2021年01月01日

2021元日、天皇杯決勝

  あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 天皇杯決勝2021年元日、病禍禍下にもかかわらず、幸運にもチケットを入手、天皇杯決勝を堪能した。

 試合そのものは、フロンターレがガンバを圧倒。多彩な攻撃で幾多の決定機をつかみ、後半55分に先制。その後も多くの好機をつかみながら決め切れず。最後の15分にガンバが反攻したものの、鄭成龍、ジェジエウ、谷口の中央は揺るがず。きっちりと、フロンターレが1-0で逃げ切り、堂々と日本一を獲得した。

 フロンターレのすばらしさは、全選手に徹底している勤勉さ。他チームと比較して、技巧に優れた選手たちが皆丹念に動き続け、パスコースを作り丁寧につなぎ続ける。さらに、味方がボールを奪われた瞬間の切り替えの早さが格段、全選手がボール奪取に動き、敵のボールキープを妨害し絡めとる。相手チームからすれば、下手にボールを奪い、味方がキープするために位置取りを変えた瞬間に、フロンターレ選手複数がボール奪取に絡んでくるのは悪夢だろう。真っ当にフロンターレがキープしていてくれた方が安全と思えるほどだ。
 かくして、ほとんどの時間帯、試合内容はフロンターレが圧倒した。
 さらに、ガンバの状況を悪化させたのは、宇佐美の使い方。前半はいわゆる4-4-2の左サイドMFを務めたが、家長、山根、時に田中碧が参画するフロンターレの右サイドの攻撃に対して、長駆の追い込みができないため、ほとんど抵抗ができなかった。後半、ガンバ宮本監督は宇佐美をトップに変更、倉田を左サイドMFに移した。倉田の粘り強い対応により、フロンターレの右サイド攻撃をある程度止めることはできたものの、逆にアンカーに位置する守田へのプレスが弱まり、一層事態は悪化した感もあった。体調が悪いのか、指示が不適切なのか、それ以外の要因があるのかはさておき。
 また今シーズン左DFを務めた登里が負傷したとのことで、フロンターレはこのポジションに新人の技巧派の旗手を起用。旗手は格段の技巧で、変化を演出はしたが、右利きのため攻撃の幅を結果的に狭めてしまった感もある。左ウィングの三苫が右利きの技巧派であることを含め、ここは来シーズンの課題かもしれない。いや、これ以上フロンターレが強くなっても困るのですけれども。
 それでも、終盤まで1点差を維持できたことで、ガンバは反撃を開始。渡辺千真を起用し、パトリックとの2トップで幾度か好機をつかみ、試合を盛り上げてくれた。フロンターレの各選手が75分までの猛攻でやや一息感があったこともあり、ドイスボランチを組んだ矢島と倉田がよくボールを散らし、フロンターレを慌てさせたのだが。
 フロンターレはチーム状態が良すぎることもあり、よいリズムで攻守のバランスがとれていた。そのため、終盤選手が疲弊し始めたところでの交替起用のタイミングが難しかったのかもしれない。あり余る控え選手の適切な起用ができず、終盤慌てることになった感もあった。
 持ち味の美しいボールキープを軸にした変幻自在の攻撃を見せてくれたフロンターレ、粘り強く戦いあと一歩まで持ち込んだガンバ。新年早々、楽しい試合を見せてくれた両軍関係者、それを演出した鬼木、宮本両監督に感謝するものである。

 結果的に、中村憲剛大帝は最後の公式戦に出場せず。ちょっと、いや相当残念なのですが、贅沢を言ってはバチがあたるのだろう。
 でも、もう1回憲剛を見たかった…

 以下余談。
 自分にとっては、はじめての新国立競技場。陸上トラックが邪魔だとか、色々な議論があるようだが、大きな問題を2つ感じた。

 まず1個目は、滅茶苦茶でかいから、自分の席に着くまで最寄り駅到着以降、最低30分くらいを見ておかなきゃいけないこと。その割に、入場口やスタンド入口が少ないように思えた。それでも、今日は入場可能者も少なかったら、何とかなったが疫病問題が解決後、チケットが売り切れ状態時にどのように混乱があるか、ちょっと心配。
 2つ目。噂通りなのだが、前後の隙間がなさすぎる。普通に座ると、前の席の背もたれ後方に足が密着する。なので、移動する人がいると相当難儀する。今日は、1人おきの配席で隣が不在だったこともあり、移動する人がいたとしても、男の私は足を広げて、その人を通すのは問題なかった。しかし、これが満員御礼状態だったとしたら、相当混乱するだろうな。
 他にも、メインから見て右側のバックスタンドが分離されているなど、基本設計で気になることが多々あるが、まあ別途議論するか。
 
 もう1つ。試合前の国歌。さすがに疫病禍下、我々は歌えない。自衛隊の歌の上手いお姉さんが朗々たる独唱、場内アナウンスが「心の中で歌ってください」と言っていたのには少し笑った。それはそれでよいのですが、その独唱下、オーロラビジョンに中村憲剛大帝を大映しにしても、バチはあたらないだろう、と思ったは私だけだろうか。
posted by 武藤文雄 at 22:30| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月31日

2020年10大ニュース

 今年の10大ニュースをどうまとめるべきか。何を語ってもCOVID19の影響を抜きには語れないように思えてくる。ただ、この疫病禍の前に起こったことは、記憶から薄れつつあるし、独立して起こった事件もある。そのあたりを自分なりに整理してみた。1位から6位はこの疫病禍に関するもの。7位は少し疫病禍に関連するもの。8位から10位は疫病禍と直接関係ない事案となっている。


1位 とにかくJリーグ完結
 この難しい疫病禍下でとにもかくにもJリーグが無事日程を終了できたことに関係者に敬意を表したい。中断が決まって早々に下位リーグ陥落がないことを決定、さらに再開に向けて、リーグ戦の成立条件や、試合中止の基準を設けるなどの規定を明示化。これらの規定の具体性や現実性には感心した。そして、下記する他の大会との調整、度々襲ってくる疫病禍にも屈せず、全日程を完了したわけだ。
 加えて、ACL(無茶苦茶な日程だったが、これまたとにかく大会を完了したことを評価するしかないか、ともあれテレビ桟敷で見た試合はいずれもおもしろいものだった、VARを除いては)も曲りなりに3チームが出場。天皇杯も幾多の議論を経ながら、J1から2チーム、J2、J3から1チームと言う奇策で帳尻を合わせた(中村憲剛の最後の公式戦として盛り上がり的にも最高の舞台となった)。さらに、ルヴァンカップも、決勝は疫病の影響で延期を余儀なくされ、片方の決勝進出クラブFC東京がACL出場し日程調整が厳しい中で、1月4日決勝と何とか形をつけた。
 もちろん、「帳尻を合わせた」とか「何とか形をつけた」と言う表現は、創意工夫を凝らして日程調整をした方々(各クラブ都合、会場調整など検討しなければならない事項は無数にあったはず)、厳格な管理下で健康状態維持に努力した選手やスタッフなど現場の方々、いずれに大変失礼かもしれない。しかし、このような表現をとらざるを得ないほど、今シーズンの日程をほぼ完全に消化しつつあることは実に見事な業績だったと思っているのだ。
 ただし、本当に大変なのは来シーズンだ。J1は20チーム総当たりで4チームが降格する過去にないタフなシーズンを迎える。後述するがワールドカップ予選も入ってくる。残念なことにCOVID-19の影響もまだまだ続き、突然の中止などの混乱も起こるだろう。それでも、今年の経験を生かし関係者が知恵を絞り、無事来シーズンもこなせることを期待したい。
 とにかく、皆さん、お疲れ様でした。

2位 縮小経済と日本サッカー
 何とかシーズンを無事終えようとしている日本サッカー界だが、経済的状況が深刻なのは言うまでもない。
 当たり前の話だが、この疫病禍の中、J各クラブの観客動員が大幅に減少している。入場可能観客の人数が制限されているのみならず、試合直前までチケットの発売を待たねばならず、思うような販売促進もかなわない。サッカークラブの支出の多くは固定費(そのほとんどは、現場の選手やサポートスタッフ、フロントの人々の人件費)であり、観客動員が少なくなれば自然と収入が下がり、状況が悪ければ赤字化する。
 今シーズンはその打撃が直接各クラブの経営を襲った。頭が痛いのは、来シーズンも同様の事態が起こることだ。また、これは日本協会も同じことで、貴重な収入源である日本代表の試合が思うように行わなれない。Jクラブにしても、日本協会にしても、出資者やスポンサへの還元や、良好な関係作りを行ってきただろうから、ここからの収入が短期的には減らないかもしれない。これども、疫病禍により世界中の景気が後退している状況。出資、スポンサ企業の経営も苦しいのだ。こう言っては身も蓋もないが、サッカー界に入ってくるカネがしばらく減少傾向となるリスクは高い。
 加えて、気になるのは西欧サッカー界でここ30年来続いていた異常な経営拡大基調だ、バブルと言ってもよいかもしれない。最近ではとうとう選手価値の債権化、若年層選手の人身売買的扱いを皆が隠さなくなっている。建前論からもしれないが、人権確保促進や個人情報保護に特に厳しい欧州で、これらの活動が放置されているからくりは、よく理解できていない。そのような状況で、西欧各国は直接的な疫病被害は甚大なものになっている。この状況下で、西欧のサッカー界はどのように収入を確保し、選手達の高給を維持するのだろうか。もし、それが叶わなくなり経済的縮小を余儀なくされた時、西欧サッカー界はどうなってしまうのだろうか。
 悩んでもしかたがないことかもしれない。日本で私たちができることは、それぞれの立場で知恵を絞り、サッカーを楽しみ、そこでキャッシュが回る工夫をすることしかないのだが。

3位 声が出せない観戦
 50年近くサッカーを堪能してきたわけだが、自分にとっては未曾有のつらいシーズンだった。観戦時に、大声を出せないことが、これほどしんどいこととは、思いもしなかった。
 サッカーを見るという行為はうんうんと黙って首を縦に振ってれば良いものではない。相手チームの素晴らしいプレーに悲鳴をあげ、一方で(あくまで主観的だが)審判の不適切な判定に対し野次を飛ばす。これらはこれで、サッカー観戦には得難い楽しみの1つだが、まあこれらは我慢ができる。しかし、何が我慢できないというかと言えば、自分のチームの選手の素晴らしいプレーに対する、歓喜や賞賛や感嘆の叫び声を出せないことだ。これらを我慢するのは極めて難しい。
 再開以降、ユアテックで2試合だけ観戦をしたが歓声を上げられないのは本当に辛いものだと思った。自宅でDAZNしながら絶叫した方が、どんなに気持ちよいことか。余談ながら、指導しているサッカー少年団の試合ならば、ベンチからの指示は許されているので、このようなストレスはない(もっとも、少年サッカーのベンチでコーチがすることは、子供達に「いいぞ、いいぞ」とひたすら褒め続けることだけなのだが)。
 もちろん私はサッカー狂だから、生観戦に勝る楽しみはない。サッカーが見られるならば、大声を出すのを我慢しよう。けれども、多くのサポーターは声を出して一生懸命チームを応援するのは大きな楽しみになっているはずだ。現実的に声を出せないからユアテックには行かないことにしてるんですと語っている人に何かあった。仕方がないこととは言え、つらいところだ。

4位 ワールドカップ、日本代表チームへの不安
 一方で、ワールドカップはどうなるのだろうか。そもそも、22年に計画通りカタールでワールドカップがやれるのだろうか。
 今回の疫病禍となる前の話だが、もともとカタールと言う国でワールドカップ本大会をすることそのものに多くの疑問が寄せられていた。他地域にない高温多湿から11月開催となったのも異例だが、面積の小さな国で観光資源も乏しく、また宗教的な制約から酒も楽しみづらい。ワールドカップと言うお祭りを通じ、私のようなサッカー狂からキャッシュを巻き上げることを生業としているFIFAらしくない開催国選択なのだw。
 そこに加えてこの疫病禍。何がしか合理的な予選を構築し、2022年の春くらいまでには出場国を確定しなければならない。例えば南米では予選が再開しているが、アジア予選は停止したまま。あまりに多くのキャッシュが動く世界最高のお祭りだが、合理的にも、経済的にも、みなが納得する予選形態を、今から構築できるのだろうか。たとえば、大陸をまたがる所属クラブの選手をどのように集め、どのように選手の体調管理を行えるのか。たとえば、選手の所属クラブが、疫病関連で選手の招集を拒絶した場合、どのようなルールでそれを制御するのか。
 日本代表を例にとってみよう。アジアでのアウェイゲーム、欧州クラブ所属選手とJの選手を当該国で適切に隔離管理して準備と試合を行い、それぞれのクラブに戻す必要がある。少々乱暴な言い方をするが、アジア各国のサッカー協会がこれらの管理を適正に行う見極めがつかなければ、欧州のクラブが選手派遣を認めないのではないか。一方で、そのような混乱で、監督が選ぶベストメンバを選考できなければ、日本はもちろんだが、韓国、豪州など欧州クラブでプレイする選手を多数持つ国は対応できなくなる。
 もう1つ、先日欧州でメキシコやカメルーンなどと親善試合ができたのは、1つの成果だし、日本協会関係者の尽力のたまものだと思う。また、欧州クラブ所属選手だけの招集で、曲りなりにもメンバがそろったのも感慨深かった。ただし、代表チームと言うものは、自国、他国いずれのリーグでもプレイしている選手を、監督が自在に選考できなければベストとは言えない。疫病禍と言うのは、この当たり前のことを実現することを難しくしてしまうものだ。厄介なことだ。

5位 交代制限の緩和
 疫病禍で大きく変わったことに、交代選手の人数がある。
 あくまで暫定措置だが、試合間隔が短くなることによる選手の消耗を考慮して、従来の3人から5人の交代が認められた。これは結構大きな影響を与えることになった。とにかく選手層の厚いチームが圧倒的に有利となる。これだけの過密日程で5名交代となると、よほど特殊な監督でなければ、ローテーション的に選手起用を行う。そして、中心選手は休養試合にも貴重な交代要員として試合終盤に登場してくる。
 (選手層が厚いとは言えない)ベガルタサポータからすると、敵が試合終盤にフレッシュな強力なタレントを起用してくると、「う〜ん、勘弁してください」と言いたくなることが再三あった。まあ、しょうがないのですがね。
 もともと、連戦となれば物を言ってくるのが選手層なのは言うまでもない。サッカーは11人しか同時に使えないので、潤沢に選手を保有していても宝の持ち腐れとなることも多い。さらに言えば、能力は高いが出場機会に恵まれない選手が何人かいると、よほど監督がマネージメントをうまく行わないと、そこからチーム全体の調子が崩れることもあった。弱者としてはw、そこを突くこともできた。
 もっとも、この傾向は西欧では、ここ20年間先行して見てきた光景ともいえる。いわゆる西欧の金満メガクラブは、トップレベルの選手を20名以上集め、自国リーグと欧州チャンピオンズリーグにローテーション的選手起用を行ってきた。結果的に、疫病禍下での交代人数増の今回のルール変更が、Jにも類似の事態を起こした感がある。
 この交代選手数の制限が、どうなっていくかはわからないが、今後のサッカーの変化の1つの要素として注目したい。

6位 若年層の無観客試合の妥当性
 疫病禍下で気になることがある。それは若年層の大会の観戦が極端に制限され、家族ですら観戦が許されないケースが散見されることだ。ここで若年層大会と言っているのが、高校選手権県予選のように比較的メジャーな大会でも、絵に描いたような草サッカーである私が指導している少年団の大会でも、同じような状況となっている。
 大会主催者が、観戦制限をする気持ちも理解できる。万が一陽性者が出た場合、関与した人々を追跡可能とする必要がある。選手、審判、指導者、運営など試合開始に必須の人の関与を最小にすることで、試合前後の管理の手間を小さくしたいのだろう。ただでさえ、衛生管理や上記必須の人々の記録など、通常よりやることが増えるのだから。
 ただ、親御さんの観戦まで制限がかかるのはいかがだろうか。そもそも若年層のサッカーの最大のサポータは親御さん達であり、サッカーを通して子供の成長を親が楽しむと言う文化は、世界中のサッカーの景色である。もちろん、親による過干渉や、日本テレビ風の美談化には気をつけなければならないが。そして、親御さんの観戦ならば、主催者の管理の手間も極端には増えないはずだ。疫病禍がしばらく継続するにしても、善処を期待したい。
 余談ながら、ラグビーやサッカーのように肉体接触系競技でない、屋外競技の開催制限もよく理解できない。野球で感染増のリスクはほとんど感じないし、テニスなどは適切な管理さえ行えれば、感染増のリスクなど一切ないと思うのだが。

7位 フロンターレ強かった
 とにかく今シーズンのフロンターレは強かった。
 もともと、よい選手をバランスよく集めているこのクラブ。17年、18年と連覇し、昨シーズンも開幕前は優勝候補筆頭と言われていたが、調子が上がらず4位でリーグを終えていた。これは、選手層が厚くなりすぎベストメンバが固められないあたりも鍵に思えていた。さらに今シーズンについては、三苫、旗手と言った五輪代表候補を加え、どのような交通整理をするのか、鬼木監督の手腕が注目されていた。
 しかし、今シーズンのレギュレーションでは、この選手層の厚さをフルに活かし、圧倒的な強さを見せた。特に中盤は、守田、田中碧、大島、家長、脇坂、三苫と誰がベスト11に選ばれてもおかしくない布陣に、重症から復帰した中村憲剛大帝が加わる。そして、ワントップは小林悠とレアンドロ・ダミアンを併用。そして特筆すべきは、これらの名手がボールを奪われた瞬間に一斉に切り替えボール奪取に入るところ。
 この素早い攻撃から守備への切替は、相当な脅威だった。敵からすれば自陣ですら思うようにボールキープできないのも厄介だった。加えて、敵陣でこのようなデュエル合戦に巻き込まれるとボールを奪われるや否や、視野の広い田中碧や大島あたりのロングパスからの速攻にさらされるリスクも高い。攻撃面で強みを発揮する中盤選手を多く保有するチームが、組織的な攻撃から守備への切替を身に付けると、いかに強力なチームができあがるかと言うことを見事に示してくれた実例と言えよう。
 このまま中心選手の保持に成功すれば、来シーズンのACLが楽しみである。

8位 静岡学園(決勝の逆転、井田対古沼の準決勝)
 ちょうど1年前のことになるけれども、今年の高校選手権はとても面白かった。
 決勝戦は名門中の名門青森山田大静岡学園。静学が前半早々に0-2でリードされた時は、76-77年シーズンの首都圏移転大会の再来かと思ったりしたw。しかし、当時同様に個人技でヒタヒタと攻め込む個人技で逆襲に転じた静学は、当時とは全く異なるセットプレイのうまさや時折高速化する変化から、山田を押し込み3-2と逆転。終盤、ロングスローの飛び道具を繰り出した山田の猛攻をかわし、初の単独全国制覇に成功した。個人技に長けた選手を多数披露した上記決勝で敗れて以来43年、遂に井田前監督の執念が実ったのは感動的だった。
 ちなみに準決勝の静岡学園対矢板中央戦も忘れ難い。静学の変幻自在の攻撃を、矢板が組織守備で止める。終了間際、変化あるパスワークから、エースの松村優太が抜け出しPKを奪って勝ち切った。正に、井田勝通対古沼貞雄と言う戦いだった(元帝京高監督古沼氏は、矢板ベンチに入り指導を重ねていたとのこと)。昭和世代の老人には堪えられない一戦だった。

9位 五輪代表メンバ不明問題
 残念ながら疫病の影響で東京五倫は中止された。失礼延期された。21年東京五倫が開催されるかどうかは私にはわからないが。ただ、サッカー五輪代表の準備が、まったくうまく進んでいかなかったことを、ご記憶だろうか。
 19年11月に広島で行われたコロンビア戦。堂安と久保をはじめ欧州クラブの選手を冨安以外ほとんど呼んだ試合で完敗。さらに1月にタイで行われたU23選手権では、グループリーグでいきなり2連敗してトーナメント出場失敗。それも、選手に戦う気持ちが見られない残念な試合振りだった。
 予選がなく、多くの選手がJで実績を残す前に欧州に出て行ってしまうという未曾有の状況ではある。また、森保氏も、A代表監督兼任で多忙を極めているのも厳しいところだ。しかし、過程はどうあれ本大会半年前になっても、ここまでチーム作りがほとんど進んでいなかったのは残念だった。
 ただし、森保氏にとって五輪の延期は幸運だったかもしれない。ユース世代と大人の強化が分離しがちの日本サッカー界は、どうしても20歳前後の選手の成長には時間がかかる。この1シーズン、田中碧、三苫、上田らを筆頭に多くの選手が、Jでも定位置をつかむのみならず、中心選手として経験を積んだ。冨安は日本サッカー史上最高の選手への道を着々と歩んでいる。欧州に出た選手も出場機会を増やしている。手段をあやまたなければ、よいチームが作れる材料は十二分にそろっている。

10位 よく理解できないWEリーグ構想
 女子のプロサッカーリーグ構想が発表された。しかし、理解に苦しむことが多い。
 そもそも、女子サッカーの集客にとって最大の競合は男子サッカーがあり、観客動員が容易でないのは言うまでもない。女子サッカーの最強国のUSAでは、独自の観客動員に成功しているとの報道もみかけたこともあるが、それらの工夫を織り込んだリーグ戦運営が準備されているという情報は聞いたことがない。どのような方策でプロフェッショナリズムを導入した収入を得ようとするのだろうか。
 また、秋から春にかけて試合をすると言うが正気だろうか。真冬の厳寒期の観戦が相当な障害になることは、既に議論され尽くされているのだが。
 もう1点気になっていることがある。女子日本代表の試合振りから、過去の颯爽とした情熱をあまり感じられなくなっていることだ。世界一となった前後約10年間、女子代表の戦いぶりからは、常に心揺さぶられる「何か」を感じることができた。具体的に言えば、勝利を渇望した知性の発揮とでも言おうか。しかし、19年のワールドカップは、五輪向けに無理な若手起用を行ったためか、そのような「何か」を感じることができなかった。今日の女子代表の礎を築いた立役者である高倉麻子監督への厳しい批判は、つらいものがあるのだが。今の女子代表が、急ごしらえのプロリーグの支えとなれるだろうか。一方で、先日の皇后杯決勝のベレーザ対浦和や準々決勝のベガルタ対セレッソのような、技巧的、知的、情熱的な試合を見ることができるのだから、心配はいらないのかもしれないけれど。
 余談ながら。そもそも女子サッカーを男子と同じレギュレーションでやることにも疑問がある。筋力の関係でゴールキーパーの高さや、角度のあるキックの強さ、キック前のバックスイングの必要性など、男子との肉体能力の差はいかんともしがたい。ゴールの大きさ(特に高さ)や、人数や、ピッチの広さを工夫すれば、娯楽としてはもちろん、プレイする人々のおもしろさは一層広がるように思うのだが。もう、ここまで男子と同じレギュレーションが定着してしまった今となっては、もうどうしようもないのかもしれないが、

番外 中村憲剛と佐藤寿人引退
 別に作文します。
 1つだけ。この2人は、Jリーグでの輝かしい実績の割に、日本代表ではその実力をフルに発揮する機会を得られなかった。2人のプレイを存分に堪能することはできたが、それがちょっと悔しい。
posted by 武藤文雄 at 23:25| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年ベストイレブン

 疫病禍下で、日本代表の活動も極端に低調。そのためもあり、選考するベストイレブンは例年とは随分異なるものとなった。まあ、それはそれで、今年の記録になるだろう。

GK 東口順昭
 ガンバのJ2位に貢献。とにかく、破りづらいゴールキーパ。敵がシュートするギリギリまで我慢し、適格な判断で対応する鮮やかさ。30代半ばとなり、安定感は増々磨きがかかっているのではないか。代表のゴールキーパはさらに年上の川島がいるが、東口の復帰も議論されてよいのではないか。

DF 山根視来
 ベルマーレの超攻撃的CBの山根が、フロンターレのサイドバックとして格段の輝きを見せてくれた。ベルマーレでCB経験により、敵と正対した際の守備能力を高めることに成功。さらに中央から無理なく攻め上がる経験を活かしたことから、サイドバックとしての攻撃力も格段になった。トップレベルのサイドバック育成の1つの指標となるかもしれない。このままの勢いで、日本代表での活躍も期待したい。

DF 谷口彰悟
 フロンターレの強さの1つに、敵が中盤のボール保持を外し強引な縦攻撃を狙ってきた際に、しっかりと谷口がそれを押さえ切ってしまうことがある。単純なクロスや、精度の低いロングボールは、まったく谷口には通用しない。また、落ち着いた前線のフィードも中々のもの。もう1回代表で見てみたいプレイヤ。

DF 冨安健洋
 着々とセリエAの中堅どころで実績を積み、西欧のメガクラブの中核を目指す。順調な成長ぶりだ。

DF 山本脩斗
 若い永戸勝也と杉岡大暉の加入もあり、今シーズン定位置を確保できていなかった山本の選考は、ご本人に失礼かもしれない。しかし、リーグ終盤、若い二人が欠場した際に登場した山本のプレイはすばらしかった。落ち着いた守備、適格な攻撃時の選択。この難しいシーズンで終盤まで体調を整え、終盤チームを支えた山本にプロフェッショナルを見た。

MF 守田英正
 最終ラインに下がった組み立て、技巧派ぞろいの中盤選手がボールを奪われた瞬間の強烈な守備能力、時に見せる前線への迫力ある進出。今シーズンのMVPと言ってよいだろう。2年前のアジアカップ前に負傷しなければ、そのまま代表の中心選手となり、日本にトッププレイヤになっていたかもしれない。ポルトガルの辺地の小クラブへの移籍が噂されるが、代表への定着に最善の道を選択してほしい。

MF 遠藤航
 先日の代表シーズンで圧倒的な存在感を見せた。シュツットガルトでも中心選手として活躍。今の日本代表に不可欠の存在となった。ベルマーレ時代からの知性と献身が、いよいよ本格化したと言うことか。しばらく日本代表の中盤は遠藤抜きで語れなくなるだろう。

MF 田中碧
 正確な技巧と、適切なプレイ選択が、いよいよ充実してきた。フロンターレ相手となると、敵はあれこれ守備を工夫してくるが、田中が正確に長短のパスを操り、敵守備ラインを上下させることで、大島と家長にスペースを提供できる。まずは一層技術の精度を極め、五輪代表の大黒柱として、世界を驚かせるのが国際キャリアのスタートとなるか。

FW 伊東純也
 中堅どころだが、着々と欧州でも代表でも地位を築いている。感心するのは、代表で起用される度に特長をしっかりと活かすプレイを見せてくれること。代表の右サイドの攻撃ポジションは、堂安、久保と言ったより若いライバルが控えるが、タイプの異なる伊東は彼らと異なる持ち味があり、ワールドカップでも貴重な存在になり得るはず。

FW 上田綺世
 日本人としては体格にも恵まれているが、本質的には技巧派、いやタイミングで勝負するストライカ。また、スペースを作ったり活用するのにも長けている。守備のタスクや戦術的なボールの受けをしっかりこなすのは当然だが、攻撃時にはチャンスメークはあまり関与せずにフィニッシュに専念すれば、もっともっと得点できるようになるのではないか。先日亡くなった、イタリアの名ストライカ、パオロ・ロッシを目指してほしい、古いか、だったら、フィリッポ・インザーギ。

FW 三苫薫
 フロンターレに入り大化けした。今は大島や家長や田中碧に「使われる選手」としての地位を確立してほしい。そして、20代後半になり、周囲が見えるようになった時に、本当の中村憲剛の後継者としての道を歩み始められるか。余談ながら、あのすりぬけるドリブルに、70年代後半フランスで活躍したドミニク・ロシュトーを思い出したのは私だけか(こちらも古いが、他に思いつかないw)。
posted by 武藤文雄 at 22:45| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月06日

さようならディエゴ

1.君との思い出

 君の名を始めて知ったのは、78年アルゼンチンW杯大会直前、サッカーマガジンに載った代表候補選手リストだった。
 当時私は高校3年生、少々興奮した。17歳の同い歳(後日、さらに同年同月生まれと知る)の選手が、地元ワールドカップに備えるチームの候補選手になっていたからだ。しかし、大会直前、メノッティ氏は迷いに迷った末に、君をメンバから外したと言う。そして、熱狂的な全国民のサポートの下、ダニエル・パサレラとオズバルト・アルディレスとマリオ・ケンペスのチームは、颯爽とした攻撃的サッカーで初めての世界制覇に成功する。君が不在でも。
 79年5月、前年W杯決勝再戦となったオランダ戦、映像で初めて君を見た。君以外は世界チャンピオンメンバ、しかし君は格段の戦術眼と技巧を見せ、既に王様としてチームに君臨していた。ヨハン・クライフが事実上トップレベルの試合を去っていた当時、「新しい神」が登場したのか、期待は格段のものがあった。
 同年日本で行われたワールドユースで、君の名は世界にとどろいた。君はラモン・ディアスと共に格段の輝きを見せてくれたのだ。余談ながら、あの大会は私の世代のワールドユース。高校時代ピッチで幾度も戦ったこともある鈴木淳も出場した(いや、選手としては淳にはまったく歯が立たなかったのですが)。

 80年代に入り、君はボカやバルセロナで活躍するも、期待したほどのプレイは見せてくれなかった。82年ワールドカップでも体調も上がらず、断片的に輝くプレイはあったものの、敵の厳しいマークの下に沈んだ感があった。世界でも1、2の実力者であることは間違いなかったが。
 ちょっと余談をはさむ。85年のトヨタカップは、ミシェル・プラティニ率いるユベントス対アルヘンチノス・ジュニアーズ。このアルヘンチノスと言うブエノスアイレスの小さなクラブは、幼少の君の才能を見つけ、プロフェッショナルに育て、ボカに売ることで得たキャッシュでチームを強化。リベルタドーレスを制し、国立競技場に登場したのだ。ホセ・ジュディカ監督が率いたアルヘンチノスは攻撃的なすばらしい試合を展開、プラティニ(まだこの時点では、君ではなくプラティニが世界最高の名手と言われていた…そして、国立でプラティニが見せたプレイは本当に鮮やかだった)と仲間たちを後一歩まで追い詰めながらPK戦で敗れる。この試合は、私の50年近いサッカー観戦歴の中でも最も美しい記憶の1つとなっている。
 迎えた86年メキシコ大会。初戦のアルゼンチンの対戦相手は韓国だった。その半年前、我々は最終予選をこの隣国と戦った。森孝慈氏率いる日本代表の攻撃の切り札は水沼貴史、私にとっては日本人一番サッカーが上手な同級生だ。しかし水沼は韓国の名DF金平錫に完封された。このアルゼンチン対韓国で最初君をマークしたのが、金平錫だった。しかし、金平錫は君の前ではまったく無力、前半半ばで交代を余儀なくされた。アジアのトップレベルに近づきつつあった当時の日本代表と世界最高峰のレベル差を、君と金平錫と水沼で知ることができた。
 その後のこの大会の君は、皆が知っている。神は地に降りてきたのだ。悪魔と言う話もあったが、詳細は後述する。
 前後したナポリでの美しいプレイの数々、イタリア南部の風光明媚なこの都市での活躍は言うまでもない。

 90年イタリアワールドカップ。私にとって生観戦した初めてのワールドカップ。初戦のカメルーン戦の失態。2次ラウンド初戦圧倒的に攻め込まれたセレソン戦、カニージャに通した芸術的なラストパス。灼熱のフィレンツェ、イビチャ・オシム氏が率い、若きドラガン・ストイコビッチを中軸としたユーゴスラビアをPK戦で下し、君はナポリでの地元イタリアとの準決勝に進出した。
 フランコ・バレシが率い、圧倒的優勝候補と言われ、ここまで無失点だったイタリアは前半早々にサルバトーレ・スキラッチが先制。誰もが「勝負あり」と思ったものの、君は反転攻勢に出る。そして後半にカニージャが同点にして(この同点弾については後述する)、PK戦で決勝に。
 決勝の西ドイツ戦ではチームメートの半分以上が警告累積で出場できず(ここまで、君のチームメートは、ラフなのかタフなのか微妙でギリギリの激しい守備で戦い抜いてきた、6試合を経過し多くの選手が肝心の決勝で出場停止になっていた)、終始西ドイツに攻勢をとられる。それでも、アルゼンチンの組織守備は揺るがない。しかし、後半怪しげなPKをとられ、さらに不可解な退場判定で最後は9対11の戦いを余儀なくされ、万事休した。

 その後、麻薬関連が取沙汰されナポリを去った君は複数のクラブを転々とする。「もうトップレベルのプレイを見せてくれることはないだろう」とも思っていた。ところが93年アルゼンチンはW杯予選で苦戦、豪州とのプレイオフに回ると君は代表に復帰。そのまま、君は4度目のワールドカップに臨んだ。君は、バティステュータ、レドンド、シメオネと言った新しいタレントを率い、美しい攻撃サッカーを展開。ギリシャ、ナイジェリアに完勝。特にギリシャ戦の君の得点は、「正にアルゼンチン!」と感嘆する中央突破から。最初の2試合の圧倒的強さから、優勝候補筆頭とも語られた。けれども、1次ラウンド最終戦直前に、禁止薬物反応が出たとのことで、君はUSAを去ることとなった。

 間違いなく少しずつ引退は近づいていた。ボカに復帰した君は、95年ソウルでの韓国代表戦に登場した。当時、W杯招致合戦を繰り広げていた日韓両国。韓国はボカを招聘することが、世界のサッカー界への大きなPRとなると考えたのだろう。麻薬の前科がある君には日本政府当局は入国のビザを発行しようとしなかったからだ(94年のキリンカップ、アルゼンチン代表来日が内定していたが、君が入国できないためアルゼンチンは出場を辞退したと言う)。ソウルは近い、私はソウルオリンピックスタジアムに向った。往時の切れ味はもうなかったけれど、柔らかなボールタッチと、20〜30mの距離をきれいにカーブして味方の利き足に届く美しいパスは健在だった。君を見ることができるだけで幸せだった。
 また余談。翌日、帰国のための金浦空港。テレビ解説のために訪韓していたメノッティ氏に会うことができた。「私は日本のサポータです、昨日ディエゴのプレイを見られてうれしかった、たぶん私にとっての最後のディエゴです。ともあれ、私は86年のディエゴのチームより、78年のパサレラとアルディレスとルーケとケンペスのあなたのチームが好きなんです」。メノッティ氏は嬉しそうな表情でサインをしてくれた。
 引退後の君は、時折世界中におもしろいニュースを発信するおじさん、となった。たまに薬禍、反社会集団との関与、不摂生による病気などのニュースが混じるのは残念だったが。驚いたのは、08年にアルゼンチン代表監督に就任したこと。考えてみれば、アルゼンチン代表は君が去った後も強かった。規律厳しい戦術的な監督が率い、多くの名手が登場し、格段の戦闘能力でW杯予選を勝ち抜き、本大会でも格段の優勝候補と評された。けれども、98年、02年、06年、いずれも早期敗退。アルゼンチン協会も「どうにもこうにも世界一には近づけない。やはり神に頼るべきか」と考えたのかもしれない。しかし、神はピッチ上にいてこそ輝くものだったのだ。君が率いるチームはドイツに完敗した。試合はおもしろかったけれどものね。
 18年ロシア大会、サントペテルブルク。私はアルゼンチン対ナイジェリアを堪能していた。空回りするメッシ、明らかに衰えたマスケラーノ、私の席からメインスタンド中央の貴賓席が見えた。目を凝らすと、見慣れている体躯の君が踊っていた。踊る君を見るだけで、嬉しかった。

2.君の比類なき攻撃創造力

 何故君は「神」なり「悪魔」と称されるようになったのか。一言でいえば、誰も真似できない格段の攻撃創造力だと思っている。
 86年イングランド戦の5人抜き、90年ブラジル戦のカニージャへのアシストのような超人的なドリブル突破からのシュートやラストパス。これらならば、最近ならばメッシやクリスティアーノ・ロナウドが見せてくれる。
 86年決勝西ドイツ戦の決勝点、ブルチャガに通した一瞬のスルーパスならば、ジーコやプラティニが再三披露してくれたし、小野伸二や中村憲剛も得意とするところだ。
 94年ギリシャ戦のような卓越した個人技直後のの強シュートならば、ジダンやリバウドの記憶はまだ新しい。
 しかし、今から述べる攻撃創造は、君にしかできないものだった。

 まず、あの86年イングランド戦の「神の手」。あの場面、君はトップのバルダノにボールを当て、正確なリターンを期待してトップスピードでペナルティエリアに進出した。しかし、君の意図とは異なりバルダノはコントロールミス、イングランドDFが処理し損ねる形で偶然フワリと浮いたボールがイングランドゴールに。そのような偶然の浮き球が上がった瞬間に、君はGKピーター・シルトンと主審の位置取りを瞬間に見てとり、「これは手だな」と判断し冷静にボールを押し込んだ。
 思わず手を出すのでは「神の手」にはならない。瞬時の判断で幼少時から自分で築き上げた「神の手」を選択する引き出しの多さと判断の的確さ。さらに言えば、この「神の手」はいくら熟練していたとしても、そう頻繁には使えない。毎回試みればネイマールの寝っ転がりになってしまう。それをW杯の準々決勝で披露するとは。
 君は幼少時から幾度「神の手」を練習してきたのか。そして、それをずっと隠し、あの瞬間に使う判断を行ったのか。

 同じ86年大会の1次ラウンド、イタリア戦の得点。バルダノのチップキックの浮き球を外向きに斜行しながら、名DFのガエタノ・シレーア(フランコ・バレシの前のイタリアの名リベロ、82年世界制覇の最大の貢献者の1人)にコースを押さえられたにもかかわらず、ボールのバウンドの落ち際で身体をひねってシュートを決めた。外向きに走っていた君が、突然に早いタイミングでボールを引っ掛けるように蹴ったため、GKのジョバンニ・ガリはタイミングを外され、まったく反応できずボールを見送るばかりだった。
 シュートの際にいかにGKのタイミングを外すかは、世界中のストライカの課題。例えば往年の西ドイツの名ストライカ爆撃機ゲルト・ミュラーは、シュートのタイミングを一瞬遅らせてボテボテのシュートを決めるのが格段に上手だった。最近ではフィリッポ・インザギの落ち着いてGKのタイミングを外すシュートを覚えている方も多かろう。しかし、この君の一撃は、行動を遅らせるのではなく、早めることでGKの意表をついてしまったもの。
 あるいは遠藤保仁のコロコロPK。落ち着いたアプローチでGKの体重移動を見据えて動けない方に押し出すのが見事だった。ただし、遠藤のこの名人芸はPKと言う止まったプレイでのこと。しかし、君はトップスピードで外に開きながら、GKを無力化する技巧と判断を発揮してくれた。もちろんあのキックを枠に飛ばすフィジカルの充実と技術もすごい。しかし、シレーアとの駆け引きを行いながら、タイミングを早めるという発想に感嘆した。あれはどんな名DFや名GKでも防げない。言わば「動的なコロコロ」とでも呼ぼうか。

 さらに上記した90年大会準決勝のやはりイタリア戦、カニージャのゴール。得点までの経緯は比較的単純。君が左サイドに進出したオラルティコエチアに展開、切り返したオラルティコエチアのニアへのクロスをカニージャがヘッドでGKゼンガの鼻先で方向を変えて決めたもの。ただ、フランコ・バレシが率いるこの大会のイタリアの守備の堅牢さは尋常なものではなかった。1次ラウンドから準々決勝まで5試合で無失点。このイタリア守備が、こんな簡単な攻撃でどうして崩れたのか。私はこの得点が決まるゴール裏で観戦していたのだが、よく理解できなかった。
 後日、VTRを幾度か見て、ようやく理解できた。イタリアのDF陣はフェリ、ベルゴミ、若きマルディニと言った柔軟性と強さと読みに秀でたDFがペナルティエリア内を固めていた。そして、一番危ない場所をフランコ・バレシが埋める。ところが、オラルティコエチアに展開した直後、君はウロウロとイタリアペナルティエリアに進出する。フランコ・バレシは幾度も首を振りながら、君とボールを視野に入れながら引く。結果的にフェリやベルゴミが固め切れないニアのスペースが空いてしまった。そこはフランコ・バレシが埋めるべき場所だったのだが。
 得点を奪うために、攻撃のトップスタアが下がったり開いたりして敵の守備者を惹きつけると言うのは古典的な作戦だ。岡崎慎司が自分のマーカと他のDFと一緒に絡むとか、大久保嘉人が突然ペナルティエリアに進出をやめてマークを外しこぼれ球を狙うとか。しかし、こう言った陽動動作は敵DFの読みが格段だと「無視する」と言うやり方で無力化されてしまう。しかし、この時の君の「ウロウロ前進」は無視するわけにはいかず、バレシにもどうにも防ぎ難いものだった。あのような位置取りの発想は、一体どうやって出てきたのだろうか。

 サッカーの個人能力向上の秘訣は単純だ(もちろん、その実現はとても難しいのだけれども)。
 ピッチ上で行われることを想定し、執拗な反復練習を繰り返し、その技術をいつでも披露できるようにするしかない。そうやって練習で自分で作り上げた引き出しを、試合本番で局面局面の判断から選択し、丁寧にしかし高速で実現する。どんなレベルでも、それは変わりない。
 けれども、上記の攻撃創造力(言い換えれば「瞬時の時空判断力」とでも言おうか)を、君はどうやって築き上げたのだろうか。あんなアイデアは、どんな指導者も教えることはできない。また、ここ10年ならば、インタネットを活用すれば過去の名プレイをいくらでも映像で堪能できるが、君が自らを育んだ70年代は家庭用VTRも普及していないし、TVも多チャンネル化していない。先達のプレイを学ぶ機会も限定的だった。まして、君が次々に見せてくれた攻撃創造力を教えられる指導者など、世界中どこを探してもいやしない(ペレやヨハン・クライフならいざ知らず)。ブエノスアイレスのストリートサッカーで、ピーター・シルトンやガエタノ・シレアやフランコ・バレシの意表を突く信じ難いアイデアを育んだのだろうか。
 アルゼンチンとナポリのサポータからすれば、なるほど君は「神」だったろう(私のような野次馬にも)。しかし、それ以外のクラブのサポータからすれば「悪魔」としか言いようのない存在だったことがよくわかる。

3.君は何者だったのか。

 90年イタリアW杯。
 準決勝、ナポリ、サンパオロスタジアム。アルゼンチン対イタリア。
 ナポリの王様として君臨していた君が主将として率いるアルゼンチンと地元イタリアの対戦。地元サポータが他の地域ほどアズーリを応援しなかったのが、この試合のイタリアの敗因と見る向きが多いようだ。
 しかし、私にはとてもそうは思えなかった。確かに他の都市で感じたアルゼンチンあるいは君に対する圧倒的な敵対感はなかった。けれども、私の周りのイタリア人たちは当たり前のように、イタリアを応援していた。ただし、君の一挙手一投足を恐れ、何か君が能動的仕掛ける度に、嘆息の雰囲気は濃厚だった。言葉にならない恐怖感とでも呼んだらよいのだろうか。
 さらに余談。スケールはちょっと違うが、私は当時のナポリの方々と同じ経験を味わったことがある。2011年9月、埼玉スタジアムでのブラジルW杯予選北朝鮮戦。北朝鮮の中盤には梁勇基がいたのだ。いつも私に最高の歓喜を提供してくれている梁が敵の攻撃の中核として攻め込んでくる。人生最高の恐怖感だったかもしれない。
 PK戦終了後…試合中は私の真後ろで、声を枯らして「いたーりゃ、いたーりゃ」と絶叫していたおじさんの試合直後の絶望的表情は何とも言えないものだった。いや、きっと85年のソウルや、93年のドーハや、02年の利府や、18年のロストフ・ナ・ドヌの私も同じだったでしょうが。
 決勝、ローマ、オリンピコスタジアム。アルゼンチン対西ドイツ。
 驚いたのは試合終了後。西ドイツ選手が歓喜の渦に包まれる中、涙を流す君がオーロラビジョンに大写しになる。この瞬間、ローマ・オリンピコの満員の観衆は皆盛大なブーイングを行った。86年メキシコ以降、欧州の多くの試合で君がブーイングに包まれることはよく知っていた。この大会でも君はボールを持つ度に、ブーイングに包まれていた。しかし、それは試合中のことだ。試合中のサポータのブーイングは、恐怖と尊敬の表現でもある。しかし、この決勝終了後のブーイングは、明らかな悪意、軽蔑、嫌悪を表したものだった。ナポリを除くイタリア中が君に対し「ざまあみろ!」と言っているような思いを抱いた。さすがに驚いた。「君はここまで嫌われているのか」と。彼らにとって、君は神ではなく悪魔だったのだろう。悪魔の絶望的な表情は、多くの人々の歓喜だったのだ。

 君が亡くなった後の報道。何より違和感を持ったのは、君は反体制の闘士であったとか、権威におもねらない庶民の味方であったとか。そのような報道を見聞きすればするほど私は違和感を持つのだ。
 過去の報道を見る限りでは、君は人間として立派な人だったとはとても思えない。ただただサッカー選手としての能力に恵まれ、それでわがままな行動を許された。結果、不道徳な振る舞いは枚挙に暇ない。ただそういう男だったとしか思えないのだ。
 ただし、私は君の友達でも何でもない。だから、君がどんなに道徳的に不適切なことをしてしまったとしても、私は困りはしない。私にとって君は、ピッチ上で信じ難い舞いを見せてくれる、空前のサッカー選手だった。そして上記したようにその能力は本当に素晴らしいものだった。

 95年ソウル、五輪スタジアムの、ボカ対韓国代表戦に戻ろう。
 私はこの試合、78年大会アルゼンチンに女性1人で降り立ちレオポルド・ルーケが若きプラティニを絶望に追い込んで以来の筋金入りのアルゼンチンフリークGKさんと、86年大会10代でメキシコに参戦し以降の君のW杯全試合を応援しているディエゴ狂のCちゃんと、3人で観戦していた。
 89分、君は交代した。おそらく、試合直後の混乱を避けるため終了直前の交代は事前に決められていたことだろう。ピッチを去る君に向ってスタンディングオベーション。10万人の大観衆の誰よりも早く始めたのは、我々3人だった。
 この25年前が、私にとって君との別れだったのだ。むしろ、その後25年生き続けてくれたことに感謝したい。たとえ、世界中におもしろいニュースを発信するおじさんだったとしても、君の報道は読むのは楽しかった。過去の栄光と比較したほろ苦さと共に。
 歓喜と悲嘆、美しさと醜さ、正しいのか誤っているのか、そして君のことを好きか嫌いか。おそらく、ホモサピエンスの有史上に君ほどに、世界中の人に「何か」を提供した人はいない。

 しょせんサッカーさ。負けたところで命や豊さや今の生活を失うわけではない。けれども、耐え難いほどに胸が張り裂けそうな悲しい思いを味わうことができる。勝てばこれ以上ない喜びを堪能することができるのだが。サッカーはそれほどすばらしいものだ。
 君と私は、同年同月生まれ。毎年同じ年齢を刻むのを楽しみにしていたが還暦が最後になったわけだ。君と同時代を歩むことができて、とてもとても楽しかったよ。
 すべての一挙手一投足の思い出に献杯、いや君に暗い感情は似合わないな。乾杯。
 ゆっくり、天国で(地獄かもしれないな)休んでください。
 ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 23:21| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月24日

悲しい事件

 あまりに悲しい事件だ。

 本稿では、この悲しい事件について、会社としてのベガルタ仙台の活動が妥当だったかどうかを、サポータの立場から論評したい。
 第一報を聞いた時(20日昼頃)、正直何が何だか、まったく理解できなかった。関連の文章、クラブの公式発表を読み、自分の知見と組み合わせても整合がとれなかった。その後(20日夜)、少しずつ信頼できる情報源を調べ、うっすら状況がつかめてきた。そして、昨日(21日)、ベガルタが公表した記者会見議事録を読み、自分なりに全貌が理解できた。
 まず結論から申し上げる。ベガルタは、この事案について何も間違ったことはしていない、と、私は判断している。

 加えて語っておく。
 ベガルタの渡辺取締役(当該記者会見にも、事実上の主役として登場)は、高校大学のサッカー部の先輩だ。ただただ楽しかった大学サッカー部時代、苦楽を共にし、心底お世話になった。渡辺さんはセンタバック。出足の鋭さを活かし、知性の限りを尽くして敵エースに喰らいつくプレイは忘れられない。大事な試合にサイドバックとして抜擢され、渡辺さんに怒鳴られながら90分間守備の位置取りを修正し続けし、勝利に貢献したのは飛び切り甘美な記憶だ。渡辺さんが今の立場になられた後、じっくり話をする機会もあった。かなり勝手なことを語らせていただいた。過去の私の文章についてもご存じだ。先週14日、本当に久しぶりにユアテック詣でをした際、寄付金募集を行っていた渡辺さんに挨拶することもできた。しかし、この事件発覚後渡辺さんとはコンタクトをとっていない。
 当該記者会見にも出席しているサッカーライターの板垣晴朗氏は親しい友人だ。そして、私が最も信頼するライターの1人だ。当該記者会見については、いくつか板垣さんから詳細情報をいただいた。そのような意味では、私は一般の方々よりは多くの情報を持っている。
 また、(Jリーグ開幕より前からの)30年来のサッカー狂でもある弁護士の友人(もちろん今回の事案にはまったく関係していない)に、本件についてはいくつか助言をもらった。
 以上をクドクド説明するのは、一般に公開されている情報以外に私が持っている情報を明示しておいた方がよいと考えたからだ。

 愛するクラブのスタア選手が極めて残念な行為をしたことが、何より悲しい。とにかく悲しい。表現しようもないが悲しい。
 生業にはしていないが、それなりにサッカーの世界で生きてきた。現場がきれい事だけでないことは熟知しているつもりだ。不器用な選手が起こしたトラブルは枚挙に暇ない。ただ、今回はその中でも最悪に近いものだ。
 上記記者会見議事録を読んだ上で私が理解した状況は単純なものだ。残念な行為をした選手がトラブルについてベガルタに虚偽報告をした。一方で、被害者の方は示談に納得していなかった。
 トラブルの対応は当該選手の弁護士(ほぼ間違いなく代理人会社の弁護士だろう)と、被害者(報道によると芸能事務所に所属されていたとのこと、したがい示談は当該事務所の弁護士が対応したと推測される、ただし信頼できる情報源がないので断定は危険かもしれない、もしそのような背景がない個人の方だった大変失礼なことを語っていることになる)間で行われた。ベガルタは、当該選手の弁護士から「示談成立」と伝えられた。このやり方においては、ベガルタは、被害者の方が納得していないことを知りようがない。

 とは言え。100%状況を理解したわけではないが、ベガルタの本件への対応の疑問を列記してみる。ただ、読んでいただければわかると思うが、私は本件についてベガルタがとってきた施策に対し細かに文句を言っているものの、総論としては正しいと思っている。


(1)被害者の方との関係
 本件で一番重要なことは被害者の方の回復に尽きる。今からでもベガルタやJリーグ当局がそのお手伝いができるならば、できる限りのことをしてほしい。

 とは言え、当該記者会見を読んで一番気になったのが、被害者の方と当該選手の示談について、明快な説明がないことだ。
 上記した通り、報道によると被害者の方は芸能事務所に所属していた模様。だとしたら、示談は本人たちではなく、代理人(それぞれの弁護士)同士で行われたことになる。けれども、ベガルタの発表からはその旨が読み取れない。
 そのため、代理人会社の弁護士と被害者の方が直接対峙して、示談交渉を行ったようにも読めてしまうのだ。もし、そうだとしたら被害者の方は大変お気の毒なことになる。ベガルタは、そのあたりを正確に説明する必要があるのではないか。
 もちろん、示談の条件にそのあたりの不提示があるとしたらどうしようもない。もし、そうだとしても、可能な限り正確で具体的な情報提示は必要だと思うのだが。

(2) 議事録提示の遅さ
 10/20(火)朝に当該選手の処分を含めたリリースを流し、同日午後に記者会見実施。その後、議事録公開は10/22(木)午後。これはあまりに遅い。その丸2日間に、あいまいな情報を基礎に根拠ない報道が出回ることになった。危機管理としては、結果的に「お粗末」と言うことになってしまった。
 事態発覚後、当該議事録で語られたような情報を速やかに提示できていれば、ここまで状況はこじれなかっただろう。もっと早く、情報開示はできなかったものか。
 しかし、現状のベガルタの事務処理能力を考えれば精一杯だったのだろう。文句を言うのは簡単だ。けれども、ベガルタは、小さな会社なのだ。むしろ、事態発覚後に、ここまでスピーディにリリース→記者会見→議事録、と進めてきたのは大したものだと思う。
 しかし、非常事態だったのだ、このスピード感では遅かったのだ。例えば、思い付きだが、ベガルタには仙台を本社とする多数の出資団体がある。この非常事態、それらの協力を求めることはできなかったのだろうか。

(3) 弁護士の使い方 
 当該議事録を読んで気になるのは、記者会見にベガルタの顧問弁護士が同席していないことだ。 
 話がややこしいが、本事案には3者の弁護士が登場するはずだ。ベガルタの顧問弁護士、当該選手の弁護士(おそらく当該選手の代理人の所属会社)、被害者の方の弁護士(上記した通り、おそらく存在してたのだと推測している)だ。議事録を読んでいても、いずれの弁護士の発言なのか、わかりづらいところが多々ある。
 それだけではない。本件については、任意同行、逮捕、釈放など、法律用語が並ぶことになったが、それについて法律面で専門とは思えない記者の方々とベガルタの経営陣が語り合うのは、あまり生産性が高いものとはとても思えない。補足する弁護士が同席していれば、用語解釈の混乱を的確にさばいてくれたと思うのだが。

 まあ現実を語ると見も蓋もないのだろう。
 (2)で述べた議事録整備にせよ、(3)で述べた顧問弁護士の同席にせよ、少ないスタッフでやりくりするから、そこまで対応できないと言うこと、要は今のベガルタにはカネが足りないと言うことだろう。

(4)Jリーグ当局との関連
 もう一つ気になるのはJリーグ当局との関連だ。
 当該記者会見を読んでいると、「ベガルタは適切なタイミングでJ当局に連絡した」と言う事項が、一種の免罪符になってしまっている印象を受けた。しかし、本当にそれだけでよかったのだろうか。
 なぜ、このようなことを語るかと言うと、本件に限らずJ当局の役割とは何なのか、私にはわからなくなっているのだ。今回のケースで言えば、上記してきた通り、ベガルタは適切なタイミングでJ当局に本件を連絡している。10月20日の時点で一部報道があった時点で、一部のメディアが「ベガルタの隠蔽」的な(今思えば)誤った情報をかなりの勢いで流すことになった。けれども、22日の時点では当該議事録の公表もあり、そのような情報は間違いだったと確認されたはずだ。また8月の時点でベガルタはJ当局に本件を連絡していた。
 だったら、それらの誤情報の是正を、J当局も語ってはくれないのか。「本件についてベガルタの対応に落ち度はなかった」とリリースしてくれるだけもよい。いや、議事録を公表するのに四苦八苦しているベガルタに対し、スタッフを一時貸してくれるだけでも随分助かったと思うのだが。
 J当局に、そのような期待を持つことそのものが間違っているのだろうか。もし間違っているならば、このような不運な事案時の「J当局の役割」について、誰か教えてください。何か最近のJ当局には「仲間としての全体発展」ではなく「上位権威者としての君臨」、「不適切な行為の場合の罰則提示者」を感じるのは私だけだろうか。


 ちょっと余談。
 今回の一連の話を聞いていると、個人事業主としての選手の権利がかなり強いもので、選手とクラブが相対した際に、決してクラブの意向ばかりが重視されないことが確認できた。これはよいことだと思う。私たちに歓喜を与えてくれる選手たちが。クラブのエゴに左右されない状態になっているのだから。
 言い換えれば、所属クラブと独立した形態で、選手の権利がかなり高いレベルで守られていると言うことなのだろう。Jが開幕して、今年で28年。これまでの蓄積で代理人制度が機能し、よい意味で選手がクラブと対等に渡り合えている現状、これは素直に喜びたい。たとえ、それが今回の事案では仇になってしまったとしても。

 以上、ちまちまとベガルタに対して文句を言ってきた。粗探しである。しかし、これら粗探しを含めても、今回の不運な事案について、ベガルタは適切な活動をしてきてくれたと思う。
 安心した。

 そして、今回の議事録で嬉しかったことがある。それは、「当該選手が過去にもDV事案でトラブルを起こしていたがが今回の判断にそれを加味しなかったのか」との問いに対する、渡辺取締役が語った以下の意見だ。
2度目という事を私たちが常に念頭に置かなければならないのか。「この人は犯罪者であったから、また犯罪を犯すのか」というように見ながら暮らす社会がよろしいのかという事です。2 度目という事で、通常より重い処罰を下すということは選択しませんでした。

 まったくその通りだと思う。私はそのようではない社会で生きていきたい。そして、そのようではない社会を作っていきたい。
 今回ベガルタは正しかったのだ。

 悲しい事件ではあった。しかし、繰り返すがベガルタは正しかった。私の愛するクラブは正しい判断を行ってくれたのだ。

 今私ができることは1つだけだ。
 今日のグランパス戦、勝ち点3を目指す私たちの選手たちを必死に応援する事。生観戦は叶わない以上、DAZN経由で必死に念を送ることだ。
 必ずグランパスに勝つのだ。

 最後に。
 道渕諒平さん。
 過ちは誰にでもあります。それが複数回となると残念ですが、それでも人生は長いのです。挽回の機会は訪れます。あなたは、天分に恵まれ、果てしない努力を重ねることでたどりつける場所に到達することができた稀有の人なのです。その地位を失ってしまったのは残念ですが、あなたはそこまでの努力を積むことができた人なのです。
 お願いです。立ち直ってください。あれだけの努力ができるあなたです、必ずや立ち直れるはずです。
 あの颯爽とした突破、献身的な守備、美しい弾道のミドルシュート。思い出はいくつもあります。それらの思い出、私は小さな胸の痛みと共に忘れません。
 ありがとう、さようなら。
posted by 武藤文雄 at 02:09| Comment(6) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月04日

声を出さずにサッカーを愉しめるか

 まあ60歳となり、改めてこれまでの人生を実り豊かにしてくれたサッカーに感謝し、これまで以上にサッカーを愉しみたいと考えた次第。

 とは言え、最近真剣に悩んでいるのです。Covid-19下の世界で、どのようにしてサッカーを愉しんだらよいのかと。さらにその悩みを具体的に説明すれば「いつになったら、絶叫してサッカー観戦できるのだろうか」と言うことになる。

 7月にJリーグが再開して以降、私は1試合も生観戦していない。正確に言えば、生観戦は辞退してきた。理由は簡単だ。「Jリーグ 新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン_9月24日更新版」を守る自信がまったくないからだ。ガイドライン曰く
禁止される行為は以下の通りです
 声を出す応援(禁止理由:飛沫感染につながるため)
 例:指笛・チャント・ブーイング
 例:トラメガ・メガホン・トランペットなど道具・楽器を使うことも当面不可

 そう、私は声を出さずにサッカーを観戦する自信がないのだ。 上記禁止事項には「指笛・チャント・ブーイング」と記載されており、「野次」はない。だが世論を伺うに、Covid-19下の世界下でのJリーグは野次を飛ばすのは歓迎されない模様だ。
 まあね、Covid-19云々とは別問題だが、野次と言うのは今日のサッカー界ではあまり有効ではない。数千人以上入っている競技場で、いくら辛辣な野次を飛ばしても、ピッチ上の選手や監督や審判に聞こえる可能性は低いのだから。でも、サッカーを見ていると、何かを吠えたくなるではないですか。卑怯なプレイをした相手選手、納得できない笛や旗を操った審判、ただの八つ当たりだが納得いかない協会やJリーグ当局への批判。サッカー観戦と言う究極の至福を味わいながら、これらの野次を飛ばすのはとても幸せなことなのだ。たとえ、先方には聞こえなくとも。
 もっともそうは言っても、相手選手や審判や当局批判、これらは我慢できる。けれども、絶対自分で我慢する自信がないことがある。それは、味方への賛辞だ。もし眼前で、ベガルタの選手や日本代表選手が、知性や妙技で素晴らしいプレイを見せてくれた時。私は絶叫し称えたい。そして、その絶叫を我慢する自信はない。
 なので、関東在住の私は、7月復活後のJリーグ敵地でのベガルタ観戦を控えてきた。ベガルタが敵地で戦う際に、ベガルタの好プレイに快哉を叫ぶわけにはいかないから。

 で。
 10月14日のユアテックでの横浜FC戦、諸事案を片付けるため、当日の晩私は仙台にいる。久しぶりの生観戦の絶好機だ。チケット購入手段など、複雑怪奇でよくわからないが、何とかユアテックにたどりつきたいと思っている。たとえ、ベガルタ選手への絶賛にせよ、できる限り絶叫は自粛したいとは思っている。できる限り。
posted by 武藤文雄 at 22:12| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

60歳になりました

 私事ですが。60歳になった。これまでの好きなサッカーを楽しめる人生、それを支えてくださった方々に、改めて感謝の言葉を捧げたい。

 思えば中学生になった折に何気なく始めたサッカーにはまり切って、50年近い月日を重ねたことになる。
 74年西ドイツ大会、中学2年。断片的な映像で見たヨハン・クライフ。その天才に対抗するフランツ・ベッケンバウアーと言う異才と、ベルディ・フォクツと言う究極の労働者。サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読んだ後のダイヤモンドサッカーでの映像確認、ある意味この経験が「サッカーを見る」と言う基本を身に着けるものとなったように思える。
 78年アルゼンチン大会、高校3年。多くの試合を深夜の生中継で堪能できました。マリオ・ケンペスの前進と、ダニエル・パサレラの闘志と、あの紙吹雪。数年後、日本サッカー狂会に入会した折に、あの紙吹雪を実体験した諸先輩の話を聞いた時の興奮と羨望。大会後の総評で、賀川浩氏の「要は中央突破するアルゼンチンと強烈なシュートのオランダが勝ち残ったわけや、サッカーは突破とシュートや」と言うコメントは、サッカーの本質を伝えていると思っている。大会中に襲われた宮城県沖地震の恐怖と併せての記憶として。
 82年スペイン大会、大学4年。西ドイツとオーストリアの下手くそな八百長。4年前の優勝チームにディエゴを加えたアルゼンチンの惨敗。黄金の4人のセレソンを打ち砕くパオロ・ロッシ(黄金の4人のうち2人が日本代表の、1人がトップクラブの監督を務めるなんて誰が想像しただろうか)。シューマッハの大ファウルを含めた西ドイツのつまらないサッカーにPK戦で散るプラティニ。そして、冷静に勝ち切るアズーリ。このイタリア代表の優勝により、サッカーに何より重要なのは知性なのだと、改めて理解することができた。
 86年メキシコ大会。社会人1年生。ある意味で日本が初めて参加した大会。自分で稼げるようになったのは重要だった。香港とソウルに行った。香港のアウェイゲーム、木村和司と原博美の得点での快勝。激怒した香港サポータに囲まれ、警官隊に保護されて1時間以上スタジアムに待機を余儀なくされた。ダイヤモンドサッカーで見たリアルなサッカーの戦いを実感でき、もう私はサッカーから離れられなくなった。10.26の木村和司のFK、そして翌週のソウルでの絶望。だから、本大会はずっと身近になった。水沼貴史を完封した金平錫が、ディエゴ・マラドーナをまったく止められなかった。そうか、ディエゴはやはり上手なのだとw。もっとも、都並敏史が対等に戦った辺柄柱が、結構アントニオ・カブリニを悩ませていたけれどね。
 90年イタリア大会。日本代表史に残る暗黒時代を形成したクズ監督。全盛期の加藤久を使わず、調子を崩していたとは言え木村和司も呼ばず。単調な試合を重ねて1次予選で北朝鮮の後塵を拝した。それにしても、ここで登場した井原正巳と加藤久でCBを組んでさえいれば、ほとんどの問題は解決したと思うのだが。この2人の連動を楽しむ機会を奪っただけでも、このクズ監督を私は許さない。ちなみに日本が出ないイタリア本大会、妻と私は3週間半休みをもらって堪能した。まだ子供がいなかったこともあるのですが。日本と世界トップレベルのサッカーの差は、ピッチ上の選手の能力差ではなく、周辺で選手たちを支える環境の差であることを痛感できた。
 94年USA大会。ドーハであんな経験できるなど、誰が想像しただろう。オムラムのシュートがネットを揺らした衝撃、ゴール裏では韓国やサウジの結果がわからないいらだち。でも、ドーハの前の信じられない歓喜を忘れてはいけないな。オフト氏就任から始まった快進撃、映像も何もなかったダイナスティカップの歓喜、あの広島アジアカップ。イラン戦、井原のパスから抜け出したカズの「魂込めた」一撃。中国戦、前川退場後の苦闘からのゴン中山の決勝点。攻守ともに完全にサウジを圧倒した決勝戦。日本がいない本大会が、あれくらい色褪せたものとは思わなかった。でも、井原や堀池が子ども扱いしていたサウジのオワイランがそれなりに活躍できたのだから日本のレベルが上々なのは確認できた、と負け犬の遠吠え。ブラジルとイタリアの重苦しい決勝戦。点が入らないサッカーがいかにおもしろいかを、改めて理解できたな、うん。
 98年フランス大会。あの幾度も幾度も絶望感に襲われた最終予選。それでも、井原とその仲間たちは諦めなかった。そしてジョホールバル、改めて思いますよ。幸せな人生だったと。だって、最も幸せな瞬間があの時だったと言えるのだから。本大会、トゥールーズのアルゼンチン戦前夜、現地で友人と一杯やりながらの「ああ明日ワールドカップで日本の試合を見ることができるのだ」と思ったときの高揚感、本大会での君が代、バティストゥータにやられた一撃、80分以降の反抗、こんな夢のような体験を味わってよいものかと。何人かの友人がチケット騒動の悲劇に見舞われたことはさておき。クロアチア戦での中山の逸機と、シューケルが川口を巧妙に破ったシュートもね。
 02年日韓大会。鬼才フィリップ・トルシェとの楽しい4年間。アジアカップの完全制覇。あの横浜国際のニッポン!チャ!チャ!チャ!勝ち。そして、森島スタジアムでの森島の先制弾。我が故郷宮城での凡庸な敗戦。敗戦後、学生時代のなじみの飲み屋、実家で父と飲んだやけ酒。故郷で絶望感を味わえるのだから、改めて堪能できた自分のためのワールドカップだった。それにしても、「ワールドカップで勝つ」と言う経験を味わうことができたのだから最高だった。
 06年ドイツ大会。まあジーコさんね。あのブラジル戦、玉田の得点に歓喜した10分後のアディショナルタイム、CK崩れからロナウドの巧緻な位置取りにやられた中澤佑二の「しまった!」と言う表情が忘れられない。ロナウドと言う世界サッカー史上最高級のCFと、中澤佑二と言う日本サッカー史上最高級のCB。私たちはここまで来ることができたのだ。もちろん、ジーコさんが率いた、中澤佑二や中村俊輔や川口能活が演じたあのアジアカップ制覇は忘れてはいいけないけれど。
 10年南アフリカ大会。病魔に倒れたオシム爺さん、でもアジアカップはもう少し何とかしてほしかったのですが。後任の岡田氏への大会前の自称サッカーライター達の誹謗中傷は、今思えば味わい深いな。カメルーン戦勝利後のオランダ戦。ほとんど完璧な組織守備を見せながら、スナイデルにやられてしまった。ある意味で、日本代表と世界のトップの差が見える化された瞬間だったかもしれない。しかし、デンマークには完勝、本田圭佑と遠藤保仁の美しい直接FKは、あの85年日韓戦の木村和司の一撃に感動した日本中のサッカー人の集大成と言えるようにも思えた。そして、パラグアイ戦。ある意味で私が若い頃から夢見ていた試合だった。ワールドカップ本大会で強豪と、相手のよさをつぶしまくる試合を行う。敗戦直後の選手たちの絶望的表情は感動的だった。
 14年ブラジル大会。当時の技術委員長原博美氏が契約したザッケローニ氏は、トレーニングマッチでメッシもいたアルゼンチンに快勝するなど景気よいスタート、続いて堂々アジアカップを制覇。その後も順調にチームを強化する。最終予選のホームオマーン戦は3-0の快勝だったが、精緻な崩し、まったくピンチを作らない守備、日本サッカー史に残る完璧な試合だった。順調に予選を勝ち抜いたのちの準備試合の敵地ベルギー戦、当方のミスからの失点はあったが、柿谷、本田、岡崎のビューティフルゴールで完勝。「とうとう欧州の強豪に敵地で完勝するレベルまで来た」感を味わうことができた。でも、本大会ダメだったのだよね。スポンサとの兼ね合いを含めたコンディショニング、本田や香川の過ぎた自己顕示欲など、色々要因があったが、難しいものだと、改めて思わされた。
 18年ロシア大会。86年地元メキシコ大会の英雄アギーレ氏は、メンバ選考の失敗などもあり、不運なアジアカップの準々決勝敗退。その後、曖昧な訴訟問題で退任となり、ハリルホジッチ氏が就任。ハリルホジッチ氏はよい監督だったし、本大会出場を決めた豪州戦は、長谷部、井手口、蛍のトレスボランチで完璧な試合を見せてくれた。しかし、大会直前謎の田嶋幸三判断で更迭後、西野氏が監督就任。酒井宏樹と長友と言う世界屈指の両サイドバック、長谷部と柴崎の知性あふれる中盤、乾、原口の強力な両翼、大迫と香川の独特のキープ、とそれぞれの一番得意なプレイを全面に押し出した美しいサッカーで、ベスト8直前まで行ったのだが。

 こう振り返ると、やはり楽しい人生だったなと思える。多くの友人が還暦誕生日の祝辞をくれたのだが、嬉しかったのは「これで人生ゼロ年からのリターンだね」との励ましだった。たしかにその通り、ヨハン・クライフとベルディ・フォクツの丁々発止から、まだ50年足らずしか経っていないのだ。サッカーには汲めども尽きぬ魅力がある。これからも、じっくりと味わっていきたいものだ。
 そう、まずは我がベガルタ仙台の七転八倒、サポータ冥利に尽きる苦闘など最高の快楽である。
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2020年07月07日

再開戦の快勝

 Jリーグが再開した。
 ベガルタは開始3分の幸運な得点を守り切り、ベルマーレに敵地で1-0での勝利。結果もよかったが、内容も上々だった。木山新監督に変わった今シーズン、中断前は、ルヴァンの敵地レッズ戦、リーグ初戦のホームグランパス戦、いずれも芳しい試合内容ではなかっただけに、まずはめでたしめでたしである。
 
 勝負を分けたのは開始3分間に代表される右サイドの攻防だった(以降、左右はすべてベガルタから見て)。
 開始早々、ベルマーレは、左足のクロスが魅力的な売り出し中のサイドバック鈴木冬一がかなり高い位置取り。落ち着いたボールキープからの崩しから右サイドのCKを奪われる。そこからショートコーナ絡みで強シュートを打たれるが、ユース出身で抜擢された18歳のGK小畑裕馬が冷静にさばく。
 その直後、ベルマーレGK富井大樹の甘いフィードを関口訓充がカットし、右オープンに展開。ジャーメイン良が、前掛かりの鈴木と(昨シーズンまでベガルタに所属していた)大岩一貴の間隙を付いて突破。余裕をもって上げたクロスが、よい方向に飛び逆サイドのゴールネットを揺らした。強風が幸いしたのだろうか。ベガルタにとって幸運と言ってしまえばそれまでだが。

 とは言え、敵地で先制したベガルタは、余裕をもって試合を進めることができた。3DFをとるベルマーレに対して、右のジャーメイン、左の欧州帰りの西村拓真の両翼が大外に開いてボールを受けることで、幾度も好機を作る。一方で、ベルマーレとした自慢の両サイドMFの鈴木と主将を務める岡本拓也を前に進出させてペースをつかみたいところ。しかし、早々に先制して余裕が出たこともあり、ベガルタはボールを奪われるや否や、アンカーの椎橋慧也が的確に位置取りを修正し、ベルマーレにペースを渡さない。それでも、20分過ぎに鈴木が左サイドから好クロスを上げ、タリクにヘディングに合わされるが、幸運にもボールは枠に飛ばなかった。タリクはノルウェー代表主将経験もあると言うストライカ、ベガルタDFの間に飛び込む感覚は中々のものがあった。
 その後もベガルタは、ジャーメインが鈴木の後方を再三突いて好機を演出。ジャーメインは、ボールを受ける位置取りとトラップの方向が格段に上達した感がある。従来は敵DFに密着されると収めきれない欠点があったが、いわゆるアウトサイドFWに起用されれば、相当やれそう。もちろん、この日は対面の鈴木が攻撃ばかり考えて、後方への備えが甘かったことは割り引かなければならないだろうし、4DFのチームに対してどこまでやれるか、まだまだこれからなのだが。ちなみにジャーメインがサッカーを始めたのは、この日の会場BMWスタジアム近隣の厚木市の小さな少年団。少年時の指導者達がジャーメインの晴れ姿を生で見ることができなかったのは、何とも残念だったが。
 一方でベルマーレ監督浮嶋氏は、55分ついに鈴木をあきらめ交代。冒頭に述べたように、この右サイドの攻防が勝敗を分けたと言うことになる。
 その後の時間帯も、椎橋の安定した中盤守備が奏功、吉野恭平と平岡康裕のCBがベルマーレの単調な攻撃をしっかりとはね返しシマオ・マテの負傷離脱の不安を払拭。さらにユース出身で抜擢されたGK小畑祐馬が安定した守備と球出しを披露。最少得点差の1-0ではあったが、ベガルタとしては快勝と言ってよい内容だった。

 何より、椎橋がアンカーで、完璧に近いプレイを見せたのが嬉しい。椎橋は、一昨シーズン定位置を確保し天皇杯決勝進出貢献。昨シーズンは完全な中心選手と期待されながら、序盤の負傷やシーズン半ばの軽率な退場劇などがあり、シーズンのほとんどを控えとして過ごした。開幕戦もスタメンから外れ心配していたのだが、この日はすばらしかった。五輪代表のライバルとも言うべきベルマーレの斉藤未月を圧倒できたのも重要。元々五輪代表は中盤後方の有力選手の多くが伸び悩んでおり、椎橋がこのレベルのプレイを継続できれば、大いに期待できる。
 いわゆるCFタイプと言われていた新外国人アレクサンドレ・ゲデス。後半から起用され、いわゆるトップ下で起用され、守備のタスクをキッチリとこなしながら、上々の球さばきを見せてくれた。この新外国人選手を含め、すべての選手が90分間組織的な守備を演じ切ったのはすばらしかった。
 唯一の不安は、中盤で見事なパス展開を見せ主将を務めた松下佳貴が、後半半ば過ぎに複数回自陣でミスパスからショートカウンタのピンチを招いたことか。このあたりは、いわゆる試合勘もあろうし、やむを得ないこともあるだろう。ゲデスやこの日ベンチ入りしなかった道渕諒平、佐々木匠の2人、さらに長期離脱中のイサック・クエンカを含め、今後どのような併用がなされるのか期待したい。
 また、シーズン当初から期待されていた新外国人パラの体調が整わず、急遽柳貴博を補強した左DF。ここには、いわゆる攻撃的アウトサイドのドリブラ石原崇兆が抜擢され上々のプレイを見せてくれた。終盤守備固めに起用された飯尾竜太郎を含め、4人による定位置争いも楽しみとなる。

 考えてみれば、4か月の長きにわたる中断期間だった。
 トレーニングもままならない中、木山新監督のやり方が各選手に徹底され、渡邉前監督時代とは異なるやり方がほぼ定着した快勝は、本当に嬉しい。豊富な攻撃陣がそれぞれの特長を活かしながら、忠実な組織守備を見せてくれた。新監督の手腕への期待も、ますます高まろうと言うもの。
 COVID-19禍の中、クラブの経営状態は相当厳しいものがあろうが、再開戦で、現場がこれだけすばらしい質のサッカーで結果を出してくれたことを、まずは素直に喜びたい。
posted by 武藤文雄 at 00:05| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

スピルバーグ氏の「激突!」の原題が「DUEL」だった

 希代の名映画監督スティーブン・スピルバーグ氏の事実上のデビュー作品と言われている映画、「激突!」の原題が,なんと「DUEL」だと、今日たまたま知る機会を得た。
 この映画は、約50年前の作品だが、本当におもしろい。米国のフリーウェイ、明らかな殺意を持って超大型タンクローリーが、1台のセダン車を襲ってくる。ただ、それだけの1時間半なのだが、まったく飽きさせず興奮させられる小品だ。中学生のとき、仙台のいわゆる2番館でこれを見た興奮は忘れらられない。
 後日、「ジョーズ」や「未知との遭遇」を見て、「スピルバーグさんって、すごい映画監督だな」と感心していたら、その出世作が「激突!」と聞き、「なるほど!」と思ったのは懐かしい思い出だ。さらに余談ながら、「激突!」の主役は、デニス・ウィーバー。後日NHKで放映されたバカ刑事ドラマの「警部マクロード」シリーズの主役だ、

 ともあれ。
 大事なことは、この若きスピルバーグ氏が演出した、自家用車と超大型タンクローリーの1時間半にわたるバトルの題名が「DUEL」と言うことだ。
 ハリルホジッチ氏が日本代表監督時代、記者会見でよほど「DUEL!、DUEL!」と叫び続けたためだろうか。いつのまにか、日本サッカー界に「DUEL」と言う単語が定着した感がある。
 ちなみに、「duel」と言う単語を英英辞典で調べると下記の意味が出てくる。
a fight with weapons between two people, used in the past to settle a quarrel
a situation in which two people or groups are involved in an angry disagreement
二者が戦う状況を示す単語だが、深刻ないきさつが前提となるようだ。正直言いますが、ハリルホジッチ氏が、「DUEL!、DUEL!」を叫び始めたときは、まだこの単語を知りませんでいた。慌てて英英辞典で調べて上記を確認し、日本語に訳すと「一騎討ち」が妥当な翻訳かな、と思ったりした。
 ただ、ハリルホジッチ氏が、「日本選手のDUELが物足りない」と、ワーワー叫ぶのを聞きながら、もう一つ氏が何を不満に思っているのか、具体的なイメージがつかめずにいた。氏の「DUEL不足」を、多くの取材者が「日本選手はフィジカルが弱い」と理解して伝聞していたが、過去の国際試合を見れば自明な通り、日本選手が欧州南米の強豪にフィジカル差でやられたことは少ない。フィジカルの鍛錬不足は論外として、我々の敗因のほとんどは、知性や技術で、相手に上回れたことだったからだ。
 欧州やアフリカで、幾多の実績を積み上げてきたハリルホジッチ氏が、単に日本選手のフィジカルに文句を言うとは思えなかった。と言うより、元々の対格差を議論するならば、そりゃアジアの選手は欧州やアフリカの選手に比べれば、劣勢となるのはしかたがない。東アジアの平均身長や体重は、欧州やアフリカのそれと比べれば低いのだから。
 一方で、氏が代表合宿で、選手のフィジカルの数値面に文句を言ったのは別な議論だ。氏は代表監督であり、個々の選手を鍛えるのは各クラブに託すしかない。期待した数字が得られなければ、文句を言いたくもなるだろう。
 今更語ってもしかたがないが、ハリルホジッチ氏がロシアワールドカップ直前に更迭された。結果的に、氏が最終的に何を目指していたのかは、永遠に闇の中である。

 今日、50年前にスピルバーグ氏が作った「激突!」の原題が「DUEL」だと知った。外国語を理解するのは難しい。しかし、英語を母国語にするスピルバーグ氏のこの名作の題名が「DUEL」と知り、何かつかめたような気がする。この映画「DUEL」からは、とにかく何があっても、この1対1の戦いに勝たなければならない切実さを感じることができたからだ。欧米人にとって「DUEL」とは、そのような意味だったのだ。 

 ハリルホジッチ氏が代表監督在任中に、それを知っていればもっと氏の発言を楽しめたのにと、ちょっと残念。彼が「DUEL!」と叫ぶ度に、このスピルバーグ氏の名作をイメージすればよかったのだ。私たちの代表選手に対し、ハリルホジッチ氏は1対1において、「何があっても相手に負けない」執着心を期待していたのではないか。
posted by 武藤文雄 at 01:01| Comment(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

サガン鳥栖の経営危機問題

 サガン鳥栖の昨年度の経営情報が公開されたが、衝撃的な赤字額だ。このままでは、サガン鳥栖がなくなってしまうのではないか。covid-19で試合が行えず、未曾有の危機にあるJリーグにとっては、さらなる頭痛が加わったことになる。極めて深刻な事態だ。

 公開されている「経営情報」は、おおよそ昨シーズンの損益計算書と推定した。26億円の売上に対して、支出が46億円で約20億円の赤字と言うことになる。この報道によると、今シーズンは人件費を約24.3億円から約11.6億円に圧縮したと言うが、大幅な赤字を垂れ流しているのには変わりない。また、同じ報道によると、債務超過には至っていないとのことだが、純資産は約0.2億円で単年赤字総額の約1/100であり、これは極めて債務超過に近いと言うことだ。そもそも、負債総額はいったいいかほどのなのだろうか。
 貸借対照表も資金繰表も公開されていないので、即断はできないが、経営継続は相当厳しいとしか言いようがない。そうなると、最も重要なのは、短期的な資金投入と言うことになるが、この赤字体質に加え、再開の目途が中々立たないJリーグなのだ。赤字の見通しの上に計画通りの売り上げも立たないリスク下で、快く融資をする金融機関があるとは思えない。
 そうなると、Jリーグ当局からの支援が必要と言うことになる。けれども、Jリーグ当局は、既にcovid-19で各クラブがダメージを受けており、それらのクラブの経営を支えること手一杯のはずだ。Jリーグを合理的に再開させ、経営規模の小さなクラブの経営破綻(特にキャッシュ不足)を防ぎ、関係者(選手や職員)の収入を維持するのだけでも、未曾有の難題なのだ。健全な経営のクラブだって危機的状況なのだ、まずは彼らの救済が優先されるのが常識と言うものだろう。
 さらに言えばこの未曾有の難題の被害を最小限にすることに、J当局の事務方のエネルギーは相当費やされているはずだ。それに加えて、サガン鳥栖の経営破綻を防ぐ手だてを検討する余裕があるのだろうか。

 サガン鳥栖の経営陣も、何か腹案はあったのかもしれない。順調にJの試合が行われれば、新規のスポンサがつき赤字幅を圧縮できる目鼻があったのかもしれない。しかし、残念ながらその道は絶たれてしまったのだろう。
 サッカークラブが赤字を減らす最も有効な手段は、選手の売却である。そうすれば、支出の最大費目である人件費を減らすことができる。しかし、リーグ戦が中断している今、たとえJ当局が移籍を手伝う手立てを講じても、今から短期的な人件費を上げる意思決定をするクラブは少ないだろう。
 キャッシュが足りなくなれば、以前とは同じ条件で企業は活動を継続できない。成り行きで行けば、我々は大切な仲間を失うギリギリのところにいるのだ。何とかしたい、何とかしたいのだが。

 打ち手が限定される中、まずやるべきことは貸借対照表と資金繰りの明確化だろう。その上で、J当局でも関係者でもよいから、より小規模なクラブも納得可能なサガン鳥栖に対する救済案を作れるか。
 今さらの愚痴であるが、ここまでの赤字幅であれば昨シーズン終了時には、ある程度明らかだったはずだ。せめて、この危機の公開がもっと早ければ、より穏当な打ち手があったように思えてならない。
 まずは、一層の情報開示、それに尽きる。
 フリューゲルスの消滅から20年以上の月日が経った。あの時の友の涙など、もう2度と見たくないのだ。
posted by 武藤文雄 at 17:41| Comment(4) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする