本書は、複数の日本代表試合の映像を、5人のイタリアのトップクラスのコーチ達に見せ、忌憚のない意見、批評、賞賛をまとめた構成。編集の主眼はイタリアのコーチらしく、多くは日本代表の守備、特に個人の守備戦術に着目し、(残念ながら)その拙さへの批判が主となっている。著者の宮崎隆司氏は、イタリア在住、幾度かサッカー批評などの媒体で作品を目にした事があったが、まとまった書物として読むのは、私にとっては初めてとなる。
これは、内容がありとてもおもしろい本だ。従来、的確に日本語化される事が難しかった「守備戦術」について、日本代表を実例に丁寧で妥当な分析がなされているからだ。
正直言って、最初本書のタイトルを見た時は、巷にあふれる「凡百な岡田批判本」だと思い、手に取ろうとすらしなかった。けれども、信頼できる友人が高く評価しているのを聞き、本屋でパラパラとめくってみると、そのおもしろさに引き込まれて、すぐに購入を決断した次第。特に「日本代表の守備の失敗」の分析描写が具体的なのには感心した。
具体的によく指摘されているのは、マイボール時の位置取りの修正不足、守備の際の相互の距離感覚の悪さ、ゴールから遠い場所での追い過ぎなど。さすがに我らの代表選手の課題を執拗に指摘されると、落ち込むけれど、(そして、それらの批判の全てを受けいれる必要はないのだろうが)多くの指摘は的を射ているように思えた。
たとえば、08年10月の埼玉ウズベク戦の失点(敵の縦パスを、闘莉王が無謀なジャンプボレーでクリアしようとして失敗、そこから攻め込まれて先制点を奪われた場面)の、「その前」の分析が秀逸。この試合の分析を担当したレンツォ・ウリビエリ氏(イタリア協会の監督協会会長、中田のパルマ時代の監督)は、「その前」の日本守備の失敗を、事細かに分析している。私はこの場面、闘莉王のミスがあまりに劇的で(かつ見ていて笑える失敗だったので)、つい「その前」を忘れていた。けれども、確かに闘莉王が「飛ぶ」前に、「せっかくうまくボールを回してよい時間帯になったのに、中盤の守備が甘い!」文句を言っていたのを思い出した。確かにあの場面はまずかったが、そのまずさが実に見事に分析されている。
その他にも、再三「もっと几帳面に守ってくれたらよいのに」「どうして、そんなに慌てるのだ」と記憶している場面の多くが、怜悧に切り出されている。
もちろん、この手の文章に付き物の「あの解釈は違うのではないか」と言う分析もない訳ではない。たとえば、上記同じ試合の日本の同点弾(左サイドから俊輔の好クロスを、すばらしい飛び出しで抜け出した大久保が折り返し、玉田が決めた得点)のウリビエリ氏の分析。氏は大久保をマークしていたウズベクのDFハサノフが、大久保を見失った事について「信じ難い守備の綻びだ」と酷評している。しかし、俊輔がルックアップする直前に、大久保が見事な陽動動作で当のハサノフを振り切ったのを現地で見ていた私としては、この氏の分析には異を唱えたくなった。
もっとも、サッカーは常に相対的なもの。氏が述べるようにハサノフが「ヨーロッパのトップレベル」だったならば、大久保の陽動動作には引っかからなかったかもしれない。むしろ、このような相対比較もサッカーを見て語る上ではもっともおもしろいところでもある。
例として採り上げたのはウリビエリ氏の分析だが、他4名の監督連もいずれおとらず、日本代表を厳し批評している。
ウリビエリ氏は
言葉にするとすれば、それは下地ということになるだろうか。すなわち、基本だ。この基本的なことを、おそらく日本の選手たちはユースの時代から正しく積み重ねてこなかったのではないだろうか。この試合の中で数多く見られた初歩的なミスを見る限り、そう考えざるを得ない。と、心底落ち込むようなコメントを述べている。氏の指摘を受け入れれば、(特に)守備における守備の修正能力は、「現状の日本代表選手には身に付かない」事になってしまう。
サッカーとは、秒単位で局面が変わるスポーツであり、だからこそ瞬時の判断が連続して求められる。そして、その判断を半ば本能に委ねた結果がポジショニングなのだから、それを若い頃から培っていないとすれば、また次の試合でも同じようなミスを繰り返してしまうのではないだろうか
そう言われても、私は南アフリカの日本代表に期待したい。98年や02年のワールドカップで、日本は相応の守備を見せる事ができた(それがウリビエリ氏から合格点をもらえるのかどうかは興味があるところだが)。南アフリカで、各選手がしっかりと体調をととのえ、徹底した几帳面さを持ってプレイし、そして岡田氏が適切にバランスをとる指導を行えば、必ずや他国を悩ませる守備網を築けると信じている。常々語っているが、ワールドカップで勝ち抜こうと言うならばまず守備なのだ。そう言う見地からすれば、私はウリビエリ氏の予測が外れる事を望んでいる。
けれども、一般論として日本選手の個人守備戦術に課題がある事は間違いないだろう。実際、(特に守備における)個人戦術を、若年時にどのように育成すべきかについては、日本国内で明確な指導基準はあまりなかったように思う。そして、本書でイタリアの監督たちが述べているのは、その問題解決の一助となるものである可能性は高い。そう言う意味では、本書の主題は、書名の「岡田ジャパン」ではなく「日本サッカー界」への提言と捉えるべきであろう。そう言う意味では、切り口を南アフリカにとどめるのではなく、今後の日本サッカーと言うところに持って行って欲しかった。
もちろん、本書の提案が、完全に正しいとか、この考え方を取り入れれば日本サッカーがすぐに向上すると発想すると、断言はできないし、危険である。ただし、従来日本で行われていた指導の考え方とは一戦を画すものであり、世界屈指のサッカー強国、それも守備力の強さでは定評のあるイタリアの複数の指導者が主張する考えだけに、傾聴に値するのは間違いないだろう。
逆に言えば、これだけ具体的に日本サッカーの課題を述べ、その改善案をある程度提案しているだけに、「単なる現状の代表チームあるいは監督批判」と思われる書名は、少々残念にも思える。この書名を読んだだけで、指導畑の方には敬遠されるおそれもあると思う。もっとも、出版サイドは「この書名の方が売れる」と判断しての事だろうし、実際たくさん売れればそれだけ本書の提案が世に定着する訳だから、このあたりは難しいところだ。
個人的に、日本国内で発刊されたサッカー戦術の本では、以下2作が白眉のものと考えている。1つは74年に出版された「サッカー戦術とチームワーク