負け犬の遠吠えではあるが、先週末のベガルタ−マリノス戦の明暗を分けた3点目のオフサイド疑惑について述べたい(もっとも、あの3点目が入らなかったからと言って、ベガルタが勝ち点を奪えたかと言うと疑問な事は日否定しないが)。本件の講釈は、ベガルタサポータとしての判定への不満の気持ちはもちろんあるが、それ以上に最近の(少なくとも国内の)審判の判定基準への大きな疑問を述べる事も目的である。
まず、あの場面を振り返ってみよう。前半、久保の爆発で0−2とリードされたベガルタは、60分に攻撃の選手を増やし猛攻をかける。そして、前掛りの攻撃を継続したベガルタの攻撃を、マリノスMFがインタセプトし逆襲。3対3と言うベガルタ絶体絶命の危機となった。この場面久保は(ベガルタから左サイドに)展開、オフサイドラインぎりぎりから裏に飛び出しスルーパスを狙う。ベガルタDFはラインを保ち、久保の突破を見張った。ボールを保持していたマリノスMF遠藤(だったと思うが、違う選手だったかもしれない)はベガルタDFを(ベガルタから見て)右に引き付けるドリブルから、(ベガルタから見て)左に展開のパスを出した。しかし、久保と遠藤の意図はわずかに合わず、遠藤がパスを出した瞬間に久保はDFラインの裏に飛び出してしまっていた。当然、副審は旗を上げ、久保は悔しそうに点を仰ぎ、観客席の私は安堵した。
しかし、ボールは久保のすぐ後方をフォローしていた佐藤由に渡る。ここで、主審は「ボールを受けた佐藤由はオンサイドのポジションにいた」と判断したのだろう、副審の旗を採らず、プレイ続行を指示。これではベガルタ守備陣はたまらない。あえなく、佐藤由の突破を許し、そのセンタリングから大橋がヘディングを決めた。
「プレイに関与しない選手がオフサイドのポジションにいてもオフサイドとしない」と言うルールがある。しかし、この場面では、久保はプレイに関与しまくっている。久保の裏への突破を警戒してベガルタはラインを形成したのだ。さらに最近「その選手にパスが出なければオフサイドとしない」と言うルールが補足されたが、あのパスは明らかに「久保の方向」に出されたパスである。もし、遠藤が後方から進出する佐藤由を狙ってパスを出していたにせよ(私にはそうはとても見えなかったし、もしそうだとしたらあの日絶好調の久保を使わないとは非常に愚かな選択だったと思うが(笑))、久保が天を仰いでいなければ、そのパスに呼応して動きを修正したほど、久保近傍へのパスだった。さらに、久保は天を仰ぐ(遠藤がボールを蹴るのとほぼ同タイミングだった)までプレイ放棄をしていなかった。
したがって、私はあのプレイはオフサイドと判定されるべきだったと思う。ただし、あの場面は確かに「佐藤由にボールが渡った時点で」オフサイドかオンサイドかは、主審の裁量に任されるべき場面だった事は否定しない。もし、主審の山西氏が、「ベガルタ守備陣の陣形に久保は影響を与えていない、遠藤のパスは久保とは全く関係なく遠藤に出されたものだ、従って副審が旗を上げたが、私は流す」と瞬時に判断されたのだったら、仕方が無いと思う。
仕方が無いし、試合は主審に任せなければ成立しないが、私は山西氏の判断は間違っていたと思う。何故ならば、その判断基準には「オフサイドラインの攻防」と言うサッカーの愉しさが含まれていないからだ。単に杓子定規に「ボールを受けた選手がオンサイドにいた」と言う解釈のみであり、その前段階にあった久保対ベガルタDF陣の攻防への理解がないからだ。私は、このような判断は大嫌いである。そして、サッカーの愉しさを守るために、ルールの字面だけを追ったこのような判定が横行する事がないよう節に望む。
ともあれ、ベガルタが引導を渡されたあの失点だから、ここまで拘るのもまた事実。1つの判定に、ここまであれこれ語れるのも、サッカーの愉しさなのだが。
2003年11月24日
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