先日講釈した85年10月26日。そして、昨日10月28日は「ドーハの悲劇10周年」。ここのところ記念日の連続だ。サッカーの重要な試合での敗戦は、その瞬間の悲しみたるや絶望的ではあるが、結果としての記憶は、時間が経てば甘美なものに変遷していく。
当たり前の話だが、最高峰の試合であるワールドカップに優勝できる国は、4年間に1か国のみ。優勝できない国はいつか必ず負けるのだから、大事な事は「どのタイミング」で「いかに負けるか」なのである。上記の2回の負け方は、タイミングといい、負けっぷりの悪さといい、「もし勝っていれば本大会に行かれたのに」と言う意味で口惜しさがあまりに大きく、記憶に残る記念日となった。そして、月日が経てば、松田聖子ではないが「失った夢は美しく見え甘い記憶になる」のだ(古いか)。
大体、この私の講釈にお付き合いいただいている方は理解しているだろうが、私の雑文群のほとんどは過去の敗戦経験の自慢話である。
しかし、甘美に一切ならず、思い出すたびに心をえぐるような悲しみが、残念な事に存在する。その発表が5年前の今日だった。その件については過去述べた。確かに忘れたい悲劇だ。でも忘れてはいけない事だ。2度とこのような事を繰り返さないためにも。
この悲劇の前にも、福島FCが消滅する事件もあった。そして、あれから5年経った今でも、ジャトコに同様の悲劇が訪れようとしている。トップレベルのプレイを可能なサッカークラブは、私たちからすれば、何にも変え難い貴重な財産なのだが、この悲劇から5年経った今でも、悲しい事に我々はその安定運営のノウハウを確立できていない。
だからこそ、思い出したくない、つらい過去を忘れないようにしなくてはいけないのだ。
楢崎、薩川、山口、セザル・サンパイオ、三浦淳、吉田、そして反町。悲劇は悲劇として、その主役だった偉大な男たちが、今なお我々に喜びを提供してくれているのは、せめてもの慰めである。
2003年10月29日
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