2007年05月10日

「アジアカップ」対「ユナイテッドのアジア遠征」

 たまには国際問題?を論じよう。

 半ば恒例となっている、欧州有名クラブの小遣い稼ぎアジアツアーの話題。マンチェスター・ユナイテッドのアジアツアーに、何やらAFC会長がクレームをつけたらしい。曰く「アジアカップの最中に、そのような花相撲をされては困る。」と言う事らしい。
 我々日本人には、何を文句をつけているのかが、わからないネタだ。だってそうだろう。代表の公式試合がある期間だから、J1はお休みになっており、その結果花相撲にお付き合いできるのだから。つまり、アジアカップの最中でなければ、このような花相撲の開催は難しいのだ。当然のように川淵会長もそりゃあ無理と言うものと述べたらしい。
川淵会長は、中止や延期による「契約違反などの問題の方が大きい」と述べ「AFCはあまりに一方的。日本のクラブが世界のトップクラブと試合はできないのか」と批判した。
 もっともこの会長の発言は少々いただけない事がある(本URLはスポーツ誌の情報だけに恣意的に書き換えられている可能性もあるが)。それは「契約違反」を一義に挙げた事。たとえば、今後アジアカップ本大会より1年くらい前に「アジアカップ開催時は、加盟国は欧州クラブを招待した試合をしないでくれ」と示達されたら、「いや契約が」と言う理由は使えない。ここは正直に日本の実態を説明して反論すべきだろう。
 現実的に、アジアカップと欧州チーム花相撲は、日本ではビジネスとしてのセグメントが全く異なっている。同時に行なわれても忙しいのはスポーツ新聞などの記者くらいなものだろう。「クリスチャン・ロナウドとルーニーをどうしても観る」セグメントと「日本代表の試合は何をおいても観る」セグメントの「交わり」は日本においては少ないはずだ。
 したがって、川淵会長はまず「アジアカップ最中にユナイテッドの招待試合があったとしても、日本サッカー界は、従来通りアジアカップを全面的に支援し愉しませていただく。全国民は、オシム氏の指導の下で美しい日本サッカーをアジアの皆様に披露した上での3連覇を期待している。一方、アジアカップとは別に、国内のクラブチームが、自クラブのサポータと欧州サッカーマニアに、親善試合観戦の機会を提供するのは全く別な話。今回、クリスチャン・ロナウドの妙技に興奮した子ども達は、同時期に行なわれるアジアの名手達の妙技も同時に堪能し、将来のアジアを支える存在になる。」とか何とか、キレイ事を言っておけばよいのだ(同時に小さい声で「契約問題もあるし」とAFCを脅すかどうかは駆け引きだな)。

 一方で、マレーシアが実際にユナイテッド戦をキャンセルするらしい。どうも、マレーシア協会は、英連邦から独立した50周年記念にこのユナイテッド戦を充てようとしていたらしい。ところが、マレーシアは(日本協会と異なり)「アジアカップの最中は他の試合はしない」と言う契約を結んでいた模様、これでは断念も仕方がないか。もっとも、この文章には、ユナイテッドがマレーシアでどのチームと戦うか記載されていないように思うのだが、まあそれはそれとして。
 と、ここまで考えてきて、このユナイテッドキャンセル騒動は結構深刻なものなのではないかと思い始めた。マレーシアやシンガポールでは、(元々英国とのつながりが格段に強いと言う事もあって)国内リーグよりもプレミアリーグの方が格段に人気があるという話を聞いた事があるのだ。私自身は、ここ数年間マレーシアにもシンガポールにも行く機会を得ていないので、最新の状況は知らない(だからピントがずれていたらごめんなさい)。けれども、確か2000年だったと思うが、両国にしばらく滞在した際も、スポーツ好きの多くの人の興味は自国リーグではなくプレミアだった。私がサッカー好きだと言う事がわかると、多くの人に「プレミアではどのクラブが好きか?」と聞かれ、回答に窮した思い出もある。ここで「Do you know Vegalta Sendai?」と混ぜ返すと俄然面白くなったのだが。
 そう考えると、今回のAFCの(我々から見ればいささかヒステリックな)騒ぎ方も、納得できるようにも思えてくる。多くのマレーシア人にとっては、アジアカップよりもユナイテッドの来訪が重要なのだとしたら、そりゃアジアカップの盛り上がりに水を差すな。
 そのあたりを深堀した情報をお持ちの方がいたら、教えてください。
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2007年05月01日

次回ワールドカップ開催問題

 南アフリカと言う国には行った事がない。けれども、このような情報を読んでみると、現実的にワールドカップを開く事ができるかどうかについては、疑問を抱かずにはいられなかった。それでも、「様々な事情」でワールドカップが強行されるとしたならば、ホテルと試合会場とメジャーな観光地をチャータしたバスで行き来するだけの無味乾燥なワールドカップ旅行を覚悟するのだろうかと、漠然と考えた事もある。いや、一流ホテルはFIFAが押えてしまう以上、安ホテルを借りきり武装ガードマンでも雇うのかと友人と冗談半分で話をした事もある。
 さてここで「世界で最も発言の信憑性が信じられない男」がようやく本件に関して真っ当な発言をした。
Blatter cited a list of countries that could step in, including England. The others he mentioned were the United States, Mexico, Japan and Spain.
妥当と言えば妥当な国がリストアップされている。イングランドとスペインは最近ワールドカップを開催していない欧州の大国。日本を含めた他の3国は、スタジアムと各種インフラで欧州以外で32カ国対応できる国だ。もっともこれらの国での開催には条件が付いているようだが。
A natural catastrophe or whatever, a big change in society - everybody against football.
ただし、上記の南アフリカの現状を聞くにつけ、既に「catastrophe」状態ではないかとも思うのだが。
 現実的には2010年開催可能なのはこの5国に加え、フランス、イタリア、ドイツ、ウルトラCでオランダ+ベルギーと言うところだろう。
 ただし、欧州での連続開催はブラジルとアルゼンチンが不満を述べるだろう。一方、アメリカは広すぎる事で94年にジャーナリストの皆さんが疲れ切ったと言う悪評がある。日本の高湿度には02年に欧州勢が大沈没したので異議を唱えるのではないか。もっとも、欧州勢は高湿度を既に忘れていて、あの大会は審判のアレだとしか記憶していないかもしれないから、案外日本に票が集まったりするかも。
 以上考えてみると、まあ無難なのは86年大会のように「困った時のメキシコ」と言う事になるような気がする(86年はコロンビアが返上したのに対する代替開催)。まあ、70年大会のペレと言い、86年大会のディエゴなりフランス−ブラジルと言い、メキシコでワールドカップを行なうとよい大会になるのだから、それが一番よいように思う。

 ついでに戯言を述べておく。
 私はとにかく個人的事情から日本開催には絶対反対。以下理由を述べる。
1.予選がなくなる
 いくらアジアの予選が楽にせよ、あの予選の緊張感を4年に1回味わう事で、私の人生のサイクルは回っている。06年の予選は随分と楽だったが、それでも埼玉オマーン戦の緊張、埼玉北朝鮮戦の興奮、テヘランイラン戦の悔しさなど、多くの愉しみを味わえた。この愉しみを奪わないで欲しい。
2.日本戦のチケットが取りづらい
 日本でワールドカップをやると、とにかく日本戦のチケットが取りづらくなり非常に迷惑だ。
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2007年04月22日

スコットランドチャンピオン決定

 ノンビリやべっちを見ていたら...
 
 何だよ、あのフリーキックは。あそこであの時間帯で決めるかよ。

 私が貴兄の名前を聞いたのは96年かな。南、宮本、古賀、戸田、城定、広山、山口、明神、柳沢、山下、福田と言った優秀なタレントが揃ったユース代表。「中盤でパスを出せるタレントがいれば...」と言う話があり、大野なり長田あたりに期待が集まっていた。そんな時に友人が言っていた。
「何て言ったかなあ、神奈川の桐蔭学園みたいな名前の高校に、細身だけど凄い巧い左利きがいるんだよ。桐蔭じゃあないのだけど、似た名前の高校だったなあ。本人の名前も、田中じゃあないし、高橋じゃあないし、普通の名前なんだよ。何て言ったかなあ、でも本当に巧いんだよ。名波とも前園とも違うんだ。」

 その若者は本当に凄かった。
 97年ワールドユースで決めた信じ難いフリーキック。98年トルシェ氏就任直後のアルゼンチン戦のループ。99年シドニー予選で平瀬に通した40mのアウトサイドでスライスを切ったパス。00年シドニー、幾多も通した完璧なラストパス(再三日本の危機を救う左サイドでの守備を含め)。その後のアジアカップで名波の副官としての幾多の妙技。01年サンドゥニでカンデラに踏み潰された失態。以降のトルシェ氏との微妙な関係。そして02年のメンバ発表。03年のコンフェデでの妙技。04年オマーン戦でのPK失敗と不調。そしてアジア再制覇時の芸術の数々。マスカットオマーン戦で、ミラン・マチャラに「我々には中村がいなかった」と嘆かせたあの鈴木に合わせるセンタリング。05年埼玉北朝鮮戦での交代出場後の鬼気迫るリーダシップ。コンフェデで幾多も見せてくれた芸術。セルティック移籍後の数々の妙技。

 どうして貴兄はあの1年前のドイツでだけ...
 まあいいよ。頼むぞ、南アフリカ。おお、その前にアジアカップか。3連覇だな。
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2007年04月19日

メッシ

 まあ、何と言ったらいいのか。

http://www.youtube.com/watch?v=YDoHBK2NFsA

 講釈のしようがないと言うか。

 ただ、あきれるのは、最後GKを抜いて身体が外に向いた状態で、敵DFのスライディングを読んで(あるいは見て?)利き足でない右でシュートを浮かす事ができると言う事。

 ディエゴと比較すると
(1)ワールドカップの準々決勝と言う場の重さ
   加えて66年以降因縁があったイングランド戦
   と言う事、さらにその直前の1点目の「神の手」
   対して、こちらは一介のリーグ戦の1試合
(2)ディエゴのドリブルがワンタッチずつ加減速が
   入るようなステップに対し、敵がいない時の
   メッシのドリブルはひたすら速い。
   が、一本調子になったと思わせて、敵が立ち塞がった
   瞬間に変化が生まれる。
   ディエゴにやられた守備者は「何が起こったかわからない」
   だったろうが、メッシにやられた守備者は
   「わかっていてもやられる」と言う印象か。

 まあ、それにしても恐れいりました。
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2007年04月12日

積年の恨み

 1985年11月3日、ソウルは蚕室オリンピックスタジアム。1週間前に国立競技場で1−2で敗れていた日本は、敵地で韓国に苦戦していた。2点を取らなければならないので、「攻撃的」に戦うために、西村昭宏を外し中盤に木村和司とジョージ与那城を並べたために、逆にボールが拾えなくなり韓国に攻勢を許したのだ。それでも圧倒的にボールを回されながらも、加藤久と宮内聡を軸に丹念に守り続け、前半を終了した。試合展開としては苦しいが、何とかこのまま守りのペースを掴み、木村のセットプレイから点を取りたい流れだった。
 ハーフタイムに攻勢の韓国は中盤のトップの選手を代えてきた。これまでトップ下を務めていた李泰昊は、小柄で非常に質のよい動きをする選手で、国立でも逆襲速攻から鮮やかな2点目を決められている。しかし、必ずしも技巧的な選手ではなく、この日は宮内がスペースを消す事でよく押えていた。その代わりに17番をつけたしなやかな選手が出てきたのだ。この選手が巧い、巧みなドリブルで宮内を引き出し、ペナルティエリア前にスペースを作るのだ。「誰だ、あの17番は?」私が騒ぐと、後ろで観戦していた韓国人(日本語ができる人だった)が教えてくれた。「許丁茂です。」「あの許丁茂ですか、オランダから帰ってきた。」

 70年代半ば、毎回毎回やられていた頃の韓国の攻撃ライン。スピードも技巧も抜群の車範恨、悪辣な駆け引きで知られた金鎮国、トリッキーな技巧の李栄武、そして彼らと共にしなやかなドリブルで我々を悩ませていたのが許丁茂だった。
 80年代に入り、「どうも最近見かけなくなったなあ」と思っていたら、オランダのプロリーグで活躍しているとの報道を目にした。当時欧州で通用した韓国人選手は車範恨だけではなかった訳だ。その許丁茂が帰国して代表にも復帰したとの報道は目にしていたが、国立には登場しなかった(負傷で間に合わなかったらしい)ので、すっかりその存在を忘れていた。ところが、この苦しい局面で、再びその悪魔のようなドリブルを見せてきたのだ。

 許丁茂の登場で日本はますます劣勢になる。そして、負傷した石神良訓の代わりに起用された越田剛史のミスから、崔淳鍋が強烈なシュート、ポストに跳ね返ったボールを冷静に詰めたのは許丁茂だった。
 本当に、本当に、本当に、忌々しい選手だった。

 以下引用(J's Goalより)
完全に負けました。サイドからの攻撃が悪かった。内容が悪く完全に負けました。最初は3バックだったのですが、後半から4バックに変えましたがこれも良くなかった。キム・チウがいなかったのが悪かった。
25日に向けて特別に何かをすることはありません。国内での戦いもありますので。国内に向けて練習したい。ベスト8には上がれないと思います。国内のタイトルを狙います。

 あの許丁茂にここまで言わせたのだ。憲剛とその仲間達、いや全てのフロンターレ関係者、特にホームチームを完全に圧倒したサポータ達に多謝。
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2007年04月06日

隣国のホテルにて

 本業都合で隣国にいる。
 たいていのホテルにはケーブルテレビがあり、夜時間をつぶすためにサッカー観戦と相成る。例えば先日のブラジル−ガーナあたりを堪能する事ができた。が、どうでもいいけれど、今回ちょっと困った事があった。。
 ご承知のように、隣国の言葉と言うのは、実に見事な記号体系で構成されている。さすがに喋れないけれど、一種のローマ字みたいなものだから、何回も訪問していれば、そこそこ読む事ができるようになる。これは、この国を旅する時には重要。1人で街をウロウロして飯を食う時に、その店が私の好きな「スンドゥプ(柔らかい豆腐と卵が辛くて熱々の魚介スープに入っている)」とか「サンギョプサル(豚の焼肉、脂分を焼きながら落として塩ダレで食べる)」を出してくれる店なのかを確認するために必要な能力だ。ただ何せ記号を頭の中で変換するものだから、少々時間がかかる。言い換えると、その店が「サンギョプサル」を出す店なのか「サンゲタン(もち米や朝鮮人参が鳥の腹に詰められて煮込んだスープ)」なのかは、「サン」から始まる3文字をジーッと眺めて、「サンG...」と言うペースで読んだ後、おもむろにいずれかを判断する程度の、トロトロ読みしかできないと言う事。
 で、テレビでサッカーを見ていると、当然選手名やチーム名が出てくるのだけれど、上記のペースでトロトロ読みをするのだが、読みきれずにテロップが消えてしまうと、結構ストレスがたまるのだ。まあ、こちらが悪いのだけれども。で、昨日偶然見る事ができたのが、上記ブラジル−ガーナの他にアジアフットボールショー。
 これが、先日のレッズがシドニーと引き分けた日のアジアチャンピオンズリーグの特集だった。で、画面の表記は英語ではなくて、現地対応になっているものだから、上記のトロトロ読みをしていた。シドニー−レッズ後のペルシク・ケディリ−上海申花あたりは、チーム名がある程度頭に入っていたから、ちゃあんとテロップが消える前に読めた。それにしてもペルシク・ケディリが奪った1点は見事だったな。
 ところが...舞台が西アジアに移ると私は恐慌に陥った。ほとんどのチームが「アル」と言う一文字から始まるのだ。トロトロ読みで「アル...」と読み始め、次の言葉に移って変換しているうちに、テロップが消えてしまう。そうわかっていても、「アル」を飛ばして2文字目から読むほどの能力はない。かくして、登場しているクラブが「アル・ヒラール」なのか「アル・アイン」なのか「アル・イテハド」なのか「アルメニア・ビーレフェルト」なのか「アルゼンチン代表」なのか「アルビレックス新潟」なのか、判別できないうちに、映像が進むものだからもう大変。映像を愉しむよりも、これは一体何と言うクラブなのだと悩む事になってしまった。後から冷静に考えれば、別に中東のクラブ名がわからなくても、どうせゴール場面を中心にしたダイジェストなのだから、それだけを愉しめば別によかったのだけれども。いやそれだけなのですが。
 ちなみにフロンターレがバンコク大学にしてやられた試合は、映像がなく結果だけでした。理由不明。
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2007年03月30日

拡大トヨタカップ地元開催枠を嘆く

 大変残念なニュースだ。拡大トヨタカップに地元枠が設けられてしまったらしい。何とか、今からでも地元枠を無くせないものだろうか。
 私が地元枠に反対する理由は以下の2つ。

 まず1つ目。これにより恒久的な日本開催の可能性が格段に低くなってしまったと言う事だ。1981年以降、28回に渡り我々はトヨタと言うこの大会のスポンサ企業がいたおかげで、この素晴らしい大会を体験する事ができてきた。そして拡大トヨタカップになってからも少なくとも3シーズンは、この恩恵にこうむれると言うところまではわかっている。しかし、地元枠が登場した事により、これは同時に開催国恒久化は否定されたと考えるべきであろう。もちろん、地元枠がなくとも、開催国が変わっていく可能性はあったかもしれない。けれども、地元枠が設定された以上、そうなる確率は高まったと考えざるを得まい。
 逆の目もあり。もし地元枠が設定されてもなお、日本開催が継続したら(と言うより地元枠が設定された以降も日本協会が本大会を招致するとすれば)、これは以前も述べたが、日本サッカー界は極めて格好悪い状況に置かれる事になる。これはこれで、日本のサッカー人として他国のサッカー人に対して非常に恥ずかしい事だからやめて欲しい。
 
 2つ目の理由。この大会は「出場するのが極めて困難な大会」だからこそ存在感があると言う事に、地元枠は矛盾するからだ。ワールドカップを初めとして、他の全てのFIFA主催大会には地元枠が存在する。しかし、ワールドカップに出場する事と、拡大トヨタカップに出場する事の困難さは格段に異なる。ワールドカップは国単位の大会であり、その国のサッカー力がある程度高ければ、4年に1回とは言え、それなりに出場機会は得られる。けれども、拡大トヨタカップは異なる。自国のタイトルマッチを獲得し(あるいは上位に進出し)、さらに厳しい大陸の大会で優勝しなければ出場権は得られない(ワールドカップと異なり毎年開催されるが、それが頻度面でワールドカップ以上のものにはならないのは言うまでもなかろう)。自国がワールドカップに出る事のできる確率と比較して、自分のクラブが拡大トヨタカップに出る事のできる確率は格段に低いのだ。
 過去日本で同等の権利を獲得したクラブは(前身のアジアチャンピオンズカップ時代を含めて)古河電工、読売クラブ、そしてジュビロ磐田の3つしかない。過去アジアチャンピオンズカップあるいはリーグは26回行われており、その間日本のクラブが3回しかアジアチャンピオンになれていないのは、やや少なすぎる感もあるけれど、一方ではそのくらい希少なものと言う事がわかるだろう。
 現在大会が佳境の欧州チャンピオンズリーグはベスト8までチームが決まっているが、金満の名門がズラリと並ぶこの8強の中でも、ローマ、チェルシー、バレンシアの3クラブは過去この栄誉を獲得していない。さらに欧州の名門中の名門であるバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドやインテルでさえも、この栄誉の獲得は2回のみである。
 この大会への出場権と言うものは、そのくらい尊いものなのだ。希少なものは、希少な状況に保たれるからこそ価値がある。
 類似のチーム数の大会としてコンフェデレーションカップがあるが、この大会は地元国が出場したりいかにも曖昧なレギュレーションのせいもあり、世界的にはそれほど重要な大会とは認識されていないのは、皆さんご存知の通りである。

 もっとも、この手の世界大会を、日本で独占しようと言うさもしい根性がいけないと言う考え方もあるな。まあ、観客動員促進の目的で出場権のある6クラブの所属国で大会を実施するならば、仕方がないとも思うだろうが。大体、この大会は今日本で開催されているから、(悔しいけれど)地元枠と言っても世界サッカー界から誤差で片付けられるのだ。もし、イタリアやスペインで開かれた場合はどうするつもりなのか。

 救いは今のところ本件に関しては(私が調べた限りでは)、日本協会からは協会会長恒例の能天気なコメント付のリリースが流れてはいるものの、FIFAからは明確なニュースリリースが流れていない事か。
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2007年03月25日

フリオ・セサル・ウリベ氏に思う

 昨日日本と対戦したペルー代表の監督は、フリオ・セサル・ウリベ氏。この人は82年スペインワールドカップでペルーの攻撃ラインのエースとしてプレイした選手だ。
 ペルー代表はこの82年以来、ワールドカップには出場していない。しかし、70年代は70年大会、78年大会それぞれに出場し、共にベスト8入りを果たしている。この2つの大会では、テオフィロ・クビジャス(90年イタリア大会中、このスーパースターに出会った私は記念写真を撮ったのじゃ)、エクトル・チュンピタスと言ったスーパースターが活躍、いかにも南米風の高度な個人技を軸にした美しいサッカーを見せていた。面白いのは70年大会では準々決勝でブラジルに、78年大会では2次リーグでブラジルとアルゼンチンにそれぞれ完敗して引導を渡されている事。つまり、南米の大会で南米の強豪に敗れているのだ。特に78年大会では、2次リーグ方式でブラジルとアルゼンチンが同勝ち点で並ぶのだが、リーグ最終戦でアルゼンチンがペルーに6−0で完勝して、その得失点差で地元アルゼンチンが決勝進出すると言う、いかにも怪しげな敗戦劇を演じている。
 70年代に強豪だった国は、私のような年齢の人間には鮮烈な印象として残っているのだ。ポーランドもそうだな。
 残念ながらウリベが若きエースとして期待された82年大会は、カメルーン、イタリアと引き分けたものの、ボニエク率いるポーランドに完敗し、1次リーグ敗退。余談ながら、このグループはこのポーランド−ペルー戦以外の5試合は全て引き分け、イタリアとカメルーンは勝ち点3で並ぶも、総得点でイタリアが2次リーグ進出と言う際どさだった。このようなすり抜けをする時のイタリアは順調な訳で、2次リーグ以降アルゼンチン、ブラジルを連覇し優勝に向かうのだが。
 以降、ペルーはワールドカップに出場できていない。南米においては、アルゼンチン、ブラジルの2強が他を圧しているが、他国はほぼ横一線。その中でもウルグアイ、パラグアイのように強固な守備、チリのサモラノ、コロンビアのバルでラマのような化け物、エクアドル、ボリビアのような高地(笑)などの決定的な武器を持たないペルーは、どうしてもあの激烈な南米予選を勝ち抜けていないと言うところだろうか。

 話は戻って選手ウリベ。82年大会前は、若きペルーのエースと期待されたのだが、これがすっかり期待はずれで上記のように1次リーグ敗退となった。そして、ウリベはワールドカップで復讐戦を演じる事なく、世界の舞台には再登場しなかった。大会前に騒がれ、期待はずれと言うと、78年大会のジーコもそうだった。けれども、ジーコは82年大会、4年前の屈辱を晴らす大活躍を見せた。

 と言う事で、中村俊輔よ。ウリベではなく、ジーコを目指してくれ。あ、監督としてではもちろんないです、選手としてですよ。
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2007年02月02日

史上最高の9番

 先日のベッカムに続き、ロナウドまでがレアル・マドリーを去る事になった。一連の「銀河系政策」が終わりを告げたと言う事だろう。50年前とは時代が異なっていたのか、人材選考が悪かったのかはさておき、長期的観点からは「正常化」と言う言葉でくくられるのだろうか。私は過去も述べたが、「銀河系政策」には否定的な論陣を張ってきた。もっとも「銀河系政策」に関しては、2002年12月のトヨタカップで少々食あたりを起こしそうな脂っこさではあったが、非常に美しいパスワークを堪能できたのだから文句を言ってはバチがあたるかもしれないが。 

 ともあれ、ロナウドはサンチャゴ・ベルベナウを去り、サン・シーロに復帰する。今度は青黒ではなく、赤黒になるのだが。



 で、今日の本題はロナウドについて。 私は、「この選手は史上最高のセンタフォワードではないか」と思ったりするのだ。

 あの98年の爆発的なドリブルシュート。力強さ、スピード、技巧が全てバランスが取れた美しさ。そして、その爆発ドリブルで抜け出し、シュートを打つ直前の丁寧で正確極まりないボール扱い、強く低くゴールに流し込まれる軌道の見事さ(準決勝で、その若きロナウドを阻止したダヴィッツの歴史的なスライディングタックルも忘れ難いが)。そして、謎の決勝直前の体調不順。

 続く02年、1次リーグの序盤のグダグダ振り。1/16ファイナルのベルギー戦、狙い通りの見事なサッカーを見せるベルギー(あの神戸の試合、私はこのままベルギーが押し切ってブラジルが脱落すれば、「日本が決勝進出できる可能性が格段に高まる!!!!」と興奮を禁じ得なかったのだが(笑))に苦戦するブラジル。しかし、リバウドの信じ難いバックボレー。そして、ロナウドの冷静な一撃。そこから、フェリペブラジルの快進撃が始まる。イングランドをリバウド、ロナウジーニョの2得点で下して迎えた準決勝。トルコの分厚い守備に苦戦するブラジル、そして速攻から「左」サイドをロナウドが突破する、しかしロナウドに対峙するのは、この日(と8日前の日本戦で)大当たりしていたトルコGKリュストゥ。切り返して得意の右に持ち帰るスペースはトルコ守備陣が与えてくれていない。一方、不得手な左足でのシュートでは、リュストゥを破るのは難しそう。と、トルコゴール裏で見ていた私が考えた瞬間、ロナウドは信じ難いアイデアを発揮した。ドリブルで持ち上がりながら、利き足の右でトーキックでシュートしたのだ。全くタイミングを逸したリュストゥには防ぎようがなかった。何と言うアイデアなのだ。その後の決勝、ロナウドは(この決勝戦に進出するまで完璧なセービングを見せていた)名GKカーンの信じ難いファンブルを詰める事で、母国に5度目の栄冠を提供し、得点王も獲得する。同じ年の12月に再びトヨタカップで来日、先制点を決めた時のボール扱いの正確さも凄かった。

 加えて、今回の06年。ロナウドは「太ってしまってダメだ」「アドリアーノとロビーニョの2トップが最も有効」など、多くの意見が飛び交った。その意見にしたがって、日本戦にはロナウドを外してくれればよかったのに。日本が1−0とリードしていた前半終了間際、ロナウジーニョが(日本から見て)左サイドに進出してきたシシーニョに鮮やかなクロスパス。ロナウドをマークしていた中澤が、一瞬(そう、ほんの一瞬だった)シシーニョの方を向いた瞬間、ロナウドは1、2歩後方に下がり、フリーになる。中澤が振り向いた時は遅かった。あの試合のハーフタイム、幾度と無くドルトムントのオーロラビジョンに流されたあの同点劇、「しまった、やられた!」と言う中澤の悔しそうな表情が忘れられない。続く1/16ファイナルのガーナ戦。開始早々にオフサイドトラップを破り抜け出した際も心憎いばかりのボール扱いで「ワールドカップ最多得点」を決めた(この日の前半、全く同じように抜け出したアドリアーノが僅かなボール扱いのブレにより得点を決められなかったのが印象的だった)。



 色々なパタンで点を取る事のできる能力も見事だが、長きに渡って活躍してきたところも凄い。94年のワールドカップの時はまだ見習い。96年のアトランタ五輪で交代出場してきた「ロナウジーニョ」時代は、松田直樹と互角の戦いを演じていた。しかし、それ以降ガガーンと凄い選手になり、97年のロマーリオとのコンビが確立した頃には、早くも「世界最高」の雰囲気を漂わせていた。その時以降10年近くの長きに渡り、ロナウドは「世界最高」のストライカだったのだ。ゲルト・ミュラーも、パオロ・ロッシも、ガリー・リネカーも、ティエリ・アンリも、そしてマルコ・ファン・バステンも、ここまで長期に渡って活躍を継続できなかった。それぞれ負傷あり、八百長事件の連座疑惑あり、疲労による引退表明あり、など事情はまちまちだったのだが。しいて言えば、ガブリエル・バティストゥータが近い印象があるかな。

 ただ個人的には、ロナウドよりはバティストゥータの方がずっと好きなのだけれども(あのトゥルーズで川口がやられたチップキックをどう文章化すればよいのか)、でもワールドカップの「ここぞ」と言う場面で、得点を決めているロナウドの「怪物」振りは認めざるを得ないかなと。



 だけどさ、中村俊輔よ。あのドルトムントの悔しさを、ここで晴らさずにどうするよ。
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2007年01月16日

歴史は繰り返す

 ベッカムが「来シーズンに合衆国MLSのロサンゼルス・ギャラクシーに加入する事が決まった」と報道されている。5年契約で総額2億5千万ドルと言う、およそ我々の常識からは程遠い金額で。

 案の定、レアル監督カペロ氏は「ケッ、そんな話が決まったらやってられるかよ、もうベッカムは飼い殺しにしてやる(意訳はもちろん武藤です)。」と発言。英国の大衆紙が「引退興行」と揶揄するなど、もうボロクソに言われてるらしい。



 ベッカムと言う選手は本当に不思議な選手だ。紛れも無いイングランドサッカー史に残る名手。デビュー当時から、悪魔のように曲がる右足クロスは注目されてきた。98年フランスにおけるアルゼンチン戦の退場劇、99年マンチェスターユナイテッドのチャンピオンズリーグ決勝での奇跡の大逆転劇の2本のコーナキック。02年大会の出場を決めた予選のギリシャ戦の鮮やかなFK。02年本大会での、4年前の悔しさを果たすかのような「強い」PK。ベッカムに加え、ジェラード、ランパードを揃え強力そのもののMF陣で臨んだ06年にしても、イングランドがベスト8に至るまでに刻んだ得点の多くはベッカムを起点にしたものだった。

 イングランドが本腰でワールドカップを戦うようになった60年代以降を振り返っても、ボビー・ムーア、ボビー・チャールトン、ゴードン・バンクスの優勝時の偉大な3人、さらにはケビン・キーガン、ガリー・リネカーと並ぶスーパースターと呼ばれるべきであろう。

 が、どうにもこの選手を素直に飲み込む事はできない。ベッカムの存在そのものに、どうにも違和感を感じるのだ。ベッカムがレアル・マドリーに移籍した頃から、この違和感がどんどん大きくなっていった。結局、歌手だった美人の夫人と共に、サッカー以外の露出があまりに多過ぎたと言う事だろうか。ベッカム周辺の大騒ぎを見ると、日本国内のスター偏重問題など、足元にも及ばない(もっとも、ベッカム自身の実力も日本の「スター」よりも格段に高いのだけれども)。

 90年代半ば以降、欧州のサッカーシーンに大量のキャッシュが流れ込み、サッカー界の様相は一転した。現状が未来永劫続くのかどうかはよくわからない。しかし、将来この時代のサッカーを振り返った時に、ベッカムが「キャッシュ流入時代の象徴」と語られる事だけは間違いなかろう。



 しかし、2億5千万ドル/5年は凄いね。これまで、あれだけ稼ぎ続けて、さらにこれだけの収入。これを払う合衆国の金回りがまず凄い。先日の野球の松坂の移籍に払われた金額にもビックリしたが、今回のベッカムはそれを軽く凌駕している。ロスアンゼルス・ギャラクシーが、いかなる回収作戦を考えているからは、私などには想像できない。さらに、それ以上に「ベッカムサイドはこれだけ稼いで一体何に使うのだろうか」と言う気になってくる。



 もっとも、今回の騒動で一番笑ったのは、ベッカムの「報酬が魅力で行くのではない。米国のサッカーを発展させるために決断した」と言うコメント。これは約30年前、1度ブラジルはサントスを引退したペレが、事業の失敗による借金を返すために、当時のNASL(North American Soccer League)のニューヨーク・コスモスに移籍する事が決まった時のセリフと完全に一致している。確か当時のペレに対する契約金が、当時の日本円換算で20億円くらいだったと記憶している(当時のレートはよくわからないが、1ドル=200円くらいとすると(70年代半ばのドル、円換算はそんなもの)1千万ドル相当になるか。ベッカムのコストが、いくら時代が異なるとは言え、ペレのそれと比較して20倍以上と言うのだから凄い。

 ともあれ、合衆国に行くスターが語るコメントは皆そうなのだろうなと。もっとも、住金に移籍するジーコや、グランパスに来訪したリネカーも、きっと同じセリフを吐いたのだろうなと思うと、複雑な気持になるけれど。
posted by 武藤文雄 at 23:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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