していくためには、的確な現状把握は必要条件だが、十分条件ではない事を、如実に示す実例となっている。

 北京五輪を前に、中国と他国の関係はどうしようもない状態に落ち込んでいる。一方でインタネットを軸に世界の平滑化は進み、日本にしても中国にしても、お互いに相手との連携なしでは国民の豊かな生活は望めない状況になっている。日本と中国は、いやいずれの国も、理想と現実の折り合いをつけながら、相互の関係を構築していかなければならない現状において、約90年前に正確に世界情勢を把握し、その後全く正反対の道を歩んでしまった政治家の記録を学ぶ事は多いに意味のある事ではなかろうか。

 サッカー界に限定しても、若き近衛が指摘したように、情報公開を進め、権謀術数に捉われるべきではない、と言う考えは非常に参考になると思う。審判が出来の悪かった時にはそう発表すればよいし、いずれかのクラブのサポータが不適切な行為を行った場合はオープンに処罰を検討すればよい。隣国が国際試合で反則や狼藉の限りを尽くしてきたら、その旨を英語のWEBサイトで公開し問題視するくらい行ったらよいのではないか。情報を公開し発言をオープンにする事こそ、メディアが発達した今日重要ではないかと思うのだが。

 アマゾンによると在庫はない模様だが、2006年に文庫本として再刊されたので入手性は悪くないと思うのだが。興味のある方は是非。

余談
 本書には解説が2本載っている。1つは近衛の秘書官を務めたこともある細川護貞氏(夫人は近衛の娘、2人の間の子が細川護熙元総理大臣)、もう1つは仏文学者の碩学鹿島茂氏。
 近衛が本書の末尾近くで強く主張した今後の日米関係構築への提言
要するに米国及び米国人に対する要訣は、包みかくさず何事もよく語るにあり。希望もこれを語り、不平もまたこれを語る。さすれば排日の妖雲も遂に一掃せらるるの時あるべきこと余の信じて疑はざるところなり
に関して、首相時代の近衛の活動に対する、この2人の評価が対照的なのが興味深い。細川氏が岳父の事を悪くは言いたくない気持ちはわからないでもないのだが。
 まず細川氏
彼が太平洋開戦前自ら米大統領と会見して実情を訴えんとした心境は、正にここに淵源がある。しかも、この事は尚今日的課題であるであろう。
 続いて鹿島氏
 近衛はまさに正論を述べている。
 だが、近衛内閣が、日中戦争の泥沼から抜け出るために実際にやったことは、ここに書かれているのとは正反対の権謀術数だった。すなわち、援蒋ルートの遮断という名目で仏印進駐を行ったが、それが日米関係を決定的に悪化させてしまったのである。
 たしかに、近衛は、開戦直前にルーズベルトとの直接会談を希望したが、「包みかくさず何事もよく語る」と言う態度は、やはり、仏印進駐の前に示すべきではなかったか。ハルノートが出されてしまってからでは遅かったのである。


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2008年04月25日

(書評)股旅フットボール

 本書は日本の事実上の4部リーグ(日本全国を9ブロックに分割した地域リーグ)に所属し、JリーグあるいはJFLを目指しているクラブを全国各地域に訪ね歩いたノンフィクション。上に上がろうとする「理想」と、財政面、強化面の苦闘と言う「現実」のギャップに悩みながらも、前に進もうとしているサッカー人たち(フロント、監督、選手、サポータなど様々な人々)の声を集めている。
 さらに彼らが1つ上のカテゴリのJFLに昇格するための全国地域リーグ決勝大会のレポートが織り込まれる。筆者が指摘する過酷な戦い
この4部から3部への昇格こそが、現在、日本サッカー界では最も狭き門となっている。
を演ずる男達の描写は、勝者と敗者の対比を含め、非常に印象的だ。
 さらに筆者は、これら地方クラブが強化されるにつれ(より優秀な選手を獲得するにつれ)、それまでチームを支えてきたアマチュア選手の場所がなくなって行く現実、昇格に向けての制度上の矛盾(上記の通りにあまりに狭い昇格権、決勝大会1次ラウンドのチーム数のアンバランス、さらにPK戦の矛盾、「レンタル」の異様さなど)など、従来あまり振り返られていなかった現状を、丹念に文章化している。
 例えばこの大事な大会で、カマタマーレ讃岐の中心選手が不在だった事の顛末
では、大事な緒戦でなぜ、小出はベンチ入りもできなかったのだろうか。怪我?それともペナルティ?私の問いに対する土居監督の答えは、ある意味、衝撃的なものであった。
「仕事だったんです。明日は来るんですが...」
は、このクラスのクラブの実情を見事に描写している。

 日本サッカー界は、日本代表チームあるいはJリーグのトップクラブを頂点にしたピラミッド構造をしている。その頂上については、競技場なりテレビなりで、すぐに見る事ができる。一方底辺は、自分なり知人のプレイ、近所の広場や校庭で行われている草サッカーを通じて、触れる事は簡単だ。しかし、頂点と底辺の中間がどうなっているのかを知ることは案外と難しい。本書はその欠落部を勉強するには格好の存在と言えよう。
 サッカーを語り、愉しむ事が好きな方にとっては、間違いなく本書はサッカー界全体を俯瞰する一助となるだろう。

 いわゆるJリーグクラブのサポータの方々にも、本書はお勧めできる。
 以前ベガルタのサポータ仲間と一杯やっている時に「各地にJリーグを目指すクラブが誕生している。それらのクラブが順調に成長すれば、ベガルタが適切な強化に失敗すれば、J1昇格はおろか、より下位のリーグに陥落する事があるかもしれない。」と言う話題で盛り上がった(「盛り下がった」と言うべきか)事がある。そう、Jリーグ百年構想の具体化とは、現状で繁栄しているいくつかのクラブが、今より下位リーグに転落すると言う事なのだ。
 現在のJリーグ準会員5クラブの他にも、本気でJを目指しているクラブが多数本書に登場する。いや、それ以外にも多数のクラブが「将来のJ」を目指している。また本題から外れるが、今日の破綻済みの過密日程を解決するためには、J1を16クラブに減らすのは有力な選択肢だ。とすれば、近い将来J2のチーム数がH&A2回戦もこなせぬ程多数になり、下位に陥落するクラブが登場する日はそう遠くはないはずなのだ。
 と考えると、近い将来の「敵」の実像を把握する事は、各Jリーグクラブのサポータにとっては重要なのではないか。

 いくつか、注文も。
 1つは、もう少し「負の情報」にも突っ込めなかったかと言う事。たとえば本書でも筆者がグルージャ盛岡に取材した後で「フロントの不首尾?による経営問題が発覚し、当時の監督たちが別クラブを立ち上げる事態となっている」との記載がある。本件について、筆者はその章の末尾で簡単に触れたのみだが、このような事態をもう少し深堀りできなかっただろうか。Jリーグ開幕以降の15年、Jを目指したがために財政問題で破綻、解散したクラブの実例は少なくない。筆者ならば、「負の情報」を活字として採り上げる事で、これらの悲劇を将来食い止める一助が可能だったではないか。
 2つ目は、もっと幅のあるクラブについての言及が欲しかったと言う事。例えば、Jを目指していないクラブも掘り下げたらどうだろう。それらとの対比は、上位を目指すクラブの実情をより明らかにするのではないか。もっとも、筆者はサッカー批評38号において、「JFLの門番」と言われるアマチュアの強豪HONDAを採り上げるなど、着実に幅を広げようとしてくれている。

 筆者の今後の活動に期待してきたい。

股旅フットボール―地域リーグから見たJリーグ「百年構想」の光と影股旅フットボール―地域リーグから見たJリーグ「百年構想」の光と影
宇都宮 徹壱
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2008年03月11日

(書評)サッカー批評38号を批評する

 サッカー批評38号が発売になった。何のかの言って、これ程「サッカーについて読ませてくれる」印刷媒体はない。
 もちろん、毎号の常であるが、読み応えのある記事と、そうでない記事が並列されるのは仕方がない。しかし、何が残念かと言えば表紙に書かれていキャッチ。かつて日本を代表する一流選手で、日本代表監督で実績を挙げ、Jリーグでも見事な手腕を発揮した男に対し、意味不明な言辞を弄するのはいかがなものだろうか。もちろん、雑誌である以上「売れる算段」は必要だろう、しかしあの現代表監督を愚弄する表現は、売り上げ増進につながるのだろうか。と、不快感を示したものの、今号は充実した記事が多く、帰りの電車で堪能する事ができた。

 まず、冒頭の小野剛技術委員長のインタビューは非常に読み応えあり。インタビューアの山内雄一氏の鋭い切り込みに、誠実に答える小野氏。オシム爺さんが不運な病魔に倒れた直後から、岡田監督選考への経緯が丁寧に引き出され、読んで面白いだけでなく、(爺さんが倒れた2ヶ月半後にはワールドカップ予選を迎えなければならない)切迫感も伝わってくる。
 また勉強になったのは、キリンが日本サッカーのスポンサになる事を推進した「黒幕」(と言っても、サッカー好きの元キリン社員の方)の記事。このような内幕モノは、読んでいても「どこまでが真実なのか」と言うあたりがどうしても気になるが、木村元彦氏独特の読みやすい文章に引き込まれる。私自身、この「黒幕」氏の事は全く知らなかったので勉強になった。
 ミカミカンタ氏と言う方が書いた、レッズ及び日本協会のACL対応のスタッフ達の記事も見事だった。レッズのアジア制覇は、レッズ自身の周到な準備と、日本協会の協力が奏功したとよく言われるが、それを丹念かつ具体的に引き出している。もちろん、レッズに協力するフロンターレ関係者も登場する。特にサポータを含めた大量のビザ発行に対して、各国の対応の鈍さに苛立つ日本協会スタッフから「もしかしたら日本が非常識なのかもしれない」と言う発言を引き出しているのが見事なものだ。
 加部究氏の連載「海を越えてきたフットボーラー」のお題は「ビタヤ・ラオハックル」。ヤンマーと松下でJSLのスターとしても活躍し、ブンデスリーガでのプレイ経験もある、タイ代表のスーパースター。今はガイナーレ鳥取で指揮を取っているのは、知らなかった。日本に来る事になった経緯、ドイツでの苦闘、奥寺との交流、タイ代表がアジアで勝ち切れぬ事への冷静な分析と忸怩たる思い。これらをじっくりと愉しむ事ができた。
 
 そして今号のハイライトは、三村高之氏による「アルゼンチンの審判事情を追う」。これは面白い。いきなり
コリーナも、南米では上手いレフェリングができなかった
と言うインパクトのある文初で始まるこの小文は、日本とアルゼンチンの差を審判のレベルから見直そうと言う狙いが感じられる。日本が全ての草サッカーを「公式審判」でさばかせるために「審判の層」を分厚くする事を狙っているのに対し、アルゼンチンは「少数精鋭」でトップレベルの審判育成のみを考えた体制である事。さらには、アルゼンチン協会直下に複数の「審判組合」が存在する事、時に副審不在で主審だけで大会もある事など、各ランクの審判の収入の程度など、興味深い話題が続々。そして結びに、マスコミがアルゼンチン風に審判をしっかりと批判すべきではないかとの提案も。ちょっとゼロックスでの家本氏批判を思い出したりして。

サッカー批評 issue38―季刊 (38) (双葉社スーパームック)
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posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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