友人が死んだ。
友人と言うにはいささか失礼な約10歳年上のサッカー界の大先輩。かつてJSLでも戦ったトッププレイヤ。引退後は少年の指導を中軸に活躍されていた方だ。大先輩ではあるが、やはり私にとっては「友人」と語るのが適切な人だった。
知り合ったのは2002年大会のちょっと前だった。縁あっての事。経歴と名前を聞いた瞬間に、私は思わず反応した。
「あの74−75年シーズンの天皇杯決勝の方ですか。」
これはこれで、彼には相当な驚きだったようだ。彼ほどの経歴を持ち主でも、30年近く経った後に初対面で己の経歴を記憶している輩との対面は、よほどの印象があったのだろう。彼にとって、この初対面時の私の反応は、「完璧な合格点」だったのだと思う。以降、本当に可愛がってもらった。
あの2002年の森島スタジアムの歓喜の夜。ミナミの飲み屋でお互い涙しながらの会話の数々。「前半押し込みながらの我慢」、「前半終了間際のちょっと危ない時間帯の戸田のファウルの是非」、「ハーフタイムに稲本を代えるフィリップの勇気」、「なぜ、あそこで森島の前にボールはこぼれたのか」、「市川が右サイドをえぐろうとした時に、中田は一瞬止まって突然前に出た」。あの歓喜の晩に、彼とその仲間たちと語り合った数々。
トヨタカップの度に東上する彼との試合後の会話。「結局ロナウドのすべてはファーストタッチにある」、「なぜアンチェロッティは腰が引けたのか」、「カルロス・ビアンキは、どこまでこの試合展開を読んでいたのか」、「ジェラードは前に出るべきか、ボランチで戦うべきか」。
贅沢極まりない料理を堪能した後の、彼との会話は珠玉の愉しみだった。勝負を分ける一瞬のプレイ、それを見つけられるかどうか。試合後に幾度「俺はあれを見たよ」との会話で競った事か。
子どもの指導に悩んだ時によく助言を求めた。
いつも彼は答えてくれた。
「武藤さんよ、子どもが愉しんでいるかい。」
「どんな厳しい要求しても、子どもの目が光っていれば大丈夫よ。」
「愉しんでいれば、俺たちが思っていもいないアイデアを出してくるって。」
「愉しければ大丈夫、子どもは勝手にうまくなるよ。」
「子どもは愉しんでいるのか」
これは今でも私の課題だ。どんな試合でも子ども達は勝ちたい。勝とうともがくからこそ、進歩がある。一方で我々指導陣は「失敗してもいいから挑戦しろ」と激励する。でも、彼らは勝ちたい。その苦しいもがきを、子ども達は愉しんでいるのか。
一昨年、重病に臥せった彼は見事に回復してくれた。オシム爺さん最後の代表戦のエジプト戦後。回復直後の彼との会話は愉しかった。
「あそこで、大久保が飛び出してきた時に、絶対入ると思ったよね。」
今思えば、じっくりと彼と会話できたのは、あれが最後だったのだ。
もっと、もっと、語り合いたかった。もっと、もっと、勉強させて欲しかった。もっと、もっと、子ども達への指導法を聞きたかった。いや、もっと、もっと、一緒に飲んだくれたかった。
平田生雄さん、享年58歳。法政大学、永大産業でプレイ。永大産業ではマネージャとして、解散したチームの各選手の再就職先の斡旋に尽力。引退後は、セルジオ越後氏と共に少年サッカーの指導に活躍。彼の弟子は日本中に無数。
平田さん。さようなら。ありがとうございました。
2009年04月04日
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平田さんのことはGKさんから聞きました。
私は毎年のトヨタカップでお会いするだけでしたが、大らかで親分肌で、1年ぶりにお会いしても、旧友のようにでっかい手で握手して呉れたことをよく覚えています。
折しも桜の季節です。
「桜にとって“花が咲く”のは一年の最後で、実をつけて新しい命を生み出し、新芽を吹くための最終段階」と、桜守として有名な佐野藤右衛門さんは言っています。
平田大兄が今年の桜を見ることが出来たのかは分かりませんが、セルジオ氏とともに育てたサッカー少年たちが、次の花を咲かせている。
見事な人生だったと思います。