2017年02月25日

まずは開幕勝利

 2017年シーズン開幕。ベガルタは、コンサドーレをユアテックに迎え、1対0の勝利。

 ベガルタは、三田を中心に丁寧にボールを回し、前後半を通じ、攻勢をとっていた。しかし、コンサドーレは、最終ラインを分厚く固め、一方攻撃から守備への切り替えも速い。時に、都倉とジュニーニョの個人能力による逆襲がいやらしい。結果、80分過ぎまで崩し切れずイヤな展開。
 そうして迎えた84分。交替出場して前線で再三コンサドーレに脅威を与えていた西村(昨年と比べ、上半身が格段にたくましくなっていたのが嬉しい)がうまい持ち出しで前進、後方から進出したフリーの三田につなぐ。三田の強烈なミドルシュートを、GKがファンブル、詰めていた石原直樹が落ち着いて流し込んで、ようやく決勝点を奪えた。
 石原はいわゆる2シャドーの前のワントップでの起用。左右両翼に開きつつ前線での引き出し、落ち着いた最前線でのキープ、最前線での激しいプレス、さらに時には敵DFの前線進出にもからむ、と鮮やかな活躍ぶりだった。そして、あと10分を切ったところで、渡邉監督は石原に代えて一発のある平山の起用を準備していた。そして、平山がタッチラインにスタンバイしていたその時、石原が決勝弾を決めたのだ。負傷もありレッズで活躍の機会が得られず苦しんでいた石原直樹が復活した瞬間だった。
 その後、渡邉監督は、平山の交代を中止。CB増島を起用、右から蜂須賀、大岩、増島、平岡、石川と、頑健なDFを5枚並べ、しっかりと逃げ切った(考えてみると、増島と平山が、我が愛するクラブで再会するなんて素敵だよね。そう考えると、水野も残っていて欲しかったなと)。

 正直言います。ここ2シーズン、レッズでほとんど活躍の機会を得ていなかった石原が、どこまで活躍できるか疑問視していました。ごめんなさい、石原さん。そして、ありがとう。丹念にコンディションを上げていき、シーズンフル出場をねらってください。でも平山も頼むぞ。

 コンサドーレ関係者には失礼な言い方になるが、ベガルタにとってコンサドーレは、J1で戦闘能力上互角以下と考えられる数少ないライバル。そのコンサドーレとのホームゲームは、是が非でも勝ち点3を獲得したい試合だった。その大事な試合が、十分にコンディションが揃っていない開幕戦に当たったのは、少々イヤな印象があった。
 この難しい試合に、ベガルタは新しいフォーメーション、3-4-3で臨み、上記した通り、三田を軸にした丁寧なボール回しでペースをつかんだ。コンサドーレの前線でのプレスをうまくかわし、中盤まで丁寧に持ち出すことができたのは、この新フォーメーションが奏功したと見る。まずは、スタートは上々と考えるべきだろう。他チームのスカウティングが充実してくる数節後、どのように対応するのかを待ちたい。
 さらに、スタメン出場した35歳の梁勇基と32歳の菅井直樹が元気だったのがまた嬉しかった。さすがに、勝ち切る必要があったこの試合、2人は途中交替を余儀なくされたのだが。まあ、ここは、2人の体調と言うよりは、チーム全体のフィジカルコンディションの問題と捉えるべきだろう。実際、チームとしては、体調のピーキングは随分と先に合わせているはず、厳しい鍛錬を通じ、慌てず調子を上げて行ってほしいものだ。

 もちろん、新人永戸の大活躍が嬉しかったのは言うまでもない。「左足のクロスがよい」とは聞いていたが、しつこいディフェンス、位置取りの適切さ、敵の対面マセードを完全に押し込んだ前進意欲、ロングスロー、さらには右足で狙った無回転シュート。いずれも上々だった。敵のスカウティングが充実してくると、まずは壁にぶつかるだろうが、伸び伸びと活躍して欲しいものだ。

 ただし、このやり方で、勝ち切る試合を増やすためには、もっともっと攻撃の変化が必要。この日は、終始攻勢をとることができたこともあり、80分以降に明らかな疲労から、コンサドーレの守備が甘くなった。交替出場した西村がその隙を突き、三田の前線進出をうながしたことが、この日の勝因となった。
 しかし、より強力なチームと戦う際は、三田が前線に進出するのは、そう簡単ではなくなる。となると、いわゆるバイタルエリアで、技術なり判断で変化をつけることが必要となる。そのためには、茂木や佐々木匠のような、技術的に優れた若いタレントに期待したくなる。頼むぞ。

  ともあれ、開幕戦で、苦労を重ねて勝ち点3を奪えた。いや、本当によかった。なかなか、現地に行くことが叶わない不良サポータ。DAZNには、心底苦しめられそうだが負けません。
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ベガルタ2017年シーズン展望

 Jリーグが開幕する。

 先日、平山相太への怪しげな期待について、講釈を垂れた。では、肝心のベガルタ仙台の今シーズンはどうなるのか。以下、おめでたいサポータの楽観的な展望を。

 どうやら今期は、基本的な布陣を3-4-2-1とするらしい。選手の配置は必ずしも本質ではないけれど、ベガルタにとっては大きな変化点となる。。
 何のかの言って、2007年に望月達也氏が監督に就任以降、2008年から2013年までの手倉森政権、それを引き継いだ渡邊氏時代、基本的には、フラットな4-4-2の布陣で戦ってきた。2013年のACL長戦時に、手倉森氏が4-3-3にトライしたり、手倉森氏の後を引き継いだアーノルド氏が独自の守備方式を試みたことはあったけれど。(余談ながら、アーノルド氏の暗黒時代を、渡邉氏が引き継いだときの七転八倒は忘れ難い思い出ですな)。
 正直言って、布陣変更、それも本腰を入れた変更の報道を目にするまで、今シーズンの編成には不安があった。サイドバック、特に左サイドバックの層が非常に薄かったことだ。昨シーズン定位置を確保していた石川は、明らかにスピードに衰えが見られ、そろそろCBでプレイするべきに思えていた。その場合、左サイドバックは、負傷の多い蜂須賀と、新人の永戸のみになってしまう。
 なるほど、3DFで行くならば、ここに中野を持ってくるのは有効(この選手の獲得はヒットだ、レンタル獲得と言うところはちょっと気に入らないけれど)、あるいは茂木、藤村、佐々木匠などを使った変則布陣も可能となる。もっとも、この新布陣が効果を発揮したらの話ですがね。

 そして、今シーズンのベガルタの鍵は、若手の成長が握っている。具体的には、高卒3年目の茂木、西村、2年目の佐々木匠、小島、常田、椎橋、この6人が、どのくらいスタメンにからんでくるか(と言うか、匠と小島は、ワールドユースねらわなければいかんのだが)。
 もちろん、上記、平山に関するブログでも述べたとおり、ベガルタはトレードで受け入れた選手を、上手に鍛え直して戦力化して(言い換えると、やりくりして)成果を発揮してきた。これはこれで、誇るべきことだ。一方で、自前の若手選手が中々育ち切らないことが大きな悩みだった。
 しかし、奥埜(ベガルタユース → 仙台大、指定選手で継続育成 → ベガルタ加入、Vファーレンにレンタル → ベガルタで中核選手に)の育成成功は、我々の大きな自信となった。昨シーズン、高卒5年目の藤村が活躍したのも、明るい話題だ。だからこそ、彼らに続く、20代そこそこの6人の活躍は、とても重要なのだ。
 もちろん、上記した藤村に加え、シュミット(何かすごくワクワクするよね)、差波、中野、パブロ、クリスランと言った20代半ばのタレント達の活躍は当然として。

 渡邊監督も、4シーズン目を迎える。勝負の年となる。
 最初のシーズンは、スタメンのほとんどが30代と言うすごい試合を経験するなど、ACL戦士の老齢化に悩む日々だった。幾度も語ったが、連戦連敗のアーノルド氏のチームを引き継ぎ、J1残留を果たした手腕は、驚異的だった。2年目は新しい選手を大量に獲得し、己の意図を伝えることでそこそこの成果を挙げた。そして、昨シーズンは、チーム全体を相当攻撃的にシフトチェンジした、一方で敵速攻への対応は解決しきれなかったが。
 そして、4シーズン目。チームは上記の通り、新たなフォーメーションに挑戦し、また優秀な若手選手をたくさん抱えている、他クラブと比較して潤沢な戦闘能力とはとても呼べない。しかし、4年目を迎える渡邊氏の手腕、大いに期待している。決して裕福とは言えないクラブだからこそ、若いこれからの監督に長期政権を託すことが重要なのだ。
 
 Jリーグが開幕する。
 毎週末の絶望、悲嘆、嘆息、失望、そしてたまに訪れる絶対的な歓喜。少しずつの積み上げ、僅かな失態からの崩壊。
 1試合が終わり、それを反芻していると、すぐに次の試合が訪れる。
 幾度も幾度も語ってきたが、こんな素敵な玩具を手にできるなんて、若い頃は想像すらできなかった。うん。
 
 そして、ベガルタサポータにとっては、4年の歳月をかけて、じっくりと育ててきた監督の手腕を堪能するシーズンとなる。最高だ。
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2017年02月19日

平山相太と戦える喜び

 ベガルタサポータとして、平山相太と戦うことができるシーズンの開幕が近づいてきた。何かとても素敵なシーズンになりそうな予感がしている。

 私は、平山相太と言う選手が大好きだ。そして、若い頃から、その将来性を大いに期待していた。
 一方で、10年以上前、平山が若い頃から、周囲の指導者が、「平山の特長を誤って捉え、成長を阻害しているのではないか」と、憂う文章を随分書いたものだ(もっと読みたい方は、検索ウィンドウに「平山」と入力ください。そして、8年ほど前に、FC東京で中心選手として定着し始めた頃にも、「そのプレイスタイルは相変わらず平山の潜在力と一致していない」と、文句をつけたこともある。そして、翌年の平山A代表でのハットトリックには、随分興奮したものだ。
 しかし、残念ながら平山は、代表はおろか、FC東京の主軸にすら定着はできなかった。けれども、その得点能力は決して錆びついていない。FC東京での最終戦となった昨年末の天皇杯準々決勝フロンターレ戦の終了間際の一撃など、実に見事だった(もっとも、その一撃が遅すぎて、自軍の勝利につながらないあたりも、いかにも平山らしいのだが)。
 そして、平山はFC東京から、我らがベガルタ仙台に移籍してきた。

 平山は31歳。ここまで、平山が、大成しきれなかった要因はいくつかあるだろう。
 最大の要因は、負傷の多さだろう。2011年、12年、14年と骨折による長期離脱は、あまりに不運だった。また、上記したように、この選手の特長を見誤った使われ方が続いたのも、残念だった。もちろん、オランダ時代からよく取沙汰されるように、いわゆる「戦う気持ち」に課題があったのかもしれない。しかし、これらは皆過去のことだ。
 そして、上記したフロンターレ戦の一撃を見れば、平山はまだまだ存分な輝きを見せる能力を保持しているはずだ。いや、かつてないほどの輝きを見せてくれる可能性もあるように思うのは私だけか。
 もちろん、そのために解決すべき課題は無数にある。厳しい鍛錬により、コンディション調整をしっかりと行うこと。チームメートが、平山の特長をよく理解し、平山に点を取らせるサッカーを行うこと。そして何より、平山が己の特長を理解し、チームメートに適切な要求を行い、それに平山が応え、信頼を獲得すること。それらは、決して簡単な道ではないだろう。
 ただ、若くして格段の才能を発揮しながら、活躍しきれなかった選手が、ベガルタ仙台に加入し光彩を放った事例が無数にあるのだ。たとえば岩本輝雄、たとえば財前宣之、たとえば角田誠。もちろん、朴柱成もその系譜に加えてよいかもしれない。

 などと考えると、冒頭述べたように、「素敵なシーズン」と語りたくなる気持ちを、理解いただけるのではないか。うん、楽しみだ。
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岡野俊一郎氏逝去

 岡野俊一郎氏が亡くなった。享年85歳。
 ここまで私たちを導いてくれて、我が国を世界屈指とまでは行かないけれど、相当なサッカー国に導いてくれた恩師。
 ご冥福をお祈りいたします。今まで本当にありがとうございました。

 岡野氏の貢献を簡単に振り返ってみる。

 メキシコ五輪銅メダル。
 コーチとしての長沼健監督の参謀としての活躍。釜本を代表する多くの選手が苦しみつつも感謝した言う、厳しい直接指導、特別コーチのクラマー氏の通訳、そして最大の成功要因と言われる周到なコンディショニング準備。
 長沼氏の後を継ぎ、代表監督に就任し、ミュンヘン五輪出場に失敗した以降、現場指揮をとることはなかったが、それはそれでちょっともったいない気がしてならない。

 著作や翻訳。
 今日と異なり、欧州のサッカー書籍を翻訳できる人はほとんどいなかった70〜80年代。トレーニングの方策に模索する私たちにとって、岡野氏の翻訳書籍は、最高の教材だった。
 サッカーマガジンやイレブンに記載された、岡野氏の観戦記、指導方法への提言、日本サッカーの構造的問題への啓示。これらにより、私たちのサッカー感が、いかに研ぎ澄まされたことか。
 例えば、メキシコ五輪直後に「日本サッカーのトップレベル選手の技術は低い、南米や欧州はもちろん、アジア諸国より劣っている」と明言したこと。確かに映像を見ればその通りだった。「だからこそ、小学校時代から子供達に技術を教えなければならない」と、岡野氏は強調した。氏の発言を受けて、70年代初頭より日本中のサッカー屋が少年指導に専心したのが、今日の栄華を生むことになった。

 テレビ解説。
 ダイヤモンドサッカーにおける、金子アナウンサとの、幾多の丁々発止。ご自身が直接観戦されたワールドカップの名勝負にしても、初見の欧州のリーグ戦、ごくたまに映される南米の映像。いずれも、その文化背景を補足する鮮やかな解発の数々。
 日本代表戦やJSLの幾多の辛口解説。「もう少し褒めた方が、盛り上がりませんか」との思いもあったけれど。ただ、岡野氏のリアルタイムのリアリズムあふれる解説は大好きだった。特に、攻め込んでいるチームが点を取り切れないと、「守備のリズムが出て来ている。これは、押し込まれているチームのペースだ」と言うコメント通りになる展開。このような、試合の流れの説明は本当に勉強になった。

 幾度か、直接話をうかがう機会を得た。
 下心ばかりの凡人である不肖講釈師は、大昔の著書にサインをねだって機嫌をとってから、貴重な短い時間に臨んだ。当方の質問や意見をすっと聞いて、鋭く切り返す言葉。中でも忘れ難いのは、Jリーグ黎明期の話。曰く「日本のスポーツ用語は野球界のそれを使う傾向があり、本質的な意味を伝えられないきらいがある。だから『チェアマン』なり『プレシーズンマッチ』と言う言葉を使うよう指導した。今でも悔いが残るのは、『フロント』と言う言葉を使うのを許したことだ。結果的に、クラブの経営の重要さが矮小化されてしまった」とのこと。

 JOC委員なり、IOC委員での功績は、別に任せたい。

 もちろん、その業績のすべてをポジティブに語るつもりはない。
 ほぼタイミングを同じくして逝去された木之元興三氏らがはたらきかけるまで、日本サッカー界へのプロフェッショナリズム導入に消極的だった(あるいは無理をしなかった)のが、適切だったのかどうか。もちろん、「あのタイミングまで待った」からこそ、今日の繁栄があったとの解釈も成立するのだが。
 80年代後半から90年代前半にかけて。プロフェッショナリズム導入に積極的だった森孝慈氏を、強化体制に斬新な手を打とうとした加藤久氏を、それそれ「切った」ことを、どう評価すべきか。この2人が在野に去ったことは、日本協会の弱体化につながったのではないか。

 そうこう語りながら。
 私は岡野氏の最大の功績(と言う表現はあまりに不遜なのだが)は、上記のような具体的なものではないと思っている。
 岡野氏は、格段に先行している欧州のサッカー文化、いや生活文化とその背景を正確に理解していた(もちろん、北米スポーツ界の特殊性や、欧州と比較的類似した南米の制度も)。そして、それを我々に的確な日本語で説明してくれたのは、上記講釈を垂れた内容から理解いただけるだろう。
 そして、岡野氏の偉大さは、それらの理解に基づき、日本サッカー協会の運営を、将来に向けて矛盾がないように行っていたことにある。70年代半ばには、選手登録は、学校単位の登録から、年齢別登録に切り替わっていた。天皇杯は全国の小さなクラブにも開放されており、実力に恵まれて勝ち抜くことができれば、元日の決勝戦にまで残れる道筋があった。同じく小さなクラブでも、常識的な時間をかければ、JSLにも駆け上がれる道筋も準備されていた。国体と言う日本独特の運動会を利用したり、サッカー界独自のトレセン制度から、日本中から素質豊かな若手選手を吸い上げる仕組みも準備されていた。
 繰り返すが、このような制度設計が、70年代半ばには準備されていたのだ。その他の競技が、今なお学校体育や企業スポーツの既得権を脱することに苦労していることと比較して、サッカー界は何十年も進んだ運営が行われていたのだ。
 だから、我々は今、Jリーグと言う最高級の玩具を、じっくり楽しむことができるのだ。

 そのような基礎を構築してくれたこと、その構築のための本質的な理解。それこそが、岡野さんが、我々に残してくれたものだ。

 改めて。
 岡野さんから学んだ我々は、もっともっと素敵なサッカー界を、あるいはスポーツ界を、この国に作っていきたい。そこを目指すことが、岡野さんへのお礼となるはずだ。
 繰り返します。ありがとうございました。 
posted by 武藤文雄 at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月03日

監督采配の差

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。すっかり更新頻度が落ちていますが、書ける範囲であれこれ書き続けたいと思っています。と言うことで、まずは天皇杯決勝戦から、今年の講釈を始めます。新年早々、イヤミを色々書きますが、よい試合でした。でも、憲剛の戴冠を見たかった...


 アントラーズ2-1(延長)フロンターレ。
 両チームが中盤で厳しく当たり合い、攻撃でも持ち味を出し合い、最終ラインも粘り強く守る好試合だった。何か終わってみれば、伝統と実績を誇るアントラーズがタイトルの数を増やし、勝ち切れないフロンターレが無冠を継続したような結果となった。けれども、私の見たところ、勝敗を分けたのは、歴史や伝統の相違でも、試合運びの巧拙でもなく、監督采配の差だった。このような大試合で、ここまで監督が無策で自滅するのは珍しい。

 後半半ば、アントラーズは非常に厳しい状況に追い込まれていた。
 前半終了間際にCKから先制したものの、ハーフタイムに、左DFの山本を負傷で黄錫鎬に交代。ところが、後半開始早々に、その黄錫鎬が小林悠に出し抜かれて同点弾を許す。その後も、三好、小林の両翼攻撃に押し込まれていた。たまらず、鈴木優磨を起用して押し返して小康状態としたものの、既に残りの攻撃カードは1枚のみ。元々12月は連戦に次ぐ連戦で各選手に疲労の色が濃いのに加え、スタミナに不安がある小笠原、体調不十分の西、遠藤を抱えていたのだから。一方のフロンターレは日程的には格段に有利だったし、交代カードは2枚残っていた。
 それでも石井氏は決断し、88分には小笠原に代えてファブリシオに代えた。後半終了間際に決定的な失点を防ぐとともに、延長の序盤から勝負をかける意図だったのだろう。他の選手が動けなくなってしまったら、その時はその時だ。結果的に、このリスク覚悟の果断が奏功したことになる。
 対して、風間氏は何もしなかった。延長序盤もフロンターレは漫然と入ってしまい、アントラーズに押し込まれる。CKからのニアに飛び込んだ西(に見えたのだが)のヘッドはバーに救われたが、そのクリアにDFラインが集中を欠いて上がれず、永木(に見えたのだが)のヘッドで流したボールのこぼれを、ファブリシオに押し込まれ、リードを許した。繰り返すが、アントラーズが延長序盤出てくるのは、見え見えだったのだが。
 リードを許した風間氏の采配は、さらに疑問。中盤を活性化させるための森谷起用は理解できるが、チームのバランスを保つためには欠かせない田坂との交代には驚いた。ボランチに森谷と大島を並べ、憲剛をトップ下に入れるが、リードして完全に後方に引いたアントラーズ、肝心の憲剛にボールが入らなくなり、延長前半はほとんど有効な攻撃ができず終了。
 延長後半、大島に代えて森本を起用。憲剛をボランチに戻す。しかし、この時間帯となると、大久保も小林悠も疲労困憊になっており、森本を含む3トップが前線待機状態となり、一層アントラーズゴール前は密集地域となりスペースがなくなる。、さらに焦るエウシーニョと車屋も前に張り出すもサポートが得られず、両翼をえぐれない。結果として、フロンターレのパスは、アントラーズの守備網に簡単に引っかかり、幾度もアントラーズの逆襲を許す。その度に、憲剛が最終ラインまで戻り、献身的にボール奪取のための努力を行い消耗していく本末転倒。延長後半もフロンターレがつかんだ好機は数えるほどだった。
 両チームの選手は、死力を尽くし、知恵の限りを尽くして戦った。しかしながら、監督采配でここまで差が出てしまうと、フロンターレの選手たちだけでは、どうしようもなかった。繰り返すが、勝負を分けたのは、風間氏の自滅だったのだ。

 石井正忠氏は現役時代、ジーコ、サントス、アルシンドらのパスワークに的確に参加する位置取り、落ち着いたシュートなど、知性あふれるものだった。チャンピオンシップ以降の采配振りは、試合への準備、選手起用の柔軟性、リスク覚悟の決断、いずれも知性あふれるなもので、現役時代を彷彿させた。

 風間氏は退任すると言う。
 まずは、中村憲剛と大久保嘉人と言う最高級のスタアが、本当に楽しそうにプレイする環境を揃えた風間氏の手腕を称えたい。また、小林悠と大島と言うタレントも存分に力を発揮するようになった(もっとも、風間氏就任初年度、ご子息2人を重要視し、J屈指の若手ストライカだった小林悠を起用しなかったのは不思議だったが)。また、そこに三好のような、さらに若いタレントまで機能させた。
 けれども、最後得点をとるところは各選手の感性に任せてしまっているように思えた。もちろん、多くの試合では、格段の能力を誇る選手たちが次々と得点を決めていた。しかし、この決勝のような厳しい試合になると、最後の最後で連携が合わないように思えたのだが。
 守備も同様で、鄭成龍、エドゥアルド、谷口、エドゥアルド・ネットと言ったタレントの対応能力、田坂や憲剛の判断力で守っているが、組織敵には几帳面さが不足していた。この決勝、前半終了間際、延長開始直後と言った重要な時間帯のコーナキックでの守備対応の甘さは、几帳面さの不足が如実にあらわされた場面だった。
 憲剛や大久保の能力を存分に発揮させながら、最後点をとるところの連係や、守備の几帳面さを、もっと作り込む采配は、もっと並立可能ではないかと思うのだが、それは贅沢と言うものなのだろうか。

 結びに余談。いつもいつも言っているが、天皇杯決勝を元日にやるのはやめた方がよい。最大の理由は、トーナメント戦の決勝をシーズン最後にすると、オフに入るタイミングがチームごとに異なり、に日程破綻が継続することにある。Jのクラブが、ACLで勝てない最大の要因は、日程の破綻にあるのは、過去から幾度も指摘してきた。その日程破綻の要因の1つが、天皇杯決勝の元日開催なのだ。
 それに加えて、年末年始の長期休暇は帰省する人が多くサッカー観戦にはあまり向かない(しかも組合せが決まるのが直前で予定が立てづらい)、元日はテレビは特別番組が多く優勝チームの露出が小さい、などの副次的問題も大きい。
 伝統だからとか、元日にこたつに入りながらテレビを見るのが楽しみだとか、と言う理由で元日決勝を継続することが、日本サッカーの発展を阻害してしまうと思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 00:06| Comment(1) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

2016年10大ニュース

(「ワールドカップ予選のホーム敗戦がいつ以来か」と言う基本的議論を間違っていました。反省の意を込めて、字消し線での修正とします)

 何のかの言って、この2016年は「やはり日本サッカーは、十分強いんだ」と、再確認した年だと思っている。

 確かに、14年のブラジルでの早期敗退、15年豪州アジアカップのでPK負け、自信がなくなる状況はあった。また今年は9月のUAE戦で、ワールドカップ予選としては89年のイタリア大会予選97年のフランス大会予選以来のホーム敗戦を食らったのも確かだ。
 しかし、あまりに状況を悲観的にとらえ過ぎてはいないか。悲観的に語る方が「売れる」と言う現状もあろう。また、マスコミ諸兄からすれば、日本サッカーの状況が悪くなれば、「自分の生活が危うくなる」との焦りもわかるのだが。
 ハリルホジッチ氏が目を覚ました以降、豪州戦もサウジ戦も圧倒的な戦闘能力を見せつけている(細かな詰めを過るあたりは、この監督らしいのだが)。どう考えても、俺たちが一番強いではないか。
 五輪代表が手倉森采配で鮮やかにアジア制覇した時も、「もはや、日本はポゼッションで優位に立てない」など、敢えて悲観的な報道をする向きが多かった。U20がアジア制覇した折も、決勝でサウジに幾度も好機を許したことに、揚げ足をとるかのうように、同様な批判が渦巻いた。
 冗談ではない。圧倒的なボール保持でアジアを制したのは、00年アジアカップくらいだ。それ以外のワールドカップ予選も、アジアカップも、丁寧に冷静に戦い抜いたことを忘れてしまったのだろうか。

 岡崎と本田の輝きがまばゆかったこともあり、代表の若返りが遅れかけたことは確かだ。しかし、原口が、大迫が、そして昌子が出てきた。五輪代表でも、矢島も、大島も、植田も、遠藤航も、中村航輔も、着実に地位を築こうとしている。いたずらな楽観をするつもりはない。でも、落ち着いて考えれば、我々は相変わらずアジア最強国なのだ。そして、わずかなる幸運があれば、レアル・マドリードを追い込むこともできるのだ。

1.アントラーズ、レアル・マドリードを追い込む
 あの遠藤のシュートが決まっていれば...

2.ペトロビッチ氏、最後の10分間で崩壊
 レッズが通年で最高成績を収めていたのも確かだ。それに続くフロンターレが通年ですばらしいサッカーを見せてくれたのも間違いない。でも、レギュレーションはレギュレーション。レッズはチャンピオンシップに勝たなければならなかった。
 しかし、だからと言って、あそこで追いつかれたからと言って、あの錯乱はないだろう。しかも、今シーズンについては、レッズは終了間際まで、独特のパスワークで攻め込み、敵の疲労を誘い、崩し切っていたののに。
 あの10分間、ペトロビッチ氏に何が起こったのだろうか。

3.ワールドカップ予選、ホームでUAEに苦杯
 「たまに、このようなことがある」と、我々は自覚すべきなのだ。

4.手倉森氏、完璧なアジア予選、やっちゃった本大会
 手倉森氏の、五輪予選の完璧な戦い方は素晴らしかった。ローテーションを駆使した選手起用。トーナメントに入ってからは、120分間を見据え、敵の疲労を誘いながら、少しでも勝つ確率を高めるやり方。イランにもイラクにも、10回やっても、相当回数は日本が勝っただろうと言う印象だった。
 まあ、本大会は、恐れていた通り、策士が策におぼれた感があったけれども。それにしても、ナイジェリア戦のハーフタイムに修正できなかったことが残念だ。

5.U20、アジア初制覇
 ここ最近ワールドユースに出場し損ねた日本だが、堂々の出場権獲得。さらにアジア大会初優勝まで遂げてくれた。従来の日本のよさだった技巧的な中盤タレントの三好、堂安がいたが、いつも悩みのCBに中山、富安、ストライカに小川、岩崎とタレントが揃っていたのもよかった。
 そして、彼らが久々のワールドユース出場を決めた後、丁寧に戦い、決勝でサウジをPKで振り切ったのは本当にうれしかった。あれを見たら、常識的には「未来は明るい」と考えるが普通と思うのですが。

6.JリーグのDAZNとの10年超長期放映契約
 10年契約、2000億円と言われても、中々ピンと来ないが、巨額契約が成立したことは素直に喜びたい。ただ、これだけ不確定な世の中で、これだけ長期高額の契約の詳細はどうなっているのだろうか。ここは、今後に渡り、Jリーグ当局も的確な発信を、マスコミには正確な報道を期待したい。

7.女子代表五輪出場逃す
 こちらに書いたが、このチームは疲労ですり減ってしまったのだ。しかし、彼女たちが残してくれた成果は限りないものがあり、感謝の言葉しかない。高倉新監督に率いられた新しいチームには、次々と若手が登場している。若年層の世界大会での好成績も悪くない。今後に期待したい。

8.田島氏日本協会会長就任
 田島幸三氏にはちょっと複雑な思いがある。
 浦和南高校で全国優勝した高校サッカーのスタアで、筑波大学在学時代に日本代表にも選考された選手が、古河に加入し早々に引退し、中途半端にドイツに留学し指導者を目指した。指導者としても明確な実績はなく、氏が中心となった活動も、エリートプログラムやJFAアカデミーなど、ピント外れのものが多いような気がする。
 確かに、ここ20年来日本協会の中枢にいたのは間違いないのだが。

9.グランパス自滅
 元々、リーグ戦開始前から、多くの評論家がJ2落ちを予測していた。その通りになっただけだ。
 ちなみに、監督解任が遅かったとは思うけれど、少々早かったから残留できていたと言う考えも危険だと思う。復帰した直後の闘莉王はすばらしかったが、復帰数試合後はスタミナも切れてしまったようで、神通力も切れていたのだから。
 来シーズン、まったく新しいメンバでの再出発を狙っているようだが、過去の歴史を考えると、非常に危険なねらいだと思う。まあ、キャッシュは豊富なクラブですから、どうなることか。

10.日程問題いいかげんにしませんか
 ACLでどうしても勝てないのが、Jの日程問題にあることは再三議論されてきている。それでも、Jリーグ当局は何も手を打たない、どころ、かチャンピオンシップを導入した。ようやく、その制度をやめたと思ったら、夏期にインタバルを設けると言う。また、日程問題の課題の最大の1つである天皇杯決勝の元日開催をやめとうともしない。
 もう選手を消耗品として扱うのはやめにしましょう。選手は私たちの資産なのです。
posted by 武藤文雄 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年ベストイレブン


さて、恒例のベストイレブンです。

GK 西川周作(浦和レッズ)
 今年のJリーグは、チャンピオンズシップ以降、訳のわからない状態になってしまった。でも、やはり通期のリーグ戦をレッズが勝ち抜いたことは、しっかり記憶していくべきだろう。そして、今シーズンのレッズは過去と比較し、格段に守備が向上したが、西川の貢献はすばらしかった。また、ワールドカップ予選、敵地タイ戦でのファインプレイは、後年「日本の運命を左右したプレイ」と評価されるかもしれない。

DF 中澤佑二(横浜Fマリノス)
 スピードはなくなったし、90分間戦い抜くのは相当厳しそうだ。けれども、今シーズンはフル出場。相変わらず日本最高の守備者として君臨している。敵のプレイを丹念に研究しているのだろう、どのような場面でも彼我のスピード差を考えながら、敵のシュートポイントを押さえる。今なお、すべての日本人守備者が目指すべき存在。

DF 阿部勇樹(浦和レッズ)
 通期でJリーグを勝ち抜いたレッズの大黒柱はやはりこの人。サイドチェンジや前線へのフィードの美しさ、中盤での刈り取り、後方に引いてのバランスの確保。この選手のプレイを見るのは本当に楽しい。今シーズンは遠藤航の加入により、最終ラインまで下がることは少なくなったが、チーム事情?でDFとさせてもらいました。

DF 昌子源(鹿島アントラーズ)
 今シーズン最高の発見。今シーズン終盤から着実に向上し、チャンピオンシップ、クラブワールドカップの1試合ずつでさらに成長した。レアル・マドリード戦の後半、クリスチャン・ロナウドを止めた場面には興奮した。この選手の確立は、ロシアワールドカップのベスト8以上を目指す私たちにとって、とても重要だ。

MF 西大伍(鹿島アントラーズ)
 このポジションは、ドイツで奮闘する両酒井(2人とも欧州では相当な評価を受けているようなのだが、どうして日本代表に帰ってくるとおバカをするのだろうか)、小林祐三などと迷ったが、やはりクラブワールドカップでのプレイを思い出し、西を選考した。あのレアル戦での上下動、落ち着いたボールさばき、粘り強い守備。あれだけやってくれれば、代表復帰も十分に考えられる。

MF 矢島慎也(ファジアーノ岡山)
 岡山の攻撃リーダとして、J1昇格まで後一歩までチームを引っ張った若きスタア候補。あのセレッソ戦、劣勢の中盤で一人冷静に配球したプレイはすばらしかったのだが。五輪でも、攻守のバランスをとり、難しい状況下のチームを支えた。J2にレンタルされ、チームの中核を担うことが若いタレントの成長に重要だと言うことを示したことも意味がある。レッズに戻る来シーズンどこまで成長してくれるか。

MF 中村憲剛(川崎フロンターレ)
 やはりこの人はすばらしかった。長短のパスを自在に操り、全軍をリードする。終盤戦で負傷しなければ、フロンターレが通期で最高成績を収めた可能性もあったかもしれない。

MF 原口元気(ヘルタ・ベルリン)
 現在、日本最高の名手と言っても過言ではないだろう。レッズでプレイしていた終盤は、すっかりたくましくなっていたが、ドイツに行きさらに成長した。何より、持ち前の技巧に強さがついたのがすばらしい。歴史的にも、日本に本格的なウィングが登場したのは、60年代の大杉山、70年代の大永井以来ではないか。ロシアの上位進出に向けて、最も重要な選手となった。

FW 大久保嘉人(川崎フロンターレ)
 幾度も書いたが、このFWが得点に専念するポジションで、中村憲剛と同じチームにいてくれたことに感謝したい。いわゆる瞬発力は、全盛期からは落ちてしまったかもしれないが、点をとれる場所に入り込むタイミングと、ゴール前での冷静さは、相変わらず格段。

FW 岡崎慎司(レスター)
 プレミアで優勝。いずれの試合を思い起こしても、岡崎抜きでその栄光がなかったことは間違いない。その献身的なプレイスタイルは、誰からも尊敬されるもの。それにしても、ハリルホジッチ氏が、この日本でも最も頼りになるストライカを軽んじて、自分で自分の首を絞めているのは不思議で仕方がない。

FW 大迫勇也(1FCケルン)
 強さと技術を併せ持つ本格ストライカとして期待され続けてきたこの大器が、ようやく本領を発揮してきた。もっと周囲に「自分が点をとるから、ここにボールを寄こせ」と言う要求をしてほしい。代表での背番号が15と言うのもすばらしい、かつての釜本と同じではないか。ライバルは多いが、大迫が最前線で光り輝けば、ロシアへの期待は多いに高まる。
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ヨハン・クライフと中村憲剛&大久保嘉人

 今年3月24日に、ヨハン・クライフが逝去。
 来年1月1日に、中村憲剛と大久保嘉人は、同じチームで最後の戦いに挑む。
 今年終盤の戯言として、クライフの偉業を懐かしみながら、本ブログ最後で上記2文を結合させます。

 今年も、世界サッカー界には、色々なことがあった。欧州選手権なりコパアメリカなど大きなタイトルマッチには興奮したし、チャンピオンズリーグ決勝でのマドリードダービーも中々だったし、五輪のネイマールの涙も感動的だったし、いや先日のクラブワールドカップ決勝も悔しかった。ビデオ判定やら、ワールドカップ本大会出場チーム数増など、怪しげな動きもあった。
 そんなこんな色々あった1年だったが、私にとって今年は、クライフが死んだ年として記憶することになる。とにかく、私の世代のサッカー狂にとって、クライフと言う選手は特別な存在なのだ。私が中学校2年生の時に行われた74年のワールドカップで、オランダ代表が見せたサッカーの美しさと、それを率いたクライフのリーダシップは格段のものだったから。これは純粋に年代的なもの、ある意味一番多感な中学生時代に、あこがれたスタアに対する思いは格段のものがある。私にとって、ちょっとペレは早すぎたし、マラドーナは同級生だ。
 クライフが肺ガンで状況が芳しくないとの情報は耳にしていたので、、ある程度覚悟はしていた。また、ちょうどその報せを聞いたのが、ワールドカップ予選のアフガニスタン戦直後、親しいサッカー仲間と一緒の時だったこともあり、様々なことを話すことで、気がまぎれた。帰宅して、深夜の複数のテレビスポーツニュースで流れたのはいくつかの名場面。74年ワールドカップ、決勝の開始早々のPK奪取、2次ラウンドブラジル戦のジャンプボレー、アルゼンチン戦のGKを抜き去るドリブルシュート、そして1次ラウンドスウェーデン戦のクライフターン。40年以上前になるが、これら4場面は今でも鮮明な記憶となっている。悲しい酒だった。

 言うまでもなく、クライフ氏が監督としても絶品だった。そして、監督としてのクライフ氏の評価は、いくつかビッグタイトルを取ったと言うことに止まらない。
 監督としてのクライフ氏の貢献は、第一に、クライフ氏が作り上げた攻撃的サッカーが実に見事だったことだ。判断力がよく技術の高い選手を集め、高速パスを回して敵を崩し切る。80年代以降、世界のトップレベルのサッカーの守備力は格段に向上した。これは、選手のフィジカルトレーニングが充実してきたこと、ビデオ素材などの充実で大柄な選手の育成術が発達したこと、戦術の進歩で(退行とも言うのかもしれないが)中盤を分厚くする守備方式が確立したことなどによるものだ。それでも、80年代はプラティニとかマラドーナとかファン・バステンなどのスーパースタアがいれば、それを突破することはできていた。けれども、90年や94年のワールドカップでは、分厚い中盤に加えて、後方をブロックで固める守備方式が登場し、いよいよ点をとるのが難しい状況となった。それに対する有力な回答の1つが、クライフ氏の「判断力がよく技術の高い選手による高速パス」だったのだ。
 2つ目の貢献は、バルセロナと言うクラブがまったく異なる存在となったことだ。このクライフイズム浸透以降のバルセロナは、常に判断と技巧に優れた高速パスで世界から尊敬される存在となり、幾度もスペイン制覇したのみならず欧州チャンピオンにもなり、00年代には複数回世界一となった。若い方には信じられないかもしれないが、バルセロナと言うクラブは、80年代までは、クライフやマラドーナのようなスーパースタアを高額で買ってきては、レアルやアトレティコのマドリード勢やバスクのクラブの後塵を拝する、まあそのような楽しいクラブだったのだ。大体、60年代から80年代にかけてバルセロナは、2回しかスペインリーグを制覇していなかったのだ(うち1回は選手クライフがいた73-74年シーズン)。
 そして、3番目の貢献、これはバルセロナのいわゆるクライフイズムが、スペイン代表にも広がり、とうとうこの国が欧州選手権はもちろん、ワールドカップまで制したことだ。90年代いや00年代前半までのスペイン代表チームは、レアル・マドリードなりバルセロナの高額スタアが揃い、大会前は「今回こそ優勝候補」と言われながら、本大会に入り勝負どころで確実に負ける存在だった。ワールドカップを制した2010年の決勝の相手が、クライフの母国オランダだったのは皮肉だったが。当時クライフ氏が、スペインを応援したのには笑わせていただいたが。

 ただ、考えてみると、最近のバルセロナやスペイン代表チームのプレイ振りが、クライフ全盛時のアヤックスやオランダ代表に似ているかと言うと、ちょっと違う。で、その最大の違いは、結局選手クライフがいない、と言うことに突き当たる。
 よく若い友人に「クライフって、どのような選手だったのだろうか、今で言うと誰に似ているのか」と問われることがある。
 クライフのプレイそのものの説明はそれほど難しくない。一応トップのポジションにいるがバックラインまで引いてきてプレイを開始する。周囲の味方とパスを回していて、隙を見つけると突然加速して、高速ドリブルを開始する。突破のドリブルは、左右の揺さ振りではなく、加減速を用いる。急加速もすばらしいが、急減速による攻撃の変化は非常に効果的。そして、敵のチェックが甘ければ、そのままペナルティエリアに進出する。あるいは、ドリブルした姿勢のまま、長短自在のパスを操る。時に、それは味方へのラストパスとなる。あるいは、そのパスを受けた味方が最前線にラストパスを入れる。そして、それに飛び込んで難易度の高い得点を決める。
 ただ、クライフにスタイルが似ている選手となると、中々難しい。フィニッシュも突破も組み立ても、すべてこなせるスタアはそうは存在しない。特に最近のサッカーは中盤のプレスが非常に厳しくなっているので、シャビやイニエスタやピルロやモドリッチのように中盤後方で組み立ての妙を見せるタレントと、メッシやクリスチャン・ロナウドやネイマールやベイルのように突破し点をとるタレントに分化する傾向がある。
 そうなると、ペレ、マラドーナまでさかのぼることになるが、この2人はゴール前の破壊力が凄すぎて、最前線での魅力が強すぎる。プラティニはややクライフに近いが、「緩」は絶妙だったが、「急」はクライフより落ちるか。まあ、肝心のところで、熱くなって我を忘れてしまい、西ドイツにやられるところは、この2人の共通点かもしれないが。
 話を戻すが、監督としてのクライフ氏は、自分のような万能型攻撃兵器の存在が難しい時代に合わせた美しい攻撃的サッカーを作り上げたと言うことなのではないだろうか。

 と言うことで、クライフを今の選手に喩えるのはとても難しいのだ。クライフの死後、そんなことを考えながら、Jリーグの試合を観ていた時に、ハッとひらめいたことがある。
 もし、中村憲剛と大久保嘉人のプレイを同じ1人の人間が演じることができたら、それがクライフではなかろうかと。憲剛による組み立ての妙、緩急の変化あふれる鮮やかなラストパス。大久保の強引で効果的な突破、そしてきめ細かな得点力。それらが総合されたタレント、クライフとはそのような選手だったのだ。
 
 クライフのような現人神はさておき、私たちは中村憲剛と大久保嘉人を所有している。いつもいつも語っているが、この2人がこの4年間同じクラブで戦うのを見ることができたのは、幸せな事だと思っている。この2人が絡む攻撃を見るのは本当に楽しかった。ベガルタ戦以外では。
 そして、明日は天皇杯決勝。アントラーズ対フロンターレ。中村憲剛と大久保嘉人が同じチームで戦う、おそらく最後の試合となる。そして、憲剛も大久保も輝かしい経歴を誇り、日本サッカー史で燦然と輝く経歴が語られるべきタレントだ。しかし、この2人はタイトルに恵まれた事はない。明日の決勝戦に向けて、2人の思いは格段なものだろう。
 私はフロンターレサポータでも何でもない。けれども、憲剛が最高の笑顔でカップを上げる姿は見てみたい。
posted by 武藤文雄 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大魚を逸したアントラーズ

 後半半ばに、クリスチャン・ロナウドのドリブル突破を、昌子が冷静な対応で止めたとき、「これは、もしかしたら」と思い始めた。そして、アディショナルタイム、左サイドからのクロスが裏に抜け、遠藤がフリーでシュートした瞬間。もしかしたら、あれは「私達日本人が世界一に最も近づいた」と後世に語られる瞬間だったのかもしれない。もちろん、そうならないことを望んではいるのだが。
 いや待て。俺たちはもう世界一の経験があるのだったっけな。

 アントラーズの奮闘は、単にアジアのクラブ、日本のクラブが決勝に進出し、欧州のトップクラブをあと一歩まで追い込んだことに止まらない。
 ビッグゲームで、延長戦となり、歴史的なスーパースタアが圧倒的な個人能力を見せて勝負を決める決勝戦など、そう滅多にお目にかかれるものではないのだ。クリスチャン・ロナウドの3点目は、まだ植田が昌子に合わせてラインをそろえられなかったと言う守備側のミスもあった。けれども、4点目はあり得ない、味方のシュートが偶然に自分の前に飛んできて、それをとっさに完璧な場所にトラップし、落ち着いてシュートを決めるなんて。この選手のストライカとしての能力は一体どう考えたらよいのだろうか。クリスチャン・ロナウドは、いわゆるストライカとして、ゲルト・ミュラー、ファン・バステン、ロナウド(ブラジルのね)の域に達する名手に至ったと、考えるべきだろう。そして、その名手に延長でやられる経験が味わえるなんて。

 クラブワールドカップで日本勢が準決勝まで進んだのは5回目となる。。
 07年、レッズがミランに0対1、よく守り、ワシントンを軸に逆襲を成功させかけた場面もあったが、きっちりと0対1でやられた試合。戦闘能力差は明らかだったが、最後まで1点差で戦い抜いたのは見事だった。サッカーと言う競技は、とにかく1点差でとどめておけば、何が起こるかわからないのだから。ただ、この時のレッズは負傷でポンテと田中達也を欠いており、さらにACLを含めたシーズン終盤の過密日程でボロボロだった。もう少しよいコンディションで戦えばもっと健闘できた可能性もあったと思う。
 08年、ガンバがユナイテッドに3対5、終盤攻め合いとなり、遠藤を起点とした攻撃でユナイテッドから複数点をとったこともあり検討した雰囲気もあった。けれども、前半ギグスのCKからヴィディッチとクリスティアン・ロナウドに決められ、2点差とされてしまったので、勝負と言う意味ではどうしようもなかった。ただ、この年のガンバも、ACL制覇を含めた過密日程で、二川や佐々木も使えず、ボロボロだった。
 11年、レイソルはJリーグチャンピオンとして地元枠での登場。苦戦しながらも準決勝に進出したものの、準決勝の相手サントスには、ネイマールと言う化物がいた。1対3の完敗。化物の存在が、いかにサッカーにとって重要かを認識する試合だった。
 そして昨年、サンフレッチェがリーベルプレートに0対1、互角の攻防でサンフレッチェにも好機があったものの、GK林のミスから失点(これはベガルタサポータからすると、「ああ、またやっちゃった!」と微妙な感動もあったのだが)。その後の20分間、しっかりとボールを回してきたリーベルに抵抗できなかったのが印象的だった。ちなみに、サンフレッチェは3位決定戦で広州恒大を破ったが、広州恒大の各選手の疲労振りが顕著だった。上記のレッズやガンバも同様だったが、ACLを制した直後のクラブが、このクラブワールドカップを戦うのは、日程的に非常に厳しい挑戦と言うことなのだろう。

 そして、アントラーズは、準決勝でナショナル・メデジンを振り切り、決勝でレアル・マドリードに最大限の抵抗を見せてくれた。

 ナシオナル・メデジンは非常に戦闘能力の高いチームだった。
 驚いたのはメデジンの攻撃的姿勢。よほどのスタア軍団だった場合を除き、南米のトップチームは「まず守ってくる」と言う先入観がくつがえされた。中盤で速いパスで左右に揺さぶり、短く低く強いパスをトップにぶつけ、FWがしっかりキープし起点を作り、そこから再三ペナルティエリア内に進出してくる。中盤でのパスコースは多彩、前線でのキープは格段で、アントラーズは幾度も好機を許した。
 一方で、攻撃に多くの選手をかけてくるので、一度アントラーズがボールを奪い、第一波のプレスをかわすのに成功すると、 中盤は薄い。その結果、結構アントラーズも好機を作ることに成功した。ただし、中盤は薄いが、最終ラインの強さと判断力は見事。アントラーズのラストパスをギリギリのところで押さえ込む。一度、後方から走り込んだ柴崎が鮮やかな技巧でDFラインの裏を突いたが、GKの見事な飛び出しに防がれた。
 勝負を分けたのは、ほんの少しアントラーズが幸運だったこと。全盛期の好調ぶりを思い出したかのような曽ヶ端と、大会に入り成長し続ける昌子を軸に、幸運も手伝って丹念に守り続けたアントラーズ。ビデオ判定によるPK奪取と、終盤攻め疲れたメデジンのプレスが甘くなったところでの速攻からの2発。
 繰り返すが相当幸運だったことは間違いない。特に前半終盤、後半半ば、メデジンがいわゆる強度を上げてきた時間帯は、アントラーズは最終ラインから持ち出すことができず、幾度も決定機を許してしまったのだから。また、現実的に戦闘能力差があったのは間違いないから、メデジンに厚く守備を引かれ、ロースコアで上回る試合を狙われたら、一層難しい試合になっていたことだろう。現に、ブラジルワールドカップでも、リオ五輪でも、そのようなスタイルのコロンビアの速攻にやられたのは記憶に新しい。おそらくメデジンは、決勝のレアル戦を見据え、90分で勝負をつけてしまう展開を狙ったのだろう。上記2試合の日本はどうしても勝ち点3が欲しかったが、アントラーズは我慢して120分勝負に持ち込む選択肢もあったところが違ったから。もちろん、メデジンが見て愉しい攻撃的サッカーを展開し、それで日本のチームの勝つ確率が高まったのだから、文句を言う筋合いはないのだが。

 そしてレアル・マドリード。
 欧州チャンピオンズカップ黎明期のディ・ステファノ、プスカシュ時代から、この純白の衣をまとう名門クラブは、各ポジションに絢爛豪華なタレントを並べ、他を圧するのを得意としている。そして、今回もクリスチャン・ロナウド、モドリッチ、セルヒオ・ラモスらがズラリ。過密日程の欧州トップクラブゆえ、各選手の体調は今一歩で、それがアントラーズの健闘につながったわけだが。
 このレアルに対し、なぜアントラーズがあそこまで健闘できたのか。答えは比較的簡単で、アントラーズにいくばくかの幸運が訪れれば、接戦になる程度の差しかなかったからだ。言い換えると、Jリーグのトップクラブの戦闘能力は、世界の超トップレベルとそのくらいの差だと言うことだ。上記で振り返った過去のクラブワールドカップの敗戦も、相応には接戦に持ち込んでいたの。また、ワールドカップでも、コンディション調整に失敗した06年と14年を除けば、98年のアルゼンチン戦や10年のオランダ戦で代表されるように、それなりの試合はできてきた。
 一方で、今回のアントラーズを含めて、毎回毎回近づけば近づくほど、その差が具体的に見えてきて、道が遠いことも痛感させられる。そして、その決定的な差とは、「スーパースタアの得点能力」と言う見も蓋もない結論になってしまうのだが。クリスチャン・ロナウドのようなスーパースタアを日本から輩出するにはどうしたらよういのか。これを語り出すとキリがない。
 ただ、今回のアントラーズは、レアルのような世界最強級クラブに対し、とにかくリードを奪ったこと、幸運ではなく能動的な崩しで2得点したことがすばらしかった。特に柴崎の2点目は、技巧で複数の敵選手を打ち破った見事なものだった。いわゆるインテンシティとかデュエルを発揮した一撃だったが、これらを支えるのは単なるフィジカルではなく、技巧そして的確な判断力であることを示してくれたも痛快だった。柴崎は日本のエリート選手で、代表にも選ばれるほどのタレントだが、欧州でのプレイ経験はない。そのような選手でも、あれだけのプレイができることが、Jリーグの充実を示している。少なくともこの日、柴崎はモドリッチより輝いたプレイを見せてくれた。果たして、柴崎は、どのような厳しい試合でもモドリッチのようなプレイができる選手に育ってくれるだろうか。
 柴崎だけではない。昌子のプレイは、ロシア五輪に向けた守備の中核となることを存分に期待させるものだったし、曽ヶ端と小笠原の両ベテランはさすがだったし、金崎、永木、西、山本、遠藤と言った中堅どころも試合ごとに成長を見せレアルの選手と対等近くわたりあった。
 そして、選手の能力を存分に引き出した石井監督の采配を評価しないわけにはいかない。石井氏は、Jリーグ終盤戦から、プレイオフそれに勝利のクラブワールドカップまで視野に入れ周到に準備をしたのだろう。さらに、プレイオフ以降の連戦を考慮し、ローテーション的な選手起用も見事だった。与えられた環境で最善の成績を目指すと言う監督の使命をほぼ完璧に果たしたのだ。そして、もし冒頭に述べたあの遠藤のシュートが入っていれば、「ほぼ」が必要ないところだったのだが。

 アントラーズ選手たちの、試合終了直後の大魚を逸した悔しさにあふれた表情は、すばらしかった。そう、彼らは大魚を逸したのだ。そして、このような機会をまた確保することの難しさを想像すると...


 余談を2つ。

 アントラーズには東北出身選手が多い。小笠原は岩手県出身、柴崎は青森県出身。そして遠藤は塩釜FC、宮城県出身だ。元々、アントラーズの前身の住友金属の中軸だった鈴木満(現GM)、80年代エースとして得点力あるウィングとして活躍した茂木一浩も宮城県出身だ(ちなみに、茂木は自分と同世代 で、高校時代散々痛い目にあったのです)。さらに、遠藤を育てた塩釜FCは、言うまでもなくあの加藤久が育ったクラブ。宮城県育ちの私としては、やはり嬉しい。

 ナシオナルメデジンが、トヨタカップで来日したのは89年。敵はACミラン、フランコ・バレーシ、アンチェロッティ、ドナドニ、若きマルディニと言ったイタリア代表選手に、ファン・バステン、ライカールトのオランダのトッププレイヤが加わった強力メンバだった。しかし、メデジンは知性あふれるCBエスコバル(故人、USAワールドカップ後に非業の死)、怪GKイギータを軸に、見事な守備を見せる。延長終盤まで0対0で進んだ試合は、ミランのエヴァニが直接FKを沈め決着。メデジンは惜敗した。長きに渡るトヨタカップでも、このメデジンの抵抗振りは歴史に残るもの。そのメデジンが、もしかしたら最後の日本開催となるクラブワールドカップに再臨し、日本のクラブと手合わせしたことの感慨は大きかった。
posted by 武藤文雄 at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

2016年シーズン、年間チャンピオンシップの罠

 まずは、アントラーズを称えたい。大会前から決められたレギュレーションにのっとり、見事な勝利を収めたのだから。今シーズンのチャンピオンはアントラーズだ。小笠原とその仲間たちに祝福の言葉を贈るとともに、敬意を表したい。

 ただ、私はこのレッズの敗戦には考え込んでしまった。ただの不運とか、理不尽とかとは別なものを感じたのだ。

 今シーズン、ペトロビッチ氏が率いるレッズは化けた感があった。試合終了間際まで、丁寧に攻撃的サッカーを継続し、粘り強く勝ち点を拾う。往々にして試合終盤の詰めを過つ傾向がなくなったのだ。結果として、長期のリーグ戦で最後の詰めを過る過去から訣別した感があった。遠藤航の補強が奏功し、後方を遠藤に託すことができるようになった阿部が本来の持ち味である中盤での刈り取りを行うことで、敵速攻への対応が改善したことも大きかった。そして何より、敵が守備を厚く固めて来ても、ペトロビッチ氏が粗忽に動かず、執拗に両翼から攻め込み続けるようにもなったのも重要だった。
 結果として、ナビスコカップをPK戦で制した試合も見事だったし、フロンターレと一騎打ちになったリーグ戦を勝ち切ったのも鮮やかだった。 そして、このチャンピオンシップ、鹿島での初戦も、西川、遠藤、阿部の中央の強さを活かし、PKの1点を守り切った試合ぶりも大したものだった。
 この第2戦も、前半開始早々、スローインからアントラーズの僅かな隙を突き、関根の高速突破から、興梠が先制。完璧な立ち上がりだった。その後も、前に出てくるアントラーズの裏を突き、武藤が幾度も好機をつかむ(が、決められない。何かなあ、武藤雄樹、持ってないなあ、がんばれよ)。
 ここまでは完璧だったのだ。

 ところが、前半終盤、宇賀神が遠藤康に出し抜かれ、さらにカバーに入った槙野の詰めが甘く、簡単に狙い済ましたクロスを許し、金崎に同点弾を食らったあたりから、おかしくなってくる。
 アントラーズに「勢い」が出たこともある。また、アウェイゴールルールがあるため、結果的に興梠の先制点があってもなくても、同じになってしまうレギュレーションが、微妙なプレッシャとなったのだろうか。そのような流れの中で、ペトロビッチ氏が、昨シーズンまでのペトロビッチ氏に戻ってしまう。
 高木に代えての青木起用は、少々守備的に戦う狙いと考えればわからなくもなかった。しかし、続く関根と駒井の交代はよくわからない。関根は先制点のアシストを含め、幾度も好機にからみ、豊富な運動量による上下動で守備にも貢献していた。まだまだスタミナも残っているように見えたのだが。そして、何か慌てるように、興梠に代えてズラタン。前線で溜めを作れる興梠は、守備にも攻撃にも有用なのだが。
 そうこうしているうちに、槙野がやらかしてしまった。アントラーズの速攻に対し、鈴木優磨のフリーランに気がつかず突破を許す。この失態のみならず、あろうことか軽率なファウルでPKを提供。我慢して身体を寄せ、初戦も好捕を見せた西川に託すべきだったのではないか。余談ながら、槙野はキッカーの金崎に対し、恫喝まで行ったのは失望した。
 しかし、それでも、アントラーズが逆転した後も試合は10分以上残っていた。けれども、ペトロビッチ氏が切れてしまった。槙野を最前線に上げ、バランスを崩した時点で、試合は事実上終了してしまった。最前線に槙野が残っても、空中戦で圧倒できる訳でも、格段のシュート力を持っているわけではない。槙野は昌子に子供扱いされ、レッズは完全に攻めあぐむ。実際、一部報道によると、レッズベンチ内にはペトロビッチ氏に異論を唱える向きもおり、ベンチは大混乱だったと言う話もある。一方で、阿部と柏木が何とか状況を打開しようとする姿は美しかったのだが。
 ペトロビッチ氏が丹精込めて作り上げ、シーズンを通じて見事なサッカーを見せていたレッズは、最後に崩壊してしまった。それも、ペトロビッチ氏が自らの手で。

 先週、フロンターレがアントラーズに、山雅がファジアーノに、それぞれ苦杯した。この2つの試合から、改めて、長期のリーグ戦の結果が、一発勝負でくつがえる恐ろしさ、理不尽さを感じることとなった。それでも、これらの試合の敗者2クラブは、負けはしたものの、相応の強さを見せてくれた。
 しかし、レッズは違った。逆転された後、10分以上の時間があったのに、監督の判断ミスで、敵に恐怖すら与えることなく自滅してしまったのだ。互角どころか、敵を圧する戦闘能力を持っていたにもかかわらずだ。

 冒頭に述べたように、通期勝ち点が少なかったアントラーズがチャンピオンになったことは、それがレギュレーションと言うもの。シーズン前に決まっていたルールにのっとったのだから、「お見事」と語るしかない。
 しかし、最後の10分のレッズの崩壊劇は、やはりよくわからない。少なくとも、レギュラーシーズン中のペトロビッチ氏は、昨シーズンまでとは異なり、丁寧に慌てることのない采配を振るっていたのだ。いったい、あの瞬間、ペトロビッチ氏に何が起こったのだろうか。単純な前後期制でなく、中途半端に通期成績が重視されるレギュレーションの罠にはまってしまったと言うことなのだろうか。

 これもサッカーと言うことなのか。
 いずれにしても、私たちにできることはある。今シーズン、レギュラーシーズンでフロンターレとの競り合いを制したレッズ(そして敗れたフロンターレ)の見事なサッカー、チャンピオンシップで鮮やかな勝ち方を見せたアントラーズのしたたかなサッカー、それぞれを、しっかりと記憶していくことだ。
posted by 武藤文雄 at 00:30| Comment(1) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする