正月の箱根駅伝。
心ある陸上競技関係者の嘆きを大きいのは理解できる。学生の、しかも全国選手権でもない一地方大会が、最大の大会であるかのような取り扱い。肝心の競技ではなく、周辺のストーリを針小棒大に採り上げ、ブレーキの選手が出ると本当に嬉しそうに吠える下品な実況者達。かつての名選手だが、およそ専門家的なコメントを何もはさまない解説者。この大会の存在が、日本長距離界の強化を阻害しているとの意見も多い。
しかし、そのような真摯な陸上競技関係者には申し訳ないのだが、野次馬の私にとっては、毎年正月に、この大会を冷やかすのが大好きだ。長距離競技など、めったに映像1つ見ないのだが、ノンビリした正月に、一杯引っ掛けながら、読書したり、年賀状を眺めたり、原稿の整理をしたりしながら、BGM風に箱根駅伝を流しておいて、上記した下品なアナウンサが絶叫すると画面に注目すればよいし。
しかし、今年の箱根駅伝の終盤戦、早稲田大と東洋大の終盤の首位争い、特に8、9、10区の戦いぶりには完全に引き込まれた。素人目にも、本当におもしろく緊迫した戦いが演じられたからだ。
リードした早稲田、詰める東洋、いずれの選手も冷静に己のペースを崩さない。往々にしてこの大会は(駅伝一般に言える事で、この大会に限らないかもしれないが)、終盤にもつれると、必ず強引に無理をする選手が出る。そして、ほとんどのケースでそのような選手は、半ばまでは好走するが、終盤疲労からかえってタイムを落とす事が多い。ところが、この両学は、お互いが見えるくらいの距離で走りながらいずれもペースを乱さない。
特に驚異的なのは追い上げる東洋大の選手達。あの僅かな距離まで追いつめながら、無理をせずに丹念に走りきり、最後の3人は皆区間賞を獲得した。おそらく、いずれの選手も、無理をして差を詰めたかったに違いないが、我慢に我慢を重ねて、マイペースを守り切り、区間最高で走り切った。8区、9区の東洋の選手が、区間賞のインタビューで「もっとタイムを詰めなければならなかった」と言ってはいたが、何と言っても区間賞は取っているのだ。彼らはベストを尽くし、あれ以上は難しかったのだろう。
それでも、通常ならば、早稲田のいずれかの選手が根負けして、無理をしてペースを崩す事で追いつく事が可能だったのだろう。ところが、早稲田は早稲田で、粘り強く無理をする事なく走り切り、とうとう首位を守った。特に10区の10km過ぎからは、東洋の選手がペースを上げ、少しずつ差を詰めて来た。それにもかかわらず、早稲田のアンカーも、後方を気にしながらも、我慢してペースを守り通したから大したものだった。この大会の過去の早稲田の選手は、張り切り過ぎて失敗する事例が多かっただけに、この粘り強さは実に見事だった。
結果的には、両学とも大会新記録のタイムと言う好記録。逃げた早稲田も、追った東洋も、それぞれ賞賛される戦いだったと言えるだろう。東洋の監督が、敗因を「1区の消極性」と語ったと言うが、双方が丁寧な走りを貫いただけに、わずかな差を生んだのが最初の最初だった、と言う分析はとても説得力があるものだった。
このような両軍の戦いぶりに、サッカーのしっかりとした守備的な試合を思い出したのは私だけだろうか。
丁寧に守備を固め、几帳面にカバーを続ける事で、とにかく失点だけは徹底して防ぐ。それを90分なり120分続け、相手の隙に食らいつく。双方が隙を見せなければ、0−0で終わってしまうかもしれないが、点を取られなければ負ける事はないのだ。もちろん、その均衡状態を破るような、鮮やかな攻撃が真の強者には必要なのだが、そのためにもまずは十分な守りが必要なのだ。
東洋が勝てなかったのも、大エース柏原を除いては、鮮やかに攻撃し切れる選手がいなかったと言う事なのだろう。けれども、柏原以外の東洋選手達は几帳面に戦い切ったのだから、見事なものだった。同時に、わずかな差を、これまた几帳面に守り切った早稲田もまた見事だった。
私は、このような守備的かもしれないが、双方がガップリ四つに組んだ、几帳面な戦いが大好きなのだ。
2011年01月05日
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嗚呼、ザッピングの冷やかしではないのですね・・・。
本年も楽しい講釈 よろしくお願いいたします。
さて駅伝。今回の早稲田はエース級二枚を故障で欠き、
監督曰く「飛車角抜き」のチーム。
代表でいえば遠藤と本田抜き、
ベガルタなら梁と関口抜きの状態でした。
したがって、早稲田側からすれば、何とか大きな穴を
埋めなければならない状況での闘いだったわけです。
そこで往路の山登り、復路の下りで走った「初めての箱根」の
選手が大活躍という一種のギャンブルが大成功。
一区で早稲田が飛び出すという状況で見えなくなりましたが、
実はがっぷり四つではなく、東洋大の横綱相撲に早稲田が挑み、
一区のネコだましで有利に組んだが、五区で押し返され徳俵まで
詰められたものの、六区の捨て身技が功を奏しうっちゃりで勝った
ぎりぎりの勝利であったと考えます。
しかし、徳俵で残せたのは、普段の修練の賜物。
「定食」の選手だけではなく、チーム全体の底上げが可能にした
勝利という気がします。
仙台もかくありたい・・・切に願うことといたします。
競輪なら完全にイカサマ扱いとなるであろう早稲田、日大以外の18校の行き過ぎた自重。
それにつきます。
きちんと18校が反省していれば、来年は1区から壮絶な戦いになると思います。
「おばあちゃんが祈ってます」だの「10人の汗がしみこんだ重いタスキ」だの気持ち悪くて聞いてられませんでした。
日本の学生スポーツにはよくついて回る問題ですね。
> このような両軍の戦いぶりに、サッカーの
>しっかりとした守備的な試合を思い出したのは
>私だけだろうか。(武藤氏談)
武藤氏のご意見には、賛同いたしかねます。
(いつものことですね。すいません。)
両チームは、大会新記録でゴールを果たしたのです。
1920年以来の(コース変更あり)最速で駆け抜けた両チームに向かって、「守備的だ」とはいかがなものでしょうか。
敗れた監督の選手へのコメントでは、「消極的だった」という以外にも、「泣くだけなら誰でもできる。箱根駅伝は1キロ3分ペースを守れば勝てるレースではなくなった。10キロを29分で突っ込んでいく走りをしなければならない。明日の練習から変わらなければならない。」と言っています。
普通の感覚では、これはより積極的に打って出ると言っていませんか? 武藤さんの主張の趣旨から大きく乖離している感があります。
「守備的」という語義から問い直すべきでしょう。
逆な意味で、サッカーに例えれば、「4-2-3というより9-1だったね」と相手監督に皮肉られたチームに向かって、「超攻撃的チームを作ってくれてありがとう♪」と言ってるほどの違和感があります。
(また言い過ぎてますか?でも、大会新をたたき出した両チームなんですよ。)
---「サッカーマガジン2011.11.18」より引用
(ここで一句:「引用に 恣意がなければ 九官鳥」)
「私はワールドカップ決勝で負けた。
それでも、あのときのチームをいまだに多くの人々が語り合っている。
勝つことも重要だが、それ以上に『何を残したか』そのことが大切なのだと、私は思う」
(byヨハン・クライフ)
↑ 岡田解説者との対談の中からだそうです。
きついですね。
また友達だと思ってたのかしらん?
「勝つためには、あのやり方が正しかった?
それがなんだ。
つまらないものは、つまらないんだよ。」
「リスクを追うサッカーをしなければ、いずれは誰もスタジアムに足を運ばなくなる」
(byオシム)
---サッカー批評
「(あのサッカーじゃないとベスト16に行けなかったという意見があるが)
いや、僕はかならずしもそうではないと思います。
(by川口能活)
---読売オンライン
「「攻守のバランスをテーマに、攻撃も守備もできるチームにしたい」」
(ザッケローニ日本代表監督)
↑私は、風林火山サッカーが好きです。
NHKのザック監督のアジア杯に関する考えについてのインタビュー、どんな内容でしょうか。
>(いつものことですね。すいません。)
>両チームは、大会新記録でゴールを果たしたのです。
>1920年以来の(コース変更あり)最速で駆け抜けた両チームに向かって、「守備的だ」とはいかがなものでしょうか。
勝つために無理をして攻めに行くのではなく、両チームとも我慢に我慢を重ねたゲーム、ということで守備的なのでしょう。
サッカーに例えれば、ハイレベルなチーム同士が我慢し合った守備意識の高いゲーム、と考えれば新記録を出した両チームとはいえ、守備的という言葉に全く違和感を感じませんでした。
特に早稲田ファンを中心に非難ごうごうだが、
リアリズム
隠隠滅滅
1982年のアズーリ
・・・を知っているサッカーファンがこの試合をどう思うか興味があります。