1位 森保監督の迷走
アジアカップの準優勝は高く評価されるべきだろう。大会前および大会中に、次々と中盤後方の選手に負傷者が相次ぐ不運を乗り越え、リアリズムに徹した采配で着々と勝ち進んだ。またワールドカップ予選も丹念に勝ち点を積み上げたのも大したものだ。冨安健洋、南野拓実、中嶋翔也、堂安律、伊東純也、橋本健斗らを、代表選手として確立したのも褒められてよいだろう。
しかし、1年を振り返ってみると、2019年は「森保監督により代表ブランドが大きく毀損された」年として、記憶されるのではないか。先日の東アジア選手権韓国戦のように、森保氏の真剣に勝とうとしない姿勢、いや勝とうとしないことを隠さない態度は、将来に渡る痛恨となるかもしれない。
さらに感心しないのは五輪代表の準備不足。未だチームの骨格は不明確なまま、いたずらに時間が経っている。冨安、堂安、久保建英と言ったレギュラ候補本命が欧州でプレイしており、準備試合への招集が困難。さらに、オーバエージも検討するとなると、通常集められる選手の多くは定位置確保が困難と言うことになってしまう。加えて、五輪代表強化の常となるが、10代後半から20代前半の選手は、いつ伸びてくるか、いつ停滞するかは、非常に読みづらい。しかも、地元開催で予選を有効に強化にも使えない。この東京五輪への準備は相当厄介なのだ。
厄介なことは自明なのだが、森保氏はテストばかりを繰り返す。おそらく、7月の本番では、我々はぶっつけ本番で未完成のチームを見ることになるのだろう。
まあ、所詮五輪だ。ワールドカップとは異なる。むしろ、その程度の大会なのだから、準備不足を嘆く必要もないのだけれども。そして、肝心のアジアカップでそこそこの成績を収め、ワールドカップ予選の勝点獲得は完璧。森保氏は、最重要事項は外してないのですね。にも、かかわらず、上記の通り代表ブランドの毀損、五輪代表の準備不足と文句を言われる。いや、文句を言っているのは俺だな。うん、代表監督とはつらい稼業である。
本件は別に講釈を垂れたいと思います。
2位 若年層選手の欧州流出
五輪代表の強化が厄介になっているのは、多くの五輪世代の若手が、欧州に流出しているためでもある。冨安、堂安、久保らJ1や日本代表で相応の実績を残した選手たちだけではなく、国内で僅かな実績しかない選手が多く欧州クラブに活躍の場を求めている。
確かに、世界のトップレベルのメガクラブまで駆け上がろうと言うからには、20代前半でそれに次ぐクラブまでランクアップしておきたいところだ。そうだとすれば、10代のうちに、オランダ、ベルギー、ポルトガルと言った国のリーグ戦で活躍したい、と言う彼らの思いはよく理解できる。
そう言った若手選手の流出が続いても、Jリーグでは充実したサッカーを楽しめるし、次々と前途有為な若手選手が台頭している。結構な時代だと喜んでよいのだろう。
3位 マリノス久々にJ制覇
マリノスが久々にJリーグを制覇した。マンチェスターシティとの出資関係がスタートしておよそ5年が経過し、ポステコグルー氏が作り込んだ組織的な攻守が光輝いた。喜田拓也.、仲川輝人、畠中槙之輔と言ったタレントの成長も、氏の指導の賜物だろう。チアゴ・マルチンス、マルコ・ジュニオール、エリキら、外国人選手獲得の巧みさ。リーグ終盤の組織的な攻守は出色のもの、18年度シーズンまでのプレスの第一波をかわして薄い守備ラインを狙われる状況だったのが徐々に改善され、完成したと言えるのだろう。積極的補強に走るこのオフだが、来期のACLでどこまで勝ち進めるか。
FC東京は長谷川監督が各選手に徹底した守備意識を植え付け、林彰洋、森重真人、橋本健斗を軸にした堅固な守備を軸に、優勝まであと一歩までに迫った。ラグビーワールドカップの影響で長期に渡りホームグラウンドが使えない不運も痛かった。
優勝候補と目されたアントラーズは中心選手の海外流出を埋め切れず、フロンターレは集め過ぎた選手の交通整理が不調となり、それぞれ終盤失速。勝ちづづけることの難しさを感じるシーズンだった。
4位 女子ワールドカップでの得点力不足
女子代表は、見事なサッカーを見せながら、結局決勝進出を果たすオランダに極めて不運な敗戦を喫した。
オランダ戦、同点で迎えた後半、日本はいかにもなでしこジャパンと言う揺さぶりから幾度も決定機をつかみながら、どうしても得点できず、終了間際に食らったPKで敗れ去った。まあ、サッカーなのだから不運は付き物なのだが。あれだけシュートが入らない試合を演じると、なでしこリーグの連続得点王田中美南を高倉監督が選考しなかったことは、批判されるべきに思うのだが。
5位 レッズのACL準優勝と日程問題
レッズは粘り強くACLを戦い、決勝までたどり着いた。決勝のアル・ヒラルは相当充実した戦闘能力を誇り、一方レッズイレブンには疲弊が目立ち、敗戦はやむなし感が漂った。
とは言え、今シーズン終盤の日程は気の毒としか言いようがないもの。レッズだけは平日にJを消化する印象すらあった。大槻監督は、ACLにフォーカスした選手起用をしていたが、今のJリーグの戦力均衡も相当だから、ジリジリと順位を下げていただけに、リーグを完全に手抜きするわけにも行かなかったのもつらいところだった。
結局のところ、ここ10年来日本サッカーの日程が破綻している犠牲者とも言える。来シーズン以降も、ACLで勝ち進んだクラブは、よほど巧みにターンオーバを使わないと、Jリーグを含めて非常に厳しい日程に悩むことになろう。
毎年毎年指摘していることだが、J1チームの削減、天皇杯2年越し開催など、抜本策を講じる必要があるのだ。年またぎシーズン制など夢にも実現できないことを考えている余裕はないはずだ。
6位 レッズ対ベルマーレ、誤審騒動
5月17日、J1レッズ対ベルマーレで、ベルマーレの明らかな得点を審判団が見落とすと言う誤審騒動があった。本件そのものは、ベルマーレと審判団には極めて不運な事件だったわけだが、サッカーのルールや考え方が、時代の流れについていけてないことを示すものとなった。観客の多くが手元のスマホで映像確認ができる時代。ある意味で、プレイしている選手たちと審判団のみが真実を確認することなく試合が進んでいるわけだ。
少なくともこの誤審は、ゴールラインテクノロジが導入されていれば防げていたわけで、私のような年寄りには、中々なじみづらいことになってきたと思う。
一方でトップレベルの試合では、VAR導入が進んでいる。ところが、コパ・アメリカの日本対ウルグアイでのカバーニのように、それを悪用するダイビングを見せる選手が出てくる。また、判定をVARに任せ副審がオフサイドを認識しても旗を上げないやり方も出てきているため、U20ワールドカップの韓国戦の日本の幻の得点のように、明らかなオフサイドなのに妙なぬか喜びで試合の流れが阻害される事態も生まれている。ゴールラインテクノロジは、審判の目を補完する技術だが、VARはサッカーそのものの魅力を減らすリスクもあるはずだ。FIFAも一度踏みとどまって考えて欲しいのですけれども。
7位 ゙貴裁監督パワハラ問題
そのベルマーレを長年率いてきだ貴裁監督がパワーハラスメントで処罰をされ、監督退任を余儀なくされた。
スポーツの世界は、どうしても旧態依然の徒弟制的な閉じた社会が作られがち。そこに透明性や客観性を持ち込む必要がある。類似の事態の再発をいかに防ぐか、日本サッカー協会が力を入れるべきは、このような事件への対応だ。
8位 J1、J2入替戦の制度矛盾
上記パワハラ問題で、非常に苦しい戦いを余儀なくされたベルマーレは、浮嶋監督の下、苦労を重ねてJ1残留を果たした。
一方で、ベルマーレが残留を決めた入替戦のレギュレーションが話題となった。4チームでのトーナメントを勝ち抜いたJ2クラブを、J1クラブがホームで待ち構え、引き分けでっ残留する。さすがにJ1クラブが有利すぎると議論となった(ベルマーレは、元々決まっていたレギュレーションで残留を決めのだから、何も恥じる必要がないのは言うまでもない)。
元々J2クラブの3位から6位までが参画できる制度も、上位クラブの優位が損なわれると言う指摘と、多くのクラブが昇格の可能性を持ちリーグが活性化すると言う反論で、議論の余地がある。
個人的には流動性の増加(落ちてもすぐ戻れる)が考慮され、下位リーグに落ちてもクラブ経営が安定しない制度が望ましいと思うのだが。
9位 大分トリニータの快進撃
J1に復帰した大分トリニータが、現代的なパスワークを武器とする美しいサッカーで上位を伺ったのはすばらしい成果だった。片野坂監督の見事な手腕は、大いに称えられるべきだろう。
トリニータと言うクラブの、2008年の現ルヴァンカップ制覇から翌09年シーズンの事実上の経営破綻に端を発する数奇なドラマ。この10年間にJ1昇格、J3降格を含めた上下動を蹴権。そして、通算3度目のJ1昇格後のこの見事な成績。
せっかくのすばらしいチームに対して、金満ヴィッセルによるエースストライカの藤本憲明強奪(敢えて下品な表現をとりました)など、見事なドラマに敵役が登場したのも触れておきたい。
10位 梁勇基、ベガルタを離れる
こちらに思いを書きました。在日コリアンの無名選手が、仙台と言う地方中核都市の、比較的歴史の浅いクラブに加入し、16年の長きに渡りにチームの中核を担う。そして、ACLにチームを導き、祖国代表選手として日本代表にも立ち塞がった。これはこれで、日本サッカーの歴史を彩る美しいドラマである。その梁勇基が、ベガルタを去る。
ベガルタサポータとして、胸が張り裂けそうな思いにもとらわれるが、梁と共に戦った美しい16年を誇りに思う。
2019年12月31日
2019年ベストイレブン
恒例のベストイレブンです。日本代表については、アジアカップ準優勝の成果があり、またワールドカップ予選は敵地の難しい試合が多いにもかかわらず全勝で終えることができた年でした。しかし、10大ニュースでクドクドと講釈を垂れますが、その後の森保氏の采配振りは、多くの試合で手抜きが目立ち、結果的に日本代表ブランドが毀損された年となった感があります。そんな状況下で選んだベストイレブンです。
GK権田修一
アジアカップでも上々のプレイ振りだったが、何よりワールドカップ予選、敵地のタジキスタン戦、キルギス戦の前半の、決定的ピンチを落ち着いたプレイでしのいだのは見事だった。中々自クラブでは出場機会に恵まれていないとのこと、何とかこの状況を打開して欲しいところだが。
DF酒井宏樹
ワールドクラスのFWを押さえきる守備能力と、若い頃から格段の右クロス。現在、欧州で最も高い評価を受けている日本人選手ではないか。そして、日本代表でも常に安定したプレイ、22年大会まで中心選手として君臨してくれることを期待したい。
DF森重真人
FC東京の守備の強さの源泉。元々の読みのよさに加え、周囲の選手の使い方と知的な位置取りが一段と上昇した感がある。パートナの張賢秀が、サウジのアル・ヒラルに移籍した後も、若い渡辺剛と協力なCBを組んだあたりはさすが。
DF冨安健洋
ボローニャでも、当たり前のようにトップレベルの守備を披露。サイドバックでプレイする映像を幾度か見たが、縦に高速で持ち上がり精度の高いクロスを入れるなど、この初めてのポジションをしっかりこなしているのには恐れ入った。ただ、コパアメリカのウルグアイ戦でヒメネスにヘディングシュートを決められたのは反省してください。
DF丸橋祐介
若い頃から定評ある攻撃参加に加えて、自領域に進出してくる敵FWを押さえるのが格段にうまくなってきた。元々、90分間戦う姿勢は皆が尊敬するところ。年齢的に日本代表としてはちょっと厳しいかもしれないが、一度見てみたい。
MF喜田拓也.
J1制覇したマリノスの主将。リーダシップ、精神的な安定度、献身的なプレイ、正に大黒柱と言ってよい活躍だった。優勝後のスピーチも見事でしたけれど。このポジションの選手としては小柄で日本代表としては厳しいかもしれないが、一度見てみたい。
MF橋本拳人
FC東京の躍進を中盤で支えた立役者。気の利いた位置取りで敵の攻撃を止め、少々常識的だが的確にボールを散らす。180cm超のサイズも魅力的で、日本代表でも定位置をつかみつつある。
MF山口蛍
豊富な運動量と球際の強さは、いつどこでも頼りになる存在。アジアカップも蛍がいれば、もっと何とかなったのではないかと思うのだが。ヴィッセルではいわゆるインサイドMFで前線にも飛び出す戦略的な動きで天皇杯決勝進出にも貢献した。
FW仲川輝人
自分の間合いでボールを持てば絶品のドリブルに、知的な位置取りでの巧みなボールの受けと、シュートへのボールの置き方が格段に上達。気が付いてみたら、日本最高クラスのFWとなっていた。問題は森保氏が、この異才をうまく活かせるかどうかなのだが。
FW南野拓実
日本代表では、常に強い意志で攻撃の中核となり、実に頼もしい存在となった。グラウンドコンディションの悪い中央アジアのアウェイゲームでも、冷静かつ強気にチームを引っ張り、22年大会のエースの座を獲得した感もある。リバプールで超強力3トップに挑むことになる。
FW永井謙佑
最前線に位置取りし、日本人に珍しい10m単位の距離を高速で走ることのできる異能を活かせば、敵DFから見て非常に厄介な存在なのは、7年前のロンドン五輪の時からわかっていたこと。それなのに、サイドで起用されるなど不遇の時代もあったが、ここに来てFC東京でも日本代表でも、得意のポジションで起用され輝いている。
GK権田修一
アジアカップでも上々のプレイ振りだったが、何よりワールドカップ予選、敵地のタジキスタン戦、キルギス戦の前半の、決定的ピンチを落ち着いたプレイでしのいだのは見事だった。中々自クラブでは出場機会に恵まれていないとのこと、何とかこの状況を打開して欲しいところだが。
DF酒井宏樹
ワールドクラスのFWを押さえきる守備能力と、若い頃から格段の右クロス。現在、欧州で最も高い評価を受けている日本人選手ではないか。そして、日本代表でも常に安定したプレイ、22年大会まで中心選手として君臨してくれることを期待したい。
DF森重真人
FC東京の守備の強さの源泉。元々の読みのよさに加え、周囲の選手の使い方と知的な位置取りが一段と上昇した感がある。パートナの張賢秀が、サウジのアル・ヒラルに移籍した後も、若い渡辺剛と協力なCBを組んだあたりはさすが。
DF冨安健洋
ボローニャでも、当たり前のようにトップレベルの守備を披露。サイドバックでプレイする映像を幾度か見たが、縦に高速で持ち上がり精度の高いクロスを入れるなど、この初めてのポジションをしっかりこなしているのには恐れ入った。ただ、コパアメリカのウルグアイ戦でヒメネスにヘディングシュートを決められたのは反省してください。
DF丸橋祐介
若い頃から定評ある攻撃参加に加えて、自領域に進出してくる敵FWを押さえるのが格段にうまくなってきた。元々、90分間戦う姿勢は皆が尊敬するところ。年齢的に日本代表としてはちょっと厳しいかもしれないが、一度見てみたい。
MF喜田拓也.
J1制覇したマリノスの主将。リーダシップ、精神的な安定度、献身的なプレイ、正に大黒柱と言ってよい活躍だった。優勝後のスピーチも見事でしたけれど。このポジションの選手としては小柄で日本代表としては厳しいかもしれないが、一度見てみたい。
MF橋本拳人
FC東京の躍進を中盤で支えた立役者。気の利いた位置取りで敵の攻撃を止め、少々常識的だが的確にボールを散らす。180cm超のサイズも魅力的で、日本代表でも定位置をつかみつつある。
MF山口蛍
豊富な運動量と球際の強さは、いつどこでも頼りになる存在。アジアカップも蛍がいれば、もっと何とかなったのではないかと思うのだが。ヴィッセルではいわゆるインサイドMFで前線にも飛び出す戦略的な動きで天皇杯決勝進出にも貢献した。
FW仲川輝人
自分の間合いでボールを持てば絶品のドリブルに、知的な位置取りでの巧みなボールの受けと、シュートへのボールの置き方が格段に上達。気が付いてみたら、日本最高クラスのFWとなっていた。問題は森保氏が、この異才をうまく活かせるかどうかなのだが。
FW南野拓実
日本代表では、常に強い意志で攻撃の中核となり、実に頼もしい存在となった。グラウンドコンディションの悪い中央アジアのアウェイゲームでも、冷静かつ強気にチームを引っ張り、22年大会のエースの座を獲得した感もある。リバプールで超強力3トップに挑むことになる。
FW永井謙佑
最前線に位置取りし、日本人に珍しい10m単位の距離を高速で走ることのできる異能を活かせば、敵DFから見て非常に厄介な存在なのは、7年前のロンドン五輪の時からわかっていたこと。それなのに、サイドで起用されるなど不遇の時代もあったが、ここに来てFC東京でも日本代表でも、得意のポジションで起用され輝いている。
梁勇基との別離
ベガルタが、梁勇基との契約の満了を発表、レジェンド中のレジェンドが、我がクラブを去ることとなった。
いつか別離の日が来るのはわかっていた。そして、その日が少しずつ近づいているのは、最近の梁勇基のプレイを見ていれば、わかっていたことだ。残念ながら、最近の梁のプレイは、明らかに肉体的な衰えを感じさせるものだったのだから。
今シーズン、ホーム最終戦の大分戦、2対0で迎えた88分、事実上勝利とJ1残留が近づいていた時間帯、梁は約3ヶ月振りに起用された。さらに翌週、J1残留が確定したリーグ最終戦の敵地広島戦、約5か月振りにスタメンで登場した。何かしら、最後の挨拶感が漂っていた。繰り返すが、その日が近づいていることはわかっていたのだ。
そして、最終戦から3週間後、冒頭の契約満了が発表された。
どんな特別な選手でも、いつかスパイクを脱ぐか、契約が折り合わなくなる日が来る。
そして、今回の梁との別離は後者にあたる。「自分は現役としてプロサッカー選手の継続を望み、ベガルタが選手としての契約継続を望まなかった」と梁が明言しているのだ。
これでよかったのだ、と理屈では理解している。けれども、物事は理屈で捉えられるものではない。ユアテックスタジアムで、ベガルタゴールドを身にまとった梁の雄姿を見ることができない。そう考えるだけで、空虚感に胸が張り裂けそうになる。
梁のことは幾度も書いてきた。例えばこれなのだが。そこで書いた梁の特長を抜粋したい。
そして、ベガルタはこの全盛期の梁のリードの下、2011、12年と連続して上位進出に成功し、遂には13年シーズンのACLにも歩を進めることができた。当時、梁は29歳から31歳。正に全盛期だった。
Jリーグの歴史を振り返っても、日本リーグ時代の基盤がほとんどないクラブが、ACLに進出したのは、この13年シーズンのベガルタを除けば、日本屈指のサッカーどころをホームとする清水エスパルスと、豊富なスポンサを抱え潤沢な経営資金を持つFC東京のみ。この時のベガルタの成果が、日本サッカー史においても屈指なものであることは言うまでもない。そして、その偉業の中心が、正に梁勇基だったのだ。
もう1つ。梁は私たちに素敵な思い出を残してくれた。北朝鮮代表選手として、そう、梁は敵として、我々に恐怖味わわせてくれたのだ。2011年9月2日は、50年近い私のサポータ歴でも忘れ難い日だ。埼玉スタジアムに北朝鮮を迎えたワールドカップ予選、梁は我々の前に立ち塞がった。いつも私に最高の歓喜を提供してくれている梁が、自陣に向けて前進し、ミドルシュートを放ち、CKで蹴り込んでくる。人生最高の恐怖感だったかもしれない。
いいですか。レッズサポータは福田正博の恐怖を、ガンバサポータは(完成後の)遠藤保仁の恐怖を、フロンターレサポータの皆さんは中村憲剛の恐怖を、それぞれ味わう事はできません。俺たちベガルタサポータだけが、自らの王様が提供する恐怖を感じることができたのだ。
ベガルタは1994年に、前身の東北電力からプロを指向したクラブに転身した。90年代は、あまり愉快とは言い難い時代が続いたが、清水秀彦氏が監督に就任し見事な丁々発止でJ1に昇格し、02、03年はJ1で戦うことができた。しかし、自転車操業には限界がある、ベガルタは2シーズンしか、J1の地位を保つことができなかった。
梁はJ2に降格した04年にベガルタに加入した。6年間のJ2生活、ベガルタは紆余曲折を経ながら、梁を軸にしたチームを作りでJ1再昇格を決めた。そして、気が付いてみたら、ベガルタも梁もその後10年間J1でプレイしたことになる。
この10シーズンの間、ベガルタは手倉森氏と渡邉氏の采配で戦ってきた(短期的にアーノルド氏の時代があったけれど)。サッカーのやり方には、シーズンごとに違いはあるが、よい時のベガルタは、いずれの選手も生真面目に戦い、丁寧にプレイし、位置取りの修正を繰り返し、最後まであきらめない。このような戦い振りは、梁のプレイそのものだ。繰り返そう。25周年を迎えるクラブの歴史の中、梁はその後半16年ベガルタに在籍した。そして、気が付いてみたら、ベガルタと言うクラブの戦い振りそのものが、この梁と言うスタア選手のプレイ振りと一致している。梁はベガルタと共に成長し、ベガルタもまた梁と共に成長したのだ。
その梁イズムは、ベガルタのトップチームにとどまらない。先日、あと一歩でプレミアリーグ入りを逃したベガルタユースの戦い振りは心打たれるものがあった。先日、全日本U-12選手権でベスト4に進出したベガルタジュニアの戦い振りは堂々たるものだった。いずれも各選手が知性と技巧と献身の限りを尽くして戦ってくれていた。梁がベガルタと共に築き上げてきた梁イズムは、若年層にまで引き継がれているのだ。
以前、在日コリアンである慎武宏氏の「祖国と母国とフットボール」と言う本の書評を書いたことがある。その中で梁は以下のように述べてくれいた。
いつか別離の日が来るのはわかっていた。そして、その日が少しずつ近づいているのは、最近の梁勇基のプレイを見ていれば、わかっていたことだ。残念ながら、最近の梁のプレイは、明らかに肉体的な衰えを感じさせるものだったのだから。
今シーズン、ホーム最終戦の大分戦、2対0で迎えた88分、事実上勝利とJ1残留が近づいていた時間帯、梁は約3ヶ月振りに起用された。さらに翌週、J1残留が確定したリーグ最終戦の敵地広島戦、約5か月振りにスタメンで登場した。何かしら、最後の挨拶感が漂っていた。繰り返すが、その日が近づいていることはわかっていたのだ。
そして、最終戦から3週間後、冒頭の契約満了が発表された。
どんな特別な選手でも、いつかスパイクを脱ぐか、契約が折り合わなくなる日が来る。
そして、今回の梁との別離は後者にあたる。「自分は現役としてプロサッカー選手の継続を望み、ベガルタが選手としての契約継続を望まなかった」と梁が明言しているのだ。
ベガルタからはありがたいお話もいただいたのですが、選手としてチャレンジしたいという思いが強く、このような形になりました。私は、この別離を素直に受け入れたいと思っている。ベガルタは、必ずしも潤沢とは言えない懐事情のクラブだ。そして、来シーズンの梁については、(格段の実績と貢献はあるものの)高額の年俸の価値がないと判断し、それを明確に伝えたわけだ。その正直な態度こそ、このベガルタ仙台クラブ史上最高のタレントへの誠意と言うものだろう。それに対し、現役続行を望んだのも、いかにも梁らしいと思う。これでよかったのだ。
これでよかったのだ、と理屈では理解している。けれども、物事は理屈で捉えられるものではない。ユアテックスタジアムで、ベガルタゴールドを身にまとった梁の雄姿を見ることができない。そう考えるだけで、空虚感に胸が張り裂けそうになる。
梁のことは幾度も書いてきた。例えばこれなのだが。そこで書いた梁の特長を抜粋したい。
梁の武器は、精度の高いプレースキック、豊富な運動量な事はよく知られている。けれども、いわゆるドリブルで敵を抜き去るような、瞬間的な速さは持っていない。だから、攻撃的MFとしての梁のプレイは常にシンプル。まじめに守備をして、マイボールになった時に素早く切り換え、速攻の起点となる。ハーフウェイライン前後でボールを受けてドリブルで前進したり、早々に敵DFの隙を見つけて裏を狙い後方からのロングボールを引き出したり。重要なのは、動きの質のよさと、ボールを受ける際のトラップの大きさと方向の適切さ。大向こう受けをするような派手な技巧はないが、プレイにミスが非常に少ない。これは丹念な反復練習の積み重ねと、しっかりとした集中力の賜物だろう。それが、そのまま、セットプレイの精度にもつながっている。豊富に動き、適切に位置取りしてよい体勢でボールを受け、丁寧にボールを扱い、最善の選択をして展開する。また往時には、決してスピードは格段ではないが、得意の間合いのドリブルで左サイドから敵ペナルティエリアに進出し、振りが早くて正確なインサイドキックで流し込むシュートが猛威を振るったのも忘れ難い。もちろん、セットプレイの正確さも言うまでもない、直接FKのみならず、精度の高いCKで、歓喜を幾度味わえたことか。まとめて語れば、サッカーの基本をただただひたすらに、的確に実現するのが梁の真骨頂だった。
ところが今期、特に夏場のチーム全体の不振を抜けた後の梁は、さらに一皮むけてくれた。それは、プレイの選択が実に適切になったのだ。前に飛び出すか、後方に引くべきかの、ボールの受けの位置の選択。ドリブルで前進するか、前線の赤嶺あたりに当てるべきかの選択。同サイドで突破を狙うか、逆サイドを使うかの選択。強引に速攻を狙うか、無理せず散らすべきかの選択。これらの選択が、格段に向上してきた。だから、ベガルタの速攻は(いや遅攻もですが)、格段に精度が向上してきた。言わば、梁は今期半ばあたりから、フィールド全体の俯瞰力が格段に向上してきたように思うのだ。
そして、ベガルタはこの全盛期の梁のリードの下、2011、12年と連続して上位進出に成功し、遂には13年シーズンのACLにも歩を進めることができた。当時、梁は29歳から31歳。正に全盛期だった。
Jリーグの歴史を振り返っても、日本リーグ時代の基盤がほとんどないクラブが、ACLに進出したのは、この13年シーズンのベガルタを除けば、日本屈指のサッカーどころをホームとする清水エスパルスと、豊富なスポンサを抱え潤沢な経営資金を持つFC東京のみ。この時のベガルタの成果が、日本サッカー史においても屈指なものであることは言うまでもない。そして、その偉業の中心が、正に梁勇基だったのだ。
もう1つ。梁は私たちに素敵な思い出を残してくれた。北朝鮮代表選手として、そう、梁は敵として、我々に恐怖味わわせてくれたのだ。2011年9月2日は、50年近い私のサポータ歴でも忘れ難い日だ。埼玉スタジアムに北朝鮮を迎えたワールドカップ予選、梁は我々の前に立ち塞がった。いつも私に最高の歓喜を提供してくれている梁が、自陣に向けて前進し、ミドルシュートを放ち、CKで蹴り込んでくる。人生最高の恐怖感だったかもしれない。
いいですか。レッズサポータは福田正博の恐怖を、ガンバサポータは(完成後の)遠藤保仁の恐怖を、フロンターレサポータの皆さんは中村憲剛の恐怖を、それぞれ味わう事はできません。俺たちベガルタサポータだけが、自らの王様が提供する恐怖を感じることができたのだ。
ベガルタは1994年に、前身の東北電力からプロを指向したクラブに転身した。90年代は、あまり愉快とは言い難い時代が続いたが、清水秀彦氏が監督に就任し見事な丁々発止でJ1に昇格し、02、03年はJ1で戦うことができた。しかし、自転車操業には限界がある、ベガルタは2シーズンしか、J1の地位を保つことができなかった。
梁はJ2に降格した04年にベガルタに加入した。6年間のJ2生活、ベガルタは紆余曲折を経ながら、梁を軸にしたチームを作りでJ1再昇格を決めた。そして、気が付いてみたら、ベガルタも梁もその後10年間J1でプレイしたことになる。
この10シーズンの間、ベガルタは手倉森氏と渡邉氏の采配で戦ってきた(短期的にアーノルド氏の時代があったけれど)。サッカーのやり方には、シーズンごとに違いはあるが、よい時のベガルタは、いずれの選手も生真面目に戦い、丁寧にプレイし、位置取りの修正を繰り返し、最後まであきらめない。このような戦い振りは、梁のプレイそのものだ。繰り返そう。25周年を迎えるクラブの歴史の中、梁はその後半16年ベガルタに在籍した。そして、気が付いてみたら、ベガルタと言うクラブの戦い振りそのものが、この梁と言うスタア選手のプレイ振りと一致している。梁はベガルタと共に成長し、ベガルタもまた梁と共に成長したのだ。
その梁イズムは、ベガルタのトップチームにとどまらない。先日、あと一歩でプレミアリーグ入りを逃したベガルタユースの戦い振りは心打たれるものがあった。先日、全日本U-12選手権でベスト4に進出したベガルタジュニアの戦い振りは堂々たるものだった。いずれも各選手が知性と技巧と献身の限りを尽くして戦ってくれていた。梁がベガルタと共に築き上げてきた梁イズムは、若年層にまで引き継がれているのだ。
以前、在日コリアンである慎武宏氏の「祖国と母国とフットボール」と言う本の書評を書いたことがある。その中で梁は以下のように述べてくれいた。
「監督、チームメート、サポーター。それに仙台在住の在日の方々も本当によくしてくれてる。(中略)そういう方々の支えがあって、今の自分がある。だから、僕は”大阪の梁勇基”でもなければ、”在日の梁勇基”でもない。”仙台の梁勇基”というのが一番ピンときますね。」梁勇基と言うサッカー人と、ベガルタ仙台と言うクラブが出会ったことは、本当に幸せなことだったのだ。そして、私たちは16年と言う月日を、梁勇基と共に、その幸せを味わいながら戦うことができた。今はただ、我々のために見せてくれた幾多の好プレイに感謝するのみ。16年間、どうもありがとうございました。
2019年10月20日
ラグビー南アフリカ戦前夜2019年
オールブラックスとイングランドの強さを目の当たりにした準々決勝初日。いよいよ、スプリングボックス戦が近づいてきた。あまり書いたことがなかったが、結構本業では、南アフリカと縁があり、知己も少なくない。たまたまだが、先週同国から親しい同僚が来日しており、「スコットランドに勝ったら、いよいよだね」とお互いに盛り上がった後に、「4年前のようにはいきませんよ」、「いやいや、アイルランド戦見たらわかるけど、我々の戦闘能力は4年前をはるかに超えているよ」、「ええ、本当にアイルランド戦すこかったですよね」などと、盛り上がったものだ。
確かに、4年前とはまったく違う。明日のスプリングボックスは、何ら油断することなく、ホームグラウンドで圧倒的な我々の声援を受けるチェリーブロッサムズと戦う準備をしている。さらに先方は、10/8にカナダに完勝した後、中11日をかけて調整してきている。
一方、ジャパンは先週のスコットランド戦の死闘から、中6日。具智元をはじめとした負傷者、疲労の色が顕著だったリーチマイケルらが、どこまで回復してくれているか。ただ、私は必ずしも、この試合間隔は、そう不利にはたらかないとも思っている。いわゆるティア1国とのテストマッチの機会が少ないジャパンにとって、この本大会のアイルランド戦、スコットランド戦の経験は、そのままチームの強化につながったと思っているから。コンディションコーチが適格な負荷を、ドクターが適切な医療を提供してくれれば、タフな試合感覚を維持して、この難敵と戦えると思うのだ。
幾度か語っているが、私の息子は高校に入った折に、サッカーからラグビーに転向した。そして、つい最近まで現役ラガーだったこともあり、いわゆる選手枠で今大会のチケットをしっかりと押さえてくれた(カネは私が払ったw)。4年前に南アフリカに勝った時の坊主のふるまいも中々だったが、今大会の狂乱ぶりは、親バカとしては実に嬉しい。また、アイルランド戦、サモア戦を共に観戦し、応援をリードする楽しさを、それなりに指南できたw。そして、ジャパンの残り3試合も、坊主と応援できるのは大いなる楽しみだ。
と、強気で語ってはいるが、スプリングボックスは強い。正直、当方が勝つ確率は40%くらいだろうか。
続く準決勝、ウェールズが来る確率は80%、これに勝つのが50%。フランスが来たら70%は勝てるのではないか。
そして、エディーのオッサンが何か仕掛けてくるから、アイルランドに完勝したオールブラックスもそう簡単に勝てないだろう。オールブラックスが来る確率が60%で、こちらに勝つ確率は10%、くらいかな。一方でイングランドだったら、20%くらい。以上より、日本の優勝確率を計算すると
0.4×(0.8×0.5+0.2×0.7)×(0.6×0.1+0.4×0.2)=約0.03、つまり約3%と言う予測となった。
で、いま25歳の坊主に説教しているわけですよ。坊主があと60年くらい生きるとしたら、あと15回ラグビーワールドカップを体験できる。果たして、ジャパンがあと3試合残して、世界一になる確率が3%あるなんてことが、もう1度あり得るだろうか。そう考えると、坊主の人生で最大のチャンスが眼前にあるのではないか、そして、この3%と言う驚異的な高確率を少しでも高めるために、我々は全知全霊を傾けて応援しなければならない、と。
と言うことで、明日は親子仲よく、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」。いや、明日だけじゃない、あと3つ。
確かに、4年前とはまったく違う。明日のスプリングボックスは、何ら油断することなく、ホームグラウンドで圧倒的な我々の声援を受けるチェリーブロッサムズと戦う準備をしている。さらに先方は、10/8にカナダに完勝した後、中11日をかけて調整してきている。
一方、ジャパンは先週のスコットランド戦の死闘から、中6日。具智元をはじめとした負傷者、疲労の色が顕著だったリーチマイケルらが、どこまで回復してくれているか。ただ、私は必ずしも、この試合間隔は、そう不利にはたらかないとも思っている。いわゆるティア1国とのテストマッチの機会が少ないジャパンにとって、この本大会のアイルランド戦、スコットランド戦の経験は、そのままチームの強化につながったと思っているから。コンディションコーチが適格な負荷を、ドクターが適切な医療を提供してくれれば、タフな試合感覚を維持して、この難敵と戦えると思うのだ。
幾度か語っているが、私の息子は高校に入った折に、サッカーからラグビーに転向した。そして、つい最近まで現役ラガーだったこともあり、いわゆる選手枠で今大会のチケットをしっかりと押さえてくれた(カネは私が払ったw)。4年前に南アフリカに勝った時の坊主のふるまいも中々だったが、今大会の狂乱ぶりは、親バカとしては実に嬉しい。また、アイルランド戦、サモア戦を共に観戦し、応援をリードする楽しさを、それなりに指南できたw。そして、ジャパンの残り3試合も、坊主と応援できるのは大いなる楽しみだ。
と、強気で語ってはいるが、スプリングボックスは強い。正直、当方が勝つ確率は40%くらいだろうか。
続く準決勝、ウェールズが来る確率は80%、これに勝つのが50%。フランスが来たら70%は勝てるのではないか。
そして、エディーのオッサンが何か仕掛けてくるから、アイルランドに完勝したオールブラックスもそう簡単に勝てないだろう。オールブラックスが来る確率が60%で、こちらに勝つ確率は10%、くらいかな。一方でイングランドだったら、20%くらい。以上より、日本の優勝確率を計算すると
0.4×(0.8×0.5+0.2×0.7)×(0.6×0.1+0.4×0.2)=約0.03、つまり約3%と言う予測となった。
で、いま25歳の坊主に説教しているわけですよ。坊主があと60年くらい生きるとしたら、あと15回ラグビーワールドカップを体験できる。果たして、ジャパンがあと3試合残して、世界一になる確率が3%あるなんてことが、もう1度あり得るだろうか。そう考えると、坊主の人生で最大のチャンスが眼前にあるのではないか、そして、この3%と言う驚異的な高確率を少しでも高めるために、我々は全知全霊を傾けて応援しなければならない、と。
と言うことで、明日は親子仲よく、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」。いや、明日だけじゃない、あと3つ。
2019年09月29日
アイルランド戦の歓喜とニッポン!チャ!チャ!チャ!
ラグビーワールドカップ、日本代表はアイルランドとの死闘を制して、19対12で見事に勝ち切った。試合内容もすばらしいものだった。
4年前の南アフリカ戦の歓喜は、10回に1回起こせるかどうかの勝利を引き寄せた番狂わせ感があった。しかし、今回の勝利は違う。強いチーム同士が、がっぷり四つで戦い、瞬間瞬間の判断に上回った方のチームが、戦闘能力で勝利した試合だった。ジャパンは戦闘能力でも、先日まで世界ランク1位だったアイルランドと遜色なかったのだ。
私としてはこの大会観戦2試合目。最初はオールブラックス対スプリングボックス戦。少なくとも、観戦した4か国の戦闘能力には、あまり差がないように思えたのだが。
もちろん、ジェイミー・ジョセフ氏も、リーチマイケルとその仲間たちも、勝負はこれからなのは、わかっている。スコットランド戦はもちろん、サモア戦も、簡単な試合ではないだろう。でも、彼らはきっとやってくれることだろう。
簡単に試合を振り返っておこう。
20分までに2トライを奪われ、3-12、相当難しい試合になってしまう雰囲気があった。しかし、30分過ぎだったか、自陣での相手ボールスクラムでペナルティを奪い、流れは完全に変わった。敵陣でのプレイが増え、田村がペナルティキックを2本決めて3点差で前半終了。
後半も攻勢をとる。幾度も幾度も攻め込むが、アイルランドの守備も固く、どうしても最後の5mが破れない。それでも、手変え品変え攻め込む。決勝トライは敵陣深いところで得たマイボールスクラムから、よい球出し、幾度も押し込んで、最後は両センタの妙技から、福岡が抜け出した。これは、どんなチームでも防げないだろうと思える、何とも見事な変化だった。
その後、幾度から自陣に攻め込まれるが、強烈なタックルで22mライン近傍で幾度求める。アイルランドもさすがで、ジャパンの激しいタックルを食らっても、とにかくボールを落とさない。そのような攻防が続いたが、後半ジャパン守備陣は崩れず、とうとう押し切った。
ともあれ、この試合、唯一残念だったのは、80分過ぎ、負けているアイルランドがキックで試合を切り、試合終了を選択した事。絶叫で応援していた我々は「アレ?」と、すぐに歓喜を味わえなかった。これは試合終了後に当のキックをしたカーベリが、7点差以内の勝ち点1の確実な確保を目指した、と発言しているらしい。やはり、ここはジャパンがマイボールを外に蹴りだして、明確な歓喜を味わいたかったところだが、贅沢は禁物だろう。まあ、アイルランドも、これ以上執拗に当たってくるジャパンと戦いたくなかったのかもしれないけれどw。
それにしても、会場のエコパの雰囲気はすばらしかった。特に逆転以降、アイルランドが力を振り絞って攻め込んで来て、ジャパンが必死に我慢を重ねた時間帯。地鳴りのように巻き起こった「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、間違いなくジャパンの選手たちを奮い立たせたはずだ。そして、選手たちの奮戦がフィードバックとなり、我々をさらに奮い立たせる。22年前のジョホールバル、17年前の横浜国際を思い出した。コールリーダを軸に、試合の流れと変化を考えながら、ありとあらゆる歌とコールとチャントを駆使するユアテックもいいが、このようなシンプルな声援も悪くない。
ほんの少しだけど、自分も勝利に貢献できたかなと思っている。一緒に絶叫していた息子曰く、ロシア戦のスタジアムの声援と拍手はすばらしかったが、いわゆるコールは今一歩だったとのこと。なので、前半から、節目節目で「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」を始め、回りを巻き込んで行くようにした。そして、前半半ばあたりから、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は前後左右広範なブロックに広がり、試合終盤には大きな声援のうねりとなった。上記したリードした後、アイルランドに攻め込まれた時間帯は、立ち上がってスタンド後方まで煽ったりもした。何か、30数年前、サッカーの代表を応援するために、周囲を巻き込んだ時代を思い起こして懐かしかった。眼前に行われている競技の質も、周囲の観客の量も、当時とは全く違っていたけれど。
「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、日本サッカー狂会創始者の故池原謙一郎先生が、発明されたのは、よく知られたことだと思う。
池原先生からは、直接幾多の薫陶を受けることができた。中でも、忘れられないのは、87年ソウル五輪予選時の議論。当時、中国戦のアウェイゲームを応援に行ったのは、我々好事家数十人程度だった。一方、クウェートで行われた男子バレーの予選は100名を超えるファンが現地で応援したと言う。サッカーは出場できず、男子バレーは出場できたのは結果論だが、その年の忘年会で、あれこれそれについて議論していた時のこと。私が「我々はバレーに負けている」と語った。すると、いつもは我々の議論をニコニコとおだやかに聞いている先生にたしなめられた。「そもそも、勝ち負けは韓国なり西ドイツやブラジルと争うものですよね。また、競技の人気度の比較をするにしても、海外の試合を応戦に行った人数で語るのはいかがなものですか。本質的には、競技人口なり、合理的な組織が作られているかで、語られるべきではありませんか」と。
私も歳をとった。当時、そのような教えをくださった先生と、ほとんど同じ年齢となっている。
そして、このアイルランド戦。天国の池原先生に、ちょっと嬉しい報告ができると思っている。先生が発明された「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、ラグビーと言う異なるフットボールに広がり、世界最強国を戦闘能力で粉砕することに成功しました、と。
4年前の南アフリカ戦の歓喜は、10回に1回起こせるかどうかの勝利を引き寄せた番狂わせ感があった。しかし、今回の勝利は違う。強いチーム同士が、がっぷり四つで戦い、瞬間瞬間の判断に上回った方のチームが、戦闘能力で勝利した試合だった。ジャパンは戦闘能力でも、先日まで世界ランク1位だったアイルランドと遜色なかったのだ。
私としてはこの大会観戦2試合目。最初はオールブラックス対スプリングボックス戦。少なくとも、観戦した4か国の戦闘能力には、あまり差がないように思えたのだが。
もちろん、ジェイミー・ジョセフ氏も、リーチマイケルとその仲間たちも、勝負はこれからなのは、わかっている。スコットランド戦はもちろん、サモア戦も、簡単な試合ではないだろう。でも、彼らはきっとやってくれることだろう。
簡単に試合を振り返っておこう。
20分までに2トライを奪われ、3-12、相当難しい試合になってしまう雰囲気があった。しかし、30分過ぎだったか、自陣での相手ボールスクラムでペナルティを奪い、流れは完全に変わった。敵陣でのプレイが増え、田村がペナルティキックを2本決めて3点差で前半終了。
後半も攻勢をとる。幾度も幾度も攻め込むが、アイルランドの守備も固く、どうしても最後の5mが破れない。それでも、手変え品変え攻め込む。決勝トライは敵陣深いところで得たマイボールスクラムから、よい球出し、幾度も押し込んで、最後は両センタの妙技から、福岡が抜け出した。これは、どんなチームでも防げないだろうと思える、何とも見事な変化だった。
その後、幾度から自陣に攻め込まれるが、強烈なタックルで22mライン近傍で幾度求める。アイルランドもさすがで、ジャパンの激しいタックルを食らっても、とにかくボールを落とさない。そのような攻防が続いたが、後半ジャパン守備陣は崩れず、とうとう押し切った。
ともあれ、この試合、唯一残念だったのは、80分過ぎ、負けているアイルランドがキックで試合を切り、試合終了を選択した事。絶叫で応援していた我々は「アレ?」と、すぐに歓喜を味わえなかった。これは試合終了後に当のキックをしたカーベリが、7点差以内の勝ち点1の確実な確保を目指した、と発言しているらしい。やはり、ここはジャパンがマイボールを外に蹴りだして、明確な歓喜を味わいたかったところだが、贅沢は禁物だろう。まあ、アイルランドも、これ以上執拗に当たってくるジャパンと戦いたくなかったのかもしれないけれどw。
それにしても、会場のエコパの雰囲気はすばらしかった。特に逆転以降、アイルランドが力を振り絞って攻め込んで来て、ジャパンが必死に我慢を重ねた時間帯。地鳴りのように巻き起こった「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、間違いなくジャパンの選手たちを奮い立たせたはずだ。そして、選手たちの奮戦がフィードバックとなり、我々をさらに奮い立たせる。22年前のジョホールバル、17年前の横浜国際を思い出した。コールリーダを軸に、試合の流れと変化を考えながら、ありとあらゆる歌とコールとチャントを駆使するユアテックもいいが、このようなシンプルな声援も悪くない。
ほんの少しだけど、自分も勝利に貢献できたかなと思っている。一緒に絶叫していた息子曰く、ロシア戦のスタジアムの声援と拍手はすばらしかったが、いわゆるコールは今一歩だったとのこと。なので、前半から、節目節目で「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」を始め、回りを巻き込んで行くようにした。そして、前半半ばあたりから、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は前後左右広範なブロックに広がり、試合終盤には大きな声援のうねりとなった。上記したリードした後、アイルランドに攻め込まれた時間帯は、立ち上がってスタンド後方まで煽ったりもした。何か、30数年前、サッカーの代表を応援するために、周囲を巻き込んだ時代を思い起こして懐かしかった。眼前に行われている競技の質も、周囲の観客の量も、当時とは全く違っていたけれど。
「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、日本サッカー狂会創始者の故池原謙一郎先生が、発明されたのは、よく知られたことだと思う。
池原先生からは、直接幾多の薫陶を受けることができた。中でも、忘れられないのは、87年ソウル五輪予選時の議論。当時、中国戦のアウェイゲームを応援に行ったのは、我々好事家数十人程度だった。一方、クウェートで行われた男子バレーの予選は100名を超えるファンが現地で応援したと言う。サッカーは出場できず、男子バレーは出場できたのは結果論だが、その年の忘年会で、あれこれそれについて議論していた時のこと。私が「我々はバレーに負けている」と語った。すると、いつもは我々の議論をニコニコとおだやかに聞いている先生にたしなめられた。「そもそも、勝ち負けは韓国なり西ドイツやブラジルと争うものですよね。また、競技の人気度の比較をするにしても、海外の試合を応戦に行った人数で語るのはいかがなものですか。本質的には、競技人口なり、合理的な組織が作られているかで、語られるべきではありませんか」と。
私も歳をとった。当時、そのような教えをくださった先生と、ほとんど同じ年齢となっている。
そして、このアイルランド戦。天国の池原先生に、ちょっと嬉しい報告ができると思っている。先生が発明された「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、ラグビーと言う異なるフットボールに広がり、世界最強国を戦闘能力で粉砕することに成功しました、と。
2019年08月17日
ベガルタの現在位置2019年8月
前節ベガルタは敵地でFC東京に0対1で苦杯を喫した。
現地の蒸し暑さは相当だったこともあろうが、東京の長谷川健太監督は極端な守備的布陣を敷いてきた。
元々、今期の東京の強さは林彰洋、森重真人、橋本拳人の後方縦のラインの強さを軸に、ディエゴ・オリベイラと永井謙佑の強力2トップを活かすことにあった。ただし、久保建英の離脱でこの2トップに有効なラストパス(あるいはその一つ前の決定的パス)が出なくなったところが、最近の課題。実際、ベガルタは、16節のユアテックでのホームゲームでは、(久保不在の)東京の起点をうまく押さえることに成功。速攻から鮮やかな2得点で快勝することができた。
さて、この試合、上記した通り東京の超守備的布陣は、私にとっては相当な驚きだった。東京は首位独走中なのに対し、我がベガルタは何とか下位から中位に駆け上がろうと言う状況。両軍の経済力差もあり、個々の選手の格も、どう考えても先方が上。その我々に対して、ここまで慎重な戦いをするとは。
実際、長谷川氏の策は奏功した。橋本を軸にした中盤は、三田啓貴、高萩洋次郎、東慶悟の3人の攻撃から守備への切り替えの早さが格段で、ベガルタは速攻を完全に封印された。それでも、ベガルタはサイドチェンジと両翼に人数をかけるやり方でそれなりに攻勢をとるが、変化が乏しく、森重の格段の位置取りを、どうしても破れなかった。
もちろん、ベガルタが無失点に押さえられれば、それはそれで勝ち点1を確保できたのだが、サッカーだからあのようなPKもあり得るし、ディエゴ・オリベイラとの駆け引きに完勝したスウォビィクに対する判定もしかたがない。負けは負けである。
ベガルタに対し、ホームであのようなやり方を選択し、「勝ち点1でもよし」と割り切る作戦を採用し、上記の名手たちに己の作戦を徹底した長谷川氏に土下座するしかない。個人能力に優れた選手たちが、守備を徹底したサッカーを演じたときの強さを思い知った(余談ながら、アジアの国際試合で、多くの国々が、最近の日本に対しても同じ印象を感じているのだろうが)。
ダメなのは、森重を破るような変化を作り出せなかった我が軍である。悔しくて悔しくてしかたがない敗戦だったが、このような悔しさを味わえるから、サッカー観戦はやめられない。究極の快感である。
一方で。3節前に、ベガルタはホームでアントラーズに0対4で完敗した。
この試合、ベガルタは攻撃の起点となる松下が徹底してつぶされる。さらに、左サイドバック永戸が、アントラーズの右MFレアンドロに引き出され、そのスペースを土居聖真に突かれ、次々に崩された。アントラーズが変則な仕掛けをしてきたこともあり、幾度か速攻で好機をつかむこともできたが、逆にそれが少人数での無理攻めの頻度を増やし、状況を悪化させ、前半で2失点。ホームと言うこともあり、後半さらに強引に前進した裏を突かれ、大量失点につながった。守備の要として格段の存在になってきたシマオが負傷で出場できないのも痛かった。
アントラーズ大岩監督の注文相撲にうまうまとはまってしまった訳だが、対応策はあったはず。具体的には、前半無理な速攻をねらわずに我慢するべきだった。ただし、残念ながら、そこまで気の利いた判断をチームとしてできなかったと言うことだ。
今シーズンは、序盤に新規獲得選手が機能しなかったこともあり、苦しい展開が続いた。特に、敵地のベルマーレ戦やマリノス戦などは、形容しようのない完敗。終わってみればスコアこそ、1点差だったが、それこそ5点差くらいつけられてもおかしくない内容だった。実際、5月までは最下位争いを演じていた。
それでも、渡邉監督は丹念に強化を継続、シマオ、松下、道渕、石原兆らを完全に戦力化し、6月に攻勢をとり、中位いや上位をうかがえるかな、と言うところまで勝ち点を積み上げることに成功した。
しかし、アントラーズにせよ、東京にせよ、徹底したスカウティングで、見事なベガルタ対策を講じてきている。これらのやり方を当然、他のチームもしっかり観察しているわけで、今後も難しい戦いが続くことになる。
もちろん、悪いことばかりではない。ジャーメイン、阿部ら、負傷離脱していた選手も、天皇杯カターレ戦で復帰するなど好材料もある。そのような正負両面の状況下で、ベガルタがどう戦っていくのか。現在リーグの1、2位を走る両クラブの監督に明示された課題への対応策が問われているわけだ。
過去、幾度も語ってきたが、私は渡邉晋と言う監督を、サッカー狂としては高く評価し、ベガルタサポータとしても深く信頼している。渡邉氏が今後どのような施策をとってくるのか。正に、サポータ冥利に尽きる戦いを楽しむことができるのだから、ありがたいことだ。
まずは、中村憲剛が率いるリーグチャンピオンをユアテックに迎える一番での、氏の采配に期待したい。
現地の蒸し暑さは相当だったこともあろうが、東京の長谷川健太監督は極端な守備的布陣を敷いてきた。
元々、今期の東京の強さは林彰洋、森重真人、橋本拳人の後方縦のラインの強さを軸に、ディエゴ・オリベイラと永井謙佑の強力2トップを活かすことにあった。ただし、久保建英の離脱でこの2トップに有効なラストパス(あるいはその一つ前の決定的パス)が出なくなったところが、最近の課題。実際、ベガルタは、16節のユアテックでのホームゲームでは、(久保不在の)東京の起点をうまく押さえることに成功。速攻から鮮やかな2得点で快勝することができた。
さて、この試合、上記した通り東京の超守備的布陣は、私にとっては相当な驚きだった。東京は首位独走中なのに対し、我がベガルタは何とか下位から中位に駆け上がろうと言う状況。両軍の経済力差もあり、個々の選手の格も、どう考えても先方が上。その我々に対して、ここまで慎重な戦いをするとは。
実際、長谷川氏の策は奏功した。橋本を軸にした中盤は、三田啓貴、高萩洋次郎、東慶悟の3人の攻撃から守備への切り替えの早さが格段で、ベガルタは速攻を完全に封印された。それでも、ベガルタはサイドチェンジと両翼に人数をかけるやり方でそれなりに攻勢をとるが、変化が乏しく、森重の格段の位置取りを、どうしても破れなかった。
もちろん、ベガルタが無失点に押さえられれば、それはそれで勝ち点1を確保できたのだが、サッカーだからあのようなPKもあり得るし、ディエゴ・オリベイラとの駆け引きに完勝したスウォビィクに対する判定もしかたがない。負けは負けである。
ベガルタに対し、ホームであのようなやり方を選択し、「勝ち点1でもよし」と割り切る作戦を採用し、上記の名手たちに己の作戦を徹底した長谷川氏に土下座するしかない。個人能力に優れた選手たちが、守備を徹底したサッカーを演じたときの強さを思い知った(余談ながら、アジアの国際試合で、多くの国々が、最近の日本に対しても同じ印象を感じているのだろうが)。
ダメなのは、森重を破るような変化を作り出せなかった我が軍である。悔しくて悔しくてしかたがない敗戦だったが、このような悔しさを味わえるから、サッカー観戦はやめられない。究極の快感である。
一方で。3節前に、ベガルタはホームでアントラーズに0対4で完敗した。
この試合、ベガルタは攻撃の起点となる松下が徹底してつぶされる。さらに、左サイドバック永戸が、アントラーズの右MFレアンドロに引き出され、そのスペースを土居聖真に突かれ、次々に崩された。アントラーズが変則な仕掛けをしてきたこともあり、幾度か速攻で好機をつかむこともできたが、逆にそれが少人数での無理攻めの頻度を増やし、状況を悪化させ、前半で2失点。ホームと言うこともあり、後半さらに強引に前進した裏を突かれ、大量失点につながった。守備の要として格段の存在になってきたシマオが負傷で出場できないのも痛かった。
アントラーズ大岩監督の注文相撲にうまうまとはまってしまった訳だが、対応策はあったはず。具体的には、前半無理な速攻をねらわずに我慢するべきだった。ただし、残念ながら、そこまで気の利いた判断をチームとしてできなかったと言うことだ。
今シーズンは、序盤に新規獲得選手が機能しなかったこともあり、苦しい展開が続いた。特に、敵地のベルマーレ戦やマリノス戦などは、形容しようのない完敗。終わってみればスコアこそ、1点差だったが、それこそ5点差くらいつけられてもおかしくない内容だった。実際、5月までは最下位争いを演じていた。
それでも、渡邉監督は丹念に強化を継続、シマオ、松下、道渕、石原兆らを完全に戦力化し、6月に攻勢をとり、中位いや上位をうかがえるかな、と言うところまで勝ち点を積み上げることに成功した。
しかし、アントラーズにせよ、東京にせよ、徹底したスカウティングで、見事なベガルタ対策を講じてきている。これらのやり方を当然、他のチームもしっかり観察しているわけで、今後も難しい戦いが続くことになる。
もちろん、悪いことばかりではない。ジャーメイン、阿部ら、負傷離脱していた選手も、天皇杯カターレ戦で復帰するなど好材料もある。そのような正負両面の状況下で、ベガルタがどう戦っていくのか。現在リーグの1、2位を走る両クラブの監督に明示された課題への対応策が問われているわけだ。
過去、幾度も語ってきたが、私は渡邉晋と言う監督を、サッカー狂としては高く評価し、ベガルタサポータとしても深く信頼している。渡邉氏が今後どのような施策をとってくるのか。正に、サポータ冥利に尽きる戦いを楽しむことができるのだから、ありがたいことだ。
まずは、中村憲剛が率いるリーグチャンピオンをユアテックに迎える一番での、氏の采配に期待したい。
2019年07月15日
シュミット・ダニエルとの惜別
シュミット・ダニエルが、ベルギー、シントロイデンへ移籍、ベガルタを去ることとなった。シュミットは生まれ育ちが仙台と言う意味でも、ベガルタにとって特別なタレントだ。その惜別の試合が、何とも言えないホームでの0対4での惨敗だったのだから、何とも我が軍らしいか。
シュミットは、森保氏が代表監督に就任して以降、常時代表に選好されるようになり、ここまで5試合に出場。アジアカップこそ定位置を権田修一に譲ったものの、先日のキリンチャレンジではトリニダード・トバゴ戦、エルサルバドル戦とゴールを守り、少しずつ定位置確保に近づいている感もある。
ベガルタにとって、過去A代表に出場したのは、2003年韓国戦の山下芳輝、2010年アルゼンチン戦の関口訓充以来のこと。ただし、2人ともそれぞれフル出場ではなく、その後出場機会も得られなかった。改めてそう考えると、シュミットが代表に定着しかけていることそのものは、まだ四半世紀と言う歴史の浅い私のクラブにとって、着実な積み上げの成果と言っても過言ではないだろう。
簡単にベガルタのゴールキーパの歴史を振り返ってみる。14年シーズンに林卓人が移籍した後、関憲太郎が定位置を確保するが、必ずしもよいプレイを見せられなかった。翌15年シーズンは移籍加入した六反勇治が定位置を奪い、日本代表合宿にも呼ばれるなど活躍した(出場はなかったが)。しかし、翌16年シーズンは関が定位置を奪い返し、ここからは激烈な競争が行われる。一方、14年にベガルタに加入したシュミットは、定位置争いには参画できず、14、5年にはロアッソ、16年には山雅にレンタル移籍し経験を積む。そして、17年にベガルタに復帰したシュミットは、以降関と激しい定位置争いを演じる。シュミットがほぼ定位置を確保したのは、昨18年半ばのこと。そこから、シュミットは一気に代表の定位置争いまで駆け上がったことになる。ここで重要なことは、関と言い、17年にエスパルスに移籍した六反と言い、ここ数年ベガルタのGKの定位置争いが非常にレベルの高い強化が行われていたことだ。
本人が移籍時のコメントとして述べたように、27歳と言う年齢を考えると、欧州で活躍するにはギリギリの年齢と言うことでの、決断なのだろう。日本のトッププレイヤあるいはトッププレイヤを目指そうとするタレントが、欧州でのプレイを望むのは、ここ最近のサッカー界を考えれば、当然のこととなっている。短い現役時代の収入を最大限にすると言う意味でも、己の能力をより厳しい環境で限界まで伸ばし日本代表で中核として活躍すると言う名誉を考慮しても。
ただし、そのためには欧州のクラブに移籍するだけではなく、そこで活躍しステップアップしていく必要があるのだが。そして、シュミットが移籍するクラブはベルギーのシントロイデン。日本企業が出資し、積極的な経営をしつつ、遠藤航、冨安健洋、鎌田大地らの日本代表選手も活躍経験があり(さらに冨安のステップアップもあり)、何か日本人選手の移籍先として安心感のあるクラブではある。
しかし、だからと言って、シュミットの活躍が担保されているわけではないのは言うまでもない。シュミットは197cmのサイズが話題になるが、そのプレイの最大の特長は左右両足のボール扱いのよさと、正確なキックにある。また大柄にもかかわらず、低いボールへの対応がうまく、敵のシュートに対しギリギリまで我慢できるのも見事なものだ。ただ、一方でその大柄な体躯にもかかわらず、時折クロスへの判断を誤ることがあったのは、ご愛敬か。ともあれ、昨シーズン最終盤からはそのようなミスも減ってきて、代表でも出場機会を得ることができてきたわけだ。ここまで、丹念に能力を向上させてきたシュミットの努力と、そのための知性は、すばらしいものがある。
その長所、短所が、欧州でどのように評価されるか。欧州でプレイした日本人ゴールキーパと言えば、川口能活と川島永嗣と言うことになるが、シュミットは川島と異なり語学にも課題があるようで、どうなるだろうか。
楽観も悲観もしていない。しかし、シュミットが努力を重ね、正確なボール扱いとフィード、広い守備範囲、シュートへの的確な対応を誇る、Jでも屈指のGKとなったのは間違いない。そして、この個人能力が、まずはベルギーの中堅クラブでどこまで評価されるのか、期待を持って送り出したい。
もちろん、違約金もそれなりに入るはずだし、ベガルタにとって、決して悪いことばかりではない。昨シーズンの西村拓真に続き、生え抜きのタレントが欧州に旅立ったことそのものが、単純にうれしい。加えて、西村にせよ、シュミットにせよ、ベガルタ加入前に同世代の中で格段に飛び抜けた評価を受けていたタレントではない。彼らは、ベガルタと言うクラブを選んだからこそ、ここまで来られたのだ。
これは、若い逸材にとって、ベガルタと言うクラブが、己の能力を高めるいかによい環境であるかの証左となるだろう。
ベガルタフロントは、シュミットの移籍と前後して、ジュビロのカミンスキーをも上回るとの噂もあり、ポーランド代表経験もある、ヤクブ・スウォビィクを獲得した。これはこれで大いに期待できるタレントだ。もちろん、シュミットと激しい定位置争いを演じていた関憲太郎もいる。また、ここ最近関は負傷離脱していたわけだが、常に安定した第3キーパとして機能していた川浪吾郎にとっては、シュミットの移籍は、定位置確保の大きな好機なのは言うまでもない。
選手の移籍放出は寂しいことだし、戦闘能力的なマイナスも起こる。しかし、サッカークラブは生き物であり、選手の出入りは常なるものだ。愛するクラブのために尽くしてくれた選手のステップアップは何よりもうれしいものだし、それにより新しい選手の活躍機会の拡大もまた楽しみなものだ。
2022年ワールドカップ、世界屈指のゴールキーパとなったシュミットと共に、ベスト8、いやそれ以上を戦えることを祈念してやまない。
シュミットは、森保氏が代表監督に就任して以降、常時代表に選好されるようになり、ここまで5試合に出場。アジアカップこそ定位置を権田修一に譲ったものの、先日のキリンチャレンジではトリニダード・トバゴ戦、エルサルバドル戦とゴールを守り、少しずつ定位置確保に近づいている感もある。
ベガルタにとって、過去A代表に出場したのは、2003年韓国戦の山下芳輝、2010年アルゼンチン戦の関口訓充以来のこと。ただし、2人ともそれぞれフル出場ではなく、その後出場機会も得られなかった。改めてそう考えると、シュミットが代表に定着しかけていることそのものは、まだ四半世紀と言う歴史の浅い私のクラブにとって、着実な積み上げの成果と言っても過言ではないだろう。
簡単にベガルタのゴールキーパの歴史を振り返ってみる。14年シーズンに林卓人が移籍した後、関憲太郎が定位置を確保するが、必ずしもよいプレイを見せられなかった。翌15年シーズンは移籍加入した六反勇治が定位置を奪い、日本代表合宿にも呼ばれるなど活躍した(出場はなかったが)。しかし、翌16年シーズンは関が定位置を奪い返し、ここからは激烈な競争が行われる。一方、14年にベガルタに加入したシュミットは、定位置争いには参画できず、14、5年にはロアッソ、16年には山雅にレンタル移籍し経験を積む。そして、17年にベガルタに復帰したシュミットは、以降関と激しい定位置争いを演じる。シュミットがほぼ定位置を確保したのは、昨18年半ばのこと。そこから、シュミットは一気に代表の定位置争いまで駆け上がったことになる。ここで重要なことは、関と言い、17年にエスパルスに移籍した六反と言い、ここ数年ベガルタのGKの定位置争いが非常にレベルの高い強化が行われていたことだ。
本人が移籍時のコメントとして述べたように、27歳と言う年齢を考えると、欧州で活躍するにはギリギリの年齢と言うことでの、決断なのだろう。日本のトッププレイヤあるいはトッププレイヤを目指そうとするタレントが、欧州でのプレイを望むのは、ここ最近のサッカー界を考えれば、当然のこととなっている。短い現役時代の収入を最大限にすると言う意味でも、己の能力をより厳しい環境で限界まで伸ばし日本代表で中核として活躍すると言う名誉を考慮しても。
ただし、そのためには欧州のクラブに移籍するだけではなく、そこで活躍しステップアップしていく必要があるのだが。そして、シュミットが移籍するクラブはベルギーのシントロイデン。日本企業が出資し、積極的な経営をしつつ、遠藤航、冨安健洋、鎌田大地らの日本代表選手も活躍経験があり(さらに冨安のステップアップもあり)、何か日本人選手の移籍先として安心感のあるクラブではある。
しかし、だからと言って、シュミットの活躍が担保されているわけではないのは言うまでもない。シュミットは197cmのサイズが話題になるが、そのプレイの最大の特長は左右両足のボール扱いのよさと、正確なキックにある。また大柄にもかかわらず、低いボールへの対応がうまく、敵のシュートに対しギリギリまで我慢できるのも見事なものだ。ただ、一方でその大柄な体躯にもかかわらず、時折クロスへの判断を誤ることがあったのは、ご愛敬か。ともあれ、昨シーズン最終盤からはそのようなミスも減ってきて、代表でも出場機会を得ることができてきたわけだ。ここまで、丹念に能力を向上させてきたシュミットの努力と、そのための知性は、すばらしいものがある。
その長所、短所が、欧州でどのように評価されるか。欧州でプレイした日本人ゴールキーパと言えば、川口能活と川島永嗣と言うことになるが、シュミットは川島と異なり語学にも課題があるようで、どうなるだろうか。
楽観も悲観もしていない。しかし、シュミットが努力を重ね、正確なボール扱いとフィード、広い守備範囲、シュートへの的確な対応を誇る、Jでも屈指のGKとなったのは間違いない。そして、この個人能力が、まずはベルギーの中堅クラブでどこまで評価されるのか、期待を持って送り出したい。
もちろん、違約金もそれなりに入るはずだし、ベガルタにとって、決して悪いことばかりではない。昨シーズンの西村拓真に続き、生え抜きのタレントが欧州に旅立ったことそのものが、単純にうれしい。加えて、西村にせよ、シュミットにせよ、ベガルタ加入前に同世代の中で格段に飛び抜けた評価を受けていたタレントではない。彼らは、ベガルタと言うクラブを選んだからこそ、ここまで来られたのだ。
これは、若い逸材にとって、ベガルタと言うクラブが、己の能力を高めるいかによい環境であるかの証左となるだろう。
ベガルタフロントは、シュミットの移籍と前後して、ジュビロのカミンスキーをも上回るとの噂もあり、ポーランド代表経験もある、ヤクブ・スウォビィクを獲得した。これはこれで大いに期待できるタレントだ。もちろん、シュミットと激しい定位置争いを演じていた関憲太郎もいる。また、ここ最近関は負傷離脱していたわけだが、常に安定した第3キーパとして機能していた川浪吾郎にとっては、シュミットの移籍は、定位置確保の大きな好機なのは言うまでもない。
選手の移籍放出は寂しいことだし、戦闘能力的なマイナスも起こる。しかし、サッカークラブは生き物であり、選手の出入りは常なるものだ。愛するクラブのために尽くしてくれた選手のステップアップは何よりもうれしいものだし、それにより新しい選手の活躍機会の拡大もまた楽しみなものだ。
2022年ワールドカップ、世界屈指のゴールキーパとなったシュミットと共に、ベスト8、いやそれ以上を戦えることを祈念してやまない。
2019年04月30日
あまりに幸せだった平成の日本サッカー
平成の世が終わろうとしている。
私はサッカーでも本業でも、西暦を使っているし、人生の区切りを毎回のワールドカップで認識しているような人間だから、元号でのカウントはピンと来ない。ともあれ、人生2度目の元号切替と思うと、感慨深い。
平成元年の初日(1989年1月7日)のことは、よく覚えている。年休をとって、高校サッカー選手権の準決勝を観に、駒沢競技場に向かったのだ。そして、競技場で見たのは、「昭和天皇崩御のため、準決勝延期します」とのメッセージだった。
先日からマスコミを中心にお祭り騒ぎだが、国民が元号の切替を楽しむことができるのは、今上陛下の退位の決断の賜物。そもそも80歳を超えた両陛下に今なお活躍いただいたことに感謝。そして、同年代の皇太子殿下が、50代後半のこれから重責を担うことに、何とも複雑な思いを持つ。
日本と言う国のこの約30年間を振り返ると、産業構造転換の不首尾で残念な期間だったとか、少子化が決定的になったとか、自然災害に悩まされた期間だったとか、ネガティブな評価は少なくない。一方で、いわゆる近代以降(明治以降)で、初めて対外戦争がなく平和な時代だったと、ポジティブにとらえる方もいらっしゃる。
ともあれ、日本サッカー界にとって、この平成の30年が、本当に幸せな時代、それも昭和からは、まったく信じられないすてきな時代だったことに、異議を唱える人はいないだろう。
とにかく、昭和と平成の日本サッカー界は、まったく異なるものになった。昭和には、強い日本代表チームも、実り豊かなJリーグも存在しなかったのだから。
私は昭和時代から、日本代表が大好きだった。
そもそも、昭和時代は、ワールドカップ及びその予選に向けて、強いチームを作るための、長期強化をしたことは、実質的にはなかった。これは、1980年代半ば過ぎ(いわば昭和末期)までプロフェッショナリズムの導入が遅れたこともあり、強化の主眼はオリンピック及びその予選が強化の主眼だったためだ。そのような考え方もあり、アジアカップに至っては、予選に出場を見送ったり、B代表を派遣したりしたこともあった。主眼を置いていたオリンピックにしても、1936年(昭和11年)のベルリン五輪、1968年(昭和43年)のメキシコ五輪で、そこそこの成績を収めたことはあったが、出場はその他には1956年(昭和31年)のメルボリン五輪のみ。
もちろんメキシコ五輪の銅メダルは誇らしいものだったが、そこに向けての東京五輪からの集中強化の貯金が途切れたところで、アジア内で勝つのも難しくなっていた。韓国、北朝鮮、中国、イスラエル(当時はアジア協会所属)、中東勢に勝つことはもちろん、フィジカルでやや優位に立てるビルマ(当時、現ミャンマー)、マレーシア、タイと言った東南アジア諸国に対して劣勢の成績しか収められなかった。単純に、70年ごろから80年代前半(昭和40年代半ばから50年代後半あたり)まで、日本代表は弱かったのだ。
いや、勝ち負けだけではなかった。そもそも、定期的な代表試合を他国との間で行う機会も少なかった。これは、経済的な課題と観客動員の乏しさの両面からから来るもの。そう言うものだったのだ。…なのでね、平成に入ってから、あれこれ広告代理店がサッカービジネスで金儲けばかり考えて、成績不首尾を招き、結果的に商売面でも下手を打つのを見ると、複雑な気持ちになるのよ…彼らがいたからこそ、日本サッカー界はここまで大きくなれたのだし。
それでも、私が見た昭和の日本代表は、各選手は、皆が己の限界まで戦ってくれた。今の時代から思えば、コンディション調整も、敵へのスカウティングも、稚拙だったかもしれない。けれども、彼らが堂々と各国と戦ってくれた歴史は色あせるものではない。
私は、昭和時代から、日本リーグが大好きだった。
日本リーグは、1965年(昭和40年)に開幕した。これまで、国内のトップクラスの試合が、勝ち抜き戦で行われているのを見て、デッドマール・クラマー氏の提言で始められたものだ。黎明期こそ、東京、メキシコ両五輪の勢いなどもあり、一定の人気を得ていたが、観客動員は伸び悩んだ。日本リーグは、多くのサッカーファンの興味を集めることができず、20余年間運営されたのだ。サッカーの日本リーグ創設は、バレーボール、バスケットボールなどの他球技への、国内リーグ創設にも、大きな貢献を果たしたのだが。
それでも、毎シーズン、私たちは当時最高レベルのサッカーを、日本リーグを通して楽しませてもらったのだ。東洋工業(現サンフレッチェ)の4連覇、三菱(現レッズ)、ヤンマー(現セレッソ)、日立(現レイソル)の3強時代。古河(現ジェフ)の復権、フジタ(現ベルマーレ)の台頭。そして、読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)の先駆的プロフェッショナル導入。ヤマハ(現ジュビロ)の強化、全日空(消滅させられたフリューゲルス)の参画。
実際、80年代半ば以降(昭和60年代)、日本リーグの各チームの攻防は本当におもしろかった。読売、日産に、古河、ヤマハ、全日空などが絡む上位争い。もちろん、ラモス・ルイ、ジョージ・与那城、戸塚哲也、木村和司、水沼貴史、マリーニョと言った攻撃のスタアたちのプレイは色鮮やかだった。一方で、加藤久を筆頭に、小見幸隆、岸野靖之、清水秀彦、岡田武史、宮内聡、柳下正明、石神良訓と言った、最終ラインあるいは中盤後方で知性を発揮するタレントが次々に登場し、毎週末を彩ってくれた。
そして、古河、読売が2年続いてアジアチャンピオンズカップを制覇、「もしかしたら、俺たち、結構強いんじゃないの?!」と、思いながら時代は平成を迎えた。
けれども、平成に入った序盤は、正に日本代表の暗黒時代だった。
1989年は、翌90年のイタリアワールドカップ予選の年だった。1次ラウンド、日本は、香港、インドネシア、北朝鮮と同じグループに入り、H&Aの総当たり戦で1位が2次ラウンドに抜けるレギュレーションだった。結果は北朝鮮に1勝1敗、インドネシアに1勝1分、香港に2分で、北朝鮮の後塵を拝し2次ラウンド進出に失敗した。一番痛かったのは、ホームゲームの香港戦、単調な攻撃を繰り返し、有効な交替策もとられないままに0対0で引き分け。翌週、平壌での北朝鮮戦を0対2で落とし、敗退が決まった。
当時、日本リーグで活躍していた、加藤久、木村和司らのベテランスタアを起用しなかったこと、当時欧州ではやっていた3-5-2のフォーメーションを採用したのはよいが両サイドに足は速いが判断力に乏しい選手を起用し、事実上3-3-2で戦ってしまった失態など、残念なことが多々あった。
けれども、このような事態は勝負ごとだから、仕方がない。勝敗は時の運だし、準備が不適切で負けることもある。何がガッカリしたかと言うと、このワールドカップ予選敗退から2週間後に、日本代表が目的不明の南米遠征に向かったことだった。現地ではエスティアンデス、ボカ、インデペンディエンテ、コリチーバと言ったトップレベルのクラブチームに加え、ブラジル代表とも対戦。セレソンは、ハーフタイムで選手を大量に入れ替えたが、ドゥンガ、ロマリオ、ベベットらトップ選手を起用してくれた。試合は、後半あのビスマルクに決勝点を許し敗戦。この時点で、次の五輪は若年層の大会になると報道されており、この南米遠征が何の目的で行われたのか、本当に不思議である。と言うか、腹が立ってならない。
その後も当時の日本代表監督は辞任も退任もせず居座る。そして、90年、91年と低調な活動が続いた後、92年(平成4年)ハンス・オフト氏が代表監督に就任した。以降は平成の歴史である。
大会前誰も予想していなかった広島のアジアカップ初制覇(92年)。ドーハの悲劇(93年、平成5年)、UAEアジアカップクウェート戦の失態(96年、平成8年)、ジョホールバルの歓喜(97年、平成9年)、フランスでのチケット騒動と堂々たる敗戦(98年、平成10年)、トルシェ氏騒動、日韓ワールドカップのベスト16(02年、平成14年)、ジーコさんのアジアカップとワールドカップ(06年、平成18年)オシム氏を襲った病魔、岡田武史の奮戦(南アフリカは10年、平成22年)、ザッケローニ氏のアジアカップの歓喜とブラジルでの失態(ブラジルは14年、平成26年)、幻のアギーレ氏、そして…
日本リーグは、平成に入っても充実していた。88-89年、89-90年シーズン、万年優勝候補と言われていた日産が連覇。木村和司、水沼貴史に加え、セレソンの主将経験あるオスカー、柱谷哲司、井原正巳らが機能し、強力なチームを編成した。それに対し、読売はブラジル屈指の名勝、カルロス・アルベルト・ダシルバ氏(1988年ソウル五輪でブラジル代表を指揮)を招聘、「トップクラスの知将は、ここまで知的なチームを作ってくれるのか」と、我々に強い印象を与えてくれた。もっとも、ラモスがダシルバ氏に反旗をひるがえし、氏が僅か1シーズンで日本を去り、読売首脳がラモスを溺愛するペペ氏を招聘したのは、ご愛敬だった。まあ、キングファーザ、納谷宣雄氏の面目躍如と言うところか。
そしてJリーグが開幕した。
平成に入り、日本リーグは、地域密着を指向したJリーグに発展的解散。当初10クラブからスタートした、この人工的リーグは、次々に仲間を増やした。
そして、我が故郷宮城県も、仲間に加わった。当時の東北電力を主体としたチームをプロフェッショナルクラブ化。ブランメル仙台としてスタートしたクラブは、Jリーグ黎明期のバブル的な強化で経営破綻しかけたこともあった。それでも、鬼才清水秀彦氏を監督に招聘、マルコスと言う偉才を獲得したこともあり、2001年(平成13年)J1に昇格。2年でJ2に降格するも、丁寧な強化を継続。梁勇基、菅井直樹と言ったトップスタアの育成にも成功、2010年(平成22年)にJ1に復帰するや、手倉森誠氏の采配よく、2012年(平成24年)シーズンはJ1で2位になり、翌シーズンACLも体験した。私が宮城県でプレイしていた1970から80年代、宮城県にはまともな芝のグラウンドはなかったことを考えると、隔世の感がある。
平成が終わろうとしている。
この平成時代、30年間の日本サッカーが放った光芒の鮮やかさを、どう説明したらよいのだろうか。いや、どう理解したらよいのだろうか。
2018年(平成30年)、7月2日。ロシア、ロストフ・ナ・ドヌ。我々は、アディショナルタイムに失点し、ベルギーに敗れ、ワールドカップベスト8進出に失敗した。繰り返すが、98年本大会に初出場、02年地元大会、10年南アフリカ、それぞれでベスト16に進出成功していたのだが、ここまで欧州の強豪に粘った試合は初めてだった。ベルギーはその後、セレソンを破り、ベスト4に進出した。
2018年(同じく平成30年)、12月9日。埼玉県、埼玉スタジアム2002。天皇杯決勝。我がベガルタ仙台は、初めての決勝進出を果たし、浦和レッズと対戦した。序盤にセットプレイ崩れから失点したものの、創意工夫を凝らし、幾度もレッズゴールを脅かす。けれども、武運つたなく、どうしてもレッズのゴールネットを揺らすことできず。優勝はできなかった。
平成元年に戻ろうか。
私が観ることが叶わなかった、高校サッカー選手権準決勝、決勝は2日順延して行われた。決勝は、三浦文丈、藤田俊哉、山田隆裕らがいた清水商が、野口幸司、小川誠一らがいた市立船橋を破って優勝した。また、準決勝で清水商に敗れた前橋商が米倉誠、服部浩紀、鳥居塚伸人らで演じた攻撃的サッカーは印象深かった。余談ながら、同日決勝する予定だった高校ラグビーの決勝戦は、延期ではなく中止となり、両校優勝となった。
これらを思い起こすと、繰り返すが、ご自身で退位と言う選択をされた今上陛下には感謝の言葉しかない。30年前は、昭和天皇が9月に体調を崩され(楽しみにされていた大相撲観戦を直前に闘病生活に入った、せめて最後の相撲観戦を楽しまれていればと思ったのは私だけか)、以降は自粛、自粛の重苦しい元号の切替だったのだから。
日本サッカーにとって、平成は、本当にすてきな時代だった。
新しい時代を明日から迎える。サッカーと言う究極の娯楽を得た幸せを感じつつ、令和の新時代を生きていきたい。
私はサッカーでも本業でも、西暦を使っているし、人生の区切りを毎回のワールドカップで認識しているような人間だから、元号でのカウントはピンと来ない。ともあれ、人生2度目の元号切替と思うと、感慨深い。
平成元年の初日(1989年1月7日)のことは、よく覚えている。年休をとって、高校サッカー選手権の準決勝を観に、駒沢競技場に向かったのだ。そして、競技場で見たのは、「昭和天皇崩御のため、準決勝延期します」とのメッセージだった。
先日からマスコミを中心にお祭り騒ぎだが、国民が元号の切替を楽しむことができるのは、今上陛下の退位の決断の賜物。そもそも80歳を超えた両陛下に今なお活躍いただいたことに感謝。そして、同年代の皇太子殿下が、50代後半のこれから重責を担うことに、何とも複雑な思いを持つ。
日本と言う国のこの約30年間を振り返ると、産業構造転換の不首尾で残念な期間だったとか、少子化が決定的になったとか、自然災害に悩まされた期間だったとか、ネガティブな評価は少なくない。一方で、いわゆる近代以降(明治以降)で、初めて対外戦争がなく平和な時代だったと、ポジティブにとらえる方もいらっしゃる。
ともあれ、日本サッカー界にとって、この平成の30年が、本当に幸せな時代、それも昭和からは、まったく信じられないすてきな時代だったことに、異議を唱える人はいないだろう。
とにかく、昭和と平成の日本サッカー界は、まったく異なるものになった。昭和には、強い日本代表チームも、実り豊かなJリーグも存在しなかったのだから。
私は昭和時代から、日本代表が大好きだった。
そもそも、昭和時代は、ワールドカップ及びその予選に向けて、強いチームを作るための、長期強化をしたことは、実質的にはなかった。これは、1980年代半ば過ぎ(いわば昭和末期)までプロフェッショナリズムの導入が遅れたこともあり、強化の主眼はオリンピック及びその予選が強化の主眼だったためだ。そのような考え方もあり、アジアカップに至っては、予選に出場を見送ったり、B代表を派遣したりしたこともあった。主眼を置いていたオリンピックにしても、1936年(昭和11年)のベルリン五輪、1968年(昭和43年)のメキシコ五輪で、そこそこの成績を収めたことはあったが、出場はその他には1956年(昭和31年)のメルボリン五輪のみ。
もちろんメキシコ五輪の銅メダルは誇らしいものだったが、そこに向けての東京五輪からの集中強化の貯金が途切れたところで、アジア内で勝つのも難しくなっていた。韓国、北朝鮮、中国、イスラエル(当時はアジア協会所属)、中東勢に勝つことはもちろん、フィジカルでやや優位に立てるビルマ(当時、現ミャンマー)、マレーシア、タイと言った東南アジア諸国に対して劣勢の成績しか収められなかった。単純に、70年ごろから80年代前半(昭和40年代半ばから50年代後半あたり)まで、日本代表は弱かったのだ。
いや、勝ち負けだけではなかった。そもそも、定期的な代表試合を他国との間で行う機会も少なかった。これは、経済的な課題と観客動員の乏しさの両面からから来るもの。そう言うものだったのだ。…なのでね、平成に入ってから、あれこれ広告代理店がサッカービジネスで金儲けばかり考えて、成績不首尾を招き、結果的に商売面でも下手を打つのを見ると、複雑な気持ちになるのよ…彼らがいたからこそ、日本サッカー界はここまで大きくなれたのだし。
それでも、私が見た昭和の日本代表は、各選手は、皆が己の限界まで戦ってくれた。今の時代から思えば、コンディション調整も、敵へのスカウティングも、稚拙だったかもしれない。けれども、彼らが堂々と各国と戦ってくれた歴史は色あせるものではない。
私は、昭和時代から、日本リーグが大好きだった。
日本リーグは、1965年(昭和40年)に開幕した。これまで、国内のトップクラスの試合が、勝ち抜き戦で行われているのを見て、デッドマール・クラマー氏の提言で始められたものだ。黎明期こそ、東京、メキシコ両五輪の勢いなどもあり、一定の人気を得ていたが、観客動員は伸び悩んだ。日本リーグは、多くのサッカーファンの興味を集めることができず、20余年間運営されたのだ。サッカーの日本リーグ創設は、バレーボール、バスケットボールなどの他球技への、国内リーグ創設にも、大きな貢献を果たしたのだが。
それでも、毎シーズン、私たちは当時最高レベルのサッカーを、日本リーグを通して楽しませてもらったのだ。東洋工業(現サンフレッチェ)の4連覇、三菱(現レッズ)、ヤンマー(現セレッソ)、日立(現レイソル)の3強時代。古河(現ジェフ)の復権、フジタ(現ベルマーレ)の台頭。そして、読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)の先駆的プロフェッショナル導入。ヤマハ(現ジュビロ)の強化、全日空(消滅させられたフリューゲルス)の参画。
実際、80年代半ば以降(昭和60年代)、日本リーグの各チームの攻防は本当におもしろかった。読売、日産に、古河、ヤマハ、全日空などが絡む上位争い。もちろん、ラモス・ルイ、ジョージ・与那城、戸塚哲也、木村和司、水沼貴史、マリーニョと言った攻撃のスタアたちのプレイは色鮮やかだった。一方で、加藤久を筆頭に、小見幸隆、岸野靖之、清水秀彦、岡田武史、宮内聡、柳下正明、石神良訓と言った、最終ラインあるいは中盤後方で知性を発揮するタレントが次々に登場し、毎週末を彩ってくれた。
そして、古河、読売が2年続いてアジアチャンピオンズカップを制覇、「もしかしたら、俺たち、結構強いんじゃないの?!」と、思いながら時代は平成を迎えた。
けれども、平成に入った序盤は、正に日本代表の暗黒時代だった。
1989年は、翌90年のイタリアワールドカップ予選の年だった。1次ラウンド、日本は、香港、インドネシア、北朝鮮と同じグループに入り、H&Aの総当たり戦で1位が2次ラウンドに抜けるレギュレーションだった。結果は北朝鮮に1勝1敗、インドネシアに1勝1分、香港に2分で、北朝鮮の後塵を拝し2次ラウンド進出に失敗した。一番痛かったのは、ホームゲームの香港戦、単調な攻撃を繰り返し、有効な交替策もとられないままに0対0で引き分け。翌週、平壌での北朝鮮戦を0対2で落とし、敗退が決まった。
当時、日本リーグで活躍していた、加藤久、木村和司らのベテランスタアを起用しなかったこと、当時欧州ではやっていた3-5-2のフォーメーションを採用したのはよいが両サイドに足は速いが判断力に乏しい選手を起用し、事実上3-3-2で戦ってしまった失態など、残念なことが多々あった。
けれども、このような事態は勝負ごとだから、仕方がない。勝敗は時の運だし、準備が不適切で負けることもある。何がガッカリしたかと言うと、このワールドカップ予選敗退から2週間後に、日本代表が目的不明の南米遠征に向かったことだった。現地ではエスティアンデス、ボカ、インデペンディエンテ、コリチーバと言ったトップレベルのクラブチームに加え、ブラジル代表とも対戦。セレソンは、ハーフタイムで選手を大量に入れ替えたが、ドゥンガ、ロマリオ、ベベットらトップ選手を起用してくれた。試合は、後半あのビスマルクに決勝点を許し敗戦。この時点で、次の五輪は若年層の大会になると報道されており、この南米遠征が何の目的で行われたのか、本当に不思議である。と言うか、腹が立ってならない。
その後も当時の日本代表監督は辞任も退任もせず居座る。そして、90年、91年と低調な活動が続いた後、92年(平成4年)ハンス・オフト氏が代表監督に就任した。以降は平成の歴史である。
大会前誰も予想していなかった広島のアジアカップ初制覇(92年)。ドーハの悲劇(93年、平成5年)、UAEアジアカップクウェート戦の失態(96年、平成8年)、ジョホールバルの歓喜(97年、平成9年)、フランスでのチケット騒動と堂々たる敗戦(98年、平成10年)、トルシェ氏騒動、日韓ワールドカップのベスト16(02年、平成14年)、ジーコさんのアジアカップとワールドカップ(06年、平成18年)オシム氏を襲った病魔、岡田武史の奮戦(南アフリカは10年、平成22年)、ザッケローニ氏のアジアカップの歓喜とブラジルでの失態(ブラジルは14年、平成26年)、幻のアギーレ氏、そして…
日本リーグは、平成に入っても充実していた。88-89年、89-90年シーズン、万年優勝候補と言われていた日産が連覇。木村和司、水沼貴史に加え、セレソンの主将経験あるオスカー、柱谷哲司、井原正巳らが機能し、強力なチームを編成した。それに対し、読売はブラジル屈指の名勝、カルロス・アルベルト・ダシルバ氏(1988年ソウル五輪でブラジル代表を指揮)を招聘、「トップクラスの知将は、ここまで知的なチームを作ってくれるのか」と、我々に強い印象を与えてくれた。もっとも、ラモスがダシルバ氏に反旗をひるがえし、氏が僅か1シーズンで日本を去り、読売首脳がラモスを溺愛するペペ氏を招聘したのは、ご愛敬だった。まあ、キングファーザ、納谷宣雄氏の面目躍如と言うところか。
そしてJリーグが開幕した。
平成に入り、日本リーグは、地域密着を指向したJリーグに発展的解散。当初10クラブからスタートした、この人工的リーグは、次々に仲間を増やした。
そして、我が故郷宮城県も、仲間に加わった。当時の東北電力を主体としたチームをプロフェッショナルクラブ化。ブランメル仙台としてスタートしたクラブは、Jリーグ黎明期のバブル的な強化で経営破綻しかけたこともあった。それでも、鬼才清水秀彦氏を監督に招聘、マルコスと言う偉才を獲得したこともあり、2001年(平成13年)J1に昇格。2年でJ2に降格するも、丁寧な強化を継続。梁勇基、菅井直樹と言ったトップスタアの育成にも成功、2010年(平成22年)にJ1に復帰するや、手倉森誠氏の采配よく、2012年(平成24年)シーズンはJ1で2位になり、翌シーズンACLも体験した。私が宮城県でプレイしていた1970から80年代、宮城県にはまともな芝のグラウンドはなかったことを考えると、隔世の感がある。
平成が終わろうとしている。
この平成時代、30年間の日本サッカーが放った光芒の鮮やかさを、どう説明したらよいのだろうか。いや、どう理解したらよいのだろうか。
2018年(平成30年)、7月2日。ロシア、ロストフ・ナ・ドヌ。我々は、アディショナルタイムに失点し、ベルギーに敗れ、ワールドカップベスト8進出に失敗した。繰り返すが、98年本大会に初出場、02年地元大会、10年南アフリカ、それぞれでベスト16に進出成功していたのだが、ここまで欧州の強豪に粘った試合は初めてだった。ベルギーはその後、セレソンを破り、ベスト4に進出した。
2018年(同じく平成30年)、12月9日。埼玉県、埼玉スタジアム2002。天皇杯決勝。我がベガルタ仙台は、初めての決勝進出を果たし、浦和レッズと対戦した。序盤にセットプレイ崩れから失点したものの、創意工夫を凝らし、幾度もレッズゴールを脅かす。けれども、武運つたなく、どうしてもレッズのゴールネットを揺らすことできず。優勝はできなかった。
平成元年に戻ろうか。
私が観ることが叶わなかった、高校サッカー選手権準決勝、決勝は2日順延して行われた。決勝は、三浦文丈、藤田俊哉、山田隆裕らがいた清水商が、野口幸司、小川誠一らがいた市立船橋を破って優勝した。また、準決勝で清水商に敗れた前橋商が米倉誠、服部浩紀、鳥居塚伸人らで演じた攻撃的サッカーは印象深かった。余談ながら、同日決勝する予定だった高校ラグビーの決勝戦は、延期ではなく中止となり、両校優勝となった。
これらを思い起こすと、繰り返すが、ご自身で退位と言う選択をされた今上陛下には感謝の言葉しかない。30年前は、昭和天皇が9月に体調を崩され(楽しみにされていた大相撲観戦を直前に闘病生活に入った、せめて最後の相撲観戦を楽しまれていればと思ったのは私だけか)、以降は自粛、自粛の重苦しい元号の切替だったのだから。
日本サッカーにとって、平成は、本当にすてきな時代だった。
新しい時代を明日から迎える。サッカーと言う究極の娯楽を得た幸せを感じつつ、令和の新時代を生きていきたい。
2019年04月27日
2019年シーズン、ベガルタ、ようやく楽観できた
ベガルタは、8試合を終えて、1勝1分6敗、勝ち点4、得失点差マイナス6、17位。何とも冴えない成績に苦しんでいる。
そろそろ「J1残留は大丈夫か?」的な議論も出てくるし、敗戦時の選手たちの重苦しい表情もやりきれない。まあ、このように思うに任せない事態があるから、サポータ稼業は、堪えられないのだが。
それにしても、一昨シーズンはルヴァンカップベスト4、昨シーズンは、天皇杯準優勝を筆頭に、うまい試合を見せればトップクラスのチームに勝ち切る機会も多かった。当然ながら、今シーズンは、さらなる上積みを期待したいところで、この苦境。いや、最高です。
と嘆き悲しむ今シーズンだが、先日の敵地アントラーズ戦も、0-1での苦杯。悔しい敗戦だった。けれども、私は安堵したのだ。この試合を見て、私は「今シーズンはもう大丈夫だ、これから反転できる。」と確信を持つことができた。
理由は明白、攻守両面でようやく合理的な試合を見せてくれた、つまり内容がよかったからだ。言い換えると、ここまでのリーグ戦、ほとんどの試合が負けて当然、ひどい内容だったのだのだが。
試合内容が改善されたのもよろしかったが、もう一つ嬉しかったことがある。負けが込んでいることに加え、前節のトリニータ戦で、ひどい試合をしてしまい、チームとしては精神的にも追い込まれた状況だったはずだ。それなのに、このアントラーズ戦は、内容を大きく引き上げることができていた。トリニータ戦は、後半半ばから完全に組織崩壊してしまい、よくぞ2点差で食い止めた、と言う内容だったのだから。
簡単にアントラーズ戦を振り返ろう。敵地の試合で、組織的な守備が機能、何度か好機は許したものの、最終ラインもよく粘り、完全に崩されることはなかった。一方で、幾度も逆襲速攻から好機をつかんだ。後半も同様の展開が続いたものの、セットプレイから失点。その後、分厚く守備を固めるアントラーズに対し、丁寧なパスワークで攻めこむ。そして、両翼から何回か好機をつかみかけたが得点を奪うことはできず、0対1での敗戦となった。
こう言っては身も蓋もないが、所詮サッカーは運不運。このアントラーズ戦のような、合理的な戦いを続けていれば、よいこと、悪いことは錯綜するだろうが、勝ち点はついてくるはずだ。
今シーズンのベガルタを見て、感じた大きな課題がある。
それは、毎試合のように、見ていて信じられないような非組織的なプレスを強引にかけ、スルッと外されて、簡単に数的優位の速攻をされて失点することだ。ミスを引っ掛けられて速攻を許すのは、褒められた事態ではないが、ある意味では仕方がない。しかし、ベガルタの一連の失点はそうではない。自ら、強引に手中守備をねらい、敵に外されて数的優位を許し、アッと言う間に失点を重ねたのだ。このような失点は、マリノス戦、ヴィッセル戦、ベルマーレ戦、トリニータ戦、枚挙に暇ない。しかも、そのような不首尾にかかわる選手が、若い経験不足の選手ではなく、富田晋伍、関口訓充、蜂須賀孝治と言った相当な経験豊富な選手だっただけに、悩みは深かった。
おそらくだが、渡邉監督は昨シーズン、それなりに好成績を収めたチームをブラッシュアップすることを狙い、集中守備からの速攻を狙ったのではないか。しかし、残念ながら、その組織作りはまだ未成熟。結果的には、上記の通り、幾多の失敗を重ねてしまっている。選手たちに能力以上の要求をしてしまった、と言う事ではなかろうか。
さらに言えば、開幕から渡邉氏は、相当守備に重きを置いた戦い方をしている。これは昨シーズン終盤、思うようにボールを握れない時間帯に、主に左サイドを執拗に狙われ失点を重ねたことの反省から来ているように思える。そのような守備的なやり方で、一気の速攻を目指す集中守備が、どうしても機能しないと言うことだろう。
一方で、昨シーズンオフから議論されていたのが、今シーズンの編成の問題だ。
開幕から、渡邉監督は、富田(32歳)、関口(33歳)、移籍で獲得した兵藤慎剛(33歳)、そして梁勇基(37歳)を軸に、中盤を組んできた。誤解しないで欲しいが、この4人のプレイが悪いわけではない、いや、皆すばらしいプレイを見せてくれている。富田は相変わらず的確な守備力で中盤の一角を封鎖してくれる。関口は、常にアグレッシブなドリブル、衰えない運動量でチームに貢献する。今シーズン移籍してきた兵藤は、豊富な上下動で攻守に機能、中盤を支えてくれる。先日のサガン戦での得点はその典型例。そして、梁勇基、落ち着いたボールキープは、やはり格段。運動量が落ちてきた終盤、再三梁だけはよく周りを見た位置取りと落ち着いたキープでチームを支えてくれている。けれども、彼らをスタメンに並べるのは、どう考えても得策ではない。4人とも、90分のフル稼働は厳しい年齢になり、特に試合終盤は、いわゆるガス切れ状態となってしまっている。
こう言った大ベテランに頼る布陣となっている要因の1つは、言うまでもなく、今シーズンの大黒柱と期待された椎橋慧也が、開幕直前に負傷離脱をしたことにある。
ただ、それだけではなく、このオフ、奥埜博亮、野津田岳人の2人の中盤中央のタレントの放出を余儀なくされたことも関係しているだろう。レンタルでサンフレッチェが保有権を持っていた野津田はさておき、ユース育ちで仙台大、Vファーレンレンタルと、丹念に育成を重ねた奥埜の放出は誤算だったように思える。一方で、庄司悦大、藤村慶太、茂木駿佑と言ったJ2クラブにレンタルしていたタレントを完全移籍で放出し、ユース育ちの至宝である佐々木匠、小島雅也のレンタルを延長している。そして、石原崇兆、飯尾竜太朗、松下佳貴、道渕諒平、そしてシマオ・マテと言った、いかにも実効的なタレントの獲得している。このような補強政策を見ると、必ずしも中心選手を札束で奪われてしまい、オロオロしているようには見えないのだ。
しかし、こう言った移籍選手へ戦術の徹底をすることに、計画以上の時間がかかってしまったと言うことではないかと思うのだ。なので、渡邉氏は上記のベテランを並べ、当面の試合をしのごうとしたのではないか。けれども、J1は甘くはなく、勝ち点の積み重ねに失敗したと言う事だろう。
気が付いてみれば、アントラーズ戦では、石原崇と松下がスタメン起用され、相当な活躍を見せてくれた。終盤の勝負どころで道渕も起用され機能した。加えて、ここ最近の試合では、最終ラインに若い常田克人が抜擢され、(トリニータ戦で決定的なミスもあったが)堂々たるプレイを見せている。最前線ではジャーメイン良が、鋭い突破を再三見せている(シュートミスも再三見られるけれども)。そして、椎橋も負傷から回復し、ルヴァンでは活躍してくれている。
そう、ようやく、反攻する材料がそろったのだ。
確かに、勝ち点勘定から見れば、苦しい状況なのは間違いない。また、負けが続くと、選手たちも自信を失い、いかにも重苦しい雰囲気となってしまう。
しかし、元々今シーズン、いわゆるBチームで戦っているルヴァンカップは好調で、早々に次ラウンドへの進出を決めている。そして、当初Bチームでプレイしていた移籍獲得選手や若手選手が、定位置を確保しつつある。
そして、ここ数シーズンで築き上げた、チームとして基本的な戦い方は、少々の不調があっても消え去るものではない。勝ち点が積めず、難しい状況下でも、選手がしっかりそろってくれば、アントラーズ戦のような合理的なサッカーができるのだ。
苦しい状況から始まった今シーズンではあるが、終わってみれば、「いやあ、最初は大変だったちゃねや」と笑えると、私は確信している。
そろそろ「J1残留は大丈夫か?」的な議論も出てくるし、敗戦時の選手たちの重苦しい表情もやりきれない。まあ、このように思うに任せない事態があるから、サポータ稼業は、堪えられないのだが。
それにしても、一昨シーズンはルヴァンカップベスト4、昨シーズンは、天皇杯準優勝を筆頭に、うまい試合を見せればトップクラスのチームに勝ち切る機会も多かった。当然ながら、今シーズンは、さらなる上積みを期待したいところで、この苦境。いや、最高です。
と嘆き悲しむ今シーズンだが、先日の敵地アントラーズ戦も、0-1での苦杯。悔しい敗戦だった。けれども、私は安堵したのだ。この試合を見て、私は「今シーズンはもう大丈夫だ、これから反転できる。」と確信を持つことができた。
理由は明白、攻守両面でようやく合理的な試合を見せてくれた、つまり内容がよかったからだ。言い換えると、ここまでのリーグ戦、ほとんどの試合が負けて当然、ひどい内容だったのだのだが。
試合内容が改善されたのもよろしかったが、もう一つ嬉しかったことがある。負けが込んでいることに加え、前節のトリニータ戦で、ひどい試合をしてしまい、チームとしては精神的にも追い込まれた状況だったはずだ。それなのに、このアントラーズ戦は、内容を大きく引き上げることができていた。トリニータ戦は、後半半ばから完全に組織崩壊してしまい、よくぞ2点差で食い止めた、と言う内容だったのだから。
簡単にアントラーズ戦を振り返ろう。敵地の試合で、組織的な守備が機能、何度か好機は許したものの、最終ラインもよく粘り、完全に崩されることはなかった。一方で、幾度も逆襲速攻から好機をつかんだ。後半も同様の展開が続いたものの、セットプレイから失点。その後、分厚く守備を固めるアントラーズに対し、丁寧なパスワークで攻めこむ。そして、両翼から何回か好機をつかみかけたが得点を奪うことはできず、0対1での敗戦となった。
こう言っては身も蓋もないが、所詮サッカーは運不運。このアントラーズ戦のような、合理的な戦いを続けていれば、よいこと、悪いことは錯綜するだろうが、勝ち点はついてくるはずだ。
今シーズンのベガルタを見て、感じた大きな課題がある。
それは、毎試合のように、見ていて信じられないような非組織的なプレスを強引にかけ、スルッと外されて、簡単に数的優位の速攻をされて失点することだ。ミスを引っ掛けられて速攻を許すのは、褒められた事態ではないが、ある意味では仕方がない。しかし、ベガルタの一連の失点はそうではない。自ら、強引に手中守備をねらい、敵に外されて数的優位を許し、アッと言う間に失点を重ねたのだ。このような失点は、マリノス戦、ヴィッセル戦、ベルマーレ戦、トリニータ戦、枚挙に暇ない。しかも、そのような不首尾にかかわる選手が、若い経験不足の選手ではなく、富田晋伍、関口訓充、蜂須賀孝治と言った相当な経験豊富な選手だっただけに、悩みは深かった。
おそらくだが、渡邉監督は昨シーズン、それなりに好成績を収めたチームをブラッシュアップすることを狙い、集中守備からの速攻を狙ったのではないか。しかし、残念ながら、その組織作りはまだ未成熟。結果的には、上記の通り、幾多の失敗を重ねてしまっている。選手たちに能力以上の要求をしてしまった、と言う事ではなかろうか。
さらに言えば、開幕から渡邉氏は、相当守備に重きを置いた戦い方をしている。これは昨シーズン終盤、思うようにボールを握れない時間帯に、主に左サイドを執拗に狙われ失点を重ねたことの反省から来ているように思える。そのような守備的なやり方で、一気の速攻を目指す集中守備が、どうしても機能しないと言うことだろう。
一方で、昨シーズンオフから議論されていたのが、今シーズンの編成の問題だ。
開幕から、渡邉監督は、富田(32歳)、関口(33歳)、移籍で獲得した兵藤慎剛(33歳)、そして梁勇基(37歳)を軸に、中盤を組んできた。誤解しないで欲しいが、この4人のプレイが悪いわけではない、いや、皆すばらしいプレイを見せてくれている。富田は相変わらず的確な守備力で中盤の一角を封鎖してくれる。関口は、常にアグレッシブなドリブル、衰えない運動量でチームに貢献する。今シーズン移籍してきた兵藤は、豊富な上下動で攻守に機能、中盤を支えてくれる。先日のサガン戦での得点はその典型例。そして、梁勇基、落ち着いたボールキープは、やはり格段。運動量が落ちてきた終盤、再三梁だけはよく周りを見た位置取りと落ち着いたキープでチームを支えてくれている。けれども、彼らをスタメンに並べるのは、どう考えても得策ではない。4人とも、90分のフル稼働は厳しい年齢になり、特に試合終盤は、いわゆるガス切れ状態となってしまっている。
こう言った大ベテランに頼る布陣となっている要因の1つは、言うまでもなく、今シーズンの大黒柱と期待された椎橋慧也が、開幕直前に負傷離脱をしたことにある。
ただ、それだけではなく、このオフ、奥埜博亮、野津田岳人の2人の中盤中央のタレントの放出を余儀なくされたことも関係しているだろう。レンタルでサンフレッチェが保有権を持っていた野津田はさておき、ユース育ちで仙台大、Vファーレンレンタルと、丹念に育成を重ねた奥埜の放出は誤算だったように思える。一方で、庄司悦大、藤村慶太、茂木駿佑と言ったJ2クラブにレンタルしていたタレントを完全移籍で放出し、ユース育ちの至宝である佐々木匠、小島雅也のレンタルを延長している。そして、石原崇兆、飯尾竜太朗、松下佳貴、道渕諒平、そしてシマオ・マテと言った、いかにも実効的なタレントの獲得している。このような補強政策を見ると、必ずしも中心選手を札束で奪われてしまい、オロオロしているようには見えないのだ。
しかし、こう言った移籍選手へ戦術の徹底をすることに、計画以上の時間がかかってしまったと言うことではないかと思うのだ。なので、渡邉氏は上記のベテランを並べ、当面の試合をしのごうとしたのではないか。けれども、J1は甘くはなく、勝ち点の積み重ねに失敗したと言う事だろう。
気が付いてみれば、アントラーズ戦では、石原崇と松下がスタメン起用され、相当な活躍を見せてくれた。終盤の勝負どころで道渕も起用され機能した。加えて、ここ最近の試合では、最終ラインに若い常田克人が抜擢され、(トリニータ戦で決定的なミスもあったが)堂々たるプレイを見せている。最前線ではジャーメイン良が、鋭い突破を再三見せている(シュートミスも再三見られるけれども)。そして、椎橋も負傷から回復し、ルヴァンでは活躍してくれている。
そう、ようやく、反攻する材料がそろったのだ。
確かに、勝ち点勘定から見れば、苦しい状況なのは間違いない。また、負けが続くと、選手たちも自信を失い、いかにも重苦しい雰囲気となってしまう。
しかし、元々今シーズン、いわゆるBチームで戦っているルヴァンカップは好調で、早々に次ラウンドへの進出を決めている。そして、当初Bチームでプレイしていた移籍獲得選手や若手選手が、定位置を確保しつつある。
そして、ここ数シーズンで築き上げた、チームとして基本的な戦い方は、少々の不調があっても消え去るものではない。勝ち点が積めず、難しい状況下でも、選手がしっかりそろってくれば、アントラーズ戦のような合理的なサッカーができるのだ。
苦しい状況から始まった今シーズンではあるが、終わってみれば、「いやあ、最初は大変だったちゃねや」と笑えると、私は確信している。
2019年03月24日
まだ、後3年あるのですから
日本0-1コロンビア
おもしろい試合だった。
共に、ワールドカップの上位進出を目指す、けれどもベスト4は厳しいかな、と言う地位。当方はホームだが3年後を見据え、吉田麻也、長友佑都、酒井宏樹、原口元気、大迫勇也と言った中心選手を招集せず。先方は、ほぼベストのメンバのようで、コパアメリカに向けた準備の一環。ただし、監督が変わったばかり、それも新監督があのカルロス・ケイロス氏。
キリン殿が支援してくれる国内国際試合は、非常に位置づけが難しくなってしまっている。欧州でW杯やユーロの予選以外に公式国際大会を始まったことで欧州の代表チームの招聘が難しくなっていること、遠路はるばる来日する相手国のコンディションで試合内容が左右されること、日本協会の貴重な強化費用獲得の源泉の一つであること、我々サポータが日本代表の試合を楽しむ貴重な機会であることなどが、錯綜しているためだ。
ともあれ、このコロンビア戦は、戦闘能力が伯仲した、実におもしろい試合となった。先方の真剣度、格段の戦闘能力、ケイロス氏の日本代表への知識、こう言った要素が加わったためだろうか。
前半、コロンビアが中盤で軽率なミスパスを繰り返したこともあり、日本は再三ショートカウンタから好機をつかんだ。そして、南野拓実、堂安律、中島翔哉が強烈なミドルシュートを放ったものの、崩し切れず。
後半に入り、コロンビアが選手交替でうまくペースをつかんできて、ほとんどボールをキープできない時間帯を作られ、微妙なPKで先制される。その後、中盤に起用された小林裕希がよくボールを触り、交代で起用した香川真司のキープ力、乾貴士のドリブルなどを加えて攻め返すが、崩し切れず。好機はそれなりに作れたが、決定機の数は明らかにコロンビアが上。また、失点するまでの後半20分間通して相手ペースを打開できなかったのも残念。ホームと言うことを考えれば、完敗と言うしかない展開だった。
ともあれ、上記した通り、当方にとってはアジアカップを終え、3年半後に向けて、いわゆるラージグループを作る段階。新監督の下、短期的にコパアメリカを目指す先方とは状況が異なる。ホームとは言え、相手は強豪コロンビア。0-1での敗戦と言う結果は悲観するものではないだろう。
ただし、細かい部分では、相変わらず森保氏のやり方には気になる点があった。
鈴木武蔵のワントップへの抜擢。昨シーズン後半長崎でよく点をとり、今シーズン札幌に移籍し開幕以降よく点をとっている。リーグ戦で調子のよい選手を代表の親善試合で起用するのは、乗っているタレントに活躍を期待する納得できる采配だ。しかし、このタレントの特長である、裏抜けの速さや体躯の強さを活をねらう場面は、あまり見受けられなかった。強いて言えば、カットインした中島翔也のクロスをフリーでヘディングでねらった場面くらい。少なくとも、森保氏が周辺の選手に対し、武蔵の活かし方を、明確に指示していたようには見えなかった。それにしても、武蔵には、あのヘディングをしっかりとミートして欲しかったのだけれども。
アジアカップ前の北川航也の起用方法を振り返っても、同じ印象がある。直前のベネズエラ戦やキルギス戦、北川は大迫や南野と並べて使われることはほとんどなかった。そして、アジアカップに入って、大迫の体調不良時に突然スタメンで起用され、ほとんど機能しなかった。
森保氏に対して厳しい言い方をすると、武蔵にしても北川にしても、ぶっつけ本番で使ってみて、うまく結果が出るのを、ただ待っているように見えるのだ。
柴崎岳と中島の使い方も相変わらず微妙なままだった。
選手入場時に、柴崎が腕章を巻いていたのには少々驚いた。この日のスターティングメンバには、東口順昭、昌子源、山口蛍と、柴崎と同等以上の経験を持つ選手が起用されていた中で、森保氏は柴崎に主将を託したわけだ。いかに、氏の期待が大きいかがわかる。実際、この日の柴崎は、前を向いてボールを受けることができれば、再三鋭いパスを繰り出していた。
ただし、この日の柴崎もアジアカップ同様に、曖昧な位置取りで、うまく組み立てられない時間帯も少なくなかった。特にコロンビアに圧倒的に押し込まれた後半立ち上がりから20分までの時間帯は、すっかり「消えて」しまっていた。と言って、ここぞと言う場面で、ロシアワールドカップの時のような信じ難いロングパスを通してくれたわけでもない。これは柴崎本人がチーム内でどのように貢献するかと言う意識、森保氏が柴崎の働き場をどのように設定するかと言う役割分担、それぞれが曖昧なままだからに思える。ここは、アジアカップ決勝での苦杯からの改善を見せて欲しかった。中盤後方は、この日堅実なプレイを見せたベテラン蛍、終盤起用されてよくボールに触り攻勢を支えた小林。さらには、大島僚太、遠藤航、三竿健斗、守田英正と、中堅どころによいタレントが多いだけに、森保氏の采配が問われるところだ。
中島のプレイを見るのは楽しい。コロンビアの屈強なDF2人に囲まれても、切れ味鋭いドリブルで抜け出すことも再三。鋭いミドルシュートや、見事なラストパスも見せてくれた。ただ、相変わらず、周囲との連携は怪しいところがある。中島が敵陣に入ったところでボールを持ったところで、後方から左オープンに佐々木翔が攻め上がったところで、強引に内側に切り返して敵DFにボールを奪われ、2人で置いて行かれる場面があった。また、相手の遅攻時に位置取りの修正が遅れ、佐々木が敵と1対2を作られ、そこから崩されてしまうことが再三あった。一方で、独特のポジションからうまくボールを奪い、一気に速攻を見せる場面もあったのだけれども。
この選手には、ある程度の自由を提供する方がよいのかもしれない。だったら、周囲の選手に対し、中島を活かすためのプレイを要求すべきだと思うが、森保氏は何か成り行きに任せているように見えてしまうのだ。
まあ、ワールドカップ本番まではあと3年ある。まだレギュレーションが決まっていないようだが、日本が予選に本格参戦するのも、来年半ば以降だろうから、これにもまだ1年ある。今年は、コパアメリカと言う格好の経験を積む機会もある。あまり、慌てて細かい話を気にする必要もないのかもしれない。
A代表と五輪代表を同じ監督に任せるやり方を採用するのは、20年振り。20年前と比べると、圧倒的に選手層も厚くなり、経験も積んだ日本サッカー界。当時のトルシェ氏の七転八倒を思い起こしながら、森保氏の強化を楽しむのも悪くないだろう。
おもしろい試合だった。
共に、ワールドカップの上位進出を目指す、けれどもベスト4は厳しいかな、と言う地位。当方はホームだが3年後を見据え、吉田麻也、長友佑都、酒井宏樹、原口元気、大迫勇也と言った中心選手を招集せず。先方は、ほぼベストのメンバのようで、コパアメリカに向けた準備の一環。ただし、監督が変わったばかり、それも新監督があのカルロス・ケイロス氏。
キリン殿が支援してくれる国内国際試合は、非常に位置づけが難しくなってしまっている。欧州でW杯やユーロの予選以外に公式国際大会を始まったことで欧州の代表チームの招聘が難しくなっていること、遠路はるばる来日する相手国のコンディションで試合内容が左右されること、日本協会の貴重な強化費用獲得の源泉の一つであること、我々サポータが日本代表の試合を楽しむ貴重な機会であることなどが、錯綜しているためだ。
ともあれ、このコロンビア戦は、戦闘能力が伯仲した、実におもしろい試合となった。先方の真剣度、格段の戦闘能力、ケイロス氏の日本代表への知識、こう言った要素が加わったためだろうか。
前半、コロンビアが中盤で軽率なミスパスを繰り返したこともあり、日本は再三ショートカウンタから好機をつかんだ。そして、南野拓実、堂安律、中島翔哉が強烈なミドルシュートを放ったものの、崩し切れず。
後半に入り、コロンビアが選手交替でうまくペースをつかんできて、ほとんどボールをキープできない時間帯を作られ、微妙なPKで先制される。その後、中盤に起用された小林裕希がよくボールを触り、交代で起用した香川真司のキープ力、乾貴士のドリブルなどを加えて攻め返すが、崩し切れず。好機はそれなりに作れたが、決定機の数は明らかにコロンビアが上。また、失点するまでの後半20分間通して相手ペースを打開できなかったのも残念。ホームと言うことを考えれば、完敗と言うしかない展開だった。
ともあれ、上記した通り、当方にとってはアジアカップを終え、3年半後に向けて、いわゆるラージグループを作る段階。新監督の下、短期的にコパアメリカを目指す先方とは状況が異なる。ホームとは言え、相手は強豪コロンビア。0-1での敗戦と言う結果は悲観するものではないだろう。
ただし、細かい部分では、相変わらず森保氏のやり方には気になる点があった。
鈴木武蔵のワントップへの抜擢。昨シーズン後半長崎でよく点をとり、今シーズン札幌に移籍し開幕以降よく点をとっている。リーグ戦で調子のよい選手を代表の親善試合で起用するのは、乗っているタレントに活躍を期待する納得できる采配だ。しかし、このタレントの特長である、裏抜けの速さや体躯の強さを活をねらう場面は、あまり見受けられなかった。強いて言えば、カットインした中島翔也のクロスをフリーでヘディングでねらった場面くらい。少なくとも、森保氏が周辺の選手に対し、武蔵の活かし方を、明確に指示していたようには見えなかった。それにしても、武蔵には、あのヘディングをしっかりとミートして欲しかったのだけれども。
アジアカップ前の北川航也の起用方法を振り返っても、同じ印象がある。直前のベネズエラ戦やキルギス戦、北川は大迫や南野と並べて使われることはほとんどなかった。そして、アジアカップに入って、大迫の体調不良時に突然スタメンで起用され、ほとんど機能しなかった。
森保氏に対して厳しい言い方をすると、武蔵にしても北川にしても、ぶっつけ本番で使ってみて、うまく結果が出るのを、ただ待っているように見えるのだ。
柴崎岳と中島の使い方も相変わらず微妙なままだった。
選手入場時に、柴崎が腕章を巻いていたのには少々驚いた。この日のスターティングメンバには、東口順昭、昌子源、山口蛍と、柴崎と同等以上の経験を持つ選手が起用されていた中で、森保氏は柴崎に主将を託したわけだ。いかに、氏の期待が大きいかがわかる。実際、この日の柴崎は、前を向いてボールを受けることができれば、再三鋭いパスを繰り出していた。
ただし、この日の柴崎もアジアカップ同様に、曖昧な位置取りで、うまく組み立てられない時間帯も少なくなかった。特にコロンビアに圧倒的に押し込まれた後半立ち上がりから20分までの時間帯は、すっかり「消えて」しまっていた。と言って、ここぞと言う場面で、ロシアワールドカップの時のような信じ難いロングパスを通してくれたわけでもない。これは柴崎本人がチーム内でどのように貢献するかと言う意識、森保氏が柴崎の働き場をどのように設定するかと言う役割分担、それぞれが曖昧なままだからに思える。ここは、アジアカップ決勝での苦杯からの改善を見せて欲しかった。中盤後方は、この日堅実なプレイを見せたベテラン蛍、終盤起用されてよくボールに触り攻勢を支えた小林。さらには、大島僚太、遠藤航、三竿健斗、守田英正と、中堅どころによいタレントが多いだけに、森保氏の采配が問われるところだ。
中島のプレイを見るのは楽しい。コロンビアの屈強なDF2人に囲まれても、切れ味鋭いドリブルで抜け出すことも再三。鋭いミドルシュートや、見事なラストパスも見せてくれた。ただ、相変わらず、周囲との連携は怪しいところがある。中島が敵陣に入ったところでボールを持ったところで、後方から左オープンに佐々木翔が攻め上がったところで、強引に内側に切り返して敵DFにボールを奪われ、2人で置いて行かれる場面があった。また、相手の遅攻時に位置取りの修正が遅れ、佐々木が敵と1対2を作られ、そこから崩されてしまうことが再三あった。一方で、独特のポジションからうまくボールを奪い、一気に速攻を見せる場面もあったのだけれども。
この選手には、ある程度の自由を提供する方がよいのかもしれない。だったら、周囲の選手に対し、中島を活かすためのプレイを要求すべきだと思うが、森保氏は何か成り行きに任せているように見えてしまうのだ。
まあ、ワールドカップ本番まではあと3年ある。まだレギュレーションが決まっていないようだが、日本が予選に本格参戦するのも、来年半ば以降だろうから、これにもまだ1年ある。今年は、コパアメリカと言う格好の経験を積む機会もある。あまり、慌てて細かい話を気にする必要もないのかもしれない。
A代表と五輪代表を同じ監督に任せるやり方を採用するのは、20年振り。20年前と比べると、圧倒的に選手層も厚くなり、経験も積んだ日本サッカー界。当時のトルシェ氏の七転八倒を思い起こしながら、森保氏の強化を楽しむのも悪くないだろう。