2006年02月26日

これからの相馬直樹に期待するもの

 昨日、岩本テルとの別離について書いた。

 続いて、岩本テルと同じポジションで、昨シーズンを最後に引退した超大物である相馬について語りたい。岩本テルも相馬も「都並以降」を争った選手であり、相馬の初代表は岩本テルよりも後だが、その後の実績は大きな差がついてしまった。相馬は加茂、岡田両氏に高く評価され、事実幾多の実績を残し、日本サッカー史に残る左サイドプレイヤになった。そして、その相馬も昨シーズンで現役を引退した。

 その相馬引退に際しては、昨年エル・ゴラッソに書かせていただいた。ただ、字数の制限もあり、書き切れなかった事もいくつか。今日はそのあたりを含め講釈を垂れたい。まずは、エル・ゴラッソに公開した文章を。



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日本サッカー史に残る左サイドバックだった。

 本当の意味で「絶対に負けられない試合」だったフランスW杯予選ソウルでの韓国戦。相馬は2本の美しいセンタリングで、W杯への道を切り開いた。開始早々、北澤が作った左サイドのオープンスペースに完璧なタイミングで進出、名波からの好パスを受けグラウンダのセンタリング。呂比須のスルーから、名波が強烈に決める。前半終了間際、再び前線に、中田の芸術的なパスを受け、敵DFを鮮やかなフェイントでかわし、今度は高いセンタリングを呂比須にピタリと合わせた。

 フランスでも相馬は冴え渡った。アルゼンチン戦では、対面のサネッティの前進をよく押さえる。クロアチア戦では、こぼれ球から決定的なシュートを放つなど再三好機を演出。ジャマイカ戦の中山による日本のW杯初ゴールは、相馬のクロスが起点となった。

 格段に足が速い訳でも、卓越した強さを持つ訳でも、特別な技巧を持つ訳でもない選手だった。それでも、あれだけの活躍を見せてくれたのは、ポジショニングと前進するタイミングの判断が絶妙だったから。知性と言う天分を努力で磨きに磨いた選手だったのだ。

 選手の引退と言うと、通常はむしょうに寂しさを感じるものだ。もちろん、相馬の引退発表にも寂しさを感じない訳ではない。一方でこのDFに限っては異なる想いがある。あの知的なプレイを振り返ると、必ずや素晴らしい指導者に、さらにはサッカー界全体のリーダになり得る人材だと想わずにいられないのだ。選手としての引退は、相馬にとってはサッカー人としての一段階に過ぎないように思うのは私だけだろうか(15年前に岡田武史と言う選手の引退時にも同じ印象を感じたのだが)。

 相馬には期待したくなるのだ。監督としてW杯で、アルゼンチンとクロアチアに復讐戦を演じる事を。



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 この文章で書ききれなかった事が3点ある。

 

 まず相馬の育ちについて。

 相馬は清水市の出身で、いわゆる清水の少年育成プログラムが育て上げた選手。清水東高卒業後、早稲田大に加入した。早稲田は言うまでもなく、日本サッカー界の指導的立場にあたる人材を多く輩出した名門。つまり相馬は、清水FC(清水東)−早稲田大学と、日本サッカー界における典型的なエリートコースを歩んだ後、アントラーズと言う日本屈指のプロクラブに加入したのだ。

 相馬が指導者として大成するのではないかと言う期待は、その知的なプレイ振りのみならず、その経歴(これは人脈という観点や、優秀な先達を目の当たりにする機会が多いという観点で)からも生じるのだ。



 次に相馬のプレイの光と影。

 上記の文章で取り上げた97年ソウルでの韓国戦を筆頭に、相馬のおかげで我々は幾多の歓喜を手にする事ができた。しかし、一方でこの選手は結構愉しいチョンボも見せてくれていた。96年のアジアカップ準々決勝でミラン・マチャラ氏率いるクウェートにしてやられたのは、相馬の信じ難いミスから。98年のアルゼンチン戦の失点も相馬のミスパスから。

 別に相馬を貶めようと言うつもりで、このような事を書くわけではない。言いたいのは、この選手は決して完璧な選手ではなかったと言う事。肉体的に必ずしも恵まれた天分を持たなかったこの選手は、どうしても守備で押し込まれると苦しい状況に追い込まれた。それでも、比較的年齢の近い服部、三浦淳と言った肉体面や技巧面で恵まれたライバルを押さえ、長期に渡り代表の中核を担った事を、より高く評価すべきだと思う。

 それにしても、97年国立韓国戦のポストに当たるシュート、98年クロアチア戦のこぼれ球を狙ったミドルシュート、どちらかが入っていれば、相馬の物語は一層の光彩を放っていただろうに。でも、それも相馬らしいのかもしれない。



 最後に相馬の経歴で唯一残念だった事。

 相馬は1度も代表チームで腕章を巻く事はなかった事。フランス以降、井原がもし衰えるとしたら、腕章を引継ぐのは相馬だろうと予想していた。けれども、トルシェ氏は井原どころか(こちらは肉体的限界)、相馬まで起用しなくなってしまった(こちらはプレイスタイルの相違)。たまたま、相馬のようなオーソドックスなサイドバックをサイドに起用するのを好まない監督が、代表チームを率いたのが相馬にとって不運となった。

 あの睨み付けるような表情の相馬が腕章を巻き、君が代を聞く姿を見てみたかった。



 引退時点で将来をここまで期待される選手も珍しい。是が非でも、その期待に応えてくれる事を期待したい。



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本エントリ発表早々にsed様より過去の相馬の所属チーム認識の誤り(02年所属はヴェルディにも関わらずアントラーズに所属していたと言う記憶違い)を指摘されたため、一部修正しました。
posted by 武藤文雄 at 22:19| Comment(6) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
02年シーズン前期のアントラーズ戦、相馬はヴェルディに移籍してたのでいません。
Posted by sed at 2006年02月26日 22:52
アウグストも欠場していて中田浩二が左SBで、途中から石川竜也がでてきました。
Posted by sed at 2006年02月26日 22:54
sed様<br />
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そうでした。相馬がいたのは、その少し前のヴェルディ戦でした。素早いご指摘ありがとうございます。
Posted by 武藤 at 2006年02月26日 23:16
レフティーモンスター小倉は武藤さんあんまり思いいれないんですね(´・ω・`)
Posted by 名足 at 2006年02月27日 10:30
日本サッカー史上で最高の左SBだったと思います。<br />
彼のクライマックスはやっぱり97年の<br />
ワールドカップ予選でしょうねェ。<br />
先日ジョホールバルの歓喜のビデオを<br />
偶然部屋掃除してたら出てきたので<br />
その試合を見てましたが<br />
若きマハダビキアとの駆け引きは<br />
本当に面白かったですね。<br />
ヒデの無茶なパスに睨みを入れる<br />
相馬の姿もまたよし
Posted by トラマ at 2006年02月27日 11:37
武藤君、この場所で書くべきではないかも知れないが、もう我慢の限界です。<br />
<br />
結論 アレックスはサブ!!<br />
今夜のボスニア戦、2点目の起点(通常攻撃側で使う表現だが)は、まちがいなくアレックス。<br />
この失点前から、相手は弱点つまり日本の左サイドを衝いて来た。…というより、国際サッカー界で、これに気付かない国はない?<br />
「守備のできない、ファルでしか止められない選手は使えない」というのは、もはや定説。<br />
ジーコの秘密でもなんでもないですよ。<br />
彼をスタメンに出す限り、日本のベスト16以上はありえないと断言します。
Posted by yoshida at 2006年02月28日 23:29
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