2010年10月26日

あれから四半世紀

 今年もまた10月26日がやってきた。
 「10月26日」と言う単語を、聞くだけで、読むだけで、あるいは書くだけで、何とも甘酸っぱい思いに浸る事ができる。そして、あれから四半世紀が経った。くしくも私は今年で50歳。全くの偶然だが、あの試合の時私は25歳、ちょうど生まれてから四半世紀経っていた事になる。そして、今年でまた四半世紀が経過した事になる。今思えば、あっという間の、(しかし25年前には想像すらできなかった幸せな)25年間だった。あの試合後「こんなすばらしい雰囲気の国際試合を味わう事はもう2度とないのではないか」と友人と語り合った事もあったのだ。いかに私は先見性がない事か。
 あの試合の歴史的評価は、20周年の5年前に書いた事が全てだと思っている。歴史的にも、本当に本当に大事な試合だったのだ。

 ちょっと振り返ろう。
 当時の大黒柱、日本サッカー史上最高のキャプテンだった加藤久。監督としては失敗としか言いようのない結果で今シーズン途中更迭、今回の複数回目の失敗は手痛い。加藤久氏に、もう1回トップレベルの監督をする機会は訪れるだろうか。そして、この幾多の経歴を誇る日本屈指のサッカー人は今後どのような経歴を積んで行くのだろうか。
 エースストライカだった原博実。代表チームの責任者としてワールドカップベスト16に貢献し、新監督として苦労の末、ザッケローニ氏の招聘に成功した。順調な立ち上がりを見せてくれたザッケローニ氏率いる日本代表の責任者としての期待は高まる。
 この日は負傷欠場していたが、1週間後に登場してソウルで決勝点を決めた許丁茂。監督として、朴智星、李榮杓と言う抜群のタレントを率いて、中立国での初めてのベスト16進出をなし遂げた。
 この試合で中盤の底で何とも嫌らしいプレイを見せたのが趙広来。冷静な位置取り、しつこい対応、的確な展開。そして、許丁茂監督の後任として代表監督に就任した。あの平坦で広がった顔を見る度に、この試合での忌々しさを思い出す。
 四半世紀経ったのだ。

 そして木村和司。
 遂に、と言うか、とうとう、と言うか、マリノスの監督に就任。
 皮肉ではなく素直に聞いて欲しいのだが、木村和司監督報道を読む度に思う。「皆、スタアにはやさしいな」と。実際、マリノス監督木村氏を取材する方々の多くは、選手木村和司の全盛期を見た事はないはず。しかし、あの独特の「カズシ節」を皆愉しそうに記事にしてくれる。ちょっと勝てない時にありがちの、監督への人格批判見受けられないのがいい。マリノスの報道だけは安心して愉しむ事ができるのだ。
 おそらく、記者の多くは木村和司のプレイは生では見ていないだろう。しかし、この映像だけは幾度も見ているはずだ。そして、あの直接フリーキックを決めた現人神を崇めているのだろう。
 そして、現人神を崇めているのは取材者達だけではなかった。日本中のサッカー少年があの直接フリーキックを真似し続けた25年だったのだ。だから、我々はデンマークに勝てた。デンマーク戦後、本田と遠藤と木村和司のフリーキック映像を、何回も何回も何回も再生しながら、ヘベレケに酔っぱらったのは、正に四半世紀分の快感だった。
posted by 武藤文雄 at 23:23| Comment(7) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
かつて関西で野球小僧だった自分は1985年の10月16日、11月2日という日付を忘れることができません。
その後、サッカーの魅力にとりつかれ、同じ年の10月26日に歴史的な出来事があったと知って、当時の満員の国立の映像を見て(何故当時サッカーに全く興味がなかった?!)と残念な気持ちになりました。
本当にテレビでも、ニュースでも当時見た記憶がないのです。野球の試合は鮮明に記憶しているのに・・
あれから四半世紀ですか。
サッカー界も隔世の感ですが、阪神タイガースがあれからリーグ優勝たったの2回、日本一はあの年が最後だなんて25年前は想像すらできなかった不幸せな・・
(スレ汚し申し訳ありません。)
Posted by at 2010年10月27日 00:45
本田の出現の仕方がーかわいそう、10番のサポはー情がものすごくー深いんだよ。
Posted by at 2010年10月27日 12:18
だいぶ以前の中村のコメントに

「(かって存在していた)フリーキックだけの選手にはなりたくない」

と、語った。これを聞いた多くの人は(かって存在したフリーキックだけの選手とは)誰を思うだろうか。

そう語った選手が、かって「フリーキック」(だけは)高評価であったあの監督のチームに所属している。

解説者と監督のレベルは一致するとは限らないが、その確率は高いだろう。

是非、仙台にセットで引き取って欲しいものだ。
Posted by at 2010年10月27日 16:41
30歳の僕が観てたんだから、観れた記者さんも少なからず居ると思いますよ。ただ、ピーク時の木村和司を観れたかどうか、となると話は別でしょうけど。


僕が今でも強く印象に残ってるのは、天皇杯決勝、日産対松下と、日産対読売です。

交代を告げられながらも、コーナーキックを蹴るという最後のワンプレーをベンチへ“嘆願”し、しかしゴールに繋げることは出来ないまま、無念と怒りを押し殺したような表情でピッチを去る木村和司。解説者は『木村和司も限界か』という主旨のコメント…。

しかし翌年、人気実力絶頂前夜の読売クラブ相手に、延長戦、まさしく目の覚めるようなボレーシュート、美しい放物線をゴール枠に突き刺して試合を決めたのは、前年に限界と言われた木村和司でした。



まだ10歳位でしたけど、晩年迎えた木村和司の無念と、復活『ざまぁみろ!!俺はまだやれるわ!!』の満面の笑み、あれはスカッとしたなぁ…。

Posted by 木村カズ(30歳) at 2010年10月27日 22:16
木村和司はFKだけの選手じゃないですよ
ウイングとしてのチャンスメイク
中盤としてのパスセンス
なにより得点感覚にあふれていました。

これが武藤さんの言う生で見ていない
世代のくだらないたわごとなのですね。
Posted by at 2010年10月27日 22:16
私ゴール裏に友人といました。
木村和司のフリーキックがこっちに飛んできて素晴らしかったけど。。。
負けてがっくりしたなあ。
もう25年か。
年取ったなー。。
Posted by sociton at 2010年10月28日 09:59
当時名古屋の大学生だった私は、夜行バスで移動し、国立のバックスタンドで観戦していました。

スタンドを見渡した時の、溢れんばかりの人と無数の日の丸、チアホーンの音、たどたどしいながらも自然発生的に観客(今風のサポーターではありません)から聞こえてきた、ダイヤモンドサッカーでしか聞いたことの無いような欧州風の応援歌(オーレーオーオー)。

そして、木村和司のフリーキック。

試合後、「オレが同点ゴールを決めてくる」と言って、スタンドからピッチの飛び降り、韓国ゴールを目指した大学生もいました。ピッチで警備員のディフェンスに止められましたが。

今のサッカーを取り巻く環境とは比べ物にならない状況の中、全国からサッカー好きが集まり、夢がほんの少しだけ近づいた、あの日のことは忘れることができません。

もう、四半世紀なんですね。
長文お許しください。

Posted by MKB at 2010年10月29日 17:29
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