2015年09月19日

クラマーさん、ありがとうございました

 デッドマール・クラマー氏逝去。
 いつかこのような日が来るのはわかっていたし、90歳での逝去と言えば、天寿を全うされたと言う事だろう。心からご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。

 ともあれ、自分なりの想いを書かなければなるまい。

 コーチとしての日本サッカーに提供していただけた直接的貢献は言うまでもない。東京五輪準備段階からメキシコ五輪まで、断続的に日本代表長沼監督を補佐する形態で指導、メキシコ五輪銅メダル、あるいは釜本邦茂。
 その技術指導の見事さは、直接指導された方に語ってもらうほうがよかろう。

 まずこの方から。
(前略)社会人、大学生が対象だったが、(中略)山城高校から二村、長岡、ぼくの三人が、特別参加した。(中略)
 「そこの大きいの。ちょっと出て来て」
 集団の中からぼくが引っ張り出された。
 ポーンとボールを投げてよこす。ヘディングだ。威力のないボールが少しそれて返っていく。
 クラマーさんが今度はやる。びっくりするほど加速されたボールが、投げたぼくの手元へ”バシッ”と戻ってきた。
 トラップ、トップスピードのボール扱い。うまくいかない。小さな男は、見事にやってのけていった。
「この男のようにしちゃいかん」
 まるで、悪いほうの見本にさせられて、ぼくはがっくりするとともに
”何てすごい人なんや、こんなすごい人がいるんか”
 驚きを、どうすることもできなかった。
 ボールをもらい、トラップして、くるり振り返ってパスを出す。
「いかん、いかん、ロスが多過ぎる。こうやるんだ」
 すごい早さで、正確に、クラマーさんは何でもやってのけた。
(釜本邦茂著、「ゴールの軌跡」より)


 次にこの方。
 ユース代表の合宿地、デュイスブルグのスポーツ学校へ行くと、DFBのコーチ、クラマーが受付でわたしを待っていた。(中略)
 クラマーはわたしにサッカーの戦術をくわしく講義してくれた最初のコーチだった。黒板に向かい、白ぼくで線を引き、一人ひとりの選手の動きを書いた。どうやったらプレーヤーがフリーなポジションを作れるかを説明した。ボールを持っていないときの、プレーの重要性を強調した。
 クラマーの講義は、わたしには目新しいものではなかった。というのは、それがわたしがいつもやっていた方法だったし、自然で合理的なプレーのやり方だったからである。
 ただ、わたしにはクラマーの話し方は印象的だった。彼は非常に具体的に話したので、彼の言葉はわたしの頭の中にしっかりときざみこまれた。
(フランツ・ベッケンバウアー著、鈴木武士訳、「わたしにライバルはいない」より)


 もっとも。クラマー氏が日本サッカー界に残してくれた功績は、上記の直接的なものより、これから述べる間接的なものが大きいのではなかろうか。東京五輪後の5提言はあまりに有名だ。
1. 国際試合の経験を数多く積むこと。
2. 高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置くこと。
3. コーチ制度を導入すること。
4. リーグ戦を開催すること。
5. 芝生のグラウンドを数多くつくること。

 考えてみると、この50年間に渡り、日本サッカー界はこの提言の実現を粛々と目指し、今日の繁栄を得たように思えてくる。そして、我々はドイツのようなサッカー大国にある程度は近づく事ができた。しかし、こうやって近づく事ができればできるほど、明確で具体的な差が見えてくる。
 1975年にクラマー氏は、ベッケンバウアやゲルト・ミュラーを擁しバイエルンミュンヘンを率い、欧州チャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前進)を制した。その折に「人生最高の瞬間ではないか」と問われ、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない。」と語ってくれたと言う。40年前の当時、日本代表がドイツ代表(当時は西ドイツですな)と、互角に近い戦いができるとか、多くの日本人選手がブンデスリーガで中心選手として活躍するなど、誰も想像できなかった。確かに我々は接近する事には成功したのだ。
 けれども、日本代表がドイツ代表と互角の戦いを演じ、(例えばバイエルンミュンヘンのような)欧州の本当のトップレベルのクラブで日本人が大黒柱として活躍するためには、まだ「何か」が足りない。この「何か」を埋めるためには、我々はクラマー氏の教えを追うのみならず、我々独自の手段を考え抜き、行わなければならないのではないか。
 氏の訃報を聞き、そんな事を考えた。

 ただし、氏の提言を乗り越える際にも、氏の教えは有効だ。氏は、銅メダル獲得直後に「試合で勝った者には友人が集まってくる。新しい友人もできる。本当に友人が必要なのは、敗れたときであり敗れたほうである。私は敗れた者を訪れよう。」と語ったと言う。これは人生にとっての箴言なのは間違いないが、サッカーに絞って考得たときに、あまりに重い意味を持つ。勝った時の友人のいかに多い事か。
 優れた師を持てた事を誇りに思い、粛々とサッカーを愉しんでいきたい。繰り返します。ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 17:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

ベガルタ久々の勝利

 ベガルタはユアテックで、山雅に3対1の逆転勝ち。前半は絶望的な酷い内容だったが、後半よい攻撃が復活し、幸運にも恵まれた勝利。ともあれ、実に久々の勝ち点3、素直に喜びたい。

 それにしても、ベガルタの前半の戦いは酷かった。言い方を変えると、山雅がとてもよかったと言う事になるのだが。
 山雅は、ベガルタに後方からの高精度ロングボールを入れさせない事を狙い、ベガルタDFのみならずGKの六反にまで前線から極端なフォアチェックを仕掛けてくる。ベガルタが自陣奥深い所で得たスローインにも、マンマーク気味に投げ手を囲む。さらにCBの石川、鎌田、ボランチの金眠泰がパスの相手を探し、ボールの動かしが小さくなった瞬間を狙い、後方あるいは側方厳しいプレス(と言うよりはタックル)を仕掛ける。ベガルタ、特に金眠泰はこの山雅の厳しい前線守備に完全に浮き足立ち、前半は完全に山雅ペース。まあ、阿部吉朗のチェーシングと、身体を巧みに入れてのいやらしいキープ。このようなベテランの妙技には感心させられたけれど。
 山雅の攻撃もさすが。精度が悪くても、前に出てくる菅井と、軽率な二見(後述します)の両サイドバックの裏に、精度が欠けてもロングボールを放り込み、ベガルタ陣深くのスローイン獲得を狙う。そのスローインからの攻撃が多彩。岩上のロングスロー、あるいはそれをフェイントにして後方に投げてのダイレクトクロス、逆に岩上に近づいた選手に低く速いスロー。その課程は様々だが、いずれも最終的な狙いはセットプレイ時のベガルタのゾーン守備網の外側、そこに長いクロスを入れて、折り返しで揺さ振る。失点時もその典型。ベガルタ右サイド(以下、左右はすべてベガルタから見て)、上記したロングスローを装い後方に投げられたボールを左サイドにクロス。そのクロスへの二見の稚拙な対応から崩され、起点のスローインを投げた岩上(つまり右サイドから進出してきた)にフリーで決められた。
 さすが、反町康治。この2週間、丹念にこの試合に向けて準備を重ねてきたのだろう。そして、この陰々滅々とした采配を行う名将の指示を的確に実行する山雅イレブンの見事な事。「いや、敵ながらあっぱれ」とは感心するが、ベガルタイレブンの情けなさはどうだ。「あの用意周到な監督が率い、敵地では完全に作戦負けを喫したクラブと、下手をすれば降格争いに巻き込まれる難しい直接対決を戦う」と言う自覚があったのか。山雅が執拗に当方の長所を消し、弱点を突いてくるのは、わかり切った事ではないか。それを、ただただオロオロして前半45分間を終えるとは。

 後半、さすがに修正が行われた。敵のフォアチェックが厳しいと言う事は、それを外せばフリーの味方を見つけやすい、と言う事になる。そのためには、Think before を徹底し、素早くボールを回す事が肝要。ハーフタイムに渡邉監督に叱られたのだろうか、前半ガタガタだった金眠泰が積極的にボールに触る。これにより富田も楽になる。そして、奥埜がよく右サイドに斜行し頻繁に梁に絡み、右前方に張る菅井を使い、右サイドで数的優位を作り、崩す形が出てくる。その結果、山雅守備陣が右に寄ると、老獪な野沢が左サイドで落ち着いたキープを見せ、金園、二見を使って崩す。そうやって両翼に起点ができると、クロスを上げるフェイントから、ペナルティエリア内に走り込む奥埜を使った中央突破も有効になる。
 そうこうしているうちに、石川のグラウンダのフィードを二見がスルー、その結果野沢がフリーでボールを受け、ニアへの低い好クロス。山雅のGKとDFの連係ミスからこぼれたボールを丁寧に金園が押し込み同点。
 その後も、攻勢をとるベガルタだが崩し切れない。逆に、中盤での混戦から、身体を張り切れずにボールを奪われ、山雅の速攻にも悩まされる。オビナに完全に抜け出された事もあったが、六反が落ち着いて防いでくれた。ベガルタが上位を伺おうと言うならば、どんな相手にも球際の競り合いは負けないにしなければ。
 終盤、野沢に代わって起用されたばかりの金久保が、左サイドから、いかにも彼らしい鋭い切り返し後、右足でファーサイドに好クロス、DFと競り合った後の金園の強引なシュートが敵自殺点を招き(公式記録は金園の得点)、とうとう逆転に成功した。さらに前掛かりになった山雅の裏を突いたハモンの強烈なミドルシュートが決まり、3対1。苦労を重ねた試合だったが、逆転勝利を収める事ができた。

 実際、前半を0対1で終えられたのは、ベガルタとしては幸運だったとしか言いようがない。たとえば、石川が山雅のチェックでボールを奪われ、抜け出そうとした山雅のFWを鎌田が倒した場面は、退場とされてもおかしくなかった。まあ、六反の的確な位置取りを中心に、悪いなりに各選手が自陣でよく身体を張った成果とも言えるけれど。
 一方で、前半あまりにベガルタが酷過ぎたため、山雅はやりたい事がすべてできたように見えた。ところが、その結果、山雅の策が前半で出尽くしてしまったのではないか。そのため、後半ベガルタが攻勢をとりやすくなった。たまには、このような幸運が訪れると言う事かもしれないな。
 また、二見の起用はいよいよ考えどころ。1つのプレイが切れた後に、動きを止めてしまい、修正が遅れるのがこの選手の大きな欠点。失点時はその典型で、右サイドからのサイドチェンジで数的不利となり振り切られた直後、富田がカバーリングに入る。ところが、二見は棒立ちになり、富田のカバーが遅れる。その結果、山雅に精度の高いクロスを上げられてしまった。たとえば、左CBの石川の後方にロングボールが入り、石川は自陣に向けてそのボールを追う。当然山雅のFWは石川を追走する。二見は左タッチ沿いを戻る訳だが、石川からのパスを受けやすい(石川がパスを出しやすい)ように、石川に近い深さまで後退しなければならないのに、途中で止まってしまう。そのため、石川は追走してきた敵FWのプレッシャを感じながらのパスを余儀なくされ、展開が遅くなってしまう。このような小さな配慮の積み重ねが、よい展開を作る事につながるのだが。ファウルが多いのも、修正の遅さによるものだ。こう言った欠点は、昨シーズンの入団以来、残念ながら改善はあまり見られない(もちろん、この日は執拗に狙ってくる反町氏が故に、弱点が目立ったのだが)。幸い、蜂須賀が左サイドで機能(いや、利き足でない左を意識しなければならないためか、蜂須賀は右サイドより左サイドの方が機能するようにすら見える)している事もあり、二見に拘泥する必要もないようにも思えるのだが。ぜひ、二見には、私に謝罪の機会を提供して欲しい。
 逆転したものの攻撃面の改善点もまだまだ多い。同点、逆転それぞれの金園は見事だったが、相手のミスが関与していた。3点目は敵守備の前掛かりを突いたもの。いずれも、敵守備を能動的に崩し切ったものではなかった。攻撃にはもっともっと変化が必要だ。ポイントになるのは、奥埜の使い方だと思っている。奥埜は後方に下がりながらターンもできるし、トップスピードで前進しながら正確にパスを受ける事もできる。両サイドに起点を作り、奥埜にペナルティエリア内で前向きにボールを受けさせるパタンを充実させる事がポイントではないか。そう言う意味では、勝負どころの77分に奥埜をハモンと交代した渡邉氏の采配も、個人的には不満だ。

 と、色々文句を言ったけれど、文句を言い続けられるのもサポータ冥利と言うもの。次節は強敵アントラーズとアウェイゲームか。簡単な試合にはならないだろうが、間違いなく上向きのチーム状況。粘り強く戦い、勝ち点奪取を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 16:13| Comment(2) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月05日

ハリルホジッチさん、わかっているよね

 ハリルホジッチ氏はアジアを舐めている。
 シンガポール戦にせよ、この北朝鮮戦にせよ、相手の能力を軽視し、自分の都合だけで試合に臨んでいる。さらに、状況の悪さの修正を怠っている。
 誤解しないで欲しいが、私はアジアサッカーの特殊性を指摘しているのではない。むしろ、正反対だ。日本の戦闘能力はアジア屈指だから、シンガポールが守備を固めてくるのも、北朝鮮がシンプルだが高さを前面に押し立ててくるのも当然の話。これはレベルこそ違え、ドイツやアルゼンチンが各大陸の大会で苦労するのとまったく同じだ。それに対して、的確な準備をせずに試合に臨み、しかも試合中に修正ができていない。これだけ実績のある監督だけに、この2試合の失態は、氏が「アジアを舐めている」が故としか思えないのだ。

 開始早々、右サイドバックに起用された遠藤航の好クロスを、敵DFを振り切った武藤雄樹が押し込んだ。五輪代表の主将と、今シーズン「化けた」攻撃タレントが、それぞれ初代表で得点に絡んだのだから、誠にめでたい展開となった。もちろん、私の歓喜はそれに止まるものではないが。立ち上がりに失点した北朝鮮守備陣がやや腰が引けた事もあり、日本はその後もリズムよく攻める。しかし、2点目が決まらない。それにしても、川又の謎の反転、永井の逸機、いずれも柳沢クラスの味わい深さだったな。
 そうこうしているうちに、北朝鮮も攻め返してくる。単調ではあるが、ハイクロースをドガーンと上げ、複数の選手が飛び込んでくる、いかにも北朝鮮らしい攻撃だ。しかし、日本も森重が安定しており、落ち着いて北朝鮮の攻勢をはね返し好機を作らせない。ただ、問題は1度奪ったボールをキープできない事。せっかく森重や遠藤が敵のクロスをはね返しても、どの選手も前に前に急ぎ過ぎる。それでも、トップの川又がボールを収めてくれれば、早く前にボールを出した意味が出てくるが、川又はそのような選手ではない。そのため、簡単に北朝鮮にボールを奪われ、再度クロスが上がってくる。いかにも暑そうな天候なのだから、少しは楽をするためにゆっくりプレイをすべきだと思ったのだが。
 それにしても、(アルビレックス時代からわかっていたが)川又は、ボールを収めるのが不得手な選手だ。前半、中途半端にハーフウェイライン近傍に戻ってきて後方からのフィードを収めようとして、ダイレクトパスで北朝鮮MFに落とし、北朝鮮の逆襲の起点となった場面には笑った。毎週少年団で、CBをやっている子供達に、「フリーの味方を探しておいて、出足よく飛び出し、その味方にパスが出せれば最高」と指示しているのを思い出したりして。
 さらに永井の不振も残念だった。守備のために後方に下がった所で、味方からパスを受けても、どうしたらよいかわからないのだ。やはり、この選手はトップにおいて、元気にDFラインの裏を狙ってもらうのが適切に思えてくる。もっとも、この混乱はこの選手がグランパスと言うクラブ(潤沢な予算で常に強力なFWを多数所有している、だから永井を最前線ではなく、サイドで機能させようとする)を選択した事から始まっているのだが。

 後半序盤に、明らかに温存していた柴崎を起用。しかし、交替するのは機能せずもがいている永井や川又ではなく、宇佐美。まあ、確かに宇佐美の温存も必要ですがね。これによって急ぎ過ぎは改善されて試合は小康状態に。さらに、川又に代えて興梠が起用された頃には、後方の選手は皆相当疲弊してしまっていた。そうなると、もうラインを上げられなくなっており、北朝鮮としては後方からドガーンが増々やりやすくなっていた。だからと言って、あの2失点の無様さが割り引かれるものではないが。それにしても、あの時間帯までドガーンをちゃんとはね返していた森重は悔しかろうな。でも、これはCBと言うポジションの宿命なのだ。

 FIFAランクのような形骸的なランクに捉われなければ、北朝鮮と中立地で戦えば難しい試合になる事は自明の事だ。しかも、選手達は皆、先週土曜にJリーグで死闘を演じている。さらに、報道によると、現地の暑さは相当との事だ。とすれば、常識的に考えれば、できるだけスローテンポの展開にして、疲労を最小にする事が肝要。加えて、北朝鮮がドガーンしてくるのは予想できるので、ラインを上げられる戦いにする、などの策が適切なのは言うまでもない。
 しかし、スタメンそのものがおかしい。前の4人は、永井、川又、武藤雄樹、宇佐美。何と言うか、50年以上前に世界の主流だった4-2-4を思い起こすよね。前線の4枚に、持ちこたえたり、時間を稼いだりする選手が、誰もいない。私はどうしても武藤雄樹を中心に語るから、川又や永井でなく、丁寧に持ちこたえる興梠のようなタレントと併用して欲しかったと書く。一方で、川又や永井からすれば、「武藤雄樹ではなく興梠なり倉田と併用してもらえれば」との思いもある事だろう。要は各選手の特長を活かす起用となっていないのだ。この軽率なスタメン選択は、シンガポール戦直前のイラク戦で、攻撃ラインで最も立場を確保できていない香川の交代選手を試さず、総とっかえをした事で準備の好機を逸したのと同じだ。
 そして、上記の通り、試合展開が思わしくないのに修正を怠る。これも、シンガポール戦で、香川がフラフラと前線に位置取り岡崎の妨害をするのを放置したのと同じだ。
 ハリルホジッチ氏の実績を考慮すれば、的確なスタメン選考や交代選手準備、試合の流れからの修正が、しっかり行える監督なのは間違いないだろう(ね、そうですよね、大丈夫ですよね)。それを、公式戦で2度も無様にやり損ねるのだから、アジアを舐めているとしか思えないのだ。
 何となくだが、FIFAランキング、あのいいかげん極まりないFIFAランキングだけを見て、「この相手には楽に勝てる」と考え、試合に臨んでいるのではないかと思えてくる。10年ちょっと前に、大変愉しい思いをさせてくれたフランス人がいたけれど、この教条主義のところ、そっくりに思えて、何か嬉しい。いや、腹が立つ。うん、「だからサポータはやめらなれない」と言えば、それまでだけれどね。

 もちろん、氏が就任直後と言う事もあり、各選手が「この監督に対し、どこまで指示を忠実に守らなければならないのか」を計りかねている事もあるだろう。試合を観た限りでは、シンガポール戦では太田と酒井の両サイドバックは攻撃参加の自重を求められていたのだろうし、北朝鮮戦では「皆早く攻めろ」と指示をされていたのだろう。監督の指示に対して、いかに柔軟に対応するかは、選手の判断力の見せどころ。けれども、マスコミ報道を読む限り、「俺の言う事を聞かない奴はクビだ」的な発言もあるようだから(あれは対マスコミ、いや対スポーツ新聞へのリップサービスで、実際には違っていたら、ごめんなさい)、選手も判断に苦しんでいるのだろう。しかも、今回のチームは代表での実質的な実績、経験がある選手は、森重と蛍、それにまあ柴崎くらいしかいない。この3人が立場をよく理解し、ピッチ上でのリーダシップをとってくれれば嬉しいのだが。

 前期終了後、謎の1週休みの日程を組み、水曜の試合を2週入れたJリーグ首脳が愚かなの言うまでもない。日本代表の強化のみならず、各クラブの観客動員収入をも妨害する、歴史的愚策である。けれども、そう言う事は、大会前に大騒ぎする必要があるのだ。上記したフランス人のように。そのあたりも、ハリルホジッチ氏がアジアを舐めていると言う事なのかもしれない。

 まあ、いくら何でも韓国相手に、舐めた態度はとれないだろうから。うん、とにかく韓国に勝ってくれればいいよ。
 わかっているだろうな。おい。
posted by 武藤文雄 at 00:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

結果は悩ましいが、内容は悪くない、このままでよい

 ベガルタはユアテックで、レイソルに痛恨の敗戦。ホームグラウンドで3連敗、折り返し以降獲得した勝ち点は僅かに1。何とも悩ましい。
 とは言え、この敗戦は、年に1回あるかどうかと言う不運が訪れたものだった。それなりの時間帯で攻勢をとり、少ないながらも好機の数で上回り、0対0で試合を進めながら、87分にCKから失点したのだから。確かに、このような敗戦はつらいものだ。しかし、内容は悪くなかった。こう言う時こそ、ブレずに良質な内容を継続する努力を積むことが肝要だ。
 試合間隔が1週あいた事もあり、前節のヴィッセル戦とは異なり、運動量も相応に復活し、前線からの組織守備もよく機能した。よい準備が行われれば、今のベガルタはよいサッカーをする事ができる。前半は良好な中盤守備で攻勢をとり、セットプレイを軸に幾度か好機をつかむ。後半の序盤こそレイソル大谷の気の利いたキープから劣勢を余儀なくされた。けれども、後半半ば過ぎからはレイソルの中盤が疲労した事もあり、再度攻勢を取り返した。しかし、どうにも崩し切れぬまま終盤となり、上記87分を迎える事となった。まあ、こういう試合もある。

 両サイドバックが代わったも大きかった。左サイドは石川が負傷癒えて復活。右には久々に多々良が起用された。石川はチームの大黒柱で、野沢や富田との的確な連係で好機を演出すると共に、守備ラインの安定をもたらした。多々良も久々の起用だったが、己の地域を丁寧に守ると共に、前線に上がれば的確な判断で攻撃を組み立て、上々のプレイだった。
 前節までの蜂須賀、二見は、それぞれ大卒3、2年目。共に昨シーズン大きな負傷から復活し、近い将来のベガルタを支えて行く事を期待されている選手達だ。2人とも、日本のサイドバックとしては大柄で、体幹の強さも上々、前進しながら 角度のあるクロスを蹴る事ができる。しかも二見はロングスロー、蜂須賀は両足での強く角度のあるキック、とそれぞれ他にはない長所も持っている。ただ、2人とも判断力に課題がある。守備面では時々強く前に行き過ぎてあっけなく敵に外されてしまう事があるし、攻撃面でも敵がしっかり守備を固めてきた時に落ち着いて回し直せばよいのに焦りから軽率なミスパスでボールを失う事が再三。この2人に切歯扼腕し、成長を期待するのも今シーズンの大きな愉しみの1つだが、このレイソル戦に関しては、石川と多々良の好プレイを素直に喜ぶ事としよう。

 確かに、セットプレイでいくつか掴んだ好機を当方がしっかり活かせていれば勝てていた事だろう。一方で、それなりに攻勢をとりながらも、思うように好機を作れなかった。レイソルの守備がよかったが、当方の攻撃には、まだまだ変化が足りないのだ。

 ここから渡邉氏はどう積上げて行くか。
 1つは攻撃の人数を増やす事。これについては、菅井がベストコンディションを取り戻せば一瞬で解決する。しかし、菅井もそれなりの年齢になった。となれば、やはり金眠泰に期待したい。このスケールの大きな、(しかし少々オッチョコチョイの)タレントには、菅井に学び、もっともっと大胆に飛び出す時は飛び出して欲しい。あるいは、渡邉氏はもっともっと金に、そのような指示を与えて欲しい。金眠泰と言う上下動を苦にしない中盤後方の逸材が、菅井と言う飛び出す事に格段の才を持つ天才と、同じチームで戦う機会を得た事、そしてその場が私のクラブである事を素直に喜びたい。
 野沢の使い勝手の悪さも悩みの1つだ(あるいは最高の思考実験だ)。前節のヴィッセル戦のCKなど、セットプレイの駆け引きや精度は、今なお日本屈指。さらに時折見せる、独特のタイミングで敵の隙を突くパスは、精度といいタイミングといい絶妙だ。レイソル戦の前半、石川と見せた左サイドでの組み立てなど、ほれぼれする物だった。しかしながら、この選手は短い時間で爆発的に能力を発揮するタイプではなく、プレイを継続しながら突然ヒラメくところに妙味がある。したがって、スタミナに課題がある事がわかりながらも、できるだけ長い時間ピッチに置いておきたいので、スタメン起用するのが有効と言う事になる。終盤の勝負どころでこの鬼才を、「切り札」として使えれば、これほど嬉しい事はない。渡邉氏はこの課題にも取り組んで欲しいのだが。
 終盤、ハモン・ロペスや金久保を起用して、崩し切る事を狙うのは、渡邉氏が好む終盤の戦い方だ。ただ、2人とも真面目に前に前に行こうとし過ぎる。そのため、終盤の攻めが単調となっている。前の方にフレッシュな選手を使うのもよいが、中盤後方の活性化も必要なのだ。先日も述べたが、梁と富田に拘泥し過ぎるのはいかがだろうか。ここには、ベテランで色々な使い方ができる武井も、後方からいやらしいキープや変化技を使える若い藤村もいる。当然ながら、梁も富田も我々の宝だ。だからと言って、彼らにすべての無理を負わせるのはいかがなものか。特に梁は、今シーズン前のオフ、アジアカップに出場していた事もあり、十分な休養をとり、鍛錬を積み切れていないはずだ。梁を大事に使い、シーズンを通してフル出場してもらう事、いやそれよりも少しでも長くユアテックに君臨してもらう事、それぞれはベガルタと言う小さなクラブにとって、そして我々サポータの歓喜にとって、とてもとても大切な事なのだから。
 一方で、奥埜については限界まで挑戦して欲しい。渡邉氏は、動き回り消耗気味の奥埜を、終盤交替するのがお好みのようだ。確かに、試合終盤の奥埜の疲労感は中々ののものがある。それでも、どんなに疲労していても、奥埜は常に引出し、ボールを受けるや有効に戦ってくれる。そう、交替させる意味はない。そして、まだ20代半ばの奥埜だ、梁や富田のように休養も考慮する必要はない。渡邉氏が奥埜に、タフで厳しい戦いを強要すればするほど、奥埜にロシアが近づくのだから。

 など考えながら、明日の敵地FC東京戦に思いをはせるのは愉しい。ただ、問題は本業都合で、明日味の素に行く時間を獲得できそうにもない事なのだが。相変わらず、人生の目的と手段を取り違えた情けない男だ。
posted by 武藤文雄 at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

杓子定規まで師匠に似とる

 ベガルタはホームユアテックでヴィッセルに1対2で完敗した。不可解なPKを奪われた事もあり、一見不運な逆転負けに見えたが、内実は完敗。連戦の疲労、高温多湿を何ら考慮せず、漫然と試合に臨んだ渡邉監督の責任は重い。

 前半から酷い内容。各選手の動き出しは遅いわ、運動量は少ないわで、後方から苦し紛れの縦パスばかりの攻撃で、全く形にならない。たまに奥埜の粘りで形になりかけるが、後方からのサポートがないため、単発に終わる。金園もよく頑張るが、明らかに切れがない。
 それでも、前半を0対0に終える事ができたのは、ヴィッセルがベガルタのひどさに合わせてくれたかのような単調な攻撃に終始したから。鄭又栄、三原が反応鈍いベガルタMFを出足で圧倒、結果ベガルタDFは遊弋する森岡を捕まえられない。そして、両翼の高橋と相馬がタッチ沿いで再三フリーとなる。しかしながら、マルキーニョスとレアンドロの2トップの運動量が少なく、高橋と相馬も単調なクロスを上げるのみ。おかげで、ベガルタは前半を無失点で終える事ができた。相当な高温多湿の悪環境、相手の出来が悪過ぎたため、ヴィッセル選手にもその悪さが伝染してしまったのだろう。

 後半、ベガルタは先制に成功する。野沢がCKを2本連続でニア狙いを続け、3発目をGK前に蹴り、飛び込んだベガルタ選手がすらしたボールを金眠泰が押し込んだのだ。このあたりのセットプレイの野沢の巧みさはすばらしい。
 おもしろいもので、先制を許した事でヴィッセル選手の反応がガクッと落ち、ベガルタが中盤を制せるようになる。そこで、ネルシーニョ氏は小川と渡邉千真を2枚替えで起用。スピードあふれる小川が再三ベガルタDFラインの裏を突いてくる。ただし、小川のプレイに疲労した他選手が呼応できず、ベガルタDFは何とか守り切る。
 ここで渡邉氏は不思議な采配を行う。リードして、ヴィッセルの選手も疲労気味、しかし小川に裏を突かれてイヤな時間帯。常識的には守備を強化する策をとるべきだっただろう。けれども、最前線で奮戦する奥埜に代えてハモン、先制弾の演出以外ほとんど消えていた野沢に代えて金久保。ハモンも金久保も意欲満々攻撃を仕掛けるが、後方からのサポートが足りず、空回りを続ける。
 そして、中盤で鄭又栄を捕まえ損ね、小川にまたも裏を突かれる。「やられた」と思った瞬間、渡部が見事にスライディングタックルで防ぎ「やれやれ」と安堵したら、東城主審はペナルティスポットを指さした。まあ、このようなミスジャッジはたまにある事だし仕方がない。裏を突かれたベガルタが悪いのだ。
 さらにその直後、CK崩れから速攻を許し、高橋の一撃で逆転される。これはレアンドロ、小川、高橋の連係が見事でちょっと防ぎようがなかった。
 残念だったのはその後。もう富田も梁も消耗しきっており、攻めを焦る金園、ハモン、金久保に有効なボールを提供できず。好機すら作る事ができなかった。終了間際に、金眠泰に代えて山本を起用したが、ボールが出ない状況の改善には全くつながらず。せめて、中盤に藤村を起用して展開を改善する発想はないものか。

 結果的には、ミスジャッジによるPK込みの逆転負け。何となく不運に思えるが、落ち着いて考えると、高温多湿の連戦に特別な対処をしなかったが故の完敗だった。敗因は渡邉氏の采配そのものだったのだ。
 ベガルタの強みは、運動量を活かした組織的な攻守にある。そして、それはスタメンも交代選手も固定化されては、この高温多湿下では実現できないのだ。
 この連戦、菅井の負傷、二見の回復があり、サイドバックだけは菅井、二見、蜂須賀が2試合ずつの起用。しかし、それ以外のスタメンは完全固定。富田、梁、金園は一切交代なし。元々運動量に課題ある野沢と、若い奥埜と金眠泰に代えてハモン、金久保、山本が機械的に投入される交代劇。前線にいくらフレッシュな選手を投入しても、そこにボールが配球されなければ意味はない。上記したが、藤村なり(ようやく控えに入った)石川直樹を投入するなりすれば、状況は改善された可能性はあったと思うのだが。
 私は渡邉氏の監督としての素質を高く評価してきた。けれども、ここまで杓子定規に教条的な采配をされてしまうと、さすがにつらい。

 と、こう書いてきて、何かしら既視感が。たとえば、この試合。疲労困憊の千葉直樹と、今日の富田、梁に、何かしら共通点を感じたのは私だけだろうか。
 己の思い通りにしか試合が展開しないと杓子定規に考えるところまで、師匠を真似る必要はないと思うのだけれども。まあ、よい監督を獲得するためには、相応に失敗経験を積んでもらう必要があると言う事かな。
posted by 武藤文雄 at 00:55| Comment(2) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

3大会連続世界大会決勝進出を称えて

 早いもので、女子ワールドカップ終了から、2週間が経過した。決勝戦およびその後について雑感を。

 まずは偉業を称える。
 五輪を含め、3大会連続での世界大会決勝進出である。言葉にするのも難しい偉業だ。
 男のサッカーに比較すればマイナー競技かもしれないが、女子サッカーを本格強化している国は少なくない。西欧、北欧、北米、大洋州、東アジア、少なくとも10国を超える。その中での快挙だ。
 重要な指摘。北京五倫では、日本はかろうじて2次ラウンドに進出、何とかベスト4に滑り込んだ印象だった。あの大会を観た限りでは、選手達には失礼だが、このメンバで世界のトップに到達するのは容易ないと思ったものだった。けれども、私は間違っていた。ほぼ同じメンバ(戦力的には、熊谷と川澄が加わったくらい)で、3大会連続の決勝進出。これは、各選手達の努力が生半可なものでなかった事を示している。
 実際、この3大会を振り返ってみると、1つ1つの試合の勝ち抜きぶりの鮮やかさには恐れ入る。大会終盤を目指して的確に体調を整え、大会が進むに連れ連係の精度が増していく。正に本当のプロフェッショナルだけが演じられる戦い振りを見せてくれた。 
 もちろん、宮間と仲間たちは優勝しか考えていなかっただろうから、今大会の最終結果は大いに不満だった事だろう。けれども、サポータの我々からすれば、ここまで鮮やか結果を残してくれた彼女たちに、感謝の言葉しかない。
 本当にありがとうございました。

 ともあれ、何とも重苦しい決勝戦だった。
 サッカーの神は(女神かもしれないが)、時にこのような気まぐれを起こす。昨年のドイツ対ブラジルのように。しかし、この日の女子代表にとっては、この苦闘は昨年のブラジル以上に厳しいものだった。それは、その失点劇の直接要因が、選手の個人的ミスによるものだったからだ。最初の3点の岩清水、残り2点の海堀のプレイは、かばいようのない個人的ミス。もちろん、合衆国の攻撃は見事だったし、3、4点目はボールの奪われ方が、あり得ない軽率なものだった等、2人以外にも失点要因はあったのも確かだ。けれども、5失点とも2人が判断を過たなければ防げたものだった。それをあいまいに記述するのは、かえって2人に失礼と言うものだろう。、
 けれども、この2人がいなければ、決勝まで来る事ができなかったのは言うまでもない。いや、ここ数年間の女子代表の好成績はなかった。何とも残酷な現実ではあったが、胸を張って欲しい。
 それでも、宮間達は崩壊せずに堂々と90分間を戦い抜いた。崩壊し切ったまま、3位決定戦を終えた昨年のセレソンとは異なり。見事なものだ。

 決勝で合衆国にしてやられたのは確かだ。しかし、大会終了後の「合衆国が強かった。恐れ入りました」報道には違和感を感じる。
 開始早々のトリックプレイ以降、序盤に失点を重ねてしまったが故の完敗だった。この試合に関しては、相手が強いとか、こちらが弱いとかを感じる前にやられてしまったのだ。。
 4年前のドイツ、3年前のロンドン、正直言っていずれも戦闘能力は合衆国が上回っていた。今回もそうだった、と思う。「思う」と書いたのは、それを確認する前に勝負がついてしまったからだ。4対2に追い上げた以降を含め、好機の数は合衆国の方が格段に多かったのだし。けれども、今回に関しては、敵に感心する事なく敗れてしまったのも確か。戦闘能力差を云々する前に失点を重ね、勝負をつけられてしまったのだ。
 だから、「合衆国にひれ伏す」的な報道に違和感を感じるののだは、私だけだろうか。

 大会終了後、宮間が「女子サッカーをブームではなく文化にする」と見事な発言をした。それを面白おかしく採り上げるマスコミは論外としても、実に重い問題提起なのは間違いない。
 宮間が潤沢なキャッシュを望んでの発言なのはよく理解している。けれども、身も蓋もない言い方になるが、「文化」にすると言う事は、彼女たちに潤沢なキャッシュを提供できる環境を作る事と等価と言わざるを得ない。そして、過去も女子代表が鮮やかな戦いを見せてくれる度に語ってきたが、どうやったら彼女達に豊かなキャッシュを提供できる環境を作れるのだろうか。
 いつもいつも語っているが、なでしこリーグの最大競合は、Jリーグなのだ。冷めた目で語れば、なでしこリーグが定期的に万単位の観客を集める事は不可能に近い。Jリーグでさえ、スポンサを集めるのに四苦八苦している中で、どうやって、彼女たちにキャッシュを落とせるか。
 日本協会が、女子のトッププレイヤを積極的に欧州に送り出す対応を行ったのは、今大会の成功につながったのは間違いない。また、各Jクラブに女子チームを持つように行政指導?をしているのも悪くない。我がベガルタも、レディーズを持たせていただいたし。このような1つ1つを丁寧に実施し、女子サッカーに落ちるキャッシュを増やしていくしかないのだろう。
 このような努力は、この10年来丹念に続けられてきた。それにもかかわらず、女子の好成績と比較して、男の代表チームを揶揄し、偉そうに「カネを女子に回せ」と言う輩が後から後から出てくるは悲しい事だ。それも、通常サッカーの仕事をしていない人ならさておき、日々サッカーで食っている人間にもそう言うのがいるから残念なのだが。

 それはそれとして。「わたしもボールを蹴りたい」と言う、小学生の女の子が増える事が「文化」には重要な事も間違いない。しかしながら、我が少年団には、宮間達の颯爽といた戦いに感銘し「私も蹴りたい」と言う女の子は、今のところ登場していない。
 もし、そのような女の子を増やすノウハウがあるのならば、どなたか教えてください。

 ともあれ。宮間とその仲間たちの颯爽としたプレイ振りに乾杯。
posted by 武藤文雄 at 00:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

新国立競技場について

 昨今話題となっている新国立競技場問題について。

 40年以上サッカーに浸りきっているが、競技場の事はよくわからない。そりゃ、陸上トラックが無い方がよいとか、傾斜のきついスタンドの方が見やすいとか、屋根があれば濡れなくてよいとか、そう言う意見はあるよ。一方で、屋根があまり大きいと芝の育成の妨げになるとか、どのような構造にすれば入退場がしやすいとか、そのあたりはさっぱりわからない。言うまでもなく、シロートゆえ、何百億円なら妥当だとかの値頃感は、もちろんない。それに加え、どのような外観の競技場がよろしいかなどについての意見もないのだ。

 個人的に外観を見て感動したのは唯一サンシーロスタジアム。90年イタリアワールドカップで、ミラノの街で体感したこの競技場は美しかった。あの四隅を構成する美しい螺旋階段。あの螺旋階段のピッチ側がそのままスタンドの入り口となっているために、階段を一周する度にスタンドの声援が聞こえてくる高揚感。「そうか、競技場と言うものは、こんな素敵な建造物足り得るのだ。」と素直に感動した。この街で堪能した「最後の晩餐」と「ドゥモ」と、そしてこの競技場の感動は、人生の宝物の1つだ。もちろん、そこで演じられたドラマ、バルデラマの妙技、ブレーメの知性、ファン・バステンの絶望なども。
 一方で、後日この競技場がその構造物が故に、芝の生育の問題があると聞いた。こうなると、競技場のあるべき姿の検討は、シロートには荷が重い。したがい、競技場のあるべき姿については、あまり考えなくなった。
 そうなると、話は簡単。私にとって最高の競技場は言うまでもなくユアテックであり、忘れ難い3大競技場は、広島ビッグアーチ(初のアジア王者)、ジョホールバルラーキンスタジアム(言うまでないですね)、そしてスタジアム・ミュニシパル・ドゥ・トゥールーズ(最初のワールドカップアルゼンチン戦)、と言う事になる。
 こう言う人間ゆえ、競技場のハードウェアについては何の意見もない。サッカーさえ見る事ができれば、それでよいのだ。

 もっとも。却下された現行プランがダメなのはシロートでも理解できる。
 このプロジェクトはダメだ。当初予算の1300億円を超過しているのも論外だが、要件が確定せず上限金額が確定していないからだ。あれこれの要件が確定し、施工側が安全サイドの見積もりを提示し、それが高過ぎるならば、問題はあるが仕方がない。
 けれども、本件は違う。最終要件が決まらず、現状の見積もり金額が最上限とは確定していないからだ。屋根やらスタンドやら、不確定要素が多すぎる。再三、「2520億円」と言う金額が報道されているが、シロートから見ても、これが上限金額ではない事が明らかだ。このようなプロジェクトは間違いなく破綻する。
 したがって、現行プランが中止となり、「やれやれ」とは思うが、だからと言って「2520億円」が前提となり、「それ以下の金額なら上々」と言う世論には気をつけたいとは思うけれど。

 一方で、私はしがないサッカー狂だ。五輪など、どうでもよいと思っているのが正直なところ。
 「どうせならば、ラグビーワールドカップに合わせ、球技専用競技場ができればシメシメ」と思っていたのも否定しない。だから、今回の「ラグビーワールドカップに間に合わないのはやむなし」には、少々複雑な思いもある。まして、ラグビー好きの方々の気持ちは考えると、何とも言えない。
 もっとも「シメシメ」は、五倫招致成功時点で諦めざるを得なかったのだろう。五輪の競技場なので、開会式や陸上競技をする必要があるから、陸上トラックは必須だからだ。そうなると「シメシメ」を修正して、「東京五輪のドサクサで、立派な新国立競技場が完成し、できれば五輪後に陸上トラックをなくす改装が行われて球技専用競技場が入手できればシメシメ」くらいは考えていたは確かですが。
 それよりは税金を有用に使うべきだと、考える程度の思考力はあるつもり。だから、「シメシメ」が実現しなくても仕方がない。よい五輪用競技場が完成するのを期待したい。 

 だけれども、あの都心の超一等地、それも幾多の思い出がある伝統的なあの場所の競技場。どのような競技場を作るのが一番よいのか、真剣に考えるべきだとは思う。
 サッカー狂の戯言と言われるかもしれないが、定期的に数万人以上の観衆を集める事が可能な競技は、サッカーあるいはラグビーしか考えられない。その場合、陸上トラックがあるだけで競技場の利用率は下がってしまう。だから、競技場として考えるならば、冗談抜きに将来は球技専用競技場への改造を考慮すべきだろう。
 一方で、巷言われるようにコンサート会場として有用ならば、そう決断すべきだろう。それならば五倫での仮利用の後は、そのようなイベント会場と割り切るのも一案だ。全天候用屋根をつけて、芝生の事など何もも考えず、球技競技場への転用は捨ててしまう。
 ウルトラCとして、日本で最も観客動員が期待できる野球場への転用もあり得る選択肢かもしれない。そうなると、神宮をつぶしてコンパクトな球技専用競技場とか言いたくなるが。
 さらに言わせてもらえば、五輪は味の素スタジアムなり、日産スタジアムに任せ、更地になったあの土地は、いったんそのままにすると言う選択肢も…

 よい機会だと思う。皆でどうすればよいのか、真剣に考える機会なのではないかなと。
posted by 武藤文雄 at 00:39| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月02日

サッカーの母国の歴史的悲劇

 何歳になっても、何試合経験しても、サッカーの奥深さは尽きない。新たな感動と発見を体験させてくれた両国の選手達に感謝の意を表するしかない。
 講釈の垂れようがない結末だった事は確かだ。また日本の選手達、関係者の方々のきめ細かな努力が歓喜を生んだのも間違いない。しかし、ここは敢えて、あの場面およびその直前について執拗に語る事が、自分なりのローラ・バセットへの最大級の敬意ではないかと考えた。

 そもそも。サッカーの言語において、この自殺点は「ミス」と語るべきではないだろう。バセットがボールに触れなければ、至近距離から大儀見がシュートを放つ事ができたのだ。悲劇は悲劇だったが、バセットはボールに触るしかなかったし、川澄のクロスを誉めるしかない。あのような位置関係で、川澄があのボールを入れた時点で、バセットがやれる事は限られており、バセットは的確にそれを行った。それだけの事だ。これは「ミス」ではない。あのような選手の配置関係を作り出し、川澄がタイミングと精度が適切なボールを入れた瞬間に、日本はバセットの悲劇の準備をすべて終えていたと言う事だ。
 もちろん、細かな事を言えば、いくらでも指摘できる事はある。極力自殺点となるリスクを下げるために、ボールを浮かしたり外に出すために、足首のスナップを使えばよかったとか。直前の大儀見との位置取りの駆け引きを工夫すればよかったとか。しかし、そんな詳細まで語り始めたら、サッカーの論評は成立しない。むしろ、バセットは工夫してクリアを浮かそうとしたからこそ、ボールはネットを揺らさずバーを叩いたのかもしれない。いずれにしても、バセットが何か判断を誤った訳でも、技術的な失敗をした訳でもない。オランダ戦の終盤の海堀のプレイとは異なるのだ。
 
 だから、あの自殺点は「ミス」ではない。

 一方、これはイングランドにとっても「悲劇」ではあったが、決して「不運」ではない。日本は能動的にあの状況を作り、日本の攻撃がイングランドの守備を上回ったから、得点となったのだ。イングランドは日本に得点を奪われる状況を作ってしまったのだ。それを「不運」と呼ぶのは、すばらしい戦いを演じたイングランドに対しても失礼と言うものだろう。
 ただし、日本にとっては「幸運」だった。なぜならば、サッカーで最も厄介な「シュート」と言う要素を自ら行う事なく、得点となったからだ。

 さらに、この場面を作り上げたのが、我らが主将の宮間の明らかな「ミス」だった。
 直前の場面を思い起こそう。イングランドが攻め込みを日本DFがはね返し、宮間はほとんどフリーでボールを持ち出す。「よし、速攻につなげられる。」と思った瞬間、信じ難い事に、宮間がボールを大きく出し過ぎ、敵MFにカットされてしまった。速攻をしようとした日本としては恐ろしい瞬間(逆速攻を受けるリスクがあった)だったが、イングランドもボール扱いに手間取り、そこから速攻をされ直す事はなかった。そして、紆余曲折の末、日本DFがほぼフリーでターンできる状態の川澄にボールを出す事になる。
 敵にボールを奪われ速攻を許しそうな場面が訪れた直後に、逆にボールを奪えると、自軍がよりよく速攻を狙える可能性が高い。宮間のミスの瞬間のイングランドは正にそのような状況を迎えていた。ところが、そこでボールを確保し切れなかった。結果として、イングランドの後方の選手の意識にズレが生まれ、結果川澄の持ち出しにつながった。
 その意識のズレそのものは、イングランドのチーム全体の「ミス」だったが、防ぐ事が非常に難しい「ミス」だったのは言うまでもない。あの終盤の難しい時間帯に、確実なマイボールを確認するまで安全をとるか(安全をとり過ぎると、逆にラインが間延びするリスクともなり得る)、勝負どころと見て前進するか(あの時間帯に上がり過ぎるのは非常に危険でもある)、11人全員が極めて高級な判断を余儀なくされる状況だったから。そして、その難しい状況の起因となったのが、日本の大黒柱のずっと単純な「ミス」からだったのだから、サッカーの無常さを感じずにはいられない。

 この「悲劇」は、長らくイングランドの方々に歴史的悲劇として、語り継がれる事だろう。そのような試合をサッカーの母国と戦う事ができた事を、誇りに思う。 
posted by 武藤文雄 at 23:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月30日

柿谷には会えなかったけれど

 ちょっとした私用があり、お休みをいただき欧州を旅する機会を得た。そして、5月29日金曜日、バーゼルFCの2014-15年シーズン最終戦を観に行った。既に優勝を決めているバーゼルが、リーグ最終戦でザンクトカレンをホームに迎えた試合だった。

 バーゼルFCのホームスタジアム、ザンクトヤコブパルクは旧市街の中心地からトラムで15分程度。スイス鉄道のバーゼル駅からも臨時電車で一駅に位置する。20時半キックオフに向けて、夕刻から青赤のウェアを着たサポータ達が、街中で愉しそうに怪気炎を上げており、彼らと共に競技場に向かう。
 余談。幾度も語ってきたが、ユアテックスタジアムは、そのロケーションと言い、構造と言い、そこで演じられるドラマと言い、間違いなく日本最高のスタジアムだと確信している。(ここから思い切りローカルネタですが、仙台市民の方以外で興味あれば、Google Mapでも参考についてきてください)しかし、ユアテックは所詮泉中央駅近傍。仙台の旧市街(笑)からはほど遠い地下鉄の終点。便利な場所ではあるが、街中とは言い難い。しかし、ザンクトヤコブパルクは、仙台で言えば、北仙台や長町に建っている。仙台駅からJRで一駅の場所に、ショッピングモール付きの4万人近くを収容できる競技場がそびえているのだ。仙台市民以外の方々にもわかりやすく言うと、ニッパツ三ツ沢やNACK5大宮のあたりに4万人スタジアムが立っていると、イメージしてもらえばよいか。
 バーゼルはスイス第3の都市と言っても、人口は20万人足らずと言う。そのような街でも、このような超一等地にこれだけの大競技場を持っている。サッカー観戦が文化として定着したのがここ20年の日本と、100年近い歴史がある西欧の都市の差なのだろうか。現在の日本の都市事情を考慮すると、将来に渡りどのような都市でも、このような立地の競技場を持つ事はできないように思う。仕方がない事だが、素直に羨望した。
 ちなみに試合終了後、トラムの大混雑を心配したのだが、対策は十分。数十台のトラムが待機しており、それらが皆バーゼル駅に向かう。旧市街の一角ゆえ歩いて帰る人、スイス鉄道を利用する人などを含め、競技場からの撤退対応もよく準備されている訳だ。

 個人的に、スイスのサッカー界には強烈なライバル意識を感じている。単なる横恋慕と言ってしまえばそれまでだが。何故ならば、この国は、常にワールドカップにせよ、欧州選手権にせよ、たいがい予選は勝ち抜き、本大会で2次ラウンドまで何とか進む(あるいは進めない)。実質的な世界の相対ランキングで非常に近いところにいると思えてならないからだ。たとえ、先方のFIFAランキングが非常に高い現状があるにせよ。
 ついでに言うと、2006年ワールドカップ。1次ラウンドで我々が木端微塵にやられた後、ドイツに残った私は当時小学生だった坊主と1/16ファイナルのスイス対ウクライナを観戦、0対0のPK戦で全員が外すと言う凄絶なスイスの敗戦を堪能させていただたいた。隣に必死に声を枯らして戦い続けたスイス国旗をかたどった服を着ていた60歳過ぎのオッサンがいた。試合終了後、(シェフチェンコへの想いも持ちながら)何となく勢いでスイスを声援していた極東から来た親子2人が席を立つ。オッサンはボロボロと涙を流しながら「Thank you, Thank you 」と握手をしてくれた。本当に本当に羨ましかった。そして、その羨望は4年後にかなえられるのだが。
 スイスとの試合は唯一2007年にオシム爺さん時代に戦っている。PK大乱発のバカ試合は面白かったな。こう言うライバルと、もっと交流を深めたいところだ。

 言うまでもなく、柿谷を見たかった。今期、中々定位置を掴めなかった柿谷だが、(優勝が決まった事もあったのだろう)前節に久々に起用され、何とも美しいループシュートを決めていた。最終節も起用され、眼前で得点する事を期待していた。大体、私が欧州で生観戦すれば、柿谷は点をとる事になっているのだ。と、考えていたが、柿谷は敢えなくベンチ外。
 リーグ最終戦のホームゲーム。さらにこの試合は、クラブのレジェンド、マルコ・シュトレーラの引退試合だった。パウロ・ソウザ監督は、ベストに近いメンバでシュトレーラの最終試合を飾ろうとしたのだろうか。ちなみに、シュトレーラは上記のウクライナ戦でPKを外したのだっけな。
 試合前のウォーミングアップ。柿谷を見られない事がわかって落胆していた私の眼前で、引退するシュトレーラを称えるイベントが始まった。30,000を超える観衆からの暖かい拍手。おもしろかったのは、敵のザンクトカレンの選手達が、そのイベントに全く同調しない事。ザンクトカレンの選手は淡々とアップを続け、ゴール裏2階席に隔離されている敵地から来訪したサポータも、ホームチームのイベントを全く無視し、自クラブへの声援を継続する。1つの作法だな。
 ちなみに、選手紹介やバーゼルの得点時に、スタジアムのアナウンサは選手のファーストネームを大声で叫び、それに続いてサポータ達が姓をコールするのが、このクラブのやり方らしい。たとえばアナウンサが「マルコ〜〜〜〜」と叫び、サポータが一斉に「シュトレ〜〜〜ラ」とコールする。これで日本人選手を応援できたら最高だったが、まあ贅沢は禁物と言うものだ。

 感心したのは、チケットが日本で購入できる事。クラブのWEBサイトのチケット購入ページで、席を指定し、クレジットカード番号を入力するだけでよい。送られてきたメールに添付されたファイルのプリントアウト(バーコードが含まれている)が、チケットとして機能するのだ。これはとても便利だ。手数料の問題はあろうが、国内の試合でスポットの試合を観戦するのも、海外を含めた広い範囲の観客を集めるのにも有効だ。最近の報道で、「FC東京やマリノスが海外からのチケット購入を可能にする」との記事を読んだが、多くのJクラブが真剣に検討すべきだと思う。
 少々驚いたのは、周辺の観客の観戦姿勢。試合の真っ最中に、ビールなどを買うために席を外す観客が非常に多いのだ。今まで、世界中でサッカーを愉しんできたが、トップレベルの試合で、このような経験は初めて。合衆国で野球を観た際が、こんな感じだった事を思い出した(同じ野球でも、日本ではここまで席を外す観客は多くない)。サッカーの愉しみ方は、人それぞれではあるが、ピッチでの熱戦との対比に考え込んでしまった。
 ちなみに、この日の観衆は32,000人くらいだった。バーゼルはスイスで最も人気があると聞いている。観客動員力を日本のクラブと比較するとすれば、やはり浦和レッズと言う事になろう。そして、リーグ最終戦と言うハレの舞台で八分の入りで30,000人越えとすれば、レッズの動員力が上と見るべきか。もちろん、曜日(この日はスイスの祝日でかつ金曜日と言う特殊な日だった)、当該地域の人口、競技場へのアクセス容易性、天候など、多くの比較障害があるのだけれども。
 ついでに言うと、私の席はバックスタンド3階席、スタンドはかなりの急勾配で、3階席でもとても見やすかった。ちなみにチケット価格は、日本円で約7,500円だった。Jリーグでこのあたりと同じ指定席を購入すると、4,000円程度か、つまり倍近い価格となる。もっとも、スイスと言う国は物価が非常に高く、何を買うにせよ、日本の倍以上の値段がかかる感覚だった。まあ、こんなものか。

 さて試合。これが結構微妙な内容だった。ミスが多いのだ。それも、後方でボールを回す際に、コントロールミスが目立ち、それを引っ掛けられる場面が続出。守備陣の奪われた瞬間の切り替えの早さはさすがで、厳しいボディアタックで奪い返すのは見事だったが。乱暴で抽象的な比較だが、厳しいプレスがかかっても回す能力はJリーグが上で、奪われたボールを奪い返す能力はスイスリーグが上、って言う感じだな。
 しかし、自陣でミスを繰り返せばいつか崩れる。実際、そう言ったミスから、バーゼルは引退するシュトレーラが先制。ところが、バーゼルDFも同様のミスを連発し、敢え無く失点を重ね前半は1対2で終了。後半ようやく追いつくが、またもDFのミスから失点し、突き放され2対3。点がたくさん入れば、スタジアムの雰囲気は盛り上がるけれども。
 ホーム最終戦と言う事もあり、バーゼルはメンバ変更で猛攻を仕掛けるが空回りが続く。ザンクトカレンが分厚く守ってくるので、丁寧にサイドチェンジを交えたビルドアップから仕掛けるのだが、最前線の精度に欠けるのだ。この空回りを見ると、「この攻撃ラインにもかかわらず、柿谷は定位置を掴めなていないのか」と複雑な気持ちにはなった。僅かなスペースでも正確にボールをコントロールできる柿谷は、このような事態に最適なストライカだと思ったのだが。
 ともあれ、バーゼルは交代で起用された選手も皆よい選手で、サイドチェンジを繰り返して揺さぶりと圧迫を継続する。このあたりは、両チームの持てる資源の絶対量の差だ。そして、圧力に耐えられなかったザンクトパウリの守備陣が左右の修正が利かなくなった終盤2得点を決め逆転に成功。見事に最終節を飾った。多くのライバルクラブと戦闘能力差がある以上、パウロ・ソウザ氏もわざわざ使い道の難しい柿谷をはめ込む必要がないと考えたのかもしれない。

 外国でのサッカー観戦は愉しい。
 まず選手との出会い。たとえばバーゼルのCBにリーダシップに優れ、前線へのフィードが巧みな選手がいた。よく調べてみたら、あのサムエルだった。こう言う再会は何とも言えず嬉しいものだ。またバーゼルのトップ下のマティアス・デルガドと言う選手は、私にとっては初見だったが32歳のアルゼンチン人。いかにも、アルゼンチンのこのポジションの選手らしい技巧と判断力に富むタレントだった。このような邂逅は堪えられない。
 そして上記クドクドと書き連ねた様々な環境相違の発見。ピッチ上のサッカーを囲む周囲環境は国によって色々異なる。それは、極端に言えば文化の相違によるもの。愛するサッカーを通して観察できる文化相違体験は、とても愉しい。
 言うまでもなく、ピッチ上のサッカーでの発見。この日は優勝決定後の試合と言う事で、少々緊張感に欠けた感もあり、守備のミスからのゴールが多く、大味な試合となった。しかし、サッカーはサッカー。そのような試合でも、スイス独特のスタイルは垣間見え、そこに加わる外国人選手による変化は、常に新しい発見がある。まして、世界のトップを目指そうとする(当方から見ての)ライバル国のトップゲーム故の比較感覚も面白い。
 改めてサッカーの愉しさを堪能する1日だった。
posted by 武藤文雄 at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月29日

上々の折り返し

 ベガルタはホームでグランパスに2-0で快勝。7位、6勝5分け6敗、得失点差プラス7と、そこそこの成績でリーグ戦を折り返す事になった。途中、暗黒の5連敗があった事を思えば、上々の折り返しと言えるだろう。

 グランパスは闘莉王、田口、ダニルソン、矢野ら、経験豊富な選手の多くが負傷離脱中。3-4-3のフォーメーションで守備的な布陣を敷いてきた。とは言え、最前線にはノヴァコビッチ、永井、小屋末と癖のあるタレントが並んでいる。そして、前節は少ないチャンスを活かしてノヴァコビッチの一撃でレイソルに勝利している。ベガルタとしても、慎重な戦いが必要だった。
 ベガルタは金園と奥埜の2トップのチェーシングがよく、それに呼応し最終ラインが的確に押し上げ、ペースをつかむ。グランパスの守備ラインが3DFと言うよりは、5DFと呼ぶのが適切な感じで引き過ぎている事もあり、両翼で数的優位を作れる。左は野沢と蜂須賀、右は梁と菅井。それに加えて、2トップのいずれかが絡み、3人の連係が効果的。金園、奥埜、梁が決定機を掴みながら決め切れず、ちょっと嫌な雰囲気が漂った39分、奥埜が見事な動き出しから右サイド前線でボールを受ける。金園がよい位置に入り込んでいたので、クロスへの対応を意識したグランパス守備陣に対し、奥埜は意表をついたドリブルで内側に切れ込み、走り込んだ野沢にラストパス。梁の陽動動作もあり、全くのフリーとなった野沢が正確にサイドネットを打ち抜き先制。きれいなゴールだった。
 直後左サイドの崩しから、梁がミドルシュート。先ほどの野沢とほぼ同じ場所からだったが、僅かに枠を捉えられず。これが決まっていれば、一方的な展開になっていたかもしれないのだが。
 正直言って、グランパスの引き過ぎは疑問だった。上記の通り、後方の中核選手の多くが離脱しているチーム事情はわかるが、あそこまで引き過ぎるのはいかがだろうか。逆に最終ラインのタレントの個人能力の弱さが前面に出てしまうリスクもあるし、梁や野沢に自由なスペースを与えてしまう事にもなっていた。

 後半、西野氏は動いてきた。DFの竹内に代えて、川又を起用。4-2-4に切り替えたのだ。そのため、グランパスの中盤が薄くなり、野沢と梁の抜け出しが容易になり、ベガルタはさらに攻勢をとれるようになる。ところが、そうなると野沢と菅井が凝り過ぎた軽いプレイを行い始め、攻撃に人数をかけた状況でボールを奪われ、速攻を食らい、再三危ない場面を作られる。幸い、鎌田と渡部の出来が素晴らしく、さらに六反の好セーブもあり、何とかしのぐ。
 「これを続けると、いくら何でも危ない。野沢か菅井を代えるべきではないか」と思い始めた70分あたり、菅井が魅せてくれた。富田の好パスで右オープンに抜け出すや、ダイレクトのサイドボレーで正確に後方から走り込む梁に鮮やかなラストパス。梁は教科書通りの完璧なファーストタッチでボールを受け、ファーサイドに強シュート、「これは決まった!」と思ったものの、楢崎が驚異的な反応を見せる。しかし、さすがの楢崎もCKに逃げるフィスティングまではできず、ボールはピッチ内にこぼれる。そこに奥埜がいた。まあ、菅井の魔術は、凡人の守備的姿勢を遥かに超えていると言う事だな。
 2点差となり、グランパスの動きはガクッと落ちた。ベガルタは野沢→金久保、奥埜→山本と交代し、丁寧に試合をクローズ。贅沢を言えば、もう1点欲しかったし、藤村を使って欲しかったが(3枚目の交代はアディショナルタイムでの菅井→多々良だった)、贅沢を言ってはいかんな。

 完勝を堪能した一夜だったが、楢崎の鮮やかなセービングに切歯扼腕する快感も素晴らしかった。
 的確な位置取り、当方のシュートぎりぎりまで動かない姿勢、老獪な読み。楢崎がゴールマウスにいなければ、大量得点が奪えたはずなのに。しかし、最高級のゴールキーパにありとあらゆる手段で妨害されながらの完勝。もう最高です。
 楢崎のプレイ1つ1つは、日本中のサッカー狂にとっての宝物だ。若いゴールキーパにとってこれ以上の教科書はないのだし。今後も節制を重ね、美しいプレイを見せ続けて欲しい。ベガルタ戦を除いて。

 リーグ戦の折り返し。5連敗しながら、相星に戻しての7位と言う成績は悪くない。
 何より、六反、渡部、金眠泰、奥埜、金園と、新しい選手が完全な中軸として機能している。茂木が調子を崩しているのは残念だが、若さ故の苦闘と前向きに捉えておこう。一方で、ここに来て金久保が試合ごとによくなっている。多々良、山本、藤村も起用されれば相応に活躍している。すっかり選手層が厚くなってきた。
 また、この日何より嬉しかったのは、蜂須賀がよかった事だ。今シーズン、蜂須賀は幾度か守備固めに起用されながら、軽率なプレイで期待を裏切ってきた。ところが、前節左DFに起用されよいプレイを見せてくれた。利き足の右が活かせない左サイドで起用されると、ファーストタッチを強く意識する事になるのが大きいようだ。自分が蹴りやすい位置にボールを置く事を強く意識し丁寧にプレイしてくれた。蜂須賀が左サイドで機能すれば、負傷離脱中の二見にも格段の刺激となる事だろう。
 ベガルタフロントの手腕を高く評価する。もちろん、渡邉監督の手腕にも。昨シーズンの老齢化から脱却する事に成功しつつあるからだ。このまま、全てがうまく行くと思うほど、私はウブではない。でも、これだけ若手、中堅どころが機能しているのだ。楽観的になる私を許してほしい。

 もう1つ。今シーズン、梁勇基が素晴らしいのだ。33歳になった梁、さすがに瞬間加速は往時に比べて衰えてきた。しかし、ファーストタッチの精度が格段で、そこから様々な攻撃が生まれるのだ。上記の2点目はその典型だ。中村俊輔とも、遠藤保仁とも、小笠原満男とも、中村憲剛とも、それぞれ異なるベテランMFとして、梁勇基は格段の輝きを見せてくれようとしている。

 うん、私は幸せだ。
posted by 武藤文雄 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする