2002年12月、銀河系軍団レアル・マドリード対オリンピアの直前に書いた原稿です。トヨタカップの思い出を書き連ねた文章ですが、このような文章は書いていて本当に愉しいものです。
改めて、自分が選んだイレブンを見ると、自分の南米指向がわかったりするのもまた面白いものです。
それから、この文章の落ちは結構気に入っているのですが、文章のこなれが拙かったのか、あまり受けなかったのも愉しい思い出です。
(2007年10月4日)
ここ数年来、「もう行われないのでは」と言われ続けつつも、しぶとく?!生き残ってきたトヨタカップが、また近づいてきた。本稿では、このビッグゲームを展望しつつ、過去のトヨタカップの想い出を愉しみたい。
1.レアルとオリンピア
当初は、年に一度世界のトップレベルを「勉強させていただく」機会だったが、この20年余の間に日本のレベルも上がり、トヨタカップと国内の試合との格差も随分と減ってきた。Jチャンピオンズシップとトヨタカップを前後して観戦し、レベルがほとんど変わらない事に、感慨を覚えたのは数年前のことだ。
一方で、欧州側がバブルに乗じ贅沢にタレントを収集した多国籍軍団となり、また国内との格差が開いた感もある。今年はその欧州バブルの集大成とも言うべきレアルに、いかにも南米の単独チームと言う風情のオリンピアが挑戦する。
レアルの食あたりを起こしそうな脂っこいメンバが、どのような技巧と連携を見せてくれるのか。ペナルティエリア内でラウルとロナウドが接近すると何が起こるのか、フィーゴとジダンを含めたお四方の体調が、万全である事を望む。
一方のオリンピア。このチームは、90年にファン・バステンに粉砕された印象が強過ぎる。あの試合は、トヨタカップの歴史でも「もっともチーム力に差があった試合」だったように思えてならないのだ。悪い事に今回の相手も、当時のミラン同様欧州屈指の金満による豪華なメンバ。早めの来日による体調のよさとパラグアイ伝統の守備の強さでいかに抵抗するか。アビスパにいたバエスもいる事だし、判官贔屓を含め、オリンピアを応援する事にしようとは思うのだが。
しかし、ラウルとロナウドの2トップなど、一体どうやって守れと言うのだろうか。カンナバーロとプジョルの2ストッパでも並べないとどうしようもないようにも思えてくる。前々回、ボカが、立ち上がりの2発でリードを奪った後、リケルメの妙技でレアルを徹底的にじらし完勝した。あれだけ、うまく事が運ぶのは無理にせよ、守備の創意工夫でレアルをいかに焦らせる事ができるかが、勝負のカギとなるだろう。
全くの余談。オリンピアの代わりに、練習試合で完勝した横浜FCが挑戦する方がよいのでは、と言う冗談はさておき、今回の両チームとジュビロが真剣勝負したらどのくらいやれるのか、確認できる機会が訪れる事はあるのだろうか。
以下、ベスト11を選考するお遊びなど行いながら、過去のトヨタカップを振り返っていきたい。
2.特別表彰
ベストゲーム アルヘンチノスーユベントス(85年)
最高のチーム アルヘンチノス(85年)
最高の監督 ジュディカ(85年 アルヘンチノス)
最高の選手 プラティニ(85年 ユベントス)
言うまでも無く85年のアルヘンチノス−ユーベ戦は、「史上最高のトヨタカップ」。私にとっても生観戦した試合では最高のもの。映像で見た試合でも、この試合を上回る試合は数えるほどだ。
ユーベも確かに素晴らしかった。が、ディエゴを売却した費用で優秀な選手を集め、美しい攻撃的サッカーを志向するホセ・ジュディカ氏が采配を振るうアルヘンチノスのサッカーの質はユーベを上回っていた。この欧州屈指の強豪に対し、強烈なプレスでフィールドを制圧し攻撃的なサッカーを展開。速度と方向が自在に切り替わるドリブルと、そのままの体勢から好パスを繰り出す、若きエース、クラウディオ・ボルギ。ボルギを取り巻くタレント達の、いかにもアルゼンチンらしいフットワーク。
過日この試合をTVで再観戦する機会を得たが、本当に美しいサッカーだった。あの試合を見て、プラティニ将軍の妙技しか記憶できなかった人を、私は心底気の毒に思う。
もし、86年W杯でジュディカ氏(メノッティ氏でもよいが)のような攻撃サッカーを指向する監督がアルゼンチンを率いていたら、夢のような攻撃ラインを見せてくれたのではないか。ラモン・ディアスとボルギの2トップ。後方から攻め上がる絶頂のディエゴ。世界サッカー史に残る攻撃ラインとなっていた事だろう。もっとも、そのような攻撃的サッカーでワールドカップを制したチームは、70年以降出てはいないのだが。
あの時代にたまたまアルゼンチンを現実主義の固まりのビラルド氏が率いていた歴史を、私は憎む(いや、ビラルド氏は嫌いじゃないんです、だからビラルド氏ではなく、歴史を憎むわけです)。
先ほど、あの試合はプラティニ将軍だけではなかったと述べたが、一方でプラティニ将軍のプレイは本当に凄かった。栄冠に包まれた彼の経歴の中でも最高の試合の一つだろう。あの時点のプラティニは、まさに全盛期、自他とも認める世界最高の名手だった。84年の地元の欧州選手権を完全制覇し、この試合でクラブの世界制覇も実現し、残るタイトルは翌年のメキシコだけとなっていた。そして、その世界最高の称号はメキシコでのディエゴの5人抜きまで継続する。
「世界最高」とは何かを将軍は我々に明示してくれた。自ら決めるPKを生んだクロスボール、あまりに有名な幻のゴール、ラウドルップの同点ゴールを導いたチップパス、それぞれの信じ難い妙技と視野の広さ。アルヘンチノスのプレスを、一瞬でかわす独特の引く動き。全盛期の歴史的選手の歴史的なプレイを歴史的な試合で目の当たりに見る事ができた。あれを見た人間からするとジダンが何をしても何をやっても何を決めても、将軍には及ばないと言いたくなるのです。
え、この間の決勝のボレー?う〜ん。将軍の幻のゴールとジダンのあの一発のどちらが、凄いかは格好の酒の肴ですな。「周囲の障害を技巧で除去した幻のゴール」と「周囲に障害が出来る前に叩き込んだリアルなゴール」ですか。
番外表彰 クライフ(92年 バルセロナ、ただし前半のみ)
92年のサンパウロ戦の前半、スコアこそ同点だったが、バルサは見事な個人技とコンビネーションで試合を完全に制圧した。クーマンとグラディオラからの高速かつ正確な展開を、バケロがさばき、ぺギリスタインらの働きバチ達の整然としたサポートを受けたストイチコフとラウドルップが舞う。クライフ氏が監督として主張してきた「スペクタクル」が具体的に理解できた。日本であの「スペクタル」を垣間見る事ができたのは、本当に幸せな事だった。
ただし、疲労とテレ・サンタナ氏の見事な采配により、スペクタクルは前半しか持たず、後半ライーにFKを決められ、FCクライフは沈没する。とかく、美を追求して勝つ事は難しいと言う事か。
3.ベスト11
GK イギータ(89年 ナショナル・メデジン)
DF カフー(92、93年 サンパウロ)
DF 故エスコバル(89年 ナショナル・メデジン)
DF エスパラゴ(80年 ナショナル・モンテビデオ)
DF ドメネッチ(85年 アルヘンチノス)
MF ガジェゴ(86年 リーベル)
MF デ・リービオ(96年 ユベントス)
MF リケルメ(00年、01年 ボカ)
MF プラティニ(85年 ユベントス)
MF ジーコ(81年 フラメンゴ)
FW ボルギ(85年 アルヘンチノス)
3.1.ゴールキーパ
イギータはGKと言うよりリベロ。ファン・バステンを軸とするミランの猛攻を、好判断による飛び出しで防ぎ、手を含めた全身で味方に高速展開する妙技。イギータに類似のプレイをする選手はベッケンバウアくらいしか思いつかない。もっとも、ベッケンバウアは、イギータと異なり手を使わない分凄いのだが。
01年のオリバー・カーン(バイエルン)。あの勇姿は6月の前触れだったのだろう。イギータとどちらをベスト11にするか散々迷った。カーンの前半の守備ぶりは完璧だったが、ボカが10人になった後半は活躍の機会が少なかった事から、イギータを選んだ。
94年ミランを完封したチラベルト(ペレス)の正確無比なロングフィードとクロスを取る技術。98年のフランスを含めたこれらの全盛期と、この6月の無様さの対照ぶりもまた味わい深い。
第1回で何とも言えない存在感を見せてくれたロドリゲス(ナショナル・モンテビデオ)も忘れ難い。ポスト直撃のシュートを見送った場面は、反応できなかったと言うより、見切って反応しなかったと思わせてしまう程の存在感だった。
3.2.ディフェンダ
93年、前進後のスペースを、CBとボランチが巧みにカバーするテレ・サンタナの策略の下、カフーは対面のマルディニを押し込み、サンパウロは栄冠を掴む。カフーの攻め上がりは若い頃から実に洗練されていたのだ。90年代を代表するサイドバックであるこの2人は、サッカーの歴史に未来永劫語り継がれる存在である。この93年の大一番でのカフーの勝利は、カフーが2度もワールドカップを掴み(しかも2度目は自らが戴冠した)、マルディニが1度も抱けなかった事を予言するものだったのかもしれない。
89年のミラン−メデジン戦は、85年に次ぐ好試合だった。ミランの前に立ち塞がったのが故エスコバル。柔らかく鋭い読みでスター軍団の猛攻を押え込んだ。特にどう攻め込まれても、引き付けられ過ぎず一番危ないファン・バステンを視野から外さなかった見事さと言ったら。攻め込みの最後の最後でとにかく何がしかの邪魔をするエスコバルのしつこさに辟易するファン・バステンのいらいらした態度は今思い出しても愉しい思い出だ。94年W杯後、悲劇的最期を知った時、この試合を思い出し私は涙が止まらなかった。
第1回トヨタカップは、隠々滅々とした駆け引きに富むプロのタイトルマッチを、日本人が初めて愉しむ事のできたイベントだった。1−0で完璧な勝利を収めたナショナルの中軸エスパラゴの老獪な守備振りと言ったら。後から思えば、エスパラゴのプレイは、我々日本人が「リアリズムの概念」を学ぶ事になる最初の実質的な教材だった(1年半後、スペインW杯でイタリア代表にもっと強烈に教わる事になるが)。またこの選手は、ウルグアイがベスト4に進出した70年W杯の生き残りであり、当時次々に現役を去っていた世代の選手だった事も、私には印象的だった。
上記した史上最高のトヨタカップ、アルヘンチノスの主将で左DFのドメネッチの知性と勇気。幼少時からディエゴと共にプレイしていたと言うこの小柄なサイドバックが見せてくれた攻撃参加は今なお目に焼き付いて離れない。アルヘンチノスの先制点、結果的にゴールする事になる選手の逆サイドにオーバラップしてリベロの故ガエタノ・シレアを自サイドに引き出す動きの見事な事。カフーやマルディニの完璧さとは異なるが、このような個性的なサイドバックを育むこのサッカー大国の奥深さ。
生F・バレシを初めて見たのが、上記エスコバルの大奮戦の試合。この時はこの時で、「いやなるほど頭のいい選手だ」と心底感心した。もっともこの試合は負傷上がり、翌年のワールドカップでフィールド全域を視野に入れて守るスタイルを見せられた時には、さらに脱帽させられたが。DFがここまで知性を有した時の創造性と、4度も主将として来日した実績から、当然ベスト11入りすべきなのだろう。しかし、バレシにとってトヨタカップは、戦闘能力に差がありすぎるか(オリンピア)、相手に巧く立ち回れられるか(その他3試合)と、バレシパワーで勝ち切った試合がなかった事もあり、悩みに悩んだ末、ベスト11からは外させてもらった。
84年当時全盛のリヴァプールを完封したトロセーロ(インデペンディエンテ)の堅実そのものの守備。欧州を席捲した往時のイアン・ラッシュとケニー・ダルグリッシュを軸とするリヴァプールの攻撃陣が何もできなかった。
88年のナショナル・モンテビデオ、サルダーニャの強力な攻撃参加と、デ・レオンの堂々たる守備振り。結果的に2失点したが、1失点目はロマーリオ(PSV)の個人芸(後述する)、2失点目は主審のミスジャッジ。見事なディフェンスだった。デレオンは83年のグレミオでも勝利に貢献、その後国内でプレイしたのも、一層印象を深めてくれた。
80年代後半から90年代前半にかけて世界最高のCBとして活躍したベロデティチ。試合は完敗だったがその限りない素質を見せてくれた86年(ステアウア)、完璧な守備振りだった91年(レッドスター)、それぞれ忘れ難い。
01年のリザラス(バイエルン)の堅実かつ我慢強いプレイ。序盤は逆襲速攻をケアして無理な攻撃参加を控え、終盤の勝負どころでの前進。世界チャンピオンとしての誇りと判断に満ち溢れていた。
3.3.ミッドフィルダ
86年、若きベロデティチ率いるステアウアを子供扱いしたリーベル。リードしている状況下では、何百分ステアウアが攻めても、点が入らないと思った程だ。MFの底でステアウアの攻撃のほとんどを刈り取ったベテラン、ガジェゴの存在感。78年に副将格で世界チャンピオンとなり、しばらく代表から遠ざかっていたが、その能力は経験を増し輝いていた。
96年のデ・リービオ。この時のユーベも強かったし、リーベルの抵抗もまた美しかった。このリッピ氏が作ったチームは、欧州サッカーバブルの中で有機的なチームが完成した稀有の例ではないかとも思っている。そのユーベで、若きジダンとデル・ピエロにスペースを与えるために、死ぬまで走り続けたデ・リービオ。続け、明神!ちなみにデ・リービオは、先般、自らの選手生命を、美しい歴史の街フィレンツェに捧げたとの事だが、さもありなんと思う。彼は本当の意味での戦士なのだ。
00年のリケルメ。中盤でレアルの高額選手を馬鹿に仕切ったボールキープ。「1人の天才が全てを制圧する」と言うサッカーの格言(私が作ったものです)を証明する美しさ。この若者は、よりによってカタランに移籍した。今後再三に渡り、レアルの前に立ち塞がるのではないか。また昨年は人数が少ないならば、自分で抜いてしまえばよいのだ、と言わんばかりのプレイ。スターを集めた(はずの)バイエルンが、人数が多いのにリケルメ1人に腰が引けたのは笑えた。
ジーコは78年に25歳で臨んだワールドカップでは消極的なプレイに終始し、あまり活躍できなかった。我々日本人にとっては、あのトヨタカップでの素晴らしいパフォーマンス(当時28歳)で、初めてこの選手が大変なプレイヤだと認識できたのだ。それにしても、あの長いスルーパスの見事な事。リヴァプールのイングランド独特のラインディフェンスがこんなに簡単に崩れるものかと驚かされた。この日の素晴らしいプレイは、我々にとって翌年の「黄金の4人」の序曲となった。それにしても、これらの「黄金の神々」が我々にこれほど身近になるとは、当時想像もしなかったが。
プラティニついては上記の通り。本当に本当に本当に美しいプレイだった。
89年、中盤でのライカールト(ミラン)とアルバレス(メデジン)の追い掛けっこの面白さ。知的労働者の最高峰としての両者の駆け引きはすっかり堪能させていただけました。翌年ライカールトは、オリンピア粉砕時にその類稀なる肉体能力を見せ付ける。
00年ボカでリケルメを助けた老バズアルド。非常に息の長い選手だが、長きに渡りこの大国の中核を担うだけの事があると思わせる狡猾さの究極。レアルの高給取りたちが、馬鹿に見えた。
87年のあの大雪(それにしても寒かった)に埋もれつつも巧技を発揮したマジェール(ポルト)。オポルト人なりモンテビデオ人に会うと、「あの試合を生で見ていた」と言うだけで尊敬される。
81年にジーコを支えたアジリオ(フラメンゴ)の知性。「そうか、凄く巧い選手の横に、別な巧い選手を並べるとこんなに巧く行くんだ」と思わされた。先日のアルゼンチン戦、中村と小笠原を見て、この2人を思い出した。アジリオをご記憶の方々、小笠原ってそっくりだと思いませんか?
92年、上記したように前半だけだったが、高速、高精度の縦パスを次々に通し「スペクタクル」を演出した若きグアルディオーラ(クライフ)。当時世界屈指のリベロと言われていたクーマンが、後方でプレイしていたが、既に展開の速さはこのオランダの英雄を上回っていた。一度もワールドカップで活躍できなかったのが残念でならない。
91年、96年と2度に渡り、MFを蹂躙しまくったユーゴビッチ(レッドスター&ユーベ)。強いと言うか、激しいと言うか、巧いと言うか。
「黄金の4人」から10年経った92、3年、年齢を一切感じさせず走り回っていたトニーニョ・セレゾ爺さん(鹿島、じゃなかったサンパウロ)。世界を席捲したあの運動量こそ衰えていたが、パワフルな守備とここぞと言う時の前進の巧さは、往時のまま。先日、アントラーズの選手不足が報じられた時、現役復帰を真面目に期待したのだが。
余談だが、稲本がトニーニョ・セレーゾなりユーゴビッチなりに、どこまで近づけるか(追い抜けるか?!)、06年、10年、我々がどこまで進めるかを決めるのではないか。
3.4.フォワード
ボルギも上記の通り。本当に本当に本当に速かった。しかし、彼はその後トップフォームを崩し、取り戻す事はなかったと言う。あの試合の数年後、南米カップで来日した時は、技巧の数々は残っていたが、あのスピード(とそのギアチェンジ)は失われていた。前園のKリーグでの復活を望む。
90年のファン・バステンのオリンピア粉砕。1年前イギータとエスコバルに完封され、半年前のイタリアW杯で不振だったのを、振り切るような完璧な技巧とスピードを見せ付けてくれた。ストライカが完璧ならば、敵も味方も作戦など関係無いと言う事実を見せてくれた。当然ベスト11に入るべきだが、その半年前のイタリアW杯で見せてくれなかったら、悔しいので外した。
同じ90年のグーリット。あの試合は、このオランダの主将のキャリアで最高のパフォーマンスの一つだったのではないか。あれだけのトップスピードで前進できる選手は記憶にない。
82年ペニャロールを率いたモレナのボールキープの姿勢と前を向く巧さ。南米の古典的なCFの芸達者ぶり。どうも最近の南米のトップストライカは、バティとかクレスポとかレコバとかロナウドとか、万能型で力強い選手が多い。モレナのような古典的で技巧的なストライカも見てみたいのだが。
83年のグレミオのレナト。ブラジルの技巧に力強さが加わった典型的なウィンガー。当時のブラジルは、ストライカ不足だった事もあり、将来の大成が期待されたのだが。
88年「ゴールを奪う個人芸」を見せ付けた若きロマリオ(PSV)。味方のセンタリングに、はるか後方から走り込み、正確に合わせたもの。あの場面を1回だけ見ただけだと偶然としか思えないが。前評判高い若手のストライカだから、きっと意図したものなのだろうと感心した。そして、その後その芸達者を再三確認する事になるのは、皆さんご存知の通り。
92年ストイチコフ(クライフ)の完璧なシュート能力(2年後の合衆国でその能力は世界に発信される)。さんざん噂には聞いていた、東欧のストライカの凄みを初めて体感した。
98年のラウル(レアル)の冷静なドリブル。この時代になると、TVで欧州のトップスターを見る機会が飛躍的に増えてきており、「こんな選手がいたのか」と言う驚きではなく、「なるほど評判通り」と言う再確認が主流となってきた。それでも、あのドリブルには驚かされたのだから。
4.もう一つ絶対に忘れないゲーム
様々な好ゲームを思い起こすのは本当に愉しい。本稿は、書くと思い出し嬉しくなる繰り返しだった。それらの美しい記憶の中で、全く別な意味で、絶対に忘れられないゲームがある。97年のボルシア・ドルトムント−クルゼイロ戦だ。
2ヶ月半にも渡ったフランス予選、毎週毎週繰り返した感情の起伏。
ジョホールバルの歓喜から2週間ほど経っていたか。
「対岸の火事」見物の気楽な事と言ったら...
2002年12月02日
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