いずれの方々も日本サッカーに多くの貢献をしてきた方々だが、おそらく若い方々に最も著名なのは賀川浩氏だろうか。賀川氏はサッカーをテキストで表現しようとする我々にとっては、いつでも尊敬の対象であり、目標の存在であり続ける方。そして、賀川氏はいかにも氏らしい嬉しいコメントを残されている。
日本サッカー界は、どん底の時代も今もいつも前向きなのが推進力と思う。前向きでいれば楽しいことがある。このあたりの賀川氏の受賞後の様子は、友人のブログを参照していただきたい。
その他の受賞者の大畠氏、浅見氏、鈴木氏、それぞれ日本サッカー史におけるVIPなのだが、やはり今日は投票選考で選ばれた落合弘氏(1946年生まれ)と故ネルソン吉村氏(1947年生まれ、帰化以降は吉村大志郎に改名したが、やはりネルソン吉村の方が落ち着きがよいな)について、語りたい。と言うのは、この2人は私が真剣にサッカーを見始めた当時(中学生時代)の、日本サッカー界の大スタアだったから。そして、この2人は釜本(1944年生まれ)より若いタレントとして、色々な面で日本サッカー界を支え、今日の礎になった選手だったから。
落合は69年シーズンに攻撃的MFとして釜本に競り勝って、23歳で得点王を獲得している。しかし、代表に定着したのは、DFにコンバートされた後、75年あたり。つまり、29歳とベテランになってからだった。しかし、以降は80年の春先に行われたモスクワ五輪予選(この五輪を、日本は当時のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する合衆国に呼応してボイコットしているが、予選は行われた)まで、6年間34歳になるまで、多くはDFとして(たまには機動的なMFとして)、完全に日本代表の中核として活躍した。プレイスタイルとしては、後方から精度の高いボールを蹴る、あるいは後方から巧みに飛び出すプレイが得意。ちょうど、今日の代表とすれば長谷部の飛び出しの巧さと阿部の起点としての精度と守備力を具備したような選手だった。
落合が代表の中核として活躍した70年代後半と言うのは、歴史的に振り返ってみても日本代表の戦闘能力が他国と比較してかなり低かった時期。アルゼンチンワールドカップ、モントリオール五輪、モスクワ五輪の各予選とも、韓国、イスラエル(当時はアジア連盟に所属)、マレーシア(当時はアジアの強国として韓国と互角に戦っていた)と言った、アジアの強国と引き分けるのがやっとの状態だった。そんな中で、落合は常に中心選手として水準以上のプレイを見せてくれた。あの辛かった時代、常に我々の誇りとして存在してくれた選手だったのだ。
所属していた浦和レッズの前身である三菱での活躍も秀でていた。こちらを見ていただくとわかるが、66年シーズンから81年シーズンまで、16年に渡り落合はリーグ戦をフル出場しているのだ。もちろん、今日の過密日程とは異なる時代ではあったが、当時の三菱は常に日本のトップクラブ。その中で常に定位置を確保し、負傷などによる不運な戦線離脱や、警告累積(まあ、昔は審判の警告発生基準も大らかなものだったのだが)による出場停止がなかったのは驚異的な記録と言えよう。
そして、三菱〜浦和レッズは、幾多の国内タイトルを獲得しているが、三菱時代の全タイトルに落合は関与している。言い方を変えるともっと劇的かな。三菱〜浦和レッズが、落合が関与しない初めてのタイトルは、2003年のナビスコカップ、田中達也らの活躍によるものだったのだ。
上記して来た通り、落合弘は正に日本サッカー史に残る巨人。日本サッカー史のベスト11に選ばれる権利を十二分に持つタレントだった。
吉村はブラジル育ちで67年に来日し、釜本の名コンビで大活躍した。吉村氏が亡くなった時に、氏の功績についてはこちらを読めば理解いただけるだろう。ネルソンは、以降無数に来日したブラジル人選手のはしりだったのみならず、帰化選手として日本代表に貢献してくれた最初の選手だった。そして、ネルソンの柔らかな技巧そのものが我々にとって大きな驚きだった。
南アフリカ大会。日系3世選手の闘莉王の大奮闘、ネルソンが帰化してから40年が経っていた(40年経って、2世が3世となったのは歴史だな)。ネルソン以降、多くのブラジルからの帰化選手が日本代表で活躍してくれた。そして、闘莉王のプレイは、その集大成と言っても過言ではなかった。早世したネルソンが生きていてくれれば、あの闘莉王のプレイを見て、どんなに喜んでくれた事だろうか。
落合弘とネルソン吉村が、南アフリカで相応の成果を挙げた2010年に、日本サッカー殿堂に選考されたのは偶然の事だろう。しかし、落合弘とネルソン吉村がいたからこそ、今日の栄光がある事だけは間違いない事なのだ。









私も同感だったんで、ついレスしてしまいました。
武藤さんとは、中学・高校と何回か試合してるんですよ!・・・私達の鼻垂れ時代のスター選手に乾杯!
日本サッカー界の世界へのチャレンジを益々期待したいと思っています。